2023/05/20

魔界の監視役

 

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暗黒世界とも呼ばれる魔界のその名に、見も知らぬ世界を頭の端で想像してはいた。もし人間の目が利かないような暗闇が広がるばかりの世界であれば、ビアンカの火の呪文に頼るつもりで、彼女が手にしているマグマの杖もまた明かりの役割を果たしてくれるだろうと考えていた。それに併せ、魔物の仲間たちの目を頼りとしていた。人間と魔物では、たとえ仲間と言えどもその特性は大いに異なる。これまでも人間ではほとんど視界の利かない洞窟の中を探索したこともあったが、どうやら魔物の仲間たちには暗闇に利く目があり、それを頼りにしてきた。
聖堂を出たリュカたちが先ず目にしたのは、不気味に赤黒く染まる空、と思われる頭上の景色だった。視界は利く。太陽や月があるわけではない。しかしどうやら聖堂を出た右手、遥か向こうに明かりの源と思しき場所があるのに気づかずにはいられなかった。光源となるその場所から放たれている光自体が赤黒く不気味に灯っているわけではない。その光に照らされた頭上の景色一面が必然と、赤黒く染まっているだけだ。地上での景色を知るリュカには、それが空とは思えなかった。見ているだけで迫ってくるような、常に不安定に蠢く頭上の景色は空というよりも寧ろ、海に近いものを感じさせられた。
「なんてところなの? ここが……魔界……」
不安な表情を隠しもしないビアンカの様子を見て、リュカは返って安心した。太陽も月も星もある地上の世界に生きてきた彼女がこの暗黒の景色を見ても尚、いつもの如く溌溂とした様子を見せていたら、リュカはこのまま先に進むことを戸惑っただろう。危険を見て危険を感じられなくなれば、それは冷静ではないということだ。ましてや彼女は子を持つ親だ。危険や不安を先ずはそのままに感じなくては、守るべき者たちを守る意思に芯が伴わなくなってしまう。
「何だかさびしいところだね」
この暗黒の世界に在って、ティミーの身に着ける天空の武器防具はひと際神々しく目に映る。しかし空に太陽も月も浮かんでおらず、地上であれば受ける光を跳ね返して光り輝く天空の武器防具も今は暗黒世界の景色を用心深く、鈍く映しているだけだ。
「ボクたちの世界とは大違いだ……」
怖れているわけではないと、リュカは息子のその声にそう感じた。それが子供ゆえの鈍感さなのか、はたまたティミー自身が持つ強さなのか、または心の中に湧き上がりそうになる不安を押し込めるための現実逃避の一種なのか、リュカには分からない。ただティミーの手も身体も震えてはいない。じっと周囲を見渡しているその表情は子供でもあり大人でもあり、双方の感覚で今の状況を感じているのだろうかと、リュカは「本当だね」と一言だけ言葉を添えた。
「予想はしていましたが、草木一本生えない土地が広がっているようですね」
ピエールもまた、遠くまで広がる景色を静かに見つめていた。常に聖なる水溢れる泉を内包するこの聖堂の周囲には、僅かばかりだが草が繁っていた。聖堂のごく近くには、地下に流れるであろう水の恩恵が及んでいるようだが、聖堂から五歩も外に進めば、そこから先は乾いた地が延々と広がるばかりだった。
リュカは足元に感じる砂の感触を、その場で足を踏みしめて、地上の砂漠の感触に似ていると思った。目の前に広がる景色がテルパドールの砂漠の景色に重なって見える。しかし頭上から厳しく照り付ける太陽の非情にも思える力はない。あの暑さに比べれば辛いことはないと己を心の内で励ましつつも、一面に広がるこの砂漠にも似た荒涼とした景色では、いざ敵の魔物と遭遇した際には逃げも隠れもできないことを考えると、どこからどう一歩を踏み出したものかと思わず静かに溜め息をついた。
「周りをぐるっと岩山に囲まれてるみたいだな。あの岩山は……ちょっと越えられねぇと思うぜ」
聖堂を広く囲むように、景色をぶつ切りにするような切り立った岩山があるのは、リュカにも十分見えている。アンクルの言う通り、到底人間に越えることのできるような岩山ではないようだ。しかし岩山を超えた先にも、赤黒い海のような空は広がっている。暗黒世界は岩山に囲まれたこの砂漠の土地だけに限られているわけでないようだ。
「がうっ、がうっ」
小さな声ではあるが、プックルが警戒をリュカに知らせる。赤い尾が、リュカの向く反対を示している。聖堂の裏手を覗き見るように、ゴレムスの大きな身体さえも隠す聖堂の横手へと静かに移動すると、遠くの敵を認識しようと目を細めるまでもなく、それを見つけた。
聖堂の裏手から見えるのもまた、この聖堂と砂漠を囲む険しい岩山の景色だ。しかしその景色の手前、この暗黒世界に似つかわしくないような黄金の巨大な竜の姿が、まるで精巧な彫像の如く二体、向かい合うように立っていた。リュカたちが聖堂の中にいた時分、巨大な魔物の気配を聖堂の外に感じた時があったが、その巨大な魔物の正体が恐らくあの巨大黄金竜だったのだろう。悪しき魔物らは決してこの聖堂に近づくことはできないに違いない。しかし聖堂に異変を感じたのか、あの黄金竜、グレイトドラゴン二体は聖堂の様子を窺いにこの砂漠の地を歩いているのかも知れない。
「あっちには進めないね……。反対側に、あの竜に見つからないように行こう」
行く方向は決まった。ただ行く方向にも険しい岩山が聳えている。その先に道があるのかどうかも分からない。しかしこの場所に長く留まることも良策ではない。この聖堂を中心に魔物らに取り囲まれては、一巻の終わりだ。とにかく前に進まなければならない。
先に一歩を踏み出したのは、ゴレムスだった。落ち着いた様子で一歩を踏み出したゴレムスの歩みは、力強いものだった。どこにも怯えた様子もなければ、慌てた様子もない。いかにもゴレムスらしい落ち着いたその歩きぶりは、まるで以前からこの暗黒世界に住む魔物のようでもあり、そんな仲間の力にリュカは心置きなく頼ることにした。
「みんな、ゴレムスの足元に」
暗黒世界の住人は、魔物たちだ。極力、体力を温存しておかねばならないのは第一に考えるべきことだった。砂漠のような景色とは言え、幸いなことに頭に容赦ない陽光を受けることはない。肌に感じる気温も、耐え難い暑さでもなく、肌を刺すような冷たさというわけでもない。ただ砂漠という地には似つかわしくないような淀む生温かな空気が辺りに漂っている。地上よりも空気が少々薄いのかも知れないが、セントベレスの山での人生に比べれば遥かにマシだと思えるほどのものだ。
リュカは家族をそれぞれ、ゴレムスの足元の陰になるように歩くよう指示を出す。暗黒世界に魔物の姿があろうとも、それは別段不思議なことではない。この世界は、魔物たちが住む世界なのだ。人間であるリュカたちの方が、この世界では歓迎されない生き物だということを忘れてはならない。
赤黒く染まる空のような海のような頭上の景色を目にしながら、リュカたちは岩山に広く囲まれた暗い砂漠の地を歩く。いくら進んでもただ砂の景色が広がるばかりで、前を見続けていると果たして前に進んでいるのかどうかも分からなくなるが、ふと後ろを見れば、リュカたちがこの世界に足を踏み入れた始まりの場所である聖堂の姿が徐々に小さくなっていくのが見える。確実に歩みは前に進んでいる。しかし聖堂が遠ざかって行くに連れ、この暗黒世界の景色がリュカたちに否応なしに迫ってくるのを感じる。目の前に広がる砂漠の景色はこのまま終わらずに、延々と続くばかりだという絶望的な考えが頭の中を占めるようになる。しかし砂漠を囲む岩山の景色を細かに観察すれば、視覚に映る形は変わってきていると分かれば、自分はまだ冷静だと思える。
「おい、リュカ」
ゴレムスの後ろから、皆と同じように砂地を歩いていたアンクルが、小さな声で呼びかける。
「気づかれたぞ」
「……そうみたいだね」
今はまだ遠く離れた場所に見えるが、聖堂の裏手にうろついていたグレイトドラゴン二体が、砂漠の地を行くゴーレムの姿に気付いたようにゆっくりとこちらへ向かってくるのが見えた。まだその竜の目に、リュカたち人間の姿は映っていないようだ。
「リュカ、どうするの?」
言葉をかけつつも、ビアンカは落ち着いた様子でティミーとポピーと同じようにゴレムスと歩調を合わせて進み続ける。あくまでも行動の決定はリュカにあるのだと、彼女は夫に全幅の信頼を置いて彼の返事を待つ。
「リュカ殿。我々魔物のほとんどは、異なる種族の魔物と行動を共にすることはありません」
リュカにとっては、プックルもピエールも、ゴレムスもアンクルも、皆が同じような仲間という位置づけにある。しかし彼らは魔物であり、各々種族は異なるために、本来ならば歩調を合わせてこうして歩くこともない。常識を外れた行動はそれだけで、常識の中にある者たちの目を引く。
「一度、離れます」
「それは危険過ぎるよ、ピエール」
「大丈夫です。目を眩ませる程度のものです。それほど距離は取りません」
「そんじゃあオレもちょっと離れるぜ。おい、プックル、お前もだ」
「がうぅ?」
「我ら魔物が四方に散れば、あの竜たちも興味を失うでしょう」
悩んで時間を費やしている時ではないと、リュカはピエールの提案に乗ることにした。リュカが頷くや否や、ピエールは徐々に左へと、アンクルは右方向へと、プックルはリュカたちの前へと進んでいった。離れるついでに辺りの探索を行うといった調子で、仲間たちは辺りの様子を窺いながら各々の方向へと進んでいく。
残されたリュカたちは用心深く、ゴレムスの前方に回り、その巨大な足の陰に完全に身を隠した。リュカはポピーを、ビアンカはティミーを庇うように、ゴレムスの左右の足にそれぞれ張り付くように身を潜める。ゴレムスもしばらくの間、その場でじっと動かずに、まるでそれこそがゴーレムの本来の姿なのだというように、泰然とした様子でその場に立ち尽くした。
「お父さん、あのドラゴンさんたち、きっと大丈夫よ」
ポピーはゴレムスの大きな足の陰に隠れながらも、彼の黄金竜の姿を脳裏に見ているように、目を閉じてそんな言葉をリュカに告げる。遠くに見えるグレイトドラゴン二体はあくまでもゆっくりのんびりと、砂漠の地を歩いている。背中に生える羽を使えば恐らくひとっ飛びにリュカたちのいる場所にまで移動する事も出来るだろうが、そうする気配はない。遠くに見える、異種混合の魔物の群れに多少興味を引かれたものの、それらが一たび四方に散ってしまったとあっては、一体どの魔物を追えばいいのかも分からないと、途端に興味を失ったように再び聖堂近くの砂の地を徘徊し始めたようだった。
「ゴレムス、僕たちを足に乗せて進めるかい?」
リュカがポピーと一緒にゴレムスの足の甲に乗ったままそう問いかけると、ゴレムスは少しばかり重々しい雰囲気を醸しつつも、リュカとポピーの乗る足を前に踏み出した。そして今度は、ビアンカとティミーの乗る右足を踏み出す。僅かばかり、右足を踏み出す時の方が、ゴレムスの足取りが軽いような気がすると、数歩ゴレムスが進んだところでリュカとポピーが目を見合わせる。
「お父さんが少し重いんじゃない?」
「……そうかもね。悪いね、ゴレムス」
リュカの言葉には当然返事をしないまま、ゴレムスは四人の家族を足の甲に乗せて運び、進んでいく。ゴレムスにとっては自身の足の重さを気遣うような考えは起こっていない。ただ単に、左足の方が少々重いからそれだけ、足が上がらないだけというだけのことだ。
前を行くプックルが後ろを振り向かないまま、赤い尾を高く上げてリュカに何事かを知らせる。そのプックルの様子に、リュカだけではなく、離れたところを行くピエールもアンクルも気付いた。しかしまだ、遥か後方に歩くグレイトドラゴンの動向に留意しなくてはならないと、互いに素知らぬふりをしながらも凡そ同じ方向へと進んでいく。
まだ前方に見えていた岩山の景色は遠い。しかしその景色は確実に近づいてきている。目に見える景色だけが、この世界の全てではないのだと、前を行くプックルはその青い瞳を閉じて耳を澄ませていた。
暗黒世界の聖堂から外に出て、初めて感じた風だった。プックルの赤いたてがみの毛一本が僅かに揺れるほどの、ごく静かな風だ。プックルたちが歩くこの砂漠の地にも、風が吹くことはあるのだろう。そうでなければ、この砂漠の地いたるところに魔物らの足跡が残されているはずだ。ただその風は、地上の風とは異なり、自然の産物と呼べるものかどうかは分からない。
プックルの右耳がぴくりと動いた。聞きつけた音は、風の音ではない。辺りに広がる岩山や砂漠の景色から生ずるような音ではないと、プックルは心持ち姿勢を低くし、辺りを窺う。しかしまだその音は遠いと、忍び足のような足取りで更に歩みを進める。
地上の世界のように、空を行く陽光の姿がない。夜空に浮かぶ月も見られない。リュカたちの頭上には変化のない赤黒い空が広がるばかりだ。この世界では時間の経過と言うものが体感できないのは明らかだ。それはリュカたちの正確な疲労を測ることができないのと同義だった。
一体どれほどの時間、砂漠の地を歩いているのかが既に分からなくなっていた。不思議と喉も乾かず、腹も減らない。この暗黒の世界には時間という概念すらないのだろうかと思えるほどに、暗い景色は不変だった。しかしそれが張りつめた緊張からくる感覚なのだというようにリュカは考えるようにした。人間だけではなく、生きとし生けるものたちは皆、極限の状況に身を置かざるを得ない場合に、必要だからと潜在的な能力を発揮することがある。決して普段の感覚であれば生きてはいられないような状況でも、潜在的な力を表に出すことによって窮地を凌げることもある。それは身体も心も、強い緊張で保たれているからだ。
今はこの緊張の糸を切らしてはならないと、リュカは前に行くプックルの様子を余すことなく感じ取れるように集中していた。
味方は四方に散りつつ、ピエールは左側を、アンクルは右側を、注意深く見渡していた。彼らの目に映るのは、変わらず険しい岩山の景色ばかりだ。切り立つ崖のごとく、この砂漠の地を取り囲む岩山のどこにも、隙は見られないのだと、ピエールもアンクルも特別リュカに何事かを伝えるような素振りは見せない。
プックルが足を止めた。気が付けば、遠くに見えていた岩山は目の前までに迫っていた。進む方向にも岩山が立ちはだかり、リュカたちが進めるような道はそこで途切れているようにも見えた。しかしそれは遠くから見えていた景色に過ぎなかった。近づき、岩山の目の前にまで歩を進めれば、岩山の更に先にも曲がりくねったような砂の道が続いていることが分かった。先ほどプックルが僅かに感じた風は、この道を通り抜けて来たものだったようだ。
その時、プックルは咄嗟に後ろに飛び退いた。砂地に飛び上がるプックルの姿を見て、リュカはすぐさまゴレムスの足から砂地に飛び降りた。飛び退いたプックルのいた場所に、一本の矢が刺さっている。
岩山に目を向ける。切り立つ岩山の窪みに、砂の景色には見られないはずの赤く光る点がいくつも見えた。直前まで隠れていた敵が、まるでリュカたちを待ち構えていたかのように姿を現した。魔物の気配が全くしなかったのは、それらが生命を持たない機械仕掛けの敵だったからだろう。
金属がぶつかり、こすれる音を響かせて、岩山から矢を放つその姿にまるで命を感じない。それ故に、行動が全く読めなかった。弓を引き絞るその行動に、一切躊躇も勢いもなく、淡々と次々と放たれるのだ。敵のその数、ざっと見て二十体。前方から一斉に放たれる矢の攻勢を防ぐべく、リュカは両手に巻き起こすバギクロスの暴風でどうにか矢の勢いを削いでいく。
「お父さん!」
地に降り立った父の姿を見たティミーが、加勢するように同じく地に降り立ち、両手に呪文の構えを取る。暗黒世界の赤黒い空の波打つ表面に、眩しい光が閃く。ライデインの呪文が激しい閃光と共に頭上から降り注ぎ、岩山に立つ敵キラーマシンらの機械の身体を貫く。一瞬動きを止めたキラーマシンだが、表情もない敵に損傷があったかどうかも分からない内に、再び矢の攻勢が始まってしまった。機械的に背に負う矢筒から矢を引き抜き、左腕に装着されているボウガンに継がれた矢が即座にリュカたちに向けて射られる。
「効いてない!?」
「じゃあ、今度は私が!」
呆然とするティミーの横で、同じように身軽に地に降りたポピーが素早く呪文を唱える。呪文を得意とするポピーにとって、イオラの呪文を唱えるのは瞬間的なものだ。即座に放たれた爆発の呪文は余さず、二十体のキラーマシンの身体に打撃を与える。激しい爆発音に怯んだのは、寧ろリュカたちの方だ。爆発の直撃を受けたにも関わらず、キラーマシンは一体として矢を放つ攻撃を止めることはない。そしてその機械仕掛けの身体のどこも破損している様子は見られない。
束の間止んだリュカの暴風盾の隙間に、キラーマシンの放つ矢が入り込んでくる。プックルの短い悲鳴が上がり、宙に浮かんでいたアンクルが地に落ちた。子供たちを庇うように身を挺したリュカのマントを二本の矢が突き通ったが、威力を弱めた矢は双子に届かなかった。プックルは後ろ足を鏃で抉られ、アンクルの悪魔の翼には鉄の矢が刺さっていた。敵であるキラーマシンは恐らく、この砂地を行く者たちを監視する門番の立場となるものなのだろう。監視役を務める彼らにとっては、この魔界を歩く魔物の中でも、キラーパンサーやスライムナイト、ゴーレムにアンクルホーンというような種族の魔物は異物と見做されたのかも知れない。
岩山の陰から矢を射るだけが仕事ではないと、機械兵キラーマシンはその身に似合わない身軽さを見せる。重々しい鉄の身体を跳躍させ、岩山の中から飛びかかってくる。左腕に備わるボウガンとは別に、右手には大振りの剣が装着されている。手負いのプックルに迷わず襲い掛かってくるキラーマシンの攻撃を、すかさずピエールが間に入り盾で弾いた。しかし敵は多勢だ。ピエールが盾で一体の敵の攻撃を弾いたところで、すぐさま後ろから矢を射られた。ピエールの緑スライムに矢が突き立つ。悲鳴を堪えて、ピエールは己の怪我を治す間もなく、敵に斬りかかる。竜の硬い鱗でさえも切り裂くというドラゴンキラーの刃が、キラーマシンの金属の身体にも通じた。その上敵の弱い箇所と思われる継ぎ目、腕の関節に狙いを定め、剣を持つその腕を切り離した。同時に再び後ろから矢を射られ、ピエールの緑スライムには二本の矢が突き立つ。流石に傷の痛みにピエールの動きが鈍くなる。
右後ろ足の傷から血を流しつつも、プックルが両前足の炎の爪を閃かす。大きな唸り声を上げながら、跳躍したプックルが飛びかかるようにキラーマシンの固い装甲に炎が上がる爪を突き立てる。熱に溶かされた敵の鎧が一部溶けるのを感じたプックルは、更に敵の守りを剥がすべく爪を深く食い込ませる。しかし背後から別のキラーマシンに激しく斬りつけられ、為す術なく地面にその身を投げ出した。
まだ敵の矢が尽きない。防ぎ切れるものではないが、リュカは敵の矢をできる限り防ぐべく、バギクロスの呪文を止めるわけには行かなかった。敵の群れにどう食い込んで行けばよいのかと、剣を手にしつつも躊躇を見せるティミーにリュカは叫ぶ。
「ティミー! みんなを守れ!」
父のその声に、ティミーははっと目を覚ましたように今すべき己の役目を見つける。絶望的でしかない今のこの状況に心を荒されぬよう、震える両足を叱咤するように拳で叩くと、ティミーは守りの呪文を唱えた。スクルトの呪文の効果が皆に及ぶが、既に怪我を負ったプックルとピエールの動きはその痛みに鈍ったままだ。
「ゴレムス! 三人を守っててくれ!」
リュカはそう言うなり、バギクロスの呪文を止めた。途端にキラーマシンの放つ無数の矢がリュカたちに迫る。ゴレムスがビアンカとティミー、ポピーをその大きな腕の中に抱き込んだ。リュカの危険を目にしてビアンカは夫に手を伸ばすが、彼は濃紫色のマントを翻して一人駆け出して行った。
羽を傷めて飛べなくなったアンクルは、砂地を駆け回りながら敵の矢を避けつつも好機を窺っていたが、あまりに激しい敵の攻勢に思うように近づけずにいた。しかしふと羽の痛みが消えたのを感じ、その途端に平生の如く宙に飛びあがったアンクルは、近くをリュカが駆けて行くのを見た。
「おい! リュカ! 無理すんな!」
姿勢を低くして、まるで獣の如く砂地を走るリュカは、左手に持つドラゴンの杖を盾にして敵の矢を凌いでいた。集中の極みにいるリュカに、今はアンクルの声が届かない。リュカの漆黒の瞳は今、敵の放つ矢を捉えることだけに見開かれている。駆ける先には、手負いのプックルとピエールがいる。その意図を汲み取るように、アンクルは敵の標的を自分に向けるべく、多勢の敵の目の前を鬱陶しいほどに飛び回り始めた。
リュカがプックルの傷を癒す時には、プックルは虫の息と言うような状態にまで陥っていた。プックルの酷い傷を癒すリュカの腕にも、敵の放った矢が掠めた傷がある。腕から血を流しながらも、先ずは仲間をと、リュカはもう目の前にまで迫ったプックルに向かって回復呪文ベホマを放つ。意識を失いかけていたプックルだが、常に敵との戦いの中に意識は在ったのだろう。傷が癒されるや否や、飛び起きるように砂地の上に立ち上がり、彼の本能と共に近くにいる敵に飛びかかった。飛び起きたプックルの体当たりを食らったキラーマシンが吹き飛ばされ、砂地を滑って行く。起き上がりざまに食らわせたプックルの体当たりが無ければ、リュカは己の背を敵の剣に斬りつけられていたところだった。
「ピエール、しっかりしろ!」
「ぐっ……かたじけない、リュカ殿」
一言言葉を交わすのも危ういという状況で、互いの声を聞いただけで心に勇気が灯るのは、共に戦ってきた戦友だからだろう。リュカがピエールの傷を癒すと同時に、ピエールは敵の放つ矢を盾で弾いた。盾で矢を弾く感覚が、先ほどよりも弱い衝撃に感じられ、確実にティミーの放つスクルトの守りが効いているのだと分かった。
砂地にばらばらと、キラーマシンの放った矢が落ちている。初めの内は耐えようもないほどの激しい攻撃を受けていたが、その攻撃の勢いは徐々に弱まって行った。敵の放つ矢の数が減っている。キラーマシンも無数の矢を装備しているわけではなかった。数に限りある矢を全て放ってしまえば、敵は最早矢を向けてくることはない。行動を見れば、敵が戦いの最中に落ちた矢を拾っていないことは明らかだ。
「おらぁっ! 今度はこっちから行くぜ!」
鬱陶しい虫の如く、キラーマシンの注意を引いて矢を無駄打ちさせていたのはアンクルだ。全てを避け切れるほど敵の攻撃も拙いものではなく、アンクルは再びその大きな身体に矢傷を受けていたが、ティミーの護りを受けているために傷は深くない。
背に負う矢筒が空になっているキラーマシンも数体いる。右腕に装着している剣が閃くのを見れば束の間怖気づくが、地にいる仲間たちを思えばその怖れはすぐさま奥底へ引っ込めることができた。アンクルは全身に力を込めると、矢を使い果たしたキラーマシンへと宙から滑空して突っ込んでいく。
敵の攻撃を宙を飛び回り巧みに避けながら戦うアンクルの姿を見上げれば、自分も宙を飛べたらと羨ましい気持ちが沸くが、リュカはその気持ちと共にプックルの背に飛び乗る。赤いたてがみをぐっと掴むと、ゴワゴワとした赤毛の中に埋まっている古びたリボンが見えた。以前は尻尾につけていたはずのビアンカのリボンが、今はプックルの赤いたてがみの中に大事にしまわれるように結び付けられていた。これはプックルの大事なお守りだ。いくら擦り切れようが、ボロボロになろうが、リボンの糸が一本でも残っていれば彼はそれを身に帯びて強くなることができるのだと、今は己の左手薬指にない炎の指輪を補うように、リュカはビアンカのリボンを大事に思うプックルの思いごと、己の胸に刻みつけた。
ゴレムスの守りの中にありつつも戦況を見守るビアンカが、プックルに乗って駆けるリュカの姿を認めた。リュカの言葉の通り、ゴレムスは敵の群れから離れた場所で、三人の人間をその腕に抱え込んで守っている。ビアンカには敵と戦う仲間たちが危険の中にあるのを見ていられないといった恐怖もあるが、己の意志でこの旅について行くと決めたのだと強く心の中に思い直す。
「ポピー、あなたも使えるわね?」
そう言ってビアンカはリュカに向かって手を伸ばす。ゴレムスの腕に抱きかかえられながらも、精一杯手を伸ばして、確実に呪文がリュカに届くようにと集中する。母の魔力の雰囲気にそれと感じたポピーもまた、その隣で両手を前に突き出した。
「お母さん、プックル?」
「いえ、ピエールよ」
母の冷静な指示に、ポピーはその両手をピエールに向けて伸ばし、集中した。
バイキルトの呪文が、リュカとピエールに同時に放たれた。リュカは左手に持つドラゴンの杖を手にしたまま、プックルの赤いたてがみをその手で掴んでいる。右手には亡き父の剣。全身に力が漲るのを感じたリュカは、その呪文の効果の勢いそのままに、プックルの鋭い動きに合わせて剣を振るい始めた。
一閃を薙ぐようなプックルの動きに、リュカもぴたりとプックルの背に張り付き、一体となって剣を横へと突き出す。まるでプックルの腹から出る光る刃が縦横無尽に空を裂くような状態だった。敵のキラーマシンは、機械仕掛けで鈍重に見える割に、身のこなしが野生動物のそれに類したものだ。素早くリュカたちの攻撃を避けて行くが、避けた先に待ち構えるのはピエールだ。敵の動きを見極め、確実に一体に狙いを定めて竜の刃で敵の装甲に斬りつけた。ドラゴンキラーの切れ味は凄まじく、尚且つ呪文により攻撃力を増した武器はキラーマシンの装甲をまるで紙を切るナイフのごとく切り抜いて行く。
しかし敵に取り囲まれた途端に窮地に追い込まれるのは分かり切ったことだ。リュカとプックルが敵の陣を引っ掻き回し、ピエールが隙を見て敵に斬りかかる。その状況に早く気づいた敵の群れが、ピエールに狙いを定めるが、味方を置き去りにするようなリュカたちではない。アンクルが宙から敵の群れに飛び込んでくる。ピエールを拾い上げ、宙へと避難させ、上から戦況を見る。リュカとプックルは止まることなく、敵の群れの中を掻きまわしていく。乱れた箇所を見つけたピエールが、アンクルと共に隙ある敵を仕留めにかかる。
居ても立っても居られないと言わんばかりに、ゴレムスの守りに封じられているティミーが暴れる。勇者である自分が前線に立てずに戦いを見守るだけなんてと、悔しい思いがティミーの胸に滲む。
「ゴレムス! 離してよ! ボクも、ボクも戦わないと!」
ティミーの駄々には付き合わないと、ゴレムスは静かに三人を守る腕を緩めない。リュカの指示に従うという意味もある。しかしゴレムス自身が、今はこの三人を守らねばならないという思いを持っている。
「ティミー。落ち着いて」
すぐ傍にいる母にそう言われ、ティミーはぐっと黙り込んだ。しかし母の顔を見ることはできない。目の前で敵との戦いに身を投じている父や仲間たちの姿から目が離せない。
「今、貴方は支援する側にいるの」
「でも! ボクだって戦えるのに!」
「勇者だから戦うの? 違うでしょ。私たちはみんなで力を合わせて戦うのよ」
ビアンカの声は僅かに震えていた。彼女にとっては数年ぶりに魔物と遭遇し、こうして戦いの場に晒されているという状況だ。初めて魔界という世界に足を踏み入れ、見たことも想像したこともないような機械仕掛けの敵に遭遇し、無数の矢を放って近づけないような敵の群れの中に身を投じている夫や仲間たちの姿を見れば、自ずと声ぐらいは震えてしまう。
「貴方の守護の呪文のおかげで、みんなが戦えているのよ。守りの力を切らしちゃダメ」
激しい攻防の中でいつティミーのスクルトの呪文の効果が切れるか分からない。その状況でティミー自身が戦いの中に身を投じればどうなるか。
ビアンカは子供たちが魔物と戦っている姿を知らない。ただ話には聞いている。勇者に生まれたティミー、その宿命を共に背負うように妹として生まれたポピーの実力は申し分ないものだと、夫リュカも仲間の魔物たちもそう口にしていた。グランバニアの訓練場でとても子供とは思えないような動きを見せるティミーを見たこともある。様々な呪文を習得したポピーの実力も知っている。
今のティミーの表情は、焦りに染まっている。その焦りの中には、過ぎた勇気も見られるようだった。口にはしないし、彼自身気づいてもいないことかも知れないが、ティミーの心の内には母ビアンカに良い所を見せたいという子供らしい虚栄心がちらついているのではないかと、ビアンカはそう捉えた。その感覚自体、ビアンカ自身の都合で捉えているだけかも知れないが、彼女は己の直感を信じた。
「この旅の指揮者は、あくまでもお父さんよ」
家族が、仲間たちが各々の意志で好き好きに動き回れば、途端に彼ら一行の強さは瓦解する。リュカたちが魔界に入った目的は、マーサを救い出し、地上界と暗黒世界との扉を封じることだ。その目的のために彼らは純粋に意を一つにして、力を合わせなければならない。
「お父さんを信じて、みんなを信じて、私たちは絶えずサポートしましょう」
「それにお兄ちゃんしかいないじゃない、スクルトの呪文が使える人って。私にも使えたらいいのに……」
イオラの爆発がまるで効かなかったキラーマシンの群れに、ポピーはこの戦いにおいて為す術がない。兄ティミーのように剣を振り上げてあの敵の群れの中に入り込んでいくほどの実力がないことは、彼女自身重々心得ている。今はただ、父や仲間たちが優位に戦えるようにと離れたところから支援するしかできないのを歯噛みしているのはポピーも同じだ。
納得しないまでも、今己の為すべきことは限られているのだと割り切り、ティミーは再び注意深く敵の群れと戦う父や仲間たちの様子を見つめる。
その時、キラーマシンの群れの中にプックルがリュカを背に乗せたまま飛び上がった。はっきりと見えたプックルの姿に向かい、ビアンカはすぐさま手を伸ばしてバイキルトの呪文を放った。呪文の効果を受けたと言うようにプックルが一声大きく吠えると、リュカがプックルの背に立ち、蹴って離れ、行動を異にした。リュカたちの連携で動く敵の数は減り、残り十三体のキラーマシンとリュカたちが相対している状況だ。
ティミーの守護呪文の効き目が大きく、致命傷には至らないものの、一瞬でも油断をすれば敵の剣は容赦なくリュカたちの生命を斬り落としにかかってくる。敵が背に負っている矢筒には既に一つの矢も残されていないと、アンクルが確かめた。どうやら呪文の効かない敵にはとにかく打撃あるのみと、リュカたちは攻撃の手を緩めない。
敵の数が減り、仲間からの力や守りの支援があり、リュカの目には少なからず余裕が生まれた。それまでは必死に戦い、家族や仲間のためにいち早く敵を倒さねばと思っていた心に、いつものような思考が働き始める。
敵は機械だ。機械が独りでに生まれ、動き始めるわけがない。機械仕掛けの戦士は一体誰の指示に従い、行動しているのかと考えたところで、この敵に埋め込まれているであろう指示を変えてしまえば、戦うことも止めるのではないかという考えがリュカの頭に浮かぶ。
機械とは言え、敵の顔の中心には赤く不気味に光るような一つ目がある。そこに感情は見当たらない。左胸には人間などの生き物を真似るかのように、はたまた憧れるかのように、命を象徴するような釦の形をした出っ張りがある。足は機械の固い動きを補うように四本、それぞれ複雑にばらばらと動き、駆けることも跳ねることも自在だ。姿形は機械兵とも呼べるものだが、動きに関してはリュカたちを超えるほどの素早さを見せることもある。
動力は魔力に違いないが、これまでに呪文を使ってくることは一度もなかった。呪文を使用することはできないが、攻撃呪文への耐性も凄まじいことは、ティミーやポピーの放った呪文を一切受け付けないことに分かっている。リュカの放ったバギクロスの呪文も少なからず食らっているはずだが、その金属製の身体には真空の嵐による傷は一つもついていない。
頭に思考を巡らせているとすかさずキラーマシンの剣がリュカの鼻先に迫る。バイキルトの呪文の効果をその身に帯びるリュカは、敵の剣を剣で受け流す。敵が左手に備えているボウガンに継ぐ矢は既にないが、矢が切れた時の行動手順も定められているのか、キラーマシンはボウガンそのものを武器のようにしてリュカに殴りかかって来た。避け切れずに左肩に打撃を食らうが、守護呪文の効果でそのまま潰されることはない。敵との距離を取るリュカが飛び退くと、すかさずキラーマシンはリュカの方へと踏み込んでくる。微塵も休む間がない。
「リュカ殿! 集中してください!」
リュカが隙を見せていることに気付いたピエールが叫び、忠告する。そう言うピエールもまた、敵のボウガンによる打撃によって吹き飛ばされてしまった。二人が一度に体勢を崩されると、プックルもアンクルも必然と敵の群れに圧される。一瞬の隙が命取りだと分かっていた。どうにか命だけは守るようにと、リュカたちは一度揃って後退することにした。
その状況を好機と見たのかどうかは分からないが、リュカたちが退く行動に合わせ、キラーマシンたちが一斉に横並びに駆け込んできた。到底逃げ切れるような速さではないと、リュカは再び敵と対峙するべく剣を構えたが、すぐ後ろにはゴレムスの身体が壁のように行き場を遮っていた。
「なっ、ゴレムス! どうして……?」
それほど近くにゴレムスがいるはずがないと、リュカは思わず驚きの眼差しでゴレムスを振り向いた。キラーマシンの群れが前進して攻勢を仕掛けてきている最中、ゴレムスは三人を抱えながらもまるでキラーマシンと対峙するかのように前進してきていた。
「おいっ! 後ろからあいつらが!」
宙から景色を見るアンクルが、ゴレムスの後方に迫る魔物の姿を認める。激しい戦いが起きている岩山近くの異変に気付かないわけがないと言ったように、先ほどまで聖堂の裏を歩いていた巨大な黄金竜二体が間近にまで迫ってきていた。重々しい身体を砂地に一歩一歩沈ませるように、ただ様子を窺いに来たのだと言うように、その表情にはまだ戦闘意欲は感じられなかった。
「がうがうっ!」
「前に進みましょう、リュカ殿!」
全てのキラーマシンを倒す必要はそもそもない。リュカたちの目的はマーサをこの世界から救い出すことに限る。その為には何はなくとも、ここで尽きることは許されない。
残るキラーマシンは十体。岩山の壁とも思えた景色の向こうにはまだ細いながらも道が続いている。キラーマシンは明らかにこの道を封じる役目を負うているようで、行く手を確実に塞ぐように横並びに列を成している。しかし敵の作る壁はもう薄い。
ゴレムスの背中の向こうに、目に眩しい光が上がった。同時に激しい熱が向かって来た。グレイトドラゴンが吐き散らした激しい炎が、ゴレムスの広い背に当たって方々へ散るのがリュカたちの目に映った。ゴレムスは当然表情も変えずに、何事もないような様子だが、三人を抱える腕が僅かに緩んだのは確実にその巨大な身体に損傷を受けているということだ。
「お父さん! 行かなきゃ!」
ゴレムスの腕に抱えられたままのティミーが、身を捩ってその腕から抜け出そうとする。しかしリュカの命に忠実であろうとするゴレムスはティミーの身体を離さない。
「僕とプックルで先に突破する」
そう言うなり、リュカは再びプックルの背に飛び乗った。
「ティミー、頼む」
「はい!」
リュカの言葉に、ティミーは今一度守護の呪文を唱えた。仲間たちの身を余さず守ろうとするティミーの意志が行き渡るのを感じると、リュカたちの前に進もうとする意志にも火をつける。
ゴレムスの身体が激しい衝撃を受けた。背後からグレイトドラゴンが尖る尾で一撃を食らわせたのだ。砂地にゴレムスの身体の一部がいくつかの石の塊となってぼろりと落ちた。スクルトの恩恵を受けて尚、これほどの攻撃を食らわせるこの竜とはまともに対峙するべきではないと、リュカは一刻を争うという状況ですぐさまプックルと前に駆け出した。
向かう先には、待ち受けるキラーマシンが十体。疾走する中、リュカが気づいたのは、砂地に落ちていたはずの矢が一つも見当たらないことだ。先ほどまで目に映る景色の一部となっていた幾本もの矢が一つも落ちていない。
プックルが急に右に跳びはねた。キラーマシンが再び矢を放ってきた。矢筒の中の矢が何故か元の通りとなっている。敵の動力が魔力であると同時に、敵の放つ矢までもが魔力から生まれるものなのだろうか。しかし今は、その絡繰りを考えている場合ではない。
「プックル、大丈夫だ。僕が守ってやる」
「がうっ」
激しく躍動するプックルの背に乗りながら、リュカは右手に持つ剣を前に突き出す。集中する。視界が明瞭になる。己が人間であることを疑うほどだ。向かってくる矢の勢いは、疾走するプックルの勢いも加えて凄まじい。しかしその動きさえも今のリュカは捉えることができた。
剣で矢を落としていく。プックルの背に乗り、身体がぶれることもない。呼吸を止め続けているのは意識の外だった。打ち損じた矢は、リュカの、プックルの身体を傷つけ、血が噴き出す箇所もあった。しかしティミーの守護呪文もまた大いなる力となっている。
目の前にまで迫るキラーマシンに、プックルが飛びかかる。振り向けられた敵の剣を、プックルが炎の爪が炎を上げて捕らえる。勢いそのまま、押し込む。爪から噴きあがる炎の熱で、キラーマシンの剣が僅かに曲がる。リュカがその箇所に狙いを定め斬り上げると、キラーマシンの剣の刃は切れて、宙に飛んで行った。
プックルが更に押し込む。キラーマシンの身体が傾く。間近でボウガンに矢が継がれた。リュカがもはや鬼の形相で剣と杖を同時に薙いだ。ボウガンを備える敵の左腕を叩き切り、機械の腕が宙を飛んだ。キラーマシンの赤の目が光を弱くした。瞬間的に、リュカの表情が悲しみに歪む。
プックルの身体が、敵の群れを抜けた。剣を切られ、腕を切られたキラーマシンの身体が砂地に沈む。残りの九体のキラーマシンが、突破は許すまじと、プックルとリュカの駆けて行く後を追い始めた。動きは岩山の向こう側へとずれこんでいく。それを見たピエールが先駆け、ゴレムスが三人を腕に抱えたまま続く。アンクルが宙から、後方から迫るグレイトドラゴンの注意を引き付ける動きを見せ、危険を冒しながらも敵の目の前で不規則に飛んで見せた。目の前の蠅が鬱陶しいと言うように燃え盛る火炎を吐くドラゴンは、注意を引き付けられたまま下方に逃げて行く一行の姿をその目から外した。下手を打てば、アンクルは一瞬でドラゴンの吐く炎に巻かれ、地に落ちる。しかし翼の端を炎に焼かれたぐらいで、アンクルの仲間と共にいる意志が挫けることはなかった。
リュカたちが駆け抜けていく先に広がるのは、同じような砂漠と岩山の乾いた景色だった。追ってくる敵の群れはまともに戦えるような相手ではないと、リュカはとにかくこの場を逃げ切ることを考える。岩山に沿って走るプックルと共に、リュカも目を凝らして飛び荒ぶように過ぎて行く景色を見渡す。
砂漠の地から唐突に切り立つように上へと伸びる岩山は、魔界に棲む魔物らの仕業だろうか、至る所で大きく抉られ、削られている箇所がそこここにあった。プックルが先に見つけた。彼自身、リュカと再会する以前、洞窟の奥深くに身を潜めて暮らしていたことがあった。洞穴の気配をその身に感じたプックルが、急激な方向転換で岩山の淵に向かって突進していく。その後を、仲間の行動を信じるピエールにゴレムス、アンクルが続く。ゴレムスに抱えられた三人もまた、仲間の行動を信じてゴレムスの腕に身を委ねるだけだ。



広く周りに岩山の景色が広がる荒野にて、キラーマシンの群れが顔中央部の赤い目を光らせながら、辺りの様子を窺っている。目から発される赤色の光の筋が、無機質な岩山の肌を隈なく調べて行く。その行動も全ては、キラーマシンの身体に入れられている仕組みとして、淡々と仕事を遂行しているだけだ。赤色の目に異物として映れば攻撃され、その目から逃れることが出来れば攻撃を免れることができる。
静かな荒野と岩山の景色以外、キラーマシンの目は何者も映し出さない。先ほどまで敵と認めていた者たちが姿を消したことに疑念を抱く、という感情は持ち合わせていない。あくまでも彼らは機械であり、身体に仕組みとして入っているもの以外の行動を起こすことができない。怒りに震えて剣を振るい、矢を放つようなことはしない。感情で動くようなことはことがないのが、彼らの強みであり、また弱点でもある。
岩山に挟まれた道を抜けたところに広がる、変わらぬ荒野の景色の中に、二体のグレイトドラゴンがゆっくりと歩き回っている。大きな身体が故に、竜たちが見る景色も大まかなものとしてその目に映っている。たとえばリュカたちが足元に転がる石の陰に小さな虫を見つけられないように、巨大な竜の視点に立てば岩陰に潜むリュカたちを発見できないのも同じ現象だった。今、グレイトドラゴンの目にはただ物言わぬ砂漠に岩山に機械兵たちが辺りにあるだけだった。
巨大金色竜らが引き返していくのを、リュカは目にせずとも感じていた。今、リュカたちの目には何も映っていない。暗闇がそこに在るだけだ。赤黒く息苦しいような空の景色も、暗い砂漠も岩山の景色も何も分からない状況で、ただ敵が遠くに去るのを息を潜めて待つ。
やがて機械が動く金属音もまた、徐々に遠ざかって行くのが分かった。リュカの後ろにはビアンカにティミー、ポピーが息をするのにも細心の注意を払うようにして、互いの雰囲気を暗闇の中に気遣っていた。横にはプックルにピエール、前にはアンクルが、狭苦しい洞穴の中に一塊になって身を寄せ合っていた。
そして岩山の一部と一体となるように、ゴレムスがその身体で岩山の洞穴をぴたりと塞いでいた。リュカたちの方を向くゴレムスの目は閉じられ、今は皆のために、自身はこの岩山の一部と化しているのだと言うように、この一時だけは命すらも感じさせない無機質をその身に纏っていた。リュカたちもまた、ゴレムスの身体が作る岩の壁とは思わず、ただ敵の目から逃れる安全な洞穴に身を潜ませるという意識だけで、安全と感じられる外の様子を確認できるまで暗闇の中にじっと居続けた。
敵の群れがこの場所を離れて行く様子が感じられてから、しばらくの時が経った。ゴレムスの足元には僅かながらの隙間があり、リュカたちが身を潜ませる洞穴から空気が無くなるということはなかった。しかし小さな洞穴に押し込められているような状況に、自然と汗が噴き出してくるのを止めることもできなかった。
プックルがリュカの傍を離れ、ゴレムスの足元の隙間に鼻先を出す。命ある黄金竜の気配はもうプックルの鼻でも耳でも感じられないほど遠ざかったようだ。ただ機械兵たちの様子を窺うことはできない。もし機械兵たちもリュカたちと同じように動きを止めていれば、プックルにもその様子を感じ取ることは困難だ。
それからもしばらく、誰一人微動だにせず、じっと時が過ぎるのを待った。ゴレムスの足元にある隙間から差し込む光はない。太陽も月もない暗黒の世界に流れる時間を、明るさに感じることができない。どれほど待てばいいのかも分からずに、暗闇の中に身を潜ませている内に、狭苦しい洞穴の中に規則正しい呼吸音が静かに響き始めた。
「……ティミー?」
その寝息は皆の緊張を程よく解した。敵と対峙する緊張から解放された面もあり、いつまでこのまま待てばいいのかと退屈になった面もあり、それならばいっそのこと休んでしまおうと本能に従ったティミーのその行動そのものが、洞穴の中に充満していた緊迫した空気を和らげた。
しかしそれと共に、リュカたちが負った怪我が痛み出す。ティミーの守護呪文のおかげで深手にはならなかったものの、傷むことには変わりない。回復呪文で癒そうとリュカが呪文を唱えようとした時、ふと腰に提げている道具袋が独りでにもごもごと動くのを感じ、リュカは思わず身体をびくつかせた。その動きは明らかに、最後の鍵が「ここを出せ」と暴れているのだとリュカには分かる。
道具袋から飛び出すものと思っていた最後の鍵だが、リュカの予想に反して彼は外に飛び出すことはなかった。しかしリュカに何事かを伝えようと、鍵の持ち手部分となる目の装飾を赤く鈍く光らせる。暗闇に浮かび上がる赤い目の姿はそれだけで不気味なものに映ったが、その目がリュカの顔と道具袋を行き来しているのを見て、リュカは眉を潜めつつも道具袋に手を入れた。
迷いなくリュカの手に収まったのは、先ほど聖堂で母マーサより授けられた不思議な宝玉だ。何の気なしにそれを手に取り、道具袋から取り出すと、宝玉は暗闇の中を淡く青白く照らした。光が外に漏れだしてしまうのではないかと不安を感じたリュカが、ゴレムスと洞穴の隙間を己の身体で塞ぐように埋めた。最後の鍵は赤い目をぱちくりと瞬かせたかと思うと、今度はうっとりと道具袋の口からリュカの手にする宝玉の美しさに見惚れている。
リュカが手にする賢者の石が、リュカやプックル、ピエールの負った傷をみるみる癒していく。アンクルが背中に負った火傷も治し、一部欠け落ちてしまったゴレムスの背中も修復されて行く。その癒しの力は決して強烈な魔力を放つものではなく、優しく丁寧に傷の痛みにも寄り添いながらその力を発揮するものだと、リュカのみならず皆がそう感じた。
「にゃうぅ」
「ありがたいことです。これは何とも……不思議なものですね」
ピエールが言い終わる頃には既に賢者の石の淡い光は止んでいた。再び暗闇の中に収まるリュカたちだが、恐らく外に多少なりとも漏れてしまった賢者の石の光にも、リュカたちのささやかな話し声にも反応する外の気配はない。そして外の安全を認めるかのように、暗闇の中にゴレムスの二つの目がゆっくりと開いた。
「ねえ、リュカ」
それでもなるべく身を潜めるべく、ビアンカがごく小さな声でリュカの耳に話しかける。
「お母様はいつでもあなたを守ってくれているのよ」
二人の母としてのビアンカの言葉が、リュカの胸の中に温かく沁みる。離れていても、離れているからこそ尚、我が子への想いを募らせ、決して切らすことがないのだというマーサの想いが、今リュカの手の中にある。リュカは母の想いをビアンカの言葉の中に受け取りつつも、手にしていた賢者の石を隣にいるビアンカへと差し出す。
「ビアンカ、君がこれを持っていてくれないかな」
「え、でもそれは……」
「母さんが守りたいのは、僕だけじゃないよ」
リュカの目の前には、二つの淡く光る目を持つゴレムスがどっかりと砂地に腰を下ろしている。グランバニアにはマーサと共に国に入ったスラぼうにサーラにミニモン、キングスがいる。旅の最中にリュカの仲間となった魔物たちも多くいる。そしてリュカの新たな家族となったビアンカに、ティミー、ポピーという双子の子供たちもいる。
「母さんが守りたいのはみんなだ。誰一人、悲しい思いをさせたくないんだ」
それは到底現実には叶わないことだとしても、そう願い続けているのがマーサなのだろうと、リュカはたった一人でこの魔界で悪しき力に抗い続ける母の底知れぬ力にそう思った。そしてその想いは、知らずリュカの胸の内にも生まれ、温まり、保たれている。
「君だってそうだろ?」
いじめっ子にいじめられていたまだ小さなプックルを放っておけなかったのが、彼女の本質なのだと、リュカは昔の事をまるで今の事のように思い出すことができる。ビアンカの正義の心は既に生まれた時から備わっていたのかも知れない。そして彼女はその心を忘れず持ちながら、母という立場になった。今の彼女には正義の心を包むような、慈愛の精神も備わっているようにリュカには思える。
「僕たちが戦いの中で危ない時に、君がこれを持っていてくれると心強いよ」
いざ敵との戦いとなれば、リュカは常に最前線に立つことになるだろう。武器を振るいながら同時に賢者の石の癒しの力を放出することは不可能と考えるのが適当だ。そして今のビアンカは、母の立場を十分理解し、子供たちを守ることを最優先することを先ほどの彼女の行動にリュカは見ていた。彼女は恐らく今、仲間たちの中で最も冷静に物事を見ているだろうと、リュカは妻の手に賢者の石を持たせた。
「頼んだよ」
「……いいなぁ、お母さん」
暗がりの中で賢者の石を手にするビアンカを見ながら、ポピーが小さく一言呟く。回復呪文を使うことのできないポピーは賢者の石が持つ癒しの力の使い手となることに密かに憧れたようだが、父リュカの指示とあっては反対することもない。ビアンカはそんな娘の頭を撫でながら、リュカに言葉を向ける。
「分かったわ。私が……お母様の想いをちゃんと引き受けるわね」
「ありがとう」
「……う~ん……、はっ!? ボク、寝てた!?」
「お兄ちゃん! しーっ! 静かにしないと!」
子供たちの声は狭苦しい洞穴の中にそれなりに響いたものだが、それでも外で何者かが動いたような様子は感じられなかった。ゴレムスがその巨体に似合わない繊細な動きで、ごくゆっくりと身体を動かし、洞穴の口を徐々に開ける。外から見れば、岩山の岩盤の一部が呪いかなにかの影響を受けるように自ずと開くような状態だ。プックルが深呼吸をするように大きく息を吸って、大きな頭を洞穴からのそりと出した。赤い尾が特別警戒の動きを見せないのを見て、リュカたちも静かに外へと身を晒した。
先ほどと変わらないような切り立つ岩山と荒れた砂漠の景色が広がるばかりの地にも思えたが、遥か遠くに一部、岩山の景色が途切れているのを見た。プックルがその方向を向いて、じっと立ち尽くしている。
「岩山に沿って行ってみよう。いつでも隠れられるように」
いつまたあの機械兵キラーマシンが襲い掛かって来るか分からないと、リュカは出来る限り戦いの機会を減らすべく、ゴレムスの陰に皆が隠れながら進むことを決めた。砂漠の地を直線で進むよりも大きく回り道をすることとなるが、再びあれほどの敵の群れと遭遇すれば今度は無事では済まされないという危機感が正しくリュカの肌感覚に残っている。
「お父さん」
ティミーがリュカのマントを手で引き、声をかける。リュカが首を傾げながら顔を向けると、ティミーは俯いていた顔を上げて、真剣な表情を見せる。
「次はボクも、ちゃんと戦うよ。戦えるから」
彼にとっても久々の敵との戦いの場だった。先ほどの場面でもしティミーが戦いの場に躍り出ていたら、己の戦いにのみ気が向かい、冷静に振舞うことはできなかっただろう。しかしゴレムスに守られながら戦いの状況を見れたことで、ティミーは一種の冷静さを取り戻した。
「ああ、頼むよ、ティミー」
リュカたちの旅は一人で行くものではない。仲間たちと力を合わせて成し遂げていくものだ。その中では勇者であるティミーもまた、一人の仲間に過ぎない。その現実をティミーは今一度、彼自身の中に落とし込んだのだとリュカには感じられた。天空の兜を堂々と被るティミーの頭を優しく撫でると、リュカは行く先の景色を遠くに見据えた。

Comment

  1. ケアル より:

    bibi様。

    魔界の初戦闘。 いやぁやっぱり手こずって逃げる描写になってしまいましたか。 ゲームでも実際、初魔界戦闘は、けっこう苦戦しますよね。
    ジャハンナに行くまでに、けっこうHPとMP消費されて、あわや全滅も可能性あるんですよね。
    ジャハンナで、エルフのお守りなどの武器防具装備を調えるために、レベル揚げとゴールド金策が必須になりますよね。

    キラーマシンとグレイトドラゴンは魔界初戦では本当に苦しめられた記憶があります。 なんせキラーマシン2回攻撃ですしね(反則だよ)
    でも、記憶違いだったらすみませんが、キラーマシンにマヒャドきかなかったでしょうか?

    ビアンカのリボン、描写してくれてありがとうございます。
    まさかプックルの背中に装備されているとは驚きました。 ビアンカもしくはポピーに付けて貰ったのかな、プックル賢さ10アップ(笑み)

    さすがにグレイトドラゴンと戦闘は今回は諦めましたか…。 今後のグレイトドラゴンとの戦いがきになります。

    次回は賢者の石をビアンカが使いつつ呪文で戦う感じになりますか?あ!でもまだビアンカ、メラゾーマとベギラゴン覚えてないから戦力的には炎は弱いか…。
    ポピーのイオナズン習得が魔界描写の鍵になりそうですね。
    アンクルも上級呪文を覚えるわけですから、これからのパーティのレベル上昇がゲームでもbibiワールドでも大事になる予測であります。

    次話お待ちしていますね。
    ホークブリザードに出会った時のビアンカとゴレムスを除いたみんなの描写がきになりますね。 ボブルの塔の嫌な記憶が…(汗)

    • bibi より:

      ケアル 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      魔界の初めての戦闘はゲームでも手こずりますよね。本来なら今回リュカたちが行った砂漠地帯にはうじゃうじゃ魔物がいるはずですが、こちらでは二種の魔物に抑えさせていただきました。他にも色々な魔物を登場させると、敢え無くゲームオーバーとなりそうだったので(汗) ジャハンナはまだ遠い・・・。
      マヒャド、効かないようです。キラーマシンに効く呪文は炎系が唯一らしく・・・怖いヤツですね。本当はここでビアンカやアンクルに炎系で攻撃させようかとも思ったんですが、双子の呪文がまるで通じないことで、「呪文の効かない敵」との見たために呪文は引っ込めることにしました。
      グレイトドラゴンは今後どこかで再戦となることと思います。恐らくキラーマシンも。
      魔界はどうしても戦いが多くなりそうです。しかし今後の事を考えるとそれも控えめにして行かないとネタ切れ感が既に漂い・・・いや、書いている本人は楽しんでいるんですが、読み手の皆さんにとっては「またか~」となりますもんね。ほどほどにしておきたいと思います。
      ホークブリザードは嫌な記憶の宝庫ですね。ボブルの塔然り、ラインハット然り。もし遭遇したら・・・目には目を、になるかも。

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