「罪と罰」(ドストエフスキー)を読んで

 

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前回呼んだ「戦争と平和」(レフ・トルストイ)に続けて、同じくロシア文学の「罪と罰」(フョードル・ドストエフスキー)を読みました。どちらも世界的に有名な本ですね。こちらも非常に読み応えのある作品でした。

「罪と罰」(ドストエフスキー)

前に読んだ「戦争と平和」のような教訓的な、教育的な要素は見られず、こちらの「罪と罰」は半ば推理小説のように楽しんで読むことができました。私自身、小学生から中学生くらいの時に推理小説、というよりは、赤川次郎さんの作品にハマった時期があり、三毛猫シリーズを多く読んでいたこともあり、その時の感覚を思い出しながら、ワクワク感と共に読みました。

作品中で、思わずのめりこんでしまう箇所は、やはり主人公ラスコーリニコフと予審判事ポルフィーリーとのやり取りでした。心理戦の描かれ方が面白い。読み手側としては、主人公が既に犯罪に手を染めていることを知っていて、それに対して判事ポルフィーリーが探りを入れてくるのですが、これが探りなのか、単に質問をしているだけなのか、それにしてもめちゃくちゃしゃべる人だなとか、いろいろと思わせられる賑やかな人物として描かれていることに、なんとなくですが刑事コロンボを思い出してしまいました。……で、後で調べてみたら、刑事コロンボの脚本の担当者が本当にこのポルフィーリーをモデルとしていたと発言しているようですね。びっくりしました。刑事コロンボも、赤川次郎さんの推理小説も、私の母が好きだったので、横で見ていたり、小説を読んだりしていたんですよねぇ。推理ものって面白いですよね。だから今でも様々な推理ものが多くの人たちに好まれているんでしょうね。

主人公ラスコーリニコフは、私の印象としては、頭でっかちの青年、という感じでした。理想や思想は大きなものだけど、現実は全くそれに追いつかないという、そんな感じです。よくあることです。というかきっと世の中、そんなことばかりかもしれません。理想や思想と現実との間には、とんでもない距離があったりしますが、それでもほとんどの人々は現実に身を寄せてどうにか生きていくしかない、と地に足つけて頑張っていますよね。もちろん、理想に向かって進むことが悪いわけではないし、人の生き方としてはそうあるべきなんだろうと思います。しかしここで危険なのは、一人で理想や思想に向かって突き進んでしまうことなのかなと思います。自分の目の焦点にぴたりと合ったものだけを見つめて、他は目に入らないために、自分では突き進んでいる感覚もない状態……でもこれこそが犯罪に走ってしまう人の心理状況なんだろうと、細かく描かれたラスコーリニコフの心理描写は非常に面白いと感じました。

著者は本当に犯罪に手を染めたことがあるのかしらと思わせるほどに、主人公が殺人を犯した後のその心理を表現する描写が生々しく狂っているように見えました。行動も落ち着かず、言動も落ち着かず、これじゃあすぐに犯罪はバレるんではと、主人公の犯罪を知っている読者にはそう思えてしまうのですが、これが結構バレないままに時が過ぎていく。それ故に、主人公は猶のこと精神が保てなくなってしまう。しかし自ら白状することもできない。同時に罪の意識に耐えられなくなっていく。これらの心情の描写が本当に生々しい。そんな主人公をさまざまな環境が取り囲み、彼の心情をさまざまに翻弄する。……推理小説好きとしてもとても楽しめる作品でしたし、当時のロシアの状況を知るにも良い作品だろうなと思いました。

「戦争と平和」でも感じたことですが、これらの作品に描かれるロシア人の描写に、私は、何とも言えないあっけらかんとした明るさを感じてしまうんですよね。それというのも多分、私が大学生の頃に第二外国語として取っていたロシア語の教授がやたらと明るかったというのもあるのかも知れません(笑) 日本人の教授だったんですが、「さっき、酒でも飲んできましたか?」みたいな明るい教授だったような記憶があります。さすがウォッカの国は違うなと当時思った記憶もあります(笑)

主人公のラスコーリニコフなんて、罪を犯してからはずっと思い悩み、これから暗い人生を過ごすに違いないという状況なんですが、あまり「暗い」という印象はないままでした。暗いというよりも、狂ってる?という感じ。……まあ、彼の場合は罪を犯しているので、そうなってしまったのですが。

あと、ちょっと混乱したのが、話の中に表現される人の名前が、本名だったりあだ名だったりで、一人に対していろいろな呼び名があることです。主人公のラスコーリニコフにしても、本名はロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフという名で、話の中ではラスコーリニコフはもちろん、ロジオン、ロージャ、ロジオン・ロマーヌイチと、さまざまな呼び名で呼ばれるので、これらが同一人物であることに気づかないまま読んでしまうと、もうそれだけで頭が混乱します。男性と女性で語尾が変わるというのはなんとなく覚えていたんですが、これだけ呼び名自体が変わってしまうと、それだけでちょっと話を追うのが辛かった……(笑)

こういう作品を書く作者ドストエフスキーは一体どのような人物なのかしらと、あとがきなども読んでみれば、どうやらギャンブラー依存症のような人だったようですね。政治犯としてシベリアに送られたこともあり、妻や兄を亡くしたりと、とても波乱に満ちた人生を送っているようです。作品というのは本当に、作品を作る作者の人生そのものが出現する場所だなとつくづく感じます。ちなみに、この「罪と罰」が当時、ロシアの雑誌での連載が始まった時と同じ時期に、「戦争と平和」も連載されていたようです。

とある作品を読む際には、どうしてもその作品を書いた作者の素性というものが気になってしまいます。特に古典となると、その時代背景も多く作品に影響を及ぼしているはずで、その辺りも知らないといけないことなんだろうなと、年代を調べたりしてしまいます。「罪と罰」が雑誌で連載されたのは、1866年1月から。日本だったら、そろそろ明治時代が始まろうとする頃で、いわゆる幕末の頃ですね。この頃、ロシアは大改革の時期で、1861年に農奴解放令を実施し、その後も国家の構造そのものを変化させるような改革をしている時代でした。それというのも、1856年にクリミア戦争に敗北したことがその理由とされているようです。……激動の時代だったのだと思われます。ちょうどそのような時期にこのロシア文学の代表とされる二作が生まれたということなんですね。

ようやくドストエフスキーの代表作「罪と罰」を読むことができたので、次は「カラマーゾフの兄弟」をと、地元の図書館へ行ってみたのですが、どうやらどなたかが借りているようだったので、外国文学の棚をふんふんと目にしていて、なんとなく目に留まったものをまた借りてきました。読書、始めて見るとハマるものです。しかし私は自分の書いているお話もどうにか仕上げなければならないと思っていますので、そちらも着々と進めていければと思っています。あとひと踏ん張り、頑張らねば。

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