子供の話に思うこと②【学校でのタブレット】

 

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今や普通に学校教育に取り入れられているデジタル教育。それに必要だからと、息子は毎日ランドセルに学校から支給されたタブレットを入れて通学しています。

まあ、私の個人的な考えですが、少なくとも小学校の内は要らないですね、コレ。その理由を考えてみると……

・重い(特に低学年のうちにこれを持たせ、管理させるのはいかがなものかと・・・)
・教える先生の負担が大きい
・うっかりした操作でデータが全部消えることもある(小学生のこのうっかりは責めるに値しない気が・・・多分、本人が一番ショックを受けてるだろうし)
・不具合が起きてもすぐに対応されない(業者の仕事が遅い→それは仕方ない→そもそも、子供たち一人一人に対するタブレット教育の対応はできていないのでは?)
・そのせいで、修理待ちの生徒はタブレットの無い状態が長らく続くこともあるらしい
・紙と鉛筆でやった方が速いし、頭にも残る
・生徒同士の直接のやり取りの場が減る(タブレット上でのやり取りは、直接とは言い難い)
・そもそも、支給されているタブレットが外国製。セキュリティ、大丈夫?
・小学校1年生、2年生くらいにパスワード管理させることにちと無理があるような
・ネットの繋がりが悪いと作業が進まない。この状況で宿題を出されるとどうにもならないよ~
・生徒同士がこっそりやり取りして問題になったり(いじめ的な……)

……考え出すと、もっと色々とありそうな気がしますが。
でもこうしてマイナス面ばかりを取り上げると、不公平ではありますね。ではプラス面を考えてみると……

・教室に一緒にいなくても共有できるから、欠席した生徒にも情報共有できる
・作る資料の出来栄えがキレイ(私は手作り感ある方が好きですが)
・積極的に発言するのが苦手な生徒も、ネットの環境の中では積極的に発言できる
・・・・・・

いや、他にも色々とあるんでしょうけど、ごめんなさい、ちょっと思いつかない……。

このようなネットで繋がるようなものって、初めに「モラル」を身につけないといけないんじゃないかしら、と思うのです。まだ善悪の判断があやふやな幼い時期から扱うものじゃあないと思うんですよね。

勝手に善悪の判断があやふやとか、子供を甘く見るんじゃないと思われることもあるかも知れないですが、大人に比べて圧倒的に経験値が少ないんだから、その辺りはどうしようもない現実かと思います。善悪の判断を鍛えるのって、やはり経験や学習を積み重ねて、徐々に積み上げられて行くものだろうし。まあ、大人だから善悪の判断がしっかりしていると言い切れるものではないですが、あくまでも傾向としての話です。

はっきり言って、大事な子供の時期の学習に、こういう煩わしい作業を増やさないでほしい、というのが私の本心です。デジタルな世の中になってきて、いずれはそういう作業をすることも必要になるかも知れないですが……せいぜい中学生からでいいんじゃない? という気がします。

移動教室(音楽とか理科とか図工とか)の際にもタブレットを持って行くことがあると聞いていますが、その際にうっかり落としてしまう生徒もいるようです。それを完全に失くすことは無理でしょう。だって、小学生だし、大人に比べて遥かに動きが元気なものですよ。うっかりは圧倒的に大人よりも多い。

これが例えば教科書や筆箱くらいだったら、落としても拾えば済むことで(鉛筆の芯は折れてるかも)、しかしタブレットとなると故障するかもしれないし、故障してしまえばその子はそれだけで勉強のツールと一つ失うことになると。リスク高いっす。だから、まだ持たせなくていいんじゃないかなぁと、一保護者として思うのですわ。

ま、根っこにあるのは、どうせどこぞの利権という歪んだ力が働いて、子供にデジタル教育を押しつけているんじゃないの? という疑念ですけどね。

きっかけはコロナでの自宅待機期間での学習に、ということでしょうが、今は普通に学校に通えているんだから、特別デジタル教育を強く推し進める必要もないのではないかと。学校で普通に人と話せるようになったんだったら、リモートに強いデジタルを使わんでもよろしいがな。と個人的には思っています。

人同士が直接会話することの方が、よほど大事よ。そういうことなしに、人は人として育たないんじゃないかな。第一、息子の話を聞いていると、学校での話し合いでも授業でも、結構好き勝手に喋ったり、席を立ったりする子もいるようで、協力して何かをするということが理解できていない生徒が(少ないでしょうけど)いるようです。

私が小学生の頃も確かに、学級会とかの話し合いの場で、場を乱す子もいましたけど、必ずそれを諫める子も、雰囲気もあり、先生も堂々と注意してくれたし、注意された子も素直に収まったし、それだからそんなに荒れた場にはならなかったと思い出せます。それが普通だと思っていたんですが、息子の話を聞いているとどうやらそれは今は普通ではないらしく……本当かいな、と思ってしまいました。

自由というものがあくまでもある程度の規律の中に成り立つものだということが分からないし、きっとそう教えられていないから、自由に、自由に、って行動してしまうのかな。自由第一なんてそんなん、良いわけないじゃん、とこちらが思っても、考える常識が違えば話が通じ無さそうですね。ふーむ。

やはり根本的解決法の一つとして、学校の道徳の授業を増やした方が……。デジタルに時間を割いている場合じゃなくって、子供たちのためにも、人としての教育の時間を増やした方が良いように感じます。

あ、あと一つ思っていたのは、このタブレット教育を入れることは、先生への負担が大きい。だって普通の授業の他に、タブレットの使い方を覚えないといけないんでしょ。負担が増えるに決まってる。特に、小学校低学年に、1クラス30人の生徒に対して、先生が一人でタブレットの操作を教えるなんて……どれだけの負担やら。察するに余りある負担でしょう。ある程度学校での学習も進んで成長した子供に教えるのとはワケが違うでしょうに。

今の世の中、働き方改革だなんて言われているのに、敢えてこんな仕事を増やされて、先生方のご苦労を思えば、やはり小学生のタブレット教育には無理があるんじゃないかと思ってしまいます。

……と、ここで一保護者の視点で色々と吐露させてもらいました。もし不快に思われた方がいらっしゃったらすみません。ただこんなことを思っている人もいるんだ~と、流していただければと思います。

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