春風を感じて
「ポケタナス?」
素っ頓狂な声でそう言った勇者アレルの脳天に、無骨な戦士の拳が振り下ろされた。
「ポカパマズだろが。どんな耳してんだ、お前」
「……うう、なんでいつも口よりも手が先に出るんだよ」
涙目で本気で痛そうに頭をさするアレルに、彼の仲間である戦士ハルクは鍛え抜かれた腕に力こぶを作って、自慢げに言う。
「仕方ねぇだろ、俺はこれで飯食ってきたんだ。責められるようなことじゃねぇ」
「普段の生活には支障が出るから、やめて欲しいんだけど」
「俺は別に困ってないからなぁ」
明後日の方を見ながら反省の色など欠片も見せないハルクをじっと睨んでいたアレルは、やがて諦めたように頭をさすりながら村の子供たちを見る。すると今会ったばかりの村の子供たちは揃って戦士ハルクを睨みつけていた。
「ポカパマズさんに何するんだ!」
「ポカパマズさんをいじめるな!」
「ポカパマズさんに悪いことする奴は、ボクたちがゆるさないぞ!」
「……よく舌噛まねぇな、その名前。つーか、誰なんだよ、そのポカパマズってのは」
「お前みたいな悪そうなやつには、こうだ!」
ハルクの問いかけなど聞いちゃいない子供たちは、一斉に妙な形をしたおもちゃを手にした。突きつけられたへんてこなおもちゃに、ハルクとアレルは眉をひそめた。木の枝と木の皮と 葉で作られたような、すぐにでも壊れてしまいそうなおもちゃにハルクが鼻で笑った瞬間、リーダー格の子供が掛け声をかけた。
「みんな、かかれー!」
威勢の良い掛け声と共に発射された水の攻撃に、ハルクは顔面をびしゃびしゃに濡らして思わず両手で顔を覆った。
「何だ何だ!?」
「みんな、やっつけろー!」
そう言いながら水鉄砲を連射してくる子供たちに押され、戦士ハルクはたまらず熊のような大きな身体を揺らして村の中へと走り去ってしまった。徒党を組んだ子供たちが元気にその後を追いかけていく。
「アハハ、こりゃ面白い。ここの村の子供たちは元気だね」
「はい。でも、あのままじゃハルクさん、風邪を引いちゃうんじゃないかしら」
「ナントカは風邪引かないって言うから、大丈夫だろうね。心配したところで無駄になるからやめときな」
小さくなったハルクの後姿を、何やら勝ち誇ったように見ているアレルの隣で、もう二人の旅の仲間である魔法使いリザと僧侶クリスは対照的な言葉を交わす。厳しい旅の途中でも決して化粧を怠らないリザは今も口に真っ赤な紅を引いている。僧侶職であるクリスは神に仕えると言う献身的な職業柄、常に全身を包むような落ち着いた青の旅装に身を包んでいる。
アレルは旅の疲れも一瞬忘れて、走り去ってしまったハルクの後姿に向かって小さく拳を振り上げていたが、そんなアレルを見上げていた村の子供が何の躊躇もせずにその腕にぶら下がろうとする。
「うわっ!」
「わわっ!?」
同時に上がった声に、リザとクリスが振り返る。見ればアレルと子供が一緒になって地面にひっくり返っていた。アレルは腰を思い切り打ち付けたようで、今度は右手で痛そうに腰をさすっている。
「ポカパマズさん、前はこうやってボクを持ち上げてくれたのに」
子供は飛び上がるように地面に立って、両腕をガッツポーズをするようにしてアレルに見せた。どうやらポカパマズという人物は、そうやって両腕に十歳にもなろうかという子供たちをぶら下げていたらしい。そんなことは今走り去ってしまったハルクの方が十八番だと、アレルが言いかけるのを遮るように、リザは根本的な疑問を子供にぶつけた。
「ところでそのポカパマズって人は誰なんだい、ボウヤ」
「えっ、誰って、このおじさんのことだよ」
「僕が、おじさん??」
「そうだよ、ポカパマズさん、自分の名前忘れちゃったの?」
首を傾げる子供の後ろでは、村人も何人か旅人の様子を見に来ていたようで、ポカパマズと疑わない何人かの村人たちはアレルに握手まで求める事態になっている。アレルは訳も分からず手を差し出し、熱烈な握手を交わした後、決まって引き攣ったような笑いを村人たちに返していた。
しかし村人の何人かはやはりおかしな事態に気がついているようで、訝しげにアレルの顔を見ている者もいる。その村人に目をつけたリザは少し鋭い目で彼を見ながら、問いかける。
「あなたは気づいてるようだね、あれがポカパマズじゃないってことに」
突然問いかけられた村人は、見慣れない化粧の濃い魔法使いの女にどぎまぎしながら、しどろもどろに答える。
「そ、そりゃあ、まあ、あれからもう五年以上も経ってるんだ。あの時のポカパマズさんがそのままの姿で現れるってのはおかしいってもんだよ」
「五年以上前にあんなのがこの村に来たのかい?」
「ああ、それでしばらくこの村で暮らしていたんだよ。どうしてか子供たちの面倒もよく見てくれてさ。子供たちにもよく好かれてたんだ」
子供の言葉に奮起したアレルは、今度は両腕に子供たちを持ち上げてやると意気込んで、両足を地面に踏ん張り、力んでいる。その横では楽しげにクリスが黄色い声で応援している。子供はやったあと嬉しそうにアレルの腕に飛びついた。アレルは歯を食いしばりながら、こめかみに血管を浮き出して、どうにかこうにか持ち堪えている。
「その男はホントに自分のことをポカパマズなんて名乗っていたのかい?」
「いいや、その名前は俺たちがあげたんだ。カッコイイ名前だろ」
「……カッコイイかどうかはその土地の基準によって色々だね。まあ、それは置いといて、その男、自分では何て名乗っていたんだ?」
アレルは顔を真っ赤にして全身を震わせて子供を腕にぶら下げている。子供ははしゃいで腕にぶら下がりながら足をばたつかせてアレルへの負担を倍増させている。それを見ながらクリスが手を叩いて喜んでいる。
「オルテガなんて、あんまりカッコよくなかったからさ。俺たちでカッコイイ名前をやったんだよ」
その名前を聞くや否や、アレルは子供とクリスを巻き添えにして後ろにひっくり返ってしまった。
「へっくしょいっ! うう、風邪引いちまったじゃねぇかよ、時期外れの水浴びで」
「風邪なんて気のせいだよ。ナントカは風邪引かないってことわざがあるんだからね」
「ん? そうなのか。それは強い奴ってことか?」
「……まあ、そんなトコだったと思うよ。あたしも細かいことは覚えちゃいないけど」
「そうかそうか。そうだよな、なんたって鍛え方が違うからな。風邪なんて気のせい…… ぶわっくし! ズビ、うん、気のせい気のせい」
ナントカの内容など良いように解釈した戦士ハルクを放って、リザは相変わらず子供たちに囲まれているアレルを眺めた。
訪れた村はもう春を迎え、あちこちで冬が過ぎたと鳥が元気に鳴き交わしている。村の中を通っていく風も花の香りを運び、その香りに誘われて虫たちも冬から目覚めている。
それでもまださすがに水遊びをするような時期ではない。アレルは村の子供たちが持つ水鉄砲 で遊ぶのではなく、その作り方を子供たちに教わっているようだ。
その顔は、いつになく真剣だった。
アレルが頭を悩ませて木の枝や葉を村の子供たちの言うように組み立てているのだが、どうも思うように行かないらしく、遠目から見ていても何度も首を捻っているのが分かる。その隣ではいつも鈍くさく、とても器用には見えないクリスが完成した水鉄砲を高々と掲げて喜んでいる。
アレルが悔しそうにそれを見上げた瞬間、クリスが掲げた水鉄砲から一つの小さな枝が外れ、見る間もなくそれは分解し、全て元の部品になってしまった。
クリスの間の抜けた悲鳴と、アレルと子供たちの笑い声が春の陽気を暖かく震わせた。
「楽しそうだなぁ、ガキ共は」
子供たちに水を浴びせかけられ村の中を逃げまくっていたハルクだが、その子供たちを見る目はどこか嬉しそうな雰囲気さえ漂わせている。
「こんな時間があってもいいね、たまにはさ」
リザはそう言いながら草のベッドにゴロリと横になった。冬より長くなったとは言え、春の陽はまだ短い。夕方になりかける頃には風に冷たさが入り込む。
「オルテガさんは、ここに来ていたんだな」
「村の人たちの話じゃ、半年近くここにいたらしいね」
アレルはまだ真剣に水鉄砲を製作中だ。子供たちにダメ出しされても、それを意に介さず粘り 強く部品を組み立てている。いつもの彼だったらとっくに途中放棄していそうな細かく辛抱強い仕事だ。
「あいつのあんな真剣な顔、初めて見たかも知れねぇな」
「いつも、本当に勇者なのかってくらいに適当だからねぇ」
草地に胡坐をかいて黙々と水鉄砲作りに燃えているアレルの傍には、リーダー格の村の子供が手にしていた水鉄砲が置いてある。一番精巧な作りのそれは、アレルの父オルテガがかつて作ったものだと言う。
かなり使い古されたものだが、まだ水を飛ばす機能はそれが一番強いらしい。
アレルはそれを越えるものを作るのに真剣になっているのだ。
「あいつにゃまだオルテガさんは越えられないって」
軽く笑うハルクにリザはふっと笑みを漏らして答える。
「だけど越えたい壁なんだろうね、アレルにとっちゃ」
苦心しながら制作を続けるアレルは子供に肩を叩かれて振り向く。子供の手には一番性能の良いオルテガ作の水鉄砲。それを手にする子供にアレルは首を横に振って、遠くで見物を決めているハルクとリザの方へと顔を向けた。指差しながら子供に笑顔で何かを言うと、その村の子供は納得行かないような顔をしつつも水鉄砲を持ってハルクの方へと駆けてきた。
「おじさーん」
「おじさんじゃない。ハルクだ。ちゃんと名前で呼べよ」
「あ、ごめん。ハルクのおじさん」
「……んで、何だよ」
おじさんから解放されないハルクが仏頂面で答える横で、リザは身体を起こしながら笑いを堪えている。
「あ、これ、ポカパマズさんのお兄ちゃんが渡してきてって」
子供たちの手に馴染んだ水鉄砲を渡され、ハルクは眉をひそめながら子供を見た。
「俺にくれるのか?」
「うん。お兄ちゃんにあげるって言ったけど、お兄ちゃんがおじさんにあげていいよって」
「あいつがそう言ったのか」
「うん。だから、はい、あげる」
差し出された水鉄砲を受け取りながらも、ハルクは訝しげにまだせっせと水鉄砲作りに励むアレルを眺めた。リザも同じように遠くを見やりながら揶揄するように言う。
「あの子も大人になったね。オルテガさんに憧れるあんたにプレゼントだってさ」
「でもよぉ、これはあいつが持ってるべきなんじゃねぇかな」
「いいんじゃないの、くれるって言うんだからもらっておけば」
「でもやっぱりオルテガさんの息子のあいつが……」
「返したところで受け取らないよ。アレルはもっといいやつ作るんだって意気込んでるんだろうから」
そう言いながらリザが指差す先では相変わらずアレルが熱心におもちゃ作りに励んでいる。しかしどこをどう間違えたか、部品の一部が勢いよくはじけ飛んでアレルの顔面に当たった。子供たちが笑い声を飛ばす中で、クリスはアレルの顔に手を当てて傷を治しているようだ。
「……じゃ、ま、ありがたく頂いておくとするか。ありがとうな、ボウズ」
子供の頭をがしがし撫でてやると、子供は「痛いよ!」と文句を言いながらも、笑顔でまたアレルのところへと戻っていった。村の広場にはアレルを中心に柔らかな雰囲気が漂い続ける。
ハルクはそんな光景を見ながら、手にしていた水鉄砲を草地に軽く投げた。少しの衝撃などにはびくともせずに、オルテガ作の頑丈な水鉄砲は春のまだ柔らかい草地で気持ち良さそうに寝転がっている。
「このままじゃただの使えないおもちゃだな。ようし、水を入れてくるか」
楽しげに立ち上がって村に流れる川に向かい始めたハルクの後姿を、リザは見送りながらまた 草地にごろりと横になった。そろそろ風が冷たくなってくる時間帯らしく、リザは身に纏っているオレンジ色のマントを身体に巻きつけた。
「アレルはオルテガさんを超えられるかね」
「よお、いいやつできたか、アレル」
村の夜は早い。夕闇が迫る頃、子供たちは親に連れられ家路を辿っていった。これから夏を迎えて陽が伸びれば、子供たちが遊ぶ時間も増えるのだろう。しかしまだ春が訪れたばかりのこの時期、もう家々からは夕食の匂いがあちこちから夕暮れの冷たい春風に吹かれて乗ってきている。
そんな村の景色を見下ろす丘でまだ自作の水鉄砲の調子を見ていたアレルの隣に、ハルクは腰を下ろした。
「これは傑作だよ。ほら、見てよ、この素晴しいボディ。完璧だろ?」
調子を見ていた訳ではなく、アレルは自分で作り上げた水鉄砲を惚れ惚れと見ていたのだった。しかし出来上がったばかりの水鉄砲はまだ青々しく、しかも春の柔らかな草であちこち補強されている様は何とも危なっかしい。
まるで今のアレルを見ているようだと、ハルクは心の中で密かに笑った。
「お前、ものっすごい真剣に作ってたよな」
「え、そうかな」
「そうだよ。こんな時間になるまで気がつかなかったんだろ。いつもそのくらい真剣でいて欲しいもんだぜ」
「僕はいつも真剣ですけど」
「あー、はいはい、そうだったな。いつも真剣に見えないだけだ。俺が間違えてた。 悪い悪い」
自作の水鉄砲を抱えながらむくれる勇者に、戦士はごつごつした手で彼の肩をバンバンと叩いた。アレルは叩かれる強さにがっくりと肩を落としながら、ちらっとハルクの脇に置かれているおもちゃを見下ろしていた。
村に点在する家々に暖かな家庭の灯が点る。丘の上からでもその家庭の暖かさは感じられる。 夕食の空腹を刺激する匂いはアレルにもハルクにも届いており、彼らの腹は同時に空腹を知らせた。
「腹減ったなぁ」
「うん」
「寒くなってきたな」
「そうだね」
「クリスとリザはもう宿に行ってるぜ」
「知ってるよ」
「俺たちもそろそろ戻らねぇか?」
「……もう少し、ここにいる」
丘を滑る風は陽が落ちると同時に一気に冷たさを増した。東の空に星が明滅する。村の中に点る家庭の明かりは彼らが寝るまでずっと灯され続ける。
その明かりを見ているだけで、アレルは日が落ちてから強くなった春風など忘れられた。その冷たさも感じていない。
隣に座っているハルクを見ずに、アレルはすっくと立ち上がって丘を数歩下った。彼らが宿泊する予定の宿にももちろん明かりは灯されているが、アレルの視線の先には点在する 民家がある。
「僕は羨ましかったんだ」
アレルの言葉を聞きながら、ハルクは何も言わずに次の言葉を待つ。
「だってさ、ここの子供たちは僕の父さんと一緒に遊んでたんだよ。それも半年以上もいたんだって」
「ああ、俺も聞いたよ」
「僕がまだずっと小さい頃に家を出て、世界中を旅して、この村の子達と一緒に遊んでたんだって」
「ああ、そうらしいな」
「父さんはのんびりやなんだなぁって思ったけど、それにしても半年だよ、半年。長過ぎると思わない?」
「確かに、旅の途中に立ち寄るにしても長いよな」
「だろ? ここに半年いるくらいだったら、あと半年僕と一緒に遊んでくれれば良かったのにさ」
アレルは濃紺のマントをバサバサと風になびかせながら、村の民家をじっと眺めている。
その家の明かりに、アリアハンの自分の家の景色を重ねているのだろうと、ハルクはじっとアレルのまだ頼りない背中を見つめた。
アリアハンの勇者と名高い父オルテガを誇りに思い、アレルは故郷を旅立った。
打倒バラモスという旅の目的の一方で、彼は常に父の背中を追っていた。
まだ生きていると信じて疑わない父の旅の跡を、アレルは確実に追っている。
そしてその跡を見つける度に彼は何ともしようのない寂しさを一つ、また一つと抱えていくのだろう。
風が強い。アレルのマントがけたたましく音を立てている。山から吹き降ろされる風は時折、泣き声のような悲しげな音を響かせる。
「……父さん、僕のこと、どうでもよかったのかな」
アレルの声が震えた。
「お前のことが忘れられないから、この村から旅立ち辛かったんだと思うぜ」
ハルクはオルテガ作の水鉄砲を手に取りながらそう言った。アレルは振り向かずに、まだじっと村の景色を見つめている。ハルクに見えないその表情は、もしかしたら睨むような目つきなのかも知れない。
「この村の子供たちにお前を重ねて見てたんだよ、きっとな」
精巧に作られたオルテガの水鉄砲。ハルクはそれを手にしているだけで、オルテガの息子への愛情を感じることが出来た。オルテガは村の子供たちを息子のように思い、息子を喜ばせたいという思いで、これを作ったに違いない。ハルクにはそう思えてならなかった。
「でも、僕はあんなに小さい子供じゃないよ」
「オルテガさんの中じゃ、お前は旅立つ時の子供のまんまなんだよ。そのまま時が止まっちまってるんだ」
ハルクの言葉が背中を包んでくれるような気がして、アレルはたまらず両目をごしごしと服の袖で拭いた。相変わらず分かりやすい奴だと、ハルクは思わず笑いながら言う。
「なーんだ、泣いてんのかよ」
「泣いてるもんか」
「じゃあこっち向いてみろよ」
「今はハルクの顔なんか見たくない」
「それは泣いてるってことだな」
「だから違うって言ってるだろ!」
そう言いながら振り向いたアレルの顔に、冷たい水がびしゃりと勢いよくかけられた。呆気に取られているアレルを見ながら、ハルクは勝ち誇ったように水鉄砲を両手で構えている。
「ほら、泣いてんじゃねぇか」
「これはハルクがかけた水だろ!」
「さあ、どうだかな」
「くそっ! 何なんだよ、もう!」
マントの裾を掴んで顔を覆い、ごしごしと顔の水やら涙やら鼻水やらを拭いているアレルを見ながら、ハルクは大声を上げて笑った。
「悔しかったらお前の傑作で仕返ししてみろよ」
「言ったな、ハルク。後悔するなよ!」
アレルは赤く腫らした目を隠しもしないで自作の水鉄砲を手に取ると、ハルクと同じように構えて勢いよく引き金を引いた。
水が銃口から、ではなく、アレルに向かって逆噴射した。
「うわっ!」
せっかく拭いたアレルの顔がまた水を浴びた。ハルクは一瞬ぽかんとその様子を見た後、さらに声を上げて笑った。
「お前なぁ、どうやったらそんな水鉄砲ができるんだよ」
「うう、おかしいな。ちゃんと作ったはずなのに……」
アレルは引き金をそっと戻した後、首を傾げながら銃口を覗いた。力の加減をしながら再び引き金を引くと、今度はちゃんと銃口から水が溢れ出した。三度、顔面に水がかかった。
「そんな狙いの定まらない水鉄砲じゃあダメだな」
「くそぅ、作り直してやる。どこかに穴が空いてるのかもしれないや」
アレルはいかにも悔しげにそう言うと、顔の水を服の袖で拭いた後、丹念に水鉄砲の構造を確かめようとする。
しかし辺りは既に夕闇から夜へと変化する時分。春の不安定な天気は月を雲の向こうに隠してしまっている。明かりは雲の切れ間に浮かぶ星だけだ。
「もうそれは諦めろって。そんなヘンテコな水鉄砲、もうどうにもなんねぇよ」
「いいや、絶対に直してみせる。ハルクは先に宿に戻ってていいよ」
「ほっとくと明日の朝になったってそうやってここで座ってるぜ、お前。すぐに周りが見えなくなるからな」
「こんなのすぐに直せるよ。バカにするな」
不貞腐れながらぶつぶつと文句を言うアレルを見ながら、ハルクは呆れた様子で溜め息をついた。しかしこのまま放っておくと、アレルは本当に明日になっても明後日になってもこうしてこの丘に座り込んでいる可能性もあるので、ハルクは仕方なく古びた水鉄砲を草地から拾い上げた。
「信用ならねぇから、ほれ、お前はこれを持ってろ」
ハルクが投げて渡したのを、アレルは慌てて両手で受け取った。村の子供たちに使い古された父が作った水鉄砲。それはアレルの手にもすぐに馴染む。
「親孝行と思って、それ、もらっとけ。俺には荷が重過ぎるや」
アレルは無言で両手で掴んだそれを見つめていたが、その後決まり悪そうにちらっとハルクを見上げた。
しばしの沈黙。春風だけが丘を通り過ぎて若い草花を撫でていく。
今度の風の音は、悲鳴には聞こえなかった。
「……ありがとう」
「んん? 聞こえないな。何て言ったんだ?」
「……聞こえなかったんなら、いいよ、もう……」
「……ああ」
春風に混じって、アレルの鼻をすする音が聞こえたが、ハルクは知らない振りをしていた。
「アレルもハルクも、まだここにいたのか」
リザが寒そうにマントを身体に巻きつけながら丘を上ってきた。その後ろからクリスも腰まである長い髪を両手で押さえてついてくる。
「こんな寒いところにいたら風邪を引いちゃいますよ。早く宿に戻ってくださいね」
そう言いながら両肩を震わせるクリスが一番寒そうだと、アレルは慌てて自分の紺色の マントを外して彼女の身体に巻きつけてやった。
そのマントで先程、アレルが顔の水やら涙やら鼻水やらを拭いていたことを、ハルクは黙っていることにした。
「よくあんたたちが腹ペコに耐えられたね。腹を空かせばすぐにでも戻ってくると思ってたのにさ」
「うおお、そんなこと言われたらムチャクチャ腹が減ってきた。アレル、早く宿に行って飯食うぞ」
「今日は宿の女将さんが温かいマメのスープを作ってくれたんですよ。作り立てが一番美味しいから早く戻って食べましょ」
「豆かぁ。あんまり好きじゃないんだよな。どうせなら兎肉のスープとかだったら、もっと良かったのに」
「好き嫌い言ってると大きくならないよ。ただでさえあんたは小さいんだから」
「そうだぞ、俺みたいに好き嫌いがなければこうしてデカくなれるぞ」
「お豆は栄養豊富ですから、頑張って食べましょうね、アレル」
「……クリスまで僕のこと子供扱いするなよ。同い年だろ」
拗ねるアレルに楽しげに笑うクリス。アレルに貸してもらった濃紺のマントをひんやりした春風になびかせながら、クリスは軽い足取りで丘を下り始めた。アレルもすぐにその後を追って丘を駆け下りていく。
その手が無意識にベルトに挟んだ水鉄砲を支えているのを、ハルクは安心したように微笑みながら後ろから眺めていた。