夏目漱石の「門」を読んで

 

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これまで猫ちゃんに坊っちゃんに三四郎と読んできた夏目漱石の本ですが、今度は「門」を読んでみました。

宗助という主人公とその妻御米が中心となるお話です。内容は……全体的にどんよりとした雰囲気が漂っているように感じられました。

家族故の距離感、というものがあります。家族だから何でも許される、ということはないですよね、現実では。何でもがつがつと土足で踏み込むことができないのは、他人だけではなくて家族でもあることで、寧ろ家族の方が余程気を遣うこともある、ということが感じられる作品でした。

宗助という主人公には弟の小六がいるのですが、小六は兄の宗助とは違い、物事を急ぎ気味に考えて行動に移せる気性の持ち主。それに対して兄の宗助は、どことなくのんべんだらりとした様子で、何事も流して流して、後で後でと言いつつも、結局延ばせるところまで延ばして、触れずにおけるものなら触れないでおこう、という気性の持ち主。兄弟で対照的ですね。でも兄弟ってそう言うところがあったりしますよね。

ただ、この宗助も、若い頃は小六のような気性の持ち主だったけれど、とあることを切欠に、表通りを避けるように隠れて逃げて、妻の御米とひっそり暮らすようになったという……この物語の核ともなる話があります。それだけに宗助は弟の小六くらいにはっきりしたいけれどできないと、小六を羨ましがる描写もあったりします。本当は小六ぐらいに堂々としていたい。けれど自分は過去に犯した罪があるから、その負い目を感じる限りは自らの意思を強く押し出すことにも罪を感じるのではないかと、そんな印象を受けました。

大小さまざまあるでしょうが、何かしら悪いことをすれば、それを負い目に感じてその後の行動が委縮するのは、良心を持つ人であれば当然に持つ感情かと思います。「罪を犯した私なんかが、何かを言う権利はない」と思うのは、罪を犯した人が何を言ったところで説得力が生まれないと自身で分かるからなんでしょう。それだから一つでも悪いことをした人は、そしてその悪事が周りに知れているような人は、自信を失っているから自分の意見を押し出すようなことも出来なくなってしまうと。

……と、そこまで考えたところで私がふと思ったのは、ドラクエ5のお話を書いているからですが、彼のことですね。いわずもがな、ヘンリーのことです。私の推しなので(笑)

彼も幼い頃の自分の浅はかな行動で、友達の父親を死なせてしまったと、長いこと悔いています。(あくまでも私のお話の中での話ですが)ただ彼は立場上、うじうじ悩んでいることもできず、寧ろ友達のためにも立ち直ったところを見せなくてはならないと、気を吐いているような状況、と勝手に想像しています。でも実は内面でうじうじしていると。自分の命はいつでも友達の思う通りだ、くらいに悟っている感じです。……あ、すみません、私の妄想ワールドにお付き合いいただいて恐縮です(笑)

この本に登場の宗助は最後の方で寺に救いを求めに行きますが、それも上手く行かず、結局彼の状況は初めと何ら変わらないという、何とも現実的な終わり方をします。はっきり言ってすっきりしません。宗助の性格の為せる業かも知れません。余韻が残ると言うか、淀みが残ると言った感じ。

私は個人的に、こういう余韻の残る作品は大好物です。すっきりしない~、という作品の方が必然と内容を後まで覚えているからでしょうか。すっきりさっぱり終わると、良かったね~と自分の心も考えも完了してしまい、後に作品について考えることもなくなるからかなぁ。すっきりしないで中途半端に終わる方が、その後の事を自分で勝手に想像できるという余地も残されているから、ということもあるのかも。

それで、さて次は何を読もうかなと夏目漱石の作品を見ていたら、あることに気付き……

「三四郎」と「門」の作品の間に「それから」という作品があるらしく……この三作品を合わせて夏目漱石の前期三部作となるようです。なにぃ? それってもしかして、ドラクエで言えば、1と3を初めにクリアして、これから2をプレイする、みたいな状況かしら? うーむ、それは何となく惜しいことをしたような気が……。どうせなら順番で読んでみれば良かったとちと悔やまれます。

ということでこれから「それから」を読んでみたいと思います。

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