ロザリーヒルとエルヘブン(DQ4とDQ5)

 

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皆さま、お久しぶりです。bibiです。お話を書き終えてしばらくが経ちましたが、お話を書いていた時に色々と疑問に感じたり、考えていたことがあるので、ここに少し書いてみようと思います。

DQ4からDQ5への世界の移り変わり

お話を書いている時は、ちょこちょこDQ4とDQ5の地図を見比べていました。DQ5の世界は、DQ4の世界の続きにある世界なので、DQ4のことを考えないわけにもいきませんでした。続き物の世界観を考えるに当たり、地図を見比べ、どのような共通点や相違点があるかを見ながら、ふんふんと想像を膨らませて楽しんでもいました。
DQ4では、ピサロとロザリーの暮らした「ロザリーヒル」という集落がありました。川を下るか上るかして、辿り着いた場所だったように記憶しています。
噂に聞いた話なのですが、ドラクエの生みの親である堀井さんは、ファミコン時代から本当は「6章」を作りたかったと耳にしています。どうやら堀井さんも、敵役に対して思い入れを持つ方のようですよね。よく分かります。特に、DQ4はそれまでのドラクエとは異なり、敵役であるピサロにも理由があり背景があることを堀井さんは示してくれました。DQ4をプレイした方の多くは、ファミコン時代にラスボスを倒しても、何だかすっきりと“倒した”という感覚はなかったんじゃないかと思います。それだけ、彼には同情していたし、救われてほしいと思わずにはいられない方は多かったのではと思います。
時は流れ、堀井さんはリメイクで「6章」を追加して作ってくれましたね。それこそ当時はこのことに対して賛否あったかと思いますが、ゲームはクリエイターの方が作りたいように作るのが第一なのかなとも思います。自分が楽しいものを、他の人にも楽しんでもらいたいと、それがサービスの基本だとも思っています。
そして、この「6章」のおかげで、私ははっきりとDQ5に繋がったのだと感じました。それと言うのも、私が自身のお話の中で最後の方に書いた、「主人公の宿命」に繋がったからです。天空の勇者については、DQ5のゲームの中で明確に示されていますが、勇者の子孫が全て勇者になれるわけではなく、勇者は「勇者」として生まれなければならない。では、勇者の子孫と、勇者の違いは何かと考えてみると、そこに勇者ではない特別な何かが「6章」にヒントとして残されたのだと、かねてより考えていました。
DQ5の世界に描かれるエルヘブンの村。ここはゲーム終盤になってようやく登場する村ですが、そこに主人公のルーツがあると分かると、その繋がりにワクワクしたのは私だけではないはずです。そして、DQ4とDQ5の世界が繋がっていることをも考えると、このエルヘブン村と繋がりのある場所を、私はロザリーヒルと捉えました。もちろん、DQ4と5の世界地図を比べてみると、本当に同じ世界だったのかしらと疑うほどに異なる様相を呈していますが、きっとこの世界は一度、神様のいたずらか何かで地殻変動でも起こったに違いないと考えた上で眺めれば、その位置は決して遠くはありません。私としては、双方に通じる「川」という地形も、北東に位置する「滝の流れる洞窟」を「海の神殿」と見ることもできると、時間を隔てた二つの世界に共通する部分を見ることができます。ちょっと無理があるかも知れませんが……。
DQ4の「6章」の後の世界、ピサロとロザリーはあの村でひっそりと暮らしていたと想像し、その後彼らの間にも子が生まれたとして……という世界の後に繋がるのが「エルヘブン」であり、マーサであり、主人公であると。そう考えた末に、私の書いた物語ではあのような結末となりました。これは、ずーーーぅっと前から想定していたお話の根幹でした。それを表に出すのに、十数年かかってしまいましたが(笑)
DQ4のロザリーヒルでの景色を思い出せば、ピサロは魔族の王でありながらも、その力を使って動物に言葉を与えていました。ただ残酷な魔王であれば、動物に言葉を与えるなどということすら考えないのではないでしょうか。動物に言葉を与え、話せるようにして、ピサロは何を思っていたのか。動物たちが、言葉を話せるようになったことをピサロに感謝している場面がありました。それを見れば、ピサロが勝手気ままに動物に言葉を与えたとは考えづらい。たとえそうだとしても、それならば動物が純粋にピサロに感謝の気持ちを持つでしょうか。
ピサロはただ、動物たちが話せるようになれば、村のホビットとも、ロザリーとも話せるようになると考え、他方では、人間に言葉が話せて動物に言葉が話せないのは解せないとでも思ったのかも知れません。いずれにせよ、そこにピサロの悪意はないように思います。ピサロが敵視しているのは、あくまでも人間。
また、ピサロは進化の秘宝に手を出し、配下である魔物に使用したり、最後には自らに使用し、怪物となってしまう……。私はこの「進化の秘宝」もまた、DQ5の世界に繋がる一つのポイントだと思っています。
時は流れ、DQ5の世界。魔界に囚われていたマーサは、魔界の町ジャハンナにて、不思議なことを行っています。元は魔物だった者たちを、人間の姿へと変えている。ゲームの中だと、そんなこともあるかなぁ、なんてぼんやり思ってしまうところかも知れませんが、ここにDQ4との繋がりがはっきり見えます。
マーサは、かつてのピサロが動物たちに言葉を与えたように、ジャハンナの町で人間になりたいと願う魔物に、人間の姿を与えている。この二人には、似た心持ちがあるのではと、私は思っています。自分の力を、他者のために使いたい。自分の力で、誰かが笑ってくれるのなら、それが喜びだと、そう思う所があったのではないかと。
その思いと言うのは、誰でも彼でもあるものでしょう。自分というのは結局、自分のために生きているわけではない。自分は、結局、誰かのために生きているのだと、生きていればどこかで必ず気づくはずです。何かをして、人から感謝されたり、人が喜んでくれたりすること。こういうものが、生きる喜び、生き甲斐、というものなのでしょう。人が生きる意味は究極的に、そこにあるのだと私は思っています。
ただ、DQ4の世界の現実ではピサロが世界に破滅をもたらそうとし、その罪はこれ以上ないほどに重く、ピサロが背負うだけの罪ではなくなってしまった。かつてロザリーヒルと呼ばれていた集落は、時を経るごとにその在り方が変わり、エルヘブンという村へと変わる。そこでは過去の罪を未来永劫償うかのように、魔界の扉の門番を務め続けることが定着していた。DQ5の世界では唯一、その力を有するのがマーサであり、それを知った魔界側がマーサを捉えた。
DQ5の世界において、地上世界を救おうとしているのは勇者だけではなく、かつての魔王の子孫もまた、その力となる。そして魔界から魔物を解き放ち、地上世界を支配しようとしているのが、元は人間であった大魔王という構図。……この状況に初めて気づいたときは(かな~り前ですが)、ほほ~ん……と、かなり感動の溜息を洩らしたものです。熱い、熱いぞ、と。
魔王の子孫であるマーサ、その子供である主人公、そしてその息子である勇者が世界を救うことでようやく、過去の贖罪を果たすという、一つの物語の結末にたどり着いたとき、このDQの天空シリーズの完結を見たような気がしました。まあ、世界は終らないので、この後にもなんやかんやと起こるのは間違いないのですが。それはそれで、想像すると楽しいものです。
私としては、この後の展開としては、主人公が魔界に入り、本当の魔界の王と対面を果たし、穏便に話し合いでもしてほしいと思っています。エスなんとかさん。そしてその後は、主人公の娘も手伝い、魔界との行き来を続ける。うーん、想像が捗りますねぇ。お話を書くとしたら、色々と調整をしなくてはならないでしょうから、ちょっと書ける気はしませんが(汗)
で、このDQ4とDQ5の世界の繋がりを考えた時に、最も言いたかったのは、二つの世界の地図を見比べて、地殻変動でもあったに違いないということ。……同じ世界とは思えないほどに、色々と地形が異なるんですよね。五百年ほどでここまで地形が変わるとは思えず、きっと地殻変動でも起こったに違いないと思うことで、どうにか想像の説得力を持たせています。
きっとあったであろう地殻変動を踏まえれば、他にもいろいろと考察できる場所があるので、それについてはまた時間があったら書いてみたいと思います。世界の繋がりを考えるのは、楽しいものです。

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