「ぼくらの死生観」を読んで

 

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大人になってから大分経って、ようやく様々な本に手をつけているようなこの頃ですが、最近続けて読んでいた夏目漱石から少し離れて、現実的な一冊を今回読んでみました。

参議院議員でもある青山繫晴さん著の『「ぼくらの死生観」-英霊の渇く島に問う』、こちらの本を拝読しました。

読むきっかけとなったのは、主人がちょこちょこ買う本の中に、こちらの本がたまたま前面に出ていたため、少し気になり読んでみることにした、という偶然です。こういう出会いが大事だと思うんですよね。自分の興味にあるものばかりに、自分から進んで取りに行くばかりよりも、ふっと目に入ったものにふっと足を踏み入れてみるという体験が、今までの狭い世界観をぐっと広げてくれる可能性が大きいと。

そしてこちらの本を読み進めて行くうちに、何度も涙したのは事実です。涙無くしては読み切ることができない本だと思います。そして私は一体これまでの人生で何を見てきたのだろうかと、これまでにも何度もそんなことを思ってきましたが、改めてもう一度そう思わずにいられないという本です。

硫黄島……この島の名前を何故か私は初め「いおうじま」と読んでしまいました。何故その読み方をしたのだろうかと思えば、きっと映画の影響なのかなと思います。観たことはないですが、有名な映画で「硫黄島からの手紙」という、クリントイーストウッドが監督となったアメリカ映画がありました。渡辺謙さんを栗林中将の役に当て、かつての硫黄島での戦いを描いた戦争映画です。

硫黄島……正式名称は「いおうとう」です。太平洋に浮かぶ火山列島を構成する島の一つ、それもこちらの本の中に知りました。「いおうじま」は別に、鹿児島県の硫黄島(いおうじま)という島があるそうです。紛らわしいですね。

しかし、東京都小笠原村に属する「硫黄島(いおうとう)」は、近年までほんとうに「いおうじま」と地図に表記されていたのだそうです。何故か。

それは戦時中、アメリカが間違って硫黄島をいおうじまと読んだから。そして日本は戦争に負けたということで、その名前を改めずにそのまま日本の地図に載せていたと。とても細かな話ですが、こういう細かな話の積み重ねで世界は出来ているのだと思うと、小さな小さなことも見逃してはならないのだと私は年齢を重ねたからか、そう考えられるようになってきました。

本当に、色々と知らないまま生きるというのはそれだけで罪深いものだなと感じています。せっかく読み書きができて、一応考える頭もあるのに、まるで生かせていない。

「いおうじま」から「いおうとう」への名称変更に関しては、2007年当時の総理大臣である阿部晋三さんが関わっているなど、日本の国としての動きがそこにもあるという。小さな島ですが、日本の大事な島の一つだということが、この青山さん著の「ぼくらの死生観」の中に詰まっています。

あくまでも東京都小笠原村に属する硫黄島は「いおうとう」です。呼び方って大事です。誰だって名前を間違えて呼ばれたら良い気はしないものです。ですから、アメリカ映画のタイトルに引きずられずに、正式な呼び名である「いおうとう」をここで覚えましょう。既にご存じの方も多々いらっしゃるでしょうから、今更何を……と思われるでしょうが。その点についてはお許しいただければと思います。

こちらの硫黄島(いおうとう)、通常は一般人立ち入り禁止の地域に指定されています。小笠原諸島が世界自然遺産に指定された時も、この硫黄島だけは除外されていたと。何故か。

表向きはこの島に自衛隊施設があるから、となっていますが、それでも島全体を立ち入り禁止にするほどの理由にはならない。その他に理由があるとすれば……公には言えない理由があると。そのようなことも、こちらの本に書かれていました。

そして本来ならば一般人立ち入り禁止のこの島に、青山さんは苦労を重ねて島に立ち入る許可を取り、一日自由に見て回ったということでした。もちろん、正式に国の許可を得て、島に入っています。許可を取り付ける経緯もまた、青山さんらしい熱のあるやり取りが書かれていました。信念があって情熱がなければ決してできないことだと思います。青山さんが自民党での党員獲得数がトップなのも頷けます。やはり人って本質的に、ぶれずに筋の通った人に惹かれるのではないかなと思います。

青山さんが自由に硫黄島を歩いて回ったのが2006年12月9日。小型ジェットで硫黄島に入りました。船では島に入ることはできないそうです。港がないのだとか。港が作れない島なのだと書かれていました。潮流が激しく、港をつくるために埋め立てようとしてもすぐに流されてしまう……自然の力は凄まじいものです。

その日一日、硫黄島を一人で回り……今回読みましたこちらの本は2014年5月に行われた硫黄島クルーズでの講演をもとに書かれたものです。青山さんは一度目はご自身で硫黄島を目にして、二度目は多くの人々を招待する硫黄島クルーズで講演を行いながら、島の近くまで船で来たということでした。

なんとその講演に、すぎやまこういち先生が参加されていたと。巻頭に写真も載っていました。ドラクエファンとしてはもうそれだけで熱い思いが込み上げました。偶々手に取ったこちらの本でこうしてすぎやま先生の姿が見られるなど、思いもしませんでした。当時、奥様とご一緒に参加されていたようです。

そういう事実も含め、私はすぎやま先生と思いを共有できたのかしらと、そんな感動もありつつ本を読んでいました。

青山さんのお話する講演内容はきっと実際に聞いていても決して飽きることのない、ずっと聞いていたくなるようなものだったと想像できました。実際、本を読んでいても、たとえがアレですが、ゲームを進めている途中のあの「次へ、次へ」と思う気持ちが沸きあがりました。次が知りたい、もっと知りたいと、RPGで遊んでいるとそう思いませんか? それが酷かった学生時代は酷い寝不足に陥ったこともありましたが(笑)

戦争中の日本の姿を、私たちはあまりにも知らないと痛感させられます。今、息子は小学四年生になりましたが、学校の国語の教科書を見てみると、戦争に関するお話が必ず何かしら載っています。しかしそれはどれもが「戦争は悲惨なもの」を訴えつつも、お話としてはどことなく寂しく悲しく、その余韻を残しながらふわーっとお話は終わるという、ぼやけた感じを受けるんですよね。あくまでも個人的な感想ですけど。まだ小学四年生だから? とも思いますが、一体どこら辺から具体的な内容に踏み込むんでしょう。学校ではきっといつまでも、具体的な内容には踏み込まないですよね。だって私自身、社会科の授業では必ず近現代史に割く授業の時間が少なかったですもん。

学校の授業内容を誰が決めているかって考えれば、それは国が決めている。じゃあ国はどんな方針に則って学校の授業内容を決めているのかと考えればそれは……敗戦国故の現実、ということになるんでしょう。こういうことも、私は大人になって大分経ってから知りました。教育って本当に人間が生きる中での根底にあるものだなと思わせられます。国を作り上げていくものとしては特に。

一つこちらで本の内容として一部書いておきたいのは、硫黄島で戦った日本人は2万1千人ほど、ということ。その内、職業軍人と呼ばれる方は1千人ほど。では残りの2万人の方はと言えば、一般の男性ですよ。それをこの本の中で知っただけでも、涙が出ました。一人一人に家族があっただろうに、もちろん軍人さんだってそうです、もう生きて戻れないと覚悟して、日本という国を守るために必死の抵抗を続けた……そのような方々の尊い犠牲の下に我々の人生があるのだと考えるだけで、私たちは真面目に生きないと行けないと、そう思えるのがマトモな人間の考え方なんじゃないかなと思います。

日本人2万1千人に対して、アメリカは11万人。圧倒的な力の差、ですが実際のここでの犠牲者はアメリカの方が多い、ということも書かれていました。当初、アメリカはこの硫黄島を5日間で陥落させる想定だったと言います。装備だって、圧倒的な差があったでしょうからね。しかし実際は36日間、日本人は粘りに粘ったんです。どんな思いで持ち堪えていたのか、想像するだけで堪らない気持ちになります。想像を絶する状況だったということも、こちらの本には書かれています。

読後、主人にこちらの本を読んだことを内容込みで伝えると、主人は彼が小学生の頃に既にこの硫黄島についての本を読んだことがあると。もう小学生の頃には硫黄島について知っていたということなんですね。学校の図書室で読んだことがあり、その経験があるために、「硫黄島からの手紙」の映画の題名が「いおうとう」ではなく「いおうじま」と読まれていることに違和感しかなかったと。経験や知識の差というのはこういうところに現れて来るんですね。

……ということは、小学生でも十分知っていて良い歴史、知識なんだと思います。学校の授業では決して触れないであろうことやものは、周りの大人たちが教えてやるしかないので、私も(まだまだ知らないことが沢山ありますが)息子にちょくちょく色々と教えて行ければと思っています。

しかし自分もまだ、知らないことが多過ぎてどこから手をつければいいのか分からないような状況です(汗) 残りの人生、あんまり多くもないような気がするので、時間を無駄にしないようにしなくては。

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