「エリザベート-ハプスブルク家最後の皇女」を読んで

 

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前々から家にあり、読もう読もうと思っていた「エリザベート」をようやく読みました。こちらの本も、義父が持っていたものを戴いて来たもので、いかにも戦史を専門にしていた義父が好みそうな本だなと思いながら完読しました。

日本から見たヨーロッパというのは、地理的にも遠いために何だか身近には感じられないという感覚がありますが、学生の頃に世界史を授業で受けていたので、ほんの僅かな予備知識と併せて読むことはできました。

本の題名にもなっているハプスブルク家最後の皇女エリザベートは第一次世界大戦、第二次世界大戦と、二つの大戦を経験せざるを得なかった時代に生まれた方です。彼女の系譜を辿れば、かの有名なマリー=アントワネットがいたり、従叔父には第一次世界大戦の引き金となったオーストリア皇太子であるフランツ=フェルディナンド大公がいたりと、歴史を代表するような人物が見られます。

また、彼女の生きるウィーンには、若きヒトラー、スターリン、トロツキーも時を同じくして生きていました。若いヒトラーは画家を目指してウィーンに来て、美術学校の入試試験に二度失敗して意気消沈していたり、トロツキーは日本の駐オーストリア=ハンガリー帝国公使牧野伸顕(この方の父が大久保利通、曾孫が麻生太郎……とのことです)の下で、外交情報集め(つまりスパイ)として働いていたり、スターリンはヒトラーが住んだところの近くに住んでいたりと、歴史に名を残す人物が揃ってウィーンという都市にいたと記述されています。後のユーゴスラヴィア大統領チトーも、クロアチアから錠前工として出稼ぎに来ていたりと、皆が皆、貧しい若者たちだった、と。

それとは対照的に、エリザベートは皇女であり、結婚後も生活に不自由することはなく、庶民が考える、いわゆる「お嬢様」な雰囲気を纏う人物だと私には感じました。ただ、彼女の持つ「お嬢様な雰囲気」は決して傲慢や我儘なものではなく、自分とは異なる下層の人々の暮らしが酷いことを聞いて素直に胸を痛めるような素直さ、優しさがあり、また自らが惚れた男性には盲目的になり、終いには祖父である皇帝の権力を使う形で結婚に漕ぎつけてしまうという無茶っぷりもあるという、そのようなお嬢様感覚を持つ方、という感じです。これだけを見ると、ちょっと我儘、かな?

生活に不自由はないとは言え、エリザベートがまだ幼い頃に、父ルドルフが愛人と情死、祖母エリザベートが旅先で暗殺、従叔父のフェルディナンド大公とその妻ゾフィもまた暗殺と、身内に不幸が相次ぎます。その後も、第一次世界大戦の戦況が厳しくなる中、オーストリア首相のシュトルクも暗殺され、唯一残っていた肉親である祖父のフランツ=ヨーゼフ皇帝もまた八十六歳で波乱の生涯を閉じる中で、エリザベートがただ一人、残されます。

戦争の終結の見通しも立たないまま、エリザベートは子供たちとともにウィーンを離れることに。そこで初めて彼女は独りで暮らしを切り盛りしなければならない事態となります。時代的、社会的にガラリと環境が変われば、生活がガラリと変わることも余儀なくされるのは理解できますが、いざそれが我が身に降りかかった時に理解できるかと言うと……私は自信がありません。相当な胆力が必要だと思います。

その後も戦況は不利な状況が続き、ついにはハプスブルク帝国が崩壊。ほぼ650年間、中欧に君臨したハプスブルク帝国が1918年秋にあっけなく崩れ去ってしまったために、エリザベートは敗戦国の最後の皇女となってしまいます。

ハプスブルク帝国が滅びても、彼女の人生はまだ続き、その後も彼女は社会的に活動しながらもたくましく生きていきます。皇女としての教育を受けていたために、数か国語を話せる彼女は、様々な言語の新聞を読んだりして情報を自ら集めるなど、世の中の動静を常に気にしていたようです。元来、好奇心旺盛なところがあるのも彼女の特徴で、その為に大人しく目を瞑っていることができなかったのではないかなと感じます。また、そうするべきではないという、帝国の皇女としての心持ちもあったように思います。

ハプスブルク帝国が滅びても、ハプスブルク帝国の最後の皇女としての生まれは当然消すことはできず、彼女が生きている限りにおいてその生まれは利用したりされたりと、彼女の人生を翻弄したようです。それを外目から仕方がないと切り捨てるように考えるのは簡単かも知れませんが、それだけに留まるにはあまりにも時代が濃すぎます。

皇女という立場であるが故に、お偉方の人物がどうしても近くに来てしまいます。時の首相や指導者という立場の人物も、彼女がハプスブルク家の皇女であるということにはどうしても一目置くし、丁重に扱うのは当然で、敵でさえも決して面と向かって罵るなどという不躾なことはしません。改めて、どうしてそうしないのかを考えると、やはり長く続いた王朝の末裔に対する畏れというものが根底にあるのではないかなと。

今の世の中、お金があれば様々なものが買えるというような常識がある中で(あんまり好きじゃない常識ですが)、お金で手に入らないものの代表として「時」がありますよね。「時」ばかりは不可逆的なもので、ひたすら進み続けているものです。それだから積み重なって行くもので、積み重なった「歴史」はどう足掻いても覆すことはできないですよね。まあ、「記録」を意図的に消すことは可能かも知れないですが、過去にあった出来事は消えないわけで、その過去の出来事を経験してきた私たちの祖先がいるということは、今に生きる私たちにそれが確実に受け継がれているということでもあると思われます。

私たち自身が時を遡ることができない一方で、過去から残る様々な記録や伝承は今も辿ることができます。その時、どんな人がいて、どのような思惑で動いていたか、各国の情勢はどうだったかなど、残された本を読むことでそれこそ無限大に読み取ることができると思います。今回読んだ「エリザベート」では、時代に生きる者が誰なのか、その人物そのものの影響があまりにも大きいことが改めて分かったような気がしました。

そんな気がするのと併せて、今の世の中に目を向けて見れば……何だか今の日本には絶望を感じるのですが、そう言ったってどうしようもないので、未来の子供たちのためにも前を向いて行ければと思っています。冷静に考えて、日本ほど恵まれた国ってないと思うんですよね。この国を失くしたくはないなぁと、心底思います。

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