「戦争と平和」(1-6巻)(レフ・トルストイ 著)を読んで
数か月をかけてようやく読み終わりました。超大作と呼ばれるのもごもっともという超大作でした。有名過ぎるこの作品をようやく読むことが出来て、ほっとできたのと同時に、もう一度読まないと自分の中には落とし込めないという不足感もありますが、もう一度読むのは時間的にも厳しいなぁという思いで、色々と思いが交錯しています(汗)
「戦争と平和」は、1865年から1869年の約5年をかけて書かれたトルストイの代表作です。初め、この作品の名前は「1805」だったそうです。というのも、初めに舞台となる時代が1805年だったからで、しかし物語が書かれ、進む内に、その名前は「戦争と平和」と改められたようです。
舞台となる1805年に何があったかというと、この年にアウステルリッツの戦いがあり、この戦いでナポレオン軍がオーストリアとロシアの連合軍に圧勝しています。この戦いの様子が「戦争と平和」の中で細かく書かれています。主人公に類する人々は架空の人物でありながら、この戦いにおいて名を残している実在の人物も話には登場します。この物語自体がフィクションの側面とノンフィクションの側面と、双方の面を持っているので、このような人生を歩んだ人々がいかにもいたんだろうと思わせられる想像が働きます。トルストイの描きたかったものは、実際の歴史の中に登場する代表的人物の生き様ではなく、その中に生きる一般の人々の人生を描きたかったのではないかと思います。一国が戦争という道を歩んでいる最中に、一般の人々が一人一人の意志とは関係なくその出来事に巻き込まれて行くその様は、本当にリアルに感じられました。切迫した戦いの状況が描かれている場面もあれば、そのような戦争とは無関係に開かれる貴族のパーティーがあり、また戦争の事実を知りながらもどこか他人事のように生活している一般の人々の様子もまた、戦争が行われている中のリアルだと感じました。
1805年にあったアウステルリッツの戦いともう一つ描かれている戦いが、ボロジノの戦い。アウステルリッツの戦いでは、ナポレオン軍が圧勝しましたが、ボロジノの戦いではナポレオン軍が壊滅的損害を被ります。この戦いでは、ナポレオン軍はロシアのモスクワにまで到達するものの、ロシア皇帝アレクサンドル1世は和平交渉を拒否。その時の様子が何とも……滑稽とは言わないのかな、アレクサンドル1世は既にモスクワを離れていて、そこに到達したナポレオンは誰もいないモスクワで待ちぼうけを食らうような状況に描かれていて、それが寧ろリアルな雰囲気に感じられましたが、やはり内心「何だかなぁ」と思わずにはいられませんでした。あまり格好がつかない感じ。これは史実なのか、ロシア側からの意図あるフィクションなのか。調べればわかることかも知れませんが、ここでは後者の雰囲気を個人的には感じました。
ボロジノの戦いでどうナポレオン軍が壊滅的損害を被ったのかと言うと、いわゆる「冬将軍」にやられたという、どうにも勝てない自然を相手に負けたということでした。私は他にもいくつか海外の作品を読んできましたが、その度に感じるのがこの「自然の猛威」です。特にヨーロッパでのお話には冬の厳しさがよく描かれているように思います。そして今回の舞台はロシアですから、一層冬の厳しさは凄まじいものと思います。日本に住んでいる私にはちょっとやそっとでは想像できない酷寒なのでしょうね。
余談として、以前、会社勤めをしていた時に聞いたことがある話ですが、それこそロシアのとある地域に海外出張に行った方の話では、あのふかふかの動物の毛皮で出来た帽子の意味がよく分かるのだと聞いたことがあります。出張に行く前までは、あんな動物の毛皮で出来たふかふかの帽子なんてお洒落で被っているんだろうと軽く見ていたようですが、現地に行ってみて冬を経験すれば、あれは必需品だと体感したようでした。そりゃあ、ウオッカも飲まずにはいられないんでしょうね。(大学では一応、第2外国語にロシア語を取っていて、その時の教授の話でも、しょっちゅうウオッカの話が出ていたように思います。それほど、生活自体にウオッカが結びついているのかなと、勝手に思っています)
また、冬将軍によってのみ壊滅的損害を被ったわけでもなく、加えて「パルチザン」によってもナポレオン軍は打撃を受けたとありました。パルチザンと聞くと、私なんぞはついゲームに頭が行ってしまうのですが、それとは別の「パルチザン」です。これはロシアの部隊の呼び名のようで、モスクワを占領されてからはロシア国民一人一人が一丸となって戦い始め、フランス軍の退路において、脇から突くように隙を見て襲い掛かる方法で戦っていた人々をそう呼んでいるようです。これは、スペインのゲリラ戦と同じで、ナポレオンがスペインを攻撃した時には、スペインはゲリラ戦を繰り返したという歴史もあるようです。パルチザンは部隊の名称、ゲリラ戦は戦法の名称ということのようですね。
この1805年と1812年の二つの戦いが主軸となって書かれた「戦争と平和」という作品において、国と国がぶつかり合う戦争の中で生きる貴族でも平民でも何でも、生きる全ての人々の暮らしぶりや行動、心情、その他もろもろが描かれており、それがトルストイの書きたかったことなのだなと、描写や組み立ての細かさにそう思わせられました。戦いの中での、戦いに出る男たちの心情についても、それぞれがとても具体的で、戦いに憧れる少年もいれば、戦いの虚しさに気付く男もいる。その人々が何故そのような心情に至ったのかは、その人一人一人の人生が背景にあり、その人を取り巻く環境がそうさせるという細かな描写が素晴らしいと思いました。一人一人を細かく描くのと同時に、大きな流れの中では一人一人の存在は非常に小さく、しかしその一人一人の行動、心情、存在が大きな流れに微細な影響を与えて与えて、ふとした時にその大きな流れがぐいっと変わることもある可能性があるという、ミクロとマクロの相互作用が物語全体に感じられました。
歴史上の出来事を見る時に、とある代表的人物の行動が歴史を動かしたと見るのはあまりに浅はかで、その代表的人物の周りに起こった大小様々な物事、それにも限らずあらゆる物事の一つ一つの粒子のようなものが互いに影響し合って、それによってできる「流れ」や「空気」によって、歴史上の出来事が起こるのだと言うことに気付かせてくれる超大作なのだと感じました。人間の歴史だからと言って、人間たちの関係性に限った影響では決してなく、それこそロシアの気候の特徴でもある厳しい冬将軍の前では、人間は為す術もないという状況もあり、それこそ土の一粒からでも影響は様々に及ぶのかなと、想像はどこまでも膨らむし、それも決して間違いではないのだろうなと思います。
こちらの作品を一通り読むことによって、これまでよりも断然視野も視界も広がったのではないかと思いました。それともう一つ、最後の巻末を読んでいて面白いと思ったのは、お話に沿った年表が収められていたのですが、その最後に「1828年 『戦争と平和』の作者レフ・トルストイ誕生(~1910)」とあるんです。どうして最後にトルストイの誕生の年が書かれていたのか。それは、この超大作の登場人物であるニコライ・ロストフがトルストイの父、ニコライの妻となったマリア・ボルコンスキーはトルストイの母、としてモデルとされているという話もあり、そこと繋がっているようにも見え、そのような点においてもこの作品をまた異なる視点から楽しむことができるのではないかと、読んだ後になって巻末にそう気づかされました。……うーむ、やっぱりまた一から読むべきかしら。いや、しかし、やっぱりちょっとしんどいかも……(汗)
次に読む本も既に借りてきているので、新たに次の本を読んでみたいと思います。とにかく、気になった古典をまた手に取ってみたので。