子供の話に思うこと⑤【クラスメイトの変化】

 

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あっと言う間に我が子も小学校最高学年となってしまいましたが、これまでにも学年が変わるごとに、担任の先生が変わるごとに、様々な変化を彼の口から聞いてきました。

学校には当然の如く、男性の先生、女性の先生とそれぞれいらっしゃいますが、子供の通う学校では圧倒的に女性の先生が多いようです。私が子供の頃には、何となくの印象ですが、男女半々くらいか、寧ろ男性の先生の方が多かったようにも思います。私自身、小学5,6年生の時の担任の先生が男性の先生だったからそう思うだけなのかも知れませんが。

実際にデータを見てみると、女性の社会活躍の機会が増えたと見ても良いのか、やはり昔より女性教員の割合が増えているようですね。それ自体は社会の流れとしても、当然の形なのかなと思います。

息子とは毎日色々と話をするのですが、その中で、とあるクラスメイト(男子)の様子が、クラスが変わったことでがらりと変わったという話を聞きました。それまでは先生の言うことも聞かずに、授業中にも騒いでしまうようなちょっと困ったような生徒だったとのことですが、学年が上がり、担任の先生が変わり、その子もまたそれまでの困った態度が一変したとのこと。要するに、非常に大人しくなったと。

話を聞いていると、どうやら担任の先生が変わったことが大きいという印象でした。前の学年での担任の先生は女性、今度の担任の先生は男性。私はここで男女差別を持ち出そうというわけではなく、しかしどうしても越えられない男女の間にある壁を感じざるを得なかったという話をしようとしています。

私自身、社会経験での話になりますが、男女の顕著な差を目の当たりにしたことがあります。事務職員として働いていた会社で、とある顧客から苦情の電話が入った際に、女性職員が対応していたところ、埒が明かない顧客からの苦情の応酬に、男性上司に電話を代わり少し話をするだけで、事が収まってしまったということがありました。やりとりは電話であり、相手方には声のみ伝わる状況で、上司が電話に出たからという意味合いも当然あるでしょうが、ここには男性が話をすることの意義が大きかったのではと思ってしまいました。

男女の別に、一つ、声があります。この声というのは、その高低や質感によって相手に与える印象や影響が大きく異なるものではないかと思うのです。実際、私たちはアニメなどでも、様々な声優さんの声を耳にして、役柄にぴったりな声を出す声優さんの素晴らしい演技に笑ったり涙したりと、影響を受けることがありますよね。声が人に与える印象って、結構計り知れないものがあるのではないかなと思います。

そこで、息子の話を聞いた私は、そのちょいとばかし問題のある生徒が静まったのは、男性の先生が担任になったことも大きいのではないかと感じました。結局は、小学生であっても、女性の担任の先生はナメていたし、男性の担任の先生はそうは行かなかった面が浮き彫りになったのかなと。こういうことに対して、そんなことはあるべきではない、男性、女性の先生においてそんな差はあるべきではないと言ったところで、子供たちにそんな”べき論”など通用しません。現実とはこういうところに表されてしまうものなのでしょう。

下手なたとえですが、世のお母さんが切り札として「あとでお父さんに叱ってもらいますからね!」みたいなやり方も、こういうことの一つなのかなとも思ってしまいました。まあ、その際はお父さんがそもそもしっかりしている人でないと、効果は抜群だ!とはならないでしょうけど。ただ、声のこともあり、女性の大きな声と、男性の大きな声とを比べれば、圧倒的に男性の方が脅威に感じるものです。これは人の感情に訴えるものなので、お互いにどうにも代替ができない。

また、昨今の事情を考慮すれば、防犯的な意味合いからも、男性の先生には多くいてもらうのが好ましい、寧ろそうでなければならないのではないかと思います。しかし息子の通う学校では圧倒的に女性の先生が多いらしく、その面からしても正直なところ不安があります。そもそも、全国的にも小学校の先生は女性の方が多いようですが、たとえば学校内に暴漢が侵入してきたとして、女性の先生がどれだけ対応できるかなんて難しいでしょうし、それこそ暴漢から軽く見られてしまうかも知れません。かと言って軽く見られないようにと、女性の先生がみんなゴリラみたいな身体目指して鍛えるわけにも行かない。それをやったらやったで、今度は別の角度で弊害が出そうです。

私たち親としてはただただ子供たちの安全をと、それを第一に考えています。恐らく先生方も同じような思いで子供たちに接していただいているものと思います。子供たちの安全第一という環境を強めるという意味でも、子供への指導を強めるという観点からも、男性の先生方の力は大きい意義があるように思います。

そもそも、子供の学校での問題行動にはもっと根深い問題があるのは間違いないのですが(家庭の問題や社会構造など)、このように割とあっさりと収まってしまうケースもあるという現実を見れば、男性の先生が学校に存在すること自体の意義が大きいようにも感じられます。もちろん、女性の先生がそれで要らなくなるわけではありません。物事というのは0か100かという簡単な話で決められるものではないですからね。今回私が感じたのは、男性と女性のどうにも越えられない違いについてでした。違いがあると言うことは同時に、互いに補える部分もあると思っています。

昨今の環境の中で、先生方には色々とご苦労があるかと存じます。いつも子供たちのためにありがとうございますと、ここで御礼申し上げます。学校にいる間は先生方に大事な子供たちをお預けする一方で、その大元の責任を負うべきは私たち親です。私たち親に出来ることと言えば、子供の話をよく聞き、状況をしっかりとつかんでおくことなのかな、と。私の子供が小さい時からいつも感じていることですが、私の子供に限らず、他の子たちも皆、とにかく自分の話を聞いてほしいという想いが強いように感じますし、それが子供としては当然の感情だろうなと思うところです。自分と言う存在を認めてほしいんですよね、無条件に。

学校の先生に全てをお任せするのは親としてあまりにも無責任な対応でしょう。なので私としてはこれからも息子の話をしっかりと聞き続けて、褒めるべきは褒め、諫めるべきは諫めるという判断をできるだけ間違わないようにすることに気を付けて行ければと思っています。難しいことだし、多分、間違わないと言うこともできないと思いますが(その度に後悔や反省が付きまといますが)、子供を諦める親はいないので、今後も彼とは色々な話をしていければと思います。

思春期に入ると今までみたいには話してくれなくなっちゃうのかな。想像すると、寂しいものです。なので今のうちにたくさんの話をしておきたいなぁと思っています。時間は止まってくれませんからね。

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