「イワンのばか」を読んで

 

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家にも未読の本が積まれている状態ですが、最近はネット上で様々な古典が読めるようになっているので、そちらにも手を伸ばしたりしています。今回手に取ったのは、トルストイ作の「イワンのばか」という有名なロシア作品。何と、トルストイによって書かれたのは1885年、今から150年近く昔にこの作品が誕生していたという……時を経てもこうして古典として残る作品というのは、確実に現代にも通じるものがあるということでしょう。

1875年に「新初等教科書」を発行するなど、教育にも関わったトルストイ。それを知れば、「イワンのばか」のようなお話を書くのも頷けます。「イワンのばか」には教訓的な意味合いが強いと感じられ、それが子供たちが手にする教科書の内容になるのは何もおかしなことではないでしょう。

お話の主な登場人物は、四兄弟。長男で軍人のセミョン、次男で商人のタラス、三男でばかのイワン、口がきけずにお嫁に行っていない妹のマラーニヤ。マラーニヤを除いた三兄弟の関係性は、お話としての基本の型、のようにも思えます。二人の兄は弟のイワンを馬鹿にして、自分たちの良いように事を進めて行きます。ばかのイワンは、兄たちが言うことを一つも否定せず、何に対しても「いいよ」と返事をして受け入れてしまうというような性格。本当に何を言われても肯定の返事をしてしまうので、悪い人には好き放題つけ入られてしまうような人です。

長男セミョンが強さ、次男タラスが金、というそれぞれの欲がある一方で、三男のイワンにはそれが全くないために、何に対しても受け入れてしまうという性格ですが、決して「そうすることが善いことだ」と思って行っている行動でもなく、単にそうしてしまうというところが、いわゆる「ばか」と称される内容だと思いました。何も考えていない……なので、恐らく本当の悪人がいればとことんまで利用されてしまいそうな人物でもあります。

しかし、彼を含め、兄弟を貶めようと画策するのは、大悪魔と小悪魔。ここがポイントですね。敵は悪人ではなく、悪魔。悪魔と言うからには、根っから悪いのでしょうが、唯一、神様には弱い。それ故に、イワンが何の気なしに「神様」という言葉を口にした途端に、小悪魔たちは次々に倒されてしまうのです。

ただ、この「神様」という言葉をたとえばセミョンやタラスが口にしていても、果たして小悪魔たちはいなくなってくれたかしらと考えると、そうはならないんじゃないかと思いました。ただ言葉を口にするだけではなく、その言葉にイワンの素直さや信心深さが乗って初めて小悪魔たちは倒されてしまったのではないかと、お話の内容にそう感じました。

「イワンのばか」と、何だか一見ヒドイ題名だなぁと思いましたが、この「ばか」はただのばかではないなと、読後に納得しました。日本でも、漫画の主人公にはこういう傾向があるような気がします。オッス、オラ悟空!にももちろんそれを感じます。「ばか」とは言うものの、その中には素直、実直、純粋、それらから生まれる信頼など、万人が無意識にも憧れてしまうような「ばか」さがあるように思いました。

最後、大悪魔に対するイワンの対応には、まさしくドラゴンボールやアラレちゃんやドリフの世界観が見えたような気がしました。面白い……落語的な面白さです。これを当時のロシアの子供たちが読んでいたのかと思うと、やはりどこの国でも目指す人間像は変わらないのではないかなと、何だか感動すら覚えました。頭を使って働くとはそういうことかぁ(笑)

それと最後の結びにある、「手にまめのある人はテーブルでごはんを食べられるけれど、ない人は、残りものを食べることになっている」という決まりにも、人間としての生き方の根源が表れていると思いました。日本語で言えば「働かざるもの食うべからず」。労働は決して罰などではなく、尊いもの……とまではこの作品の中では考えられなくとも、労働が善いものであるという位置づけには疑いようがありません。しかも真面目に正直に働くことが善いことなのだと、トルストイ自身がそう思っていたのではないかと感じます。私もそういう社会が健全なんじゃないかなと思います。正直者が馬鹿を見るような社会では、それこそ善い人間が育たないんじゃないかな。

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