天空城の封印を解く鍵
辺りの霧は一向に晴れる様子はなく、リュカたちの周りをずっと彷徨い続けている。その中でも時間は進み、日が傾き出しているのは分かった。これから夜を迎えるにつれ、塔の中にいる敵の魔物たちの活動が活発化してくる可能性もある。
しかし脱出呪文が使えないこの場所では、一度体制を立て直すために塔を下りることは現実的ではない。その状況を見越して、リュカたちはこの場で出来る限りの休息を得ることにしていた。
「お父さん、もう大分動けるよ。ボク、大丈夫だよ」
そう言うティミーに強がっている様子はなかった。大量の魔力の消費で身体に異状を来していたティミーだったが、倒れる巨大な柱の陰で十分休息を取ったためにある程度体力も魔力も回復していた。ティミーを休ませている間、リュカたちも同様に休息を取ったため、再び塔の探索を始められるほどの気力を身体に戻していた。
「ここは寒いところだけど、あの時みたいな動けなくなる寒さはもうないよ」
そう言ってティミーは立ち上がると、両腕をぶんぶん振り回して回復したことをリュカにアピールした。ティミーは自分のせいでこの場に足止めしてしまったことに責任を感じていた。
「ティミーのおかげで僕たちも休めて良かったのかも知れないね。あのまま進んでいたらきっとどこかで、みんな一斉に倒れていたかも」
「えっ?」
「みんなも大分体力が回復できたようだし、また上を目指して進んでみよう」
リュカはそう言うと、ティミーとポピーの頭を軽く撫でてから、新しく仲間になったベホズンに話しかける。
「上に行くためには、あっちの方へ行くんだっけ?」
リュカが指し示す方向には、白い霧の景色が広がるだけで何も見えない。しかしベホズンはリュカの手が伸びる方向を見て、一度軽くその場に飛び上がった。
「この霧、僕たちの視界も悪くなるけど、敵からも見つかりにくいってことだよね。霧がなければこの場所でとっくに見つかっていたかも知れないもんね」
「リュカ殿、この白い霧のようなものは雲ではないのでしょうか」
「えっ? 私たち、雲の中にいるの? そんなに高い所に……」
「雲の中かぁ。雲ってもっと遠くにあるものだと思ってたけど、思ってたよりも近い所にあるんだなぁ」
「ボクたち、雲の中にいるんだ……雲って乗れるものだと思ってたけど、この霧じゃあ乗れないよね」
ティミーが辺りに漂う霧を手で触ろうとするが、当然白い霧を手でつかむことも手に触れる感触もない。
「じゃあこの雲の中に隠れながら、先に進んでみようか」
ベホズンの大きな緑色の身体を見失わないよう、リュカたちは一塊になってベホズンの後ろに隠れるようにして進み始めた。周囲には時折、敵の魔物の気配を感じるが、敵もこの霧の中では積極的に見回りをする気もないようで、ふらふらとそこらを歩いているだけのようだった。ふと敵に見つかりそうになっても、すぐに霧の中に身を隠してしまえば、無駄な戦いを避けることもできた。
ベホズンが案内した場所は、この塔を支える巨大な柱だった。今まで見てきた柱と何ら変わりない巨大な柱に、リュカはまさかこの柱をよじ登る必要があるのかと思わずこめかみから冷や汗を垂らす。
ベホズンが巨大な柱を回り始める。リュカたちも大人しくその後をついていく。すると突然、柱の一部にぽっかりと穴が開いている場所があった。空洞は大きく、キングスもマッドも問題なく入れるほどの広さがあった。
トンネルのような入口を通ると、柱の中には螺旋状に続く階段が遥か上にまで伸びていた。巨大な柱自体がまるで一つの塔であるかのように、階段の途中途中には小窓があり、そこからは外の光が差し込んでいる。柱の分厚い壁に囲まれているせいか、外よりもかなり暖かく感じられる。
「なあんだ、休むんだったらここの方が良かったよね。ベホズン、ここを知ってるんだったらすぐに案内してくれたら良かったのに」
「しかし我々はあの場所で動けない状況でしたから……仕方がないでしょう」
「ま、いいか。よし、早速上ってみようか」
「お父さん、一番上が見えないです……」
「うひゃー、これを上るの? でも階段も広いし、楽に上れそうかな?」
広い幅の螺旋階段は規則正しい段差で作られており、外とを隔てる分厚い壁には所々装飾が施されている。主に植物と思しき幾何学模様が描かれ、この柱の内側にも神の城に続く雰囲気が漂っている。そしてこの場所は魔物たちの暴力を受けず、どこも破壊されていなかった。この螺旋階段は魔物らも行き来する場所に違いないが、この階段を破壊してしまってはここに棲みつく魔物らも困ることになるため、あえてこの場所には破壊の手を伸ばしていないのかもしれない。
リュカを先頭に螺旋階段を上り始めた。階段の途中途中には小窓があり、陽がまだ出ている時間であれば問題なく進み続けることができた。しかし既に陽は西に傾いており、小窓から差し込む光は橙色の色味を帯びている。そして螺旋階段はどこまでも延びているように、終わりを見ることはできない。リュカは後ろからついてくる仲間たちの様子を気遣いながらも、急ぎ気味に階段を上って行った。
幸い、この螺旋階段を行き来する魔物の姿はなかった。塔に潜む魔物らにとってもこの螺旋階段を上ったり下りたりすることは避けたいことなのだろう。下の階の大広間には夥しいほどの魔物が棲息し、万が一塔への侵入者があったとしてもそこで確実に食い止めることができると、この塔に棲む魔物らは考えているのかも知れない。リュカはそう考え、それならばこれ以上先に魔物はいないかもしれないと淡い期待を抱いていた。
螺旋階段は延々と続く。歩いても歩いても先は見えない。まるで無限に続く場所に入り込んでしまったかのように先が見えない状況は、体力だけではなく精神力をすり減らしていく。小窓から覗く陽の光はどんどん力を弱め、螺旋階段の中はみるみる暗くなっていく。
気づけば小窓から見える景色に、霧の景色はなくなっていた。外に見える夕日が空を赤く染めていた。ティミーが小窓に体ごと入り、分厚い壁の向こうに見える景色を見て驚きの声を上げる。
「お父さん、雲が下にあるよ! さっきまでの霧が下に広がってる!」
リュカたちが螺旋階段を上る前までいた階は既に遥か下だが、その姿を雲が覆い隠してしまっていた。ティミーが下に見たのはまるで空に浮かぶ真っ白な綿のような雲で、彼らが先ほど身近に感じていた霧の景色とは思えないようなもくもくとした雲の景色だった。
「あっ! でも上にも雲がある! ここは雲と雲の間なんだね!」
螺旋階段を上り続けて確実に疲労を感じているに違いないティミーだが、それ以上に外の景色の不思議さに興味を惹かれ、疲れを忘れたかのような元気な声でリュカに知らせる。子供の元気な声を聞けば、リュカも自然と笑顔になる。
「下の雲の中を抜けたって言うことは、確実に上ってるってことだね。それが知れただけでも良かったよ」
「ここを上っていると、まるで前に進んでいないように見えるものね……」
ポピーはまだ遥か上まで続く螺旋階段を見て、思わず小さくため息をつく。そして下に果てしなく続く螺旋階段はあえて目にしないようにしていた。螺旋階段の中央はまるで巨大な穴が開き、それが底なしのように続いている。その景色を目にすれば眩暈がするのは確実なので、ポピーは必ず上だけを見るように努めていた。
その後もペースを乱さないように、早くも遅くもない速度で階段を上り続ける。小窓からの陽の光が徐々に弱まり、リュカたちが歩く螺旋階段には見るにも困るほどの暗がりが訪れる。
リュカたちが螺旋階段を上り続けて四時間以上が経った頃、ようやく階段の終わりを目にすることができた。
階段の終わりの先には、暗い空間が広がっているようだった。外に出られるのであれば、まだ沈みきっていない陽の光を目にすることができるはずだ。しかしリュカたちが見つめる先には、外の景色とは思えないほどの暗闇があるようだった。
螺旋階段の終わりに差し掛かる頃、リュカたちは束の間の休息を取った。上に通じる暗がりの中からは、螺旋階段を上る途中では感じられなかった魔物の気配を感じたのだ。下の階で激戦を繰り広げたような夥しい魔物の気配はなかったが、それでも何かしらの魔物が棲息していることは確かだった。
リュカは先頭に立ち、暗がりの中に通じる階段を上る。壁に手をつき、階段を踏み外さないよう慎重に上ると、上には下の階と同じような大きな部屋とも呼べる空間が広がっているのが分かった。既に陽は落ち、暗い大広間の景色にリュカはよく目を凝らす。暗がりに慣れてきた目に映るのは、そこら中に倒れている石柱の残骸だ。大きな石柱が魔物の破壊行為を受け、何本も割れて転がっている。魔物の気配は確かに感じられるが、倒れる石柱の陰に隠れているのか、その姿を目にすることはできない。
「ベホズン、一緒に上に上がってもらっていいかな」
リュカはベホズンと共に階段の上に静かに姿を現した。スライムベホマズンはこの天空の塔に何体もの仲間がいるため、ベホズンが階段から姿を現したところですぐに攻撃してくる魔物はいないだろう。リュカはベホズンの巨体に体を隠しながら、辺りの様子を窺う。
ベホズンが倒れる石柱の間を進み始める。上に続く道を把握している様子のベホズンを信頼し、リュカは子供と仲間たちを呼び寄せて、大広間の暗がりの中を息をひそめて進んでいく。キングスがベホズンと並んで、仲間たちの姿を隠すように息を合わせて進む。途中、大広間に棲息する魔物と遭遇したが、暗がりの中でベホズンとキングスの色の違いが分からないのか、二体ともスライムベホマズンに見えたようで、気にも留めずにどこかへ去って行ってしまった。
ベホズンとキングスの連携で倒れる石柱の大広間を抜けたリュカたちは、もう何度目になるか分からない長い階段を上る中、肌に突き刺すような冷気を感じ始めた。階段の上が外の世界に通じていることはすぐに分かった。ティミーとポピーが身体にマントを巻きつけ、冷気に体力を奪われないよう試みる。リュカも同じように身体にマントを巻きつけながら、ベホズンに続いて階段の上にある外の世界に向かった。
リュカたちの手が届きそうなところに、無数の星があった。白く輝く月が浮かび、リュカたちのいる場所を明るく照らしてくれる。月明かりで十分遠くまで見通せるほどだ。何もないと思えるほどに見通しの良い景色に、リュカは何かの違和感を感じて首を傾げた。
「この塔を支えるはずの巨大な二本の柱がありませんね」
ピエールがキョロキョロしながらそう言うと、リュカは自分の違和感の正体を知った。塔を上る途中で、今までにもこうして外の世界に出ることがあったが、その時には必ず塔を支える二本の巨大な柱を目にしてきた。それがきれいさっぱりとなくなり、辺りにその残骸が散らばっているわけでもないということは、リュカたちがたどり着いた場所は天空の塔の頂上ということに違いなかった。
「ボクたち、この塔を上りきったの?」
「ここから神様の住むお城に行けるのかしら?」
ティミーとポピーが夜空に無数に広がる星をぼんやりと眺めながら、各々に呟く。夜空には所々に雲がかかり、空はまだまだ上に続いているのだと思わされる。塔の上を見上げても、神の住む城があるようには思えない。もし雲に隠れているとしても、神の城を隠すような大きな雲は空に浮かんでいない。
「あっちにヘンな建物があるぞー」
ミニモンが指し示す先に、美しい星空の景色を一部邪魔するかのように、建造物の影を目にすることができた。ミニモンの言葉にベホズンがその場で小さく飛んで反応し、リュカの顔をじっと覗き込んできた。月明かりに見えるベホズンの表情はにこやかながらも、真剣に問いかけているように見えた。あの場所に行く必要があることを、ベホズンはリュカに教えている。
ミニモンが宙をふわふわと飛びながら、自分が一番に建物を見つけたことを自慢するかのように、先頭を切って建物に向かう。この場所に魔物の姿は見当たらない。屋根も壁もないこの場所には、容赦なく冷気が吹きつけ、長くこの場所にいればそれだけで体力を奪われるのは必至だ。プックルは体毛に覆われているため、いくらか寒さに強い体質だが、それでも体を震わせながら歩いている。ティミーとポピーもあまりの寒さに言葉を交わすのも困難になり、無言でマントを身体にこれでもかというほど巻きつけた状態で、恐る恐る歩いているような状況だ。ミニモンが見つけた建物の中に入ればまたこの寒さも凌げるだろうと、リュカは子供たちに声をかけつつ、歩き向かう。
建物の内部にも魔物の姿はなかった。リュカはこの塔に棲む魔物もこれほど高い所までは好き好んで上ってこないのだろうと、ほぼ断定するような気持ちでそう思った。最も辛い戦闘があったあの大広間に魔物の群れの多くは棲息し、万が一あの場所まで上れる侵入者がいてもあの階で食い止められると思っているのだろう。
今までの大広間に比べればさほど広くはない建物の内部には、またしても上に上る階段があった。今までは上に上る階段を見ればため息が出るくらいに嫌気がさしていたが、この階段を上った先が塔の頂上だということは分かっている。更に上に上るための階段はないはずだ。リュカたちは迷わずこの塔にある最後の上り階段を進んでいった。
階段の外は壁も何もない、吹きさらしの場所だった。再び冷たい外気がリュカたちの体力を奪い始める。空には月と星が浮かび、それが塔の下にまで広がり、まるで塔そのものが空高く浮かんでいるかのように錯覚する。
ベホズンがリュカの後ろから進み出ると、リュカを追い越すようにして先に行ってしまう。ベホズンはこの塔に棲みいていた魔物で、この場所も知っているのだろう。何かを知らせようと動き出したベホズンに、リュカは仲間たちと共に静かについて行った。
ベホズンの行った先には、更に上へ上るための階段があった。しかし階段の先は途中で空中に放り出されたように、途切れてしまっている。
天空の塔に棲みつく魔物らは、この神々しい塔の内部のあちこちを破壊し、巨大な柱を倒し、美しい女神像を傷つけ、神力の籠った装飾にもその力を失わせるように激しく破壊の跡をつけている。それにもかかわらず、この天空の塔はびくともせずにこの場所に数百年にも渡り立ち続け、魔の力には屈しないという意思を示しているのだと、リュカは心のどこかでそう信じていた。
現実は、凶暴な魔物の力によって、地上と神の城を結ぶという唯一無二の役割を失ってしまっていた。空中に放り出されるような大きな階段は、魔物らの破壊行動により、途中で完全に壊されてしまっていた。その姿はここまで上ってきたリュカたちを絶望に誘うには十分な威力があった。
「お父さん……これって、神様のところには行けないってこと?」
その言葉をすぐに口にすることができるティミーを、リュカは強いと思った。空には満天の星空があり、月は天空の塔から見下ろすほどの低い位置にある。星々を隠す雲がぷかりと浮かび、空に灰色の染みをつけているように見える。手が届きそうなところに浮かぶ雲の上に神の城があるとすれば、この途切れた階段の先が神の城へと通じていたはずだった。
ベホズンが途切れている階段を見上げる。果たしてベホズンはかつて、この階段の先の景色を見たことがあるのだろうかとリュカは考えた。大抵の魔物の寿命は人間よりも長い。もしかしたらベホズンは遥か昔にこの階段の先にあったはずの神の城を目にしたことがあるのかも知れない、それが事実でも不思議なことではなかった。
リュカもベホズンの隣に立ち、階段の先にあるはずだった天空の城を想像してみる。天空の城も恐らく、この天空の塔と同様の白く輝くような神々しい素材で造られ、見る者を圧倒させるような存在感を放っていたのだろう。
リュカは目を瞑り、白い雲の上に浮かぶ天空の城を想像してみた。真っ青な空の中に真っ白な雲が浮かび、その上に建つ城は、かつて湖の底に見た巨大な建造物を思い起こさせた。
その時、リュカとベホズンの前方に伸びる階段の先に、ふわりと白い影が浮かび上がった。初め、煙のようにただ白かった影は、徐々にその姿を明らかにする。人のようで人ではない、背中に真っ白な翼を生やした、髪も髭も真っ白な老人の姿が浮かび上がった。手にはごつごつとした杖を持ち、それを床につくでもなく、大事に両手に抱えている。
「なんと、この荒れた塔をここまで上ってくる者がおったとは!」
煙のような空気から現れた老人は、はっきりとした声で話した。生身の人間と変わらない血の通った声に、リュカは安心したように階段を上って老人に近づいて行く。その後をティミーとポピーが続き、二人を護るようにプックルとピエールも階段を上る。
「ふむ……ここらでは見慣れぬ魔物じゃな」
「僕の大事な仲間です。彼らのお陰でここまでたどり着くことができました」
「……その言葉、信じても良さそうじゃ」
老人はリュカの後ろに控えるプックルにピエール、階段の下に待つキングスにベホズン、ミニモンにマッドの姿を一体ずつゆっくりと確認すると、穏やかにそう言った。
そしてリュカのすぐ後ろに立つティミーの姿を見ると、老人は微かに目を見開いた。ティミーが被る天空の兜には、正面に青い宝玉が埋め込まれている。今では月明かりを受ける青の宝玉は、ただ静かに光に照らされているだけだが、その光の中に老人は天空人にしか通じない力を感じていた。
「この塔が神様のいる城に続いていると聞いて、ここまで上ってきました。神の城というのは、どこにあるのでしょうか?」
リュカは老人がティミーに話しかける前に、まるで防御反応の一種のように先に話しかけた。先に老人に話しかけられれば、ティミーを奪われてしまうのではないかという危機感があった。翼を生やした老人の姿は、人間が想像する神の姿にも通じるものがある。もし目の前にいる老人が神だとしても、勇者であるティミーを渡すわけには行かないとリュカは半ば挑むような目を老人に向ける。
翼の老人はリュカに穏やかに微笑みかけると、かつて階段の先に通じていた神の城を眺めるようにリュカたちに背を向ける。
「かつてはこの塔から天空の城に行けたものだが、今はこの有り様……」
翼の老人の身体を通して、階段の先の夜空が透けて見えていることにリュカは気づいた。老人の身体が元々透けて見えるものなのか、それとも既にこの世の者ではなくなってしまっているためにそのように見えるのか、リュカは今、あえて考えないようにした。老人の姿が見えているのはリュカだけではない。子供達にも魔物の仲間にも見えているということは、翼の老人は間違いなくリュカたちの目の前に今、存在しているということには違いない。
「天の城は地に落ちてしまった」
老人の背に生える翼があれば、かつて雲の上にあった神の城へはひとっ飛びでたどり着けたのだろう。しかし今、老人の翼がその役目を果たすことはない。地に落ちてしまったという神の城へ行くには、もはや翼は必要ないのかも知れない。
「天空の城も今では湖の底じゃ!」
吐き捨てるようなその言葉に、リュカははっきりとした希望を感じた。湖の底に沈む巨大な建造物を、リュカは以前、偶然にも目にしたことがある。母の故郷エルヘブンへの旅の途中、湖の中を潜るティミーを追いかけた先に、その城はあった。
「湖の底の城……行き方はあるのでしょうか。そもそも、どうして空の城が落ちてしまったんですか?」
リュカたちが生まれるよりもはるか前、しかし過去の勇者が世界を救ったよりも後の時代、この世界には闇が影を落としかけていた。その時代のその出来事を知る者は、世界中を探してもこの人間界にはいないのだろう。魔物にも広く知れ渡ることはなかった。存在も不確かと言われていた空の城は静かに密かに地に落ち、今も深い湖の底で眠りに就いているという。
翼の老人にも詳しいことは分からないらしく、彼は地に落ちる天空城から一人脱出し、今は天空城を目指す者をこの天空の塔の頂上で待ち続けていた。それが彼に与えられた役目なのだと、翼の老人はリュカたちを静かな目で見つめ、その意思を確かめようとしていた。
「その子供……天空の勇者が再来したというのだな」
百年以上にも渡って、この天空の塔を上まで上り詰めてくる人間は一人もいなかった。天空への塔は魔物の巣窟となり、たとえこの塔に宝が隠されているという噂があっても、欲に釣られる人間が塔の頂上にたどり着くことはなかった。塔の宝を言う噂を聞きつけて忍び込んだ盗賊でもなく、ただ純粋に天空の城を目指して塔を上り詰めたリュカたちを見て、そして天空の武器と防具を装備しているティミーを見て、老人は納得したように一つ大きく頷いた。
「天空の城は神の城。城は今も滅ぼされることなく、湖の底で封印されたまま、再び空に浮かぶ時を待っている」
「封印されている? 封印を解けば、湖の底の城にも行けるんですね?」
「おじいさんは封印の解き方を知ってるの? 知ってたら教えて!」
「何か特別な呪文が必要だったら、私、頑張って覚えます!」
リュカたちが希望を持った目で勢いよく話しかけてくる姿を見て、翼の老人は彼らの強い意志を確かに感じていた。天空の勇者と思しき少年が、目を輝かせるように話して天空城を求める姿に、翼の老人も忘れかけていた希望を取り戻すように自然な笑みを浮かべた。
「もしそれでも行きたいと言うなら、このマグマの杖を持ってゆくがよい」
そう言いながら老人は手にしていた一本の杖をリュカたちに差し出した。一見、古い木で作られた杖のようにも見えたが、受け取るリュカの手に伝わる重みや質感は木ではなく、ごつごつとした岩だった。岩の塊が一部、杖の形に取り出されたようで、杖の頭の部分に当たる場所には真っ赤な宝石が埋め込まれ、その中を覗くとぐらぐらと煮えたぎる溶岩のようなものが見えた。赤い宝石の中をもっと覗こうと顔を近づけると、赤い宝石越しに溶岩の熱が伝わるようで、リュカは思わずその熱い空気にもっと触れていたいと思った。
「湖の奥深くに続く洞窟がある。しかしその洞窟は神の力で封印され、何人たりとも立ち入ることはできない」
湖の底に眠る天空の城は自然に任せて湖の底に沈んでいるのではないのだと、老人は語る。天空城を滅ぼさせないためにも、深い深い湖の底に城は生き続け、永い眠りから覚ましてくれる者が現れるのを待っている。翼の老人は言わば湖に眠る天空城の番人であり、その定めを負うものを見極める使命を帯びているのだと自覚してこの場所に立ち続けていたのだった。
「その杖を使えば洞窟を塞ぐ岩をも溶かすことができようぞ!」
リュカはマグマの杖と呼ばれる岩石でできたような杖を手にしながら、老人の言葉が真実であることを実感していた。マグマの杖の頭部には真っ赤な溶岩を見ることができる。赤い宝石の中には目に眩しいほどの溶岩の光が込められており、それは見る間に爆発してしまいそうなほど、ぐらぐらと煮えたぎっている。
リュカは杖を持つ自分の手に目を向けた。左手の薬指には結婚指輪である炎のリングがはめられている。どこかで似た景色を見たことがあると、ふと目を向けた先にあった炎のリングには、マグマの杖と同じように小さな炎が噴き上がる光景があった。
リュカは翼の老人に礼を言おうと顔を上げた。しかし既にその場所に老人はいなかった。忽然と姿を消してしまった老人は、もしかしたら既にこの場所にはいなかったのかも知れない。老人の姿を通して見えていた階段の先に広がる星空は、今はリュカの目にはっきりと映っている。
「あれ? さっきのおじいさん、消えちゃったよ? お空に帰っちゃったのかな?」
「あのおじいさん、幽霊さんだったの? でも、怖くなかったよね……」
ティミーが見上げる夜空には所々に雲が浮かび、その先に翼の老人が帰って行ったとしても不思議ではなかった。戻るべき城がない空でも、天空人にとっては空が故郷であり、いるべき場所なのだとしたら、翼の老人は自分に課せられた役目を負え、ようやく空に帰ることができたのだろう。たとえはるか前に命を落としていたとしても、翼の老人はその役目を負えるまで空に帰ることを拒み続けていたのだと、リュカはそう感じていた。
リュカはマグマの杖を握りしめながら、階段の後ろを振り返った。階段を下った先にキングスにベホズン、それにミニモンとマッドがいる。彼らは階段の先にいるリュカたちではなく、反対側に目を向けたまま緊張感を漂わせている。
夜空に薄くたなびく雲に隠れる月明かりに、リュカは何者かの影を見た。それは人間ではなく、見たことのある魔物の影がまるで床から次々と湧き上がって来るかのように見えた。翼の老人がいる間、この場所には魔物の姿を見ることはなかった。天空人である翼の老人が、ある種の結界のような空間を作り出していたのかも知れない。老人がいなくなり、この場所は再び魔物たちが立ち入ることのできる空間になってしまった、そう考えるのが自然な状況だった。
「リュカ殿、かなりの数です」
「うん、でも逃げることはできないね。話を聞いてくれるわけでもなさそうだし」
「お父さん、ボクも戦えるよ! もうすっかり元気だから!」
天空の塔での戦闘で一度倒れてしまったティミーは、戦いに怯えることなく、天空の剣を右手に持ち、既に戦う気持ちを整えている。その姿はやはり勇者と呼べる姿なのだろうと、リュカは誇らしいやら嬉しいやら否定したいやらの複雑な気持ちで見つめた。
「ベホズンも一緒に戦ってくれるのかな」
ポピーが不安そうにそう呟くと、階段の下にキングスと並んでいたベホズンがその場に弾んで共に戦う意欲を見せた。ベホズンはこの塔に棲みつく一体の魔物として生き続けながらも、この特別に巨大で神々しい塔の中で魔物として生き続けることにどこか疑問を抱いていたのかも知れない。リュカに出会い、ようやく自分の生き方に目覚めたかのように、無数にも見える魔物の群れと戦う意思をはっきりと見せていた。
「ポピー、この杖を持っていてくれるかな」
「えっ? 私が持ってるの?」
「きっとポピーになら使えると思う。強い魔力の込められた杖だよ」
リュカがポピーにマグマの杖を渡すと、ポピーは恐る恐る杖を見廻した。まるで岩の塊のようなその杖の一部から、ぐつぐつとマグマが煮えたぎっているのを見て、ポピーは強い意志を胸に秘めた。
ティミーとキングスがスクルトを唱える。プックルが急先鋒として夥しい魔物の群れに突っ込んでいく。続いてリュカが階段を駆け下りて行く。そのすぐ後ろから、ティミーが遅れまいと駆けていく。ポピーもすぐに階段を駆け下りると、ミニモンと目を合わせて援護のための呪文を発動する。
マッドは自分と同じように宙を飛ぶガーゴイルたちに飛びかかって行く。キングスとティミーのスクルトの加護を受けているマッドは、いつも以上に怖いものなしの状態で空中で暴れまわる。激しい動きのマッドに、ガーゴイルたちも翻弄され、剣を持つ手にも上手く力が伝わらないようだった。マッドは好き勝手に火を吹いたり、そうかと思えば同じように口を開けて甘い息を吐いたりと、向かってくるガーゴイルたちとどこか楽しそうに対峙していた。
キングスもまたスクルトの守護の力を身につけ、畏れることなく魔物の群の中に突っ込んでいく。いつものキングスには見られない戦闘意欲だが、目の前に現れた魔物の群の数を見れば、戦いを見守る余裕がないのは明らかだった。ティミーが倒れてしまったあの時のような魔物の群が今、リュカたちの目の前に再び現れているのだ。
「その奇妙な杖を渡すんだ」
魔物の群の中からケンタラウスが前に進み出て、リュカにそう告げる。大勢いる魔物の群れを率いる代表的魔物と思われた。リュカたちが翼の老人からマグマの杖を受け取る光景を、魔物らは見ていたに違いなかった。恐らく翼の老人は魔物の前には今までに一度も姿を現さなかったのだろう。天空の塔を上り詰め、かつて空に浮かんでいた天空の城を求める勇者を待ち続けた翼の老人は、ようやく出会えた子供の勇者とその仲間たちにだけ、その姿を見せたのだった。
「渡すわけには行かないわ! だってこれは……おじいさんの大事な思いだもの」
ポピーがマグマの杖を両手に握りしめながら、強い意志を見せてそう言い放った。ポピーにはこの場所で長い年月を待ち続けた翼の老人の思いが深く伝わっていた。魔物の攻撃を受けて壊され、今では天空に浮かぶ神の城へも通じなくなってしまったこの塔で、老人は希望を絶やさず待ち続けていた。もしかしたら遥か昔に、翼の老人は魔物に命を奪われてしまっていたのかも知れない。それでも尚、翼の老人の思いは強く残り続けた。そしてリュカたちに希望を託して、老人はようやく大役を終えたかのように、この世から消え去ってしまった。
「小さな子供をひどい目に遭わせるのは避けたいところだが……まあ、仕方ないことだな」
口ではそういうケンタラウスだが、その表情は嬉々としたものだった。ケンタラウスの合図によって、今までマッドと対峙していたガーゴイルら五体が一斉にポピーに向かって飛びかかって行く。リュカが呪文を放つ。ピエールも呪文を放つ。二体のガーゴイルを足止めしたが、残りの三体はそのままポピーに襲いかかった。
ポピーはマグマの杖を両手に握りしめたまま、向かってくるガーゴイルらに杖を向け、強く念じた。すると今まで杖の中でぐつぐつと煮えたぎっていたマグマが、ポピーの意思に従うように杖頭から勢いよく噴き出した。まるでポピーが小さな火山を手にして、噴火させてしまったかのような光景だった。真っ赤なマグマがガーゴイルたちに飛び散る。顔や羽や体にマグマが張り付くと、ガーゴイルたちは叫び声を上げてその場に落ちてしまった。
「すごい……火の呪文が使えたみたい……」
ポピーは自分ではつかえないはずの炎の呪文が、まるで自分の手から飛び出したような感覚に、思わず顔をほころばせた。しかしそれも一瞬のことで、ポピーは戦闘が終わっていない状況に戻り、再び厳しい表情でマグマの杖を前に構えた。
リュカはポピーの傍についているミニモンとベホズンを見て、託すように一度頷くと、すぐに下へ降りる階段を目指して敵の中を突き抜けようとした。すぐ前にはプックルがいる。すぐ傍にはピエールがいる。いつもの戦闘と変わらないと、リュカは平常心で戦いに臨む。
敵が大勢いても、実際にその時に対峙する敵の数は限られている。大勢の敵が一斉に攻撃をしかけてくることはない。しかしその代わり、目の前の敵とひたすら対峙し続け、一つ一つ突破していくことを終わりなく続けて行かなければならない。少数で戦うリュカたちにとっては、体力がどこまで持つかの勝負だった。
たとえ階段を下りて行っても、その先にどれだけの魔物が待ち受けているかは分からない。もしこの場にいる無数にも見える敵の数が、塔の中にいる魔物のほんの一部だとしたら、到底勝ち目はない。リュカは無心に剣を振り、呪文を唱えながら、ふとすぐ傍に広がるような星空を横目に見た。
前を進んでいたプックルがソルジャーブルに激しく切りつけられ、宙に舞うのが見えた。傍で戦っていたピエールがケンタラウスに殴り飛ばされ、床を滑って行くのが見えた。しかしその局面で、後ろからついて来ていたベホズンが激しい光を放ち、呪文を唱える。強い癒しの光の中でプックルとピエールが立ち上がると、リュカがプックルにスカラを、ティミーとキングスが同時にスクルトを唱えて仲間たちの守護に努めた。
立ち上がるや否や、プックルは辺りをとどろかせるような雄たけびを上げ、その叫びに応じるような稲妻が敵の群れの中に轟音を響かせて落ちた。天空の塔を破壊してしまいそうな勢いの稲妻だったが、塔はリュカたちが思うよりも頑丈で、天から落ちた稲妻にもびくともしない。
「プックル! かっこいい!」
プックルが天から落とした稲妻を見て興奮したティミーが、天空の剣を天に向けて強く念じる。同じような稲妻を呼び寄せたかったティミーだが、天空の剣を薙ぎ払って飛び出したのは激しい火炎の帯だった。しかしそれでも敵の魔物の群れを翻弄するには十分で、ティミーが放ったベギラマの呪文の前に、敵の群れは前に道を開いた。
続けざまにピエールがイオラの呪文を唱えると、リュカたちの前には完全に道が開けた。下に下りる階段が一瞬見えたが、それもほんの一瞬のことで、無数に見える敵の群れはすぐに階段への道を塞いでしまった。
「この塔にどれだけオレたちの仲間がいると思う? まあ、オレたちにも分からないけどなぁ」
一体のソルジャーブルがいかにも楽し気にそう言うと、ガーゴイルたちが宙を飛びながら下品に笑い声を上げる。
「逃げるのなら、イチかバチかここから飛び降りるのも一つの手かもな。万に一つも、助かるとは思えないが」
ソルジャーブルに言われる前に、リュカはそう考えていた。この塔を再び下に下りていくことは、恐らく不可能に近いだろう。ここまで上れたこと自体が奇跡のようなものだった。上まで上り詰めたリュカたちが下に戻ってくるのを、塔に棲む魔物らは待ち構えているに違いない。その数がどれほどになるのかを想像すると、到底相手にできる数ではないのは分かりきったことだった。
リュカは再び塔の外に広がる星空を見た。月が雲に半分隠れ、暗い夜空には無数の星がくっきりと浮かび上がっていた。
「その一か八かに賭けるしかないかな」
リュカが呟くのを、ピエールが信じられない思いで聞いた。
「正気ですか、リュカ殿」
「ここを真面目に下りていくのと、飛び降りるのと、どっちが正気なのか……よくわからないよ」
「お父さん、ここを飛び降りるなんて……絶対に助からないよ! 戦っていけば、いつかは必ず……」
「その前にみんな倒れたら、どうしようもない」
リュカの言葉に、一度倒れて皆に迷惑をかけた自覚のあるティミーは何も言い返せずに口を噤んでしまった。薄暗い月明かりの下に照らされる敵の群れだけが、この巨大な塔に棲む魔物らではない。塔の中にはリュカたちが目にしていない魔物らがまだまだ数えきれないほどいるのだ。リュカは意を決したように懐に手を当てると、下に下りる階段よりも近い塔の端へ向かう。プックルにピエール、そしてティミーが戸惑いながらもリュカの後に続く。
塔の端に近づくと、下から吹き上げるような冷たい風がリュカたちを襲った。かと思えば、上から吹き下ろすような強い風がリュカたちを塔から落とそうとする。敵である魔物らは、自ら命を絶とうとするかのようなリュカたちの行動を、にやにやと笑いながら道を開けて眺めていた。
「お父さん……何をするの……?」
状況を把握できていないポピーが、いかにも不安な表情で父を見る。近くにいたミニモンが唐突にポピーの両手を掴むと、武器である大きなフォークを背負ったまま宙に飛び上がった。ポピーは得も言われぬ恐怖に駆られながらも、暴れて逃げ出す勇気もなく、大人しくミニモンに連れられリュカの下へとたどり着いた。
塔の端から下を覗き込んでも、暗闇に包まれた景色が広がるばかりで高さを感じることはなかった。もしかしたら地面はすぐそこなのではないかと思えるほど、暗闇はすぐ近くにあった。これが日の光が差す昼間なら、空は青く、白い雲が近くに浮かび、この美しい巨大な塔の壁を延々と下まで望むことができただろう。
「死を選ぶのなら、せっかく手に入れたその炎の杖も無駄になってしまうなぁ」
ケンタラウスが暗い笑いを浮かべながらそう言うと、リュカがはっきりと「無駄にはしないよ」と答える。
「死を選んでるつもりはないよ。僕らは生き延びる」
「空を飛ぶ仲間に助けてもらうつもりか? それにしても仲間を何体かは見殺しにすることになるだろう」
空を飛べる仲間はミニモンとマッドだけだ。彼らに助けられるのはせいぜい二人か三人。第一、キングスとベホズンはその身体の大きさから、マッドでも助けることはできないだろう。
「お父さん、どうするの?」
「私……ムリかも……」
ポピーはマグマの杖を持つ手をガタガタと震わせている。プックルも微かに足を震わせていた。ピエールは兜の奥できつく目を瞑り、覚悟を決めるのに少々時間をかけているようだ。リュカは懐に手を当て、命を繋ぐ気持ちを改めて確かめると、仲間たちに手本を見せるように塔の端に両足を乗せた。上から下から吹きつける風に、リュカの体がぐらぐらと揺れる。
「まずはリーダーが模範を示すってか! 勇気のあるリーダーで良かったなぁ!」
「せっかくここまで上ってこられたのに、残念な結果に終わったな」
ソルジャーブルやケンタラウスの言葉にも、リュカの信念はまるで揺らがない。リュカには助かる自信があった。足も手も震えていない。そして塔の端を勢いよく蹴ると、リュカの姿は闇の中に吸い込まれるように消えてしまった。
その姿を見てティミーが続き、プックルが続き、ピエールも塔を飛び降りた。何かを考える余地はなかった。先に飛び降りてしまったリュカを追いかけない訳にはいかなかった。ポピーはミニモンに連れられ下へ、キングスとベホズンは同時に塔の端で弾みをつけると、そのまま闇の中へと消えて行った。そして最後にマッドが敵の群れに最後の攻撃と言わんばかりに炎を吐くと、そのまま翼をほぼたたんで、リュカたちを追いかけるように飛び降りた。
冷たい空気がリュカたちの体にまとわりついては過ぎていく。まるで氷水の中に飛び込んだかのように冷たい空気がリュカたちを襲う。息をするのも苦しい。耳鳴りのような音が聞こえる。下を見ても何も見えない。ただ延々と闇が広がるばかりで、一体どれほどで地面に着くのかはまるで分らない。
ミニモンに抱えられているポピーが、半ば胸に抱いているマグマの杖を目をつぶりながら振り上げた。するとマグマの杖の頭から大量のマグマが噴き出し、辺りが眩しいマグマの光に照らされた。リュカはその光の中に、仲間たちの姿が皆見えたことに、束の間安堵した。そしてすぐさま懐に手を入れて、命を繋ぐ準備をする。
リュカは懐から、小さく折りたたまれた魔法のじゅうたんを取り出した。吹きつける冷たい空気に吹き飛ばされないよう固く握り、リュカは魔法のじゅうたんに自分の意思を伝える。しかしじゅうたんはまだその時ではないと言わんばかりに、何の反応も見せずに、ただリュカの手の中で大人しく収まったままだ。
ティミーが上から何か叫ぶのをリュカは聞いた。しかし何を言っているのかは分からない。耳にはただ強い風の音が鳴り響くだけだ。リュカは皆を救うために、ひたすら魔法のじゅうたんを握りしめながら、強く念じ続けた。
霧のような雲の中を突き抜けても、まだ目の前には暗闇が続いている。ただ、上を見上げれば夜空の星は確実に遠ざかって行くように見えた。リュカは気を抜かずに、一心に魔法のじゅうたんに自らの意志を伝え続ける。
まだ下に暗闇が続く中、リュカの手の中で突然、魔法のじゅうたんが自ら広がり始めた。あっという間にリュカの手に余る状態になり、リュカは必死にじゅうたんの端を握りしめたまま、空を切り裂くような落下を続けた。
じゅうたんの端が天空の塔にぶつかると、じゅうたんはまるで委縮するかのようにその範囲を縮めてしまった。しかしそれに反するリュカの意思に応じて、じゅうたんは塔にぶつからないように外側へとその範囲を広げていく。リュカはじゅうたんの端を千切れそうに感じる手で支えながら、空中でどうにか体勢を変え、ようやくじゅうたんの上に寝そべることができた。
リュカを乗せたじゅうたんはまだ自ら飛べる高さではないと、落下を止めない。じゅうたんが大きく広がっているにも関わらず、リュカを乗せたままじゅうたんは下へ下へと落ちていく。リュカはじゅうたんの上でうつぶせになりながら、終わりのないじゅうたんとの対話を試みる。リュカだけを乗せてどこかに飛んで行って欲しいのではなく、空から落ちてくる仲間たちを助ける役目を果たして欲しいのだと、リュカはうつぶせの状態のまま必死になってじゅうたんに呼びかけ続けた。
リュカのすぐ近くで、じゅうたんが鈍い音を立てて跳ねた。ティミーがじゅうたんに転がるのを感じた。続けてまたじゅうたんが大きく跳ねて、プックルが小さな悲鳴を上げるのが聞こえた。じゅうたんに吸収されるように静かに落ちてきたのはピエールだ。少し間を置いて、ほぼ同時に落ちてきたキングスとベホズンの衝撃に、リュカたちは一度、一斉に宙に放り上げられたが、無事再びじゅうたんの上に落ちてきて事なきを得た。
マッドが急降下して、まるでアトラクションのように楽しみながらじゅうたんに突っ込んだ時、リュカたちはまたしても空中に放り出されそうになったが、キングスとベホズンが良いように重しになっていたため、それほどの衝撃にはならなかった。最後にミニモンがポピーを連れてじゅうたんの降下速度に合わせて落ちてきて、あまりの恐怖で顔面蒼白になっているポピーを気遣うようにじゅうたんに下ろす。悲鳴すら上げられないポピーは、じゅうたんに下ろされると、まだ急降下を止めないじゅうたんの上で息をするのがやっとと言うようにじゅうたんのうえに這いつくばっていた。
リュカは気を抜かず、じゅうたんに意思を伝える。じゅうたんの下に広がる地上の景色はリュカには見えない。通り過ぎる景色はどこまでも暗く、まるで奈落の底に落ちているかのような感覚だ。もしかしたら既に地上を過ぎて、地下深くに落ちているのではないかと思えるほど、延々と落下が続く。
しかし、落下は突然止まった。そして魔法のじゅうたんは唐突に天空の塔から離れるように移動を始めた。リュカは久しぶりに辺りに草の匂いが満ちていることに気づいた。景色はやはり真っ暗だが、少し離れたところにある林から夜の鳥の声が聞こえ、辺りの空気にも温かさが戻り、それだけで冷気に疲れた体に体力が戻るようだった。
魔法のじゅうたんがリュカたちを運んだ先には、大きな白馬がいた。リュカたちの帰還にパトリシアは喜びの声を上げ、思わず後ろ足で立ち上がったため、足元にいた四体のプチット族が白馬に踏まれまいと慌ててその場を離れていた。魔法のじゅうたんを飛び降りたリュカは、無事に待っていてくれたパトリシアとプチット族たちに駆け寄ると、ようやく地に足をつけた生きた感覚を味わうことができた。
Comment
はじめまして!
いメッセージ等苦手なのですが、書かずにはいられませんでした(笑)
一言で、最高でした!!!!
今後も楽しみにしてます。
ゆさん様
初コメントをありがとうございます。
嬉しいコメントはどんどんお送りください(笑) とても励みになります。
今後もちまちまと頑張って書いて参ります。のんびりですが、よろしくお願いいたしますm(_ _)m
bibi様。
マグマの杖を戦闘中に使うと、マグマと言っているのに爆発呪文イオなんですよね。
今でもこの矛盾点が気になるんですよ~。
いかづちの杖がベギラマにしてしまった以上、マグマの杖をベギラマにできなかったとはいえ、せめてギラか…呪文でなく火炎として全体に60前後のダメージにしてくれたらなぁ…と思うんです。
この時点でのパーティレベルを考えると、イオは使いにくい(汗)。
bibi様まさか飛び降りるなんて思いませんでした。
てっきり塔の天辺だから頭をぶつけないのでルーラを使うと思っていたんですが…まさかジャンプするとは!。
そして魔法の絨毯を使うなんて発想が面白いです(笑み)。
てっきり飛び降りて着地寸前で以前にもbibiワールド内でやったバギを使って衝撃緩和か、ルーラを使って着地寸前で空中浮遊するのかと思っていたら…絨毯とは、さすがはbibi様です。
ポピー高所恐怖症なのに…次回のお話の時のポピーの第一声が気になります(笑み)。
プックル、やりましたねぇプックル最高の特技のいなずま!
デモンズタワー以来ですね。
この時のプックルは、いつも以上にカッコイイ!
ティミー天空の剣から凍てつく波動でなくベギラマ使えちゃうんですね!
剣から呪文を出すなんて考えましたねbibi様。
ポピー、やっと炎系呪文を使えましたね。
bibi様の小説ではマグマの炎が出るという描写で今後も行きますか?
天空の塔のケンタラウスたちリュカたちが生きていると知ったら激怒するんでしょうなぁ…まさか塔の外に出て来るなんてないですよね?。
次回は、あの迷路謎解きトロッコ洞窟とプサンですね。
bibi様の分かりやすい描写の見せ所ですな!
楽しみです(笑み)。
bibi様ーパーティ編成どうしますか?
いまんとこベホズンが仲間になりましたから9名います。
一度編成し直しますか?
トロッコでティミーとポピーのはしゃぐ姿が楽しみです。
ケアル 様
いつもコメントをありがとうございます。
マグマの杖って戦闘中に使うと威力に難が・・・そうなんですよね。今更、イオって、みたいな。
湖の前のあんな岩山を崩すくらいの威力があるんだから、もうちょっと使える杖でもいいのにね、と思います(笑)
天空の塔をまたちまちま下りるのは現実的じゃないなぁと思い、飛び降りてみました。
天空の塔はルーラやリレミトが使えない特別な場所、ということで、こんな方法を選んでみました。
良い子は絶対にマネしないでね。
ポピーはこの時のことを忘れず、ことあるごとにリュカにちくちく言いそうですね(笑)
塔の上ではプックルの稲妻を、という感じで発動です。空が見えて、ちょっと曇ってて、雷呼べそう?な条件でないと発動できないので、プックルの稲妻はかなりレアな感じですかね。
その点、ティミーはそのうちどこでも稲妻を呼ぶかも知れません。勇者特権。今回はまだベギラマ止まりですが、ティミーとポピーはこれからめきめき成長していくので、それが楽しみです。
これからトロッコ洞窟・・・楽しそうですよね。いや、またどこかで死にそうになるんでしょうが、家族と仲間と、それなりに楽しんでもらえればと思います。せっかくなので、ベホズンを連れて行こうかなぁと考え中です。
bibiさん
プックルの稲妻は久しぶり過ぎて忘れてました…かっこいい
そりゃあティミーもマネしちゃいますね
…というかついにデイン使うのかと思ったら(笑)
敵がたくさん来た時はここだと思ったんですけどね…掌の上で転がされました(´∀`;)
昔から兆候はありましたがリュカは大胆過ぎです
着いてく仲間は生きた心地がしなかったでしょう…
読者としては面白かったですが(笑)
ピピン 様
こちらにもコメントをありがとうございます。
プックルは空に雲がかかっている状態が稲妻を発動するチャンスの時です。
屋内ではちょっと難しい・・・。
ティミーくんにはぜひここで、とも思いましたが、私の話の中ではまだそこまで成長していなかったので、ベギラマに甘んじてもらいました。
リュカは小さい頃から突飛な事をする子で、その点では成長していません。守る者が増えたというのに・・・ダメなヤツです(笑)
着いて行く仲間はとにかくリュカを信じるしかなかったわけですが、「終わったな・・・」と思った仲間もいたかも知れませんね(汗)