謙虚と自虐は似て非なるもの……?

 

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大人になってからですが、というかここ数年でのことですが、ちょくちょく「自虐史観」という言葉を耳にします。読んで字のごとく、自分で自分を虐めるような歴史観、ということでしょうが、ごく普通に日本で教育を受けて来た私たちは知らず知らずのうちにこの歴史観を教わり、身に着けています。それが現実です。

よく聞くようなイメージとしては、日本は外国に比べて遅れている~、進んでいる外国の真似をするのがいいんだよ~、といった表現ではないでしょうか。何だか知らないけど、どういうわけだか、日本よりも外国の方が優れているということが一般化されてしまっているんですよね。私が小さい頃からずっと、そんな感じです。でも、なんで?

日本人はそもそも謙虚な国民性だと思います。それってとても良いことだなぁと個人的には思っています。お互いに謙虚な心持ちであれば、争いごとも少なくなって無駄なエネルギーを使うこともないし、そもそも高圧的に突っかかって来られるのも、突っかかりに行くのも、少ない人生の中で無駄な時間を費やしてしまう感じがして、なるべく避けたい現象ではあります。誰が好き好んで喧嘩なんかしますか。……中にはいるのかも知れないけれど。

しかしそれは、お互いに謙虚であれば成り立つ関係性であって、相手が謙虚な態度でない場合は、こちらも考えがある(キリッ)、みたいな対立が生まれることになります。普通はそうです。下手に弱みを握られていない限りには。

そこで弱みを握られている場合には、相手に対して強く出ることもできないでしょう。ドラクエ5で言えば、子リュカを人質に取られたパパス。たとえが酷いですが(すみません)、でもあの状況でパパスは強く出ることはできません。息子を人質に取られているから。

まあ、これはゲームという架空の世界でのたとえですが、現実の世界で考えると、どうして日本が、日本人が、謙虚を遥かに通り越して、もはや別次元の「自虐」にまで精神が落ちて行ってしまったのか。これは自然な現象ではありません。そうさせられたのだと、私も色々な本を読む中で徐々に理解できるようになりました。

きっかけは、日本の敗戦。第二次世界大戦(当時の方は「大東亜戦争」と呼んでいると思いますが)で、日本がアメリカに負けてしまったことが始まりの一つ、ということです。

はっきり言って、日本軍は強かった。アメリカも初めは、「こんな小さな国に何ができる」「少し叩いてやれば戦争は終わる」くらいに思っていたのでしょうね。しかしいざ戦争になったら、日本の強いこと。

結局、先の戦争で日本は負けてしまいましたが、アメリカ側の被害も相当なものだったと記録は当然残っています。

強い日本を恐れて、このままではいけないと考えたアメリカは、日本を弱体化させるための手段を色々と講じてきます。本当に、色々と。

日本の強さの根幹にあるものは、その強靭な精神力が一つの大きな理由だと考えた結果、日本人の精神を弱体化させるためのことを、多面的に行ってきたということです。これが現実なんだと捉えることが初め、難しい。

本当にそんなことあるんかいなと、今の、現代の感覚だと信じられないというのも分かります。そんな、漫画みたいなこと……と思うのも自然ではあるんですが、やはり「事実は小説よりも奇なり」。作り事よりも余程現実の方が奇妙なものだと、諺は教えてくれています。実際に様々な記録が残されているんだから、覆しがたい事実です。

戦後の日本人が何故か自信がなく、自虐的になってしまったのは、ココです。ココが分岐点。敗戦国として、戦いに負けた側として、勝った側の意見も手段も飲むことしかできなかったと。

その一つとして挙げられるのが、日本国憲法。

日本国憲法の草案はアメリカで作られた、たった七日間で作られただなんて、そんなことを知っている人はごく少数でしょう。私もつい最近まで知らなかったです。

国の根幹を為す決まりごとが、自国ではなく他国で作られて、それを後生大事に守ってきたなんてね。もちろん、憲法の内容全てを否定しているわけではないです。でも、その内容には明らかに日本を弱体化させる内容が盛り込まれていると。まさしく、自縄自縛。

……本当に戦後に生きる私たちって、色々と知らないまま大人になってしまったと、こういうことを知る度に痛感します。学校で習う歴史に、どれほどの意味があるのか、疑問に思ってしまうほどです。

過去にこんなことをされたのだと知って、報復をするのだ~なんて攻撃的思想に染まる必要はないでしょうが、ただ知るか知らないかで、物事も見方ががらりと変わるのは本当でしょう。過去にこういうことがあったから、この出来事を踏まえて今後に生かす、というのが歴史に学ぶと言うことなんじゃないかしら。

また、戦後の流れの中で自虐史観を植え付けられた出来事の一つに、「村山談話」というものがあります。これもね~、その経緯を知ると、なんとふざけた話だと思わせられちゃうものでした。偉そうに「談話」なんて言っても、それを金科玉条のごとく崇め奉ることの危険性に気付かされます。

私が今回、「村山談話」を知ったのは、こちらの書籍からでした。ちょっと古い本ですが、たまたま家にあったので読んでみました。

今、ちょうど都知事選に立候補されていますね。元・統合幕僚長。言ってみれば、元将軍。あ、これだけで拒絶反応を起こされる方もいらっしゃるのかも知れませんね。その感覚もまた、戦後に知らず植えつけられた日本人の感覚なんじゃないかな。軍隊はダメだー、という固定概念。

田母神さんは統合幕僚長を解任された方ですが、その経緯もなんとも理不尽なもので、この方ご自身はただ日本という国が大好きなだけなんだと、本の内容から感じられました。まあ、そうじゃないと統合幕僚長になんかなれないわな。日本を守る最前線に立つんだから、日本が好きという精神の柱がないと、話にならないでしょう。

私は自分の子供にも「結局、自分の身は自分で守るしかないからね」というように教えています。守ってくれる人が傍にいなければ、自分は自分で守るしかないのは、物理的にそうですからね。それは個人に限ったことじゃないということも言っています。

こちらの談話に関しては、外務省のホームページに全文掲載されているので、興味ある方はご覧になってみてはいかがでしょうか。日本人の「自虐」の塊をそこに見ることができると思います。

学校の社会科でも、歴代の日本の首相の名前を覚えさせられたりした記憶がありますが、立派な首相ももちろんいますが、とんでもねぇ首相もいるもんだと、細かな話を知ると溜め息が出ることもあります。

この談話を、新しく首相になった方々はまるで踏み絵の如く踏まなければならないようです。要するに、日本の自虐を一国の首相が認めているのだと。なんじゃそら。どんな力が働いたらそんなことになるんじゃい。何を怖がっているのか。……怖いんでしょうね、きっと。ああ、でもそんなん虚しいじゃないですか。

ま、私が言いたいのは、日本人は元々こんな自虐的趣味なんてなかったってことです。作られた自虐趣味。いや~、そんな悪い趣味は止めた方が良いんじゃないかなぁ。せいぜい謙虚であれ。

さて、まだまだ書きたいことはたくさんあるんですが、キリがなさそうなので、本編に取り掛かりたいと思います。……ちょっと行き詰っちゃってて……頭がまとまらん(困)

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