戦力強化
“ぶきや”の看板が下げられた建物は、遠くから見えていたよりもよほど大きく、建物自体は町を囲む聖なる水の流れる濠に接していた。建物を間近に見てみれば、他の建物同様に細かいことにはこだわらないと言うような造りが見て取れる。魔物にとっては恐らく積む石の位置が少々ずれることに何の問題もないに違いない。
ただ、建物は人間世界では通常造らないであろうほどに大きい。建物を大きくしなければならない理由は、魔界のこの町を歩くのは人間だけではないからだ。“ぶきや”の入口の扉は荒っぽい造りの木の扉だが、その大きさはアンクルでも問題なく入れるほどに大きな造りだ。
木の扉を開ける前から、中で金属を叩く音が響いているのが聞こえていた。武器屋であり、鍛冶屋である店主が武器の制作に勤しんでいるのであろうことが窺えた。木の扉を開けると、奥の方で赤々と燃える火の傍に座り込んで、重々しい金槌を振り上げている店主の姿があった。顏を保護するためだろう、頭からすっぽりと被る鉄仮面のような兜を被り、細く横に開いた目の部分から、鋭い目がリュカたちを見据えた。
ごつごつとした石造りの広い店内に、いくつもの武器が台の上に並べられたり、床に無造作に置かれていたり、壁に立てかけられたりしている。台の上に並んでいる武器はリュカたち人間が扱うような剣や杖の類だが、まだ製作途中なのだろうかと思えるような扱いの床や壁にある武器は、とても人間が扱えるような大きさではなかった。リュカが両手に持とうとしても地面に引きずってしまうような巨大なボウガンや、持ち歩くのにも不便極まりないほどに長い槍が商品として並んでいる。
「あんたらか。聞いてるよ」
言葉少なに語る武器屋の主人の声は、被る兜の影響もあってくぐもっているが、大きく聞き取りやすいものだった。ただその目は再び作っている途中の武器へと注がれ、一心に金槌を振り下ろして赤々とした鉄を力強くも丁寧に叩いている。まだ作業の途中なのだろう、邪魔をしないようにとリュカたちは武器屋の主人の手が休まるのを待って、しばらく静かに店内の様子を見渡していた。
火を扱う場所であるからか、店内を照らす明かりは聖なる水の力に頼るよりも、地上の世界に戻ったかと錯覚するほどの火の明かりをいくつも置いている。おかげで店内は明るく暖かく照らされ、心身温まるようなこの状況にリュカたちは落ち着いて店内を見ることができた。
その中でリュカは、仲間のアンクルがじっと一つの武器を見つめていることに気付いた。横顔を覗けば、その目は真剣で、口周りに生える青い髭を手で覆いながら小さく唸るような声を出していた。彼が目にしているのは、壁に立てかけられている巨大な槍だ。
遠目から見ればそれはただただ大きな槍に見えたが、近くでその形状を見てみれば、口金近くに悪魔の顔を模した装飾が施され、明らかに強く禍々しい魔力が込められているのを感じる。リュカはその槍の放つ悪しき力に思わず眉をひそめた。このジャハンナに暮らす元魔物の人間たちは皆が善き人間でいられるようにと常々心の中で思っているはずだ。とてもそのような善人を目指す人物が作れるような武器ではないと感じたのは、当然リュカだけではない。
「こりゃあ、何て言うか……おっかねえ武器だな」
「呪われてるのかな」
「このデカさだし、人間には扱えねぇんじゃねえのかな」
「じゃあ魔物が使う? アンクルなら使えそう」
そんな言葉を交わしながら何気に見た値札に書かれた金額に、リュカは目を丸くした。やはりジャハンナの町の金銭の価値は地上の世界とは桁が違う。サンチョから念の為と渡された所持金も相当なもので、地上の世界では優にふた月は町で過ごせるほどだが、この魔界の町では三日もいれば所持金は底を尽いてしまうかもしれないと思わせられる。
静かで遠慮がちではあるものの、ビアンカとポピーのひそひそとしつつも盛り上がったような声が上がり、リュカは彼女らの様子を見に向かう。二人が見ていたのは台の上に並べられた商品の一つである、杖だった。アンクルと一緒に見た禍々しい槍とは対照的に、杖頭には背に羽を生やした女神の装飾が施され、目を閉じた女神が胸に抱くように、仄かに光る宝玉が収められている。そこには強い聖の力であり、生命の力を感じることができた。
「リュカ、見て。この杖、とてつもない魔力を秘めてるわ」
ビアンカは台に置かれたままの杖を手で指し示し、そして再びその目を杖へと落とす。杖のすぐ前には“ふっかつのつえ”と書かれた木札が置かれているだけだ。武器屋の店主に聞けば、復活の杖という武器について話を聞けるのだろうが、彼はまだ作成途中の武器に集中している。
「きっと回復の力があるんだと思うな。でもただの回復呪文じゃないよね、きっと」
ポピーも杖を間近に観察しながらも、決して手に取ろうとはしない。迂闊には触れることもできないというように、ビアンカもただ復活の杖のまじまじと見つめるだけだ。二人に倣い、リュカも杖には手を触れずに、横に置かれる杖の名が書かれた木札を手にして、それを不意に裏返してみた。裏には杖の商品価格が書かれており、それを見たリュカもビアンカもポピーも一様に身体を強張らせる。
「……うん、大丈夫よ。私はほら、お義母様からいただいた賢者の石を使わせてもらっているし、マグマの杖だって私ととっても相性がいいのよ」
「別に欲しいだなんて思っていません。私だっておばあ様のストロスの杖があるし、剣だって持ってるもの。お金は大事に使うのがいいと思います」
明らかに復活の杖に対する憧れを認めるような彼女たちの声音だったが、リュカにも感じられる杖の強力な魔力を考えれば、恐らくこの店で扱う商品の中でも最も高額な武器なのだろうと思われた。再び魔界の世界を歩くことになると想定して、強力な装備品を調えることを考えているリュカだが、武器を購入するには熟慮が必要だと改めて感じる。
「すまない、待たせたな。用件はそっちの機械兵だろ?」
武器屋の主人はどうやら既に宿屋の店主から直に話を聞いていたらしく、リュカたちがこの店を訪れることも事前に分かっていたらしい。作業用の兜を外した素顔はリュカよりも一回り以上年が上に見える、いかつい顔つきをした男性だ。短髪の黒髪は鍛冶の仕事に邪魔だからと自ら製作した小刀で切り揃えているのかも知れない。それまで制作していた武器の刀身は今、聖なる水の入った石の桶から出され、鍛冶台の上に乗せられている。恐らくまだ作業の途中なのだろうが、まだまだ長くかかる作業を続けるわけにも行かず、リュカたちの話を聞こうと作業を途中で止めたようだった。
「近づいても平気だな?」
「はい、問題ありません。僕が彼にちゃんと言います」
「機械に言ったってわかるもんじゃないだろ」
「分かってくれる機械もあるんです」
訝しんだ様子の武器屋の男にリュカは穏やかに笑みながらそう答えた。リュカたちの経験上でも初めてのことだったが、キラーマシンと言う機械兵ロビンは恐らくこの世で初めて、人間だけではなく生き物という相手を理解しようと努めるロボットだ。その証拠として、ロビンはリュカが武器屋の男を連れて近づいても、ただ彼らの行動の意味を考えるべく、首を細かく動かしながら瞬きをして、じっくりと様子を窺っている。リュカの姿があり、人間たちが住む町の中にいて、近づく男を攻撃するのは間違っているのだろうと判断しているために、右手に取り付けられている剣を振り上げることはない。
「へえ、妙なキラーマシンもあったもんだな」
「ロビンって言うんです」
「名前があるのか!?」
「名前をつけたんです。名前がないと呼べないので」
「せいぜい、1号とか2号とか、番号でも振っておくんならわかるけどな」
「番号……思いつきませんでした」
実際にロビンの名をつけたのは子供たちだったが、リュカ自身もキラーマシンである彼に名前をつけるに当たり、番号を割り当てると言うことは思いつきもしなかった。共に行動する仲間なのだから、呼びやすく親しみも感じられる名前が良いに決まっている。
ある者からある者へ名を与えること自体が、愛を与えることに相違ならない。リュカもビアンカもその思いで、愛する双子に名を与えた。リュカもビアンカも、その名を親から愛と共に与えられた。
「僕はリュカと言います。あなたの名前を聞いても良いですか?」
「俺はサイモン」
端的にそう答えた彼は早速ロビンの状態を細かく見ようと、唐突に左胸の丸型の部分に手を伸ばす。ロビンの赤い一つ目が不意に光り、剣を備える右腕が素早く動いた。
「ダメだ、ロビン。この人を傷つけちゃいけないよ」
リュカが間近で声をかけると、ロビンは戸惑ったように振り上げようとした右腕を止める。
「サイモンさん、ロビンはその場所が心臓のようなものみたいで……」
「そうだろうな。ここにこいつのスイッチがある」
「え?」
「腕を直す間は、スイッチを切らせてもらうよ。危なっかしくて仕方ない」
「そ、そういうことなら初めに言ってもらわないと! ロビンがびっくりするじゃないですか」
それまで至って穏やかに話していたリュカが表情を変え、明らかに怒った顔つきになったのを見て、武器屋サイモンは驚いたように目を見張った。元魔物である彼だが、キラーマシンのような機械兵に対しては単に機械に向き合う姿勢だけを見せていた。命が吹き込まれているわけでもない機械に対して気遣いは不要で、機械の修理であれば淡々と取り掛かるだけだと、当然のようにそう思っている。
「あんた、その機械兵がびっくりするところ、見たことがあるのか?」
「ないですけど、機械だからってびっくりしないとも限らないですよ」
キラーマシンに対して少々理解が及び過ぎているようにも見えるリュカと言う人物を、サイモンは改めてじっくりと見つめる。それこそ、己が魂を吹き込んだ武器を見る時のように、相手の真の部分を見つけるかのごとく、真剣な視線をリュカに送る。話に聞いていた以上に、町の救い主に似ているのだと、リュカの独特な目の力に思わず笑みを零す。
「全てのものに命が宿る……俺はまだそれをわかってなかったってことか」
サイモンは彼が制作する武器に対しては精魂込めて作り上げている自負があるが、リュカが少々むきになってキラーマシンを庇う姿に、己の理解はまだまだ浅いものなのだと気づかされた気がした。殺人マシンとして作られたこの機械兵にすら魂は宿るものなのだと、そしてその魂は関わる者によって浄化されることもあるということを忘れていたと、思わず気まずい様子で頭を指で掻く。
「お父さん、大丈夫みたい。ロビン、驚いてないみたいだわ」
「でもさぁ、ロビンが驚く時ってどんな風になるんだろ? こう、両手を上げて、うわっ!ってなるのかな?」
そう言いながらティミーが大袈裟に両手を上げて後ろに跳びはねるのを見て、ロビンはゆっくりと赤い一つ目を二度瞬いた。そして彼は右手に剣を持ちながら、左腕は肘で切れたまま、さっと上に上げると、四本足で弾みをつけてその場で飛び上がって見せる。首をぐるりと回してティミーに顏を向けると、「どう?」と言うように頭を横に少し倒した。
「驚いて見せた、と言ったところでしょうか」
「ボクのマネしてくれたの!? そうそう! 驚くってそういう感じなんだよ! 覚えた?」
「驚くのを覚えるって言うよりも、驚き方を覚えたってところかしらね~」
「驚くって覚えるものじゃない気がするものね。でも私も初めて驚いた時って、どんな感じだったんだろう?」
「がうがう?」
「ロビンに尻尾はねえだろ」
彼らが人間も魔物もなく話している様子を見て、サイモンは思わず嬉しそうに口角を上げて笑った。姿は違えど彼らの間に何の隔たりもない関係性を見て、感心したようにリュカを見つめる。
「腕を直すにも時間がかかるぞ。こいつ、ロビンを預かって修理になる」
「リュカ殿、ロビンを預けている間はやはり動きを止めておいた方が良いかと思われますが」
「そうだね。スイッチを……切っておいた方が良さそうだね」
リュカたちから一時離れ、武器屋の店主サイモンにロビンを預けるとなれば、彼の身の安全のためにも電源を切っておくことは必要だと、リュカはロビンを正面に見つつ、話しかける。
「ロビン、このサイモンさんが君の腕を直してくれるよ」
リュカの言葉に、ロビンはキュイーンと小さな機械音を鳴らして応える。
「君の腕が直ったらまた迎えに来るから、それまでゆっくり休んでおいてほしいんだ。だから……」
そう言ってリュカがロビンの左胸を指し示し、確かな彼の許可を得ようと言葉を続ける。
「一度ぐっすり眠ってもらうね。起きた時にはきっと、腕は直ってるよ」
「ああ、俺が元通り直してやるからな。安心して眠ってろ」
リュカの言葉に添えるように、サイモンもロビンに言葉をかける。ロビンはリュカとサイモンの顔を順に見つめ、赤い一つ目を一度ゆっくりと瞬いて見せると、そのまま目を閉じるように赤い丸は下に曲線を描く線となった。宿でもこうしてロビンは眠る姿を見せていたと思い出し、リュカは彼に言葉が正確に通じているのを感じた。
ロビンの左胸に付けられているボタンのような丸い出っ張りは、あくまでもカバーだった。電源スイッチそのものはカバーを開けた奥にあり、リュカの手などは入らないような場所にある。そもそもカバーも一度取り付けられた後には外せないようなものであり、サイモンはノミを手に取ると、それで丁寧にカバーを外し始めた。ロビンは変わらず目を閉じる仕草を見せて、落ち着いている。
外れたカバーを手に受け、大事に懐にしまうと、サイモンは持っていたノミをひっくり返して持ち直し、柄の部分を開いたロビンの左胸の窪みに差し込む。手では届かないような奥に電源ボタンがあるようで、サイモンはノミの柄の先で見えないボタンに触れると、それをゆっくりと押した。ロビンの眠る赤い一つ目が静かに消え、その身体からは一切の音が消えてしまった。今のロビンは一時的に、命を失ったようなものかも知れないと思いつつも、リュカはそんな彼にも当然のように話しかける。
「ロビンにとってはこれが初めて本当に“休む”ってことなのかもね。せっかくだからゆっくり休んでおいたらいいよ、うん」
リュカがロビンの肩を軽く叩いても、当然ロビンは何の反応も見せない。しかしそれも、人間が疲れ切っていくら呼びかけても目を覚まさないような状態と似たようなものかと思えば、機械兵がそれを体現しているのかと感じれば、その奇妙さに笑みさえ零れる。
「サイモンさん、ロビンをよろしくお願いします」
「ロビン、早く直るといいね!」
「でもボウガンが直ったとしても矢がないわ。サイモンさんに矢もお願いできるの?」
「はははっ、キラーマシンの矢はボウガンと対だ。ボウガンが直れば、矢も生まれる。こいつは一切呪文を使えないけど、全て魔力で動いているんだよ」
サイモンの言葉に、リュカはキラーマシンの群れと戦った時のことを思い出す。戦闘中、キラーマシンの矢の攻撃は凄まじく、その上矢筒の矢を切らすことがなかった。それと言うのもサイモンの言う通り、キラーマシンの放つ矢は彼のエネルギー源となる魔力が素となっているためだ。
「がうっがうっ?」
「そうですね、あの巨大なボウガンは特別魔力は感じません。しかし一体どのような人間があれほど大きなボウガンを使えるでしょうか」
リュカがサイモンに渡したロビンの左腕につけ直すボウガンとは異なり、この店の床に置かれているボウガンはあまりにも巨大だ。プックルとピエールの言葉を聞いたサイモンが、リュカに渡されたボウガンの状態を細かく見ながら言葉だけで応える。
「そいつはジャハンナの町を守るゴーレムたちが扱う武器だ。だから大きいんだよ」
その言葉に、リュカだけではなく一行は皆、ゴーレムに装備できるような武器があるとは考えたこともなかったことに気付いた。ゴーレムはその巨大さから、拳を振り上げても蹴りを繰り出しても、それだけで十分な戦力となる。ゴーレムの戦力をそれ以上に上げることを考えたこともなかった。そもそもゴーレムが持つ武器を地上の人間が作るような状況が考えられない。
「ゴレムスにも装備できるってことね」
「お父さん、ゴレムスにこれ、買って行ってあげようよ! きっと喜ぶよ!」
「外には強い魔物さんたちがたくさんいるから……それも必要なんじゃないかなって思います」
「ええと、リュカ殿、こちらの武器もなかなか値が張るようですが、購入は可能でしょうか」
今後再び外の魔の世界を歩かねばならないという時に、ゴレムスの戦力を上げることは、ポピーの言う通り必要なことに違いない。ボウガンを手にすれば、ゴレムスは敵に近づかないままに攻撃をしかけたり、敵の群れを牽制することもできるだろう。しかしピエールの言葉に釣られるようにビッグボウガンと武器の名を書かれた木札を覗いてみると、当然のように目の飛び出るような価格が雑な字で書きこまれている。
「大丈夫よ、リュカ。サンチョさんが沢山お金を渡してくれて助かったわ。足りる足りる!」
リュカは自身で持つのは心許ないと、今は一行の所持金をビアンカに預けている。金銭の管理ならば自分ではなくビアンカの方が余程しっかりと管理してくれると、財布の紐は彼女に握ってもらっている。ビアンカはこの魔界には唯一このジャハンナと言う町しかないと聞いて、これまでの激しい敵との戦いを振り返って、金を惜しんでいられる状況ではないことを十分に理解している。背に腹は代えられない、命は金で買えるものではないと、ゴレムスの武器を新たに手に入れることに前向きな姿勢を見せる。
「がう~?」
プックルが小さく話しかけたのはリュカではなく、一行から離れた場所に立って動かないアンクルだ。赤い尾をふりふり上げて近づくプックルに、アンクルは気づいていても振り返ることなく、先ほどから気になっている巨大な槍を見つめている。そして小声でぶつぶつと呟くアンクルの言葉がリュカの耳にも届く。
「ゴレムスに買うんだったらよ、オレにも一つ買ってくれてもいいんじゃねぇかなぁ……」
決して主張はしないアンクルの呟きを聞いて、リュカは小さく噴き出してしまった。まるでおねだりを必死に我慢している子供のようで、図体は相手に恐怖を与えるほどに大きいアンクルだが、その健気さにリュカの親心が擽られる。言葉が粗雑であるが故に乱暴者の空気を醸すアンクルだが、本当の彼はむしろ繊細なところもあり、周囲の事を常に気遣うような冷静さも持ち合わせているのだ。
「そうだね、アンクルにも武器が必要だ。これからの戦いは今まで以上に厳しいものになるだろうからね」
まさか自分の独り言が聞かれているとは思っていなかったアンクルは驚いたように振り返り、リュカを見下ろす。元から赤い顔が、更に赤みがかって見えるのは、店内に灯る火のせいだけではないだろう。それは独り言を聞かれた恥ずかしさとも思えたが、それよりも欲しいものが手に入るかも知れないという喜びの兆しという意味合いも含まれているに違いない。
「アンクルとゴレムスがこれまで以上に強くなってくれたら、とても心強いのは確かだよ。だから、サイモンさん、この二つの武器を売ってくれませんか?」
「おう、分かった。俺の自慢の武器だ。使ってやってもらえたら、武器も喜ぶだろうぜ」
「……できればちょーっとお代を負けて欲しいんだけど……でもこの武器って多分、この値段でも安いのかも知れないわよね」
地上の世界とは桁の違う価格の武器に、ビアンカは思わず小声で独り言を呟く。アンクルの隣に立ち、彼が長らく見つめていた巨大な長槍、デーモンスピアを間近に観察すると、その異様に思わず眉を顰める。いかにも呪われているかのような悪魔を模した装飾に、決して自分では手にしたくない思いが込み上げるが、その一方でビアンカ自身が扱う呪文にも同じ類の力を有するものがある。人の力を超越する神の力か、はたまた悪魔の力かと言うような、即死呪文ザラキの持つ生死を支配する圧倒的な魔力を、目の前のデーモンスピアという槍に感じるのだ。有無を言わせずに命を奪う力は無慈悲でもあり、しかし痛みを伴わず、気づかぬうちに死の世界へと旅立たせるのは慈悲深い側面があるとも言えるのだろう。
「あんたたちのために俺はこれまで武器を作ってきたようなものなのかもな」
魔界に人間の住む町はこのジャハンナしか存在しない。その町の中で元々は魔物の彷徨う鎧であったサイモンは、この町を守るためにとひたすらに武器の制作に勤しんできた。しかし今、彼が己の作った武器を託そうとしているのは、これから再び町の外へと出て魔界を旅し、町の救い主であるマーサを助けようとしている、彼女の血縁の者たちの仲間だ。
「きっとマーサ様を……救い出してくれよ」
サイモンもまた、他の町の住人同様に、邪悪な心を完全に取り去ったような光ある目をしていた。その目はリュカたちに純粋な希望を抱き、必ず成し遂げてくれるものだと信じている。彼がマーサが町に戻らない理由を知っている一人であることは間違いなかった。そのような彼の純真さを受ければ必然と、ビアンカの頭から武器の価格を値切るような考えも消え去ってしまった。善であろうとする者の前では善であるべきだという意識が働くのには抗えない。
結局二つの巨大な武器を、リュカは値札に示された価格のまま手に入れることにした。これまでに地上を旅していた頃には決して一つの武器も買えなかったであろう金額のものだったが、念の為にとサンチョが渡してくれた多めの旅の資金が大いにここで役立った。ただ残金は少ない。今後の旅の事を考えれば、武器の強化だけで満足してはいけないだろうと、リュカはサイモンに他にも町の武器防具屋などがあれば教えて欲しいと伝えた。
「防具屋は宿屋の近くにある。ブルートの奴もなかなか良い防具を作ってるぞ」
ジャハンナの町は町の周囲を聖なる水に囲まれており、人の生活にも、物を作るにも水が必要であるために、人々の暮らす場所は凡そ町の外壁沿いにまとまっている。聞けば道具屋もあり、金を預けるための銀行もあり、最も驚いたのは魔物たちを魔物たちのまま預かるという老人もいるということだった。町自体は小さなものだが、地上世界にある人間の町の機能がそのままこのジャハンナの町に移されているのだと、リュカは驚きにしばし声も出なかった。
「何でもマーサ様が暮らしていたところが、この町のようだったと、そんな話を聞いたことがあるけどな」
それを聞いてリュカは、母マーサが思い描いたジャハンナの町の様子は、故郷エルヘブンではなく、父パパスと暮らし、子が生まれたグランバニアの城と似ていることに改めて理解が及ぶ。恐らくマーサはこの町に、地上のグランバニアでの思い出もそのままに、町に暮らす人々と共に町を作り上げて行ったに違いない。
「じゃあサイモンさん、ロビンをよろしくお願いします」
そう言うと、リュカたちは武器屋を後にした。アンクルの手には買ったばかりのデーモンスピアがあり、ゴレムス用に購入したビッグボウガンはロビンの修理が終わる頃に店に取りに来ると、まだサイモンの店の床に置かれている。ボウガンの本体には文字が書き込まれている。“ゴレムス”と名の刻まれたビッグボウガンは、リュカたちが町の中で持ち歩くにはあまりにも巨大だ。しかし初めて手にする武器を使う練習も必要だろうと、リュカはなるべく早めにはゴレムスに渡そうと考えつつも、次に向かう町の防具屋へと皆と共に歩き向かい始めた。
この町に来て先ず宿に泊まり、リュカたちは宿を出るとそのまま町の奥に見えていた巨大水車へと向かった。その際、知らず通り過ぎていたのが町の防具屋だった。宿と隣接しているほどに、防具屋は近くにその建物があった。
気付かず通り過ぎていたのは、防具屋としての看板が見える位置にかかっていなかったからだろう。宿から進めば目にしないまま通り過ぎる位置に、店の裏側とも言える場所にひっそりと掲げられていた。“ぼうぐや”と書かれ、恐らく盾であろう芸術的とも思える絵が描かれている。
武器屋とは異なり、防具屋は屋根もない壁に囲まれた場所で、外で商品となる防具を綺麗に並べる形で店を営んでいた。思えば魔界の世界を旅してきたリュカたちは、これまでに一度も雨に降られたことがない。空は常に夜のように暗く、暗雲立ち込めるばかりの景色だが、乾いた雷が雲の合間に起こりこそすれ、雨が落ちてくることはない。極端に雨の少ない世界なのかも知れないと、リュカは雨に濡れる心配など不要の、外に店を開いている防具屋の店の中へと入って行った。
大柄だが、顔には柔和な笑みを浮かべる気の良い防具屋の主人であるブルートは、店に入ってくるリュカたちを目にするなり、お勧めの防具を丁寧に説明してくれた。決して凄みの効いた口調でもなく、買うことを前提とする誘導を行うわけでもなく、単に己の作り上げた防具の優れた点を客観的に説明する彼の言葉に、リュカは彼もまたこの町を守るためにその腕を防具作りに一心に向けているのだと感じた。
「私は特に、盾というものに力を入れているんですよ」
彼が最も勧めるのは店の中心に置かれる棚の上に飾られている、見るからに魔力の込められた盾だった。武器も防具も、強さに優れたものというのは、美にも優れているのだという考えがあるようで、ブルートの作り上げるものは全て緻密な作りを見せていた。彼が一押しするのは力の盾という盾で、見た目だけで言えば、その隣に並べられている水鏡の盾の方が優美さにおいて勝っているようにも思えた。しかし力の盾の中央部にはめ込まれている青の宝玉には癒しの力が込められているのだと、ブルートの説明に知った。リュカたちがマーサから授けられた賢者の石ほどの濃度の高い結晶ではないにせよ、力の盾にはそれに類似する癒しの宝玉が、盾としてだけの用を満たすに収まらないのだと彼は言う。
盾の大きさは数種あるが、盾の中央部を飾る青の宝玉の大きさは変わらない。そして残されている宝玉は数も少なく、尚且つこの青の宝玉を作り出すことができるのはマーサのみであり、これ以上力の盾を作り増やすことはできないらしい。
ビアンカがこっそりと残りの金を数えている。この町では全てのことにおいて、地上と比べて高い金を払うことを余儀なくされる。残りの金を使ってこの防具屋で何かを手に入れるにしても、せいぜいこの力の盾を一つだけというのがビアンカの答えだった。
店内には盾の他にも、激しい炎を模したような勇猛な鎧が飾られていたり、女性が身に着ける華やかな防具も置いている。力の盾の隣に並べられている水鏡の盾にしても、盾に込められている防魔の力で、敵の放つ攻撃呪文の類を払う効果が期待されている。目に眩しいほどの金ぴかの鎧ミラーアーマーは時折呪文を跳ね返してしまうほどの力を持っているが、その効力を発揮するのは敵の呪文に限らないということだった。いかにも勇猛な戦士が身に着けるような兜グレートヘルムをピエールがちらちらと見ていたようだったが、優先するべきは力の盾という考えには素直に賛同していたために、少々名残惜しさを見せつつも静かに己の意思を封じていた。
店に並べられている防具の数は少ない。それも当然で、一つ一つが芸術作品のような防具は、一つを仕上げるのに相当の時間がかかるということだった。ブルートは人間になって丁寧な作業ができることを嬉しく感じているようで、その仕事ぶりはとても彼が元はソルジャーブルという魔物だったと言うことを想像させない。防具に対する想いは魔物だった頃から持っていたようで、彼が強く美しい防具を作ることに生き甲斐を感じているのは確かだった。
「で、その力の盾ってのは誰が装備するんだよ?」
アンクルが先ほど武器屋で手にしたばかりのデーモンスピアを脇に大事に抱えつつ、リュカが購入しようとしている力の盾の使用者について問いかける。
「ボクは天空の盾があるからいらないよ」
そう言って左肩に担いでいる天空の盾を見せるティミーに、店主ブルートが見開く。自身の作り出した防具の説明に勤しんでいたブルートは、ティミーの持つ唯一無二の盾や鎧に気付かなかったようで、驚いた表情のままティミーに歩み寄ると、天空の武器防具を間近に目にして思わず溜め息をついた。ティミーが何気なく天空の盾をブルートに差し出すと、彼は恭しくそれを両手に受け取り、奇跡の装飾とも言える竜を象る天空の盾を細かく観察し始めた。
「お父さんが持つのかと思ってました」
「うーん、盾を装備したらちょっと動きづらそうだよね。ほら、剣も杖も持ってるし」
「リュカ殿にとってはドラゴンの杖が盾のようなものですからね」
「マスタードラゴンの杖が盾だなんて、贅沢な話よねぇ」
「がうがうっ!」
「プックルがどうやって持つんだよ。前足にくっつけとくのか? 走れねぇじゃねぇか」
普段は盾など持たないビアンカが興味本位で力の盾を手にしてみたが、とても重くて持ち歩ける物ではないと、すぐに棚の上に戻した。敵の直接攻撃を防ぐのが盾の本来の用途であり、当然力の盾はこの魔界を歩く魔物の強力な攻撃を防ぐ役割も務めてくれる。それ故に相応の重量があるために、力のある者にのみ装備可能なものだ。
「じゃ、アンクル、君が持ってるのがいいよ」
「え? オレ?」
「うん。アンクルがこの盾を持っていてくれれば、自分で傷の回復もできるだろ?」
「自分で傷を回復……」
「僕もティミーもピエールも、回復呪文が使える。プックルは盾を持つのはちょっと無理だし。ゴレムスにはちょっと小さすぎるでしょ。だから、どうかな?」
「で、でもよ、さっきだってこんな槍を買ってもらったし、オレばっかり、悪いじゃねぇか」
見た目にそぐわぬ遠慮や謙虚な姿勢に、リュカのみならず仲間たちが揃って笑う。武器屋でデーモンスピアを手に入れたことで非常に満足していたに違いない。予想以上の幸運が己の身に降りかかると不安になるのは、人間も魔物も変わらないところがあるのだろう。
「悪いとかじゃなくって、必要なんだよ。アンクルにも強くなってもらわないといけないんだ」
そう言うと、リュカは力の盾を両手に持ってアンクルに装備するように差し出す。店主ブルートも、アンクルホーンが力の盾を装備する際の助言をし始めた。魔物が防具を装備する時の注意点を説明できる人間など、このジャハンナに暮らす元魔物の人間くらいのものかも知れない。ブルートは自身がソルジャーブルだった時の感覚を思い出しながら、身体の大きな魔物が盾を装備するのであれば、小手のような形で持っていれば良いとアンクルの腕に力の盾の持ち手部分を通してやった。
「あら、似合うじゃない。かっこいいわよ、アンクル」
「ホントだ~。盾って言うよりも小手みたいだね! 小手っていうのもかっこいいなぁ」
「がう~」
「普段腕を動かすのとさして変わらない動作で済みそうですね」
「ああ、そうだな。これなら全く邪魔にならねぇよ」
「……回復の防具、ちょっとうらやましいです」
「ポピーは僕たちがちゃんと守ってあげるからね」
リュカの言葉をポピーは素直に受け止めた。敵との戦いの際、ポピーは常に誰かの護りの中にある。しかしアンクルは宙を飛び、強力な攻撃呪文も使うことができ、尚且つ宙から敵に打撃攻撃で突っ込むこともある。仲間たちとの連携を取りつつも、何かと単独行動が多くなるアンクルには、自らを回復する道具を手にするのは必要なことだ。
「身を守るのは何も防具だけゃないですよ。道具屋にも色々と身を守るものを置いているから、そちらにも寄ってみてください」
防具屋の店主ブルートは真剣に観察していた天空の盾をティミーに戻すと、もう一度感嘆の溜息をつきながらそうリュカたちに伝える。道具屋はここから町の外壁沿いを巨大水車の方へと進んだところにある。天空の盾や鎧を目にして職人魂に再び火がついたのか、ブルートはリュカたちを店から送り出すと、火のついた熱い心のまま防具づくりに向き合い始めたようだった。
防具屋から道具屋への道はそれほど離れておらず、少し歩けば道具屋の看板が見える場所にまで行き着いた。向かう途中左手には、町の人々の食糧を生み出すための畑の景色があった。農作業に勤しむ人々の姿も見え、それを見ていると本当にこの町には人間がくらしているのだと実感する。しかしそう思った矢先に、遠くに見える畑の中に魔物らしき姿を目にして、まだ魔物の姿をしている者も一緒になって野良仕事をしているのだと改めてこの町の不思議に触れたような気にもなった。
しかしこの人間と魔物が共存する景色は、地上の国グランバニアにも既に見ることのできるものだ。人間と魔物は相容れない存在とする世の常識に当てはまらない景色は圧倒的に少ないだけで、存在しえないものではないのだ。
巨大水車が右前方の奥に見えている。町を一周歩いて回っているのだと見る景色に分かる。道具屋の看板が見えるその先には、いくつかの丸印の絵が描かれた看板の下がる場所があり、そこには“ごーるどぎんこう”と文字が刻まれている。グランバニアの城の中にも設けられているものだが、リュカはその立場から一度も利用したことはない。一体どのようなものなのだろうかと覗いてみたくもなったが、確か持っている金を預けたり引き出したりする場所なのだと思い出すと、預ける金も引き出す金もないリュカにはやはり必要のないものだろうと寄り道することは避けた。
綿でも描いたのだろうかと思える絵の下に“どうぐや”と書かれた看板が下げられるところへリュカたちは向かう。道具屋や銀行などが集められたような町の一角には、上に木の板をいくつも並べたような屋根が設けられている。隙間から魔界の空が覗けるほどに雑な造りの屋根だが、雨も降らず風もそよ風程度のものしか感じられないこの場所には、屋根もあれば良いくらいのものなのかも知れない。
しかしこの町の人々は当然のように、外からの脅威に対しての備えを考えているに違いない。その事を思えば、リュカは恐らく町の人々のいざという時の場所は、地下の“おしょくじどころ”や町の入口近くの“やどや”、そして水車小屋にもその身を寄せるに違いないと、そう無意識にも考えていた。
道具屋の店主はまだ年若い男性だった。顔つきはどことなく女性らしい優し気な雰囲気で、リュカたちを見る目もにこやかに細められている。元気な声で「いらっしゃいませ!」と呼びかけて来るのを見ると、やはり彼もまたリュカたちの来訪を待っていたようだった。
決して品ぞろえが豊富というわけではなく、同じ品物がいくつも並ぶ棚がある中で、一つポピーの目についたものがあった。それは今も彼女の道具袋の中にこっそりと畳んでしまわれている。キメラの翼が両側にあしらわれ、風の精霊の力が宿ると言われる風の帽子をこのジャハンナの町の道具屋に見つけ、ポピーは思わず近づきまじまじと見つめた。
「あっ! これってポピーがコリンズ君からもらった帽子と同じだよね!?」
「なっ、ど、どうしてそう言うことは覚えてるのよ、お兄ちゃん!」
「あら~? 何よ何よ、そんなことがあったの?」
慌てるポピーが可愛くてつい顔を寄せて話しかけるビアンカに、ポピーはうつ向いたまま黙り込んでいる。
「お城に置いてきちゃったの? この帽子っていざって時に敵から逃げられるんだって言ってたよね。どうして持ってこなかったんだよ」
「でもねぇ、プレゼントでいただいた大事なものなら、大事にお城に置いておきたい気持ちも分かるわ。万が一失くしたら嫌だものね」
「ちがうもん! そんなんじゃないもん! 今も持ってるもん!」
向きになってそう答えるポピーの返事に最も驚いたのは、静かに様子を見守っていたリュカだった。道具袋の口を開けて、傷つけないように丁寧に畳まれた風の帽子を取り出すポピーを見て、リュカは言葉には言い表せないような複雑な気持ちを抱く。
「これはコリンズ君じゃなくて、ヘンリー様からいただいたようなものなの」
「え、そうなの? でもコリンズ君から直接もらったんだろ?」
「それならコリンズ君からのプレゼントってことじゃない。コリンズ君がポピーに渡したかったんでしょ? うふふっ、何よ~、どうしてお母さんに話してくれなかったのよ」
「別に、そんな話すようなことでもなかったし……」
特別大事なことでもないから話さなかったという割に、ポピーは両手の平の上に形を調えた風の帽子を乗せて、揺れる瞳でじっとそれを見つめている。今は彼女の思いが一心に風の帽子に注がれているのを感じ、リュカは尚も言葉が出せなくなる。
「おやおや! そちらのお嬢さんがお持ちになっているのは風の帽子じゃないですか! いざって言う時に便利なんですよね~。旅のお供に一つは持っておいた方が良いお品ですよ」
しかしせっかく持っているのに装備しないのは勿体ないと、道具屋の店主はポピーの手からそっと風の帽子を手に取ると、彼女の頭に被せて形を調えた。彼女のお気に入りの緑色のリボンの位置をビアンカが下にずらすと、風の帽子はそれ自体が意思を持つように両側の翼を小さくはためかせて、ポピーの頭部を護ると誓ったようにも見えた。
「でも、あの、これって頭に乗せるだけだから、走ったりすると落ちちゃうんじゃないかって心配で……」
「あ、それで被ってなかったんだ! 確かにボクの兜とは違うもんなぁ」
「それならご心配なく! 風の帽子は風の精霊の力が宿っているんです。帽子自体がお嬢さんの頭を守ろうとして離れませんよ」
「へぇ~、すごいものなのね。コリンズ君たら、そんなに貴重なものをポピーにくれたのね。ラインハットの国宝だったんじゃないかしら?」
そう言いながらビアンカが店の棚に置かれている風の帽子の脇に示される価格を見れば、やはり高い。残金で買えないことはないが、風の帽子の持つ特別な力や、ポピーが心配そうに大事そうに頭に被る風の帽子を両手に触れている姿を見れば、もう一つは必要ないだろうと店に置かれる他の品にふっと目を向ける。そんなビアンカの視線を逃さないと言うように、道具屋の主人は商売に精を出すように声をかける。
「これからも旅を続けるなら、これは持っておいた方が良いですよ!」
男性にしては高い声でそう言って彼が指の長い手に取って勧めるのが、美しい装飾品とも思える道具だ。首から下げるネックレスで、銀細工のように見える細かな装飾の中に、緑の小さな宝玉がはめ込まれている。その下に三つ小さく吊り下げられている紫色の雫形の宝玉と共に、強い魔力を否応なく感じる。防具屋のブルートが言っていた優れた道具の一つが恐らくこれなのだろうと、リュカたちはまじまじと道具屋の店主の差し出す道具を観察する。
「これはエルフのお守りと言って、貴方がたの精神を強い力で守ってくれるものなんです」
「エルフ……?」
店主に聞き返したその言葉を、リュカはこれまでに耳にしたことはあった。しかしそれを一体いつ聞いたことがあるのかも覚えていない。考え始めると、今初めて耳にしたのかも知れないと思うほどに自信がなくなってくる。自身の記憶にないほどに過去となると、まだ父パパスの生前の頃だろうか。
「エルフって、お話に出てくるような、あのエルフのことよね?」
「ボク、おとぎばなしでしか聞いたことないよ」
「私も……。でもそんなことを言ったら、お兄ちゃんだっておとぎばなしの中の人のようなものよ」
「がうがうっ!」
「そうですね。ビアンカ嬢が天空の勇者の子孫であり、ティミー王子が勇者となれば、御伽噺はただの御伽噺に非ず、ということになります」
「それにここは魔界だろ? 今や何でもありだぜ。御伽噺と現実の境なんてないのかも知れねぇよな」
皆の言葉を聞きながら、リュカがじっと道具屋の主人が手にしているエルフのお守りを見ていると、店主の青年は滑らかな口調で話をする。
「昔は地上世界に、本当にエルフは存在したと言われています。しかし人間を嫌うエルフはその存在を隠すように、ひっそりと小さな里で暮らしていたとも。存在があやふやなエルフはそれ故に、様々なお話にされているのでしょう」
その話を聞いてリュカが思い出すのは、幼い頃にプックルと共に足を踏み入れたことのある妖精の世界だ。冒険をしたその世界は冬の季節に閉ざされており、雪に塗れた白銀の世界を妖精のベラを連れて歩いたことがあった。
「妖精とは別の存在なんですよね?」
「妖精? ええ、そうですね。妖精は様々な種の者がいると言われていますが、エルフは妖精とは別の種族なんだそうですよ」
道具屋の主人ミステル自身も、エルフという存在を知識に知ってはいるものの、一度も目にしたことはないらしい。彼のその後に続く説明では、エルフは長命で誇り高い種族であり、人とは相容れない一方で、動物や植物を好み、そして非常に高い魔力を有するらしい。ビアンカやポピーも恐らく世の中では一流の魔法使いに当たるのだろうが、エルフの有する魔力と言うのはいわゆるリュカたちが使用するような呪文とはまた異なる類いのもので、自然との親和性が高いと言われている。その話を聞いたリュカは、やはり妖精の世界に暮らすベラやポワンなどの妖精と近い存在なのではないかと感じた。大人の人間には目にすることもできない彼女たちもまた妖精の世界で巨大な木を拠り所にして暮していた。地上の人間の生きる世界には様々な人工物が溢れているが、妖精の世界にはただ自然だけが溢れていた。
「一度は目にしてみたいものですよね、エルフ。でももう今はいないのかなぁ、やっぱり」
「しかしご主人、それではどのような訳でこちらの道具は“エルフのお守り”という名がつけられているのですか」
ピエールが道具屋ミステルの手から下げられている首飾りを興味深く見ながら、純粋な疑問を投げかける。きっとこだわりを持ってその名をつけたのだろうと思ってそう聞いたピエールだったが、ミステルからの返事は非常に簡単なものだった。
「マーサ様がそう呼んでいたからですよ」
にこやかに話すミステルの手から下げられるエルフのお守りの宝玉が、暗い魔界の世界にあっても淡い光を放っている。
「このお守りはとても貴重なものなんです。今も店には二つしか置いていなくて……。新しく作るにも時間もかかるし、マーサ様のお力も必要なんです」
彼の言う通り、道具屋の店の棚にはもう一つのエルフのお守りが置かれているだけのようだった。
「マーサ様ご自身も一つ、常に身に着けておられます。初めはその一つしかなかったんです。しかしね、そこは私の努力に根性に探求心に……その他もろもろで、頑張ってもう二つ、どうにか作ってみたんですよ!」
凄いでしょうと言わんばかりに鼻を膨らませてそう語るミステルの起こした成果は、恐らく途轍もなく大きなものなのだろうとリュカも皆もそう感じた。このジャハンナの町に暮らす元々魔物だった人間たちの、善き人間であろうとする精神や力は、地上の人間では追いつかないほどの優れたものを生み出しているのかも知れないと思わせられる。
「これほど神秘の力に満ちた首飾りですから、エルフの名がつくのも頷けますよね」
この世にあり得ないほどの防魔の力を備えたものであるが故に、今の世には存在しないであろうエルフの名を冠するという考えを示すミステルの言葉にも納得できる。腑に落ちない感情もあったリュカだが、己の作り上げた美しい装飾品を手にして自らまじまじと見つめているミステルの姿を見れば、それ以上彼に何かを聞くことは余計なことだと感じ、口を噤む。
「そんなに貴重なものを、売ってしまっても良いのかしら。大事に取っておいた方がいいんじゃないの?」
この世にいくつもあるわけではないような貴重な首飾りを店で売ってしまうなど勿体ないと、ビアンカが思わず素直に口を出す。ましてやマーサがいない今は新たにこの首飾りを作ることもできないとなれば尚更だと、彼女は眉をひそめながらミステルを見る。
「いやいやいや、貴方がただからこうして出しているんです。だって、危険な外の世界に出てマーサ様を連れて来てくれようとしてるんでしょう? まさしく貴方がたのために作っていたようなものですよ!」
これも運命だと言うように、彼はもう一つのエルフのお守りも手にして、両手に貴重な防魔の道具をぶら下げてリュカたちに見せる。首飾りの置かれていた棚の脇に示される木札に書かれた値段は、当然のようにそれなりに高い。しかし世にも珍しい品物にしては安価ではないだろうかと、ビアンカは残りの金を全て出すことも厭わないという気持ちで、隣のリュカを見上げた。その視線を受けてリュカは背中を押されるように、道具屋の主人ミステルに告げる。
「二つともいただけますか」
「はい、毎度! どなたがお持ちになりますか?」
「子供たちに」
「「えっ?」」
迷いなく示されたリュカの言葉に、ティミーとポピーが同時に声を上げる。リュカの言葉を予想していたビアンカはにこやかな顔つきで二人を見ると、惜しげなく残りの金から首飾りの代金を支払う。他にもいくつかの品物が棚に並んでいたが、もう手持ちの金で買えるものはなくなってしまった。
「ボクで、いいの?」
「これって誰でも装備できるものだから、ちゃんと話し合って決めた方がいいと思います……」
「いいんだよ、二人で。おばあ様からのお守りだ」
二人の子供を何を差し置いても守りたいという思いは、リュカやビアンカだけではなく、仲間たちに共通する思いだ。たとえ世界に平和をもたらす勇者として生まれ育ったとしても、誰よりも強大な呪文の使い手であっても、それを理由に二人を戦いの矢面に立たせることなど考えることもできない。リュカやビアンカにとっては大事な我が子であり、プックルやピエールにとっては二人が生まれた時からこれまで絶えず見守って来た存在であり、アンクルにとっても最も身体の小さな人間の子供は守ってやらねばならないという思いを、今では当然のように抱いている。
それと言うのも、彼らが自発的に備えた感情ではない。リュカの脳裏には父パパスの広い背中がちらつく。自然であり、必然であるこの感情は受け継いできたものであり、影響し合って醸成されてきたものなのだと今はそれをはっきりと感じることができる。
そしてその父に連れられグランバニアに暮らした母マーサも間違いなく、同じような思いを抱くだろう。そうでなければ、凡そ三十年の長きに渡ってたった一人で、魔界の扉を開くことを拒み続けることなどできようもない。
「これからはおばあ様も二人を守ってくれるよ」
店主の手で首から下げられたエルフのお守りを、ティミーもポピーも手に取ってまじまじと見つめる。魔力を秘める宝玉は常にその中で光を湛え、柔らかに波打つように揺らめいている。それを見ていると、お守りそのものに命が宿っているようにも思え、それだけで二人の心は温かくなり、強くもなる。
「ありがとう、お父さん!」
「大事にします。……うれしい」
満面の笑みのティミーも、温かな微笑みを浮かべるポピーも、子供たちのその表情がリュカにとっては最上のお守りだ。二人の笑顔に支えられると同時に、二人の笑顔を守らねばならないと、心を強くすることができる。
「リュカ」
隣で同じように嬉しそうに子供たちを見ていたビアンカは、どこか悪戯っぽい顔つきでそう呼びかけると、続けてリュカに話す。
「地上に戻ったら、私にも何か買ってくれる?」
「えっ?」
「……そうねぇ、お義母様とお揃いのブレスレットなんかがいいかな~」
決して高価な装飾品を好むようなビアンカではない。ただ彼女は、地上の世界に戻る時は母マーサも一緒で、たとえばグランバニアの国で母と娘で同じ装飾品を身に着けてみたいと言った、ささやかながらも希望に溢れる未来を描いているのだ。そんな彼女の心情が確かに感じられたので、リュカは迷わず「いいよ。買ってあげる」とにこやかに返事をした。
まだ見ぬ未来だが、未来を言葉にするだけでそれは頭の中に思い描くことができる。それを夢と呼ぶのだろうが、夢を見ることで人は前に向かって生きることができるのだろう。頼れる妻の何気ない一言があるだけで、リュカはまた一歩、母マーサに近づいているのだと感じることができるのだ。
Comment
bibi様。
ジャハンナの売り物はゲームでも本当に高いですよね、いらないと思われる持ち物を売ったとしても、おそらく全員分の完全装備は無理かと…、だいたいのプレーヤーはジャハンナ周辺でゴールデンゴーレム狩りでゴールド回収です(レベル上げ含め)。
アンクルに武器防具を買ってあげるとは思っていませんでした、アンクルの今後の戦闘描写が楽しみになってきました。
bibi様が現在のゲームでアンクルでなくスラりんを連れて魔界にいるって以前教えてくれましたが、bibiワールドではアンクル。
スラりんを描写せずアンクルにした理由はこの描写をしたかったんですね(笑み)、
ピエールは、たしかbibiワールドでドラゴンキラーでしたよね、ふぶきのつるぎの描写はゴールド的に難しかったですか?
ふっかつのつえ、いっちばんたっかあいんですよねジャハンナで…。
これたしか、戦闘以外のフィールドでも使えてザオラルでしたよね。
bibiワールドで、ふっかつのつえを買わなかったのは、これからの何か伏線があるとか?
てんしのレオタード、ビアンカとポピーにとって、ゲームでは、プリンセスローブかてんしのレオタードで分けられますが、bibiワールドで、てんしのレオタードの描写はセクシーすぎて難しかったですか?
防具として性能が抜群の効果だけど…。
ポピーに、bibi様は、みかがみのたてを買ってあげる描写になるかと推測していましたが買わなかったんですね。
ていうかポピー、そういえば道具袋の中に、かぜのぼうし入れていましたね忘れてました。
なぜbibi様がポピーに装備させず持ち歩かせたのか疑問だったんですが、それも、この可愛らしい描写のためだったんですね(笑み)
エルフのおまもり、この装備はゲームでも大事!
とくにホークブリザードがわんさか現れるジャハンナ周辺では必須。
bibi様、子供たちに装備させたこの描写、もしかしてホークブリザードとの戦いがいよいよ?
でも、ふっかつのつえがない…きになります。
ロビンにスイッチがある、たしかに機械だからそうですよね。
描写を考えるとロビンを普通の魔物と同じように描くのは難しいですね、よくスイッチという考えが出てきましたよ、おみごとです!
次回は、いよいよ外に出て戦闘?
まだまだジャハンナ?
今回少しふれたモンスター爺さんの描写?
もしかしたらグランバニアの魔物の仲間たちが瞬間移動できるとか?マーサの力で(驚)
次話お待ちしています。
bibi様、年内は、これでお終いと言ってましたね、お疲れ様でした。
来年も楽しい小説をお願いします、ケアルは、できるかぎりコメントを書いて行く所存ですので、どうぞ宜しくお願い致します。
良いお年をお迎えください。
ケアル 様
コメントをどうもありがとうございます。お返事遅れまして申し訳ございません。
ジャハンナの町で売られているものは全部高価なので、私なりに厳選して購入してみました。アンクルは攻撃も強くて呪文も使えて空も飛べるという、かなり優秀なメンバーなんですよね。彼にはこれからも活躍してもらおうと思います。特に空を飛べると言うのが大きいです、お話としては。
吹雪の剣も復活の杖も魅力的だったんですが、お金が出せず…(笑) それこそゴールデンゴーレム狩に出かけないといけません。それにピエール自身がヘンリーからもらったドラゴンキラーを大事に使いたいと思っていそうです。天使のレオタードも防具としては申し分ないのですが、お話の中に出てくるビジュアルとして難ありということで。ポピーなんかに試着させたら、リュカが「お父さんはそういうの、良くないと思う」と言ってやんわり反対しそうです。
何せお金は限られているので、水鏡の盾も諦めました。ジャハンナの町に魅力的な武器防具が多過ぎて困ります。ゲームだったら全て買うまで外で戦いまくってそうですね。道具にしても、エルフのお守りをいくつか欲しいと思っていたのですが、子供たちの分だけでいっぱいいっぱいでした。
ロビンはあの左胸の丸部分の中にスイッチがあるということにしてみました。なので、あの部分をピンポイントで壊してしまうと、キラーマシンは動かなくなると言うことで。
次話は来年になりそうですが、あと一つ町歩きをしてから、また旅に出ることになるかと思います。そうです、まだモンスター爺さんのところに行ってないんです。モンスター爺さんとは言え、元々は爺さんもモンスターだった……そんな感じになりそうです。
いつもコメントを本当にどうもありがとうございます。一気に寒くなって、周りでは風邪が流行っていますが、ケアル様もどうぞ身体に気を付けてお過ごしくださいね。