2019/04/05
国が求めるもの
リュカがグランバニアに八年ぶりの帰還を果たしたその日の夕刻、城下町の噴水広場で宴が催された。王族と民衆の間には驚くほど隔たりがなく、ティミーもポピーも城下の人々と気兼ねなく会話を楽しんでいた。まるで兄弟のような関係のピピンと突然剣の稽古だと言って、ティミーが掃除用の箒を手にして打ち合いを始めたり、ポピーはミニモンが宴を盛り上げるために器用に手から繰り出すメラミの炎を憧れの眼差しで見ていたりと、リュカの想像していた宴の内容とは異なり、非常に和気あいあいとしたものだった。
グランバニアの人々ももちろんリュカの帰還を大いに喜び、各々祝いの言葉をかけてきたが、それ以上にリュカの周りから離れなかったのは魔物の仲間たちだった。城下町の祝いの宴には魔物たちも参加しており、マーリンは嬉しさの中で酒を飲みすぎ足元が覚束なくなったり、キングスが全力でリュカを抱きしめるように包み込もうとするため、リュカが苦しさの余り声も出せなくなったり、メッキーが城下町に天井があることを忘れて飛び上がり、天井に頭をぶつけて地面に落ちてきたりと、皆が皆はしゃぎ喜んだ。マッドがへんてこな踊りを始めると、それにつられて踊りだす人々が次々と出てきたり、スラりんとスラぼうが噴水の周りを走り始めると、それを追いかけるように犬が吠えながら走りだしたりして、始終宴は盛り上がり皆が楽しんで過ごしていた。
リュカも今までこれほど笑ったことがあるだろうかというほど、笑い声を上げて宴を楽しんだ。リュカが即位してすぐに行方不明になってしまったため、グランバニアの国民はリュカという人間を知らないままだった。ただ先代の偉大なる王パパスと魔物と心を通じ合わせる王妃マーサの間に生まれた子供ということだけで、リュカ本人についての知識はほとんどないに等しかった。八年前に父パパスを亡くしながらも奇跡的に国に帰還したリュカを、八年後の今、再び生還を果たした奇跡の人として、国民はまるでリュカを人ではない特別な存在を見るような雰囲気で宴に参加していた。しかしその特別な存在であるリュカ王が、非常に親しみを感じるような人懐こい笑顔で宴を楽しみ、魔物の仲間からの信頼にも厚いことに、中には在りし日の王妃マーサを思い起こす者もいた。そして彼が勇者ティミーの父親である事実に人々は陶酔していた。グランバニアで勇者が生まれ育ち、そして勇者の父であるリュカ王が無事国に戻ってきたことに、国民はこの国が神の力に守られるような安らぎを覚えた。
その最中、リュカは一つだけ気になる状況を目にしていた。噴水広場の影で、サーラが静かにオジロンと話をしていた。オジロンはにこやかに宴を楽しんでいるようにも見えたが、サーラは真剣な表情で宴の様子を見渡していた。その様子にリュカは、彼らが八年前のことを顧みて、子の宴に十分な注意を払っているのだと気づいた。それも当然だと思った。グランバニアは八年前、リュカの即位式の宴の中で異変が起き、そして国王と王妃が行方不明となってしまった。今は亡きかつての大臣の策略だったとは言え、再び同じことが起きないとは限らない。サーラはその状況を警戒しているのだろうと、リュカ自身も我を忘れて宴を楽しんだりしないよう内心気を引き締めた。
「リュカ王~、おかえり~」
突然後ろから抱きつかれ、リュカは思わずぴんと背筋を伸ばした。腹に回された両手は力強いが、屈強な男の手ではない。リュカが後ろを振り返ると、薄青色のドレスに身を包んだ娘がにやにやとリュカを見上げている。
「ちょっとお、あたしと何もお話してないよ~。あんた、まさか、あたしのこと忘れてるんじゃないでしょうねぇ」
美しいドレスを身に着けた娘は、口を尖らせながら赤ら顔でリュカを睨んでいる。リュカは娘の手をほどきながら、眉をひそめながらも改めて娘と向き直った。
「……ドリス?」
「そうだよ。良かったぁ、覚えてた~。なんだぁ、しばらく見ないうちにずいぶん小さくなったなぁ、リュカ」
ドリスに肩をポンポンと叩かれ、その彼女の目線にリュカは口を開けたまましばらく言葉が出なかった。この八年の間に、ドリスはすっかり大人の女性に成長していた。あの頃はまだティミーやポピーよりは少し年が上くらいで、まるで子供の女の子だったが、今では顔に化粧も施し、かかとの高い窮屈な靴を履き、薄青色のドレスもしっかりと着こなしている。八年という年月は、子供が大人になってしまうほど、赤ん坊が子供になってしまうほどの長いものなのだとリュカは改めて過ぎ去ってしまった年月を感じた。
「石の呪いって、時間も止めてたんだね。おかげでリュカに追いついたってこと?」
ドリスがそう言いながら背伸びをしてリュカの隣に並ぶが、それでもリュカの背に追いつくことはできない。悔しそうにハイヒールのままその場で飛び上がるドリスを見て、リュカはやはりドリスはドリスなのだと安心したように笑った。
「あ! なんだよ、笑ったな!」
「大きくなってもドリスはドリスなんだなぁって思ってさ。あの時見たまんまだ」
「お父さん、でもドリスお姉ちゃんってとっても強いのよ」
「そうだよ、僕も組み手に付き合わされたことあるけど、とってもついていけないんだ」
ポピーとティミーがドリスの両脇に立ち、彼女の武闘家としての才能を素直に褒め称える。その状況にドリスは赤ら顔のまま得意満面になり、ドレスの袖から出る腕に力こぶを作ってリュカに見せる。
「そうだ! 今ならリュカに勝てるかも! ここであたしと勝負してよ!」
「へっ? ここで?」
「お父さんとドリスお姉ちゃんが? 戦うの?」
「おもしろそう! やってよ、やってよ! ボク、見てみたい!」
「よーし、じゃあ決まり! ほら、国のみんなも見てみたいでしょ、リュカ王の強さをさ!」
ドリスが噴水広場の中央で大声を上げて周囲を煽ると、グランバニア国民たちはその内容に熱狂した。祝いの場で、お祭り騒ぎをしていた国民の多くは酒が入り、もともと気分が高揚していたため、誰もドリスの提案に異を唱える者はいなかった。ドリスの武闘家としての強さは国民にも広く知れ渡っているようで、早くも周りの者たちはどちらが勝つのか賭けをし始めたり、まだ若いリュカ王の強さがどれほどのものなのか期待の眼差しを向けてきたり、先代の王パパスの勇猛さを思い出し、その姿をリュカに重ね見て早くも涙する者がいたりと、噴水広場は一層賑わい出した。
ドリスに手を掴まれているリュカが後ろを振り向く。そこにはドリスの父親であるオジロンがサンチョと和やかに談笑している姿があった。オジロンはふとリュカと目が合うと、にこやかに何度か頷いて見せるだけで、この騒ぎを止めようとはしなかった。もはやドリスのお転婆ぶりをオジロンは認めてしまっているようで、むしろドリスのお転婆を抑えるためにも絶対に勝つことをリュカに求めるような視線を向けていた。隣にいるサンチョを見ても、ドリスに対しては悟りでも開いているのか、オジロンと同じように小さく頷くだけだった。
「ドリス、僕は女の子相手になんて戦えない……」
リュカの言葉を遮るように、素早い手刀がリュカの眼前に飛んできた。咄嗟に避けたリュカだったが、あまりの手刀の勢いに思わずよろけてしまった。
「国民はあたしのことをただの女の子なんて思ってないよ。みんなあたしの強さを知ってるんだから」
そう言いながらドリスは長い裾のドレスを翻して蹴りを繰り出してくる。彼女の言う通り、八年前のまだ子供だった頃と比べるとかなり実力をつけているようだった。石の呪いが解け、まだ体が動き出したばかりのリュカにとっては、避けるのが精いっぱいの速さだ。噴水広場で突然始まった国王と姫君の戦いに、観衆から騒々しいほどの歓声が上がる。
リュカは人々の間に見える仲間たちの表情を見た。サーラは苦笑するような顔つきをして見ており、すぐ傍に立っているマーリンも呆れるように見ているだけだ。メッキーやミニモンは他の観衆と同じように宙に羽ばたきながら声を上げて楽しんでおり、マッドが興奮して大声を上げると辺りがびりびりと震えるようだった。誰かに止めて欲しいと思いつつ、リュカは人々の間にいたプックルを見つけたが、プックルは地面に寝そべり、暇を持て余すかのように大欠伸をしていた。良識あるピエールなら止めてくれるだろうかとその姿を探すが、ピエールは真面目に城の警備に出ているのか、広場から姿を消していた。
「ちょっと、よそ見なんかしてないでよ!」
ドリスが宙に飛び上がり、ドレスの裾が捲れ上がるのも意に介さず、鋭い蹴りを繰り出す。リュカは本能的に見てはいけないと感じて目を逸らしてしまい、思い切り背中に蹴りを食らって地面に倒れ込んだ。踵のある靴で蹴られた背中に強烈な痛みを感じ、リュカはその痛みに過去に経験した様々な戦いを身体に思い出した。
「お父さん、大丈夫!?」
ティミーとポピーが慌てて駆け寄る。地面に倒れたリュカの姿に、観衆はどよめき、不安な感情が辺りに漂い始める。帰還した国王は姫君との戦いに敗れるほど弱く頼りない者だったのかと、国民の間に不安の感情が広がり始める。
「なんだ、リュカ、そんなに弱くなっちゃったの? それともあたしが強くなったってことかな」
相変わらずドリスの挑発は止まらない。ドリスの身勝手を何故周りが止めないのかと、リュカは初め不思議に思った。しかし今はその理由が分かる気がした。
リュカは一つ咳をすると、立ち上がってドリスに向き直った。ドリスの表情は好戦的で、いかにも戦いが好きな強い眼差しを向けていたが、その中にリュカに対する期待が溢れているのが目に見えた。ティミーもポピーも父を心配しながらも、戦いを止めようとはしない。オジロンもサンチョも、サーラもマーリンも、プックルも、誰もがリュカに戦うことを望んでいる。
彼らはただリュカという国王の強さを見たかった。八年ぶりに帰還した国王は、再びこの国を盛り立てて守れるのだという、そのような強さをリュカの中に見たかった。彼らのその期待を感じ、リュカはその期待に応えるのが国王の務めなのだろうと、気は進まないがドリスの前で構えを取った。
「やっと戦う気になった?」
「ドリス、手加減しないよ。いい?」
「もっちろん!」
ドリスの声は喜びに弾んでいた。彼女の中では憧れの存在にも等しいリュカと、初めて本気で手合わせできる瞬間だった。ドリスの中ではどのようにリュカと戦おうかという戦法が、頭の中をぐるぐると駆け巡り始めた。
ドリスは踵のある靴を脱ぎ棄て、地面を裸足で慣らすようにじりじりと動かした。到底一国の姫とは思えぬ行動だが、グランバニアの国民たちは特別なこの姫君に慣れていた。リュカに武闘の心得などないが、まさか女の子相手に剣を手に取るわけにも行かず、素手のままドリスが攻撃を仕掛けてくるのを待った。
飛んでくる拳を払った。振り上げられた足を腕で受け止めた。足元を掬われそうになる足払いを避けた。襟元を掴まれたが、その手をはぎ取った。ドリスの攻撃は速く、武闘家としての腕前もかなりのものだったが、リュカには全ての攻撃が目に見えていた。
久しぶりの感覚だった。八年前までは世界を旅して、魔物と戦うことは日常だった。石の呪いを受け、八年ぶりに体を動かしても尚、その時の感覚は昨日まであったかのように蘇っていた。
ドリスが悔しそうな顔をしている。自分の攻撃が一つもまともに当たらないことに苛立っているようだ。動きにくいドレスのせいで、普段の動きが出せていない部分もあるのだろう。ドリスがドレスのスカートを力強く掴んだのを見て、リュカは慌てたようにその手を掴んだ。
ドリスが宙を舞った。小さな悲鳴が上がる。リュカはドリスの手を掴んだまま、彼女を地面に倒した。背中を打ったドリスが咳き込み、外れた髪留めが傍に落ちた。
「やったぁ! お父さんが勝った!」
「ドリスお姉ちゃん、大丈夫?」
周囲が歓声に包まれた。誰が見ても、リュカの勝利だった。ドリスは次々と攻撃を繰り出すもののまともに当てることのできた攻撃はなく、一方でリュカは軽くドリスの手を捻るように倒してしまったのだ。圧倒的なリュカの強さを初めて目の当たりにしたグランバニアの民衆は、感動したように帰還した国王の強さを褒め称えた。
ドリスがその場に飛び起き、「まだ終わってない!」と叫んだが、彼女の背に手を当てて回復呪文を唱えるリュカの行動で全ては終ってしまった。相手に傷を癒してもらってから再び戦いを挑んでも、それはもう正々堂々とした勝負ではない。盛り上がっている民衆の雰囲気も相まって、ドリスはがっくりと項垂れたまま右手をリュカに差し出した。
「今なら勝てると思ったんだけど……やっぱりリュカは強いんだね」
「ドリスもあれからかなり練習したんだね。このグランバニアが今もこうしてあるのは、君のおかげでもあるんだなって分かったよ」
「……本当は、あたしなんてまだまだなんだ。オヤジにも勝てないんだから」
「オジロンさん……やっぱり本当は強いんだ」
常に温厚な笑みを浮かべ、自身は国王の座にふさわしくないなどと口にするオジロンだが、その実力はかなりのものなのだろうとリュカは思っていた。リュカが背中を負い続ける父パパスの弟であるオジロンが弱いはずがないと思っていたが、オジロン自身戦いを好まないため、その実力を見る者はほとんどいない。
リュカとドリスが握手を交わすと、ドリスは侍女に付き添われて一時その場を後にした。汚れてしまったドレスを着替えるため、自室に戻って行ったようだった。
「お父さん、お父さん!」
ティミーが興奮気味にリュカに呼びかける。リュカが振り返ると、ティミーはどこから持ってきたのか分からない木の棒を一本父に渡し、自身も同じような木の棒を両手に持って構えた。
「今度はボクと勝負してよ!」
「えっ?」
「ボクだって剣の練習いっぱいしてるんだ。サンチョも『坊ちゃんは剣がとてもお上手ですね』って褒めてくれるんだよ。だからボクとも勝負して!」
「お兄ちゃん、何言ってるのよ。お兄ちゃんが勝てるわけないでしょ!」
「わかんないだろ。だってボク、兵士長にも一度勝ったことがあるんだよ。すごいでしょ!」
「あれは兵士長さんが手加減して……」
「いいよ、ティミー。僕と勝負しよう」
サンチョがティミーを褒めるのは侍従として当然のことであり、その時の様子をリュカは想像することができた。リュカ自身、幼い頃サンチョに怒られたり負かされたりしたことがない。サンチョは常に侍従としての行動を意識し、それが自然と身についているのだ。そして兵士長にしても、ティミーというグランバニアの小さな王子に本気で挑むとは考えられず、ポピーが言いかけた通りわざと勝負に負けてやったのだろう。
「お父さん……本気で言ってるの?」
不安な顔を隠さないポピーに、リュカは笑顔で答える。
「本気だよ。ティミーの剣の腕を見てみたいんだ」
リュカは幼い頃から父パパスと旅に出て、その道中で何度も父に剣の稽古をつけてもらったことがあった。リュカは物心つく前から父と共に過ごし、その時の記憶が今もしっかりと残っている。しかしリュカはこの八年間、子供たちと共に過ごす時間を逃してしまった。本来であればこの八年の間に、リュカは運命を背負って生まれてしまったティミーを鍛え、育てることができたはずだった。その機会を逃してしまったリュカには今のティミーの実力がまるで分からない状況だ。
「お父さん、本気で戦ってよ!」
「……うん、なるべくね」
ティミーの声は弾んでおり、表情もまるで子供が遊ぶ時のように明るく輝いている。ティミーにとってこの戦いは遊びのようなものなのだろうかと、リュカは手渡された棒を軽く前に構えてティミーの動きを見た。
噴水広場の観衆は再び沸いた。あろうことか国王と王子が檜の棒を持って戦い始めるなど、誰も想像していなかった。グランバニアの国民の多くはティミー王子の剣術の腕前を知っている。八歳の子供ながらに剣さばきが見事であることを知っている人々は、ティミー王子に応援の声を向けていた。そのような優しい国民の声に、リュカは安心して檜の棒を右手に構えた。
ティミーが右手に檜の棒を持ったまま、左手を前に出して素早く呪文を唱えてきた。呪文に攻撃性は感じなかったが、リュカはティミーの放つ呪文に喉の奥に石でも入れられるような不快感を感じた。この呪文をティミーに教えたのは恐らくマーリンだろう。リュカは喉の奥に入り込もうとする石を砕くように大きな声を出すと、ティミーのマホトーンの呪文を打ち消してしまった。
「ティミー、大丈夫だ。呪文は使わないよ」
「……そんな、消されるなんて思わなかった……」
リュカの大声に驚き、思わず後ずさりしたティミーだが、気を取り直して檜の棒を両手で前に構えた。そして一気に間合いを詰めてリュカに迫る。その動きにリュカはピエールを思い出す。本気でかかってきているわけではない。様子を窺うように檜の棒の先をリュカに向けているだけだと感じた。リュカは強くその棒を打ち払う。一撃でティミーを地面に倒そうと思っていたが、ティミーは軽やかに後ろに跳ね、再びすぐにリュカに攻撃を仕掛けてきた。檜の棒の軽くも強い音が噴水広場に響き渡る。リュカはティミーの剣さばきが想像以上で、下段から振り上げられた棒の先が前髪に掠り、思わず危機を感じた。
「お父さん、守ってばっかり!」
ティミーにそう言われて、ようやくリュカは自分がティミーの攻撃を受け続けていることに気が付いた。戦いを始めた時は、息子であるティミーと戦うのだと状況を理解していたはずだったが、いざ試合が始まるとティミーに向けて自分が檜の棒を振るうことはできないのだと理解してしまった。ティミーの隙をついて攻撃を仕掛けることができても、到底そのような気分にはなれなかった。リュカの目的はティミーの強さを知ることだった。
「ティミー、やっぱり親子でこういうのって良くないんじゃないかな……」
「お父さん、いまさらそんなこというのはナシだよ!」
ティミーは確かに八歳の子供とは思えないほどの強さを持っていた。呪文はまだマホトーンの一つしか使えないようだが、剣さばきに関してはピエールたちの教えを守り、日々練習を積んでいたことが窺えた。そしてティミー自身も剣に関してはかなりの自信があるようだ。父であるリュカにも勝てるかも知れないという無邪気な自信が、小さな彼の身体から溢れて見えるようだった。
リュカは唐突に、ティミーをこのまま勝たせてはいけないと思った。ティミーはこの小さな身体に、勇者という重い使命を背負い、グランバニアの国民も王子の使命に希望を抱いている。ティミーが自ら思い上がることはないかも知れないが、勇者として生まれた彼の運命を否定できるのは今、リュカしかいなかった。ティミーが背負う勇者としての運命に唯一異を唱えることができるのは、勇者の父親である自分しかいないのだと、リュカは檜の棒を握る手に力を込め、姿勢を低くした。
「かかってきなさい」
「う、うん……!」
リュカの優しい眼差しががらりと変わり、外の世界で敵に対峙する時と変わらない鋭い目つきでティミーを見つめる。ティミーはたじろぎながらも、檜の棒を構え、再びリュカの懐に突っ込んでいった。リュカは様子見で突き出してきたティミーの棒先には構わず、素早く後ろに回り込むと、ティミーの背中を強く棒で打った。正装用の丈夫なマントの上から打たれたティミーだが、それでもたまらず咳き込み、地面に転がった。すかさず飛び起き、檜の棒を構えようとした時、鼻先に檜の棒先が突き出されていた。少しでも動けば、檜の棒はティミーの顔でも身体でも素早く打ち込んでくるだろう。
「僕の勝ちでいいかな?」
ティミーが顔を上げると、そこには再び優しい眼差しをしたリュカの姿があった。負けを認めたくないティミーは、悔しそうな顔でリュカを睨んだが、次の瞬間には両目から涙が零れていた。
ティミーはこれまで、熱心に剣術の練習を積んできた。自分でもみるみる上達するのが分かり、周囲の者たちもティミーの剣術の上達ぶりを本心で褒めていた。大叔父に当たるオジロンも侍従であるサンチョも、ティミーという一人の勇者を育てることに熱心だった。世界を救う勇者として生まれ、双子の妹ポピーも共に外の世界を旅していると、既に世界を救い始めているのだという思いすら生まれていた。自分が成し遂げなくてはならないのだと、ティミーは知らずその運命を重く受け止め、縛られていた。
生まれて初めて、勇者という運命を真正面から打ち砕こうとする人に出会い、ティミーは自身に課せられた勇者の運命をはっきりと感じることができた。実の父親に運命を否定されることほど辛いことはない。しかしそれ以上に過酷な勇者という運命を打ち砕こうとする父に、ティミーは初めて心からの安心を得たような気がしていた。自分は勇者だが、勇者ではない時があってもいいのだと、自分よりもはるかに強い父に甘える心を持った。
リュカはティミーに近づくと、背中に手を当てて回復呪文を唱えた。服の内側で打ち身になっていた背中の傷が癒され、ティミーは背中に当てられた父の手の温かさに再び目にじわりと涙を浮かべた。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
ポピーが慌てて駆け寄り、兄の顔を間近で窺う。涙を腕で拭う兄を見て、ポピーは心配そうに背中をさする。双子が寄り添いあう姿を見て、リュカは二人の前にしゃがんで話しかける。
「今まで傍にいてあげられなくてごめんね」
リュカとティミーが戦っている最中、ティミーが形勢不利となった時にリュカは外からの呪文の波動を感じていた。目視することはなかったが、それがポピーから発せられていることに、リュカは気づいていた。兄のティミーを助けようと、ポピーは呪文を唱えようとしていたのだ。しかしリュカよりも早くその気配に気づいたマーリンがポピーの呪文を止めてしまった。手助けされてもティミーは喜ばない、父であるリュカが本気で息子を打ちのめすはずがないと、そのような事を言い添えてポピーの呪文を止めたに違いなかった。
「これからは僕が……父さんが君たちを守るよ」
今までグランバニアという国に守られ、オジロンやサンチョ、魔物の仲間たちに守られ、国民にも守られていた二人だが、その守りは甘えて良い守りじゃないと二人は感じていた。周りの皆が守りを与えてくれる代わりに、一国の王子王女としての責務を果たし、果ては世界を救う勇者として世界に守りを与えなくてはならないという強い義務感を二人とも持っていた。
「何があっても絶対に」
息子が世界を救う勇者だから、娘が勇者の力になる妹だからという理由ではなく、リュカは自分とビアンカの子供たちを命がけで守り抜くことを二人の前で誓った。かつての父パパスも、恐らく同じ気持ちでリュカを旅に連れていた。リュカは父の背中を思い出し、そして自分がその背中を子供たちに見せるのだと、亡き父にも心の中で誓いを立てた。
リュカは赤ん坊を抱き上げるように二人を同時に抱き上げた。突然抱えられた二人はバランスを崩して慌ててリュカにしがみつく。赤ん坊の頃とはまるで違い、かなり重くなった二人だが、それでもリュカはこの子たちをこうして抱き抱えることができる内はそうしようと、一人心に決めた。
リュカ王と双子の王子王女の、親子の触れ合いに、グランバニアの城下町には歓声が響き渡った。噴水広場で唐突に始まった父と子の試合だったが、それはずっと離れていた親子の情を確かめるためのものだったのだと、皆がその内容に喜び、涙した。欠けていたグランバニア王国の一つのピースが戻ったことで、国の存続に不安を覚えていた国民らにも安心を与えることができたことに、リュカは一先ず心を撫でおろしていた。
しかしまだ、肝心なピースが足りないことを皆は知っている。国王は王妃を救うために城を出て、二人とも行方不明となってしまった。八年後に戻ってきたのは国王のみで、王妃は依然として行方が分かっていない。今は国王の帰還に沸いているグランバニアだが、その中にも王妃を二代に渡って魔物に連れ去られてしまったという不吉が国民の中には重く残っている。
国王は国民の不安を取り除く義務があり、父親は子供たちの不安を取り除いてやらねばならないとリュカは感じていた。ちらりと左手の薬指に目をやれば、指輪の宝石の中の炎はやはりもう一つの指輪を求めるかのように暴れていた。まるで自分の心がそこに現れているようだと、リュカは次になさなければならないことを頭の中に巡らせていた。
「おはようございます。昨夜は本当によくお休みでございましたね。サンチョどのも王子様たちも本当にお喜びで……」
翌朝、静かな国王私室の中に侍女が入り、リュカの支度を手伝っていた。朝目を覚ました時には、両隣で眠っていたはずの子供たちの姿はなく、部屋にもその姿はなかった。リュカは幸せな夢でも見ていたのだろうかと広いベッドの上でぼんやりと天井を眺めていたら、扉がノックされ、侍女が呼びかけてきたというわけだった。
昨夜の宴は国王や王子王女の疲労を勘案してか、それほど遅くまで続くことはなかった。その間にも、双子と仲の良いピピンが改めてリュカの前に進み出てぎこちなく挨拶をしたり、魔物の仲間の中に紛れるようにして背に大きな翼をもつ女性が現れ、リュカに心からの祝いの言葉を述べたり、再び広場に戻ってきたドリスが父子の試合を見逃したことを悔やんだりと、賑やかな宴は続いたが、サーラと話していたオジロンが時間を見て宴をお開きした。リュカには後日、改めて国民の前で話をするよう促して子供たちと下がらせ、自身は引き続き宴を楽しんでいたようだった。サンチョはリュカと双子の子供たちの様子を気にして共に下がろうとしたが、オジロンに引き留められ宴に参加させられていた。
夜、いつベッドで眠りに就いたのかは覚えていない。しかし眠るとき、両腕に温かいティミーとポピーの体温を感じて眠りに就いたはずだった。彼らが生まれたばかりの赤ん坊の時にも、共にベッドで眠ったことはない。あまりにも小さく壊れてしまいそうな双子の傍で眠るのは怖く、二人が赤ん坊の頃、リュカは一人ソファで眠りに就いた。
ティミーもポピーも既に起きていて、朝の支度を済ませてしまっているようだった。一体自分はどれだけ寝てしまったのだろうかと時計を見れば、おおよそ半日ほど眠っていたようだった。眠るということがリュカにとっては八年ぶりのことで、目を瞑れば景色が消えるという当たり前のことがこれほど心も体も休まることなのかと、目が覚めてもぼんやりとしている頭の中でそう感じていた。
まるで着慣れない詰襟の正装を身に着け、リュカは思わず首元を緩めるように手で詰襟を広げる。その上から襟元を隠すマントを身に着ければ見えることはないと、支度を手伝う侍女も特に襟元を直すことなくそのままリュカの支度を済ませた。
「さあ、オジロン様がお待ちかねでございますよ」
支度の済んだリュカは侍女に促されるようにして部屋を後にした。すると扉の向こうでリュカが目覚めるのを待っていたかのように、癖の強い金髪を元気に揺らしながら歩いてくるティミーと既にしっかりと髪に二つのリボンを結わえているポピーと出会った。
「おはよう、お父さん」
「おはよう、ティミー、ポピー。早起きだね」
「ボクは早くないよ。お父さんがゆっくりだったんだよ」
「ああ、そうか。起こしてくれれば良かったのに」
「ボクは起こしちゃおうかなと思ったんだけど、ポピーに止められたんだよ」
「だって、せっかく休んでいるのに起こすのなんてかわいそうじゃない……」
眠い目をこすりながら隣に眠るリュカを起こそうとしたティミーの姿を思い浮かべ、そしてそれを止めようと厳しい目を兄に向けるポピーの姿を思い浮かべ、リュカは思わず微笑んだ。起こそうとしたティミーも、それを止めたポピーも優しい子供に成長したのだと改めて感じる。
「これからオジロン様のところに行くんだよね?」
ティミーがリュカの隣を歩きながら、まるで一緒についていくとでも言うように歩調を合わせて話しかける。ポピーは反対側の隣を静かに歩いている。
「うん、オジロン様に呼ばれてるみたいだからね。それに僕からも話しておかないといけないことがあるから」
「お父さん! お母さんを捜しにゆくんでしょ!」
少しの遠慮もなく、しかしまるで気遣いがないわけではないティミーの言葉に、リュカは困ったように視線を逸らした。
「それで世界を滅ぼす悪いヤツをやっつけにゆくんだよねっ!」
魔物に攫われた妻ビアンカと、同じように魔物に攫われて行方不明のままである母マーサを捜す旅に出ることは、いずれは世界を滅ぼそうとする悪者を倒すことに繋がるのかも知れない。ビアンカは勇者の子孫であることが敵に知られ、マーサは敵である魔物の邪気を払い、仲間にしてしまうという特殊な能力を持っており、その能力を敵は危険視しているに違いない。リュカにもその能力は継がれたが、恐らくマーサの能力はリュカよりも数段強力なものなのだろう。
「ごめんね。まだ僕にもよく分かっていないんだ。これからどうするかはオジロン様との話で決まると思うよ」
「ねぇ、ボクたちも連れて行ってよ」
リュカの言葉を聞いているはずだが、ティミーには既にリュカが決意しているように見えているのか、今にも共に旅に出てしまいそうな勢いを持っている。ティミーにとってはリュカを探し出す旅に出たことが楽しい思い出となって残っているのかも知れない。旅の中で魔物に剣を振るうこともあっただろう。その経験を積んで、ティミーは手ごたえを感じた可能性もあるとリュカは考えていた。昨日はリュカとの試合に完全に負けてしまったが、ティミーはそんなことでくじけるような弱い子供ではない。むしろリュカに負かされたことで、更に剣の稽古に励むことが考えられるような強い子供だった。
「とにかく、オジロン様と話をしてからだよ」
「わたし、サンチョおじさんから聞いたの。お父さんもわたしたちくらいの頃、パパスおじいちゃんに連れられて旅をしたって」
実際にリュカがパパスと旅をしていたのは、リュカが六歳の頃までだ。その頃のリュカに比べ、今のティミーとポピーは二つ年上であり、しかもグランバニアという国の中で王子王女として育てられたため、当時のリュカよりもよほど剣も呪文も上手に使うことができる。そう考えると、二人を旅に連れて出ない理由がないことになるが、リュカはその事実には今、目を瞑ることにした。
「だから私たちもお父さんについてゆくって決めちゃったんだ! わたしたちきっとお父さんの力になるからねっ」
一見大人しそうに見えるポピーだが、その決意はむしろティミーよりも固いのかも知れない。ティミーには自信が負う『勇者』としての務めがあり、ティミー自身もそれを意識している。ポピーには厳密にはそのような務めはない。ただ自分が父と兄と旅に出たいかどうかという、気持ちだけだった。もしかしたら、ポピーには『勇者』である兄を守らなくてはならないという譲れない思いがあるのかも知れない。
「とにかくオジロン様に話を……って、二人も一緒に行くの?」
「え? だってボクたちもオジロン様に呼ばれてるんだよ」
「お父さんが起きたら一緒に来なさいって言われてるの」
「……そうなんだ……」
リュカは自分一人だけでオジロンと話をし、二人をこの国に置いて旅に出ることを許してもらおうと思っていたが、オジロンはそれを見越しているのか親子三人で王室に来ることを伝えていたようだった。あくまでもオジロンはリュカを勇者であるティミーの護りにと考えているのだろう。リュカの単独行動は許さず、もし旅に出るのであれば勇者とその妹を伴うことを条件にしてくるに違いなかった。
リュカは仕方なく、二人を伴って王室への階段を下りて行った。玉座の裏側からも、オジロンがどっしりと玉座に腰かけている姿が見える。リュカたちの足音が聞こえると、オジロンは待ち兼ねたように玉座を立ち、後ろを振り返る。
「お! 目が覚めたようだな、リュカ王!」
人の良さそうな笑みを浮かべているオジロンだが、その腹の中でリュカの単独行動を絶対に阻止することを考えているのかも知れないと思うと、リュカは思わずオジロンに対して疑念の目を向けてしまう。その視線がオジロンには違うように映ったようで、眉を顰め、一転心配そうな顔つきでリュカを見つめる。
「ん? まさかわしを忘れたのではあるまいな? わしじゃよ、オジロンじゃよ。まあ、八年もの間石になっていたのでは無理もないかも知れんが……」
オジロンの言う通り、リュカはつい昨日まで石の呪いを受けており、指一本動かせない時間を八年も過ごしていた。それを考えると、自分でも驚くほどの回復ぶりだとリュカは改めて感じた。身体の動きも呼吸をすることも空腹を感じることも、石の呪いを受ける前までと何ら変わりない感覚が蘇っている。生きるというのはこういうことなのだと、リュカは身体が勝手にそう感じているのだと思った。
「オジロン様、昨日あれだけ一緒に話しましたから、ちゃんと覚えてますよ」
「おお、そうかそうか。それは安心した。ではドリスと広場で戦ったことも覚えておるかね?」
「……もちろんです。それにしてもどうしてあの状況を止めてくれなかったんですか。ドリスを止められるのはオジロン様しかいないじゃないですか」
「いやいや、何を言うておる。あのはねっかえりはわしでも止められん。じゃから、わしもサンチョも見守っておったじゃろう」
言葉の通り、オジロンは娘のドリスのことをさほど遠くない場所から見守っていた。ドリス自身、『オヤジには敵わない』と零していた通り、オジロンの実力は恐らくかなりのものだとリュカにも分かっていた。ただ心優しく戦いを好まないオジロンにとっては、戦う力は王族の義務の一つであり、自身の強さを周囲にひけらかすような真似は間違ってもしないに違いない。
「ティミー王子よ、父上の強さはいかがだったかな?」
リュカのすぐ後ろに立っているティミーは、オジロンの言葉に昨日の戦いであっさりと負けてしまったことを思い出し、一瞬悔しそうに顔を歪めたが、すぐにすっきりとした表情でオジロンに感想を伝える。
「はい、お父さんはとても強い人なんだって、ちゃんと分かりました。ボクにはまだまだ敵う相手じゃないんだって……」
「そうじゃな、さすがは兄上の息子、というところじゃろうなぁ。しかしティミー王子もまたリュカ王の息子なのだから、剣術の稽古を怠らず続ければきっとリュカ王と肩を並べるくらいに強くなれるであろう」
「はい、がんばります!」
ティミーは負けず嫌いの性格のようだが、何が何でも負けを認めないというほど意固地なものではない。大勢の観衆の前であっさりと父に負かされたことは認めざるを得ないという部分もあるが、たとえそうではなくても今の父とは積んでいる経験がまるで違うのだと納得していた。悔しい気持ちを抱きながらも、ティミーはこれからも剣の稽古をしっかりと続けるだろう。
「ポピー王女も、父上と魔物たちとの仲の良さに驚いたのではないかな?」
「はい、特にお父様とプックルはとっても仲が良いみたいで……ちょっとさびしかったです」
実際にプックルや他の魔物の仲間たちと過ごしている期間はリュカよりもティミーやポピーの方が長い。しかもポピーはリュカと同じように人間の言葉を話さない魔物たちの声を聞くことができる。ポピーには自分にしかないその能力を、無意識にも誇りに感じていたのだろう。それを八年ぶりに帰還したリュカがあっさりとやってのけ、しかもプックルとは特別な絆で結ばれている雰囲気を感じ、ポピーはどこか置いてきぼりを食ったような気がしていたのだった。
「ポピー王女にとってはそうかも知れんが、わしから見れば、やはり姉上のその能力は飛びぬけていたからなぁ。……あ、姉上というのはリュカ王の母君のことじゃ」
「おばあ様が……そうなんですね。おばあ様にもぜひお会いしてみたいです」
「スラぼうはもともと、スラりんと同じように言葉を話さなかったのじゃ。しかし姉上がずっとスラぼうに、まるで呪文をかけるように話し続けていたら、ああして話せるようになったのじゃよ」
「えっ!? そうなんですか?」
オジロンの思わぬ一言に、驚きの声を上げたのはリュカだった。ティミーもポピーも、リュカの後ろで同じように驚いた表情でオジロンを見つめている。リュカの母マーサは人間の言葉を話さない魔物に言葉を教えることができたという事実に、親子三人で驚きに口をあんぐりと開けて固まってしまった。
「ところでリュカ王。わしらが長い間リュカ王を捜していたが、その途中で……偶然にもマーサ殿の故郷を発見したのじゃ!」
オジロンは更に驚かせるつもりで、もったいぶった調子でリュカにそう伝えた。しかしリュカは新しいその事実に驚く様子を見せなかった。母マーサがグランバニアの人間ではないことすら、リュカはよく分かっていなかった。母の故郷が見つかったという話に、リュカは母の故郷はこのグランバニアではなかったのかと眉を顰めるだけだった。
「母はこの国の人ではなかったんですね」
「なんじゃ、知らんかったのか。そうじゃ、マーサ殿は兄上と駆け落ち同然で……いや、そういう話は止めておこう……」
オジロンが話しかけた内容に、リュカは思わず亡き父を思い出す。恐らくリュカの記憶にある父とはまた違う父が、数十年前、この国にいたのだろう。リュカは父を父としてしか知らないが、当時のパパスはまだ父親ではなく一人の男だった。一国の王子であった父が、母となるマーサと駆け落ちをするなど、一体父はどれほど無鉄砲で直情的だったのだろうかと、想像できない父の姿に頭の中がこんがらがりそうだった。
「先代のパパス王はずいぶん嫌われていたらしいが、それも昔の話。マーサ殿の子供のリュカ王にならチカラになってくれるかも知れん」
父が誰かに嫌われるということも、リュカには想像しがたいことだったが、もし本当に母と駆け落ち同然で結婚したのであれば、確実に敵を作ったということだ。しかしそうまでして、父と母は強く惹かれ合い、結ばれ、そしてリュカが生まれた。そしてその後、リュカはビアンカと出会い、結ばれ、ティミーとポピーが生まれた。リュカは自分の周りに流れる時を感じ、逆らい難い運命のようなものを感じた。
「そこにはまだ誰も行っていないんですか?」
「おおよその場所が分かっただけで、まだ誰も足を踏み入れてはおらん。なかなか入り組んだ地形に囲まれておってのう……どう行ったら良いのか、まだ調べきれておらんのじゃ」
「どの辺りなのか、教えてもらえますか?」
ビアンカを救うことを念頭に置いているリュカだが、何も手掛かりがない今、どこに捜しに出たら良いのかも分からない。もし母の故郷を訪れることができれば、そこには母と同じように魔物たちと心を通じ合わせることのできる人々がいるのかも知れず、彼らの協力を得られれば妻や母を捜す大きな手掛かりが得られる可能性もある。少しでも物事が進む可能性があるのなら、リュカは労力を惜しむつもりは毛頭なかった。
オジロンが近くにいた兵士に地図を持ってこさせ、リュカたちの前で大きく地図を広げた。床に広げられた地図の上で、リュカたちは額を集めた。
「マーサどののふるさとは確かこの辺りだったぞ!」
オジロンが指差した場所は、グランバニアから遠く北に向かった大陸の中ほどの地域だった。地図には細かく山々や森林などが描き込まれているが、マーサの故郷であるその地域は山々に囲まれている場所のようだった。いずれにせよ、グランバニアから陸続きではないため、海から近づく必要があるとリュカは地図をまじまじと見つめた。
「オジロン様、僕がこの場所に向かってもいいんですね?」
それは帰還したばかりの国王が再びいつ戻るとも知れない長旅に出るということだ。昨夜あれだけ国王の帰還を国全体で祝い騒いだというのに、再び国王が国を抜けて旅をすることが許されるのかとリュカはオジロンに聞いたのだった。
「わしが止めても止まらんじゃろう。リュカ王はあの兄上の子だからな」
そう言ってオジロンは王室に響く声で高らかに笑った。オジロンは既に覚悟を決めている。リュカ王不在の間は再び自ら国王代理としてこの国を治めていくのだと、彼は大きな玉座にどっしりと腰を下ろしている。グランバニアにとってはオジロン国王代理による国政が既に根付いており、引き続き彼が国政を担うことが国の安定にも繋がるだろう。リュカという国王の存在さえあれば国は活気づくのだろうと、昨夜の宴の中でもリュカは感じ取っていた。幸い、リュカにはルーラという移動呪文が使える。旅の途中、時折国に戻り、国王は健在なのだと国の人々にその姿を見せることが重要なのだとリュカは考えていた。遠く危険な旅に出ても、グランバニア国王は必ず生きて戻ってくることで、むしろ国民の意識は高まるのではないかという期待もあった。
「ただ一つだけ、条件が……」
「ティミーとポピーも連れて行けと言うんでしょう? 分かりました、連れて行きます」
リュカはあっさりとオジロンの意見を汲み、承諾した。母マーサにとって、ティミーとポピーは孫にあたる。マーサの子供であるリュカを受け入れられれば、可愛い孫であるティミーとポピーは更に快く受け入れてくれるだろうとリュカは思った。行き先が決まっている旅ならば、入念に準備をして二人を連れて行くこともできると、リュカは仲間の魔物たちの強さを思い浮かべてオジロンの意見を飲むことにした。
「姉上のことで何か新しいことが分かれば良いのじゃが……。とにかく、リュカ王には準備ができ次第、旅立ってもらうことになりそうじゃ。リュカ王よ。どうかお気をつけてな」
「はい、オジロン様も僕のわがままをきいてくださって、ありがとうございます」
「なぁに、国王代理としてはわしも板についたもんじゃ。伊達にウン十年就いておらん。国のことは任せておきなさい」
オジロンは口元に笑みを浮かべて、口髭を指先でつまみながら微笑んだ。ふとした表情が父パパスに似ていて、リュカはまるで父に微笑み返すように笑顔を向けた。オジロンもリュカの強さを信じて、仲間の魔物たちの強さを信じて、旅に出ることを許したのだ。リュカはオジロンの気持ちに応えるためにも、絶対にこの旅を成功させなくてはならないと肝に銘じた。
「お父さん……」
リュカの後ろで小さな声が聞こえた。振り向くと、ティミーがリュカの顔を窺うように見つめている。
「ボクたちも一緒に行ってもいいの?」
これほどすんなりと旅に出られると思っていなかったティミーもポピーも、信じられないといった表情でリュカを真剣に見ていた。リュカは何故自分はこの二人を置いて旅に出ることを考えていたのか、今となってはその気持ちが分からなくなってしまっていた。子供たちは八歳という年齢ながらもサンチョや魔物の仲間たちと共に既に何度も旅に出ており、リュカの知らない実力をつけている。以前より外の魔物の数は増えているのかも知れないが、二人を守るのはリュカ一人ではないのだ。リュカが幼い頃に旅をしていた時よりも、数段守りを厚くすることができる。
そして何よりも、リュカが子供たちの傍にいたいと思っていた。それがただの我儘だと分かっていたが、それでもリュカはもう子供の傍を離れたくなかった。この八年の時を埋めなくてはならないと、二人の手を取り、様々な話をして、親子の間にできてしまった距離を無くしていきたいと思った。
「うん。無理はさせられないけどね。一緒に行こう」
リュカがそう言って二人に笑いかけると、ティミーとポピーは向かい合って両手を合わせて「やったぁ!」と声を合わせて喜んだ。息の合った双子の声と仕草に、リュカもオジロンも思わず声を立てて笑った。本当は一人の勇者として生まれるはずだったところ、その使命を負う者と支える者が分かれ、彼らは双子として生まれて来たのではないかと思えるほど、ティミーとポピーは一心同体の雰囲気があった。
「ボク、お父さんに回復呪文を教えて欲しかったんだ! ねぇ、あとで教えてよ!」
「私も教えて欲しい呪文があるの。後で聞いてくれるかな?」
「もちろん。僕が上手く教えられるか分からないけどね」
「リュカ王よ、近日中に国民にその旨知らせることになるから、準備しておくように」
昨夜、リュカの八年ぶりの帰還を祝ったばかりで、国民は今もお祝いの雰囲気の中にいる。そこにすぐさま水を差すようなことは避けるべく、日を空けてリュカ王と王子王女によるマーサの故郷訪問の発表を行うことをオジロンは考えていた。リュカもこれから出る旅は、今までの先の見えない母を捜す旅とは違い、あくまでも子供たちを連れて母の故郷を訪れるという先の決まっている旅だ。国民に知らせるにも、不安にさせるのではなく、明るい希望が見える内容として知らせることができるだろうと思っていた。
上階で朝食の準備が整ったと侍女の知らせが入った。オジロンに促され、リュカは子供たちと共に和やかな朝食を楽しもうと三人で玉座に一礼した後、上階へと戻って行った。
Comment
bibi様。
小説に自分の要望を取り入れてくださり、本当にどうもありがとうございました。
嬉しいです自分もbibi様の執筆の手助けができて(笑み)。
しかしまた…まさか、ドリスとリュカを戦わせるなんて思いませんでしたよぉ。
ドリスのお転婆ぶりを忘れていました。
武道家としてまた強くなっていましたね。
子供のころ、炎の爪を装備して、魔物の仲間たちに会いに行ったころが懐かしいですね。
でもまさか、ドリスがスカートを上げようとした手を慌てて取り、引っ張り上げたらリュカが勝つ笑っちゃう結末は、想定外でした(笑み)。
そして待ってましたリュカVSティミーの親子対決!
さすがティミー、だてにプックルやピエールたちと旅をしていないし戦闘力を鍛えて貰ってないですね。
でもやはり、経験値はリュカが上…とっさの判断力は、だてに奴隷生活と数々の戦闘をして来たリュカの方が勝っていましたね。
そして、よくあの場でティミーがマホトーンを唱えようとしているのを見破りましたね。
リュカには、なぜ分かったんだろうか気になる所です。
ポピーの対決が無かったのは少し残念ですが、ティミーを援護しようとした時の呪文が気になります。
ポピーの実力が非常に気になる描写でありますよぉ。
それにしてもリュカ、石像の時間が長かったのに、軽く戦闘しただけで、勘が鈍っていたのが元に戻るのが早いこと!。
これも潜在能力なのかもしれないですね。
bibi様、グランバニアにいた羽がある女性…何者でしたでしょうか?…忘れてしまいました(汗)。
ピピンは、もう兵士になっていますよね?
ティミーと未だ互角なんでしょうか?。
ポピーが魔物の言葉が分かる能力を身につけてるなんて想定外でした。
リュカの特権かと思ってましたから。
これで、会話がさらに盛り上がりそうですな!。
最後に子供たちがリュカに、お願いをしていた呪文…ティミーは、おそらくベホイミでしょうか?
でも、ポピーは?
ポピーの呪文とリュカの呪文が重なっているのってありましたか?
ルーラぐらいしか思い出せませんでして…(汗)
何の呪文を教わるか楽しみであります!。
bibi様
長い文章になってすみません…もう少し書かせてくださいね。
パパスの駆け落ちの部分の文面ですが、パパスが王子のころと書かれていますが、王子でなく、王の間違えではありませんでしょうか?
あの文面だと、パパスの父親がいることになっているような気がします。
もし、私の間違いでしたら申し訳ありません。。
さて、次回は、いよいよパーティー編成になりますか?
魔物の仲間を5匹、選抜しなくてはなりませんね。
今から、わくわくが止まりませんです。
どのようになるか楽しみであります。
ケアル 様
いつもコメントをどうもありがとうございます。
今回はドリス姫に登場してもらいました。彼女もリュカの帰りを心待ちにしていたでしょうから。
リュカは本当によく石の呪いが解けたばかりであそこまで動けますよね。感心します(笑) でも、まあ、死に物狂いの環境を生き抜いてきたので、精神力は人一倍強いのではないかと……精神力で色々と補っている感じがあります。
グランバニアにいる天空人の女性は、かつてパパスが助けた人だったかと思います。ピピンは……私の話の設定だとまだ13歳か14歳くらいになっちゃうんだよなぁ……。グランバニアは人が少なくなっているので、兵士に志願して見習いくらいにはなっている、ということで(汗) 本家の話とはちょっと違ってしまいますが……。
ティミーはいきなりベホイミを覚えてしまうので、リュカはきっと面食らうと思います(笑) ポピーはこれからの話の流れでどうなるやら、まだ考え中です。
パパスが王子……ああ、そうですね。ちょっと見直して修正が必要になりそうです。ご指摘いただきましてありがとうございます^^ そういうの、とっても助かります~。
次回のお話もこれから熟考します。いつもぎりぎりまで考えないのは良くないですね……^^;
bibi様。
もう少し書かせてくださいな(笑み)。
今回は書きたいこと多久さんありまして~。
リュカが、どのようにティミーとポピーをグランバニアに置いて行くのか…。
ぜったいに、そういう考えになると思っていましたが。
そこは、さすがはオジロン!1枚うわてでしたな。
たしかに、リュカが子供のころと比較しても、明らかに子供たちを守れる戦力はありますからね。
でも、そんなこと言ってる合間に、ティミーとポピーは、ものすごく強くなっちゃいますけどね(笑み)。
子供たちの成長に驚くリュカの描写が楽しみであります。
オジロンって、めちゃくちゃ強かったんですね
あまり、ゲームしてても感じない、ふんいきがありますよね。
オジロンの実力が気になりますな。
さてbibi様
テルパドールとラインハット、そして、ダンカンの山奥の村には、いつごろ行きますか?
ここから先は、色々なイベントがあるからbibi様の描写が、すんごぉく楽しみです!。
ケアル 様
二人を城に残して行こうとするリュカの話にしようと思っていたんですが、ゲームをやってみると、オジロンがいきなりマーサの故郷の話をするんですよね。これは使わない手はないと、今回の話で使わせてもらいました(笑)
オジロンが強いのは私の個人的な設定です。兄がパパスなのでその強さに目がいかないですが、彼もそれなりに強いと私は思っています。
これからまずはどこへ行こうかな。でも、話の流れからして、寄り道せずにマーサの故郷に向かうかも知れません。本当だったら、心配かけた人たちに挨拶してこいよっ、ってところですが^^; ……うーん、やっぱりどうしようかなぁ。
bibiさん ケアルさん
パパスが駆け落ちしたのは王子の頃で合っていると思いますよ( ・∀・ )b
確かクリア後イベントで明かされますよね。
ピピン 様
ご指摘ありがとうございます。実は他の方からも同じところでご指摘をいただいておりまして……当方の確認不足で申し訳ございませんm(_ _)m
クリア後のイベントでそのようなセリフがあるのですね。今、私はDSを進めながら話を書いておるのですが、先のことに関してはまだまだ確認し切れておらず、当然のように当時の記憶がそこまで残っているわけでもなく……いずれにせよ確認不足のまま話を書いてしまった私が悪いのです。
というわけで、皆々様からのご協力により、その部分は再度直しておきたいと思います。
ケアル 様
また何かお気づきの点などございましたら遠慮なく教えてくださいませ。ただ、細かいことになると私の頭が追いつかない部分もありますのでご容赦くださいm(_ _)m もっと出来の良い頭があれば良いのですが……^^;
bibiさん
そんなお気になさらず、何せクリア後なので、詳細を確認するのは難しいですから仕方ないですよ( ´∀` )
それでは、読み終わったらまた感想を書かせていただきますね。
bibi様
ピピン様。
そうなんですよね…PS2とDSのクリア後のイベントで、発生条件も名産品がからんでいるんですよね。
PS2のパパスとマーサのエルヘブンを1度しか確認していなく、あのころのパパスが王様なのか王子なのかは、言われてみれば…よく覚えていないのが今のケアルであります…(汗)。
正直申しまして、確証が有るかと言われましたら…自信が無いです…(謝罪)。
bibi様が、本書右折では名産品と博物館は描写しないと言っておられましたが…。
bibi様。
DSプレイしていて、今現在、おそらく名産品を集めていますよね?
できれば、小説に上げてくれませんか?(願)。
正直bibi様のエスターク戦とエルヘブンのイベントをbibiワールドで堪能させて頂きたかったので、お願いしようと思っていた所であります(笑み)。
どうぞ、確認の意味も込めまして、どうか小説UPをお願い致します先生(切実)。
bibi様。
誤解してしまったら、すみません。
名産品と博物館を描写して欲しいわけでなく、エルヘブンのイベントを描写して欲しいと、お願いしました。
誤解されていましたら、申し訳ありません。。
どうか、考えてくださいます様、お願い致します(礼)。
ケアル 様
今、DSでプレイしながら話を書いておりますが、名産品を積極的には集めていません……。実は、グランバニアでのサンチョからのロケットペンダントに関するセリフも抜かしています。しかしエルヘブンは主人公の母の故郷なので、何かしらのエピソードを入れられればなぁとは思っています。話の流れでどうなるかはまだ分かりませんが、私もその辺りは書いてみたいとは思っています。
エスタークは……本編とは違った話になりそうですね。書くとしたら、DQ4との繋がりも書くようになるかな。
bibi様。
エルヘブンのクリア後のパパスとマーサの駆け落ちイベントは、発生条件があります。
うろ覚えなので、たしかなことは書けませんが…。
発生条件には名産品が二つ三つかならず必要だった記憶があります。
それと、博物館で名産品の展示中に…何かをしないといけなかったような…勘違いだったかな…。
でも、前者の名産品が必要なのは間違ありません。
もし、小説にUPしてくださるならば、このイベントをクリア後にbibi様が見る必要があるわけでして…。
攻略サイトで発生条件を確認する必要あるかと思います。
普通にゲームしていたら、このイベントには気がつかないかと思われます。
ケアル 様
発生条件があるんですね。では確認しなくては……。
これから息子が春休みに入るので、なかなか時間が取れなくなりそうです>< まあ、じっくり子供と遊ぶ機会なので、何をして遊ぼうか今から考えてみようかなと思っています。リアルの方も大切にしなくては……^^;
bibiさん
今回の試合、ティミーの実力を見るだけでなくリュカに国王としての自覚を芽生えさせるきっかけになったのがとても良いですね。
ドリスとの再戦も嬉しいサプライズでした(* ´ー` )
これまでの描写からして少し意外だったのですが、使える魔法から判断すると恐らくティミーのレベルは原作通り5ですよね。
そしてリュカのレベルはbibiさんが小説と平行して進めてるDS版のデータと同じですかね?
だとするとリュカならティミーとドリスを同時に相手にしても勝てそう( ´∀` )
ピピン 様
コメントをどうもありがとうございます。
リュカは自分からは王にはなれない性格なので、周りから固めてもらいました。周りからの期待があって、それに応える形がリュカに合っていそうだなぁと思いまして。
ドリスとの再戦は単なる私の趣味です(笑) 本当は彼女にも一緒に旅に出てもらいたいところですが、それやっちゃうとゲーム本筋からかなり離れてしまうので止めておきます。
このリュカだったら、ティミーとドリスを同時に相手にしても勝てるでしょうね~。でもそれだと特にドリスのプライドがかなりダメージを受けそうなので、彼女を立てるためにもそれはしなかった、ということで^^ 万が一、二人を相手にしてリュカが負けちゃってもアレなんで^^;