王妃の言葉

 

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「ビアンカ、体調は大丈夫?」
「もう、さっきから何度聞いてるのよ。大丈夫だって言ってるでしょ」
グランバニア城の最上階、国王私室にて仕度を済ませたリュカとビアンカは隣に並び立ちながら、扉の向こうから呼び声がかかるのを待っていた。同じく仕度を済ませたティミーとポピーも、久しぶりに着用した儀礼用の正装に身を包みながらも、初めて目にする母の姿に目が釘付けになっている。
グランバニアに無事王妃が帰還したことを祝した催し物が、これから城下町の教会で行われる。催し物と言っても、祝宴などは行われずに、簡単なお披露目の場に留まるものだ。グランバニアの王妃が魔物に連れ去られたのは、リュカの国王即位式の祝宴の最中であり、当時の悪夢を思い起こさせないためにも、王妃帰還の祝の場はあくまでも厳かな雰囲気の中に教会と言う神聖な場所で行われることとなった。
ビアンカが儀礼用のドレスに身を包むのは、これが初めてだった。数日前から王妃のドレスの制作は急ぎ行われ、ドリスの強い意見の下に淡い水色を基調としたドレスが完成した。過度な装飾を好まないビアンカの意向も取り入れ、尚且つ二人の子供たちのいる母としての落ち着きを見せるような仕上がりとなった。
「こうして見ると、ティミーはかっこいいし、ポピーは可愛い。まっ、いつものことなんだけどね」
そう言いながらビアンカはティミーの後ろに少し屈み、彼の癖のある金髪を結ぶリボンの歪みを直した。後ろに一つに結んだところで、ティミーの癖毛は落ち着きなくあちこちに跳ねてしまう。それを見てビアンカは思わずティミーの癖毛を手で撫でつけながらも、懐かしんで言う。
「ティミーの髪は、おじいさまにそっくりね」
色こそ違えど、ティミーの髪質が彼の祖父であるパパスから引き継がれていることはリュカも分かっていることだ。ビアンカを捜す旅をしながらあっという間に経ってしまった二年の中で、ティミーは背も高くなり、体つきもどこか男らしくなってきたように感じる。その内に彼はリュカとも並ぶほどに背も高くなり、あれよあれよ言う間に大人になってしまうのだろう。その時彼は、父リュカではなく、祖父パパスの面影を強く押し出すようになるのだろうか。
「でも顔つきはリュカよね」
息子ティミーをどこか遠くに感じそうになっていたリュカの心を引き戻したのは、ビアンカの一言だった。
「不思議ね。生まれた時はティミーもポピーも同じ顔をしていた気がするけど、大きくなったら顔つきが二人とも違ってきたのかしら」
「ボク、お父さんに似てるってよく言われるよ。オジロンさんにもサンチョにも」
いかにも嬉しそうに笑顔を見せながらそう言うティミーを見て、リュカの胸の中も温かくなる。父である自分と似ていることに喜びを表してくれることほど、父リュカとして嬉しいことはない。そして子供だった頃のリュカもまた、父パパスに似ていることを望んだものだった。しかし期待している答えとは異なる言葉がよくサンチョの口からは出ていた。リュカは母マーサに瓜二つだと。その度にリュカは見も知らぬ母よりも、常に傍に在り、強く逞しく勇気溢れる父に似ていればいいのにと内心悔しがっていた。
「ねえ、お母さん、私は? 私は?」
「ポピーはお母さんそっくりだよ」
ポピーの問いにリュカは間髪入れずにそう答えてしまう。それほどに今のポピーは小さい頃のビアンカにそっくりなのだ。リュカの知っていた子供の頃のビアンカの年齢を超え、ポピーは可愛らしさに加え、どことなく美しさを醸し出すようになってきている。我が子を贔屓目で見てしまうのは仕方がないが、それを差し引いてもいずれは自ずと人目を引くほどの容姿を周囲に晒してしまうのだろう。
「そうねぇ、私の小さい頃に似てるかもね、ポピーは」
「ホント? 嬉しいな」
「でもね、こうしてポピーの目をじーっと覗いてみるとね」
そう言いながらビアンカは上体を屈ませながらポピーの顔を間近に見つめる。娘の不思議な瞳を覗き込むと、そこには二人の子供が生まれる前から馴染みのある一つの景色がある。
「リュカがいるわよ、ここに」
「僕が?」
「うん。ポピーの目の奥はリュカと一緒。だからポピーもきっと、魔物のみんなととっても仲良くできるのよ」
そう言って鼻を突き合わせるように顔を見合っている母娘を見れば、リュカには二人が同じ顔をしているように見えてしまう。しかしビアンカの言う通り、ポピーには母ビアンカだけではなく、確実にリュカの血も継承されているのだ。
「何だかこういうのって、不思議なものね」
ビアンカ自身、血の繋がりのない親であるダンカン夫妻に拾われて育てられた娘だった。アルカパの町に住んでいる時には時折その事を揶揄われたりもしたようだ。しかし彼女は、揶揄われるに任せず、むしろつまらないことを言う同年代の子供たちを言い負かすほどの強さがあった。それは彼女自身の強さだけではない。彼女は父母を無意識の内にも、守ろうとしていたに違いない。
彼女は自身から生まれた二つの大事な命を、何よりも大事に思いながらも、今までに感じたことのない思いで二人を見つめている。彼女にとってはまだ二人は自身の腹の中にいるような気さえしている。それほどにくっついて離れないような存在なのだ。
仕度の終わったリュカたちの様子を見て、世話係の女性が声をかけた。その途端にリュカたちは今の状況を思い出す。これから王妃帰還の祝の場へと赴かねばならない。都合よく忘れていた緊張感が再び身体を包み込む。
「私、ちゃんと立っていられるかしら」
「もし不安な時は僕に言って。どうにかするから」
「でもお父さんはみんなにお話しないといけないんだよね?」
「お父さん、お話しする言葉覚えてる?」
「う~ん、どうかなぁ……」
「何よそれ、リュカの方が不安だわ。大丈夫?」
「あはは、何とかなるよ。大丈夫、大丈夫」
国民の前で話をする内容を紙に書こうとしたリュカだったが、考えれば考えるほど筆は進まず、結局話す言葉を書き表すことを諦めていた。それをオジロンやサンチョに知らせれば、オジロンはそれで大丈夫なのかと不安に慌てていたが、サンチョは今のリュカと同様に「どうにかなるでしょう」と最近少し太さを取り戻してきた腹をどんと構えるようにして受け入れていた。最終的にリュカがその場で言葉を選び話すことを認めたということは、サンチョのみならずオジロンもまた甥を信用したということだろう。
話す内容はまだはっきりとした形を整えていないながらも、リュカの頭の中にある。無事に王妃が戻ったこと、王妃帰還を共に待っていてくれた国民への感謝、今後もグランバニアの国の安全を保つことに注力していくと、その三点の内容に言葉を乗せれば良い。ただ一つ、リュカが留意しているのは、国の安全に注力して行くことに己の存在を明確に乗せないことだ。
グランバニアと言う国は国王一人がいて安全になるものでもない。しかし国王一人がいないだけで国そのものが不安に陥るという脆さもある。柱となる存在は必ず必要だが、それがリュカである必要はないはずだ。リュカは一人隠れるように、そう考えている。



グランバニア国で、国民の前で公の儀式を行う際には必ずと言ってよいほど教会を使用する。城下町の最奥にあり、教会前の広場は多くの人々が集まるのに適している。教会の祭壇は大階段を上った先にあるが、それは決して上から人々を見下ろすためにあるのではない。壇上に上がり、人々の目に捉えてもらうのに適しているのだとリュカはその造りの意味を聞いている。国民が王を、王が国民を、互いにその存在を目にして意識することは、国を造るための基本の一つなのだ。民は王を見て安心の根拠を得て生を営み、王は民を見て安心を与えることの責務を感じる。この力の均衡を崩すことは、国が傾くことにも繋がりかねない。
教会へ向かう最中、リュカたちの通る道は整然と開けられていた。城下町の大通り沿いには人々が集まり、国王一族の姿を静かに見守っていた。その中でも人々の溜息が漏れるのは、美しい王妃の姿を目にした時だった。水色のドレスに身を包み、長い金色の髪を結い上げた頭には銀を基調とした宝石が埋め込まれた髪飾りがある。厚化粧とまでは行かないが、今日に限っては国民の前での初めての儀式と言うこともあり、正しい化粧が施されている。王妃ビアンカは凡そ俯きがちにリュカの後ろを歩いていたが、時折顔を上げ、目が合う者には自然な笑みを向けていた。王妃の笑顔を向けられた者は、その場で卒倒しそうなほどに顔が赤くなったり青くなったりと忙しい。今までにない張りつめた空気、しかし国民の間には明らかに温かな喜びの感情があるのを感じれば、リュカはビアンカがこの国に無事に戻ってきたことに改めて自らも喜びを感じざるを得なかった。
教会の壇上に上がったのはリュカにビアンカ、ティミーにポピー、それにオジロンとドリスも続いて階段を上った。常ならばドリスもまたビアンカと同じような水色を基調としたドレスを着用するところだが、今日は珍しく落ち着いた緑のドレスを身に着けていた。あくまでも今日の主役はビアンカであり、彼女と同じような色のドレスは避けるべきだと彼女自身がそう考えていたらしい。それをオジロンから聞いた時に、ドリスも本心からビアンカが戻ってきたことを喜んでくれているのだと、リュカは我が事のように嬉しく思った。
壇上から階段の下を見渡す。多くの国民がこの教会前の広場に集まり、リュカたちを見上げている。全身を緊張感が包むが、これこそが自身の感じるべき緊張感なのだと、リュカは一つ大きく息を吐く。下手に格好つける必要はないが、程よく格好つける必要はある。端に控えめに立っていても、その存在が明らかに分かるサンチョもまた、リュカを見守っている。今のこの場には特別に、魔物の仲間たちも集められていた。プックルにスラりんにピエールにマーリンに、今も城外の警備に当たっている者以外は皆が皆、この場所に集っていた。誰一人として、ふざけている様子はない。プックルも寝そべることもなく、欠伸することもなく、ただ一心に壇上のビアンカをその青い瞳で見つめている。スラりんもその背に乗り、微動だにしない。ピエールの表情は分からないが、その兜の奥の目がリュカたちを真剣に見つめているのは分かる。マーリンと目が合い、緑のフードの頭が一つゆっくりと頷いたのを見て、リュカは民の前で言葉を口にし始めた。
「皆さん、本当にありがとうございます」
リュカの心情の最も大きなところが先ず、口をついて出た。
「こうして無事に妻を……王妃を救うことができたのも、皆さんのお陰だと思っています」
もしこのグランバニアと言う国の情勢が荒れ、国民が荒れていたならば、リュカは子供たちや仲間たちと共に国を離れて旅を続けることなどできなかっただろう。国王代理であるオジロンを中心として、国の人々が冷静さを欠かずにまとまっていてくれたお陰で、リュカは魔物に攫われた王妃を取り戻すための旅を続けることができたのだ。
リュカが話している際に一度、教会の窓からの日の光を閉ざす者が通り過ぎて行った。グランバニアの巨大な城を守るため、警備の任に就いているゴレムスだとリュカにはすぐに分かった。ゴレムスはその巨体故に、この城下町最奥の教会に入ることができなかった。しかしそれ以前に、ゴレムスは王妃帰還の祝の場に来ることを望まなかった。ビアンカがこの国に戻ってきたことを素直に喜んでいるのは、リュカにも分かっていた。しかし彼があくまでも待ち望んでいる存在は、魔界に囚われたままでいるマーサなのだ。
リュカが生まれる前から、リュカの母マーサがエルヘブンの村に暮らしていた時から、彼はマーサと共に生きていた。マーサがエルヘブンの村を半ば強引に出て行った時にも、ゴレムスだけはマーサの守護役としてついてきた。このグランバニアの国で、最もマーサの帰りを待ち望んでいると言っても良いほどに、ゴレムスは言葉にせずとも恐らくその時を待ち続けている。
教会の窓からの光を遮った守護役の巨体は、束の間その場に佇んでいたようにリュカには感じられた。教会の窓の外から、リュカたちの様子を覗き見た時があったのかも知れないし、ただ警備のために通り過ぎただけかも知れない。いずれにせよ、今のリュカにとって、ゴレムスの存在は心の中に大きく占めている。そして自身の思いもまた、比例するように大きくなる。王妃ビアンカを救出し、国民が喜びに沸く光景を目にしても、リュカの心は満たされたわけではない。やはり今も胸には空いたままの部分が塞がり切らない感覚がある。
その穴を塞ぐことだけに注力すれば、それは即ちただの我儘になるだろう。誰しもが常に心満たされているわけではない。大小あれど、悟りを開きでもしない限り、人間は心満たされることはないのかも知れない。それで良しと、どこかに妥協する一点があるはずだが、今のところリュカはまだその一点を見つけられずにいる。
リュカの国王としての言葉は始終、国民への感謝の念に置かれていた。それはリュカの本心そのものだった。人々に感謝をするとともに、それに応えられるようにこれからこの国を良くし、守って行くのが王族としての使命なのだと誓い、リュカは民へ語りかけるのを終えた。
そして王妃ビアンカがリュカに代わり、民の前に立つと、人々の中にはこの教会の壇上にまるで女神が現れたかのような錯覚にさえ陥る者もいた。それほどに儀礼用に仕立てられたビアンカの姿は、人々の心を清らかにまとめてしまっていた。
彼女の声はリュカほどに大きくはないが、それでも静まり返った教会の場において、隅々にまで行きわたった。相変わらずはっきりとした声だと、リュカは斜め後ろから彼女の姿を見守った。彼女の言葉もまた、リュカと同様に人々への感謝の念に終始していた。この国を一緒に守り続けていてくれたこと、暮らし続けていてくれたこと、王子王女が健やかに育ったのも人々一人一人のお陰なのだと、ビアンカは丁寧にその旨を言葉にした。
「だけど、私は私の事で喜んでなんていられない……そう思っています」
躊躇いがちにもそう口にしたビアンカの言葉に、人々の間には思いがけない緊張感が漂う。
「今はまだ、その時ではないかも知れません。ですが」
ビアンカの水色の瞳は、聴衆となっている国民に余すことなく向けられている。一人一人に語りかけるように、この想いは自分のものだけではないはずだと言うように、語る。
「私よりも前に、私と同じ……いえ、それ以上の悲劇に見舞われた方がいるんです」
この場でビアンカがどのような事を語るのか、リュカは事前に知らされていなかった。しっかり者のビアンカのことだから、特別リュカ自身が確認するようなこともないだろうと、彼女の考えに任せていた。まだ体調が完全に回復したわけではないこともあり、一言二言話すに留まるだろうと思っていたリュカを裏切るように、ビアンカは背筋を伸ばし、自身の想いを、夫や子供たち、身内となった王族、それにサンチョ、魔物の仲間たちや当時を知る年嵩の者たちの思いに乗せるように話していく。
「私はぜひ、お母様となったマーサ様にお会いしたいと思っています」
ビアンカがマーサの名を口にすることに、大いなる意義があった。リュカが母の名を口にすれば、それは息子の甘えだと捉えられる。ティミーやポピーが祖母の名を口にしても、それは関係性として少し弱く映る。オジロンが語れば感情的にもなり事務的にもなる。サンチョが人々の前でマーサのことを語れば、それは過去に縋る情けないものとして捉えられる危険もある。
しかしそれがビアンカとなれば、意味合いが全て異なる。彼女はまだ、マーサに会ったこともなければ、血の繋がりのある肉親と言うわけでもない。しかしリュカの妻となったことで、義理の娘と言う立場にある。彼女の言葉には主観的なものだけに留まらず、客観的要素が大いに含まれる。そして王族の仲間入りを果たしていることで、王族の内情に発言する力を持っている。今のビアンカはその立場を大いに利用したのだと、リュカは前を向いて表情の見えないビアンカの後姿を呆然と見つめていた。
「これは、私の勝手な望みです。ですが分かって欲しいとも思います。私はマーサ様の娘となり、母に会いたいと望むのは抗いようもないことだと。それだけ、知っておいてもらえればと思います」
リュカ自身が口に出すことのできない思いを、ビアンカは自らの思いを乗せて皆の前で語ったのだと、リュカは唐突に気づいた。いつも元気に明るく、気を張って強く見せる彼女だが、その全ては彼女の心根にある優しさが生み出しているものなのだ。リュカが公に言えないこと、言い辛いことを、彼女は全て請け負うように自らの言葉に変えて皆の前に晒してくれた。
最後に改めて国民となる人々に感謝の言葉を述べ、ビアンカが震える息を吐きながら一礼をすれば、聴衆となった国民の中から自然と拍手が沸き起こった。その拍手の意味は様々あっただろう。彼女は今日のこの時初めて、国民の前に立ち言葉を述べた。その声を聞いて単純に感動した者もいれば、初めて公の場で口にした言葉の確かさに感服した者や、自身を差し置いて先代王妃の安否を気遣う柔らかな心情が心に沁みた者もいる。一人一人に意味は違えど、王妃ビアンカの存在がこのひと時で根付いたのは誰の目にも明らかだった。
続いてオジロンが国民に言葉を告げる番だったが、恐らく予定していた言葉では辻褄の合わないものがあったのだろう。難しい顔をしながら、明らかに新たな言葉を考えつつ話すオジロンの姿を見て、リュカは彼がビアンカの予期しない言葉に戸惑いを隠せない状態に陥っているのだろうと理解した。まさかビアンカが義理の母であるマーサのことに言及するなどとは思ってもいなかったのだ。必然と彼もまた、義理の姉であるマーサのことを話すに至った。今後も姉であるマーサを救うことを諦めず、捜索を続けて行くことを、民の前で誓うこととなった。
教会からグランバニア上階にある玉座の間へ戻る際にも、彼らは城下町の大通りをゆっくりと列をなして歩き戻って行った。元来、グランバニア王国は王族と国民との距離は非常に近い。年始には新年祭と称して、民も王も関係なく武闘大会で力試しをするような関係でもある。唯一、その声、姿を晒したことのないビアンカが民の前で堂々と王妃としての言葉を告げたことで、再び王族と民との間には妙な壁はなくなった。大通り沿いに集まる人々の中からティミーがピピンを見つけ、引っ張って連れてくると、ピピンは顔を真っ赤にして王妃ビアンカの前に直立した。まともに言葉を発することもできないピピンの手を取り、ビアンカが「子供たちと仲良くしてくれたのよね。ありがとう」と微笑み声をかけると、ピピンは顔から蒸気を噴き出さんばかりの様相で、「どどどどどういたしましてでございますっ!」と声を裏返らせていた。
その後もしばらく、リュカたちは城下町に留まり、国民との語らいの時間を過ごした。噴水広場にある古びた木製の長椅子に座るリュカたちを中心に人々が集まれば、それは当然のように宴の催しとなった。いつの間にかリュカの足元にはプックルがおり、テーブルの上に出された食事をくれと催促するように赤い尾でリュカの背中をバシバシと叩く。リュカはオジロンやサンチョと話しながらも、彼らの話に加わる者は次々と入れ替わる。今は普段ほとんど話す機会のない人々の話を聞こうと、リュカは偶々目についた人に話しかけたり、話しかけてきた人に応じたりと、思いがけない目まぐるしい時を過ごした。
ビアンカはピピンの母との話に興じていた。彼女自身も、宿屋の娘として育った過去があるため、宿を営むピピンの母と通じる話があるのだろう。初めは王妃ビアンカに恐縮していたピピンの母だったが、彼女も宿を営む女将としての経験もあり、様々な人とのやり取りに慣れていることもあり、いざビアンカと話してみればまるで飾らない気さくな娘と感じたか、すぐに打ち解けた様子だった。ビアンカもまた、まるで生前の母と再会したかのような雰囲気を醸していた。もし今も母が生きていれば、こうして楽しく話していたのだろうかと、ビアンカは朧気にもそう感じていた。
そんな折、広場の中心にある噴水の水が大きく跳ね上がり、周りにいる人々の頭に水しぶきがかかった。ミニモンが悪戯をして噴き出す噴水の上から飛び込み、お祭り騒ぎを起こすように人々の頭上から水を浴びせかけたのだ。人々の間に悲鳴のような歓声が上がるが、一人として嫌な顔一つせず、ミニモンの悪戯を多めに見ている。子供のする些細な悪戯に目くじらを立てるような国民性でないことは、この国の人々が互いに信頼し合っている証拠だと、オジロンはかかった水を手で拭いながら笑って話す。そのような寛容な国民性を持つこの国だから、リュカもビアンカも、二人の子供たちが伸び伸びと育ってくれたのだろうと素直に思えるのだ。
少し離れた場所から美しい王妃の姿をじっとりと見つめていたピピンに、静かに近づいたドリスが足払いをかける。思い切りすっころんだピピンを見下ろして、ドリスは大笑いしている。そしてそんなドリスを見上げながら、ピピンは今度はドリスの美しさに見惚れてしまう。
「グランバニアにはどうしてこうも、美しい姫君ばかり……」
「ビアンカ様はリュカの奥さんだって。二人も子供を産んだお母さんだよ」
「それがもう、何と言うか、信じられないですよ! だってあんなにお若くてお綺麗で、それでもう十歳になる子供が二人も! そんなことってあっていいんですかね!?」
「ホントに綺麗だよねぇ、ビアンカ様。リュカには勿体ない。もっといい人いたんじゃないのかな」
「お母さんにはお父さん、お父さんにはお母さんしかいないに決まってるわよ、ドリス!」
「も~、冗談に決まってるでしょ、ポピー。そんなお母さんそっくりな顔で怒らないでよ」
「ポピー王女もみるみるお美しくなられて……これは僕も頑張らなくてはなりませんね!」
「何をよ」
鼻息荒くするピピンに、冷徹な視線を投げるドリス。そして首を傾げるポピーに構わずに、唐突に割り入ってくる者がいる。
「ピピン! じゃあ僕と一緒に競争しようよ!」
ティミーにとって会話の文脈などは関係ない。ただ身体を動かしたいというだけで、自分に付き合ってくれそうなピピンに話しかけたに過ぎない。競争とは、とぽかんとするピピンを再び連れ出し、ティミーは真っすぐに伸びた大通りをどちらが早く走り抜けられるかとビシッと教会の入口に続く門を指差した。その途方もない距離を見て、ピピンは愕然とする。
「何を考えてるんですか、ティミー王子。普通はあの三番目に並ぶ椅子くらいで留めておくべきだと思うんですけど」
「だってジェイミーさんが『ピピンは近頃体力づくりをさぼりがちです』って言ってたからさぁ。ねぇ、僕と一緒に走れば体力づくりになるよ!」
明るく提案をするティミーを通り過ぎ、ピピンの視線はその後ろの群衆の中に立つ、一つだけ頭の飛び出している上官に恐る恐る向かう。腕組みをして、いかにも厳しい顔つきをしているジェイミーと目が合うと、ピピンは顔を青くしてその場で背筋を伸ばした。
「た、体力作りは大切ですよね! 兵士の基本中の基本です。いやあ、流石はティミー王子。僕のような末端の兵士を鍛えることにお力を貸していただけるとは、恐悦至極に存じます!」
「きょうえ……えっと、何?」
「とってもありがたいから、何度でも走りたいってさ。良かったね、ティミー」
「んぐぅっ……そこまでは、言っていないような……」
「あら、折角の王子様のご提案をお断りになるの?」
ドリスの意地悪な笑みを受け、ピピンはもう何の言葉も返せなかった。しかし考えてみればまだ十歳のティミーと走り比べをしても、恐らく体力的にも自分の方が勝っているに違いないと、ピピンはある程度の冷静さを取り戻して、ティミーと共に大通りの中央に並び立った。
「王子、僕は不器用なんで、手加減とかできないと思うんですけど」
「ボクもきっとできないと思うよ!」
何やら王子が兵士と走る競争をするということで、俄かに場が盛り上がって来た。大通りにはみ出し談笑していた者たちも彼らのために道を開け、見物客と化す。そして自然に沸き起こる歓声は、概ね王子ティミーを応援する声ばかりだ。
「……こうなると思ったんだよなぁ。ホームなのにアウェイ……ああ、心が挫けそう」
「ピピン! 頑張って!」
ピピンが肩を落とす中で上がる黄色い声に、彼は鋭く振り返る。恐らくこの国で一番の美女が、ピピンに声援を送り、手を振っている。
「うおおお……王妃様が僕を応援してくれている……!」
「ティミー、負けるんじゃないわよ!」
「うん!」
ビアンカは当然のように息子ティミーにも声援を送る。
「そ、そりゃそうですよね。いやぁ、どこまでも公平で、その心根までも美し……」
「よーい、どん!」
「いあっ!?」
奇妙な声を上げて遅れたピピンを置き去りに、ティミーは合図と共に走り出した。合図を出したドリスが、「ピピン、頑張れ~」と揶揄うように手を振る。慌ててティミーの後を追いかけ走り始めたピピンを見て、リュカもビアンカもポピーも、彼を見ていた人々が一様に笑う。
大分二人の姿が遠くに見えるようになった頃になって、リュカの足元でもぐもぐと果物を食べ飲み下したプックルがすっくと立ち上がるや否や、皆が竦みあがるような雄たけびを上げた。何が始まるかと思えば、プックルもまた「遊んでやる」と言うように、遥か遠くに見える二人を追いかけ疾風のように駆け出して行った。
「プックルもまだまだ子供ねぇ」
「ビアンカにいい所を見せたいんだよ、きっと」
「うわ~、プックルはや~い」
「人と獣の違いを見せつけておりますな……」
リュカの傍に立ち、武器屋のイーサンと話をしていたサンチョも、プックルの速さに感嘆するように言葉を漏らす。あっという間に追い抜かれたピピンが「そんなのアリ!?」と声を上げ、次に抜かされたティミーが「そんなのムリ!!」と叫ぶ。当然のように先に教会前に到着したプックルは、疲れた素振りも見せずに走る二人を振り返り、得意気に赤い尾をゆらゆらと揺らして待っている様子だ。
プックルの次に教会の門前に着いたのはティミーとピピンとほぼ同着だった。二人の息切れが収まらない内に、ドリスが大声で「戻ってきなさーい!」と命令したものだから、ピピンはへとへとになりながら来た道を戻り始めた。その横で、同じく息を切らしたティミーがプックルの背に乗ってゆっくりと彼の横を進んでいく。
「あ、ずるいじゃないですか」
「ちょっと疲れちゃったからさ。一緒に乗ってく?」
気軽な調子でそう声をかけたティミーだが、ピピンは普段は間近に見ることもないプックルの鋭い眼光や牙を見て、まだ遠くに見えるジェイミー兵士長の厳しい表情を見て、「……遠慮しておきます」と小さく呟くにとどまった。
彼らが大通りの中戻ってくる様子を見ながら、ビアンカはポピーやドリスと共に楽し気に話していた。今年のグランバニア新年祭は魔物の来襲により途中で取り止めとなったが、そもそもビアンカはまだこの国の祭りに参加したことがない。今この場でグランバニアの人々がこうして盛り上がっている雰囲気は、新年祭での楽し気な騒ぎに似ている。来年こそはビアンカにもあの楽しい新年祭を共に楽しむことが出来ればと望むが、未だ世界は平和に包まれているわけではない。
魔界に囚われ続けているマーサを救う願いを口にしたのは、他でもないビアンカだ。彼女がその優しさからリュカの心を代弁していたとしても、彼女自身の思いも確かにその言葉に乗っていたはずだ。リュカは今は楽し気に笑う妻を静かに見つめながら、まとまらない思いを頭の中に巡らせていた。



「寝ている姿は本当に赤ちゃんのままよね」
昼間の騒ぎなど嘘のように、今は夜も深くなり、森に鳴く鳥の声も窓の外に微かに聞こえる程度だ。部屋の明かりも消え、今は月明かりだけが頼りの青白い部屋の景色が浮かび上がっている。
昼間に存分に身体を動かしたティミーは夕食の最中からうつらうつらと舟を漕ぎ始めていたが、就寝までの全ての物事を終えるまではどうにか意識を保ち、寝間着の一番上のボタンを留める寸前にベッドの上に倒れるようにして眠ってしまった。ビアンカがくすくすと笑いながら息子の寝間着のボタンを留め、同じく笑っていたポピーにもそろそろ眠るようにと声をかけた。ポピーはまだ母ビアンカと話がしたいようだったが、慣れない儀式用のドレスから解放され、気が抜けたのもあったのだろう。思わず口から出た欠伸を母にやんわりと指摘され、渋々と大の字で眠ってしまった兄の隣に小さく丸くなって目を瞑った。まだ眠りたくはなかったのかも知れないが、疲れた身体は正直で、ポピーもまたそれほど時を置かずに眠りに就いたようだった。
「こんなに大きいんだけどね」
ベッドに腰かけ、ポピーの頭を撫でるビアンカにリュカも応じる。子供たちは一度眠りに就いてしまえば、そうそう起きることはない。小声で話をしている分には、二人を起こす心配はなかった。
「リュカが出会った時に比べても、大きくなったんじゃないかしら」
「そうかもね」
「子供の成長は早いって、父さんも母さんもよく言ってたわ」
「そっか」
部屋の窓は閉め切っており、内側から鍵もかけてある。国王私室の外にも見張りの兵が立ち、扉にも兵が立つ。ビアンカがこの国に戻ってからは、この国王私室の警備はより一層厳しいものとなった。それは過去の反省から必然のことでもある。
「もうここに戻ってから何日も経つけど、まだ心が落ち着かないわ。ふわふわしてる感じ」
「ビアンカもそろそろ寝た方がいいんじゃないかな。疲れてるよね。昼間は慣れないことをしたんだしさ」
「うーん、でもせっかくリュカがいてくれるし、もう少しお話していたいじゃない。ダメ?」
「僕は構わないよ。ただ……」
「ねえ、あっちでお茶でも飲みながらお話しましょうよ」
そう言うなりビアンカはティミーとポピーに薄手の上掛けをさらりと掛け、ベッドから立ち上がるとリュカを置いて先に隣の部屋へと行ってしまった。常に子供たちの傍を離れない印象のある彼女が迷いなく子供たちから離れるのを見て、リュカは思わず眉をひそめた。
隣の部屋も窓から差し込む月明かりで、部屋の一角が青白く染まっていた。ビアンカは明かりの届かないテーブルの端に置かれる燭台に呪文で火を灯すと、その明かりを子供たちの眠る寝室になるべく届かないようにと更に端に寄せた。
「リュカのいない時にね、ドリスも遊びに来てくれたりするのよ」
ビアンカがこの国に戻ってからと言うもの、リュカはグランバニアにあまり留まらず、外に出ていることが多かった。外での主な仕事としては、天空城に残る人々の、これからの生活の場所を巡る単発的な旅のようなものだった。しかしそれももう終わりが見えている。それ故に今回はこうして、グランバニア王妃帰還の報せを国民に向けて行うことができたのだった。
「このお茶、よく眠れるんですって。ドリスが教えてくれたの」
ビアンカが用意する茶は普段リュカが口にすることはない。それはドリスから、ビアンカが心身ともによく休まるようにと勧めたものらしい。ドリスにとって、ビアンカは憧れの王妃様なのだ。ビアンカがこの城の屋上庭園に文字通り飛んで戻った時も、ドリスはリュカの目の前で泣きじゃくり、王妃が戻ったことを心の底から喜んだ。あれほどに顔中を涙に濡らしたドリスの姿を見たのは、あの時が初めてだった。
「よく眠れるようになった?」
ビアンカが茶を用意する間にリュカは椅子に座りながらそう問いかけたが、彼女は微笑むだけでそれには答えなかった。彼女のその反応に思わずリュカの顔は曇るが、いくら心配する言葉をかけても、彼女は大丈夫だと答えるだけだろう。
「優しくて、明るくて、頑張り屋さんよね、ドリスも」
「……そうだね。僕もそう思うよ」
王も王妃もこの城から姿を消し、残された王子王女を無事に育てなければならない重荷を、まだ少女だったドリスもその一端を背負っていた。守らなければならない二人の存在は、自ずとドリスを強くしていったに違いない。国王代理を務める父オジロンを見ていれば、彼女の中にも自ずと国民を守らねばならないという義務感も生まれただろう。そして彼女に出来ることをと始めたのが、グランバニア新年祭の武闘大会と言う催しものだ。
「彼女のおかげでこの国は明るさを失わなかったんだって思うよ」
「そうね。本当に……何度お礼を言ったって足りないくらいだわ。この国のみんな、一人一人に」
温いくらいの茶が入れられたカップが置かれ、リュカは茶を口にする。眠れる効用のある茶の味は思いの外すっきりとしている。これでは目が覚めるのではないかと思わずカップの茶を覗き込んだが、暗い部屋の中、ささやかな明かりを受けるだけの茶の色はリュカには分からない。
「昼間の私の言葉、びっくりした?」
唐突な問いかけだったが、リュカには彼女の言葉の意味がすぐに分かった。それはリュカが彼女に聞いてみようと思っていたことだった。
「前もって考えてたの?」
「実はね」
まさかビアンカがリュカの母マーサを救い出すことを諦めていないなどと、あの場で言うとはリュカは思ってもいなかった。しかしビアンカはあの場ほどこの願いを言うのに適した場所はないと思っていた。
「あれは私の本心よ」
「君の口から出れば、誰も何も言えないよ」
「そうよねぇ。だから私が言ったのよ。マーサ様を助けたいって」
魔物に連れ去られ、十年もの間石の呪いに閉じ込められた末に救われた王妃は十分に悲劇を体験してきたような存在だ。その王妃が自身の悲劇を振り返ることなく、それ以上の悲劇に見舞われている先代の王妃を救いたいのだと口にすれば、その状況に心動かされない人はいないに等しい。
「おじさまの……いいえ、お義父さまの悲願だもの。それにね」
言葉を切り、ビアンカは隣に座るリュカの、テーブルに置かれる手に自身の手を乗せる。二人の手の温度はほぼ同等で、さほど温かくはない。まだ眠気は訪れない。
「リュカに、お母さんに会って欲しいなぁって」
ビアンカの手がリュカの手の甲を優しく叩く。リュカはひと時たりとも外していない水のリングが、彼女の薬指に光るのを見つめる。
「お母さんに、リュカに会って欲しいなぁって」
自分の手を優しく叩く妻の手を、リュカは手を裏返して握った。初め握手をするように握り合っていた二人の手は、もう二度と離れることはないのだと確かめるように自然と指を絡め、握り込まれる。
「どれだけ会いたいと思ってるかって考えるとね、それを考えるだけでね……涙が出てくるわ」
「ビアンカ……」
「私がティミーとポピーにまた会えて、どれだけ嬉しかったか。リュカだってそうでしょう?」
彼女の問いかけにリュカは小さく頷いた。再び生きて会うことを、リュカは半ば諦めかけている時だった。意識は有れど、手も足も動かない状態が八年だ。その間に虚しく季節は移ろい、この状況は世界が終わるまで続くのかとぼんやりと頭の中を占めていた時に、二つの光が目の前に現れたのだ。
「私ね、まだお乳が張る時があるのよ」
リュカは妻から直接その状態を聞くことはなかったが、侍女の一人から妻の体調がまだ完全に戻っているわけではないことを聞いていた。ビアンカ自ら自身の体調をリュカに伝えるのは、これが初めてだ。
彼女が魔物に連れ去られたのはまだ双子の赤ん坊に乳をあげているような時期だった。まだ赤ん坊を産んで間もないその時に、彼女は石の呪いを受け、時を止められてしまった。そして石の呪いから解放された時、彼女の身体はその時のままだった。既に十歳という年齢に達したティミーとポピーにはもう、母の乳は必要ない。しかしビアンカにはまだ、赤ん坊を持つ母として乳をあげなければならないと、産後間もない強い母性がそのまま残っていたのだ。
「こんなの、どうしようもないじゃない? でもね、どうしようもなく切なくなる時があるの。ああ、私の手で二人とも、育てたかったなぁって。初めて話した言葉は何かなとか、初めて立った時ってどんなだったのかしらとか、風邪なんか引かなかったかなとか、いつ歯が生えたのかなとか、いつおしめがとれたのかなとか、もう考えたらキリがないのよ」
経験していない親としての経験を想像しては、ビアンカはその悲しみに向き合うのではなく逃避し、明るい母としてティミーとポピーに接していたのだろうと、リュカは思わず椅子から立ち上がり、椅子に座ったままのビアンカを胸に抱きしめた。隣の寝室に眠る子供たちを起こさないようにと、ビアンカはリュカの胸に顔を埋め、声を押し殺して泣く。
「ビアンカ、僕には何でも言って。隠さないでいいから」
「うん……うん……ありがとう、リュカ」
「僕たち、夫婦だよ。どんなに小さなことでもいいよ」
「でも、あんまり甘えられないわよ。だって私の方が二つ……」
「同い年だよ、僕たち」
「え?」
「君を探すのに二年かかったんだ。その間に僕は二つ年を取って、ビアンカに追いついたんだよ。気づいてなかった?」
お道化るように言うリュカの声に、ビアンカは驚いたように夫を見上げた。しばし間近に見つめる二人だが、その表情はまるで異なる。ビアンカはただ驚きに目を丸くし、リュカは楽し気に微笑みを浮かべる。
「だから僕たちは今、同じ年なんだ」
「……何よそれ、そんなことってある?」
「だって、そうだろ?」
「そんなの、知らないわよ」
「あ、僕に追いつかれたら悔しいんだろ? 分かるよ、ビアンカの気持ちは。だっていつでも君は僕のお姉さんでいたいんだもんね」
リュカが調子に乗って揶揄う様子に、ビアンカは思わず口を尖らせ眉を顰める。まだ泣き顔のままで、しゃっくりも出ているが、いつもの強気な瞳が彼女の目に戻ってきている。
「誰もそんなこと言ってないじゃない」
「言ってないけど、そう思ってたんじゃないの?」
いかにも楽し気な雰囲気でそう問いかけるリュカだが、その中には自然と妻を気遣う優しさが見えている。年上だからと気を張る必要などもうないのだと、リュカの言葉には暗に含まれている。そんな夫の柔らかな表情に、ビアンカは知らず力の入っていた肩から自然と力が抜けていくのを感じた。
「私たち、同い年?」
「うん、そう」
「何だか……新鮮ね、それって」
「ははっ、僕もそう思うよ」
「じゃあ思う存分、甘えてもいいのね?」
「それは年なんか関係なかったけどね」
はい、とリュカが両手を広げて立つと、ビアンカも椅子から立ち上がり、リュカの身体に抱きついた。互いに抱きしめ合い、互いの存在に寄りかかり、互いの存在を支え合う。それが夫婦だということを、リュカもビアンカもあのサラボナの教会で挙げた結婚式での誓いを思い出す。
「あの子たちはもう大きくなっちゃったけどさ、僕たちって幸か不幸か、まだまだ若いんだよね」
「うん?」
「君の体調がもっとずっと良くなったらさ」
「うん」
「また僕たちのところにコウノトリが来てくれるかも知れないよ」
「……ふふっ、そうかも知れないわね」
「そうしたら君と僕と、ティミーとポピーと、みんなで赤ちゃんを見ることだってできる。そういうのもいいんじゃないかな」
「そんな未来も素敵ね。きっと楽しいわ」
健やかなる時も病める時もその身を共にする、そう誓った結婚式での思いを今改めてその胸に思う。人前では強くあろうとする彼女だが、決して人目につかないところで涙に暮れたいと思っているわけでもない。既に起こってしまったことを嘆き、悲しみに伏すのでは前に進めない。折角この世に生を取り戻したのだ。手も足も動き、目に映るもの、耳に聞こえるものに感じ入り、考えることもできる。
自身を支えてくれる夫に頼り切るのはすべきではないし、そもそも性に合わない。だがこれからは夫の手を引っ張って行こうと気を張るのではなく、共に手を取り合い共に進んでいくのだと、ビアンカはリュカの背中に腕を巻きつけさらにぴたりと抱きついた。
「大丈夫。これからは全部、上手くいくよ」
「そうね。全部、絶対に」
互いに抱き合いながら、夫が、妻が、こうして隣にいてくれるなら何もかもが上手く行くのだと、リュカもビアンカも互いの存在を根拠にそう思う。テーブルの上に灯る明かりの中に一つの影が浮かぶ隣室では、二人の子供たちの穏やかな寝息が規則正しく続いている。今のこの場には、未来に繋ぐ希望だけがある、そんな思いが二人の胸を温かくしていた。

Comment

  1. ピピン より:

    bibiさん

    ビアンカがちゃんと公の場に立ったのはこれが初なんですよね…。
    あっという間に人々の心を掴んでしまうのは流石としか言いようがありません。
    もう最終回で良いんじゃないか、と思えるくらい平和な雰囲気で楽しかったです。

    そして主ビアの定番、同い年イベント…!
    全く予想もしてないビアンカの反応が可愛かったです。

    • bibi より:

      ピピン 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      そうなんです、ビアンカがグランバニアの王妃として公の場に立ったのは初めてで・・・でも彼女には堂々としていて欲しかったので、こんな様子で書いてみました。一国の王妃でありながらも、夫を支える妻という姿も出したかった、そんな感じです。平和、ですよねぇ。もう最終回でいいですかね(笑)
      同い年イベント、ここで出してみました。彼女にはこれからは少し、年上のお姉さんとして気を張ることから肩の力を抜いてもらおうかなと。まあ、彼女の性分でどうしてもお姉さんぶるところもあるかと思いますけどね。

  2. ケアル より:

    bibi様。

    ビアンカ思わぬマーサ発言で、オジロンの魔界に行くな! 反対意見がくつがえされるフラグ?(笑み)
    ゲームでは魔界に行くなと言われても、そのまま無視して魔界突入。
    bibiワールドではオジロンの許しを貰うつもりなのでしょうか。 グランバニア国民はリュカたちが魔界に行くことをビアンカの強い思いにより承諾してくれたということになる、そんな解釈で良いのですか?

    こんな平和な…和やかな場面。 しかし、ここにはパピンが居ないんですよね…。
    ピピンは…ピピン母は…二人とも何にも言わないけど、この親子の心情がかわいしょうで…(涙)
    ジェイミーはピピンを…ピピンのことを強く逞しく育てるんだろうなあ、兵士として人間として…尊敬するパピンに変わって…。
    ピピン、ピピン母、ジェイミー3人のお話、パピンを藻ってしまった後の、そんなお話bibi様、気になりませんか?
    気になるなあ…(願)
    ご無理でなければちょっとだけ考えてくださると幸いです…。

    カレブとマリーの姿が見えませんが元気でいますか?
    今回、登場するかなって思っていましたが?

    ビアンカ、せつないね辛いね…。
    bibi様、ビアンカの心情、心の本音を描写するのさすが旨いです!
    文章でビアンカの気持ちをここまで伝えるの難しかったと思います。 いやまあもう、ばっちりであります(笑み)
    思わず感情輸入して引き込まれました、そして、やっぱり2歳上だからってお姉さんぶって甘えられないって思っていたんですねぇ夫婦なのにねぇ(ニヤニヤ)
    ビアンカらしいねぇ(笑み)

    bibi様、最後の描写、フラグバリバリのまさかの3人目の子供発言!(びっくり)
    bibiワールドで? 作っちゃいます? 二次創作の醍醐味で!?(楽しみ)
    ぜんぜんありです!bibi様、フラグ回収お願いしますね?

    次回は、どこへ…ラインハット?ダンカンの山奥の村?テルパドール?ジージョのお屋敷?エルヘブンの長老たち?
    次話わくわくです!

    • bibi より:

      ケアル 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      ビアンカはオジロンの気持ちを知らないまま、ただリュカの背を押す意味で皆の前であんなことを言っています。彼女の言葉を基に、これからグランバニアを少し動かそうかと。そんなことを考えています。・・・あまり期待はせずにお待ちください(汗)
      グランバニアには私が勝手に登場させているキャラクターもいて、色々と登場させると収拾がつかなくなりそうで、今回は抜粋してお話に出てもらいました。カレブもマリーも元気です。教団から仲間になったトレットは見回りに出ていたかな。そうですね、グランバニアの人々に焦点を当てて一つお話を書いても良いかも知れないですね。本編になるかどうか、ちょっと難しい所ですね。でも考えてみます。
      ビアンカが強がるのは、彼女の心根に優しさがあるからだと思っています。彼女の信条として、弱きを助け強きを挫くといった思いがあるのだと。勇者の気風に通じるものもあるかな。でも同い年となった夫には甘えられる時には存分に甘えて欲しいと思います、これからは。
      この二人は子沢山でも良さそうだなぁと思っていました。賑やかな家庭を築いて楽しく暮らして欲しいなぁと。世の中が平和になったら、そんな光景も描いてみたいものです。

  3. バナナな より:

    bibi様、お久しぶりです。
    他の方がビアンカに言及しているので私はちょっと違う視点を。
    マーサとゴレムスの関係は正にリュカ、ビアンカとプックルの関係なんですよね。ビアンカに良いとこ見せたくて競争に飛び入り参加して一位をかっ攫っていくプックルの可愛さの反対側で、喜びつつもまだ望みが果たされていないゴレムスの対比が少し辛かったです(泣)
    しかも今後の展開を思うと・・・

    どうか今度の展開でゴレムスを呪縛から開放させてあげてください。ゲーム本編では全く語られていない部分ですが、登場人物全てにハッピーエンドを迎えてほしいです。

    • bibi より:

      バナナな 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      そうですね、ゴレムスとしては現王妃が国に戻ったことを静かに喜べても、まだまだ何も終わっていないという感じですね。本来、自分が守護しなくてはならない彼女の帰りを待ち続けてもう三十年・・・それでも人知れず諦めない彼はもしかしたらリュカ以上に諦めない心を持っているのかも。
      今後の展開はあくまでもゲームの内容を軸にして進めますが、彼もどうにか救われるような内容で書けたらと思います。まだまだ先の話になってしまいますが。登場人物全てにハッピーエンド、になるべく近づけるよう頑張ります。

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