水に囲まれた魔像

 

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吊り橋を渡った先に見えていた、洞窟と思しき明かりの見えた大きな穴の中には、想像していたよりもはるかに暗い空間が広がっていた。魔界の暗さの中にあっては明るく見えていた景色だったが、洞窟の中に造られた建造物内では到底十分とは言えない明かりが数少なく灯されているだけで、辛うじて内部の様子が知れるほどだった。
それまで進んできた山道とは異なり、床にも凡そ平らないしが敷き詰められているために、リュカたち人間にもいくらか歩きやすい道が続いている。そしてリュカたちが最も気になったのは、この場所に水の気配があることだった。
洞窟の入口正面から、広く通路が続いている。その先に感じる水の気配は本物で、耳にも水の流れる音が聞こえてくる。その音があまりにも清かで、プックルだけではなく、リュカにもその水の清浄さを鼻に感じる。今リュカたちがいる場所が山だと考えれば、どこからか水が湧き出し、山に流れる小川を作っても何らおかしなことではないが、ここは大魔王が居する魔界の山エビルマウンテンだ。禍々しさの中心とも言えるようなこの場所で、このような清かな空気を感じられると思ってもいなかったリュカたちは、揃って足を速め、先に何があるのかを確かめようとした。
近づくにつれ、清らかな空気はますます濃くなる。それ故にこの近くには魔物の気配がないのだろうと自ずと思うリュカは、まだ少し離れたところからも分かるその景色に、今度は落ち着いて歩く速度を緩め、近づいて行った。
リュカたちを見下ろすような巨像は、まるで悪魔を模した禍々しいものだ。正面に見上げるこの巨像はこれまでもこのエビルマウンテンの中に見てきたものと同様のものだった。それは外見通り、魔物の悪しき部分を全面に出したような巨像だが、その周りを流れを止めない水が大きく囲んでいるためか、聖なる気配をも纏い、むしろ水の流れによって悪しきものは浄化されているようにも感じられる。
台座に乗る悪魔の巨像を取り囲む、大きな石枠に囲まれた池とも呼べる水場に近づくと、それがただの水ではないことに気付く。この近くに悪しき魔物が近づかない理由が分かると、リュカは再び悪魔を模した巨像を見上げた。
「ジャハンナに似てる……」
目の前の光景に、リュカはこの魔界という世界において唯一、人間に姿を変えた魔物たちが暮らす町ジャハンナを思い出した。魔界の魔物の脅威から町を守るために、ジャハンナの町の周りには聖なる水が絶えず流れ続けている。今リュカたちが目にしている光景は、中央の魔物の巨像を守ろうとする聖なる水の流れとも捉えることができた。中央の台座に乗る魔物の巨像が、元は魔物であったジャハンナの住人たちのようでもあり、その周りに流れる聖なる水はジャハンナの町の周りを流れる聖なる水とまるで同じものではないかと、リュカは水の流れる石枠に両手をつきながら、弱々しい灯りに照らされ、流れを見せる水面を見つめた。
「リュカ殿、少しここで休みましょう」
「そうね。ここはきっと……魔物が近づいて来れないわ」
聖なる水の気配を感じているのは当然リュカだけではない。リュカたちの立つその場所を更に大きく囲むように、幾本かの石柱が立ち並んでいる。この景色をジャハンナにたとえるならば、囲み並び立つ石柱はジャハンナの町を守る巨大ゴーレムたちにも思えた。敵の根城の中に入り込んでいるというのに、目の前の景色にジャハンナの町を思うと、それだけでふと穏やかな笑みが浮かんでくる。ジャハンナの町に暮らす住人らは変わらず過ごしているだろうか、町の住人の仲間入りをしたロビンは変わらず町の守りに努めているだろうか、巨大水車の動きに更なる鈍りはないだろうか、ゴレムスよりも大きな身体をしたゴーレムたちもまた町の守りに余念はないだろうかなど、僅か数日過ごした魔界での休息の時を思い返すだけで心も安らぐ。
「で、でも、急がないと行けないんじゃないかしら?」
「そうだよ! もうすぐなんだよ! 早くおばあ様を助けに行かないと!」
「いや、少しだけここで休もう。それがいいだろ、プックル、アンクル?」
「……がう」
リュカの呼びかけに反応するプックルの返事は、子供たちが想像していたよりもはるかに元気のないものだった。思い返してみれば、プックルはここまで皆を先導しつつ、これまでに駆け続けたことのないほどに長い距離、しかも登る山道をほとんど止まることなく駆け続けてきたのだ。
「まあ、そうしてくれりゃ助かるよ」
あくまでも控えめに返事をするアンクルもまた、ここまで己の力で宙を飛び続けてきた。彼は決して翼の羽ばたきだけで宙を飛び回っているわけではなく、微量の魔力を消費しながらその巨体を宙に浮かばせ飛んでいるのだ。派手に呪文を放たずとも、微量ながらも魔力を消費し続けている疲労をアンクルはその身体に蓄積させている。プックルもアンクルも決して今の今戦えないほどに疲れ切っているわけではないが、この先の事を考えればこの場所で休息を入れておくことは最善と、リュカだけではなく誰もがそう判断できた。
「このお水で水の羽衣って直るかしら。さっき炎を避けた時にちょっと傷んじゃったのよね」
そう言いながらビアンカは旅装の上から羽織っている水の羽衣を脱ぐと、それを広げたまま聖水の満ちる水場に浸してみた。水の流れにそよぐように水の羽衣がなびき、水に浸る手も冷たいとビアンカは感じた。しかし決して身体ごと冷えるような冷たさではなく、冷たい水であるにも関わらず、手の周りには温かなベールが過ぎ去っていくように、決して厳しさは感じられなかった。
「この水って飲めるのかなぁ」
「飲めそうよ。ほら、ピエールも覗き込んでるもの」
「あっ……いや、私も少し身体の修復をと思いまして……」
ティミーとポピーに様子を見られたピエールは慌てて身を起こし、水を飲むというよりも、流れる水の中に浸かろうかと思っていたことを言葉の内に白状した。
「ピエールの身体はほとんど水で出来てるみたいだからね。大丈夫だよ、水に浸かっても。誰も怒ったりしないから」
「だけどよ、ピエールが浸かった後の水を飲むのは……どうなんだ?」
「……余計な事言わないでよ、アンクル。そんなこと言われたら、ちょっと考えちゃうじゃない」
「がう~……」
「あ、あの、別に私はそんな、水に全身を浸らせたら気持ちよいだろうななどとは思っていませんから」
「あ~、温泉に入る感覚なのかな。じゃあ、みんなが少しずつ水を飲んだりしてから、ピエールには存分に浸かってもらおうよ。それでいいよね?」
一同が素直に同意するのを見ながら、ピエールは幾分か身を縮こまらせながら「恐縮です……」と頭を下げていた。皆も水の中に入って浸からないまでも、乾いた喉を潤すために口にしたり、聖なる気をありありと感じるこの水を掬い、身体にふりかけるなどして清らかな水の邪気を払う力をその身に纏った。特別呪文の効果を帯びずとも、この水を自身にふりかけるだけで、一つ護りを得たような気がする。ジャハンナの町を守る聖なる水と同じと思えば、その効果は大きなものだろうと感じられ、それだけでもリュカたちは大いに英気を養うことができた。
ただ、聖なる空気の漂うこの辺りから離れ、洞窟は左手奥へと暗く続いている。洞窟内を照らす明かりはいくつかあるようだが、非常に暗く、その数も少ない。聖なる気配を離れ、遠くに足を運べば再び魔物と遭遇することは分かっている。現に、暗い明かりの中にも僅かに何者かが動く気配をプックルだけではなく、リュカも捉えていた。
ゴレムスが真正面からまじまじと、水の流れに囲まれる魔物の巨像を見つめている。彼が何を思っているのかリュカには分からないが、大きな仲間がゆっくりと腰を下ろし、彼の両目が静かに閉じられたのを見ると、瞑想をしつつ大事な者への思いを馳せる時なのだろうと、リュカは子供たちの隣に立って水を掬い、ゴレムスの足にささやかにかけてやった。



敵の根城の中にあっては十分とも思えるほどに休息の時を過ごしたリュカたちは、ほどなくして再び前へと進み始めた。水の流れる音が徐々に遠ざかる雰囲気に比例するように、緊張感は高まる。ビアンカの羽織る水の羽衣も聖水の流れに浸したことにより瑞々しさを増し、ピエールも緑スライムに存分に水を浴びたためにこれまでの疲れからは大分解放されたようだった。敵の根城の奥深くにまで進んだこの場所で、これほどしっかりと休息を取れるとは思わず、水も食糧も口にしたリュカたちは体力も魔力もいくらか回復することができた。進む道には未知しかない。何をどうしたところで完全に備えることなどできないが、今のこの場所でできることは十分に為し得たであろうと、リュカたちの足取りは緊張感を纏いながらも重くはない。
前を行くプックルが行動の指針となる。リュカは常にその隣を歩く。進む先の洞窟内には当然のように水の気配など皆無だ。代わりにぽつりぽつりと灯る火が揺れ、洞窟内を暗く照らしている。ビアンカやポピーが見える火に注視する。洞窟内に照らされる明かりがいつ魔物に変化するか知れないと、彼女らは即座に必要な呪文を唱えることができるよう、常に心構えをしている。
アンクルも無駄に魔力を消費しない目的の中で、今は皆と共に床の上を歩いている。敵を追いかけたり、敵から逃げるような局面であれば翼を使い、三次元の空間を自在に利用するが、今はただ皆と共に歩を合わせて進むだけの時だ。いざという時に備え、アンクルもまた体力魔力を温存しつつ、同時に仲間たちの盾になることも想定しながら歩いていた。
隣を歩くプックルが静かに歩みを止めたところは、広い洞窟内でもいくらか道の狭まった曲がり角だった。暗いながらも内部の景色を見れば、とてもこの場所が洞窟内とは思えないほどに床も壁も石が敷き詰められ、地上世界の建物を思わせるが、天上に目を向ければそこだけはまるで洞窟で、でこぼことした剥き出しの岩盤を眺めることができた。洞窟内を照らす明かりは実際には、高い天井にまでは届いていない。しかし暗闇に目を凝らすうちにリュカにはその暗闇の中にある景色をも目にすることができた。長らく魔界での旅を続け、暗がりに慣れたとは言え、己の目がまるでプックルのような魔物のように暗闇にまで利くようになるとは思っていなかった。
いくらか狭まる通路の先に、動く魔物の影が見えた。明らかに待ち伏せをしている気配があり、目の前に現れた敵をただただ倒すような魔物の類ではないことがその気配に知れる。ゆっくりと宙を飛ぶ何かの塊のような魔物が三体、それと異様に長い両手を妙にくねらせている魔物が五体、微かな明かりに照らされる中に影として見える。まるで通路の狭まったところで道を阻むように位置している魔物の群れを目にすれば、戦いを避けることはできないと、リュカは皆に声をかける。
「みんな、ゴレムスを中心にまとまって進むんだ」
そう言うと、リュカはプックルの背に跨った。そしてゴレムスの影に潜むように、大きな仲間の脇にぴたりとつく。敵の群れとの距離をある程度縮めてから、人豹一体となって意表を突き、敵の群れをまず乱すつもりだ。
静かに近づくリュカたちに向かって、敵の群れも動きを見せる。その落ち着いた動きから、やはりリュカたちが向かってくるのを待っていたのは確かだった。ポピーとビアンカは壁に灯る明かりの炎を注視していたが、どうやらあれらに魔性は感じられないと、目の前に道を阻むように立つ魔物の群れに集中した。
ゴレムスにも自由な動きをさせるよう、ビアンカもティミーもポピーもゴレムスの足元を歩いていた。肩にも腕にも守る者がいないゴレムスは既にビッグボウガンに矢を継ぎ、右腕を前に突き出して敵の群れに向けている。最も大きな仲間がボウガンを構えているだけで、敵の群れに圧力を与えることができるのは間違いない。敵の群れはまだかなり離れた場所にいるにも関わらず、その動きを止めた。誰でも目の前から巨大な矢を向けられれば、好き好んで近づきはしない。
しかしボウガンの矢にも怯まず動き出す敵の影が見えた。宙を飛び回る凸凹としたかたまりのような魔物エビルスピリッツが二体、先行してリュカたちの方へと文字通り飛びかかってきた。ゴレムスがボウガンの矢で狙う敵は当然、狙いの定まりやすい者だ。宙を飛び回るエビルスピリッツはゴレムスの標的にはならない。
代わりにゴレムスの前に飛び出すのはアンクルだ。右手にはデーモンスピアを構え、ゴレムスの少し前の宙を飛んで待つアンクルの姿を見るや、エビルスピリッツ二体はより近くに現れたアンクルホーンに向かって迷わず飛んでいく。いくつもの悪魔の顔が凝集され造られたその魔物は、いくつもの魔物の顔のそれぞれに大口を開けて、鋭い牙を見せて、飛びかかってくる。
アンクルのデーモンスピアは武器であると同時に、身を守る盾にもなる。槍の長さを利用し、敵を払い除ける。敵が隙を見せればすかさず力を込め、敵を突く。ただその動きは身体の大きさもあり、速いとは言えないものだ。敵は二体。そしてアンクルよりも小回りの利くエビルスピリッツらは敵であるアンクルの動きの鈍さを小馬鹿にするように口を歪め、背中に回り込み、あっさりと後ろ首に牙を立てて戦いを終わらせようとした。
二体のエビルスピリッツは回り込んだ敵の背中で、もう一人の敵と目が合った。弾みをつけて飛びかかってきたスライムナイトの軌道など想定していなかったエビルスピリッツは、そのままばさりとドラゴンキラーによって真っ二つに切り裂かれ、床に落ちて行った。同時にアンクルの背を離れたピエールもまた、追って床へと落ちて行く。
落ちるスライムナイトが隙だらけだと見た残る一体のエビルスピリッツが、一瞬の葛藤の後に、ピエールを追って攻撃に向かう。一瞬の葛藤が命取りだった。隙を逃さないと目を光らせているのは、敵であるアンクルホーンも同様だ。すぐさま滑空し敵を追うアンクルは、ピエールを追うエビルスピリッツをデーモンスピアで仕留め、いくつもの顔からいくつもの悲鳴を上げるエビルスピリッツは、落ちるピエールに追いつくような勢いで床へと落ちて行った。
アンクルとピエールの戦いと同時に、ゴレムスが進む足を速めていた。脇に歩くビアンカと子供たちも軽い駆け足でゴレムスの脇にぴたりと張り付く。そのすぐ後ろで、リュカはプックルと共に敵との距離を冷静に見ていた。
正面から向かうことはせず、リュカはプックルと共にゴレムスの横から抜け出し、敵の群れの脇を突くように飛び出した。敵との距離は、プックルの速度を考えれば僅かなものだった。正面の巨大なゴレムスに気を取られていた敵の群れは一様に虚を突かれたように、瞬時動きを止め、構え直すのが分かった。
ゴレムスが矢を放つのと、プックルとリュカが敵の群れに飛び込むのは同時だった。巨大な矢を受けたダークシャーマンが自らの呪術で変えた大蛇の両手を暴れさせながら倒れ、プックルの体当たりに一体が吹き飛び、その背で剣を振るうリュカは一体の大蛇の両腕を切り落とした。
本来ならば敵であろうともできうる限り戦いを避けたいと考えるリュカだが、敵の群れに感じる邪悪に、むしろこの場で倒さなくてはならないのだと感じた。今この場で対峙するダークシャーマンは恐らく元は人間であり、宙を飛ぶ魔物の魂が集まったようなエビルスピリッツにはどこか人為的な力が働いているようにも感じられる。人間の命や力を感じることに邪悪の雰囲気を覚えることに、矛盾を感じながらも、リュカは更に追撃をとプックルの背で両足に力を入れる。
しかしそれもまた、敵の目を引き付けるための動きに過ぎない。既にゴレムスの脇に構えるビアンカ、ティミー、ポピーが近くにまで歩みを進めている。残る敵の群れはダークシャーマン二体、エビルスピリッツ一体と、このままやり過ごしても構わないと思えるほどに弱体化させた。
いち早く呪文を唱えたのはポピーだ。先ほど皆で休息の時間を得た彼女は体力魔力ともにいくらか回復させていた。惜しみなく唱えるのはマヒャドの呪文だった。悪しき敵に向かう時、彼女はもしかしたら最も容赦しないのかも知れないと、リュカは我が娘ながらその感覚に身震いするほどだった。
辺りを全て凍り付かせるほどの冷気に包み、そのマヒャドの呪文は直接に敵の群れへと襲い掛かった。生物の命そのものを凍らせてしまうような凄まじい冷気が、果たして人間、それもまだ少女と呼べるほどの年の子供に起こせるものなのかと、改めて不思議に思う。
最大級の氷系呪文を浴びせられてもすぐには倒れないのは耐性があるからか、簡単に倒れてなるものかという気持ちがあるのか。凄まじい冷気の中から逃れたエビルスピリッツが宙に飛び出し、まるで呪文攻撃を受けた時の反射行動のように、合成していくつもある顔の中の一つが大口を開けて黒い霧を勢いよく吐き出した。ただでさえ辺りを照らす明かりは弱々しく、決して視界の良い場所ではなかったが、黒い霧が吐き散らされた辺りの景色は一層視界が悪くなった。
強力な魔力の塊のような黒い霧の中で、リュカたちは一様に呪文を発動することが出来なくなった。攻撃呪文のみならず、回復呪文や補助呪文に至るまで、一切の呪文を唱えることができない。呪文を唱えようとしても、黒い霧が頭の中にまで入り込んでくるようで、詠唱自体が成功しない。たとえ呪文の発動が上手く行っても、攻撃にしろ回復にしろ何にしろ、出現した呪文は辺りに漂う黒い霧に全てかき消されてしまう。その状況にすぐさま対応するように、ティミーは力強く剣を握り、ポピーも右手に誘惑の剣を逆手に持った。
前を塞ぐ敵の数は少ないのだと心を奮い立たせ、リュカは呪文の効かない中でも一気に敵の群れを突破しようとした。しかしふと後ろを向いた時に見えた敵の姿に、仲間に呼びかける。
「ゴレムス! 後ろから来るぞ!」
宙を飛んでくるわけでもないのに、まるで地を這う蛇の如く静かに狡猾に近づいてくる別のダークシャーマン四体が、あっという間にゴレムスの背後にまで迫ってきていた。プックルに乗るリュカだが、立つ場所から援護には間に合わない。何せ呪文が一切使えない状況だ。
ゴレムスの足元から飛び出すのは、既に武器を手に取っていたティミーとポピーだ。揃って臆さず敵の前に出た二人だが、あくまでもティミーが半歩前に出てポピーを庇う格好だ。ポピーも決して前に出ようとはせず、兄の守りに入りつつも、いつでも敵に接近して剣で斬りつけるのだと、刃に特殊な毒が込められている誘惑の剣を手にしている。
黒い霧が及ぼす範囲は広く、ゴレムスの背後から近づいてきた四体のダークシャーマンらもあっという間にその霧の影響下に入った。風が吹いて晴れるようなものではなく、いつまでもその者の身にまとわりついて悪しき影響を及ぼし続ける類のものだ。今この黒い霧の漂う中で誰一人、呪文を使うことはできないことは同時に、敵の呪文をも封じていると言うことだ。
前に出る子供たちを、ビアンカは冷静にそのすぐ後ろで見守る。ティミーは当然のように前に出て戦う気だった。ポピーも剣を手にして敵と戦う準備がある。ビアンカは両手で賢者の石を握りしめながら、双子を含めた更に広い景色を見つめ、信じた。
宙を飛ぶ味方がいる。アンクルがデーモンスピアを真横に構え、ダークシャーマンの群れに突っ込んだ。長い槍の柄の餌食になったのは二体。しかし敵もただで倒れはしない。反撃をするのはどうやら反射行動のようで、アンクルは翼に噛みついたダークシャーマンの両腕の大蛇に酷い損傷を受け、その場に倒れた。
アンクルを助けるためにとティミーが飛び出す。今は勇者としてではなく、仲間の中に存在する剣を手にする一人の戦士として、天空の剣を薙ぐ。アンクルの翼を傷つけたダークシャーマンの片腕の大蛇を切り離す。明らかに痛みに悲鳴を上げる敵の姿に、思わずティミーは顔をしかめる。続くポピーもまた、もう一体のダークシャーマンに向かい、誘惑の剣で斬り上げる。彼女の力では敵の大蛇の腕を切り落とすことはできない。しかし少しの傷さえつければよいと、返す剣で二度大蛇を浅くも鋭く斬りつけた。
背中を向ける二人の子供を狙うダークシャーマンが別に二体。その内の一体を、横から素早く飛びかかるように、ドラゴンキラーが閃く。ピエールが黒い霧の中にひっそりと紛れ、敵の死角から飛び込んできていた。しかしピエールの剣は一体の敵の身体を傷つけただけで、残る一体にその刃は届かない。
残る一体が両腕の大蛇を振り上げ、襲い掛かってきた。標的はポピーやビアンカだ。確実に弱い者を先に倒してしまおうという意図が見え、それに必死に抵抗するように、ティミーが天空の盾を突き出し、激しい敵の攻撃をどうにか受け止める。しかし敵の力は強く、大蛇の牙の直撃こそ免れたものの、ティミーは受け止めた盾ごと後方へと吹っ飛ばされた。ティミーに圧され、ポピーとビアンカも堪らず床に倒れる。
ティミーに片腕の大蛇を切り落とされ悲鳴を上げていたダークシャーマンだが、まだ動くもう片方の大蛇を隙を見せるビアンカへと差し向けた。ビアンカは既に賢者の石を手に、仲間の回復を祈っていた。傷を負う仲間が再び立ち上がり、仲間を守るために、敵を倒すために宙を舞う。
翼の傷が癒えたアンクルが、賢者の石を両手に握るビアンカの前へと滑空し、ダークシャーマンの首目がけてデーモンスピアを突き出した。ただでさえ首に受けた致命傷に、デーモンスピアの毒がとどめとなり、一体のダークシャーマンがビアンカの前に倒れた。
その状況を見て一体、無傷のダークシャーマンが素早く頭巾の裾から一枚の葉を大蛇の手で引き出した。倒そうと思えば倒せたであろう位置に、ビアンカもポピーもいたというのに、彼女らの脇をすり抜けるようにして通り過ぎる。そして既に事切れている仲間の投げ出されたような腕の大蛇の口に、一枚の葉を放り込んだ。
凄まじい蘇生の力を発揮した世界樹の葉の効果で、すぐさま戦いの場に戻ってきたダークシャーマンは、間を置かずに目の前に立つティミーに両腕の大蛇を差し向けた。切り落としていたはずの片腕の大蛇も復活し、目の前の状況に頭がすぐに追いつかなかったティミーは首を狙われた。身を守るための盾を上げ切れず、防御は間に合わない。
差し向けられた大蛇の腕に、別の大蛇の腕がとびかかる。今度は目の前で敵同士の戦いが不意に始まった。先ほどポピーが誘惑の剣で斬りつけた一体が混乱状態に陥り、味方であるはずのダークシャーマンに襲い掛かったのだ。図らずも敵に救われた状態となったティミーはその隙に体勢を整えるように数歩後ろへと下がった。
「ゴレムス、行くぞ!」
リュカの掛け声にゴレムスは両足を踏み固めるや否や、前に駆け出した。リュカたちと対峙していたダークシャーマンのうち無傷の二体はいずれも逃げず、向かってくる巨人の両足に強靭な大蛇の両腕を向け、その足を止めようとする。一方でリュカに両腕を切り落とされた一体は、プックルの体当たりで吹き飛ばされていた仲間に助けを求めるように駆けよって行く。
ゴレムスの足の間を、プックルの背に乗るリュカがすり抜け、後方に残される仲間たちのところへ向かう。一体、混乱するダークシャーマンの標的は、敵も味方も関係ない。近くに動く者、より標的になりやすい大きな者に狙いを定めるため、人間よりもむしろ同族のダークシャーマンらに攻撃が向かう傾向がある。
離れて一体一で戦いを続けていたピエールを先に援護する。傷を負うピエールだが、黒い霧の中、呪文を封じられている状態で仲間の傷を癒すことはできない。恐らく元は人間であった敵だが、顔を全て覆うような頭巾を被る相手に言葉を交わす余裕はない。そして今は道を阻む敵を倒さなくては先に進めないのだと己に言い聞かせ、リュカは迷いなく剣を振るい、敵の胴を斬りつけると、その向こう側でピエールが敵の首を斬りつけていた。どうっと倒れた一体のダークシャーマンの傍を素早く離れ、リュカとプックル、ピエールは敵味方が混戦している場へと飛び込む。
『ガンガン行くぞ!』
そう叫ぶリュカの声を耳にしたリュカ、プックル、ピエール、アンクル、それにティミーにゴレムスも、ここで一気にこの場を突破するのだという意気込みを見せ、皆が全力で攻勢に出た。リュカの声真似で号令を出したエビルスピリッツは宙にふらふらと浮かびながら、眼下に見える景色に、味方側であるはずのダークシャーマンの群れがみるみる崩れていく姿を見て、いくつもある顔の色を失った。今のこの場で言うべき言葉ではなかったのだと気づいた時には遅かった。一気に攻勢をかけたリュカたちは、最前線を進むゴレムスを中心にまとまり、近寄る敵を全て蹴散らして見せるのだと言わんばかりの猛然たる形相で前へと進み始めた。
未だ黒い霧に包まれ、全ての呪文が封じられている中でも猛然を突き進もうとするリュカたちの勢いに圧倒され、ゴレムスの足を痛めつけ、進む足を止めようとしていた二体のダークシャーマンも狼狽えを見せた。
あと少しなのだ。あと少しで目的の場所へとたどり着く。願いを一つとしたリュカたちの動きは一体となり、互いに信じ合う仲である彼らに今、恐れはない。それがたとえ、敵であるエビルスピリッツがリュカの声真似で叫んだ『ガンガン行くぞ!』という言葉がきっかけであれ、一度動き出したものを止める者は今はいない。
青ざめたエビルスピリッツにはまるで、一つの巨大なエネルギーの塊がじりじりと動いているように見えていた。近づけば、その強大なエネルギーの餌食となり、身体ごと弾け飛んでしまいそうだと恐怖を見たその魔物は、己がきっかけを与えた事態にも関わらず、恐れを為してどこかへと逃げて行ってしまった。
必死になってリュカたちの動きを止めようとする残るダークシャーマンらは逃げた魔物とは異なり、執拗だった。そこに個々の意思があるようには感じられない。しかしこの先へ通させまいとする意思は強く共通しているようで、ゴレムスの両足が大蛇の攻撃により酷く削られてしまっていた。敵らの執拗な強さは、どこか信仰的であるようにも感じられた。己の意志そのものよりも更に強い義務的な意志が働き、今ここで侵入者らを留めなくてはならないという切羽詰まるような意地すら見えるような気がした。
ゴレムスの両足にしぶとく攻撃を続けるダークシャーマンの考えは、この巨人の足を止めてしまえば、リュカたち一行もこの場で足を止めざるを得ないというものだったのだろう。リュカたち仲間の絆の強さを見た上で、それを利用しようとするものだ。ゴレムスは仲間たちを身体に乗せて運ぶことができるが、ゴレムス以外の者がゴレムスを運ぶことはできない。
足にまとわりつく敵に、ゴレムス自身が拳を振るう。右腕に構えるボウガンは、既に傷つき、離れた場所に退避しているダークシャーマンへと向けられ、足元に邪魔をする敵に左の拳を見舞った。自らの呪術により自らの身体を蛇へと変えてしまったダークシャーマンは身を固くするだけで、身体の守りを強くする。一度のゴレムスの拳に倒れるような軟な身体はしていないようだ。
しかしそこにすかさず追撃をかけるのはプックルだ。ゴレムスの拳を受け、僅か体勢を崩した敵を、更に同じ方向から飛びかかることで、ゴレムスの足にまとわりつく敵を引きはがした。しかし引きはがされた敵もすぐに攻撃を諦めることなく、反撃の牙をプックルの前足に向けた。激しく噛みつかれたプックルは悲鳴を上げ、敵と共に床を転げる。
その敵の背を斬りつけ、プックルから敵の身体を剥がしたリュカはそのままプックルを守り立つ。ふとリュカたちを覆い隠していたような黒い霧の気配が徐々に遠ざかって行くのを感じ、その霧が己の身体から払われた瞬間にリュカは回復呪文を唱えた。プックルが飛び上がるように立ち上がり、すかさず残りの敵へと向かう。黒い霧を生み出したエビルスピリッツが戦闘の場から離脱したために、黒い霧の効果はそのまま持続されることがなかったようだ。
目の前が明るくなったのを感じるや否や、プックルとゴレムスに、味方の補助呪文が飛んだ。攻撃力を高めたプックルが飛び込んだ敵の身体が勢いよく遠くへ吹っ飛んだ。ゴレムスの両足が自由を取り戻した。そのゴレムスもまたボウガンを前に構え、斜め前方離れた場所に退避していた敵らが向かってくるのを、矢を放ち牽制した。唸りを上げて飛ぶ矢はダークシャーマンの左肩に直撃し、強烈なその一撃で敵はその場から動けなくなった。
一気に前へと進み始めた。今ならリュカたちの前に立ちはだかる敵はいないも等しい状況だ。後方に残る敵を退けようとリュカが向かおうとしたその時に、二つの爆発が起きた。ポピーとピエールが敵を攻撃するためのイオラの呪文を放ったのだ。爆発の威力は残る敵の群れとの距離を空けるには十分だった。しかし爆発呪文の攻撃性をダークシャーマンらはその身に受けないのか、敵の身体への損傷は見られない。どういうわけか、ダークシャーマンという魔物は爆発の攻撃の影響をその身に受けない造りになっているようだ。自らの身体を自らの呪術で変える中で、両腕を大蛇にしてしまうのと同時に身に着けた耐性の一つなのかも知れない。
直接攻撃が届かない距離へとリュカたちが遠ざかれば、ダークシャーマンらは揃って両腕の大蛇をリュカたちへと向けた。呪文の構えだと気づいたアンクルが宙を飛びながら対抗するように、呪文の構えを取る。
放たれた呪文はベギラゴンの呪文。凄まじい勢いで火炎がリュカたちに襲い掛かってくる。対抗するアンクルもまたベギラゴンの呪文を放つが、敵は二体同時に放つ勢いで、抗いようもなく押される。
その時ふと、敵の呪文の威力が半減した。未だ混乱状態にある味方であるはずのダークシャーマンの攻撃を受けたのだ。拮抗する火炎のぶつかり合いに加勢するのは、ビアンカだ。敵を退けられれば良いのだと、ビアンカは一度足を止めると、アンクルの放つベギラゴンの火炎に、自らの放つメラミの火球を混ぜ込んだ。火の塊が敵の群れの前で弾け、敵との距離は決定的なものとなり、リュカたちは先へ進むのと同時に、敵の群れから逃げ切った。



先にも敵は潜んでいた。ただゴレムスの巨体を中心にまとまるリュカたちに恐れを為しているのか、無暗に近づいてくることはない。リュカたちもまた絶えず呪文の構えを取り、敵を牽制しつつ、着実に前へと進んだ。
この場にいる敵らは全てが、リュカたちの構えが牽制しているものだと気づく者ばかりだったために、助かった部分も大きかった。外の山をうろつくギガンテスのような魔物であれば、リュカたちが牽制のために呪文の構えを取っていようが構わず攻撃に出ていただろう。その点、この場にいる敵の群れは正確に怖れを知っている者が多数だった。リュカたちに攻撃をしかけたが最後、まるでリュカたち一行が塊となって大爆発でも起こすのではないかというような怖れが、敵の群れの中に大いに漂っていた。
それにしても思いの外、敵は道を開けてくれた。奇妙に思うほどに、リュカたちは敵の群れの中にあっても道を進むことができた。この階層には聖なる水を湛えた池とも言える水場があった。悪しき魔物が近づくことのできないその水場近くで、リュカたちは一時休息の時間を得た。今リュカたちが進む道は、その聖なる水場からはかなり離れた場所だが、僅かにでもまだその清浄さが辺りに漂っているのだろうかと疑うほどに、リュカたちの周りにいる魔物らはその獰猛さを見せなかった。
「リュカ、見て……」
ビアンカが小声で呟く横で、リュカもその景色をちらと見た。すぐにその視線は周囲の魔物へと向けられ、警戒は怠っていないと敵の魔物らにもそうと見せる。敵に注意しつつも、リュカはちらと見た景色を脳の中に留めた。
前方に巨大階段。その上からはうっすらと青白い光が差し込んでいるように見えた。まるで天上から差し込む陽の光のごとく、それ自体がリュカたちの希望の光にも見えた。巨大階段の近くに立つ魔物はおらず、明らかに敵の魔物らはその光を身に浴びたくないのだと言うように、より暗い場所へと身を潜ませていた。
エビルマウンテンの山頂に見ていた青白い光の柱。その光が、今リュカたちが向かおうとしている巨大階段のその上から漏れ出ているのだろうと思えた。強い聖気を帯びた光に触れるのを忌避するのは、悪しき魔物としては当然のことなのだろう。リュカたちが毒の沼に近づきたくないと思うのと似ているのかも知れない。
じりじりと進み、巨大階段に辿り着いたリュカたちに対し、辺りの魔物らはただ状況を見ているだけだ。ゴレムスを先頭に巨大階段を上り始めても、辺りの魔物らはただただリュカたちを見送っている。奇妙な状況だと感じたが、前進できるのであればそれで良いと深くは考えず、魔物と無暗に戦うことがないことにも多少安堵しつつ、リュカたちは階段を上って行く。
リュカたちをただ見送るだけの魔物らは、実はリュカたちを見ているわけではなかった。見ていたのは、リュカたちの頭上遥か上、ゴレムスの頭上に不気味に浮かぶ、一つの火の玉だった。ゆらゆらと小さく揺れる火の玉はリュカたちの死角に浮かび、まるで侵入者を招き入れるかのごとく、一方で辺りの魔物らの行動を抑えつけるかのようだった。
赤く小さな火の玉に気付くことなく、リュカたちはただ階段外に見える青白い希望の光を目指し、歩みを揃えて階段を上り詰める。

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