戦うために戦う
全勢力に近い力を前に向け、道は拓けた。しかしまだ敵の群れが周囲にまとわりつき、敵を振り払い、戦いを終わらせることはできない。
主力はゴレムスだ。ゴレムスの護りを強くしている呪文の効果が、いよいよ弱まって来た。キラーマシンの振るう剣の威力に、ゴレムスの身体がぼろぼろと削がれていく。敵の群れはその赤い目に、主力となるゴレムスを捉えているのだろう。巨人の足元に幾体ものキラーマシンが群れを成し、集中的に巨人の足を狙い、まるで丸太を切り崩すように壊していく。
前方に進んでいた仲間たちと合流したティミーが、皆に行き渡るようにと防御呪文スクルトを唱える。皆の身体への守護の力が強まるが、既に負った傷が治るわけではない。息つく間もなくティミーは続けて回復呪文を唱えようとしたが、前に構えているキラーマシンの鏃が己に向いているのを見れば、呪文を唱える余裕を失う。天空の盾を構え防御の構えを取った直後に、盾は敵の放った矢を強く弾いた。よろめくティミーに続けて矢が放たれる。天空の鎧の護りの力がなければ、鏃はティミーの脇腹を貫いていただろう。スクルトの呪文の効果も相俟って、敵の放つ矢の威力を、ティミーはその強い守護の力で抑えていた。
シーザーとドラゴが対面しながら懸命に炎を吐き出し、敵の群れの動きを止める。その間を逃すまいと、ピエールはゴレムスの身体を治すべく、ベホマの呪文を唱えた。ゴレムスの崩れかけた身体の欠片が地面から浮き上がり、磁力を持つようにゴレムスの身体にくっついて行く。しかし遠く離れた場所に残された身体の部分は回復呪文の力を以てしてもゴレムスの身体へと戻っては来ない。歪な形に修復されたゴレムスの足はそのままで、彼の身体はやや傾き、バランスを崩したままだ。それでも尚、ゴレムスは腕に抱える大事なポピーを守り抜かねばと、彼女を腕に抱え込む。
ゴレムスの腕に守られながら、ポピーはその目に戦況を映さずとも、目を閉じた瞼の裏に皆の状況を見ていた。はっきりと映し出されているわけではなく、仲間のいる場所、敵の群れの在る場所が、脳裏の景色に点、点と存在しているような状態だ。敵の群れをはっきりと脳裏に認識する。そしてもう一度と、ルカナンの呪文を唱える。魔力は残り少ない。ゴレムスの腕が敵の矢を受けた。衝撃がポピーにも伝わる。その傷を癒すことのできない己の無力が歯がゆい。
ゴレムスの足を破壊すべく向かってくる敵に、ピエールが斬り返していく。しかしその後ろから図ったように、他のキラーマシンが斬りつけて来る。多勢の敵は戦いの中で確かな連携も見せて来る。敵の群れの中にその身を置けば、敵の連携技の餌食になってしまうと分かっていながらも、ゴレムスという仲間を守るためにピエールは躊躇なく敵の群れの中へと身を投じる。
互いに助け合うのは当然だと言わんばかりに、傷つくピエールの背中を守るようにプックルが飛び出す。向かってくる敵を蹴散らす。炎の爪から噴きあがる火炎がキラーマシンの装甲を溶かす。敵は予め組み立てられた連携の中での戦いなのだろう。しかしこちらの連携は一朝一夕で出来たような軟なものではない。長らく築き上げてきた連携なのだと、互いの信頼を頼りに動くプックルとピエールがゴレムスと言う主力を崩そうとする敵の力に対抗する。
トリシーにグレイトが、ティミーの小さな身体を守るように両脇に立ち、揃って炎を吐く。父であるシーザーや、母であるドラゴには及ばない威力ながらも、炎の熱に強いとは言えない敵の群れは姉弟が息を合わせて吐く火炎の前に攻撃の手を束の間止める。その隙を、ティミーは逃さなかった。
集中力を一気に高め、唱えた呪文はベホマラーだ。残りの魔力を放出してようやく、味方全員に回復の力が行き渡る。負っていた傷が癒しの力を得ればそれだけで、味方の動きは途端に改善する。常に傷を拵えているようなプックルとピエールの動きが改善する。動きが素早くなればそれだけ、敵の勢いを抑え込むことができた。敵の振るう剣を避ける余裕も束の間、生まれる。主力ゴレムスを前へと進める意気が高まる。
しかし敵の群れに常に狙われているのは、ゴレムスだけではなく、回復役を務めるティミーやピエールだ。離れた場所からボウガンを構え、弓を引き絞る体勢のキラーマシンは複数いる。その状況にピエールは気づいていたが、主力ゴレムスを前進させるためにもこの場を離れるわけには行かないと、剣を振るい続ける。
ボウガンに矢をつがえるキラーマシンの姿を宙から見つけるや否や、黄金竜の影に姿を隠していたアンクルが飛び出し、滑空し、素早く敵のボウガンを破壊すべく突っ込んでいく。既に彼の魔力は底を尽いていた。身一つで敵の攻撃力を削がねばならぬと、敵がボウガンを構えたところを見極めて攻撃を仕掛けていた。キラーマシンが為す矢での攻撃は、標的への調整に多少の時間がかかるのだ。アンクルは宙を飛ぶことのできる己の特性を生かし、目敏く敵の隙を見つけ、敵の攻撃力を削いでいく。
その時、皆の身体が更なる癒しの力に包まれた。軽くなった身体にプックルの勢いが、ピエールの鋭さが、ゴレムスの力強さが更に増す。そして、ゴレムスの横を風のように駆け出して行ったのは、リュカだ。
直前に彼らの体力を回復したのは、ビアンカが掲げた賢者の石の力に依るものだ。人間の姿に戻ったリュカが敵陣に勇ましく向かう光景に、皆の意気は否が応でも上がった。他人によって作られた関係ではなく、彼ら自身が作り上げていった絆の力は、機械兵らが与えられた脳で思考する範囲を遥かに超えていた。
ゴレムスが道を通せと、傷ついた足を前に踏み出す。それに合わせてリュカが、プックルとピエールと共に、敵を寄せ付けない。敵の様子をゴレムスの肩口に隠れるようにして注視するアンクルは、離れた場所で矢をつがえる敵の姿を見るや否や飛び込んでいく。
向かう場所にはシーザーと、リュカたちへの攻撃を止めてしまったキラーマシン一体が立っている。ゴレムスが地響きを立てるように向かってくるという中でも、そのキラーマシンは赤い目の光を明滅させながらまだ混乱している様子を見せている。戦闘用機械兵として生み出されたキラーマシンが、戦うべき相手を見失い、半ば途方に暮れているような状況だった。
ゴレムスの脇を、ティミーはドラゴ、トリシー、グレイトと共に走り進んでいた。既に魔力は空っぽだ。仲間の守りをこれ以上強くすることも叶わず、傷を負っても回復させてやる事も出来ない。しかし彼の隣を同じように走る母ビアンカの手には、強力な癒しの力を秘める賢者の石が握られている。いつでも私が皆を守って見せると言うように、ビアンカはマーサからの守りを強く握りしめながらティミーと共に前進する。
その賢者の石という宝玉が、敵の目に留まっていた。ボウガンの矢を継ぎ、弓を引き絞るキラーマシンの姿が四体。その鏃が全て、グレイトドラゴンの脇を走るビアンカに向けられている。
アンクルが飛び出した。キラーマシン一体のボウガンを蹴り壊し、その返しに剣の反撃を食らう。プックルが他の一体に飛びかかる。敵の体勢が崩れ、ビアンカを狙う鏃の先は宙を向く。しかしやはり剣での反撃を食らい、プックルの勢いが弱まる。ピエールが敵の落とした矢を拾い、投げた。既に放たれた敵の矢の軌道を妨げ、弾き、矢は二つとも地に落ちた。
ビアンカに敵の放った矢が一つ、迫る。しかし守りの要は己だと言うように、ティミーが母を庇うように天空の盾で矢を弾き返す。衝撃に左腕を痛めるが、母を守れた安堵がそのまま自信となり、前に進む足は止まらない。
しかし彼らの駆け抜けて行った後ろに一体、キラーマシンがボウガンを構えていた。誰もがその存在に気付かなかったのは、ゴレムスやドラゴなど、大きな味方の影に隠れていたからだ。その鏃もまた、回復をこなしている敵の女の背に向けられていた。
鋭く矢が放たれた。放たれた矢は、ビアンカの背を狙っていたキラーマシンの、左胸に突き刺さった。ビアンカに狙いを定めていた敵のボウガンはまだ矢をつがえている最中で、今にも放たんとするところで役目を終えていた。
つい数刻前まで仲間だったはずの機械兵に、シーザーの脇に立つ同じくキラーマシンが矢を放ったのだ。一矢で、機械兵の左胸にある丸型の部分を的確に射抜いていた。左胸を矢に射られたキラーマシンはそれだけで動きを止め、赤い目の光を暗く落とした。キラーマシンは己の弱点を知っていた。それ故に、その弱点に狙いを定め、確実に一矢で仲間であったはずの同じ機械兵の動きを止めることを決定したのだ。
プログラムが変更された。直前まで仲間だった者を矢で倒したキラーマシンは続けざまに矢を射ようと、ボウガンを構える。そしてそれは、やはりかつての仲間へと向けられる。
「やめろっ!」
リュカが矢を放とうとするキラーマシンに向かって走り込みながら叫んだ。リュカの声が言葉としてキラーマシンに届かない。構えるボウガンから矢が放たれようとしたその時、他のキラーマシンの剣が間近に振り下ろされ、ボウガンを構える左腕は肘から先を斬り落とされてしまった。機械の左腕がボウガンごと、地面に投げ出された。
リュカは地面に落ちた、壊れたボウガンがついたままのキラーマシンの左腕を拾うと、手にしているドラゴンの杖に引っ掛け、キラーマシンの身体を前へと押しやる。
「お前は戦わなくていい!」
リュカに合わせて、プックルもその大きな豹の身体でキラーマシンの身体を押す。リュカやプックルに剣を向けてくることはなく、キラーマシンはただ明滅を止めた赤い目を一人の人間と一匹の豹へと向ける。
「仲間だったんだろ!」
リュカは大声を上げながらも、襲い掛かってくる敵に剣で応じる。その剣は無意識にも、左腕を失ったキラーマシンを庇っている。リュカは既にこの機械兵が、敵ではなくなっていることを感じ取ってしまっている。
「おいっ! 一気に抜けんぞ!」
上でアンクルが叫ぶ。もう前に立ちふさがる敵はいない。周りに纏わりついていた敵の群れも、あまりに激しい戦いの連続に息を吐くように動きを止め、その瞬間に敵との間に距離が僅か生まれた。ゴレムスがぼろついた足を前に出し、敵の群れを抜け出した。全ての仲間がゴレムスの動きと一体となって、前へ前へと駆けて行く。
キラーマシンの群れはこの場所を守り抜くために配置された警備兵だ。定められている場所があるのだろう。リュカたちが進む先には山々を背景に、その手前に広い森の景色が広がっている。暗い森の中にも魔物が潜んでいることは当然考えられるがしかし、とにかく森の木々の間に身を潜めるべくリュカたちは息が継げないほどの苦しさを感じながらも必死に森に向かって走って行く。
リュカたちを追っていたキラーマシンの群れはそれ以上、リュカたちを追うことはなかった。彼らの与えられた役割はあくまでもこの大きな橋にも似た道を通る侵入者をこの場所で止めることだ。止められなければそれ以上の行動は与えられていないのだと分かる。この場所を通過し、先へと進んでしまった者たちを、機械兵たちが自らの意思で捕まえに来ることはない。
まだ見える位置にいるというのに、敵対していたキラーマシンの群れはリュカたちに背を向け、元の場所へと戻って行く。その姿を見てリュカたちはまだ森の中へと身を潜ませる前に足を止め、しばらく暴れて止みそうもない呼吸を収めようとした。そんなリュカの隣で、片腕を失くしたキラーマシンは、リュカが今も脇に抱えているボウガンの付いた自身の左腕をじっと見つめていた。
暗い森の淵に寄り、リュカたちは疲れ切った身体を休めた。キラーマシンの群れがこの関所付近を警戒しているからか、他の魔物の姿は見られない。警戒に当たるキラーマシンは人間であるリュカたちだけではなく、当然のように魔物の仲間たちにも攻撃を仕掛けてきた。同じ暗黒世界に棲むグレイトドラゴンに向かっても、剣も矢も向けて来た。この場所を守る機械兵らは、味方であるか敵であるかに関わらず、この場所を通ろうとする者全てを拒む設定が既にその頭に為されているのだろう。それ故か、迂闊にキラーマシンの攻撃対象にならないようにと、この世界に棲む魔物でさえ近づかないのかも知れない。
「これ、上手くくっつくかな」
必死に走り抜け、全身が汗だくになっていたリュカが、近くに放り出すように置いたキラーマシンの左腕を見ながらそう零した。この魔界と言う世界には滅多に風が吹かないようだ。淀んだ温い空気が辺りに漂うだけで、なかなか汗も引かない。リュカは今の戦いの中だけで端をボロボロにした濃紫色のマントを掴むと、それで汗を拭った。しかし自身の血の染みたマントで拭いたために、今度は錆びた鉄の匂いが鼻を突く。
「お父さん、そのロボットさん……仲間になってくれたの?」
今もまだゴレムスがその腕に抱いているポピーが、小さな声で呼びかける。
「よく分からないけど……どうなんだろう」
「我々魔物としても、この者の言わんとすることは全く分かりませんよ」
「がうがう」
「とにかくみんなヒドイ状態だわ。傷を治さないと」
互いに言葉を交わしているのが奇跡と思えるほどの怪我をしているにも関わらず、リュカたちは今もまだ戦いの興奮から完全には醒めていないためにその痛みに鈍かった。しかしひとたび己の傷の具合に気付けば、その視覚が得る情報にようやくまともな痛みに気付いた。
ビアンカも駆けて来た疲れの中で、まだ息を切らしつつも皆の中心に身を置くと、本来は攻撃呪文にのみ発揮できる己の魔力を込めるように賢者の石に念じ、仲間たちの傷を癒した。癒しの力は暗闇の世界の中で小さく輝き、シーザーやドラゴたち黄金竜の家族の傷も癒し、そしてリュカたちと共にこの場にいるキラーマシンにも効果が及ぶ。まるで己の存在意義を見失った機械兵に救いの手を差し伸べるような癒しの光の動きに、リュカは自分が認めるよりも先に、賢者の石に籠る想いがキラーマシンを認めてくれたのだとふっと笑みを零した。
「勝手にくっついてはくれないんだね。うーん、僕はこういう機械っていじったことがないからなぁ」
賢者の石の癒しに身を包まれ、傷の具合も軽くなったリュカが改めて地面に放り出していたキラーマシンの左腕を手に取った。地面に腰を下ろしながらもキラーマシンににじり寄り、接合部分を間近に覗いてみるが、これを回復呪文で治せるかどうかは分からない。とにかく今はそれを試すこともできない。魔力が底を尽いてしまっているのだ。
「でもさ、このロボット兵ってそもそもどうやって動いてるのかな? 呪文は使ってこなかったから、魔力じゃなさそうだけど」
地面に腹ばいに寝そべるプックルの背にもたれるようにして、ティミーがキラーマシンを見ながらそう言った。
「魔力は……感じないものね。ゴレムスと似たような感じなのかしら」
今もまだゴレムスの手の平に乗るポピーが、不思議そうに首を傾げながらキラーマシンを見つめる。赤い目にじっと見つめ返されるとまだ怖さを感じてしまうが、見ている内にその赤い目自体に悪意はまるでないのだと、視線の静けさに知ることができた。
生きると言うのはそれぞれで、人間などの生物は何かしらの栄養をとなる物を体内に取り込まなくては生きてはいられない。プックルもアンクルも当然、食糧が必要な生き物だ。ピエールは、いわゆる様々な栄養を取り入れなくてはならない生物ではないが、水だけは絶やすことはできない身体だ。その一方でゴレムスは、栄養を取り入れる必要がない。彼が魔物として生き、動くことができる理由は、ただ主人への忠誠心がある、ということだけだ。彼はその想いだけで生きることができるという、ある種の恐怖を秘めている。
「忠誠心と言う意味では、似たようなものなのかも知れませんね。しかしこの機械兵が忠誠を誓うとすれば、魔界の王なのではないでしょうか。魔物であれば……」
「でもピエール、君はどうだった? 魔物だけど、魔界の王のために生きようとしてた?」
「……いえ、私はただ偶発的にこの世に産み出された魔物でしょうから、ただ『魔物』として生きていたまでです。リュカ殿と出会うまでは」
魔物として生まれたのなら魔物として生きるのが筋なのだと、ピエールは当然のようにそう考えていた。考えていた、という能動的な行動ですらなく、考えるまでもなくそれが常識なのだとその身に染みていた。それは決してピエールだけの話ではなく、地上の世界に生きる人間でも魔物でも、誰もがその心に持つ常識だ。
その常識に収まらなかった人間がリュカだった、というだけの話なのだ。そして己とは異なる意識を持つ者に出会って初めて、一体いつの間に自身の思う常識と言うものを身に着けていたのだろうと、己を疑うことができる。
「僕、思うんだけどさ、大義があれば別の話なんだけど、もしそうじゃなかったら、誰だって身近にいる人の言うことを一番聞くよね」
「それはそうよね。私だって遠く離れた誰か知らない偉い人よりも、こうして一緒にいる家族や仲間たちの言うことの方がよっぽど大事だもの。それってきっと、ごく普通のことよ」
「この機械兵はさ、きっとあの大勢の仲間たちと一緒に戦えって命令されてただけなんじゃないかな。だけど一緒に戦うことが出来なくなって、今は何だか訳が分からない状態なのかも」
「がう~……?」
「まあ確かに、今オレたちとこうして一緒にいんのに攻撃してこねぇもんなぁ。……何となくおっかねぇけど」
それまでじっと皆の話に耳を傾けるかのように目を閉じていたシーザーがふと目を静かに開け、巨大な尾を地面より起こした。尾の先でリュカが手にしている機械兵のボウガンをコンコンと叩くと、低く唸るような声でリュカに話しかける。黄金竜の言葉にリュカは初めて、機械兵がビアンカを危機から救ったことを知った。シーザーもその時の出来事を改めて振り返ればそう言うことなのだろうという結論に達した、というところだ。今リュカたちと共にいる機械兵が初めに倒した敵は、ティミーやビアンカ、黄金竜の母子らよりも後方に唯一構えていた一体のキラーマシンだ。直前まで仲間だった者だ。しかも狙いも正確に、たった一矢で機械兵を倒してしまった。
「君のおかげでビアンカも、みんなも助かったんだね。ありがとう」
そう言いながらリュカその場に立ち上がり、迷いなく両手を出すが、機械兵は右手に剣を装備し、左腕は肘から先を失くしてしまっている状態だ。そもそも握手などという友好の行動など想定されていないために、リュカに両手を差し出されても戦うことしか知らないキラーマシンはどうする事も出来ない。
そんなキラーマシンをリュカは、正面から一度抱きしめた。立つ姿はリュカの背丈よりも僅かばかり低く、検知機能の付いている赤い目がリュカの肩口に隠れると、機械兵の見る景色はしばしの間消えた。機械兵の身体を血の通う生物の温かな腕が触れると、彼は生まれて初めて、ただ戦うという目的のために戦うという不毛に行き当たったかのように、戦うという意味の外の世界に飛び出した。
そしてリュカが離れ、再びその赤い目に映る景色は、これまでにない鮮明さを生み出していた。キラーマシンの目に映る景色は本来、敵である生命体を捉えるだけのもので、見つけ次第剣を振るい、矢を放つという、それこそ機械的な動きのみが組み込まれていた。戦いの最中に生命体に触れることは想定内だが、敵であるはずの生命体に優しく包み込まれることなど、想定されていない。
キラーマシンの視界いっぱいに、一人の人間の男の姿が映し出されている。それまではただの生命体の一つとして、光の影がその目に映るのみだったが、今は一人の「リュカ」という人間がはっきりと映し出されていた。頭に布を巻き、浅黒い顔で、首から下には頭と同じような布を巻き、今もまだその両手は伸びて来て、どうやら自身の両肩に置かれている。間近に覗き込んでくる瞳は、この魔界の暗い景色を以てしても追いつかないほどに黒々としている。しかしその黒の中には常に、失うことのない光を湛えている。人間の男が瞳に映している光は、彼らが向かおうとしていた先に灯る、魔界の中でも常に青白い光を放ち続けるある場所からの光を映している。
「ありがとう」
リュカは間近にキラーマシンと目を合わせて、もう一度礼を述べた。言葉を話すこともなく、感情を読み取ることもできない機械を相手に意思の疎通を図ろうとすれば、こちら側から働きかけるしかないとキラーマシンの厳つい金属製の肩をぽんぽんと叩いた。そんなリュカの行動一つ一つが、キラーマシンの内に組み込まれているプログラムを一つ一つ変えて行ってしまう。
ガガガーッピュイーン!と機械の音がしたかと思うと、キラーマシンの赤い目がまるで生き物のように何度か瞬いた。はっきりと自分を見るキラーマシンの視線を、リュカは間近に感じた。また機械兵の目が瞬く。それが目の前の男の瞬く目の真似だと分かると、リュカはこの機械兵が人間と言う生き物を理解しようとしているのだろうと、機械には本来あるまじき情に思わず微笑んだ。
「お父さん、もう近づいても平気……よね?」
「うん、きっともう大丈夫。僕らと戦うってことはないよ」
リュカがそう答えると、ポピーはゴレムスの手から降り、恐怖を感じることはなく、ただ強い興味の下でキラーマシンに歩み寄った。近づいてくる少女に顔を向け、たった今学んだばかりの瞬きをして見せるキラーマシンに、ポピーはリュカと同じように微笑んで見せる。リュカの仲間の中で最も非力で、最も守らねばならないポピーだが、その彼女が躊躇いなくキラーマシンに近づく姿に、他の者たちの間にまだ漂っていた妙な緊張感が徐々に薄れて行く。
「で、どうすんだよ、コイツ。連れてくのか?」
聞くまでもないだろうと思いつつも、アンクルは念の為にとリュカに確かめる。現実的にも、今更このキラーマシンは元の仲間のところへ戻ることはできないだろう。群れで行動するらしい機械兵からあぶれてしまった彼をこの場に放置してしまえば、彼は目的もなくただこの世界を彷徨い続けるだけとなる。
「放っては置けないわよねぇ」
ビアンカはリュカの幼馴染として、妻として、すっかり彼の心情を承知してしまっている。孤独になってしまった一体のキラーマシンをこの場に放置しておけるほど、夫リュカに心がないとは露ほども思っていない。
「とにかく、この腕だけは直してあげたいよね」
そう言いながら、リュカは仲間たちと目指す場所に灯る青白い光の筋を見つめる。あの場所に何があるのかは分からない。しかし大分近づいてきた青白い光の筋からは、今やはっきりと聖なる力の影響を感じていた。リュカたちが暗黒世界の中へと入り込んできた場所も聖堂と思しき場所で、魔物を寄せ付けない聖なる力に守られていた。それと同じような、むしろそれよりも大きな力を向かう先から感じているのはリュカだけではない。
「一緒にあの場所を目指そう。あそこでもしかしたら君の腕も直せるかも知れないよ」
「……オレは敢えて、そいつの腕を直さなくてもいいんじゃないかと思うけどなぁ……」
アンクルは顔をしかめたままキラーマシンを横目に見ている。どうやら正面に立つのは避けたいらしい。
「腕がないよりあった方がいいでしょ。回復呪文でくっついてくれればいいんだけど、ちょっと難しそうだし、機械をいじれる人も僕たちの中にはいないしさ。あの場所に機械をいじれる人がいるかも知れないから」
何気なく言ったリュカの一言に、ティミーが強く反応する。
「あそこに人間がいるの!? お父さんはそう思ってるんだ!」
「……そうよね、おばあ様がこの世界にいるはずなんだもの。あの場所に人がいたって何もおかしくなんかないよね!?」
「人間がいたところでこの機械兵の腕を直すかは分かりませんが……ただ、それもリュカ殿の口実でしょう」
「がうっ」
「ははっ、バレた?」
「要は、一人にしておけないってことよ」
そう言いながらビアンカは身に纏う水の羽衣の裾を手に持つと、それでリュカの顔を拭き始めた。あまりにも血なまぐさいような状態で、見た目に悲惨が漂う状況を救おうと、水の羽衣の水気で夫の顔を綺麗にしてやった。水の羽衣はそれ自体に浄化作用があるのか、拭き取った汚れを異物としてそのまま見えないほどの粒子にして空中へと霧散させてしまった。プックルがにゃあにゃあと猫撫で声を出すのを見るにつけ、ビアンカは続いてプックルの身体に残る血の痕を拭いてやる。
「ゴレムスの身体もちゃんと直してやりたいし。ほら、足が大きく削れちゃって、これじゃ歩きづらいよな?」
キラーマシンの大群の攻撃を一身に受け止めていたゴレムスは、主に足にその打撃を受けていた。キラーマシンの剣で斬りつけられたのは両足で、不格好に削れてしまった足のせいで巨体を支えるバランスが悪くなってしまった。
リュカの言葉を聞いていたはずのゴレムスだが、彼はただ近づいてきた青白い光の筋を見つめるよう、顔を山々の向こうへと向けていた。彼の意識は既にあの山々の向こうへ進んでいるのだと分かると、リュカはゴレムスの右足に寄り添うように立ち、大きな仲間の足を労わるように手で擦る。
「ゴレムス、悪いね。……もう少しだけ休ませてもらえるかな」
見た目の襤褸つき具合はゴレムスが最も酷い状態だが、彼は疲れと言うものを知らない。胸にある想いさえあればどれだけ動こうとも体力が途切れることはないのだ。しかしリュカたち人間や他の魔物たちは違う。疲れを癒さなくては次に進むこともままならない。
足元に立つリュカを見下ろし、ゴレムスはまるで子供の頭を撫でるようにリュカの頭に手を乗せた。リュカを子ども扱いできるのはサンチョやオジロン、ダンカンなどの身内に限らない。ゴレムスもまた、彼の意識ではリュカを子供の様に感じているに違いない。
「ねえ、あなたも私たちと一緒にあっちへ行くのよ。分かる?」
「名前がないと不便だよ。ねえ、お父さん、このロボット兵に名前をつけてあげようよ!」
ポピーがキラーマシンに丁寧に説明する横で、ティミーが仲間の名付け親になりたいという意識をありありと見せながらそう父に呼びかけた。二人とも、特にティミーも到底疲れを癒しきれていないはずだが、子供の純真さはそれだけで回復力を高めてしまうようだ。
「名前だったら……このロボット兵さんは矢を打つのがとっても上手だから……」
「あっ! 先に言っちゃダメだよ、お母さん! ボクだってそう思ってたんだから!」
「そうよね。だってその矢でお母さんを助けてくれたんだもの。弓矢の名手って言ったら、お話でも有名な……」
ティミーとポピーが口を揃えて「ロビン!」と同時に言うと、ビアンカはいかにも楽し気に笑った。リュカは楽し気な三人の様子に満足するように微笑んでいるが、話の内容は把握していない。己に分からない内容でも、家族が楽しんでいればそれで良いと、隣に立つロビンの肩をぽんぽんと叩く。プックルは我関せずという様子で、大口を開けて欠伸をしたなり、猫のように丸くなってしまった。ピエールは今後同種の敵に遭遇した時のためにも、ロビンという仲間の特徴を観察しようと考えている。アンクルは相変わらずロビンの正面には来ず、できる限り視界から外れるような場所へと避難していた。機械で出来たものを完全には信用できないらしい。ゴレムスは常に静かで、新たに仲間になったと思われるロビンに対して特別な行動を示すことはない。攻撃をしてこなければ反撃することもないと、それだけだ。
「とにかく、もう少し休みましょ。プックルが寝息を立ててるくらいだもの。きっとここは今、安全なのよ」
最も魔物の気配に敏感なプックルが、ビアンカの言う通り大きな身体を呼吸に上下させて、完全に寝入っていた。暗い森の淵に寄り、外を歩く魔物からは身を隠しているような状況だ。目指す場所へはまだ少し距離がある。魔界の旅はまだ続くのだからと、皆はビアンカの言葉に賛同するように、再び心身ともに休ませることに専念した。