まだ届かない場所
この世には海と空しかないのではないかと思えるほど、どこを見渡しても青と白の景色が広がっている。時折、空を流れる雲が真横を通り過ぎて行くのを眺める。神々しい城の外には上空の冷気が立ち込め、白い翼を持つ天空人とは違い、この状況で人間は好んで城の外に出たいとは思わない。
「初めはさ、こんなデカイ城で空を飛べるんだから、面白いだろうなって思ってたんだよ」
「うん、分かるよ」
「だけどよ……もうちょっと早く動けねえもんかね」
「これでも頑張ってるんだよ。でも向かい風が強くてなかなか進めないんだって」
「神様がいる城なんだからさ、風なんかに負けてんなよって思わねぇ?」
「でもほら、ぐーすか寝てるでしょ、神様」
「昼寝、長過ぎだろ」
「人間に憧れて人間の世界にいたって言うなら、もうちょっと人間らしく仕事して欲しいよね」
「あ、あの、リュカ王、ヘンリー殿、一応竜神の御前ですぞ。もう少し言葉を控えた方がよろしいかと……」
天空城の玉座の間にて交わされる三人の人間の会話に、玉座の間に控える天空人の兵士が苦笑いしている。
「寝てるから平気だよ、サンチョさん」
「起きてても問題ないよ、サンチョ」
「いえ、問題とかそう言うことではなく、仮にもこの世の神であるマスタードラゴンの御前で床に胡坐をかいて話すのはいかがなものかと思うのですが」
「サンチョだって『仮にも』って言ってるんだから十分失礼だと思うよ」
「つい本音が出ちまったなぁ、サンチョさんも」
「はっ!? いえ、これは本音と言うか本心と言うか、そう言うことではありませんから」
リュカとヘンリーが天空城の玉座の間と言う神聖極まりない場所で、互いに床に胡坐をかいて座り込み寛ぐ傍で、サンチョは建前上でも背筋を伸ばして直立している。三人ともに旅装に身を包み、各々武器も手にしている。
海辺の修道院に姿を現した天空城に乗り込みたいと言い出したのはヘンリーだった。ラインハット城など簡単にまるごとすっぽりと入ってしまうほどの巨大な天空城を目にした時、ヘンリーは当然驚きもしたが、それと同時にこの空飛ぶ城ならば世界のどこまででも行けると考えた。リュカやポピーの操る移動呪文でも世界中を巡ることができるが、ありとあらゆる場所に行けるわけではない。しかしこの天空城ならば、地図上にある場所ならどこへでも飛んで行けるのだ。これほど便利な乗り物もないだろうと、ヘンリーは迷わずこの天空城を使おうと考えたのだ。
それよりも以前から、実はリュカも同じことを考えていた。天空城が空に浮上し、空から見渡す限りない景色を目にした時に、もう自分に越えられない山やないはずだと確信した。それは同時に、世界の中心の高みにも向かうことができるということだった。
ただあの場所に行く強い動機が自分には作れなかった。と言うよりも逃げていただけなのだろうと、今となっては己の本心を知ることができる。義務感よりも恐怖心が勝っていた。あのセントベレスの頂上に無暗に近づいてしまっては、また囚われてしまうのではないかという恐怖がどうしても拭えなかった。
同じ恐怖を感じていたはずのヘンリーだが、彼の中では義務感が勝ったのだろう。恩人を救い出したいという義務感は今やリュカよりもヘンリーの方が強い。あれから既に十年ほどの歳月が流れ、セントベレスの頂上に建設途中だった大神殿がどのような状態になっているのか、リュカもヘンリーも当然知らない。しかしいくら年月が経とうとも、恩人でもあり、妻の兄でもあるヨシュアの顔を見るまでヘンリーが諦めきれない思いを抱いているのを、リュカは痛いほどに理解していた。
諦めきれない思いという意味では、リュカが抱く思いと変わらない。リュカもまた、妻ビアンカを救い出すまで、母マーサと会う時まで、二人を諦めるわけには行かないのだ。その思いは自分のためでもあり、子供たちのためでもあり、周囲の人々のためでもある。諦めるということは、自ら断ち切るということだ。そこまでの非情な潔さを持てないまま、リュカはこれまでの時間を過ごし、これからも思い変わらずそのまま生きて行く。
「マリア殿、心配されていましたね」
「んー? まあね。そんだけ俺のことを愛してくれてるってことだよ」
ふざけて言葉を返すヘンリーにサンチョも合わせて「そうですなぁ」とにこやかに言葉を返す。リュカもその場の柔らかな雰囲気に乗るように、笑う。
数日前に海辺の修道院に降り立った天空城に乗り込んだヘンリーだが、その前に妻マリアと息子コリンズをラインハットへ帰していた。事情を察していたマリアは強い意思を持って天空城で共に西に向かうことを望んでいたが、ヘンリーがそれ以上に強く止めた。そして彼女の足を完全に止めたのは、息子コリンズだった。コリンズは天空城の威容に完全に恐れをなし、近づこうともしなかった。いつも神に祈りを捧げる母を連れ去りに来たのだと、牙を剥いて敵意を示さんばかりの状態のコリンズに、マリアは母として寄り添うことを選んだ。泣き顔を見せながらも母を後ろに庇うようなコリンズの小さな背中に、マリアは自身の立場を嫌でも気づかせられたのだ。兄ヨシュアの妹である前に、コリンズの母であることをマリアは選ばなければならなかった。
そして彼女は夫ヘンリーに託した。彼女に託されずとも、ヘンリーは元よりあの山に向かうつもりでいた。この機会を逃してはならないと、リュカに是非を問うこともなく勝手に天空城に乗り込んだ。
「しかしよ、ティミー君とポピーちゃんがよく大人しくグランバニアに戻ってくれたよな」
「ああ、あんまり大人しくはなかったよ」
「オジロン様にご協力いただいたのです。ただでさえ旅している時には遅れがちなお勉強をしないまま年を越してはならんと、お二人に言い聞かせて頂きました」
「お勉強ねぇ……リュカはそういうお勉強ってしてきたのかよ」
「そう言うのを君が聞くのって、本当に意地が悪いよね」
分かっている癖に敢えてそのようなことを聞いてくるヘンリーに、リュカは呆れたように溜め息をつく。グランバニア王として本来ならば今も国の玉座に就いているはずのリュカだが、国王としての勉強らしい勉強などした覚えはない。唯一、国王が身に着けるべき学問をと机に座らされたのは、王家の証を手にしてグランバニア王になる準備をしていた短い期間のことだろう。あの時、必死に書物に目を通すことができたのは、まだお腹に双子を抱えたビアンカが応援してくれたからだ。彼女がこの国の王妃となり、間もなく子を産もうとしていると思えば、それに報いる努力をしなくてはとリュカはこの時生まれて初めて勉学と言うものに身を入れたのだった。
「ティミーもポピーも、この天空城で移動するのがとてもゆっくりだって知ってるからね。すぐに暇になるって思ったんじゃないかな」
「お二人とも、この数日間でとても楽しい思いもされたようで、夢見も良くなったようですし、坊っちゃんと離れるのもそれほど嫌がりませんでしたね」
サンチョの言葉にリュカも安心したように頷く。あの神の力が封印されていたボブルの塔での死闘以来、ティミーもポピーもリュカの傍を片時も離れないという強い思いを示していた。リュカが今回ヘンリーと共にラインハット訪問や周辺地域への視察の機会を設けたのは、子供たちの心を癒すためでもあった。グランバニアにいる魔物の仲間たちと過ごすのも良いが、二人には人間の子供らしい時間を過ごして欲しいと思うのもまた事実だった。一人は世界を救う勇者、そしてその妹と、小さな子供が背負うにはあまりにも大きすぎる宿命から解放してやるには、同年代の子供であるコリンズと何も考えずに過ごすのが良いとリュカは考え、実行した。
ラインハットの城下町でもオラクルベリーでも海辺の修道院でも、彼らは互いの立場など忘れて元気に遊び回り、心を豊かにしていった。心の傷を完全に癒すことなど不可能だとリュカ自身心得ている。しかし新たな思い出を築いていくことで、傷口を小さくし、痛みを忘れることができることも知っている。そうすることでリュカもまた、こうして生き続けていられるのだ。
「サンチョも城にいてくれて良かったのに。暇でしょ、ここ」
一度グランバニアに戻り、双子の子供たちを城に残そうという話になった際、リュカはサンチョにも城に残るようにと勧めていた。しかし彼はあくまでも護衛役が必要だろうと、半ば無理にリュカについてきたのだった。
「いくら神の住む城とは言え、いつどこで危険に巻き込まれるか分かりませんのでね」
「これ以上安全な場所もないと思うけどな」
そのような軽口を叩きながら、ヘンリー自身もまた腰に剣を佩いている。ラインハットの城を出れば必ず何かしらの武器は持つものだという彼だが、それだけが理由ではないだろうとリュカは自身も持つ父の剣とドラゴンの杖にそう思っている。
リュカがヘンリーと天空城に乗ることを耳にして、グランバニアにいる魔物の仲間たちにも天空城に向かいたがる者がいたがリュカがそれを断っていた。そもそも魔物の仲間たちは天空城という神が住まう城を好んではいない。むしろあまり居心地の良くない場所と捉えている。魔物の本性が神に対する拒絶反応を示すのか、以前共に旅をして天空城に乗っていた魔物の仲間たちもリュカと共に行くことを望む言葉を向けつつも、正直なところ微妙な顔つきをしていた。そこでリュカが一言断りの声をかければ、プックルやピエールでさえもグランバニアでの留守番を選んだのだった。今回は城で大人しく留守番をする双子の面倒を見る仕事もあると、魔物の仲間たちは各々そう考えていた部分もあるだろう。
「うわっ!」
ヘンリーが怯えの声を上げ、引きつる顔を向ける方をリュカも見れば、そこには巨大な玉座の上で身体を丸めているマスタードラゴンが大きな琥珀の目を開いてリュカたちを見ている姿があった。竜神は時折、物珍しそうにリュカとヘンリーを並べて見ることがあった。リュカやヘンリーがその行動を問い質したり気味悪がったりしても、竜神は何も返事をしないまま再び目を閉じてしまう。
ただ一度だけ、竜神の口から洩れた一言があった。『人間とはとかく面白い生き物だな』と言う竜神の大きな琥珀の目はどこか遠くを見ているようだった。リュカとヘンリーを通して一体何を見ているのか、たとえ問いかけ答えを得ても、今の状況が変わることはないのだろうとリュカは特別強く問うこともしなかった。竜神の目がヘンリーの緑色の髪に向いているのを感じた時があったが、人間でも他に類を見ない緑色の髪には竜神でも思わず目が向くのだろうと思うだけだ。髪の色だけで思えば、サラボナのフローラもまた他に類を見ないような鮮やかな青色をしている。竜神が彼女のことを目にすれば、同じような反応をするのだろうかとリュカはぼんやりと考える。
竜神が再び目を閉じると、ヘンリーはほっと息を吐いて愚痴を吐く。
「何なんだよ、気味が悪いな。俺、やっぱりあっちの庭園に戻りたい」
「でもここからが一番外の様子が見えるんだよ。寒くないし」
「それにやはり竜神の傍を離れないのがよろしいかと思いますよ。最も安全でしょう」
「この城の中だったらどこにいたって安全だよ、サンチョさん」
「いや、それはどうかな。このお城、一度魔物の攻撃を受けて湖の底に沈んじゃってるし」
「ははあ、そうでしたね。その後どれほど湖の底にあったのでしょうね。数十年どころではないのでしょうねぇ」
「……城ごと危険じゃねぇかよ」
途轍もなく恐ろしい過去の出来事を淡々と話す親友とその従者に、ヘンリーはグランバニアと言う国の常識を思わず疑った。伊達に勇者を誕生させる国はやはりどこか違うのではないかと、思わず身震いする。
天空城が大きく揺れる。大きな地震があったかのようにぐらりと城が動き、進みたい方角とは異なる方向へと流される。来た道に戻されるかのような強い逆風に、天空城がどうにかその場に持ちこたえようとする。大海を進む大型船が波に揺られるような、胃の腑が上下する感覚に、リュカもヘンリーも胸を抑えて床に大の字になる。
「気持ちわりぃ~」
「この、なんだろう、ゆっくりしたのがたまんないね」
「お二人とも、流石に玉座の間で床に寝そべるのはいかがなものかと……桶をお持ちしましょうか」
「いや、ここで吐く方がよっぽどマズイだろ。どうにか堪える……」
「でも移動する元気も出ないし、持って来てもらった方がいいかも……」
「しかし度々揺れますねぇ。坊っちゃんが以前この天空城で移動していた時もこれほど揺れたのですか?」
サンチョにそう問いかけられ、リュカは床に大の字になりながら首を横に振る。天空城を浮上させて以来、数か月の間子供たちと魔物の仲間たちと天空城での移動を続けていたが、その際にはこれほど何度も大きな揺れに見舞われることはなかった。その後天空城を降り、城の天空人による操縦が続けられていたが、その期間中にも今ほどの頻回の揺れに見舞われてはいないようだった。
寝そべりながらリュカは巨大な窓の外に広がる景色を眺める。抜けるような青空の中を、白い雲が飛び荒ぶように流れて行く。その雲の流れる動きを見れば、天空城がまたしても進むべき方角とは逆に流されているのが分かる。修道院を発ち、過ごした日にちを数えればとっくに目的地に着いていてもおかしくはないと、天空人も話している。そして彼らがこっそりと話していた会話を、リュカはある時耳にした。
『セントベレスから四方八方に風が吹き荒れている』
要は地図上では世界の中心に描かれるセントベレスは、外から近づいてくる脅威を寄せ付けないようにと、恐らく意図的に風を吹き散らしているということだ。リュカはそのような不可思議な状況があっても別段驚きはしない。あの山はただ世界一高い山というだけではない。ただ大神殿が建造されている場所というだけではない。光の教団の根本が、あの父の仇との繋がりを持っているということは、それだけで途方もない魔の力に守られているということに違いない。
『お前の息子はわが教祖様の奴隷として一生幸せに暮らすことでしょう』仇のゲマはそう言い放ったのだ。この世の光を全て受け止めるような高みにあるあの地には、最も神に近い場所にありながら、その神々しさを隠れ蓑に確実に魔の者と繋がっている。
「竜神がひとっ飛びに坊っちゃんたちの行きたい場所へ連れて行ってくれないものなんでしょうか」
「まだ体力の回復が~とかなんとか、勝手なこと抜かしてたよな。こんだけぐーすか寝まくっててまだ回復しないんなら、それこそあと数十年とかかかるんじゃねえの?」
「やりかねないよね。なんせ洞窟の中のトロッコで二十年とか平気で回ってた人だから」
「修道院長様もさ、とうとう天空城には入らなかっただろ。あれ、もしかして本当の神様を見て幻滅するのがわかってたんじゃねぇかなと、俺は思ってる」
「そう言えば修道女の人たちが天空城に近づこうとしたら、止めてたよね。そっか、修道院長様は分かってたんだ」
「見た目はとんでもないけど、できることって言ったら天地創造か世界の破滅かって、融通が利かないにもほどがあるだろ」
「それだけで裁かれるに値すると思うんだ。ダメだったら壊せばいいやなんて考え、誰が考えたって間違ってるって分かるでしょ」
「裁くって、神様を誰が裁けるんだよ。自分で自分を裁くのか?」
「それができるなら、そうした方がいいと思う」
「自分になら絶対に甘い裁きを下すぜ、あの神様」
「そうかもねぇ。今ものんびり寝てるだけだし、自分に甘そう」
床に大の字に寝転がりながらリュカとヘンリーが悪態を吐いていると、頃合いを見計らったかのように竜神の激しい寝息が彼らのいる場所を襲った。火の粉が散る竜神の寝息を浴び、床に寝そべっていたリュカもヘンリーも思わず飛び起きる。
「あっつ! あいつ、わざとやりやがった! それが神様のすることかよ!」
「ヘンリーが余計なこと言うから、僕まで巻き添えを食ったじゃないか!」
「お前、便乗して色々言ってたじゃねぇかよ」
「言い出しっぺがいなけりゃ僕だって色々言わなかったよ」
「言い出しっぺはサンチョさんだろ。竜神がひとっ飛びで飛んでくれればなんて期待するようなことを言うから悪いんだ」
「サンチョはごく普通の望みを言っただけでしょ。僕たち人間のささやかな望みにも応えてくれない神様が一番悪いんだよ」
「……お二人とも、言えば言うほどアレなので、そろそろおやめになった方が……」
再びくだらない論争を繰り広げるリュカとヘンリーに、玉座に身体を丸めたまま頭だけを動かして二人に鼻息を浴びせようとする竜神にと、サンチョは何とも奇妙なこの光景を目にしながら、一先ず冷静に竜神の寝息を浴びないようにと広い玉座の間の隅へと移動していった。そんな竜神と人間とのやり取りを、玉座の間に控える天空人の兵士らはただ困ったように笑って見守るだけだった。
天空城が夜空の中を微弱に揺れながらも目的地へ向かって進む。相変わらずの向かい風が天空城を押し戻そうとしているのが、外に流れる灰色の雲の動きで分かる。いつもは天に昇るのを地上から見上げるだけの月が、下に見える地上から浮かんでくるように見えるのだから、地上の人間と神様や天空人たちが目にしている景色はまるで異なるのだと嫌でも知らされる。
人間にとって、空を飛ぶ天空城で外気に当たることは、高い山々を上り冷たい外気に身を晒されるのと同等で、好んでその環境に身を置きたいとは思わない。しかし今、リュカはヘンリーと共に天空城のあちこちに多くある見張り場の一角で、身も凍えるような外気に身を晒しながら眼下まで広がる夜空を望んでいた。
「寒いな」
「うん」
本来ならば言葉を交わすのも嫌になるほどの寒さだ。二人ともマントを身体に巻きつけ、なるべく外気に当たらないようにしていたが、今は天空城の内部に戻ろうとは思わなかった。
夜空はどこまでも暗い。天に近く、星々も美しく瞬いているというのに、その瞬きにすら冷たさを感じる。真っ暗な夜空に浮かんできた月は、まるで鎌のような二日月だ。本来ならば人間の情緒を豊かにする夜空を照らす月だが、リュカもヘンリーも鎌を思わせる二日月に胸の中にまで冷たいものが下りてくるのを感じた。
「こんな寒さ、毎日だったのにな」
「うん」
外気の激しい冷たさだけではなかった。今のように寒さから身を守るようなマントなど身に着けていなかった。靴もなく、いつでも体中傷だらけで、リュカの回復呪文が追いつかないほどだった。外の現場に行かされれば、そこには凍り付いた地面が広がり、裸足の足はすぐに麻痺した。そして寒さに倒れる者たちは毎日のようにいた。今も恐らく、いるのだろう。
セントベレスは着実に近づいている。あの時の思いを忘れないように、思い出すようにと、リュカとヘンリーはこうして外気に身を晒している。
世界の景色はあの頃と何も変わっていない。日は東から上り西へ沈み、朝も昼も夜もあり、暦の数え方が変わったわけでもない。春夏秋冬のある地域もあれば、年中温かな場所もあり、年中冬に閉ざされた場所もある。海では魚が泳ぎ、森では鳥が囀る。この世界のおおよその景色は何も変わっていないが、リュカたち人間が生きる世界では日々変化がある。それは竜神や天空人にとっては目まぐるしいもので、多分に些細なものなのだろう。
しかし人間はその些細な変化の中で懸命に生きているのだ。今日の今日、突然にサンチョの作るシチューが食べられればそれは非常に嬉しいことだ。カジノでコインが増えれば、それも当然嬉しい。天空城の揺れが収まれば、それだけでホッとする。子供たちが笑顔を見せてくれれば、それだけでたまらなく嬉しい。我が子の笑顔に凝縮された喜びを感じられるのは、人間のこれ以上ない利点だとリュカは気づいている。
「あの時は、こんな未来、想像してなかったね」
「そうかもな」
絶望の中でもしぶとく諦めないリュカを見て、ヘンリーも諦めるわけにはいかなかった。自ら命を絶とうと思えば、簡単に絶つことのできたあの場所で、彼らは変わらない一日一日をどうにか生きて過ごしてきた。寒さに手足がかじかみ、切り傷ができれば痛さに涙が目に滲んだ。謂れのない罰を受け、鞭で背中を打たれれば、痛みと憎しみで目に涙が滲んだ。懲罰房に入れられ、空腹で意識が遠のいた時には、絶望と悲しみで目尻から涙が流れた。
「あいつはさ、まだ囚われてるんだよ」
リュカは誰がとは問わなかった。囚われているのはリュカでもあり、ヘンリーでもあり、彼の妻でもあることは聞かずとも知れている。一度でもあの場所にいた人間は当然のように一生、あの場所の記憶に囚われてしまうに違いない。
「でも、君が幸せにしてくれたよ」
「幸せにしてもらったのは俺の方だよ」
ヘンリーが本心でそう言っているのを感じ、リュカは隣に立ちながら黙りこくる。彼が再び言葉を紡ぐだろうと待つが、ヘンリーは寒そうに首元にマントを寄せるだけで何も言葉を発しない。
「僕に気を遣わなくていいんだよ、ヘンリー」
リュカがそう言いながらヘンリーを見るが、彼は僅かに視線を泳がせるだけでリュカに顔を向けようともしない。かと言って、目の前に広がる星空を見るわけでもない。彼は今、その目に何も映していないのだとリュカは感じた。
「傍にいられるなら、ちゃんと傍にいてあげないと」
リュカは今回のラインハット訪問で一つの違和感を覚えていた。ヘンリーとマリアが今も仲睦まじい夫婦であることはラインハット国民にも知れ渡っていることで、当然リュカもその話を聞いている。しかし今回の一連の視察の中で、互いに寄り添うような状況を二人はリュカに見せなかった。思い返してみても、二人は共に行動する時でも一定の距離を保っていたようだった。
その違和感にはっきりと気づいたのは、海辺の修道院に立ち寄った時にヘンリーが妻マリアの髪に触れた時だった。本来の彼らの距離はあれほど近いはずだが、二人はリュカの前ではそうしないようにと秘密裏に決めていたに違いない。
「大丈夫。僕は必ずビアンカを見つけ出すから」
愛する妻が今も行方不明という境遇のリュカの前で、ヘンリーとマリアは互いに夫婦であること敢えて避けるような行動をしていたのだ。それ故にラインハット城下町を歩く時もマリアとコリンズの護衛は兵士に任せきりにし、オラクルベリーのカジノでマリアがポピーとサンチョと共に劇を見に行った時も彼は妻と合流しようとはしなかった。
「お前なら絶対見つけ出すって思ってるよ」
「僕は諦めが悪いからさ」
「おかげで俺らは今、ここに立っていられるんだ」
「諦めちゃったら、そこでおしまいなんだよ。どうしてもそれができないんだ、僕は」
天空城の動きは非常に緩慢になっている。今は押し戻されるような風は吹いていない。ただ天空城が進む先には厚い雲が立ち込めていたようで、一たびその中に入れば視界は閉ざされ、辺り全面に散らばっていた星空の景色はぷつりと途絶えてしまった。鎌の形をしたような月も見えなくなり、リュカもヘンリーも思わず小さな息を吐く。
「諦められないし、欲張りなんだ」
「俺も欲張らせてもらう。こんな神様の城なんてものに乗っちまったからなぁ、欲も出るってもんだ」
呪文の力をもってしても、人間には空を自由に飛び回る力はない。背中に翼のある天空人や鳥や虫、魔物の一部は自由に空中を行き来することができるが、人間が身体一つでどこへでも飛ぶことなど不可能だ。その力をリュカは図らずも手にしてしまった。そしてその力を、友と一緒に使いたいと思った。
「どうにかしてヨシュアさんを見つける」
救い出すと言わない辺りに、ヘンリーの現実的な思いが込められていた。いっそのこと希望だけを乗せて、ヨシュアを救い出しマリアに会わせるのだと言ってしまえば楽だろうにと、リュカは薄く流れる雲の合間に見える親友の悲痛な表情を見る。
「ごめんな。お前の力を勝手に使うようで」
「僕の力じゃないよ。これは神様のお城なんだから、みんなのものってことでいいんじゃないかな」
言葉を交わすだけで、リュカもヘンリーもこれが現実離れしていることではないと感じて来ていた。今やリュカはこの神の住まう城を自由に操る権利を有し、その権利を行使すれば直ちにあの場所にいる奴隷たちを皆一斉に解放することも可能だと思えた。
あの場所に連れられた時、彼らはまだほんの子供だった。しかし今は大人になり、グランバニアとラインハットと言う二国の頂点にも立つ立場で、あまつさえ天空城を動かすこともできるという世にも稀な立ち位置にまで来てしまった。天空に浮かぶ神の住まう城を動かせるということは即ち、あのセントベレスで偽の神の下に働かされている奴隷たちを皆救う術を得たのだと、リュカとヘンリーは互いの存在を隣に感じながらそう思うことができた。
「僕たちのせいで、きっとあの後、ひどく苦しめられているんだと思う」
十余年の歳月をセントベレスの山の上で奴隷として過ごしたリュカとヘンリーは、マリアの兄ヨシュアの手助けを借りて辛くもあの地を脱出することに成功した。それまでにも何度も脱出を試みていた二人はただでさえ看守たちの目を引いていた。そんな彼らを手助けしたヨシュアだけではなく、同じく奴隷としてあの地にいた者たちは、二度と脱出などあってはならないと一層厳しくなった看守たちの支配下に置かれることになっただろう。
「マリアは今も毎日、祈りを捧げてるよ」
白い雲が筋になって流れる中に、ヘンリーの声が聞こえた。マリアはヘンリーと一緒になる前から、あの海辺の修道院に流れ着き、意識を取り戻した時から、欠かさず祈りを捧げてきたのだろう。彼女の兄と、あそこで今も苦しめられている奴隷たちに、届くかも分からない祈りを捧げ続けている。
「その度にあいつだって、奴隷だった頃を思い出すだろうに……止めてくれないんだ」
彼は妻を愛するが故に、苦しく悲しい過去の思い出には蓋をしておいて欲しいのだろうとリュカは思う。辛いことからは逃げていてくれて構わないと思う彼に反し、マリアは毎日その蓋を開け、辛い思い出と向き合い祈りを捧げているのだ。ヘンリーはそんな彼女の思いに区切りをつけることを望んでいる。
リュカ自身、マリアは幸せになるべきだと思っている。実際に彼女は今、これ以上ないほどの幸せに恵まれていると感じているに違いない。愛する夫が隣にいて、子供にも恵まれ、彼女の望む幸せは既に手に入れているのだろう。彼女がそのような人生を歩んでいるのは、彼女自身が兄ヨシュアとの約束を果たすためだった。ヨシュアはマリアの幸せを望んで、彼女をリュカとヘンリーに託し、妹の手を離した。いつだって家族の手を離す方は、家族の幸せを望むものなのだろう。
しかし手を離された方は、たとえ幸せを掴んだとしても、いつまでも消えない悲しみが残るものなのだ。生かしてくれたことには感謝できる。しかしどうにかして共に歩むことができなかっただろうかと、後悔の念が沸きあがるのは抑えようもない。
「ビアンカさんを捜し続けるお前に頼むことじゃないって分かってるんだ」
「それとこれとは別だよ。だって僕だって、ヨシュアさんを助けられるなら助けたい」
いくら脱出の機会を窺っても、あのセントベレスの山から自力で脱出することなど不可能だった。万年雪に覆われ、神殿を建造する土地から少しでも外れれば、そこには切り立った崖が待ち構えていた。中央大陸の一角に位置するセントベレス山だが、陸の孤島とも呼べるような隔絶された場所だった。あの地に一度でも魔の力をもって入ってしまえば、二度と外の世界に出ることは許されなかった。
今もこうして自分の命があるのは、ヨシュアの勇気と行動力があったからだ。彼は奴隷の身に落とされた妹の危機を前に、後ろに退くことなどできず、前に進むしか方法がなかったのだろう。そして恐らく、たった一回だけ訪れた好機を逃さず、リュカたちを誘導して脱出させる手段を実行した。上手く行くかどうかも分からない。一か八かに賭けるしかない。危険極まりない方法だったが、ヨシュアは幾度も脱出を試みていたリュカとヘンリーの奴隷に落ちない心と、何度やられても立ち上がる強靭な精神力を信じてくれた。
「すっかり寒さにも弱くなっちまった。これくらいの寒さ、屁でもなかったのに」
「こんなにたくさん服を着てるんだもんね。あの時にこんな服を着てたら、あったかいって思えたかも」
「ホントだよな。雪が凍りついたような場所で布切れみたいな服着せられて、ガキの頃なんかよく生きてたよな、俺たち」
「ヘンリーの火の呪文にはかなりお世話になったよ」
「それくらいしか俺は役に立てなかったよ。お前は回復呪文で色んな奴らの怪我を治してやってたじゃねぇか」
「僕もそれくらいしか役に立てなかったよ。僕が治せる怪我しか治せなかったし……」
「なんせ大した飯を食わせてもらえないから、魔法力もすぐに尽きちまうんだよなぁ」
「そうそう。だから僕たちの魔法力がすぐに尽きちゃうと、むしろみんなに怒られたりね」
「理不尽だよなぁ」
「そもそも、あの場所自体が理不尽だったよ」
大人になった彼らは表面上は笑いながらこうして言葉を交わすこともできる。それは辛い過去の出来事に不器用に実直に向き合うのではなく、器用に辛さを受け流すことができるよう成長したということだ。
言葉穏やかに話す彼らを乗せて、天空城はゆっくりと西へ進んでいく。薄い雲の中を通る天空城はまだ暫くの間は夜の中をぷかぷかと、真っ暗な海の上に立ち込める霧の中を進む船の如く前進する。
彼らの他愛もない、しかし過去の非情な出来事を語る会話を後ろに、人影が天空城の柱の陰に身を潜ませる。彼の手には温かな茶の入ったポットと木の器が三つ。聞いたことのない、そして決して面と向かっては聞くことのできない彼ら二人の話を耳にしながら、柱の陰で人影は茶の冷めるのにも構わずじっと耳を澄ませていた。
天空城に朝陽が差した。地上から浮かぶ朝陽が、空に浮かぶ城を下から強く照らし出す。天空城の周囲に漂っていた薄雲は朝を迎える直前に嘘のように晴れ渡って行ったと、見張りをする天空人から聞き、リュカたちは束の間眠っていた城の中の居住区から飛び出した。
外の見張り場から望む景色は、周囲をぐるりと雲に囲まれる中で、天空城は輪を描く雲の中に入り込んだような状態だった。リュカもヘンリーも、そこにはセントベレス山が見下ろせるのだと確信していた。神の住まう城から見下ろせるはずのセントベレス山が、彼らの進む先に聳えている。雪で化粧をする世界一の高さを誇る山の頂点は、厚い雲に覆われ、それは天空城の遥か上空に位置していた。
想像していなかったその景色に、リュカもヘンリーもしばし絶句した。後を追って慌てて来たサンチョもまた、見えるはずの山の頂上が雲に隠され、彼らの前にはその姿を見せまいとしている状況に言葉を失う。
想定では天空城はセントベレスの遥か高みから近づき、あの大神殿を建造していた土地に降りるつもりでいた。そして神殿建造に働かされている奴隷たちを皆、一斉に連れ去り解放してやるのが正義なのだと、リュカもヘンリーもそれを信じて実行できると思っていた。
かつての高度まで上がることのできない天空城は、今やセントベレス山よりも低い場所に留まり、むしろ高みから見下ろされているという状態だ。それは世界一の山の上に築かれる悪の居城が、地に落ちた神の威光をせせら笑うような状況にさえ思えた。
「これじゃあ……助けられないよ」
思わず漏れたリュカの一言に、ヘンリーが強い視線をセントベレスの白い山肌に向ける。
「俺は、諦めないからな。どうにかして、ぎりぎりまで近づけてもらう」
そう言うや否や、ヘンリーは一人走って行ってしまった。向かうのは天空城の操縦室だ。この数日の間で彼も何度か、天空城の操縦に関わったことがあった。恐らく彼は強引にでも操縦してこの天空城をセントベレスの山肌すれすれにまで近づける気なのだろう。
「坊っちゃん、天空城をこのままあの山に向かわせるのは危険過ぎます。ヘンリー殿を止めた方が……」
「うん。サンチョも一緒に来て」
既にヘンリーの姿は見えなくなっていた。リュカはサンチョと共に急いだ。あのセントベレスで過ごした十余年の月日は彼ら二人同じだ。しかし残してきたヨシュアと言う人物に対する思いは、リュカよりもヘンリーの方が勝っている。彼はマリアと夫婦になってから、毎日欠かすことなく彼女の兄の無事を願っていたのは間違いない。それはもしかしたら、彼女自身が祈りを捧げるよりも強い思いで、彼女の幸せには命の恩人の彼が必要なのだと思いながら、願い続けていたのかも知れない。
天空城は広い。至る所に設けられた見張り場には、優雅に天空人が白い翼を広げて舞っているように見える。その実、彼らは天空城の見張りを務め、この城が二度と危機に陥れられないよう見張っている。
遥か前を走るヘンリーの後姿が見えた。外の見張りを続ける天空人は、必死な顔をして走るヘンリーを見ても不思議そうに首を傾げるだけだ。彼がこれから何をしようとしているのかなど、何も思い至らない。
「ヘンリー!」
リュカが叫び呼んでも、ヘンリーは一向に止まらない。追いかけられるのは想定内だと言わんばかりに、リュカの声など無視して走り続ける。彼の真紅のマントが走る風になびいている。今、天空城がセントベレスの山を前に止まろうとしているのが分かる。天空城の上に吹く風はほとんどない。ただ冷たい外気に晒されているだけだ。
天空人が悲鳴を上げて、宙から落ちて来た。リュカとサンチョが走る間でどさりと音を立てて落ちた天空人の白く美しい翼に、大きく斬りつけられた痕があった。リュカはすかさず倒れた天空人の元に駆け寄り、回復呪文を施す。
「坊っちゃん! 上です!」
サンチョの言葉が聞こえた直後、リュカの頭上で金属音が激しくぶつかり合う音が響いた。宙を飛んで天空城へと攻め込んできた魔物の振るう剣が、サンチョが振り上げた大金槌に弾き返された音だった。
セントベレス山の高みから見下ろす景色の中に、この天空城は非常に目立つ存在としてあっさりと見つかったのだろう。それ以前に、敵は遠くから近づいてくる天空城を意識していたのかもしれない。天空城は何度も逆風に煽られ、針路を阻まれていた。
この場では絶対に耳にしないような大きな金属音に、前を行っていたヘンリーも振り返った。天空城に堂々と襲いかかってきた金色の半人半竜の魔物の姿に、ヘンリーは震えそうになる手を抑えながら剣を抜く。
「あなたは天空城を守るように、操縦室の人に伝えて!」
リュカが怪我を治した天空人はその言葉に素早く反応すると、すぐさま操縦室へと向かう。この天空城には城全体を護る術が備わっている。天空城をすっぽりと雲に包み目を眩ませ、外敵には神の雷を向けるのだ。城自体がその術を持つ理由は、天空人自身には戦う力がないからだった。空を自由に飛び、神の住まう城に共にある天空人だが、戦いや争いのない天空にいる彼らには必要ないのだと、彼らは戦いに際しては人間たちに比べても非力な存在だった。
間もなく天空城が白い雲に包まれ始める。しかし既にその内部に、魔物が数体入り込んでしまっていた。雷の腹に響くような音が鳴り始める。雲の外側から襲いかかろうとしている魔物に対して、天空城が攻撃を始めているのが分かる。しかし内部に入り込んだ外敵に対してはその攻撃が及ばない。
「坊っちゃん、敵は十体です」
「同じ魔物だね。見たことある」
少ない言葉を交わすのが精いっぱいだった。敵に猶予など与えないと言わんばかりに、半人半竜の魔物シュプリンガーが襲いかかってくる。リュカは素早く右手に父の剣、左手にドラゴンの杖を構えると、敵が振りかぶってくる大剣を次々と受け流す。サンチョもまた、普通の人では持ち上げるのも一苦労と思われる重々しい大金槌を振り回して、敵の攻撃から身を守る。
背後に敵の気配を感じた。しかし振り返るのが遅れた。防御のためにドラゴンの杖だけを素早く後ろに回したが、敵の剣の方が早い。しかしそのリュカの顔のすぐ脇を、目にもとまらぬ速さの火の玉が突き抜けた。
ヘンリーの放ったメラの呪文が、シュプリンガーの目に直撃した。視界を失ったシュプリンガーが空中でよろけたところを、サンチョの鉄槌が襲う。一撃に込められる威力が半端なものではない大金槌の攻撃に、たまらずシュプリンガーは翼をはためかせるのも止めて床に落ちた。
迂闊に喜んでいる場合ではない。すぐさまヘンリーにもシュプリンガーの攻撃が向けられる。ヘンリーの装備する細身の剣では敵の大剣を受け流すこともできない。敵から一撃でも食らえば、彼はあっさりとその場に倒れてしまい兼ねない。剣の心得があり、ラインハットで兵と共に訓練をしているからとは言え、今相手にしている敵は彼にとって強すぎる。
リュカは友の元へと駆けながら、ドラゴンの杖の先に呪文を伝わせ、彼に放った。守護呪文スカラがヘンリーの身体を守り、どうにか敵の大剣の攻撃にも耐えうる力を与える。
サンチョもリュカを追い、腕を斬りつけられながらも三人が一塊になるよう体勢を整える。リュカもサンチョも、自然とヘンリーを庇うよう彼を背後に置く。この状況で馬鹿にするなと愚痴を言うヘンリーでもない。彼は自身の実力をすぐに理解し、剣を手にしつつも呪文の構えを取る。
リュカがサンチョの腕の傷を癒すと同時に、サンチョは敵の大剣の攻撃を大金槌で受け止める。ヘンリーが敵の防御力を一斉に下げるためルカナンの呪文を唱えると、すかさずリュカが攻撃に移った。剣と杖の二刀流の訓練を、リュカはグランバニアで城の兵やピエールを相手に行っていた。とは言え、左手に構えるドラゴンの杖は主に盾代わりとして使用する。
振り下ろされる敵の大剣を杖で打ち払い、そのままの勢いで剣で敵を払う。ドラゴンの杖はリュカにとっては小さな軽石のような軽さだ。自分の腕を動かすだけの動作と変わらない。しかしその硬さは何物をも凌ぐほどで、払った敵の大剣は一度杖に弾かれただけで刃こぼれしていた。
サンチョの大金槌の一撃は重く、敵に当たれば会心の一撃を繰り出すことも珍しくない。しかし動きが鈍いのが玉に瑕だ。敵に躱されてしまえば、与えるダメージは本来百であっても零となる。
サンチョの目の前の敵が不自然に中空で揺らいだかと思うと、その視点はあらぬ方へと向けられた。それを好機にサンチョは大金槌を突き出し、敵の身体を吹っ飛ばした。すぐ次に攻撃を仕掛けようとしていた敵もまた、定まらぬ視点を彷徨わせている。
ヘンリーが幻惑呪文マヌーサをかけていた。直接攻撃では到底二人の役には立てないと悟り、彼は完全に補助に徹していた。幻惑呪文が効かなければ、すぐに混乱呪文メダパニを唱え、魔物の群れを撹乱する。
しかしやはり外の世界の戦闘から長く離れていた彼には隙も多い。不意にがら空きになった背中を、敵の大剣が襲う。辛うじてリュカが杖を突き出し防いだが、そのまま突っ込んできたシュプリンガーは凄まじい勢いでヘンリーの背中に突撃し、彼を二人の護りの中から外へ出してしまった。
一転して残り八体の敵に囲まれたヘンリーは、手を震わせながらも両手に剣を構える。しかし剣で敵を攻撃するつもりは毛頭ない。細身の剣先から飛び出たのはまたしても呪文だ。イオの呪文が彼を囲む敵に炸裂するが、それはほんの子供だましに過ぎない。彼が敵を一瞬でも足止めした瞬間に、リュカとサンチョはすかさず別々の敵に攻撃を加え、同時に二体を倒す。それでもまだ、残り六体。
いよいよ本気になったシュプリンガーが容赦なくヘンリーに襲いかかる。未だリュカの防御呪文の効き目を得ているが、重ねるようにサンチョがスクルトの呪文で皆を守護する。敵の大剣はヘンリーのマントこそ切り裂くが、その身体に傷を負わせることはほとんどない。彼もまた敵の剣をどうにか避けつつ、隙を突いて敵の目をメラの呪文で狙い撃ちする。敵を倒す目的は完全にリュカとサンチョに任せる。自身はただその助けをするのだと、視線を忙しなく動かし、敵の隙を見つけることに集中し、指先には常に火の玉を備えている。
小さな攻撃だが、それで目を焼かれては敵わないと、シュプリンガーらは煩わしい緑髪の人間に剣を向ける。彼自身は自身を囮とし、二人の仲間もそれを心得ている。三人が一塊となり、まるでそれは一人の大きな人間になったかのようだ。実は一つの敵に対して四方八方から物理攻撃を仕掛けるのは難しい。最悪、味方同士で見事な相打ちを決めてしまい兼ねないのだ。そのために大剣を武器に戦うシュプリンガーは数で優勢であっても、一斉に攻撃を仕掛けることができない。
ヘンリーが小さなメラの火を素早く飛ばす。体勢を崩して避けるシュプリンガーに、リュカが剣で斬りかかる。自ずとかつての連携を取れていることに、リュカもヘンリーも内心驚いていた。天空城が向かう先、目前に見えているあの世界一の山の頂上で、二人はかつて必要に駆られて連携して戦うこともあった。ヘンリーのメラの火を、リュカはバギの呪文で威力を増大させ、雪と氷ばかりのあの地に巨大な炎を出現させたこともある。凡そ先ずヘンリーがけしかけ、リュカが敵を大人しくさせるという手法で通していた。
その二人に、サンチョの力が加わる。群がる敵を一掃するようなサンチョの大金槌の容赦ない攻撃で、連携は三人となる。ヘンリーは魔力の限界まで幻惑呪文に混乱呪文を乱発する。視線が怪しくなった敵を見極め、リュカがすかさず一体、二体と剣で薙いでいく。サンチョもまた大金槌を存分に振り回し、太い身体ごと回転して敵を一度に二体床に叩きつける。六体残っていた敵はあっという間に残り二体。
敵の数が少なくなり、僅か隙が生まれた。三人の間に無駄な空間ができた瞬間、残りの二体のシュプリンガーが一気にヘンリーに向かって飛びかかって来た。しかし剣を振り上げるわけでもなく、敵の手が彼を掴まえようと伸びてきたのだ。その魔物の手は、友をあの地へ連れ戻してしまうのだと、リュカの背中に悪寒が走る。彼を再び奴隷に貶めてしまう光景が頭を過り、リュカがぎりと歯噛みした。
「やめろ!」
憎悪と恐怖に染まるリュカの声に、サンチョが驚き振り向く。リュカの両手に瞬時に集まった魔力が放出し、放たれたバギクロスが暴発する。制御できない真空の刃の嵐が吹き荒れ、敵味方もろとも嵐に飲まれた。勢いで吹き飛ばされたシュプリンガー二体は天空城の外へと姿を消した。同じく吹き飛ばされそうになったヘンリーの腕を咄嗟に掴み、リュカがその場で踏みとどまる。サンチョはすぐさま床の上に這いつくばり、自身への被害を最小限にとどめた。
嵐が収まり、天空城には再び穏やかな静けさが戻った。リュカの起こした嵐が影響したのか、天空城は僅かに向きを変え、セントベレス山へ向かう針路を外れ始めていた。相変わらずその頂上は雲に覆われ目にすることはできないが、山肌が徐々に左へとずれて行くのが分かる。
その状況に気付くや否や、ヘンリーは自分の腕を掴むリュカに強く言う。その姿は酷く哀れで、丈夫なマントも衣服もあちこちが酷く切り裂かれ、緑の髪は足元にいくつかの束になって落ちている。
「リュカ! 目の前なんだ! どうにかお前の移動呪文であそこまで行ってくれよ!」
「ヘ、ヘンリー殿、ルーラと言う呪文は一度行った場所でないと効果が……」
「ここまで来て、引き返すなんてできねえんだよ。もう先延ばしになんてできないんだ」
リュカに掴みかかるヘンリーを、サンチョが後ろから羽交い絞めにしてまで止めようとしている。リュカ自身も、己の真空呪文の攻撃を食らい、元々ボロついている旅装が更に酷く切り裂かれていた。
「やってみる」
リュカは静かに一言呟くと、目を閉じ、まるで瞑想をするかのような集中をし始めた。困惑したようなサンチョの「坊っちゃん?」と言う声も、精神を研ぎ澄ませるために追い出す。思い出したくもないあの時のあの場所を、息を詰め、瞼を震わせながら懸命に思い出そうとする。
少しでも楽しい思い出をと、記憶を探る。あんな場所でも唯一、ヘンリーといる時は心に安らぎを感じた。彼といられれば苦しみも分け合うことができた。互いに目を合わせ、生気ない笑みを交わすだけでも、一人ではない強さを得られた。
しかしその他の時は全て、極度の緊張状態の中に置かれた。労働を強いられている時は言わずもがな、なけなしの配給を口にする時も、ただ外の現場へ移動するのに歩いている時も、怪我をしている人を介抱する時などは特に、周囲の目を感じなくてはならなかった。どこに鞭を持つ看守がいるか分からない。たとえ叩かれても回復呪文で怪我など治せるが、打たれる時の痛みが記憶から消えて行くわけではない。鞭が空を切る重いような軽いような音が、鳴りもしないのに聞こえるようで、リュカは思わず全身に力を入れ、ヘンリーの腕を掴む手にも力が入る。
「……ごめん……やっぱり僕には……」
「謝るな。謝らないで何度でも挑戦してくれ」
「でもどうしてもあの場所が上手く、思い出せないよ」
「お前は一瞬でいいんだ。俺をあの場所に置いて、すぐにお前はここへ戻ればいい」
必死に言い募るヘンリーに垣間見えた本心に、リュカの脳裏に描かれかけていたセントベレスの景色は一瞬にして消え去った。友は初めから一人であの場所に行くつもりだったのだろう。パパスを喪い、リュカを道連れにし、ヨシュアをあの地に残してきて、誰も彼を責めてはいないというのに、彼自身はいつでも自身の罪に囚われていた。
「君一人が行って、何ができるって言うんだよ」
冷たい言葉を投げかけている意識はあるが、リュカは敢えて彼にそう言い放った。しかしそれは非常に現実的な言葉だ。いくら大人になったからとは言え、ヘンリー一人があの大神殿建造の地に乗り込んだところで、できることは殆どないはずだ。只の偵察に向かうにしても、付随する損失の方が遥かに大きい。
「できるかできないかじゃねえんだよ。やんなきゃなんないんだよ」
ヘンリーの声は静かだが、あらゆる覚悟を決めているかのような響きを漂わせていた。ラインハットの宰相と言う立場にあると言うのに、公の立場など今は頭からすっかり抜け落ち、私情に塗れた強い視線だけをリュカに向けている。
「お二人とも、喧嘩はおやめください」
まるで二匹の獣が睨み合っているかのような状態のリュカとヘンリーに、サンチョが割って入る。リュカの腕を掴んでいたヘンリーの手を引き剥がし、二人の手首を強く掴み、距離を置かせる。重々しい雰囲気で睨み合い、今にも殴りかかりそうだった二人は、第三者の声に同時に詰めていた息をゆっくりと吐いた。
「このサンチョにもお話しください。一体、セントベレスに何があると言うのです?」
サンチョの分厚い手はリュカとヘンリー双方の手首を掴んでいた。いつもの穏やかで優しいサンチョではない。この場で逃げることなど許さないという彼の意思が、二人の手首を掴む強い力に感じられた。
サンチョに話しているのは、リュカの父パパスがラインハット東の遺跡で無念の死を遂げたところまでだ。その後、リュカとヘンリーがどう生きて来たのかを、サンチョはまだ知らない。ただ十年余りもの間、ラインハットにもサンタローズにも戻ることのできなかった彼らが送ってきた日々を、サンチョは楽しいものとは決して考えてはいない。二人の子供が突然、親も知り合いもいない場所に放り出され、生きて行かなければならなかったのだ。苦労してきたことは想像に難くない。
「坊っちゃんはセントベレスに行ったことがあるんですね」
そうでなければリュカがルーラの呪文を発動しようとはしないはずだと、サンチョはリュカの顔を覗き込むように尋ねる。
「サンチョさん、セントベレスは光の教団の総本山みたいなもんでさ……」
「それは私も人の噂に聞いています。しかし、あなたたちにとってのセントベレスは、そういうことではないのでしょう?」
沈黙が流れる。その間にも天空城は徐々に北へと針路を変え、セントベレスの山は見る見るうちに離れて行く。天空人が今も天空城を操舵しているはずだが、舵が利かないのか、天空城はまるでセントベレスから逃げるかのように遠ざかって行く。その景色をリュカもヘンリーもどうすることもできずにただ見つめるだけだ。
「行ったことがあるんじゃないよ。僕たちはあそこにいたんだ」
ルーラを試みた時のように、かつての記憶がリュカの頭の中に蘇る。それらは全て、リュカの心を乱すものであり、瞼の裏に映る景色を見たくないために、リュカは漆黒の瞳を虚ろに床に向けている。そうすれば、目には神々しいばかりの天空城の青白く輝く床が映り込む。
「……十年も……奴隷として」
そう口にした途端、足元の天空城の床が、凍てつく氷の地面に見えてしまう。長旅にも耐えられるブーツを履いているというに、皮の厚くなった裸足で歩いているような気になる。上空の寒さにも耐えうるマントを羽織っているのに、袖もないようなみすぼらしい奴隷の服を着せられているような気になる。今にも凍えてしまいそうなほどの寒風に吹き晒され、一歩間違えばいつでも体温を失くして死に至りそうな環境だというのに、それと同じほどに看守の鞭の痛みに怯えている。
「あの場所には僕たちの他にも、たくさんの奴隷が働かされているんだ」
老若男女、様々だった。しかし凡そは年若い男が多かったように思う。子供もそれなりに多かった。子供と言う無知で従順な存在は扱いやすく、奴隷にするには最適な存在なのだろう。リュカとヘンリーがあの地を脱出してから既に十年ほどが経過し、今の状況を知らないが、大した変化もないだろうと想像する。それは世の中に広まる光の教団の嘘に塗れた神々しさに現れている。
あの時のことを事細かに話せるほど、リュカの心は強靭ではない。思いついたことを飛び飛びに話し、話す毎にリュカの心もヘンリーの心も細るようだった。しかしその中でも、リュカは父パパスの言葉を生きる糧として、いつかはここから抜け出し、母を捜すことを諦めないでいたことをサンチョに強く伝えた。サンチョが涙に暮れることのないよう、これだけは伝えなければならないとリュカは自分の手首を強く握るサンチョの目を見てそう話した。
「マリアのお兄さんが、僕たちを逃がしてくれたんだよ」
リュカがそう言葉にした時、サンチョは何故ヘンリーがこれほど必死になっているのかを理解した。奴隷たちを管理する看守の立場でありながら、脱走計画常習犯であった二人の逃亡を手助けすることは、即ち己の身を犠牲にしたと言っても過言ではない。唯一の肉親である妹を奴隷に貶められ、あの場所での一切の希望を失ったも同然のマリアの兄ヨシュアは、いつまで経っても生きながら死んだような目をするような奴隷にならない二人の青年に全てを賭けたのだ。
いつもならこんな話をすればしゃくりあげるほどの涙を流すサンチョだが、今はただ茫然とリュカの話を聞いているだけだった。リュカの語る過去が現実のものとは思えない。父を失くして、どれだけ苦労をしてきただろうかとサンチョは息子のようなリュカを心の中で外で労わってきたつもりだったが、どれだけ労わろうともそれが追いつかないことを知った。リュカとヘンリーが受けて来た過去の傷は既に膿みに膿んで、決して治ることなどない。それだからこそ、彼らはいつでも朗らかに明るく装うことで、下手に膿が現れることのないようにと上から押さえつけている。
「命を賭けた人の思いの強さを、貴方達はもっとよく考えるべきです」
「そんなの……そんなの、僕たちが一番知ってるよ」
「そうだよ。俺たちが一番知ってる。パパスさんだって、ヨシュアさんだって、俺たちを……」
「命を賭けるということは、残すものの幸せを願い、誇りをもって散る覚悟を決める、そういうことだと私は思います」
まるでサンチョがパパスの死に際を知っているかのような言い様に、リュカとヘンリーは息を呑んだ。
「お二人とももっとよく考えるべきですぞ」
サンチョがそう言いながら二人の手をそっと離すと、リュカもヘンリーも緊張から解かれたようにその場にへたり込んだ。上空の冷たい空気に晒された天空城の床は冷たい。しかし凍てつく大地を裸足で踏むほどの冷たさではない。今のリュカとヘンリーは身に着ける服にも困らず、食べるのにも困らず、天空城と言う乗り物でどこまでも行くことができる。しかしセントベレスの山頂には届かず、白い雲に隠れたあの場所を目にすることはできなかった。
「グランバニアにラインハット、二つの国の代表をして単独で危地に乗り込むなど言語道断。貴方達には多くの頼れる臣下がいるでしょう」
「だけど俺たちの個人的な思いに他の奴らを巻き込むわけにはいかない」
「奴隷の方々を解放することの、どこが個人的な思いなのですか。これは世界全体における由々しき問題です」
「奴隷の人たちをみんな……そうするつもりだったんだよ。でも天空城じゃあの場所に届かないんだ」
「それを知恵を出し合って考えるんです。一人、二人で考えるよりも、様々な考えを聞くことができるのは国の頂点に立つ者の特権でしょう。これほど大きな問題を、勝手に個人的な問題に転換しないで頂きたいものです」
亀の甲より年の功と言わんばかりのサンチョの言葉に、二人は新たな世界が広がったかのような錯覚を感じた。
「お二人から国の人々に話し辛ければ、私から話しましょう。お二人の過去の話は致しません。しかしセントベレスの山の間近にまで来たのは事実ですから、それを基にちょちょっとお話を作って国の臣下に知らしめれば良いでしょう」
サンチョの声にいつもの穏やかさが戻って来たのを感じ、リュカは思わず顔を上げた。サンチョの顔には憐れみの表情などなく、ただいつもの微笑んだ大きな顔があり、その事にリュカは思わず僅かに顔を歪ませた。
光の教団の力は今や世界中に渡っている。それをリュカとヘンリーの二人だけで事を解決しようなどと言うこと自体そもそも不可能なのだ。そして今となっては奴隷として苦しめられた二人だけの問題でもない。問題が世界にじわじわと広がっているということは、いっそのこと世界の問題にしてしまえばいいのだというサンチョの考えに背中を押されるように、リュカもヘンリーも今までにない新鮮な思考の下、これから何をすべきかを考え始める。
「とにかく天空城じゃ天辺に届かない。それが分かっただけでも良しとするか」
「悔しいけどね。……じゃあ天空城はこの辺りを飛んでもらってる間に、僕たちは一度国に戻ろう。城の人たちに話してみる」
「しかしこれまで大分時間を費やしてしまいました。暦の上ではそろそろ年が変わりますので、国ではまた年始の行事が始まりますよ」
サンチョの現実だらけの言葉に、リュカとヘンリーは共に深い溜め息をついた。王族と言う身分、それこそ身勝手に年始の行事から逃げ出すわけには行かない。こうして天空城に乗り込み、長く国を離れていること自体、特にヘンリーにとっては異例中の異例の出来事なのだ。
「早くラインハットにお戻りになった方がよろしいかと。奥方様もお子様も心配なさっていますよ」
「……そうだよな。こんなに長く城を空けるつもりもなかったし。じゃあ、まあ頼むよ、リュカ」
そう言いながら手を差し出すヘンリーの姿は、先ほどのリュカのバギクロスの呪文の影響で酷い有様になっている。天空城でのんびりとした旅を楽しんで帰って来た者とは思えないボロボロの状態で、今は魔力も底をついてしまっている。
「その格好で戻っても問題ない? 服も髪も酷いもんだけど」
「誰のせいでこうなったと思ってんだよ」
「……僕のせい、かなぁ」
「かなぁ、とかすっとぼけたこと言いやがって。いいよ、お前と喧嘩してやられたって城の奴等には言っておく」
「国家間の問題にはならないようにしてね」
「問題になるかならないかは、お前への信頼度にかかってると思う」
天空城の針路は今や完全に北西へと変えていた。セントベレスに近づくことは危険だと判断したのだろう。その上、山から吹く風が追い風となり、天空城はあっさりと世界の中心を離れて行く。
天空城を包んでいた雲も完全に晴れ、今はいつものように外の景色をどこまでも見渡すことができる。しかしやはり、セントベレスの頂上を望むことはできない。そこは分厚い雪雲に覆われているように、完全にその姿を隠してしまっている。あの雪雲が晴れ、その頂上を見ることができるのは、あの地に囚われている全ての人たちを解放する時なのだと、リュカは離れて行くセントベレスの山を見ながら、静かにそう心に誓っていた。
Comment
bibiさん、こんばんは。
リュカ、ヘンリー、マリアの辛い過去を遂にサンチョさんに打ち明けてしまいましたね。ビアンカにも秘密にしていた事実を知ってしまったサンチョさんの胸中を思うとこちらまで胸が締め付けられる思いです。
今回もオリジナル回でしたが、凄く良かったです!リュカ、ヘンリー、サンチョさんの掛け合いに思わず吹き出し、続くシリアスな場面での3人の描写は見事でした。
いよいよビアンカ救出までカウントダウンですが、焦らされつつもオリジナル展開がとても楽しいので「もっとやれ!」の気持ち半分、早く感動の場面を読みたい気持ち半分の複雑な思いです。
今回、遂にサンチョさんにリュカの知られたくなかった過去を打ち明けた様にビアンカにもいつか打ち明けるのでしょうか?
こちらも辛い出来事を経験しているビアンカにこれ以上辛い想いを抱えてほしくない気持ち半分、ビアンカとリュカが互いの心の傷を癒やし合いより絆が深くなってほしい気持ち半分です。
次回の更新は年明けになるでしょうが、引き続き楽しみにしています。ではまた。
バナナな 様
コメントをどうもありがとうございます。
サンチョにもいつかは言わなければと思いつつ、ここと決めていました。ビアンカには・・・実は結婚後訪れたアルカパの町の宿で、リュカは彼女に過去の話を打ち明けています。なので彼女はリュカとヘンリー、マリアがかつて教団の奴隷だったという過去を知っています。・・・ええ、そうです。あの有名な場面をそんなことに使っています(汗)
リュカ、ヘンリー、サンチョが共に行動すると、どうしても手のかかる子供(リュカとヘンリー)を世話する大人(サンチョ)の図が出来上がってしまうという・・・リュカもヘンリーももういい大人のはずなんですけどね。私の趣味全開です。
ビアンカを助けに行くのは、もう少し先になりそうです。その前に・・・またグランバニアの新年祭が始まる予定。あれからもう一年が経ちます。早いものです・・・。
bibi様。
最新話まで追いつきました(笑み)
サンチョに奴隷の話、今回だったんですね、前話のコメントすみません(汗)
bibi様の描くマスタードラゴンは、いやはやもう(汗)
リュカとヘンリーの愚痴どおりの神様ですな、しかも寝ながら攻撃だなんて…お前はエスタークかよ(苦笑)
サンチョも心の本音はがっかりしているのかもしれませんね。
bibi様、マスタードラゴンこのままではマスタードラゴンからただのダメダメスリープドラゴンに成り下がってしまいます(笑み)
リュカとヘンリーの断片的な会話、そんな会話をサンチョは聞いて死まったんですね、
きっとサンチョは
「ぼっちゃんはなぜ私に話しをしてくれないんだろうか…なぜ隠すんだろうか」
そんな風に感じたのかもしれませんね。
リュカたちに声を掛けることができないサンチョの心情は複雑なのかな…ケアルは感じます。
久しぶりの戦闘ですね。
リュカ、初の二刀流!
グランバニアでそんな特訓してたんですか、攻撃力はドラゴンの杖、すごく強いですから、これからの戦闘で杖で一撃なんてことあったら楽しいです(笑み)
ヘンリー、いつぶりの戦闘ですかね…偽太后いらいなのでは?
攻撃呪文はさすがに初級呪文しか覚えられないから補助呪文で援助、作戦として正解ですよね、しかし、暫く魔物と戦ってないブランクはレベル差ありましたね、でも、メラの使い方はナイスアイディア!
サンチョ、見かけによらず動けるオデブ(笑み)
しかも、もしかしたらリュカより力があるのでは?重量級の大金槌を振り回す力は会心の一撃を繰り出すのにばっちりですね、さすがはパパスが一番信頼してた従者です。
そうですか…ここでサンチョに奴隷のことを話すんですね。
昨夜、リュカとヘンリーの会話を聞いてしまって…奴隷にされていたと聞いたサンチョはつじつまが合ったんでしょうね、しかも、ヨシュアのことを聞いたからなおさら。
そんな話を聞いて、きっと泣きたくなるまで無念な気持ちになったと思うのに、リュカヘンリーの暴走と喧嘩を止めるために冷静な判断、サンチョってすごい!
次回は、サンチョの言うとおり新年祭になりそうですね。
今度はサンチョ、ティミー、ポピーも参加して欲しいです。
まさか、また新年祭の描写を拝読できるなんて…楽しみです!
ケアル 様
こちらにも早速コメントをありがとうございます。
私の書くマスタードラゴンは・・・すみません、ホントにどーしよーもない竜で(笑) 基本、プサンなので、こんな感じになってしまいます。威厳もへったくれもない。
今回のお話、初めはサンチョを連れてこない予定でした。リュカとヘンリーだけで向かわせようとしていました。けど、ここで奴隷の話を・・・と思い、彼も連れてくることにしました。そろそろ知っておいてくれてもいいだろうということで。連れて来て正解でしたかね。サンチョの戦闘力は私の中ではなかなか強いものです。
今回、久しぶりの戦闘場面でしたが、やっぱりこういう場面は書いているのも楽しいんですよね。特に今回はヘンリーを参戦させたので、どう書いてやろうかと思いながら、彼にはトリッキーな感じで参加してもらいました。本当は彼の得意技を、私の中では投げ技ということにしています。小石であったりそれこそ手裏剣でもあればそんなのを使ってもいいんですが、ドラクエに手裏剣はないですからね。せいぜいナイフくらいでしょうか。(なので、偽太后をナイフを投げて倒しています) 応用編でメラを投げつけている感じです。でも残念ながら、もうヘンリーと共闘することはないかな。今のところは考えていないです。
サンチョには年長者として、子供たちを諫める親として、冷静な判断をしてもらっています。リュカたちの過去を辛いと思いながらも、やはり最も大事なのはリュカたちの命なので、それだけは何が何でも守らねばならないという思いで行動を起こしています。
次回はまたグランバニア新年祭に向かってのお話になるかと思います。サンチョ、ティミー、ポピーも参加・・・そうですよね、前回は主にドリスや兵士長たちに参加してもらったから、今回は彼らにも・・・と思いつつ、オジロンさんにも出てもらうことを考えています(笑) どんなお祭りになるかな。
bibiさん
久しぶりの戦うヘンリー良いですね!
ゲームだったら活躍しづらいだろうけど、小説ならではのリアルな補助役で違和感無く活躍してたのが好きです。
まさかこのまま突入しちゃう!?とドキドキしましたが、そう言えばあれが必要なんでした。忘れてた(笑)
サンチョの冷静な判断は流石です。
ステータスにはあらわれない強さですよね。
ピピン 様
コメントをどうもありがとうございます。
久しぶりに戦ってもらいました。実際、共闘することがあれば、彼は完全に補助に回るだろうと、その立ち位置で戦ってもらいました。あんまり出張ってもらっても困るなぁというのが正直なところ(笑) あくまでもこの物語の主人公はリュカなので、友人にはちょっと抑えめでいてもらいました。
そうなんです、アレが必要なんです(笑) そろそろ無理にでも起こすかな。
サンチョは完全にリュカの親役ですね。この時はヘンリーの親役も務めているかも。ステータスには現れない強さ、いいですね。こういうお話ってそう言う部分が色々と盛り込めるので楽しいです。