「超限戦-21世紀の「新しい戦争」」を読んで
読むペースはとても遅いのですが、一応目についた本はなるべく読むような生活をしています。家に読んでいない本が多過ぎて、一体どこから手をつければいいのか分からないのですが、今回手に付けた本はこちらでした。
超限戦、この文字を見るだけで、何やら戦争に関するものということは想像できましたし、副題にはっきりと戦争の文字もあるので、「戦争」についての本だと言うことを念頭に読みました。
この本は1998年当時、中国の現将校の方が書いた本で、その後台湾、香港、海外中国人に広く読まれたということです。軍事専門家がこの本に注目し、アメリカ国防総省が英語に翻訳し、アメリカ海軍大学が教材に使いたい意向を著者に伝えるなど、軍事書としてひと際高い評価を受けているような本です。そんな本が何故家に置いてあったのか……まあ、主人が何かの折に興味を持ったようで、それで買って家にあったと。そして主人は読んでいないと。日々の仕事で忙しく、なかなか時間が取れないので仕方がないと、代わりに私が読んでみたというところです(笑)
私たちが想像する「戦争」とは、いわゆるドンパチの世界ですよね、通常は。こちらの本でも当然、その前提は書かれています。ただ、時代が進み、技術がどんどん発展していき、戦争の形は複雑なものになって行くのだという説明が為されています。ちなみに、この本が書かれたのは1998年当時。今から20年以上前、30年近くも前から、「今」起きているような戦争の形を予想し、当ててしまっています。この本を「予言書」と見る人もいるようです。
通常、戦争とは国家間の争いで、その理由は資源や領土など、自国の利益のために戦うという形が考えられるものだと思います。余談になりますが、進撃の巨人の世界も背景に国家間の戦争が描かれていました。あちらの漫画でも、資源を巡る侵攻計画があったりと、物語の背景に戦争が描かれていました。巨人というファンタジーの世界が途中から唐突に世界で起こっている戦争というリアルに変化したことは、驚きもしましたが、巨人のファンタジーも戦争のリアルの中に収まっていたんだなと、妙に納得した覚えがあります。資源を求めての戦争の形は今現在も主要な目的として多分にあるものだと思いますし、それが基本ではあると思いますが、今はそう単純な話にも収まらないものとなっています。
ネットで世界が容易く繋がるようになり、その信じられない速さや広さが一因にもなり、単に国と国との衝突だけでは収まらない環境となっている現実があります。よく言葉にされるグローバル化が進み、それ故に国際組織の役割が大きくなる方向へ必然と向かっています。グローバル化で国家間の対立という構図は薄まり、代わりにもっと大きな対立だったり、意味合いの異なる対立が生まれているのが、現代の世界の状況と見るのが正しいところなのかなと思います。
そういう世界で戦争となると、様々な方法が、様々な組み合わせで、様々なタイミングで仕掛けられるという、複雑さの増した戦争が起こされる、ということです。ただ単にドンパチという言葉だけで表されるものとはまるで違うことが起こっているということなんですね。
元々、戦争というものはそう単純なものではないと思いますが、それが技術の発展などによりより複雑なものになってしまったというのが、この本に書かれていることの一つです。
戦争と言えども、非軍事の戦争行動に分類される「戦争」があり、それには、貿易戦、金融戦、新テロ戦、生態戦など挙げようと思えばいくらでも上げられる戦い方があるのだと本には書かれています。文字から察するに、それぞれの戦争がどのようなものなのかは何となく想像できるのではないでしょうか。
その中で私が少し気になったのが、生態戦。こちらの説明として、台風や地震などを人工的に作って攻撃をする、とありました。自然の力を利用、というよりは使用して、敵となる相手へ攻撃する。何度も言いたくなってしまうのですが、この本が書かれたのは1998年です。その時から、この考え方があったのだと思うと……そして今の世界の状況、環境を一歩引いたところから眺めれば、ただの陰謀論で済ませてしまうにはあまりにも具体的な考えだなと感じるのが、率直なところです。第一、将校という立場の人がただいい加減にこのような事を書くことが到底現実的ではないと思うのは普通でしょう。
ただ、それが「ある」とは言い切れないけれども、「ない」とはもっと言い切れない。証明ということにおいては、「ある」ことよりも「ない」ことを証明することの方が余程難しく、不可能に近いのだと考えれば、「ある」と仮定して考えていくのが望ましいのではないかと思います。
今となっては戦争の方法が格段に増え、それらの方法を様々に駆使して様々な国が動いているのだとすれば、日本が防衛力強化だと言って防衛予算を増やしたところで、それで事足りるものではないのは自ずと見えて来るところじゃないでしょうか。
ここでね、ふざけるつもりは全くないんですが、こういう「総力」を考えた時にふと思ってしまったのが、ゲームの転職システム、具体的にはFF10のアビリティシステムだったりします。今やもっといろんなゲームがあるのかも知れないですが、私はこの時くらいでゲームの時間が止まっているので(汗) あれって、目指す高度なアビリティの位置を先に確認して、そこに行くためにはここからこう行って、こっちからこう……みたいな感じで、ある種戦略的に求めるアビリティに近づいて行こうとしますよね。イメージとしてふとそれが思い浮かんでしまいました。
ただ、あれというのも経験値を経て、それを糧にしてアビリティ取得! みたいなことになっていると思いますが、それはある程度余裕のあるやり方だし、糧にするものにも制限がある状態なので、余裕がない状況で、次負けたらゲームオーバーだという状況まで追い込まれているとしたら、何をやるかというと、一気に全部やるしかないですよね。全部です、全部。
ゲームはやり直しができるからそこまで切羽詰まった状況になんてならないでしょうけど、現実世界じゃそうは行きませんよね。ゲームオーバーなんて軽い言い方ではなく、一貫の終わりとなるので、それを避けるためにはそれこそどこを強化するかなんて選んでる場合じゃなくて、全部やるしかないんですよ、うん。それが「安全保障」という分野になるんでしょうね。
実際に安全保障という分野に何が入るのかと考えれば、全てが戦争の道具になる今では、全てが安全保障の対象になると言うことになるでしょう。国の機関として、様々な省庁がありますが、それら全てが対象と言ってもいいんじゃないでしょうか。
農林水産省、経済産業省、国土交通省、防衛省、文部科学省、総務省、厚生労働省、外務省……他にも省庁はありますが、これら全てを強化しないとマズイんじゃないのかしらというのが、こちらの本を読んだ私の今の感想です。もちろん、「超限戦」ということを考えれば、省庁だけを考えるだけでもまだ足りないとは思いますが。
財源はどうするんだって? それは国債を発行すればいいと。その辺りを理解する方も今や大分増えてきているんじゃないのかなーと感じています。もちろん、じゃんじゃんお金を作ればいいということでもないですが、できうる限りはこれでOKだということは、大分世に知られてきているような気がします。
主人の影響で、私もこれまでに色々な動画を見たり本を読んだりしてきましたが、ようやく少しはいっぱしの考え方が身についてきたような気がします。そうすると、今まで靄がかかって見えていなかった世の中が見えてくるんですよね。見たくないものも。いやー、何かを知る度に、自分は本当に何も知らずに生きてきたのだと、恥じるというか、罪悪感すら感じます。無知というのは最早罪なんじゃないかと。
こんな大人にはならないようにと、私も一人の親として、子供に色々と教えることが出来ればと思っています。学校で教えてくれないことは多過ぎる……。