死の呪文の消耗

 

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巨大階段を上り切る前に、リュカたちは上階に待ち構えている魔物の気配に嫌でも気づいていた。上階にも明かりは灯されているのだろうが、見える景色は妙に明るい。そしてその明かりは目に見えてゆらゆらと揺れている。
「お父さん、任せて」
既に目を閉じて感じる魔物の気配を細かに探っていたポピーが、集中を深め、呪文を放った。遠隔に放ったヒャダルコの呪文が上階に現れ、階段付近に群れを成していたであろう魔物の群れを散らしたようだった。敵となる者と対峙している意識もなかった魔物の群れは、唐突に襲い掛かって来た氷の刃の嵐に恐れをなすように、階段付近を離れたに違いなかった。
上階へ行くことは避けられないリュカたちはその隙にと、リュカを先頭に階段を足早に上って行った。上階で明かりを灯していたのは、蛇のような、竜のような形をした炎の魔物の群れだった。フレアドラゴンと呼ばれるその魔物らの表情を見るだけで、交戦的な魔物であることが自ずと知れた。二つの目に感じられるのは、戦うという意思だけだ。炎に魔性を帯びさせ、戦闘用に生み出されたものなのだろう。その意味ではキラーマシンやゴーレムなどの魔物とも類似しているのかも知れないが、炎と言うものはあくまでも現象そのものだ。そこに物質が付随していないことを思えば、与えられた魔性により従順に染まっているのかも知れないと、リュカはフレアドラゴンの生きていないような目を見てそう感じた。
向かってくるフレアドラゴンの攻撃は非常に直線的で、冷静に動きを見れば避けることは可能に思われた。しかしその外見が表す通りに、フレアドラゴンは己の身体に炎を増幅させるや否や、口から激しい炎を吐き出す。群れとなって激しい炎を吐き出されては叶わないと、ティミーは仲間たちを守るために防御呪文フバーハを唱えた。さきほど、水と食糧でいくらか体力も魔力も回復したティミーだが、仲間たちに一斉に守りの手を伸ばせるのは彼しかおらず、ここで長期戦を敷いては無駄にティミーの魔力を削ってしまう。
その状況に、ビアンカは初めから容赦しなかった。敵が炎の形をしているために、彼女が得意とする炎系の呪文の効果は全く見込まれない。それ故に彼女がその手から放ったのは、死の呪文ザラキだ。上った階段の左手に、大きく道が開けている。リュカたちが上った巨大階段を取り囲むように浮遊しているフレアドラゴンの一角を突くように、敵の群れの向こう側に開けている道へ向かうように、ビアンカの放ったザラキの呪文に数体の敵が中空で消え去った。
すぐ隣で同類の魔物の姿が消えてしまったからと言って、戦いに怯むフレアドラゴンではなかった。隣にいた同類の魔物の存在に気付いていたかも怪しい。敵らに仲間意識などはない。炎の魔物フレアドラゴンに見えているものは、敵であるリュカたちの存在だけなのかも知れない。
ザラキの呪文に消えた魔物の群れの開けた穴を抜けるように、リュカたちは一点突破を目指して駆け出した。しかし敵は宙を自由に浮遊する魔物だ。逃げようとするリュカたちを逃すまいと、すぐさま道を塞ぐ。そこをリュカとポピーが、バギマとヒャダルコの呪文を合わせ、再び道を拓く。ゴレムスがその巨体で押し通り、皆が続く。しかし再び敵の群れは道を塞ぐように、巨大な炎の塊となって前に立ちはだかる。横からも後ろからも、敵の数は夥しく、リュカたちを取り囲んだまま一緒になって進んでくる。
「リュカ殿、これは逃げるのは不可能です」
「がうがうっ」
とにかく大きく道の開けている先を目指そうと進み始めていたリュカたちだが、宙を自由に飛び回るフレアドラゴンをやり過ごすことは不可能だと、ピエールとプックルが見切る。しかし敵の群れを見渡せば、その数は数えられないほどに夥しい。目の前が赤々と燃え盛る様子に、一体一体の区別がつかないほどだ。これほどに大きな現象となってしまった魔物の群れを倒すには、強大な呪文の力が必要になる。
「……仕方ないね」
「おうよ! ガンガン行くぜ!」
リュカが両手に剣と杖を持ちながらも、呪文の詠唱に入ったのを見たアンクルがその意を汲むように声を出した。意思はすぐさま伝播し、ビアンカ、ポピー、ピエールが一斉に呪文の詠唱に入る。ティミーは変わらず皆を守り、フバーハの保護膜を絶やさない。その膜を打ち破るような勢いで、フレアドラゴンは群れになってリュカたちに襲い掛かってくる。炎そのものである敵の身体が、リュカたちの中を飛び回れば、フバーハに守られているとは言えリュカたちは無傷では済まされない。ゴレムスがその巨大な両手でリュカたちを守ろうとするが、敵は僅かな隙間にも入り込めるような炎という現象そのものだ。むしろゴレムスの両手の中に入り込んでしまうことで、大きな窯の中に閉じ込められたようになり、その中で炎が暴れ回ってしまえばリュカたちの負う傷は更に深くなる。その状況を察したゴレムスはただ炎の魔物らを追い払うように、両手を振り回してフレアドラゴンを捕まえ、己の手が焼け焦げるのも構わずに一体、一体と握り込んでいった。
初めに発動したのはポピーのマヒャドだった。リュカたちにも彼女の放ったマヒャドの威力は嫌でも感じられ、焼け焦げたマントやターバンや肌が一気に激しい冷気に当てられた。直後、アンクルの放ったマヒャドが追いかけるようにポピーの呪文の威力を増幅させる。トドメにと、リュカの放つバギクロスの呪文が辺り構わず現れた巨大氷柱を荒々しく砕き、フレアドラゴンの群れを大きく巻き込んだ。辺りを明るく照らしていたフレアドラゴンの群れの勢力を大きく削ぎ、リュカたちの目に見える景色は格段に暗くなった。
残るフレアドラゴンの群れの一部は、唐突にその場で宙に消滅する。ビアンカは再びザラキの呪文を放っていた。敵がただの炎という現象であることが、ビアンカに躊躇をさせなかった。目があり口があり、炎の身体は動き飛び回り、明確な敵意を持ってリュカたちに襲い掛かって来るが、ビアンカは敢えてそれをただの炎だと思い込んだ。命の無い炎をただ消すだけなのだと、命を奪う呪文ザラキを放ち敵を倒す矛盾に気付くほどに深くは考えなかった。
強力な呪文の威力は敵の群れを一度に一掃するほどに強力なものだが、消費する魔力も相応なものだ。ポピー、アンクル、リュカ、ビアンカと、各々が立て続けに呪文を放った成果は、目の前に群れを成していたフレアドラゴンの姿がなくなったことに現れている。この階層を広く明るく照らしていたフレアドラゴンの姿が消え、辺りは壁に灯されているいくつかの火で弱く照らされているのみである。
壁に灯される火が怪しげに揺れるのをリュカは見た。つい先ほどリュカたちの放った攻撃呪文の効果は止み、この場に妙な風が起こっていることもない。しかし自ずと揺れたその火は瞬時に大きく燃え盛り、分裂するようにいくつもの火が生み出され、それらはすぐに蛇のような形を成した。壁に灯されている火に悪しき魔力が注がれているのか、フレアドラゴンは尽きることなく生み出されるのかも知れない。
ピエールがすかさずイオを放った。狙うのは、壁にある燭台だ。根源となる火が尽きてしまえば、魔物としてフレアドラゴンが生み出されることもないと、ピエールは元を断とうとした。呪文としては弱いイオの爆発でも、ただの燭台だけならば壊すには十分な威力だった。破壊された燭台に灯る火はなく、そこから新たなフレアドラゴンが生み出される可能性はなくなった。
しかしこの階層を照らす燭台は、まだ先に広がる道にも数か所あり、それらからも同様にこのフレアドラゴンが生み出されるのかも知れない。全てを破壊してしまえば数を増やすこともないだろうと、ピエールの行動に倣う形で、ポピーが呪文の構えを取る。遠隔呪文でできうる限りの燭台を壊してしまおうと、目を瞑り、瞼の裏に遠くまでの景色を見ようとする。が、対象とするのはあくまでも燭台であり、魔物という生きた相手ではない。遠隔に見ようと努めても、瞼の裏に命の伴わない燭台を見ることはできない。
新たに生み出されたフレアドラゴンが向かってくるのを、アンクルがマヒャドの呪文で退けようとする。それに対抗するように、耐えられるようにと、フレアドラゴン数体がまとまり一つとなり、その身体を数倍に膨らませた。巨大な炎の蛇となった敵の群れがリュカたちの頭上から、突撃してくる。炎を吐き散らすでもなく、炎の体をそのまま武器にして、リュカたちが集まり立つ間をも埋めるように、飛び回りながら焼けつく息を吐いて行く。
プックルが両前足の膝を折り、続いて両後ろ足の膝をも折って地に伏せた。焼けつく息をまともに吸い込んだプックルの身体には力が入らなくなり、麻痺を起こし、その場に立つこともできなくなったのだ。同じく焼けつく息を吸ってしまったビアンカも、ピエールも、アンクルもが、その場に立つこともままならない状態に陥り、床に座り込むだけに留まらず、上体も起こしてはいられないと倒れてしまった。
唐突に劣勢となった状態を目にして、ティミーが束の間息をついた。床に倒れた母や魔物の仲間の姿を目に映し、目を泳がせる。自身も敵の吐く焼けつく息を受け、吸い込んだ喉も肺もチリチリと焼けつくように痛かったが、身体が痺れて動かなくなることはなかった。妹のポピーもまた、ゲホゲホと咳き込みはしたものの、しっかりと彼女の足で立っている。
仲間たちを守り続けていたフバーハの効力が弱まり、その隙を突くように、再びバラバラになったフレアドラゴンの群れが一斉に激しい炎を吐き散らしてきた。
ポピーが魔力を放出し、マヒャドの威力を強める。敵の吐く激しい炎に対抗するように、マヒャドの強烈な冷気で炎の熱を押し戻す。
彼女の後ろに回り込む敵の吐く炎を、リュカが引き受ける。二体で回り込んできたフレアドラゴンの吐く激しい炎を、リュカはバギマの呪文を利用して取り込み、操る。風と一体化し、炎の先がリュカの手にまで伸びて来る。熱にじりじりと手を焼かれるが、ポピーと背中合わせに立ち、その間に倒れる仲間たちを守るべく退くわけには行かない。
ゴレムスもまた手を伸ばし、宙に飛ぶフレアドラゴンを掴もうとするが、敵はゴレムスの手をすり抜けてしまう。数が多く周りに飛び回っていればその内の数体を手に捉えることもできるだろうが、僅か数体がすばしこく飛び回る状況で、ゴレムスの巨体はその動きについて行けないのが現実だ。そしてフレアドラゴンらはゴレムスに対しても焼けつく息を吹き散らし、その巨体をも麻痺で倒れさせようとしている。
「……王子……」
床に倒れながらもどうにか声を絞り出すピエールに反応するように、ティミーはすぐさま呪文を唱えた。ピエールが倒れている今、自身しかいなかったのだと彼の声に気付かされ、そして己の不注意さに歯噛みした。
キアリクの呪文が麻痺に倒れている仲間たちに行き渡るや否や、プックルがその場にすばやく立ち上がり、凄まじい雄たけびを上げた。空気を震わすようなその声に、プックルのすぐ近くを飛んでいたフレアドラゴン二体が宙で動きを止めた。
一体を、同じく麻痺から解放されたピエールが下から斬り上げた。もう一体を、宙に飛び上がったアンクルが槍で貫いた。直前まで麻痺で身体の動きが一切封じられていたというのに、魔物の仲間たちの動きはそれを感じさせないほどに鋭い。人間との違いだった。魔物として戦うという行動は、人間のそれとは比較にならない。
「お母さん!」
「ありがとう、ティミー」
ビアンカも負けじと動けるのは、彼女の元来持つ負けん気という気質のためだ。まだ両足の痺れが残り、立つことはできないが、彼女はそれを問題とはしない。床の上に座り込みながらも、ビアンカは敵の殲滅を目的として呪文を唱えた。再び敵の焼けつく息を食らい、万が一仲間たち全員が動けなくなってしまえば、皆が炎に焼け死んでしまう光景がビアンカの脳裏にちらついたからだ。
死の呪文ザラキに、数体のフレアドラゴンがそのまま宙に消える。しかしまだ辺りは敵の炎の身体のせいで明るい。その明かりを全て消さねばならないと、ビアンカは己に考える余地を残さず、ただ機械的にザラキを唱える。周囲の明かりがぐんと弱まる。しかしまだ視界に困るような暗さにはならない。この景色を真っ暗にしてようやく安全が保たれるのだと、ビアンカは三度、ザラキの呪文を唱えた。かなり暗くなったが、まだ視界にゆらゆらと飛び回る炎の蛇が一体。それを視点の定まらない水色の目で見据え、ビアンカは四度目の死の呪文を唱えようとする。
「ビアンカ! もういい!」
リュカの叫び声に、ビアンカは肩をびくつかせ、呪文の詠唱を止めた。その直後、リュカが右手に持つ剣で炎の蛇の身体を薙ぎ、リュカたちのいる場所は一切の明かりを失った。この場にいたフレアドラゴンの群れを一掃したために明かりを失い、束の間目の前は真っ暗にも感じられたが、道の先には壁の燭台に灯る明かりがある。皆の視界には互いの仲間たちの姿が暗いながらもその形が映っている。
今も床に座り込んでいるビアンカの右頬を、プックルがぺろりと舐めた。その温かさに初めて、ビアンカは左頬に伝っていた己の涙に気付いた。無我夢中で呪文を唱えていた彼女だが、その精神はみるみる削られていた。悪者は許さない、戦わなければならなければ戦うことも厭わないと言うように、ビアンカの心根は正義に満ちている。それが勇者の血筋を引いているからなのか、ただ彼女という人間が持つものなのかは分からない。そのような彼女の攻撃性は、彼女の操る炎の呪文に現れている。
人にも魔物にもそれぞれ、特性というものがある。ビアンカは幼い頃から火の呪文を得意としていたが、リュカには一切その素質はない。代わりに彼は回復呪文を扱うことができ、ビアンカは回復呪文の一切を使うことができない。新しい呪文を覚えるのに、例外はあるものの、努力が必要だが、いくら努力を重ねても特性の壁を越えることはできない。
その中でビアンカはある時、死の呪文ザラキを習得するに至った。まさか自分がこのような呪文を扱うことになるとは思ってもいなかった。きっかけとなったのは、子供たちの存在だ。腹に双子を宿し、彼女はその時から既に母だった。小さな小さな赤ん坊がいずれ生まれて来る。この小さな命を命懸けて守らなくてはならない時に、もし子供の存在を脅かすような者が現れたら、一体自分になにができるのだろうかと考えることがあった。
自分の身を守るだけの考えとは、天と地ほどの差があると、ビアンカは日に日に大きくなる腹を撫でながら思ったものだった。恐らくビアンカ自身の母もまた、同じように思っていたに違いない。ビアンカが幼い頃から火の呪文を得意にし、時折隣の村サンタローズを家族で訪れた際にビアンカが勝手な行動を起こせば、彼女の母は必ず本気で叱った。本気で叱れるのは子供に本物の愛情を注いでいたからなのだと、今は我が事のように分かる。
幸いにも呪文を使うことのできる自分には、子供たちを守るための力を身に着けることができると、彼女はグランバニアで徐々に大きくなる腹を優しく撫でつつも、もう片方の手には呪文書を持ち、その目は死の呪文についての記述を追っていた。これからこの世に命を生み出そうとしている自身が、守るべきものを守るためにと、敵となる者には死を与える力を身につけようとしていた。
呪文書を手にするだけで、ビアンカは恐ろしい感情に囚われた。悪しき魔物と戦うというよりも、唐突にその命を奪うことになるのだ。グランバニアにはリュカやマーサが引き連れて来た魔物の仲間たちが多くいる。魔物の中にも心を改め、その身から魔性を排し、分かり合ってくれる者もいることを彼女は当然知っている。ある意味でこの死の呪文は、その機会を初めから無くしてしまうようなものなのだ。
しかしそのような迷いや不安も、ビアンカは己の心を制し、割り切ることで、死の呪文の習得に成功した。これは必要なことなのだと、守るべき者たちを守る時には敵の息の根を止めることも辞さないという強い思いを己の胸に叩き込み、彼女はザラキという呪文の使い手になった。
死の呪文を浴びて、命を瞬時に奪い去られて行く魔物の存在を、ビアンカは放つ呪文の先に感じてしまう。その度に、呪文を放つ手が凍りつくように冷たくなり、そして全身に行き渡る血が瞬時に冷たい水となり、流れが止まったかのような錯覚に陥る。死の呪文を身に着ける特性はあったものの、恐らく自分はこの呪文を唱えることに適していないのだろうと、ビアンカは思っている。寧ろこの呪文を軽々と唱え、敵の命を奪うことに何の感情も抱けなくなった時には、自身こそが魔物となってしまうのではないかという不安があった。
「ビアンカ、大丈夫だ。立てるかい?」
彼女の不安を和らげてくれるのは、今こうして正面から手を伸ばしている夫リュカであり、心配そうに見つめてくれる双子の子供たちであり、体毛に覆われた温かな身体を擦りつけて来るプックルであり、背中を向けて周囲への警戒を怠らないピエールであり、先に広がる道の彼方に灯る明かりを注視するアンクルであり、皆をまとめて守るように立つゴレムスだ。たった一人ならば、ここで潰れていたかも知れない。しかし彼女の気質でもある正義の心や負けん気がそれを許さない。大事な者たちのためならば、という思いは、この場にいる者たちの間に既に醸成されている。
「ありがとう、大丈夫よ。さあ、先を急ぎましょう」
弱い所を見せている場合ではないという彼女の勝ち気な性格自体が、彼女自身を支えている。子供たちを不安に陥らせないためにも、ビアンカはリュカの手を取りながらもその場にすっくと立ち、頬に伝っていた涙を無造作に手で払って歩き出した。ティミーもポピーもまだ少し不安そうな表情を見せていたが、リュカは妻の負けん気に付き合うように見守り、双子の頭を優しく撫でて「行こう」と声をかけた。



広い通路を広く見渡せる場所で、リュカたちは通路を照らす壁の燭台の様子に注意しつつ、通路を進んだ。通路と言っても仲間のゴレムスも問題なく歩けるほどに広く、リュカたち人間としては巨大広間がずっと先まで続いているという印象だ。その巨大な通路には魔物の姿も見られたが、リュカたちはゴレムスの足元に半ば身を隠すようにしながら、できる限り魔物との戦いを避けつつ歩いていた。不用意に近づかなければ、敵となる魔物も敢えて近づいては来ない。どこか様子を見られている雰囲気もあったが、リュカはその雰囲気に乗じるようにして、静かに先を急いだ。
注視している燭台の火が不意に揺れ、その火が明らかに膨れて大きくなるのが分かると、その瞬間にポピーがヒャドを放った。燭台の火を火種ごと消してしまえば、そこからフレアドラゴンが生み出されることはない。暗がりに煙だけを上げている燭台には、再び自ずと火が灯ることはない。巨大な通路の脇にいくつかある燭台の内、魔性を帯び、フレアドラゴンが生み出されるであろうものはそう多くはなかったために助かった部分もあった。この巨大通路の脇にある燭台の火を全て一度に消してしまっては、さすがに多くの魔物の目を引き付けることになってしまう。リュカたちはあくまでも、なるべく穏やかに、体力も魔力も温存しつつ、前に進むよう留意した。
巨大通路が更に開ける場所があり、その手前の通路には遠くからでも異常が感じられた。完全に道を封じるように、赤い一つ目がぎっしりと横並びに並んでいるのだ。他の魔物が寄り付かないという異常もあった。まだ矢が届く位置にリュカたちが及んでいないのだろう。しかし今か今かと、ボウガンの弓を引き絞り、侵入者が向かってくるのを待っている。
「あの先に行かねばなりませんね」
キラーマシンは目的を持って配置された機械兵だ。キラーマシンの群れの向こう側に見える、巨大な柱のような階段を見れば、彼らの目的は明らかだった。侵入者であるリュカたちをこの場で留めること。恐らく元々この場所に配置されているのだろう。これまでの魔界での旅を振り返っても、キラーマシンという機械兵の群れは明らかに道を塞ぐような場所に配されている。そして当然のように、この大魔王の居城においてもそうした場所に置かれていた。
ゴレムスがリュカに向かって左手を差し出した。リュカたちの目的はあくまでもこのエビルマウンテンの頂上に辿り着くことだ。敵を殲滅することが目的ではないと、リュカはゴレムスの手が床に着いているのを見て、彼の意図を汲み取った。
「ゴレムスのことは僕が守るからね」
キラーマシンは呪文を操ることはなく、その攻撃は矢と剣によるものだ。直接攻撃にさえ耐えられれば突破できると、リュカは先ずビアンカや子供たちをゴレムスの手の平に乗るよう指示した。
「リュカ、どうするの?」
「ゴレムスに突破してもらう」
ビアンカの言葉に応えたリュカもまた、妻と子供たちを支えながらゴレムスの手の平に乗り込んだ。するとゴレムスは彼らを己の肩の上に乗せるべく、手を上方へと上げる。なるべく矢の攻撃から身を守るために、リュカたち人間を高い位置へと避難させたのだ。
「がうっ!」
「我々はゴレムスの足の陰に入ります」
「オレはお前らのお守りだ」
プックルとピエールはゴレムスのそれぞれの足の陰に、アンクルはもしもの敵の攻撃範囲に備え、リュカたちの間近を飛ぶ。デーモンスピアを持つ手は後ろに構え、敵の矢の攻撃に備えてすぐに呪文を発動できるよう左手を胸の前に構えている。
「ビアンカ、ティミー、ポピー、しっかり掴まってるんだぞ」
そう言いながらリュカはゴレムスが斜め掛けにして持っている大きな道具袋の端を掴んだ。丈夫な布製で、破れる心配はまずない。ビアンカたちも真似するようにして自身の身体を支え、ゴレムスの動きに振り落とされないよう全身に力を込める。
「ゴレムスが本気で走るの?」
「今まで本気で走ったことなかったんだっけ?」
「どうなのかしら……」
ポピーもティミーもビアンカも近くで言葉を交わしつつ、各々に沸き起こりそうになる不安から気を逸らそうとしていた。しんと静まる一瞬の後、ゴレムスの身体が躍動した。
一度の走り出して危うく、ポピーが落ちかけた。それをリュカが抑え、引き上げる。皆が皆、道具袋の端にしがみついていないと振り落とされるような勢いで、ゴレムスは大魔王の居城の床をところどころボロボロと壊しながら突き進む。プックルはゴレムスの全力疾走にも問題なく付いて行き、ピエールはその反対側で必死になって仲間の巨大な足を追いかける。
キラーマシンが一斉に矢を射かけて来た。ゴレムスは既にリュカの手によって防御呪文スカラの加護を受けている。今のリュカたちはゴレムスが中心となった、一つの巨大な存在のようなものだ。ゴレムスがキラーマシンの群れを突破するために、皆が一丸となって、各々の方法でゴレムスを守ろうとする。
その最中でも、ゴレムスは右手に装備するビッグボウガンの矢を放った。正面のキラーマシンの固い装甲に当たり、一体がバランスを崩しよろめく。倒れはしないものの、横一列にびっしり並んだキラーマシンの群れの体形を少しでも崩せたら、そこを突破する意図があった。
リュカはゴレムスの身体を守るために、スカラの呪文を唱え続けている。キラーマシンの群れの攻撃を一身に受けているゴレムスの防護膜は放っておいてはあっと言う間に剥がされてしまう。とにかくこの場を突破するまではと、リュカはポピーの身体を片腕に支えながらも、絶えずスカラの呪文を施し続けていた。
上方へ飛んで来る敵の矢を、アンクルが槍に弾き、ティミーが盾に弾いて身を守っていた。金属のぶつかる激しい音が鳴り響き、その音にビアンカもポピーも思わず肩をびくつかせる。しかし数度、敵の攻撃を受けながらビアンカは、放たれる矢のタイミングが揃っていることに気付いた。矢を放ち、次の矢を放つまでの間に少しの隙がある。
その隙にビアンカはティミーの構える盾の脇から顔を出し、必死にゴレムスにしがみつきながら下に群れる敵の姿を見据えた。キラーマシンの金属の装甲は熱に弱い。ビアンカは正面に立つ動きの鈍くなったキラーマシンに向かって、メラミの呪文を放った。標的としたのは先ほどゴレムスが矢を射た一体の敵だ。メラミの炎は直撃し、キラーマシンの左肩付近を溶かし、左腕に備えるボウガンを使えない状態に追い込んだ。呪文を放ったビアンカの右腕を敵の矢が掠め、血が流れたが、すぐさまティミーがホイミを唱え事なきを得た。
敵の群れが間近に迫った。その時、ゴレムスが一度ぐっと床を踏み込むのをリュカたちは感じた。リュカがビアンカたちに覆いかぶさるようにしてゴレムスの身体に張り付き、衝撃に備えた。
キラーマシンらは今まさに、ゴレムスの正面から飛びかかろうとしていた。横並びになって道を塞いでいたキラーマシンの群れが凝縮するように集まり、突破しようとするゴレムスの足元に群がろうとする。しかし敵の群れが集団で行動を起こすのは僅かに遅かった。ゴレムスの正面の道を阻む機械兵の群れの層はまだ薄い。
床を踏み込んだゴレムスは、リュカたちのしがみつくのとは反対の左半身を盾にするように、体当たりを繰り出した。ゴレムスの足元に群がるキラーマシンらが攻勢を崩す。しかしたかが体当たり一撃で倒れるような敵ではない。
アンクルがゴレムスの足の間ほどの辺りに回り込み、低空飛行していた。明らかに足並みが崩れた敵の群れに、ベギラゴンの呪文を放った。敵の群れが更に体制を崩すのが分かったが、このままでは炎の海の中を突っ切らねばならない。
直後、炎の海ごと吹き飛ばしてしまう爆発が敵の群れの中に起こった。ゴレムスの足にしっかりと付いて行っていたピエールが敵の目を撹乱させるためにと、イオラの呪文を放ったのだ。とにかくキラーマシンの群れを突破すればよいと、ゴレムスの足元に群がる敵の群れを散らすことに成功した。
体当たりの体勢から立て直したゴレムスは、更に進むべく足を止めない。リュカは駆けるゴレムスの躍動に振り落とされないよう家族を守りつつ、見える景色に唐突に現れた明るい灯りに目を奪われた。壁の燭台に灯る炎が大きく揺れた。あの炎の蛇がまた現れると直感したが、己の呪文では間に合わない。
「ポピー! 右前方だ!」
リュカの声に、ポピーはそちらを見ることもしなかった。父が自分だけに声をかけてきた。方向を示している。それだけで何を頼られたのかを察知し、ポピーは目を閉じたまま気配を探る。右前方、熱の魔物が現れる気配を感じた。今この場で、自身だけが使うことのできる呪文ヒャドを、遠隔呪文でその熱に直接被せるように当てた。金属の音が鳴り、何かが壊れたのが分かった。熱は消えた。ゴレムスの肩の上で揺れの激しい中、父に頭を強く撫でられ、ポピーは尚目を閉じたまま安堵した。
キラーマシンという機械兵は、己の意志によりここに立ってはいない。彼らは彼らを命令する者に配置されているだけで、その配置の範囲は定められている。ゴレムスの駆ける躍動が収まり、必死にしがみついていたリュカたちは身体を起こそうとした。しかし強くしがみついていた身体は容易に起きず、強張った全身から力を抜くのには少しの時間が必要だった。
後ろを振り返ったリュカは、キラーマシンらがゆっくりと元の位置に戻ろうとしている姿を見た。中にはリュカたちの激しい攻撃の中で倒れた者もおり、それらは倒れたまま見向きもされない状態で放置されている。キラーマシンにとって、倒れたキラーマシンはもはやキラーマシンと認識されていないのかも知れない。ジャハンナの町で暮らしているロビンの姿に重なりそうになるが、今は敵であるキラーマシンに思いを傾けている場合ではないとリュカは再び前を向く。
壁の燭台に灯る火は、ただ僅かに揺れている。そこに魔性は感じなかった。内部に灯る燭台の火には、普通の明かりと、魔性を伴うものとがあるようだった。キラーマシンの群れを抜け、今は巨大階段を近くに見ているリュカたちの周りには、魔性を帯びる燭台の火はもうないようだ。
止まったゴレムスの状態を見るために、リュカはゴレムスに呼びかける。仲間の大きな手の平に乗ろうと思っていたリュカだったが、見下ろすゴレムスの手の先に、指が見当たらなかった。リュカがスカラの呪文でゴレムスを守っていたにも関わらず、それだけでゴレムスを完全に守り切ることはできず、巨人の指はキラーマシンの攻撃を受けて落とされていた。
「がう」
この突破において、プックルは大した体力の消耗もなく、比較的元気な様子だった。ここで少し休めばいいと言う彼の青い瞳は、ゴレムスの両足を見つめている。キラーマシンの攻撃を一身に受け、防いでいたのだという証拠が、ゴレムスの両足が大きく損傷していることに見られた。ここまで全力で駆け抜けてきたこと自体が奇跡なのだと思えるほどに、ゴレムスの両足は削られていた。
その状態でもゴレムスは歩みを止めようとはせず、そのまま巨大階段へと向かおうとする。彼の大きな顔の真横に立つリュカには、彼が言葉にはしない激しい思いがあるのを嫌でも感じた。
「ゴレムス、僕も同じだよ」
リュカはゴレムスに呼びかける。この大きな、大事な仲間の気持ちを最も近くに感じられるのは恐らく自分しかいないと、リュカは耳など持たないゴレムスの顔の横で言葉をかける。
「でも焦らないで行こう」
ゴレムスの歩みが遅くなる。大きく削られてしまった両足では、このまま歩き続けることさえも危ういはずだ。一度彼自身の傷を癒さなくてはならないと、リュカは尚も呼びかける。
「こんな傷ついた姿のゴレムスを、母さんに見せたくはないよ」
リュカの言葉に、ゴレムスはようやく動きを止めた。リュカの近くではビアンカが子供たちと共に様子を見守っている。
「母さんだって、元気なゴレムスに会いたいはずだよ。だから、一度落ち着いて傷を治そう」
リュカの言葉を聞くゴレムスが、目の窪みの奥にある青く光る目を一度閉じ、再び細く開いた。マーサの子リュカが口にする言葉は、ゴレムスの身体の隅々にまで染みわたるようだった。マーサがグランバニアの国に残した王子リュカ。今ではリュカ自身に子供があるほどに、大きく成長した。
ゴレムスはマーサと、愛する子リュカとを会わせたい、それだけを思っている、と思っていた。しかし当のリュカに、ゴレムス自身がマーサに会いたいと切に願っていることをとっくに見透かされている。それも仕方のないことだった。ゴレムスにとって、マーサは主であり、初めて会話をした人間なのだ。リュカが生まれるよりも前から、エルヘブンの村の塔に閉じ込められるような暮らしを強いられていたマーサと出会い、初めて人間から“友達”という存在を教えてもらった。
状態の落ち着いたゴレムスはその場に立ち止まり、大きく削られた両足を折るようにしてその場に座り込んだ。アンクルが彼の肩にまで飛び上がってくると、リュカたちを順々に床へと下ろしてやった。そして集中して瞑想を始めたゴレムスの姿を見て、リュカは彼の閉じられた両目の辺りを見上げ、小さく安堵の溜息をついた。

Comment

  1. ケアル より:

    bibi様。
    さっそく読ませてもらいました。

    今度はフレアドラゴンの大群ですね、ビビワールドならでは生み出される描写がリアルです、これももしかしたらゲマの力で生み出されているとか?火の玉を操るゲマならではの術とか…そんな感じの設定だったりしますか?

    ザラキの描写、そうでしたかビアンカ妊娠中に呪文所を…そんな設定でしたか。
    一つ前のコメントにザラキの描写はキメイラ襲撃を思い出しますって書いていましたら、まさにそのビアンカ過去記憶描写になっていたんですね、ティミー・ポピーを守るためにザラキ習得したけど、キメイラのずる賢いプックル瀕死発言にザラキを使えないまま囚われてしまったんでしたよね。

    そしてキラーマシン戦、ビアンカそういえばまだメラゾーマ覚えてなかった(汗)
    bibi様、だいぶ長引かせますね(笑み)
    もしかして、ヤツとの戦いの時にメラゾーマVSメラゾーマの描写しようとしてますか?(面白そう)

    ゴレムスはベホマなどの回復呪文が効かない設定でしたよね、ということは戦闘中は瞑想したくても、なかなか難しいということですよね、ミルドラース戦やゲマ戦でゴレムスだいじょうぶでしょうか?(心配)

    次回は何の魔物が現れるのか楽しみです。、まだまだマーサの所まで遠いのかな…ヤツとの決戦も近いですよね、次話早く読みたいです!

    • bibi より:

      ケアル 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      エビルマウンテンでは色々な魔物が出現するので、書くのが楽しいやら厳しいやらで混乱しています(笑) とりあえずどこでどんな魔物と遭遇するのかを途中までは決めています。鳥山先生のデザインの魔物が頭の中で動き回ってくれるので、それはそれでとても楽しいです。ゲームとは異なる勝手な設定を作ったりしているので、ちょっと申し訳ない部分もありますが……。
      そうですね、ビアンカはまだメラゾーマを覚えていないです。……どこで覚えるかな~。
      ゴレムスの瞑想も、本来ならば戦闘中しかできないんですよね。でも戦闘中に瞑想って、なかなか難しいなぁと、私のところでは戦闘後にしっかり瞑想してもらっています。そのうち戦闘中でも……になるかなぁ。
      まだまだ先は長いですね。でもコツコツ進めて行ければと思います。集中せねば……。

  2. ケアル より:

    bibi様。
    そういえば焼け付く息の麻痺描写の時、ポピーのストロスの杖を使わなかったですが、これから使うことありますか?

    • bibi より:

      ケアル 様

      ストロスの杖はこれから出番があるかと……。というか、どうにか出番を作りたいと思います。大事な武器ですもんね。ご意見どうもありがとうございます^^

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