プサンの不思議

 

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「いや~、この洞窟はとても広いみたいなんですよね。私もまだ洞窟の中を回り切れてないんですよ。トロッコでは二十年も回り続けていましたけどね。あっはっは」
プサンはリュカたちの道案内を務めながら、洞窟内を共に歩いていた。プサンの乗っていたトロッコは大破した状態で、まるで使えなくなってしまったため、リュカたちは洞窟内を歩いて移動していた。
「人間に比べれば魔物も天空人もきっと寿命がとても長いんですね」
「天空の民というのは長生きなんです。しかし二十年間回っているとさすがにお腹が減りますね」
「二十年も何も食べないなんて、ボク、想像できないよ」
「私たちで考えたら、生まれてからまだ一度も何も食べてないってことだものね。さすがに魔物さんたちも食べないでは生きていけないし……天空人ってすごい……」
ティミーが自分の腹に手を当てながら感心するようにそう言い、ポピーは天空人の驚異的な生命力に溜め息をつく。リュカはグランバニアに住む、かつて父パパスが助けたという天空人の女性のことを思い出し、確かに彼女が食事をしている姿を見たことがないと思った。人間にとっては生きる燃料になる食べ物を、天空人はほとんど必要としないのだろう。それは非常に便利なものだと思う一方で、楽しいことが一つ減ってしまうのではとリュカは小さく唸った。何事も便利になるだけではつまらない気がする。
「プサンさん、何か食べます? と言っても、木の実ぐらいしかないんですけど」
リュカはそう言いながら身につけた袋の中から木の実をいくつか取り出すと、プサンにその手を差し出した。洞窟内をトロッコで移動している際に、水中に突っ込んでしまった際に他の食糧を水浸しにしてしまい、今となってはまともに食べられそうなものが木の実ぐらいしかなかったのだ。
「いえいえ、結構ですよ。大事な食糧でしょうから取っておいてください。私はその辺で水でも飲んでいれば大丈夫ですから。幸い、洞窟内には湖の水が染み出ているから、水には困りませんしね」
プサンはそう言うと、「ちょっと失礼」と一言言って、近くの水たまりから両手で水を掬って飲み始めた。しゃがみこんで背中を丸めて水を飲む姿は、どこからどうみても普通の人間だった。プサンの横でスラりんとスラぼうも同じように水を飲む。プサンはリュカが連れている魔物を全く怖がらず、今はスラぼうと話をしたりもしている。人間の言葉を話さないスラりんの言葉にも真っ当な反応をしている状況を見て、リュカは天空人には魔物の言葉が分かるのだろうかと不思議そうに彼を後ろから見ていた。
「プサン殿、ここから先には行けませんぞ。道が途切れています」
サーラが指差す方向にはトロッコのレールが途中まで続いているものの、レールがぷつりと途切れ、レールを乗せる地面もすっかりなくなっていた。この地下遺跡は長い間封印されていたため、比較的当時のままの状態で残されているが、ところどころ地面が崩れたりレールがぶつ切りになっていたりと、普通には進めない場所がある。
「ありゃまあ、そうですか。昔は普通に歩けたはずなんですがねえ。どうしましょう」
「がうがう」
「えっ? この崖を下りればいいって? はてさて、どうでしょう」
「プックル、お前にはできるだろうけどさ、僕たちにはちょっと……」
リュカはそう言いながら、途切れた地面の端に立って下を覗き込んでみた。洞窟内は岩盤から発せられる独特の明かりで仄かに照らされているが、それとは別に崖の下に何やら明かりが灯っているのが見えた。揺らめく明かりは岩盤の自然な明かりとは違う。
「何だろう、あれ。誰かいるのかな」
「魔物かも知れないわ、お父さん。気をつけて」
「でも魔物だったら明かりなんて必要なさそうだよね。サーラさんみたいに暗いところでも目が効くんでしょ?」
「気になりますねぇ……じゃあ行ってみましょう!」
「行ってみるって、どこから行くんですか」
リュカが問いかけると、プサンは崖の端に立ち、大きく息を吸い込む。
「みなさん、私の後について来てくださいぃぃ~」
話す途中から、プサンは崖を走って下り始めた。信じられない彼の行動に、リュカたちは皆揃って口をあんぐりと開けた。あっという間に見えなくなったプサンを、サーラが目を細めて追いかける。
「ほとんど落ちていますが……大丈夫なのでしょうか」
「がう……」
「天空人って、信じられないほど頑丈なのかも知れない……」
リュカの言葉の途中で、崖の下から「ぎゃあ!」という叫び声が聞こえた。そして何も音がしなくなった。しばらく待ってみたが、下からプサンが呼びかけてくることはない。
「さすがにマズイ気がする……」
「私が一人ずつ崖の下に下ろしましょう。ああ、王子と王女ならば二人一緒にお連れできそうです」
「プサンさん、早く助けに行かなきゃ!」
「サーラさん、私は背中に乗せてもらってもいいかな……?」
サーラがまずティミーとポピーを下まで運び、その間にプックルは崖を器用に駆け下りて行った。スラりんとスラぼうも崖に体をへばりつかせるようにして一緒に下り、ベホズンは崖の岩盤に弾むようにして下りていく。リュカは双子を無事に下に下ろしたサーラが戻ってくると、その手につかまって下へと下りていった。
「リュカさん、こんなところに洞穴があったんですよ。いやぁ、びっくりですねぇ」
高い崖の上からほぼ落ちたに等しい下り方をしても、プサンはやはり体に異状を来していなかった。ティミーがすぐに呪文で怪我を治した可能性もあるが、それにしても服に泥汚れがあるわけでもなく、真っ先に割れてしまいそうな黒縁眼鏡も傷がついたりひび割れたりすることもない。プサン自身は少々乱れた髪を手で軽く整えただけのようだった。
「あの、プサンさん、身体は大丈夫なんです……よね?」
「え? ええ、そのようです。天空人ってとっても丈夫なんですよ」
「そう言えば天空の塔で会ったおじいさんには大きな白い翼が生えていたけど、プサンさんにはないんだね。服の中に隠れてるの?」
ティミーがプサンの背後に回り込みながらそう言うと、プサンはいかにも残念そうに肩を落として溜め息をつく。
「それがですね、私が人間界を色々と見て回っていると、悪い魔物が現れて私の自慢の翼を取っちゃったんですよ! ひどいと思いません?」
「ええっ? 翼を取られたって……痛くなかったの?」
「痛かったですよ~。でも私は天空人なので、これくらいで死んだりはしません! いつか魔物に奪われた翼を取り返してやる!って、思ってますよ。……ところで、この洞穴、気になりますよね? 入ってみます?」
リュカにはプサンが翼を奪われて苦しがっている様子が想像できなかった。たとえ翼を魔物に奪われたとしても、『ああっ、痛いじゃないですか! なんてことをするんですかっ!』と、言葉だけで痛がっていたのではないかと思えるほど、プサンに苦痛の表情は似合わない。第一、今彼が身につけている白いシャツからどうやって翼を出していたのかと首を傾げたくなる。プサンを見れば見るほど、疑問が溢れてくるのはどうしようもなかった。
しかしリュカは、とりあえず目の前のことに集中することにした。プサンが指し示す通り、崖の一部に大きな黒い穴がぽっかりと開いている。洞穴の入口には二つの燭台が壁に取り付けられており、その内の一つの燭台に小さな明かりが灯っていた。洞穴は奥深く続いているようで、中を窺い知ることはできない。しかし洞穴の中に魔物がいるような気配は感じられなかった。
リュカを先頭に一行は洞穴の中に入って行った。ベホズンがやっと通れるくらいの通路を抜けると、大きな空洞に出たようだった。洞穴の中にも火の明かりが灯り、大きな洞穴の中央付近に机が置かれ、その机に一人の老人が本を広げていた。老人がリュカたちに気づかないわけはないが、洞穴の中に入ってきたリュカたちに目を向けもしない。リュカは老人の様子を窺うようにゆっくりと近づき、「あの、ここで何をしているんですか」と率直に問いかける。リュカの声にようやく老人はゆっくりと本から顔を上げた。
「お主は奴隷か囚人か?」
その言葉にリュカは一瞬息を呑んだ。暗い明りの中で老人をよく見てみると、その言葉に相応しいとも言える、ただの布切れを身につけたようなみすぼらしい格好をしていた。白い髪の毛も伸び放題で、邪魔になる分は石か何かで切って短くしているのだろう。手足も顔も何もかも、泥や垢にまみれており、生きているのがやっとと思えるほどの細さだ。しかしそれほどの汚らしい格好をしているにも関わらず、老人が悪臭を放っていることはない。
「僕たちは旅をしています。この洞窟を抜けたところに、湖に沈んだ天空城があるはずなんです」
リュカは老人に話しながら、目の前の人間は洞窟の中にいたあの神父と同じなのかも知れないと感じていた。老人の実体は既にこの世に存在していないのかも知れない。しかし彼の強い思いがこの世に残り、実体をこの世に留まらせている可能性が高い。
リュカの言葉を聞き、老人は少し驚いたように小さな目を開いてリュカを見た。そして机の上に開きっぱなしになっている本に目を落とす。リュカもその本を覗き込んでみたが、何やらびっしりと小さな文字が書かれている本で、暗がりの中で読むには難しい。
「この遺跡はかつてミルドラースが神に近づくために建てた神殿か……。あるいは神が心正しき者を導くために残した神殿か……多くの学者がワシのような者を使って発掘を続けさせたものだが……本当のところは誰にも分からんかった」
老人はこの場所を神殿と呼んでいるが、リュカには広い採石場にしか見えなかった。あちこちに石を運ぶためのトロッコがあり、レールも複雑にあちこちに伸びている。ここで働かされていたであろう目の前の老人は、もしかしたらこの採石場とは違う場所を知っているのかも知れない。
「神様に近づくのに、こんなに深いところに神殿を作るなんて、変だよ。どうしてお日様の当たるところに堂々と作らないの? 地下に潜っちゃうなんて、神様とは反対に向かってる感じだもん」
「でも神様が心正しき者を導くためにって言うのも、ちょっと分かる気がするわ。だって、この先には天空城があるはずなんだもの。天空城へ導くために作られた神殿と言うのなら、そういうこともあるかも知れない」
リュカは子供たちの言うことに、それぞれ心の中で頷いていた。神に近づくために神殿を建てるのは、人間が昔から行ってきた行動の一つだ。神に近づくために神殿を建てること自体は不思議な事ではないが、ティミーの言う通り、神殿を建てる場所にしてはあまりにも不自然だった。これほど地下深くに神殿を建造するなど、むしろ神の目を避ける目的でもあったのではないかと思えるほどだ。
湖には天空城が沈んでいる。リュカに分かるのはその事実だけで、果たして天空城がいつ湖に沈んでしまったのかは分からない。十年か二十年か、百年か、千年か。湖に沈んでしまった天空城に導くための神殿がいつ作られたのかも謎で、結局は何も分からないというのが現状だ。
「おじいさん、ところでその『ミルドラース』というのは誰ですか? それは人間なんですか?」
神に近づきたいと考える人間は世界を見渡しても数えきれないほどいるだろう。しかしその中のほとんどの人間は、町や村にある教会に出向き、祈りを捧げることで神に近づくことを実感しているはずだ。そして彼らの多くは、慎ましやかにその行為だけで満ち足りているはずだった。
それをあえて神に近づくための神殿を、しかもこのような地下深くに建てると言うのはただ事ではない。リュカにはそのミルドラースという者が一人の人間なのだろうかという疑問が、素直に頭に浮かんできたのだった。
「リュカさん、きっとこの方には分からないことでしょう。この方はただ、ここで働かされていた……いつの世でも細かい話と言うのは皆に行きわたらないものです。そうして様々な話が伝承という形で残って行くのです」
プサンが話しかけているとは思えないような言葉だとリュカは思った。プサンはどこか落ち着きなく口髭を指先で整えたりしているが、黒縁眼鏡の奥の目は鋭く老人が机に開いている本に落とされていた。リュカも再びその本に目を向けるが、やはり暗がりの中で細かい字を読むことはできない。
「……あるいは真実を探る勇気が足りなかったのかも知れんがな」
老人はぽつりとそう呟くと、ほんのページを指先でめくった。本をめくる音もしなければ、老人が手を動かした気配も感じられない。リュカはやはり目の前の老人が既にこの世を旅立っている人間なのだと、心の中で確信した。
「シンジツを探るのにどうして勇気が必要なの? 本当のことを知るのって、そんなに勇気が必要なことなのかなぁ」
「それにしても学者さまって自分で調べないで、人を使って発掘させるの? そんなの……なんか違う……!」
ティミーが首を傾げる横で、ポピーは痛ましい老人の姿を見ながら悔しそうにそう吐き捨てた。老人の姿はボロボロの姿だ。この発掘現場で労働にこき使われ、恐らく働き過ぎのためにこの場所で命を落としたに違いない。老人がどのような経緯でこの場所で働くことになったのかは分からないが、決してこの場所でこのような形で命を落とすことを望んだものは一人もいなかっただろう。
リュカは同じような場所にいた自分のことを振り返る。場所としてはこことは真逆のような、高い高い山の上。リュカも機会に恵まれなければ、この老人と同じようにあの高い山の頂上で、誰にも知られることなく死んでいたかも知れないのだ。決して他人事ではない老人の小さな目を、リュカは今一度見つめた。老人もまるでリュカの半生を知るかのように、労わりの気持ちさえ感じるような視線をリュカに向ける。
「おじいさん、もう大丈夫ですよ。ゆっくり休んでください」
「ワシはおじいさん……なのか。そうか、おじいさんか。ならば少し、ゆっくりと休ませてもらうとしよう」
老人は全く音を立てずにその場に立ち上がると、細い骨のような足で洞穴の隅へと歩いて行き、何もない地面の上でごろりと横になった。ここで発掘作業をさせられている時には、いつもそうして休んでいたのだろう。背中を丸めて横になった老人は、そのまま洞穴の暗闇に紛れるように、地面に溶け込むように、姿を消してしまった。
「おじいさんが安らかに眠れるように、祈りましょう」
プサンは神妙な顔つきでそう言うと、眉間にシワを寄せたまま頭を軽く下げた。一般的には両手を合わせて祈りを捧げる形式が多いが、プサンはまるで老人に謝るように長い間頭を下げ続けた。その隣でリュカは両手を合わせ、双子の子供たちも両手を合わせて祈る。老人がしっかりと旅立てたかどうかなど、生きているリュカたちには分からないことだが、老人が安らかな眠りに就くことを願うことが生きている者に出来る精一杯のことだ。
「さて、行きましょうか。私たちは進まなくてはなりません」
プサンが明るくも意思の強い声を上げると、リュカたちは皆で静かに洞穴を後にした。



「この服どうです? 二十年前の最新ファッションを私なりにアレンジしたんですよ」
プサンはまるで町や村の中を歩いているような気軽さでリュカたちに話しかけてくる。彼が話すと、思わずここが洞窟の中で、魔物もいることを忘れそうになる。リュカは調子を崩されながらも、彼と話すことを心のどこかで楽しんでいた。
「でもプサンさんも背中に翼が生えていたんだよね。翼がなくなってから、そんなヘンテコな格好をし始めたの?」
ティミーの容赦のない失礼な言動を気にする風もなく、プサンは過去の記憶をたどるように視線を巡らせる。
「翼がある時はそれっぽい格好をしていましたよ。でも人間の世界にお邪魔していたものでね、せっかくですから人間の格好を楽しんでいたんですよ」
「二十年前はそんな格好がはやっていたのね……」
「プサンさん、トロッコに二十年乗り続けていたって言ってましたけど、その前は人間の世界にいたんですか?」
リュカはそう問いかけながら、決してそれは珍しいことではないのかも知れないと思っていた。グランバニアにも一人、父パパスが助けて世話をしていた天空人がいる。もしかしたら天空城が湖に沈んでしまう前に、天空城から脱出して人間界に下りてきた天空人が他にもいるのかも知れないと考えたのだ。
「人間と言うのは天空人に比べて非常に寿命が短いものですが、それだけにその時を必死に生きています。そういう所に私、憧れましてね。人間っていいなぁなんて思って、しばらくの間人間の世界を歩き回っていたんですよ」
プサンの言うしばらくの間と言う期間がどれほどのものを指すのかは分からない。もし人間では及びもつかないほどの期間、人間界にいたとすれば、プサンはどれだけの人間を見てきたのだろうかと想像もつかない。
「天空人と肩を並べて長命なのが、あなた方魔物ですね。魔物は種類によっても寿命が異なるでしょうが、人間よりは長生きしているでしょう」
プサンが話しかけたのは、リュカのすぐ後ろを歩いているサーラだった。サーラは洞窟内に微かに蹄の音をさせながら、筋骨隆々とした両腕を前に組みながら歩いている。プサンの言葉に、サーラは彼からの視線を避けるようにして小声で答える。
「私は天空人がどれほど長生きするのかを知りません。ですから天空人と魔物と、どちらが長命なのかは分かりかねます……」
リュカは魔物の仲間たちと行動を共にしているが、彼らがどれほどの期間生きるのかを知らない。プックルとは子供の頃にまだ互いに子供として出会い、リュカが大人になった時にはプックルも大人になっていたが、それでもプックルが人間と同じ程度の寿命なのかそうでないか、リュカは知らない。スラりんやスラぼう、ベホズンに至っては果たして寿命があるのかどうかも疑わしい。
「プサンさんって、どれくらい生きてるんですか?」
リュカがふとそう聞くと、プサンは黒縁眼鏡を指先でつまんでかけ直し、リュカに鋭い視線を投げる。
「ぱっと見、若くてかっこいいナイスガイと思うでしょうが、実はあなたの千倍生きてるんです」
プサンの言う千倍という言葉に、リュカは思わず返事ができなかった。リュカの漠然とした想像では、一人の天空人が生きられるのは二、三百年ほどだった。しかしリュカの千倍となると、軽く二千年ほどは生き続けていることになる。二千年前に人間界で何が起こったのかなど、恐らく今の人間たちは誰一人知らないだろう。遥か昔から歴史は紡がれ、人間もその時から存在していたのかも知れないが、それほど昔の歴史を人間は残してはいない。大昔となれば人間界には文字の存在も危うく、歴史を残すことも難しかったに違いない。
リュカが驚きの表情で固まっていると、プサンはどこかいたずらっぽい表情でリュカを見た。
「冗談だろうって? ふふふっ。そう思うなら、そうなんでしょう」
「なーんだ、冗談かぁ。そうだよね~、さすがに天空人でも千年なんて生きられないよね」
「千年って、すごい年月……。私たちなんてまだ八年しか生きてないんだもの。千年生きるって考えたら、あと九百九十二年……気が遠くなっちゃう」
人間にとって千年と言う年月は途方もないものだ。いくら想像したところで、千年の間生き続けるということを心の底から感じることはできない。
リュカはプサンが決して冗談を言っているのではないと思った。二十年の間トロッコに乗り続けられるのも、プサンが天空人として千年は悠に生きているからなのだろう。リュカたち人間とはまるで時間の感覚が違うのだ。そしてその間に見聞きすることも人間の数倍、数百倍はあるため、経験値が段違いに多い。常に余裕の表情で、どこか飄々としているプサンを見ると、たとえ背中に翼がなくとも、彼が天空人であることには納得させられた。
プサンの案内で洞窟内を進むと、今までと比べても更に広い空洞に出た。そしてその大空洞にはトロッコのレールがあちこちに伸びており、ここが最も広い採石場だったことが窺える。
「さて、どうしますか。トロッコに乗りますか? それとも地道に歩いて行きます?」
「えー、歩いて行くなんてつまらないよ。トロッコに乗って行った方が早いしさ、楽しいしさ、そうしようよ~」
「……うん、私もそう思う。いや、その、楽しいってわけじゃなくって、トロッコを使った方が早く進めるでしょう?」
「ただレールがとても複雑に絡み合っていますね。切り替えのレバーもここからは少なくとも三つ見えますぞ」
リュカたちが大空洞の一角で話し合いをしていると、洞窟の奥から魔物の気配を感じた。この洞窟の中で対峙したことのある恐竜の魔物サウルスロードが二体、リュカたちに向かって突進してくるのが見えた。仲間たちを疲弊させないためにも、リュカは手近にあるトロッコに乗るよう皆に言い、乗り込むや否やリュカとティミーでトロッコを進め始めた。サウルスロードは急に方向転換できず、そのまま反対側の洞窟の暗がりに突っ込んでいってしまった。
「そうだよ、魔物から逃げるのにも使えるんだもん。やっぱりここでもトロッコを使って行くしかないよね!」
ティミーはご機嫌な様子でトロッコの中の踏み板をテンポ良く踏み続け、トロッコが下り坂に差しかかり速度が上がると、踏み板から足を外して完全にトロッコを楽しんでいた。ポピーもティミーほどではないが、トロッコと言う乗り物を楽しみ、笑顔で風を浴びている。気づけばリュカはティミーとではなく、プサンと一緒にトロッコの踏み板を交互に踏む役目を負っていた。
「ほほう、この箱の下にこんな板があるとは知りませんでしたね。私が二十年乗っていたあのトロッコにもこんな踏み板があったのでしょうか」
「えっ? 知らずに乗っていたんですか?」
「ええ。私が乗ったらすぐに動き出してしまったもので、そういうものだと思っていたんですよ」
「でも勝手に動き出して止まらないんだったら、どうにか止めようとは思わなかったんですか?」
「いつかは止まるかなぁと思っていたんですがね。いやぁ、リュカさんたちに止めてもらわないと、私、あと数十年はあそこでぐるぐるしていたかも知れませんねぇ」
プサンが笑いながらそう言うのを見ると、もしかしたら彼自身もティミーやポピーと同じように、初めの内はトロッコに乗ることを楽しんでいたのかも知れないとリュカは思った。プサンならばどのような状況になっても楽しんでしまいそうだと、リュカは彼が現実世界に生きていないかのような感じを受けていた。
「リュカ王、もうすぐトロッコを止めないと。ほら、終わりみたいだよ」
スラぼうがトロッコの縁に乗りながらそう言うのを聞いて、リュカはプサンと交互に踏み続けていた踏み板の速度を緩め、徐々にトロッコを止めていく。しかしトロッコの終着点には魔物の群れが待ち構えていた。
「がうがうっ!」
プックルとしては速度の落ちたトロッコに乗って移動するよりも自分の足で進むのが速いと、いち早くトロッコから飛び降りると、一目散に魔物の群れへと突っ込んでいった。待ち構えていたはずの竜戦士の群れは、突然トロッコから飛び出してきたキラーパンサーに飛びかかられ、面食らったまま盾で攻撃を弾いた。宙に弾かれたプックルはそのまま宙がえりをすると、別の竜戦士の顔に思い切り噛みついた。他の竜戦士の刃が向かってくると、再び宙に飛び上がり、今度は刃を向けてきた竜戦士の兜を前足で弾き飛ばす。プックルだけですべての敵を倒してしまいそうな勢いだったが、リュカたちもすぐに参戦した。
スラりんとスラぼうがルカナンの呪文を使い、竜戦士らの鎧盾の強度を極端に弱めると、もうリュカたちの相手にはならなかった。ティミーがスクルトの呪文でリュカたちの体の周りに守護の鎧を着せ、プックルは一層激しく竜戦士に向かい、リュカも剣を振るう。ベホズンは大きな体で体当たりをして竜戦士らの盾や鎧を粉砕しながらのしかかり、サーラは宙から飛びかかって拳で殴りかかったり蹄で蹴り飛ばしたりした。ポピーは戦況を見ながら、リュカたちに不意に近づいてくる敵がいれば、マグマの杖の杖頭からマグマを吹き飛ばし、敵を牽制した。その間、プサンは一人、トロッコに乗ったまま、「行けー! がんばれー! そこだー!」などと、思わず気の抜けるような声で戦闘を応援していた。
竜戦士は合計で十五体おり、それらすべての魔物を倒すころには、リュカたちもさすがに息が上がっていた。その状態でトロッコを見やると、プサンがホッとした様子でトロッコの木枠から顔だけを出してリュカたちを見ていた。
「いやぁ、あなたがたはとても強いですね。あれだけの魔物をやっつけちゃうなんて。御見それしました」
感心したように言うプサンだが、どこか空々しい感じがするとリュカは思った。サーラも同じように感じていたようで、プサンに疑わしい目を向けている。
「私はてっきりプサン殿は呪文の使い手かと思っていたのですが」
サーラがどこか責めるような口調でそう言うと、プサンは申し訳なさそうに笑いながら答える。
「呪文なんて、そんな大それた力はないですよ。私は見た通り、とても戦いには向いていない天空人ですから」
「この洞窟って魔物がたくさんいるのに、プサンさんはどうやって生きてきたの? 二十年もトロッコに乗ってて、魔物には襲われなかったの?」
ティミーがプサンと出会った先ほどのことを思い出し、率直にそう問いかける。リュカたちがプサンと出会った時、彼は延々と回り続けるトロッコの中で助けを求めていた。本人曰く、二十年もの間同じようにトロッコに乗り続けていたらしいが、いくら天空人が長寿とは言えあまりにも不自然だとリュカは思っていた。洞窟内に潜む魔物も、トロッコでぐるぐると騒がしく回り続けている人間を見れば、必然的に襲いかかるものだろう。しかし彼は魔物に襲われることもなく、無事に過ごしてきているのだ。
「私、運だけは人並み以上に良いんでしょうねぇ。いえ、魔物もね、何度か私に襲いかかってきたんですよ。でも、なんて言うか、こう、ひょいって避けてみたり、私が必死になってトロッコの中にあった石を投げている内に、『あんなオジサン襲ってもつまらない』ってなったんじゃないですかねぇ。いやあ、私、おじさんで良かったかも」
そういってへらへらと笑うプサンを見て、リュカは心の中で少しだけ納得した。運が良くて生き延びる人間も世の中にはいるのだろう。リュカ自身、今までの人生を振り返れば、どこで命を失ってもおかしくはなかった。幼い頃のレヌール城への冒険でも、妖精の村での冒険でも、一歩間違えれば力のない子供故にあっという間に命を落としていたかも知れない。ラインハットでは父の後を追いかけてプックルと東の遺跡に向かったが、あの時生き延びられたのはほとんど奇跡だ。プサンと言う天空人には、リュカが持ち合わせるよりもよほど強い運がついているのだろうと、リュカはもうよく分からないことは考えないようにしようと心の中で決めた。
あちらこちらにトロッコがある場所で、プサンが迷いながらも乗るトロッコを選び、リュカたちは洞窟の中を奥へと進んだ。リュカはてっきりプサンは洞窟内をくまなく知り尽くしているのだろうと思っていたが、プサンが導くトロッコで行き先が合っていたのは四割ほどだった。間違える度に再びトロッコで元の場所まで戻り、今度は違うトロッコに乗り換えてみたり、途中のレバーを切り替えてみたりと、普通の洞窟探索とさほど変わらない状況で一行は進んだ。
大きな空洞を抜けた先にも、レールが伸び、トロッコが一台、その上に乗っていた。しかしレールの端を見れば、見慣れない黒く大きな鉄の塊のようなものが置かれている。それはただの塊ではなく、人間の手で造られた何かだということは分かった。
「お父さん、あれって何だろう。見に行ってみようよ」
ティミーが走り出そうとした時、リュカは唐突に現れた不穏な空気に、ティミーを慌てて呼び止めた。その直後、ティミーが向かおうとしていた場所に、洞窟の天井から魔物らが降り立った。蝙蝠のような翼を広げているが、蝙蝠と呼べるほどかわいいものではない。その姿はサーラよりも大きく、全身が紫色に染まり、悪魔としての風格漂う魔物が六体出現した。洞窟内を探索するリュカたちを天井近くからずっと見下ろしていたのだろう。悪魔の姿をした魔物イズライールは六体でリュカたちを囲み、読み取れない表情を向けている。
「ここに人間がやって来るとはどれくらいぶりだろうか」
この洞窟内に潜む魔物らは洞窟が封印されてから以後、ずっとこの場に留まり、生き続けていたのだろう。その生命力は人間の及ぶところではないが、天空人であるプサンには通じるものがあるののだろう。ただ洞窟内に棲む魔物の数は昔よりも大幅に減っているのは間違いなく、そのおかげでリュカたちは洞窟探索をここまでそれほどの困難もなく進めてこられた。
「洞窟の封印を解いた。湖に沈む天空城を目指すために、僕らはこの先に進まなくちゃならない。だからそこをどいてくれるかな」
「湖に落ちた城などに行ってどうする。城にいた全ての者は既に朽ち果てているだろう」
イズライールはそう言うと、容赦なくリュカたちに火炎の息を吐いてきた。暗い洞窟内が明るく輝き、辺りに熱が充満する。リュカたちは退くなり飛び退くなりして火炎の息を避けたが、六体のイズライールは示し合わせるようにリュカたちを取り囲み、一体のイズライールの指示に合わせて一度に火炎の息を吐き出す。サーラが咄嗟の判断でティミーとポピーを抱えて中空に飛び上がり、ベホズンが身体を張って炎を受け、その反対側ではリュカがバギマの呪文で迫る炎を散らした。プックルの赤いたてがみがこげついたが、プックル自身が地面に転がり、すぐに火を消した。
「そんなの、まだ分からない。天空人はとても長生きだし、きっと僕たち人間よりもよっぽど強い。行って、この目で確かめないことには、今更戻るわけには行かない」
リュカはそう言うと、再びバギマの呪文を唱えた。イズライールらは六体共に空中に浮かび上がっているため、剣での攻撃が届かないのだ。真空の刃がイズライールらの体や翼を切り裂く。呪文での攻撃は確実に敵に効果があった。
しかし一体のイズライールが素早く呪文を唱えると、真空の刃に傷つけられていた魔物の身体はみるみる回復してしまった。それも複数の魔物の傷があっという間に塞がる状況を見て、ベホズンが怒ったようにその場でドシンと跳ねた。リュカもすぐに敵の唱えた呪文がメッキーも使えるベホマラーという回復呪文だということが分かった。
「リュカさん、あっちからも魔物の群れが!」
プサンが怯えるような声を出しながら、リュカたちが通ってきた洞窟の道を指差す。後戻りはさせないと言わんばかりに、他に四体のイズライールが新たに姿を現した。
「お父さん、どうしよう!」
すっかり周りを取り囲まれている状況に、ティミーがどこに集中したらいいのかが分からないように父に頼る。下手に敵に狙われないようにと、サーラは一度双子を抱えて下に下りていた。広い洞窟内で魔物の群れに円形に取り囲まれている中、リュカはティミーとポピーに話しかける。
「二人とも、絶対に外に飛び出すな。僕の後ろから呪文で援護して」
「は、はいっ!」
「わ、わかったわ!」
二人の素直な返事を聞いて安心すると、リュカはすぐ隣にいるサーラに一言告げる。
「サーラさん、敵を倒します」
「話し合いの余地はないのですね?」
「はい。僕たちはプサンさんを連れて進まなくちゃならない」
プサンが天空人と言う事実を、リュカは全て信じているわけではない。プサンと言う一人の男性を見ていると、どこからどう見ても普通の人間にしか見えないのだ。戦う術も持たず、呪文を使えるわけでもないプサンが天空人と言う証拠はどこにもない。しかしリュカはプサンがどこか人間とは違う絶対的な雰囲気を持っていることも感じていた。今も黒縁眼鏡の奥に光るプサンの瞳は、不思議な琥珀色に揺らめきながら魔物の群れを見上げているのだ。
「リュカさん、皆さん、お願いしますよっ!」
まるで神頼みするように手を合わせるプサンの姿は、どこか現実的ではなかった。リュカたちのことをさほど心配していない様子に見えるのだ。必死に見えるその表情の中には、どこか未来を達観している空気があった。
イズライールらは魔物の中でも知能に長け、個々に攻撃を仕掛けてくることがなかった。一体の指示があれば、皆がそれに従う。指示に従って噴き出される十体の火炎の息は凄まじく、一瞬にして仲間たちが焼けつくされそうな熱が辺りに充満した。リュカがバギマの呪文で、ポピーがヒャダルコの呪文で炎の熱の威力をどうにか押しとどめる。炎の熱に火傷を負うスラりんとスラぼうをティミーがベホイミで回復させる。
プックルがベホズンの大きな体の弾力を利用して、空中に浮かぶイズライールに飛びかかる。空中に突進するプックルは一体のイズライールに両前足で思い切り蹴り上げ、攻撃を食らった敵はたまらず地に落ちた。プックルも追うように落ちると、地に落ちた敵の上に乗り、首元に思い切り噛みついた。喉に噛みつかれ、呪文を唱えることもできないイズライールは必死になってプックルの腹を蹴る。しかししぶとく首から離れないプックルの攻撃に負け、その場で一体のイズライールはそのまま地面の上で動かなくなった。
「プックル、大丈夫か」
呻くプックルにリュカがすかさず回復呪文を唱える。プックルの腹部は敵の蹴りによって、内部に損傷を受けていた。リュカのベホイミでその傷が静かに癒える。
直後、リュカたちの頭上から再び敵の群れの火炎の息が吹きつけられる。リュカとポピーの呪文で凌ぐのにも限界がある。敵の数を減らさなければ、リュカたちの魔力が徐々に減らされるだけだ。
風と氷のベールで仲間たちを炎の熱から守る中、サーラが正面に見える範囲の敵六体に対し、両手から禍々しい呪文を放った。暗黒の渦を手の平から生み出し、味方であるリュカでも悪寒を覚えるその黒い渦をリュカは見たことがあった。その暗黒に触れれば、途端に命の危険を感じることをリュカは身をもって知っている。サーラが放ったザラキの呪文が、六体のイズライールにねっとりとした黒煙のようにまとわりつく。黒煙の中で魔物らが叫び声を上げる。死に対してあがき、負けた者は消え去り、勝った者は呆然としながらも宙に留まり続けた。サーラのザラキの呪文は四体のイズライールらの息の根を止めた。ぼとぼとと四体の敵が地面に落ちた。
残り六体になったイズライールに向かって、リュカは防戦一方の形勢を変えるべく、先手を打つようにバギマの呪文を放った。父の呪文に乗せて、ポピーもヒャダルコの呪文を唱える。無数の氷の槍が真空の刃の中で威力を増し、宙に浮かぶ敵の翼を大きく傷つけた。翼の動きが鈍り、中空でよろめく敵を見て、ティミーとプックルがベホズンの体の弾力を使って飛び上がる。ティミーはイズライール一体の片方の翼を剣で切り落とし、プックルは勢いのまま前足でイズライールに蹴りかかった。二体の敵が地面に落ちたところを、リュカとベホズンですかさず追い打ちをかけ、洞窟の地面にねじ伏せた。
残りは四体だとリュカが中空を見上げると、既に眼前に敵の吐き出す炎が迫っていた。咄嗟にマントを前に出し、炎を避けたつもりだったが、濃紫色のマントは炎の熱に負け、一気に燃え上がる。ポピーの悲鳴が上がり、ティミーが父に向かって走り出す。しかしすぐ傍にいたベホズンが大きな緑色の身体でリュカの身体を丸ごと包み、リュカの身体を焼き尽くしそうになった炎を消し去った。
残る四体のイズライールの攻撃は切羽詰まったもので、威力を増していた。絶え間なく炎が吐き出され、リュカたちはそれらを躱すのに精いっぱいだ。洞窟の中に炎の熱が充満し、息苦しくなる。そしていつの間にか、イズライールは再び数を増やしていた。十体の敵がリュカたちを取り囲み、強烈な炎の攻撃を連続してしかけてくる。サーラが死の呪文を唱え、今度は三体の敵が呪文にかかり、悲鳴を上げることも叶わず地に落ちていく。敵の集団は互いに対して情を抱くこともなく、地に落ちた仲間を目で追うこともない。互いが互いを戦闘用の道具のように見なしているのが分かる。
「リュカさーん! こっちです、こっち!」
灼熱の中で戦うリュカたちの元に、場違いな明るい男の声が届く。見ればプサンがかなり離れたところから大きく手を振ってリュカを呼んでいる。いつの間にそれほど遠くへ行ってしまったのかと、リュカはプサンの身を案じながらも、敵の吐き出す炎の攻撃から抜け出すことができない。プサンがレールの上に乗る黒い鉄の塊のようなものに乗り込むのが目の端に映る。
炎の向こう側からイズライールが滑空して飛びかかってくる。突然、眼前に現れた敵の姿について行けず、リュカはまともに突撃を食らった。すぐ近くにいたティミーも、盾を構える暇もなく、リュカと同じように敵の攻撃を受け地面に転がされる。すぐに立ち上がらなければ、再び中空から炎を浴びせられ、大火傷を負う羽目になる。
「ティミー! 立て!」
リュカの大声にティミーは盾を地面に弾き、跳ねるようにして立ち上がった。ティミーが飛び退いたその場所に、敵が吐き出す火炎が満ちる。敵の群れはまるでこの洞窟全体を燃やしてしまいそうな勢いで、火炎の息を吐いてくる。ポピーが一人、氷の呪文を唱え、敵の火炎の勢いを少しでも鎮める。サーラが死の呪文を唱え、敵の数を減らそうと試みる。確実に数体の敵を死の呪文の餌食にし、イズライールらはその場に倒れるが、彼らはこの空洞内に無数に存在しているのか、次々に数を増やしてくる。戦いを続けるのは不毛だと、誰もが感じていた。
スラりんがスクルトを唱え、スラぼうがルカナンを唱える。敵が中空から飛びかかってくる攻撃に備えると同時に、敵に攻撃する一瞬を好機に変える。燃えさかる炎の中から飛びかかってくる敵の攻撃に呪文の守護で対抗し、近づいてくる敵に剣を振るう好機を逃すまいと、リュカとティミーは背中合わせになり、中空からの攻撃を睨む。
「みんな、プサンさんのところに向かうんだ!」
この状況にもどこか飄々としているプサンのところへ向かうよう、リュカは叫び呼びかけた。長寿の天空人とは言え、プサンはあまりにも戦いに適していない。そんな彼を一人にしておくのは危険極まりないと、リュカは皆と一塊になりながら、一気にプサンが乗る黒い鉄の塊に向かった。しかし前を敵の吐き出す火炎に遮られ、道を塞がれる。ポピーがヒャダルコの呪文で火炎をかき消そうとも、すぐに新たな火炎が生み出され、まるでリュカたちとプサンの間には炎の壁ができているような状況だ。
「ピッキー!」
スラりんがリュカに叫んで知らせる。火炎のこちら側に一台のトロッコがレールの上に置かれていた。そのトロッコに乗れば、プサンのいる場所に近づくのに好都合だろうと、リュカは皆に呼びかけ、トロッコに向かって一気に駆け抜ける。駆けるリュカたちのところへ、敵の吐き出す火炎が迫る。リュカは走りながら真空の刃を生み出し、腕に火傷を負いながらも敵の火炎を散らす。
正面から飛び込んでくる敵にはプックルが体当たりを仕掛け、互いに噛みつき、地面に転げながらもプックルは敵を振り払い、リュカを追いかける。プックルと同じく、ティミーも飛びかかってくる敵を倒すのではなく、逃げ切るために剣を振るう。
体力的にどうしても遅れそうになる双子を、サーラが中空から攫った。サーラが両脇に抱えるティミーとポピーがそれぞれに呪文を唱える。ティミーのスクルトで更に守備を強化した仲間たちが、敵の直接攻撃を恐れずにトロッコに向かってひたすら駆ける。敵の吐き出す炎の威力を弱めようと、ポピーが必死になってヒャダルコの呪文を唱え続ける。これほど呪文を唱え続けたことのないポピーは、急激な魔力の消耗について行けず、目の前がぼんやりと霞がかるのを感じていた。
プックルが宙に飛び上がり、トロッコに飛び乗る。サーラが双子をトロッコの中に下ろす。スラりんとスラぼうがベホズンの大きな体を利用して、弾むようにトロッコに乗り込む。リュカもトロッコの木枠に手をかけて勢いよく飛び込むと、ティミーと共にトロッコの中の踏み板を踏み込んだ。
加速するまでに時間のかかるトロッコに、イズライールの群れが一気に火炎の息を浴びせてくる。ポピーが魔力の限界を感じながらも、ヒャダルコの呪文を唱える。サーラが敵の数を減らそうと、容赦なく死の呪文を唱える。リュカもバギマの呪文を唱え、敵の炎を切り裂き散らす。
突然、トロッコががくんと揺れ、一気に加速した。トロッコの後ろから、まだ乗り込んでいないベホズンが体当たりをしたのだ。速度を増したトロッコに、ベホズンが地面に大きく弾み、宙に飛び上がって乗り込むと同時に、トロッコは急な下り坂を猛烈な勢いで下り始めた。
リュカは風を切って進むトロッコが、今度は急激な上り坂に向かっているのを見た。あの上り坂をトロッコで上りきることなどできるのだろうかと、リュカだけではなく皆がそう感じるほどの上り坂だ。
「うわー! なんでしょうか、コレ!? 動きましたよ! 動いちゃいましたよ!」
プサンの悲鳴に近い声に、リュカはトロッコから振り落とされないようにしっかりと木枠を掴みながら彼を見やる。プサンが乗り込んでいた黒い鉄の塊が、レールの上をゆっくりと進み始めていた。トロッコとは全く異なるその乗り物は、動力を魔力に頼っているのか、非常に滑らかにレールの上を走っている。そして徐々に加速し、リュカたちが乗るトロッコに後ろから追いついてくる勢いで迫る。
プサンの乗り込む黒い鉄の塊が、リュカたちの乗るトロッコに激しくぶつかった。あまりの衝撃に木の板で作られているトロッコが破壊されたのではないかと思ったが、トロッコは相変わらず前に進んでいる。レールが上り坂に差しかかっても、速度を落とすことなく、むしろ速度を上げてひたすらレールの上を突っ走って行く。
「プサンさん! 大丈夫ですか!?」
上り坂をみるみる上って行く最中、リュカは後ろの妙な乗り物に乗るプサンを振り向き見た。突然の出来事にすっかり怯えているのではないかと思ったリュカだが、プサンは不思議な琥珀色の目を、あくまでも冷静にリュカたちに向けていた。リュカはその目に出会った瞬間に、この危機を抜け出せるという確信を持った。プサンの目の中に、助かった後の未来が見えた気がした。
魔力によって動く機関車が何故、機会を逸さずに動き出したのかは分からない。しかしその力は恐らく、一見頼りないように見えるこの天空人による働きかけによるものだろう。プサンには魔力を感じることもなく、ましてやリュカたちほどの体力があるようにも見えない。その代わり、彼にはリュカたちが想像することのできない不思議がまとわりついている。
トロッコが上り坂を上りきったところで、後ろから追いついてきた敵の群れが何度目になるか分からない火炎の息を吐き出してきた。トロッコが炎に包まれ、リュカたちは呼吸もままならず、トロッコの中で身をかがめて炎の熱に耐える。ポピーは魔力を切らし、対抗する氷を生み出すことができない。リュカのバギマだけでは迫る炎を追いやることは不可能だ。
上り坂を上りきった後には、まるで垂直に落ちるようなレールが伸びていた。空中に放り出されるような、胃をわしづかみにされて持ち上げられるような吐きそうになる感触の中、リュカたちは必死になってトロッコの中で縮こまった。敵の炎を浴びたトロッコが、まるで炎の弾丸のごとくレールの上を滑り落ちていく。あまりの速さにトロッコにまとわりついていた炎は散り散りになり、下り坂を下りる途中でトロッコは炎から逃げきった。
リュカはトロッコから顔を出そうと試みたが、ひとたび顔を出せば正面からの豪風に耐えられず、すぐにトロッコの中に顔を引っ込める。普段は中空を飛べるサーラも、途中からトロッコに乗り込み、リュカたちと同じように大きな箱の中で屈んでいる。加速を止めないトロッコの速度に、追いつけなくなったようだった。
トロッコから上の景色を見ることはできるが、進む前方の景色を確かめることができない。この勢いで進み続ければ、いずれはどこかにぶつかり、トロッコは大破しかねない。しかしこの状況で前方に壁があることを確認したところで、勢いを増し続けるトロッコを止める手立てはない。
「リュカさん! 大丈夫です! このままひたすら進みますよ!」
その声はやけに鮮明に聞こえた。リュカはトロッコから見上げる景色に、プサンが後ろの黒い鉄の塊から乗り移ってくるのを見た。途轍もない速度で進むトロッコに乗りながら、息も吸えないくらいの豪風を浴びながら、プサンは黒縁眼鏡の奥の琥珀色の瞳を輝かせている。天空人には身体ごと倒されそうな豪風にも負けない特殊な能力があるのだろうかと、リュカは突き進むトロッコの中からプサンを信じられない思いで見つめた。
進み続ける洞窟の中の景色が途中から、がらりと変わった。今までも洞窟内の壁が仄かに光り、辺りを照らすという不思議な空間だったが、今は洞窟内の壁がまるで磨き込まれた大理石のように滑らかで、その岩盤の中からは今までよりも明るい光が放たれていた。トロッコが下り坂を下り続けているということは、洞窟の地下奥深くにひたすら潜り続けているということだ。地底の奥深くにこのような場所があることに、リュカはいよいよ神の城が続いているのかも知れないと、本能的に期待を抱く。
プサンは一人、トロッコの木枠から顔を出し、目を細めてじっと前方を見続けている。トロッコが進むレールは途中で何度かカーブを描き、脱線しかけたこともあったが、プサンの指示によりトロッコ内で皆がレールの内側に移動して体重をかけたため、レールから外れることは免れた。
リュカはプサンの琥珀色の瞳に、今までとは違う光を受けるのを見た。同時にプサンは大声でリュカたちに呼びかけ、自らもトロッコの中に飛び降り、身を潜めた。
「みなさーん! 大きく息を吸ってから、息を止めて下さい! はいっ、さん、にぃ、いち……」
何の前触れもなくされた指示だったが、トロッコの中に身を潜めていたリュカたちは盲目的にプサンの指示に従った。肺の中に空気を満たし、リュカたちが同時に息を止めると、トロッコは水の塊に激突した後、水中に放り出された。トロッコは水の壁に砕け、跡形もなく水中に散らばった。
プックルの黒斑模様の黄色い大きな体が前方にあった。その姿に隠れるように、更に前方にプサンがリュカたちを振り向いて、何かを話しているように見えた。水中の中では音が伝わりにくく、プサンが泡を上げながら何かを伝えているのかは分からないはずだった。しかしリュカは脳内に直接響くようなプサンの声を聞いた気がした。
「見えていますか? もうすぐですよ」
ティミーが隣で泡を上げる。ポピーが苦しそうに口を押える。リュカたちの目の前には、湖の外から見えていた巨大な城が迫っていた。湖に沈む城の中に、空気が存在しているかどうか、普通に考えれば絶望的だった。
しかしリュカは天空人の力を信じた。前を行くプサンにはまるで絶望的な様子がない。そしてリュカたちを手厚く助けることもない。リュカは飄々としながらも、どこか近寄りがたい雰囲気を持つプサンの気軽な調子を信じ、ティミーとポピーを脇に抱えて泳ぎ急いだ。

Comment

  1. ピピン より:

    bibiさん

    ついにミルドラースの名前が…このシリーズも終盤に近付いて来たようで感慨深いです

    プサンは本当に得体が知れないですね…。この小説が初見だったら絶対正体に気付けない自信があります(笑)

    • bibi より:

      ピピン 様

      そうです、ついにミルドラースの名前が出てきました。終盤に近付いているはずなんですが、私はまだまだ終わる気がしません(笑) どうしよう。

      私の場合、プサンは初め、ゲームをプレイしていた時は、全く気が付きませんでした。まさかそんな正体だったとはと、本気で驚いたのを覚えています。DQ4もプレイした後だったので、おおぉお~と身体が震えました。
      こういう繋がりって、ドキドキさせられて、個人的には大好きです。

  2. ケアル より:

    bibi様。

    bibiワールドではプサンも戦闘に加わるかと思っていましたが…やっぱり無理でしたか(笑み)。
    プサンに翼が無い!…ティミー良いこと言いますねぇ。
    言われてみたら「たしかに」ですよ。
    あまり考えてなかったでした。

    イズライール戦、偽大公戦をほうふつさせる火炎死闘でしたね。
    さすがに10匹もいれば、火炎の息が激しい炎になってしまいますよ。

    サーラのザラキ、ようやく見れました。
    ビアンカが使ったのがbibi様の最後の描写になりますかね。
    ザラキ良いですね~スラリンのニフラムと同じぐらい戦闘描写を広げられそうですね。

    リュカ、まだバギクロス覚えていないんですね。
    そろそろ覚えておかないとbibi様の描写…辛くなって来ませんか?

    ポピー、とうとうMP切れをおこしてしまいましたね。
    次回、発熱と悪寒、猛烈な睡魔に襲われますね。
    ポピーまだ上位呪文を覚えるのは早いでしょうか?
    そろそろ中級呪文イオラあたり覚えることできませんか?

    プックルは、あいかわらずカッコいい!
    戦闘描写、いつもプックル光っていますよね。
    bibi様、プックル大好きでしょ?(笑み)。

    さて次回は天空城ですね。
    眠っていた天空人たちとの会話、プサンが慌ててゴールドオーブの所へ…てあたりでしょうか?
    もしかしたら迷いの森まで行けますか?
    今度も楽しみにしています。
    次回もドラクエするぞ!(笑み)

    • bibi より:

      ケアル 様

      いつもコメントをありがとうございます。
      プサン、戦闘に加われば楽しいかなとも思ったんですが、ここは控えてもらいました。というか、本当に戦闘能力はないということで。
      彼はあくまでも今は「普通のおじさん」。でもやっぱり少々特殊なことはしてもらいますけどね。
      偽太后戦、あ、そうか。あの戦いも火を吹かれまくりましたね。あの時もリュカは死にそうになりましたね。ヘンリーに助けてもらったけど。
      サーラにはザラキ連発してもらいました。相手が続々現れるので、追いつきませんでしたが。相手に有効であれば、これほど心強い呪文もないですね。
      リュカにはゆっくりと呪文を覚えてもらっています。まだ呪文の強化に頭が行っていない感じです。確かに、ちょっと描写が辛くなってきた・・・かな?(笑)
      ポピーにもどんどん呪文を覚えて欲しいんですが、なかなかその時間が取れない、と言ったところでしょうか。またグランバニアに戻って、呪文の勉強をしたら、新しい呪文も身につけられるかも知れません。
      プックルは好きです。バレていましたか・・・。稲妻を呼び出すプックルは最高に光っていると思っています。
      天空城も頑張って書き進めて参りたいと思います。
      そろそろ子どもが夏休みに入るので、時間の捻出方法を考えないとなぁと思っております(汗)

  3. ケアル より:

    bibi様。

    すみません…漢字が大公でなく太后でしたね…失礼しました。
    以前にも話たとおり全盲なわけで、音声で認識しながら文章を書いておりまして…。
    正直、あまり漢字の知識がありません。
    今後も間違えた漢字変換をしてしまうかもしれませんが、どうか、ご了承ください。
    もし、このような内容をサイトに掲載するのが嫌ならば、消去して頂いてもいいです…。
    いつも、たいしたことないコメントに返信くれてありがとうございます。
    bibi様の返信をほんとに楽しみにしています。
    bibi様とsnsで会話をしていて楽しいです!

    • bibi より:

      ケアル 様

      漢字の変換ミスなどお気になさらず、どんどん感想をお寄せくださいませ。
      いつもこちらにコメントを残していただけることで、こうしてサイトを続けられていると思っております。大変励みになっておりますので。
      細かいところまできちんと読んでいただいているなぁと、いつも感動しているくらいです。
      私の方が自分で書いた内容を忘れていたりと・・・申し訳ない気持ちになる時も多々あります(笑)
      今後ともどうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m

  4. ピピン より:

    bibiさん

    ここまで書き続けて来れたbibiさんならいずれその時は来るでしょう…!

    確かに順番通りにプレイしてるとそこは興奮するだろうなぁ…!
    自分は5の後だったのでそのは残念でした

    • bibi より:

      ピピン 様

      励ましのお言葉、ありがとうございます! お言葉を胸に刻み、これからもどうにか書き続けて参ります。
      ドラクエは1から9まで、全て順当に見ています。ので、3においても感動ひとしきりでした。
      シリーズで繋がりを見るのも、ドラクエの楽しいところですよね。
      5の後に4をプレイしても、過去を見る感じがして楽しそうです。

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