マグマの扉の向こうへ

 

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恐らく母マーサが多くの時間を過ごした広い洞窟の出口から外に、リュカは一瞬、小さな輝く光を見た。消えたと思ったらまた幻のように光は小さく瞬き、まるでリュカに何かを知らせるようにそこに浮いている。
初め、訝し気な顔つきで警戒したリュカだが、これまでにも何度かリュカを誘うかのような小さな火の存在を思い出すと、その表情は驚きに変わった。確信はない。しかし今もまた瞬く白い光を見ると、リュカはその光の行く先について行くべきだと再び歩みを進める。
長年、憎しみを抱いていた仇敵は、自らも気付かない身の内に秘めていた光によって滅んだ。リュカはこの世を去ってもきっとこの世を諦めていないマーサの姿や、非道極まりないと思っていた仇敵にもその内には光が隠されていたのだと気づいたことで、魔界を統べる大魔王と言えども話をする余地はあるのだと信じて、今も前に進んでいる。何においても可能性はゼロとはならない。たとえ僅かでも可能性があるのなら、先ずはそれを試さなくてはならないのだと思うリュカの心の内には、本来は誰も傷つけたくはないのだという根がある。戦わなければならない時があるのは理解し、承知している。しかしリュカという人間は決して好き好んで戦いたいなどと思う者ではない。それはリュカ自身よりも、周りにいる者たちの方がより理解が深い。
瞬く眩いほどの小さな光に話しかけるような野暮はしなかった。ただ輝く光となったそれはもう、リュカを、人を陥れるような動きは見せないに違いない。ただ今や行き先は一つとなった場所へ導くためにと、時間はないのだというように見る間に遠ざかろうとする。リュカはそれに対して、憐れみを持つでもなく、同情することもなく、ただ真剣な顔つきで黙々とそれを追いかけ始めた。
洞窟の外に出れば、そこには巨人ギガンテスが待ち構えていた。ように見えたが、それは待ち構えていたのではなく、外に起こる雷を恐れて、ただ洞窟脇の岩場の窪みに大きな身体を縮こまらせ数体が集まっていたに過ぎなかった。洞窟から出てきたリュカたちの姿を見れば本能的に追ってこようとするが、プックルを先頭に駆け抜けていくリュカたちを追う速さもなく、再び雷の轟音が響けばただ怯えるように立ちすくみ、岩場の影に収まり切らない巨体を収めようと縮こまる。動物が本能で雷を嫌うように、ギガンテスもまた同じく雷を苦手としているのだと、その姿に知れた。
「プックル、あっちだ。山を下りて行くんだ」
「がう?」
「……お前には見えていないのか?」
振り返りリュカに問い質すような目を向けるプックルに、リュカは思わずそう聞いた。その小さな白い光は、リュカにのみ見えていた。他の皆はただリュカが進むと決めた方向へと、ある種の盲目さを以てついて行っているだけだ。指揮権はリュカに委ねられ、彼が迷わず進む方向を決めるのなら、それに無暗に異を唱える者はここにはいない。リュカもまた、途切れ途切れに光るそれを先導役として信じ、皆を連れるようにしてエビルマウンテンの山道を降りるようにして進み続ける。
大きく曲がった山道を進んだ先から、辺りの空気に温い熱を感じたような気がした。単に山を下りてきたからというわけではない。感じる熱には火のような苛烈なものさえ混じっているように思えた。リュカが見つめる小さな白い光は、感じる熱の根源へと向かっているようにも見えた。進めば進むほどに熱ははっきりと感じられるために、そう考えるのが自然だった。
暗黒の空が素早く渦巻き、その中心が光ると同時に、リュカたちの目の前に雷が落ちる。その轟音に耳が潰れるかと思いつつ、リュカたちはなるべく山の岩肌に沿うようにして雷の直撃を避けつつ進む。導きの白い光は、感じる熱の根源に向かって行くように、山肌の向こう側へと姿を消した。追って回り込んだ山肌の向こう側に、新たな洞窟の入口が激しい熱を内側から放つようにして口を開けて待っていた。中に魔物の気配は感じないと思いつつも、警戒しながらリュカたちはその中へと足を踏み入れる。
洞窟の中を明るく照らしていたのは壁や燭台に灯る火ではなく、今にも噴き出しそうなマグマの池だった。ぐつぐつと煮えたぎるようなオレンジの光に燃えるマグマの景色は、それだけでこの魔界という世界を象徴するかのようだった。リュカを導こうとする白い光は、信じられないことにぐつぐつと沸くマグマの池の真上に明滅している。マグマの眩しさに目を細めてその光を見るリュカの目の前で、明滅するその光はもはや熱さなど何も感じないのだと言うように、迷いなくすーっと静かにマグマの中へと消えて行った。その景色に、リュカは流石にそれはないだろうと、思わず何度も瞬きを繰り返した。
「ねえ、お父さん……ここはちょっと違うんじゃないかな」
「近づいただけで火傷しそうよねぇ。リュカ、他に道があるんじゃないかしらね」
「この奥にどこかに通じる道があるんだとしたら、ちょっと気合い入れないと進めないよね」
「気合いでどうにかなるかぁ?」
「ポピー王女とアンクルとで、マヒャドの呪文でマグマを固めることはできないものでしょうか」
「そうだね、奥に進むとしてもこれじゃあこの中に入ることもできない」
時折、マグマが噴き上がり、高い洞窟の天井にまで粘性ある炎が届くほどの勢いを見せる。実際に天井に届いているようで、遥か見上げるような高さの天井の一部がマグマが固まった景色を見せるように、まるで氷柱のごとく垂れ下がっている。洞窟内の辺りを見渡せば、噴き上がるマグマは辺りにも散っているようで、洞窟内の床は不自然な隆起を見せている。
ピエールの助言を受け、ポピーとアンクルが洞窟の入口に構え、噴き上がるマグマの全てを凍り付かせてしまおうと同時にマヒャドの呪文を放った。するとマグマは凍り付くどころか、まるで怒りを表すかのように氷に反発し、洞窟内で大爆発を起こしてしまった。アンクルはその場に持ち堪えたが、吹き飛ばされそうになったポピーをリュカが抱き留めて支え、一様に怪我を負ってしまった皆を癒すために、ビアンカが賢者の石を掲げる。傷は癒したものの、相変わらず地面から噴き上がるマグマの景色に、リュカたちは各々溜め息を吐いたり困惑をその顔に表す。
「マヒャドじゃ激しすぎたのかも知れないわね。もう少し抑え気味にやってみたらどうかしら」
「ヒャダルコくらいがいいのかな……」
「あんなにぐつぐつ煮えたぎってんのに、ヒャダルコぐらいでどうにかなるとは思えねぇぞ」
アンクルの言う通り、リュカたちの目の前に広がるマグマの地面は、つい先ほど凄まじい氷系の呪文を食らったことなど忘れたように、尚勢いを増すかの如く煮えたぎっている。そもそもこの場所だけに唐突にマグマの地面の景色があること自体、奇妙なことだとリュカたちは感じた。粘性のある泡を上げ続けているマグマを目を細めて見ながら、リュカはこのマグマこそが大魔王に近づくための扉なのだと、先ほどマグマの中へと消えて行った白い光にそう考えざるを得なかった。そうと気づいたリュカをまるで挑発するかのように、マグマは再び洞窟の天井にまで噴き上がる。
「あの溶岩の中へ入らなくちゃいけないんだ」
そう呟いて洞窟の中に踏み入ろうとするリュカを、隣に立つビアンカが素早く腕を引いて止めた。幼い頃、二人でアルカパの町の北西に位置するレヌール城を冒険したことがある。お化け城と呼ばれていたあの場所で、リュカは無邪気にもお化けと追いかけっこを始めた過去があった。今のリュカの行動に、ビアンカは子供の頃の無邪気で無謀で素直なリュカを思い、無意識にもその腕を引いて止めたのだった。
「リュカ、あのままのマグマの中になんて入れっこないわ。冷静になって」
「がうがう」
「でもあの中に入らないと先へ進めないんだ」
リュカにしか見えていない白い光が導く道は、恐らく正しいに違いなかった。今更リュカを欺き、破滅へ導こうとするなど、己の中に閉じ込められていた輝く光に飲まれて消え去ったあの者がすることもないだろうと、リュカは前に踏み出そうとする。
「お父さん、止めて! あのマグマ、近づいただけできっと私たちを飲み込んじゃうわ……」
ポピーは激しく煮えたぎるマグマの中に存在する悪しき力をその身に感じ取っていた。近づく者があれば容赦なくマグマの中へと引きずり込んでやるという意思が、ぐつぐつと煮えたぎる泡の一つ一つに現れているように見えるのだ。
「ねえ、お母さんが持ってるマグマの杖は? 杖の先からマグマが出せるんなら、引っ込めることもできたりしないのかな」
母ビアンカの隣でじっとマグマの煮える景色を見つめていたティミーが、そう言えば、というような調子でそんなことを口にする。ビアンカが装備するマグマの杖は、その杖頭から無限とも思えるようなマグマを生み出すことができる。杖の魔力はただマグマを生み出すに限らないのではないかと、ティミーは特別に考えないままにそう思った。
「王子らしいユニークなアイデアですね。試してみる価値はあるかと」
「って言ってもなぁ、あんだけのマグマをどうやって嬢ちゃんのちびっこい杖に封じ込めるってん……」
アンクルがそこで言葉を切ると同時に、一行の目は自然とリュカの持つ物へと注がれた。少し前にリュカたちはマーサがこの世界に残した不思議な聖なる水差しを手に入れていた。銀色のごく小さな水差しは今はリュカの腰のベルトから吊り下げられている。まるで装飾品にも見えるその小さな水差しの中に、信じられないほどの水が入り込んでいるのをリュカたちは知っている。鞭のようにしなる水が水差しの蓋を開いた入口から大量に入り込むのを彼らは実際に目にしているのだ。
「がう」
「水が入ったのは確かに見たんだけど……どういうわけだかこんなに雑にぶら下げてるのに水が出てこないんだよね」
そう言いながらリュカは腰にぶら下げていた小さな水差しを手に取り、そこに母マーサの名残を感じるように深い思いの中で眺める。目の前に広がる赤々とした溶岩の景色の前でも、この聖なる水差しを手にしているだけでその熱からいくらか逃れることができるような気がする。
その時、リュカが指に嵌めている命のリングの、緑の小さな宝玉が仄かに光を放った。常にリュカの身体を労わり、彼自身が意識しない中でも彼の生命力を支えているその力が、まるで彼に話しかけるように緑の光を柔らかく明滅させる。その光の加減はリュカにしか分からないほどに弱く、そしてその光の中に聞こえる声もまた、リュカの耳の奥にのみ響いている。
“リュカ……。母の声が聞こえますか……?”
その声があまりにも鮮明で、リュカは思わず驚きの表情と共に辺りをキョロキョロと見渡した。まるで耳元で母が語りかけているように感じられるほどに、その声は生きた声なのだ。間違いなく母が隣にいると、リュカは必死に辺りを見渡すが、決してその姿は目に見えない。
“煮えたぎる溶岩にただ足を踏み入れてはいけません。聖なる水差しを使うのです……”
命のリングに宿るマーサの想いと、聖なる水差しに込められたマーサの祈りの力が呼応し、息子リュカに先に続く道を指し示す。その声がリュカの背中を押す。本心では、マーサは今もまだリュカをこの場所から逃れさせたいという願いを抱いている。しかし目の前の現実は、一人息子の背を押すことしかできず、それしか許されていない。人生という道には様々な分岐があるが、今の今、リュカの前に続く道に分岐はない。前に見える一本道を進むしかない状況とあっては、もはや母は子供の背を支えながら押すことしかできないのだ。
“そうすればさらにその先へ……やがてミルドラースのいる邪悪な祭壇へたどり着けるでしょう”
消え入るような声に聞こえるのは、決して母の声が遠ざかっているからではない。ごく近くに聞こえる声だが、その声は震え、涙が混じっているようにもリュカの耳の奥に響く。母の本意ではない。しかし母はあなたの力を、成長を、未来を信じているのだと、震える声の中にも、彼女の思いには力強さもまた感じられた。
“母はもうあなたを止めません”
止めようとするならば、こうしてリュカに話しかけることももうなかったはずだ。溶岩の前に立ちすくみ、先へ進めないままにエビルマウンテンから退く道を引き返す手段を見い出していたかも知れない。しかしたとえそれが成功したとしても、その後世界はどうなるか。既に大魔王ミルドラースの力は地上世界へも影響を及ぼし始めている。リュカたちがたとえこの場から逃げたところで、すぐにリュカたちも含めた全てのものの破滅が待ち受けている中で、やはりリュカたちの後ろに道はなく、前に続く一本道だけが残されているのだ。
“さあリュカ……。聖なる水差しを……”
マーサの声に呼応するように、リュカの手にある銀色の聖なる水差しがきらりと光る。リュカの指に嵌められる命のリングが細い糸のような緑の光を緩やかに放ち、それが水差しの周りを飾る葉の文様に命を吹き込む。それがマーサの祈りの言葉の代わりだった。
水差しの注ぎ口から水が噴水の如く噴き出した。それはそのまま辺りに飛び散るでもなく、宙に留まり形を成す。水瓶を脇に抱えたような乙女の姿が、水によって形作られる。抱える水瓶の中から、とめどもなく水が注がれ、それがマグマの上へと落ちた瞬間に、マグマは水に抗うように暴れ始めた。しかしポピーとアンクルが唱えたマヒャドの呪文に対抗したような激しさは見られない。爆発には至らず、ただ苦しそうにあちこちへとマグマを跳ねさせ、水に包み込まれまいと抵抗している。聖なる水差しから放出された水はただ穏やかにマグマを鎮めようと、跳ねるマグマ一つ一つにも手を差し伸べるように広がりを見せる。
徐々にマグマの放つ熱と光が、洞窟の中で収まって行くのをリュカたちは目の当たりにした。熱が籠っていて、まともには足を踏み入れられない状況だった洞窟内の温度が、みるみる冷えて行く。洞窟内の地面を覆っていたマグマは、冷えて固まることもなく、聖なる水との融合によって中空に霧散した。最後にはマグマも水も互いに消え去り、残ったのはマグマの下に隠されていた階下へ続く階段だった。
「マグマが……消えちゃった」
「マグマって、冷えたら固まって石や岩になるものじゃないの?」
ポピーとティミーの言葉を耳にしながら、リュカたちは洞窟の天井に成形されていたマグマの氷柱もが消えていることに気付いた。聖なる水差しから注がれた水の力によって、この場にて開かずの扉の役割を果たしていたマグマは、それごと消滅してしまったのだ。
しかし先への道が開けたことにより、リュカたちは階下から新たな魔物の気配を感じざるを得なかった。それまでマグマが地面に広がっていた痕跡などどこにもなく、激しい熱のせいで洞窟内に足を踏み入れることすら躊躇っていた感覚も遠ざかった。引き返すことができないのは百も承知で、前に開けた道があれば進むしかないのだと、リュカは皆に「行こうか」と小さく声をかけると、ぽっかりと開いた広く暗い空間へ伸びる階段を降り始めた。



ビアンカの灯すマグマの杖の明かりは、階段を下りる途中から必要なくなった。エビルマウンテンと言う山中にあることを忘れさせるような人工的な構造が、再びリュカたちの目の前に広がった。内部はところどころに火が灯され、決して遠くまで見通すことのできるほどには明るくないが、プックルや、魔物の仲間の目を以てすれば視界に困ることはない。暗がりの中にある程度慣れてしまえば、リュカにも視界は利く。
リュカは無意識に、小さな白い光を見い出そうとした。道しるべの役をと、マグマの中へと飛び込んでいったあの光がまだこの場に存在しているのではないかと、辺りをキョロキョロと見渡してみたが、今その光は見当たらなかった。
代わりに目に映るのは、階段を下りる前からその気配を感じていた魔物らの姿だった。広い空間の中にちらほらと魔物の姿が見える。先ほどまでリュカたちが遭遇していたようなはぐれメタルやメタルキング、ムーンフェイスなどと言うような者たちではなく、明確にリュカたちを敵とするような魔物たちだと思われた。間近に出会えば確実に戦わねばならない状況となるだろうと、リュカたちは出来る限り息を潜め静かに、進むべき方向を定めようと広く見渡す。
その時、リュカの視界の中に映ったのは、見覚えのある一体の魔物の姿だった。その者を目にした瞬間に、リュカは剣を持つ右手に無意識にも力がこもるのを感じた。何故リュカが壁の向こう側に半身を隠すようにしているその者の存在に気付いたのか。それはその一体の悪魔神官もまた、リュカを冷たく見つめていたからに他ならない。
「あっちへ向かおう」
「止めとけよ、リュカ。罠だぜ、きっと」
「……がう」
リュカが今はまだ遠くに見える悪魔神官に気付くのとほぼ同時に、アンクルもプックルも、魔物としては当然だと言うように、壁の向こう側に隠れるように立つ悪魔神官に気付いていた。小声で交わされるリュカたちの会話などとは無関係に、見えていた悪魔神官の姿はふっと壁の向こう側へと消えてしまった。仲間が引き留める言葉を向ける中で、リュカが束の間逡巡していると、ピエールが小声ながらも力強く声をかける。
「行きましょう」
壁の向こう側へと姿を消した悪魔神官だが、恐らく隠れた場所でリュカたちを待ち受けているに違いないと、ピエールは壁の向こう側をも見通すような目をまだ向けている。
「たとえ罠だとして、我々はこの先の道を知りません。罠に敢えてかかることで、敵に近づけるやも知れません」
「こんな敵の居城の奥地で、そんな博打が打てるかよ」
「既にこんな奥地にまで入り込んでいるのだ、アンクル。ある程度の博打は打つ必要があるだろう」
「がうっ! がうっ!!」
「ダメだ、すぐにあの敵を倒してはいけない、プックル。できるなら捕らえて、知っていることを聞き出すのだ」
「あの魔物って、元は人間……だったんだよね?」
ティミーはそう言葉にしながら、地上世界のセントベレス山に建つ大神殿で遭遇した悪魔神官の姿を思い出す。死ぬまで取れないような薄ら笑いを浮かべる仮面の、その無の表情を思い出し、思わず身震いする。
「ミルドラースも元は人間、よね? 大魔王って言っても、やっぱり傍には人間にいてもらいたい……なんてこと、あるのかしら?」
「そんなの、勝手よ……身勝手だわ。許せないよ、そんなの……許せない」
ビアンカが敢えて客観的にそう口にするのに対し、ポピーはただ祖母を奪った大魔王憎しと言った調子で、暗い表情で言葉を床に落とす。
「あの魔物はきっと魔物の中でも地位の高い奴なんだろうね」
「法衣らしきものを身に着けていますし、地上の大神殿にも、この大魔王の居城にもいるところを見ると、恐らくそうなのでしょう」
他の仲間たちが各々の気持ちを言葉にしている中でも、リュカとピエールは今も壁の向こう側に身を隠している悪魔神官の後を追うことで意見は一致していた。他に積極的に行き先を見つけられない今は、二人の一致している意見に沿う他はないと、一行は用心深く悪魔神官の行った先を静かに追いかけ始める。
予想を裏切らず、悪魔神官は壁の向こう側に身を潜ませ、リュカたちを待ち受けていた。しかしやはり攻撃の意図は見られない。ただ道を案内するかのように先へと進み、リュカたちを体よくおびき寄せる。この空間には他の魔物の姿もあるというのに、悪魔神官の姿に恐れを為しているのか、ただ近づきたくないだけなのか、他の魔物らはリュカたちに向かって無暗に近づいてくることがない。たとえ罠にはまっているとしても、傍に他の魔物らが近づいてこない状況は、リュカたちとしては非常に望ましいことには違いなかった。
前を行く悪魔神官がふと足を止めたのは、広い空間がいくらか狭まるような、それでも広い通路のその手前だった。そこに、仲間と思われる二体の悪魔神官が加わり、三体がリュカたちの前に立ちはだかる。間合いを取りつつ、攻撃呪文を放てば十分に届く位置にまで迫るが、当然のようにリュカたちは呪文の構えは取らない。既に悪魔神官の身体の周りには、呪文を跳ね返す障壁が出来上がっている。倒すのならば、剣を振るう必要があるが、それには及ばないのが最良だと、リュカはいつもの如く敵に言葉をかける。
「そのまま僕たちを大魔王のところにまで案内してくれるのかい?」
剣を構え、明らかに戦う姿勢を見せながらも、その漆黒の瞳の中には寛容が宿る。決して憎しみで戦おうとしているのではないのだという雰囲気を纏うリュカに、悪魔神官は無表情ながらもその中にある種の表情を見せているようだった。その表情に、リュカは悪いものは感じなかった。
しかし敵はそうするのが己の役目だと言うように、両手に持つ凶暴な棘の巨大槌を構える。法衣を纏い、いかにも高度な呪文を習得したというような魔術師の様相を呈しつつも、悪魔神官が振るうのは恐ろしいまでの破壊力を見せる棘の巨大槌だ。あの打撃を一度でもまともに食らえば、それだけで立てなくなるか、運悪ければ絶命しかねない。その危険に晒すわけには行かないと、リュカたちは二人の女を庇いながらじりじりと前へ進む。
三体の悪魔神官は攻撃の意思を両手に見せながらも、リュカたちが近づいて来ればそれに合わせてじりじりと後退していく。その姿が、広い通路の上へと差し掛かると、三体は通路に大きく描かれた幾何学模様の床の上を滑るように移動していく。呆気ないほどに後退していく悪魔神官の行動に、疑いを強めつつも、とにかく敵の意図通りに合わせて前進していく。
その時、辺りの景色が一段明るくなった。同時に、間近に魔物の気配が飛んで来るのを感じた。空間を広く照らしている燭台の火に、一体の魔物が潜んでいた。それがフレアドラゴンとして姿を現し、後方の守りを固めていたアンクルへと飛びかかってきたのだ。
挟撃の形とされたリュカたちは、自ずと幾何学模様の描かれた広い通路の上へと押し込まれた。前を行く悪魔神官は床の上をするりと滑るように通り抜け、既に通路の向こう側へと抜けていた。そして三体は揃ってリュカたちを無表情の仮面で見つめつつ、右側に続いているのであろう道へと法衣を翻しながら姿を消してしまった。挟撃の形が崩れたところで、リュカたちはフレアドラゴンと間合いを取るためにと迷いなく前に進み出たその瞬間、幾何学模様の床が、その幾何学の模様に沿うようにばらばらと崩れてしまった。
前を行っていた悪魔神官は、その魔力により浮遊しながら床の上を進んでいたのだと気づいた時には遅く、リュカたちは足元を支える床ごと、階下へと落とされてしまった。アンクルが仲間たちをかき集めるように両腕を伸ばすが、その手が掴み抱えるのは、ビアンカ、ポピー、ティミーの三人がせいぜいだ。プックルは宙に回転しながら体勢を整え階下に着地、ピエールもまた弾力ある緑スライムで着地の衝撃を吸収、リュカはどうにかアンクルの足に掴まり、しかし落ちる勢いを止められずに階下の床の上に転がった。
アンクルが改めて、仲間全員を抱えるなり背負うなりして、今は天井となってしまった幾何学模様の床目指して飛び上がろうとする。しかし魔力を帯びる床は、幾何学模様の記憶を持っているかのように、正確に床を復元して行ってしまう。閉じられていく床の向こう側に、リュカは落とし穴を覗き込んでいる悪魔神官の顔を見た。無表情の仮面の顔にも、何かの意味が見えるような気がして、リュカは見えなくなるまでその敵の顔を見上げていた。
「アンクル、ありがとう。お陰で助かったわ」
誰一人怪我もせずに済んだことに、ビアンカが素直に礼を述べる。見上げる天上の高さは尋常ではなく、人間が落ちて平気な高さではない。
「だけどよう、どうすんだよ。オレたち、閉じ込められたんじゃねぇのか?」
「ここ、なーんにもないね」
「でも、何だか、嫌な感じがする……」
辺りを見渡すティミーの目に映るのは、少ない明かりに照らされ、視界の悪い広場とも言えるような場所だ。床も人工的なものではなく、剥き出しの土、というよりも砂に近い。湿り気を帯びながらも、両足を飲みこみそうな柔らかい砂の上に、今ティミーたちは立っている。この柔らかさのお陰で、直接床に飛び降りたプックルもピエールも無事だったという側面もあった。
その砂の中から、ポピーは妙な気配を感じていた。それは既にプックルも逆立つ赤毛に示しており、悪しき者と言うよりも、何やら悍ましいような気配を彼らはその身に感じていた。リュカもピエールも、それが何かなど分からないままに、ただ本能的に右手に剣を構え始める。
足元の砂が動く。その気配を鋭く感じたプックルが、「がうっ!」と一声吠え、彼が視線を向ける場所から、皆が一斉に距離を取る。プックルの視線を受けた場所から、砂が渦を巻く。その渦は、二つ。リュカたちは引きずり込まれないようにと更に距離を取り、目の前に砂の山が膨れ上がるのを見るや、その中から魔物が出現した。
もし正しい生命を宿していたら、シーザーのようなグレイトドラゴンの大きさをも凌ぐのではないかと思えるような、巨大なドラゴンだった。というよりも、かつてドラゴンだったものだ。出現した魔物は既に化石となり、本来の生命は遥か昔に終えているはずだ。しかし、今は空洞となっている暗い眼窩の奥に、仄かな冷たい光が宿り、それは無理に、誤った生命を宿されている。
「……倒そう」
リュカの言葉は、あくまでも現実を見つめたものだ。落とし穴に落とされ、まだこの場所の状況を把握していない。出口があるのかどうかも分からない。この二体の化石の恐竜スカルドンから逃げるにしても、逃げる方向も定まらない。凡そにおいて、逃げることを最優先するリュカだが、無暗に逃げることはこの場において最も避けるべきだと、皆に戦う指示を出す。
しかし彼の本心には、この者をただ静かに眠らせてやらなければならないという、憐れみにも似た感情から生まれる思いがあった。スカルドンの暗い目の光に、この世に生きたいという力はない。とうの昔に命を終え、もうこの者が生きるべき時ではないのだと、リュカはただ敵を本来の眠りに就かせるという意思で、剣を構える。
向かって左、多少近くに立つスカルドンに向かって、プックルが飛びかかる。敵の動きは鈍い。プックルは骨ばかりの魔物の、足を狙った。あまりにも太い恐竜の足の骨に、プックルは体当たりを食らわせると、その勢いで関節が外れ、スカルドンの身体は前のめりに倒れかけた。
倒れかけたところですかさず、ピエールが地を跳ね、倒れ込んでくるスカルドンの目を狙う。同時にアンクルが、対になる形でもう片方の目に槍先を向けて突っ込んでいく。魔物の仲間たちの攻撃には躊躇がない。ゾンビのように蘇った敵の命が、その両目に宿っていると見切った彼らは、迷いなく一息に敵を倒すべく飛び込んでいく。
その時、彼らが狙う敵の暗い目が、まるで生命を感じられないような冷たい光を、向かってくる二体の魔物に放った。ピエールもアンクルも、既に向かう勢いを止めることはできず、至近距離から放たれたマヒャドの呪文をまともに食らった。猛吹雪に、ピエールの身体は瞬時に凍り付き、砂の地面へと落ちた。アンクルもまた耐え切れずに吹き飛ばされ、砂地の上を転がった。
同じ時、リュカたちはもう一体のスカルドンとの戦いに向かっていた。正しい命に守られていない者はおおよそ冷気との親和性が高いと、ポピーは氷系の呪文を唱えることなく、父リュカに先ずはバイキルトの呪文を唱えた。この砂だらけの地で爆発系の呪文を唱えることも望ましくないと、ポピーは冷静に一歩下がりながら己の立ち位置を見つめた。プックルが体当たりを食らわせた直後、リュカもまたもう一体のスカルドンの足に斬りつけるべく駆けていた。ティミーは皆を守るためにと、防御呪文スクルトを唱え、その直後のビアンカの攻撃には、魔物の仲間たちと同じように躊躇いがなかった。
メラゾーマの火球を、彼女はスカルドンの巨大な顔に向かって投げつけた。メラゾーマの火球で広間の景色が一気に明るくなると同時に、リュカはスカルドンの右足首に斬りつけた。関節を狙うのは、敵に肉がないからだ。関節を壊した足首から、スカルドンが体勢を崩すのと合わせ、メラゾーマの火球が敵の喉から顔を飲み込むように焼く。叫び声が上がるでもない。誤った命はあるが、声は失われたままなのだろう。そもそもこの者は痛みを感じないのかも知れない。
メラゾーマの火球は敵の頭部を飲み込んだはずだが、それは呆気ないほどにすぐに収まった。かと思えば、強大な火の力をかき消した凍える吹雪が、今度はリュカたちに向かって吹き下ろされた。吹雪に耐えるべく体勢を固めるリュカに向かって、足首から外れているはずの足先が、それだけで命を持つようにリュカを蹴り上げる。ティミーのスクルトの効果があり、気を失うことはなかったが、吹っ飛ばされたリュカはそのまま砂地に吹っ飛ばされた。
スカルドンという、太古の死から呼び戻された骨のドラゴンは、もはや身体を一つに保たずとも動くことのできる、気味の悪い生き物となり果てていた。プックルに体当たりを食らい、膝から下を切り離されたスカルドンの足が、それだけでアンクルに向かって行く。それを見たアンクルが思わず目を見開きながら、デーモンスピアでそれを弾こうとする。しかしマヒャドの損傷から脱していない彼には力が足りず、切り離されたスカルドンの足に押し込まれ、砂地にねじ伏せられてしまった。
アンクルをねじ伏せるスカルドンの足に、ピエールがドラゴンキラーを振るう。マヒャドの呪文に凍り付いた己の身体を自らベホマで癒し、ピエールはすぐさま仲間を救うべく駆けてきたのだ。骨となっても敵はドラゴン、その硬い鱗を悠々と切り裂くほどの鋭さを持つドラゴンキラーが、敵の関節ではなく太い骨そのものを打ち砕くように切り裂いた。力のバランスを失ったようにスカルドンの足は崩れ、アンクルは起き上がりその場を逃れた。
「みんな、一度離れろ!」
再び至近距離で飛びかかろうとしていたプックルだが、リュカのその声にすぐさま敵との距離を取った。ピエールとアンクルもまた、一見崩れて動かなくなったスカルドンの足から離れ、体勢を整える。ティミーも、母と妹を守るように敵を見据えながら、三人で揃って動き、距離を取る。リュカも自身に回復呪文を唱え、起き上がるや否や皆のもとへ駆け、仲間たちが一塊になるようにと声をかける。
敵との距離を取り、見る敵の姿には、二体に明らかな違いが見られた。ビアンカの放ったメラゾーマの威力は凄まじく、一体のスカルドンの骨の頭部が半分近く焼失していた。冷気を操る術を持つスカルドンという生ける屍のドラゴンが炎にはまるで耐性がないことが窺えた。
「ビアンカ、アンクル」
「一気に仕上げちまおう」
「あのドラゴンだって、あんな形で生きていたくはないでしょうよ……」
ビアンカとアンクルが並び立ち、共に呪文の構えを取るなり、二体のスカルドンに向かって放つのはベギラゴンの火炎だ。眩しいほどの明かりが砂地の空間に満ち、リュカたちにまで息苦しいほどの熱風が吹き付ける。
しかしまるで激しい熱から身を守るかのように、スカルドンらはマヒャドの呪文を放ってきた。拮抗しそうになるその状態を長く保っていては、無駄に魔力を消費するだけだと、リュカは自ら、熱風を辺りに巻き散らす火炎に向かって両手を向ける。炎と風は相性が良いのだと言うように、リュカの放ったバギクロスの呪文が、スカルドンに向かう火炎に渦を起こす。敵の放ったマヒャドの威力は、渦の外へと弾き出され、火炎の渦はそのまま二体のスカルドンの身体を飲み込んだ。地面の砂までをも巻き上げ、辺りに視界は無くなり、リュカたちは一様に息もせず、ただ一心に、生ける屍と化していたスカルドンの命がここで無事に尽きることを願った。
火炎の渦の嵐が止む。残ったのは燃え尽きてはいない、しかし崩れたスカルドンの骨が砂地に散らばった景色だった。炎はまだ残り、スカルドンの大きな骨をも全て燃やし尽くしてしまおうと、砂地に沈みかけている骨に絡みつくように赤々と燃えている。その光景に、まだこの敵は死んではいないのだと、プックル、ピエールが注意深く敵の様子を見つめている。
「お父さん、こっちに階段があるよ!」
「ねえ、今のうちに行こうよ!」
リュカたちが呪文を放ち、敵と対峙しているその最中に、ティミーとポピーはこの場を素早く離れ、出口を探していた。子供特有と言っても良いのか、その現実離れしたような行動に、リュカたちは思わず双子を唖然とした表情で見つめた。しかしそれも一瞬のことで、子供たちの近くの砂地が不穏な動きを見せるのを察知するや、プックルが警告するように一声吠えた。
広い砂地の中に、果たして他にもスカルドンの骨が埋まっていた。その数、新たに二体。姿を現した二体はまだ、標的となる二人の子供の姿をその目に捉えていない。
「ティミー、ポピー! 階段に向かって走れ!」
「うん!」
「はいっ!」
リュカの指示に何も疑うものなく、すぐさま返事をして行動する子供たちには、父リュカへの信頼しかない。彼ら自身もその目に、新たに出現したスカルドンの姿を捉え、そこから逃げるように上階に通じるであろう階段に向かって揃って走り出した。
向かう方向が定まればそこに向かうだけだと、リュカたちもまた子供たちの後を追う。その際、子供たちの姿に気付いたスカルドンもまた人間の子供二人を追いかけようと走り出そうとする。その後ろから、プックルが不意打ちを食らわせるようにスカルドンの膝裏に体当たりする。少し遅れて、ピエールがもう一体のスカルドンの足首裏の腱に斬りつけ、二体のスカルドンはその巨体を支えきれずにその場に体勢を崩す。
その隙に、アンクルが背にビアンカを乗せ、その足にはリュカが掴まり、体勢を崩したスカルドンの脇をすり抜けるように飛んでいく。しかし間もなく二体のスカルドンは体勢を持ち直し、尚且つその後ろでは先ほどまでリュカたちと対峙していた二体のスカルドンが復活しようとしている。四体のスカルドンが揃ってただならぬ気配を漂わせ始めるのを感じ、アンクルは足に掴まっていたリュカを軽く振り落とすように前へと放した。
「アンクル! 倒そうと思わなくていい」
「分かってるよ。それに、あの気味わるいヤツは倒せねぇだろ」
砂地に着地したリュカはアンクルにそう声をかけつつも、既に前を行くプックルの後を追う。そのすぐ前に子供たちが背を向けて駆けている。リュカのすぐ後にはピエールが続く。上階に続く階段はまだ先に見えたが、たどり着けるだろうという確信がリュカたちにはある。
「足止めね」
「そういうことだ」
アンクルの背に乗るビアンカが声をかけると、アンクルも一言返す。それだけで意思疎通は十分だと、二人はすかさず呪文を放った。ベギラゴンの火炎が重なり、凄まじい熱の威力でこの空間を激しく揺らがせ、四体のスカルドンの姿を火炎の中に閉じ込めようとする。その間にもリュカたちは階段へと向かう。アンクルはスカルドンとの距離を離すように後退しながら、ビアンカと共にベギラゴンの火炎を放ち続ける。
先に呪文を止めたのはアンクルだ。魔力を放出し続けることに耐えられないと、息切れを起こしながらベギラゴンの火炎が一つ止んだ。その瞬間に、スカルドンが放っていたマヒャドの猛吹雪がアンクルとビアンカの目の前に迫ってくるのを感じた。ビアンカは咄嗟にベギラゴンの火炎を切り替える。
メラゾーマの大火球が、マヒャドの猛吹雪に風穴を開けるようにして、敵の一体に命中した。猛吹雪の脅威は途端に弱まり、その隙にアンクルは魔力の放出でぐったりとしたビアンカを脇に抱えるや否や、敵にくるりと背を向ける。砂地に足を取られながらも先に階段に辿り着いた双子の姿を認めると、アンクルは後ろから迫る猛吹雪に飲まれまいと、脇に双子の母親を抱えながら放たれた矢のように飛び向かった。

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