2017/12/03
足りない時間
船の操舵をマーリンに任せ、リュカは甲板から前方に見えてきた大海原にぼんやりと目をやっていた。空は穏やかに晴れ、白い雲がちらほらと漂う。澄みきった空の青と、陽光に照らされる海の青は、滝の洞窟探索に来る前までならばリュカの心を清々しくしてくれていた。しかし今のリュカの目には、眼前に広がる青の景色が、まるで色を失ったような灰色に染められているかのように映っていた。涼やかで気持ちの良い海風も、どこかリュカを責めるように身体にまとわりつき、逃げたくなるような感覚にすらなる。
滝の洞窟で水のリングを手に入れ、探索を終えた後は移動呪文ですぐに洞窟を抜け出た。洞窟入り口に止めてあった船で待機していた仲間たちと再び合流すると、早々に洞窟を出て、川を下り始めた。船で移動を始めて間もなく、マーリンがリュカにふと聞いてきたことに、リュカはこっそりと嘘をついていた。
『お主のルーラという移動呪文で嬢ちゃんを村まで送ってやったらどうなんじゃ?』
マーリンの言う通り、ルーラを使えばビアンカの住む山奥の村までは一瞬で行くことができたはずだった。リュカが使えるようになった古の呪文の効果を聞いて、ビアンカもマーリンに賛同していた。リュカも、何も考えなければルーラを使ってビアンカを村まで送り届けていたに違いなかった。
しかしリュカにはそれができなかった。彼女を村に送り届けてしまえば、そこで彼女との旅は終わり、その後はもしかしたら二度と会うことはないのかも知れない。そう考えただけで、リュカは山奥の村の景色を冷静に思い浮かべることができなくなってしまった。
ルーラの呪文を唱える時は、到着地の景色をはっきりと思い浮かべる必要がある。世界でも有名な温泉地である村には、遠くから見ても煙が上がっていた。村の中には美味しそうなオレンジがなる木が植えられた畑が沢山あった。穏やかな村の中に一か所だけ、物寂しい墓地があった。村の奥には高床式の大きな家があり、そこでダンカンとビアンカと再会した。
一つ一つの場面が思い起こされるのは一瞬で、どれもすぐにリュカの頭から消え去ってしまうのだ。固定しない記憶のまま、ルーラの呪文を発動すれば、どこに辿りつくかも分からない。脳裏に長続きしない記憶に、リュカは自分がルーラの呪文を唱えたくないのだと認めていた。ビアンカを姉として、友人として見ていれば、いつも通り呪文を唱えることもできたに違いない。しかし彼女を好きになり、できる限り一緒にいたいと思う気持ちに抗えない今となっては、彼女とすぐに別れなければならないような呪文を唱えるのが怖い。落ち着かない気持ちのままリュカは皆に嘘をついた。
『山奥の村には何か不思議な力があるのかな。上手く呪文が唱えられないや』
ルーラの呪文はリュカにしか使うことができない。その為、彼のその一言で皆は納得してくれた。心を落ち着け、しっかりと山奥の村の景色を思い起こせば、間違いなくルーラの呪文でひとっ飛びできる場所だということは、リュカ自身一番良く分かっていた。あの村に何か特別な力が働いているとも思えない。しかし自分しか使えない呪文ということで、リュカは都合のよい嘘をついていた。
この旅を始めてから、これほどずるい嘘をついたことはなかった。今までの人生を振り返ってもこれほど性質の悪い嘘をついたことはないのかも知れない。自分の嘘のせいで、仲間たちを不要な旅に巻きこんでいるのだ。呪文を唱えれば一瞬で済むことを、わざわざ無用な時間をかけて、皆を危険な目に遭わせている。ただでさえ母を救うための旅に仲間を巻きこんでいると言うのに、その上己の勝手な感情に、皆は知らずに振り回されている。リュカはそのうち自分に罰が当たるのではないかと内心びくびくしていたが、嘘を撤回するような勇気も感情も生まれなかった。
「そろそろ海に出るのね」
後ろから聞こえたビアンカの声に、リュカは振り向かないまま「うん」とだけ答えた。彼女の気配にはしばらく前から気付いていた。潮風に流れて運ばれてきたのは、オレンジの香りだ。カラカラと涼やかな音が聞こえ、リュカは不思議に思って後ろを振り向く。
「氷?」
「そう。ガンドフに協力してもらったの。冷たい息を調節してもらったら、丁度良い氷ができたのよ」
グラスには薄いオレンジ色をした液体が氷と共に注がれていた。ビアンカが山奥の村から持ち出したものの中にあったオレンジジャムを水に溶かし、氷で冷やしたもののようだ。
「みんなにも配ってきたわ。あとはリュカだけ。どうぞ」
「ありがとう。ビアンカは?」
「私はもう飲んじゃった。美味しかったわよ」
ビアンカからグラスを受け取ったリュカは、一口オレンジジャムジュースを飲み下した。ほど良い甘味、酸味、ちょっとした苦味もあり、爽やかな美味しさにリュカは思わず笑顔になる。
「美味しいね、これ」
「でしょ? また飲みたくなったらガンドフにお願いしてみようかな、氷」
「メッキーも確か冷たい息が吐けるはずだよ」
「あら、そうなの? じゃあ今度はメッキーにお願いしてみようっと」
ビアンカの声は明るいようにも聞こえるが、その内側に秘められた彼女の感情にリュカが気付くことはない。隣に並び、海を見つめる彼女の視線が少し揺れていることに、リュカは気付く余地を持たない。
穏やかな海の景色が広がり、陽は中天を過ぎた頃合いで、ちょうど暑さのピークの時間帯だった。幸い、海の魔物の気配は落ち着いていて、リュカ達は安全に航海を進めることができていた。操舵室にはマーリンが、甲板の各所には魔物の仲間たちが船を襲う魔物の警戒に当たっているが、今のところ魔物に襲われる心配はなさそうだった。
「ごめんね、ビアンカ」
ふと呟いたリュカの言葉に、ビアンカは首を傾げて問いかける。
「何が?」
「すぐに村に帰せるはずだったのに、こんな無駄に旅を続けさせて……」
「私はリュカがそんな便利な呪文の使えると思っていなかったもの。帰りも同じ時間をかけて行くものだと思っていたから、この旅だって無駄だとは思ってないわよ」
「うん……」
「ねぇ、どうしたのよ。まるで元気がないじゃない。せっかく水のリングも見つけて、これから幸せになろうとしてるって言うのに、そんな顔してたら幸せも逃げて行っちゃうわよ」
そう言いながらリュカの背中をバンバンと強めに叩くビアンカに、リュカはグラスのオレンジジャムジュースをこぼしそうになる。
「可愛いお嫁さんをもらって、幸せな家庭を作って、パパスおじさまにも喜んでもらうんだから、もっとにこっとしなさいよ」
ビアンカに他意はないが、リュカはその言葉に息苦しくなるのを感じた。父が今の自分を天上から見ているのだろうかと思うと、リュカは全てを覆い隠したい気持ちになる。
「父さん、どう思ってるんだろう」
「リュカの幸せを一番願っているのはおじさまのはずよ。だって親なんだから」
ビアンカのその言葉に、リュカは山奥の村で再会した時の彼女の父ダンカンの言葉を思い出す。実の娘のように育てられたビアンカだが、本当はダンカン夫妻とは血のつながりがない。実の娘ではないから尚のこと、娘を不憫に感じるのだとダンカンはリュカに話していた。そしてリュカがビアンカを嫁にもらってくれればなどと、その時は冗談にも聞こえていた彼の言葉がリュカの耳に蘇る。彼女を実の娘のように大事に育ててきたダンカンにとって、ビアンカの幸せは何よりも大事な未来なのだろう。血の繋がりは大した問題ではない。娘に対する父の愛情は確かなものだと、あの時のダンカンの表情を見てリュカにもそれは分かっていた。
同じように、パパスも自分の幸せを願っていてくれているのだろうかと、リュカは白い雲がぽつりぽつりと浮かぶ空を見上げる。今となっては確かめようもない父の愛情は、もうリュカの中で想像することしかできない。そしてそれは、時が経つに連れ徐々に薄れて行ってしまう。果たして父は本当に自分のことを大事に思っていてくれていたのだろうか。パパスが息子のリュカに惜しみない愛情を注いでいたことは紛れもない事実なのだが、当のリュカにとってはその自信がない。父のことを思い出す時、決まって脳裏に現れる記憶は、ラインハットの城下町に置いて行かれた時に見た父の背中なのだ。途方もない孤独感を味わったあの時の記憶に、リュカは惜しみなく注がれていた父の愛情の記憶を全て消し去ってしまうのだ。
「もしかして、自信がないの?」
あまりにも的を得たビアンカの言葉に、リュカは驚いたように彼女を見た。しかしその表情はどこかからかうような明るいものだ。
「リングは見つけたけど、まだフローラさんの気持ちを聞いたわけではないものね」
そう言って微笑むビアンカを見て、リュカは手にしていたグラスのジュースを一口飲み下す。
「でも大丈夫よ。きっとリュカのこと、好きになってくれるはずよ」
リュカがじっと考え込んでいる時間を、ビアンカは彼がフローラに対して思い悩んでいるように思っていたらしい。ビアンカがそう考えていると思うことが、リュカには辛かった。滝の洞窟に向かうまでの船の上で同じ会話をしていたら、恐らく何も思うことはなかっただろう。しかしビアンカへの気持ちに気がついてしまった今では、彼女が願う自分とフローラとの幸せが非常に息苦しく感じる。
「でも、僕は……」
言いかけて、リュカは一体自分は何を言おうとしたのだろうかと、分からなくなってしまった。先に続く言葉は、何を言っても間違いのような気がして、途中で止めざるを得なかった。
そんなリュカの背中をあやすようにビアンカは優しく叩く。彼女のそんな動作一つで、リュカの鼓動は速くなる。
「もしフローラさんの方でリュカのことを断ってきたら、私がリュカのことをもらってあげる」
海の景色を眺めながらそんなことを言うビアンカに、リュカは思わず呼吸を止める。自分の心の中を覗きこまれたのだろうかと、グラスを持つ手に力が入る。グラスの中の氷が融けて、カランと音を立てる。
「なんて冗談よ!」
そう言って笑い声を上げるビアンカを、リュカは真剣な顔をして見つめる。冗談の雰囲気に乗らない彼の真面目な様子に、ビアンカの顔からも徐々に笑みが消える。涼やかな潮風が急に冷たさを帯びたように感じる。
「もし本当にフローラさんが断ってきたら……」
「そうね、リュカは一度結婚を見送って、その間に私が先に結婚してみせるわ」
リュカの言葉を引き継ぐように、遮るように、ビアンカが早口で言葉を繋げる。
「本来の順番って、そうでしょう? 第一、姉を差し置いて弟が先に結婚だなんて、そもそも順番がおかしいのよ。まあ、弟の幸せを願う気持ちは本当だけど、でも先を越されるなんてやっぱりちょっと傷つくわよね~」
まるで冗談めかして軽い口調で話すビアンカの態度に、リュカは依然として彼女には弟しか見られていないのだと認めざるを得なかった。ビアンカを想う気持ちは一方的で、それは姉のような存在である彼女には全く受け入れてもらえないのだと、リュカは肩を落とす。
「……山奥の村で誰かに出会う予定?」
「きっと私を迎えに来てくれるわ、素敵な旅人さんが」
「ずっと待ち続けてたら、おばさんになっちゃうよ」
「じゃあサラボナの町に出て、かっこいい人を見つけに行った方がいいかしらね。あそこは大きな町だし、素敵な人もたくさんいそう」
「そうかなぁ、そうとも限らないと思うけど」
「何よ、その言い方。いちいちケチをつけるような言い方をして」
「そんなつもりはないけど、でも悪い人には気をつけて欲しいなぁと思って」
「大丈夫よ、絶対に良い人を見つけて、幸せになってやるんだから」
力強く言うビアンカに、リュカは思わず苦笑する。彼が笑ったのを見て、ビアンカも張っていた気を緩めて、ふっと笑みを見せた。
「まあ……でも、リュカが幸せになってくれればそれが一番良いのよ。フローラさん、好きになってくれるといいね、リュカのこと」
そう言いながらビアンカは空になったグラスをリュカから受け取ると、そのまま甲板の上を歩いて船室へと向かって行ってしまった。追いかけようと思ったリュカだったが、彼女の背中を見ていると、そこに何やら見えない壁があるような気がして、どういうわけか足が動かなかった。
まだ山奥の村に着くまでは数日の船旅が続く。ビアンカとの旅を終えるまでにどうにか気持ちの整理をしなくてはと、リュカは船室に消えた彼女の背中を静かに見続けていた。
「これはなかなかに珍しいものじゃ。ワシも初めて目にするのう」
操舵室にいるマーリンが、手にした小さな水差しのような容器をまじまじと見つめながら興奮気味にそう口にした。マーリンが手にする水差しは、リュカ達が滝の洞窟内の宝箱の中に見つけたものだ。ガラス製のいかにももろい容器に見える水差しだが、リュカが洞窟の地面に落としても傷一つつかず、軽やかな音を立てて地面に転がるほど強度のあるものだ。中に入っている水は薄紫色で、水の中には葉が一枚浮かんでいる。
「強い魔力を感じますが、これは一体何なのでしょうか」
同じく操舵室にいたピエールが、改めて容器の中を覗き込みながらそう言うと、リュカが水差しを揺らしながら言葉を続ける。
「水差しの形をしてるから飲むものなんだろうけど、何だか分からず飲むわけにもいかないから、とりあえず持ち帰ってマーリンに聞こうと思ってたんだ」
洞窟を出てから帰路について時間が経ち、その間容器はリュカの道具袋の中で乱雑に扱われていた。しかしそれでも透明の容器には細かな傷もつかず、つやつやとしたままだった。
「エルフが使う飲み薬じゃよ」
「エルフ? それって何? 初めて聞いたよ」
「何じゃと? お主、エルフを知らんのか」
ただでさえ大きなぎょろりとした目を更に見開いて、マーリンが素っ頓狂な声を出す。そして深い溜め息をついた。
「全く、本当にお主は無知じゃのう。もうちっと色々と勉強せい」
「そうだね……本当に僕は何も知らないんだな……」
いつものリュカであれば軽く流すようなマーリンの言葉なのだが、なぜか視線を落として呟くように言うリュカの様子を見て、マーリンもピエールも首を傾げた。
「エルフというのは魔法に長けた長命の種族のことじゃ。ワシも実際に目にしたことはないが、その容姿は目を見張るような美しさだと言うぞ」
マーリンの説明を聞いてリュカの脳裏に浮かぶのは、当然のようにビアンカの姿だった。ビアンカがエルフであってもきっと驚かないだろうと、リュカはぼんやりと勝手に考える。
「この飲み薬には魔力を回復する力があるようじゃ。尽きかけた魔力でもたちまち全てを取り戻すほどの力があるようじゃのう」
「こんなに少ししかないのに?」
「液体に浮かんでいるのは世界樹の葉と言って、死者を蘇らせるほどの力を持った葉じゃよ。その葉のエキスが液体に溶け出し、そこにエルフの魔力が加わってできた、かなり貴重なもの……と聞いたことがあるわい」
「色々と知っていますね、マーリン殿は」
感心するように言うピエールに、マーリンは得意になってふふんと笑う。
「じゃあ魔物との戦闘で魔力が尽きかけた時なんかに使うのがいいんだね。良かった、無闇に飲まないで」
「リュカよ、お主、それが何かも分からずに飲もうと思ったのか?」
「ちょっとだけね。どんな味がするんだろうって思ったから。でも美味しそうじゃなかったし、そういうものじゃないかなぁって思って止めておいた」
「……毒だったらどうするつもりじゃ。まったく、危なっかしいヤツじゃわい」
溜め息をつくマーリンの横で、ピエールもこっそりと冷や汗をかいていた。まさかリュカがそんなことを考えていたとは思っていなかったからだ。
「ではこれは呪文が使える者が持つべき物ですね。誰が……」
「リュカ、プレゼント?」
操舵室の扉からぬっと姿を現した大きな熊のような姿に、リュカ達は揃ってその場で飛び上がった。見慣れているはずなのだが、急に現れるとガンドフの巨体は未だにびっくりさせられる。
「珍しいね、ガンドフがここに来るなんて」
「ガンドフ、フネ、デキル」
「そうなんじゃ。お主らが洞窟探索している間に、ガンドフにも船の動かし方を教えておいたんじゃよ。意外にもすんなり覚えてくれたわい」
マーリンの言葉に、リュカは驚きを隠せなかった。まさかガンドフが船を動かすことができるなど、想像もしていなかった。ガンドフはただ人間の言葉が得意ではないだけで、様々な感覚に優れているのかもしれないと、常にそばだてているピンク色の尖った耳や大きな一つ目を見ながら、リュカは改めてそう考える。
「ただガンドフが操舵室に入ると、他の誰もが入れんようになるがな」
「ここ、狭いからね。僕たちだって三人入るとぎゅうぎゅうだもん。でも助かるよ、ガンドフも船を動かせるなんて」
「フネ、ウゴカス、タノシイ」
ガンドフがそう言って大きな一つ目を細めてにっこりと笑うと、リュカ達も思わず笑顔になる。ガンドフの無邪気な反応は周りを和ませる効果がある。
「マーリン殿の教え方が良かったのでしょうね」
「何事も覚えるには楽しいのが一番じゃ。……ところで、ガンドフ、『プレゼント』と言ったようじゃったが、何のことじゃ?」
マーリンの問いかけに、ガンドフは大きな一つ目をリュカに向けて、窺うようにもう一度言う。
「ビアンカ、プレゼント?」
ガンドフのじっくりと見つめてくる大きな一つ目に、リュカは思わずたじろいでしまった。ガンドフには自分の気持ちが悟られているのではないかと、リュカはすぐに視線を逸らしてしまう。
「なるほど、それも良いかも知れませんね。ビアンカ殿とはもうすぐ別れてしまうわけですし、旅の記念に渡すというのも良いでしょうね」
「優しいのう、ガンドフは……」
そう言うマーリンは実のところ、いつ自分がエルフの飲み薬を使えるのだろうかと内心わくわくしていたことをこっそり反省していた。ガンドフのように誰か他の者に渡すことなど微塵も考えていなかった。
「……そうしても、いいのかな」
「リュカ殿が決めることです。お任せします」
「ちともったいない気もするがのう。まあ、嬢ちゃんには色々と世話にもなったし、礼として渡すには良いんじゃなかろうかの」
「ビアンカ、タブン、ヨロコブ」
ガンドフの『多分』という言葉にいくらか引っ掛かりを覚えたリュカだが、マーリンの言う通り旅の間、世話になった礼として渡すのは決しておかしなことではないと、リュカはマーリンから再びエルフの飲み薬を受け取った。滝の洞窟の宝箱に、ずっと昔から隠されていたエルフの飲み薬は腐ることもなく、使いさえしなければ永遠にその形を留めたまま、あり続けるだろう。ビアンカに渡せば、旅を終えて村に戻ってからも、彼女の手元にずっとこの小さな水差しは残り、それを見る度にこの旅のことを思い出してくれるのかも知れない。そして彼女のことだから、過去の冒険の旅に思いを馳せ、再び冒険に出たいなどと夢見て、村での生活を続けるのかも知れない。
「後で渡すよ、ビアンカに」
そう言ってリュカはエルフの飲み薬を再び道具袋に入れた。中でカチャカチャと他の道具とぶつかる音が聞こえるが、特殊なガラスでできた水差しは絶対に割れることはない。
「水門を過ぎたら、村まで送り届けるんですよね?」
ピエールの言葉に、リュカは一瞬返事に戸惑った。ビアンカを村まで送り届けることを具体的に想像していなかったため、ピエールが何のことを言っているのか理解するのに少し時間がかかってしまった。
「うん、まさか一人で帰すわけにはいかないからね」
「嬢ちゃんなら『一人で大丈夫よ』なんて言い出しそうじゃから、無理にでもついて行った方がええ」
「洞窟に向かう時よりも船の進みが早いようなので、明日にでも水門近くまで行けそうです」
「え、そうなの?」
「無論、船が魔物に襲われずに順調に進めばの話ですが、それでも明日中には水門のところまで行けるのではないでしょうか」
ビアンカとの別れが刻一刻と近づいてくる現実に、リュカは胸が押しつぶされそうだった。彼女にとって自分があくまでも弟としてしか見られていないことは彼女と話して十分理解したつもりだが、それでも彼女との旅があと二、三日で終りを告げようとしていることに、リュカは自身の気持ちを全く整理できずにいた。
「リュカ、ダイジョウブ?」
操舵室のドアの外側から心配そうに顔を覗かせるガンドフに、リュカは笑顔を作って見せる。
「大丈夫だよ。ありがとう、ガンドフ」
「ああ、そうじゃった、お主は船酔いする性質じゃったな。あんまりこの狭い所にいると酔いが酷くなるかも知れん。広い甲板を歩いて風に当たってきたらええ」
「次の操舵は私の番ですから、お任せください」
「うん、ありがとう。じゃあ、よろしくね」
リュカはそう言うと、ガンドフの横をすり抜けるようにして操舵室を出て行った。後ろでどこか悲しい目を向けているガンドフには全く気付かずに、甲板へと下りて行った。
船の甲板の上を、潮風を受けながら気持ちよさそうに大きな白馬が歩いている。船旅中は主に地下の船室に入っているパトリシアを、リュカが甲板まで連れて来て、息抜きさせていた。今は背に乗る鞍も外されており、代わりに小さな青い雫のようなスラりんがちょこんと乗っかっている。スラりんも目を閉じて潮風を浴び、気持ちよさそうに船旅を楽しんでいるようだ。
西の水平線に太陽が沈みかけている。西の空は空は橙色に染まり、東の空からは夕闇が迫ってきている。空と海しかない景色が見事にグラデーションに彩られているが、今のリュカには焦燥感しかなく、景色を楽しむ余裕はほとんどなかった。
「ずっとあんなに狭い所にいたら辛いだろう。僕だったらもう病気になってそう」
そう言いながらリュカはパトリシアの首をさすり、彼女の様子を窺った。パトリシアも答えるようにぶるるるっと小さく鳴き、リュカにすり寄る。こうしてパトリシアや仲間のスラりんと話をしていれば、胸の内に沸き起こる焦燥感からはいくらか解放されるような気がして、リュカは時を忘れるように彼らとの会話を続ける。
「パトリシアは本当にタフだよね。君みたいな馬は多分、この世に二頭といないだろうね」
「ピキッ」
「そんな当たり前のことを言うなって? そっか、そうだよね、誰だって二人といないには違いないか」
「ピ」
パトリシアがあまりにも特殊な馬に見えるため、リュカは思わずそう口にしたが、スラりんの言うことももっともだと思った。誰一人として代わりはおらず、誰だってこの世に一人しかいない。それは当然のことで、スラリンにしても他の魔物の仲間にしても、彼らだからリュカの旅について来てくれているのだということを、改めて気付かされる思いがした。
「それにしてもパトリシアはきっと神様がリュカの所へ遣わしてくれたんじゃないかって思うわ」
近くに聞こえたビアンカの声に、リュカはその方へゆっくりと目をやる。ビアンカは甲板を歩きながら、プックルとともに魔物の警戒に当たっていたようだった。彼女のすぐ傍には、プックルが赤い尾をゆらゆらと揺らしながら、ついて来ている。
「こんなに大きくて素敵な白馬、パトリシアを見るまで想像したこともなかったわ。どうやって出会ったの?」
ビアンカがそう言いながらパトリシアの横腹に手を伸ばして撫でると、その手にちゃっかりとスラりんが飛び移る。ビアンカの肩に乗って顔を擦り寄せるスラりんを、リュカはどこか複雑な思いで見つめる。
「ヘンリーとオラクルベリーの町に寄った時、偶然出会ったんだよ」
当時のことを思い出すと、リュカは自然と笑顔になる。長年の奴隷生活から解放され、しばらく海辺の修道院で心と体を癒し、ヘンリーと共に未来に向かって旅に出たばかりの頃の話だ。父の遺志を継いで、見も知らぬ母を探すという途方もない旅に出ることになったリュカだったが、生きる目的を持って旅を始めた当時は、心も体も充実し、力が漲っていた。
そんなリュカの様子に気付いたのか、ビアンカも同じように顔を綻ばせ、声を弾ませる。
「リュカの旅の話、まだまだ聞いていないことが沢山あるのね。あと少ししか時間がないけど、もっと色々と聞きたいわ」
彼女のその言葉に、リュカは一気に現実に引き戻されてしまう思いだった。過去の楽しかった話をするのは問題ないが、そんな話をしているうちに時間は刻々と過ぎ、あっという間に水門まで到着し、彼女との別れが訪れてしまう。ただでさえ足りない時間を、自分の思い出話に使うのは、あまりにも惜しい気がした。しかも残りの時間で自分の思い出を全て語れるとも思えず、かと言って他の時間の過ごし方も分からず、リュカは考えこむように俯いて黙り込んでしまった。
「どうしたの?」
突然雰囲気を変えてしまったリュカを窺うように、ビアンカは彼の顔を覗きこむ。彼女の肩に乗るスラりんも「どうしたんだろ?」と言うように、目を丸くしてリュカを見つめる。
「……サラボナまで一緒に来てくれないかな」
「え?」
「僕の旅の話、まだまだ話したいことがあるんだ。とても村へ送るまでの時間じゃ話し足りないよ」
リュカの提案に明らかに戸惑うビアンカだが、彼女の肩に乗るスラりんは大歓迎と言った様子で、身体をふるふると揺らしていた。
「ピッピキー」
「ほら、スラりんもそうしろって言ってるよ」
「でも……私がついて行っても迷惑でしょ」
「どうして迷惑なの?」
「だって、ただでさえ危険な旅についてきて足手まといになってるって言うのに、それをサラボナにまで……」
「だから前にもいったと思うけど、君を足手まといなんて思ってる仲間はいないよ。むしろこの旅では色々と助けられてるんだからさ」
リュカの提案に半ば喜んでしまっているビアンカは、そんな己の気持ちが嫌だった。リュカとの旅が終りに近づき、そろそろ村近くの水門が見えるところにまで船が差し掛かっているというのに、少しも気持ちの整理ができていなかったのが本当のところだった。
間もなくリュカたちとの冒険の旅が終わる。船を下りて、村まで送り届けてもらったら、そこでリュカとの時間は途切れ、また何事もなかったかのように今まで通り村での生活を送ることになることは、冒険を始める前から分かっていたことだ。しかし、冒険を始める前と今とでは、気持ちの方向がまるで違っている。冒険の旅に出る前は、せっかく思い切って村の外に出られるのだから楽しい思い出を作って、村に戻ったら父に、村人たちに楽しい冒険の旅の話をしてあげようなどと思っていた。しかし今では、リュカとの時間を終えることが怖くてたまらない。村に戻っても、この旅の話をしようという気にはなれないだろうとビアンカは感じていた。きっと父や村人たちに旅の話をし始めても、笑顔で話す自信はなく、むしろ涙を流してしまうのではないかという不安すらある。
そんなビアンカの不安を察知するかのように、彼女の背中をさするプックルの赤い尾に、ビアンカは固くこわばっていた心が少し解けるのを感じる。視線を下に向けると、プックルの青い目と出会い、ビアンカは彼もまた別れを惜しんでいるのだと気付いた。別れを先延ばしにできるものならそうしたいと、自分と同じことを考えているのだと、プックルの揺れる青い瞳がそう伝えていた。
「それに今抜けられたら、船の上での食事はどうするのさ。君が全部準備して居てくれたから美味しい食事ができたけど、これからは僕たちでしなきゃいけないんだったら、色々と教えてもらわないと」
何の悪気もなくそんなことを言うリュカに、ビアンカは思わず噴き出してしまった。ビアンカと出会うまでは、旅の間の食事の内容など何も気にしていなかったリュカだが、厨房設備の整った船の上ではビアンカが常に食事当番を引き受け、絶えずリュカ達に一日二食の食事を提供していた。そんな旅の生活に慣れてしまったリュカは、今さら元の食生活に戻ることが考えられないと、まるで子供のように訴えて来たのだ。そんな子供じみたリュカの言葉を、ビアンカは怒るでもなく、ただ嬉しいと感じていた。
「サラボナへ着くまでに、覚えられるかしら?」
「頑張って覚えるよ。火はマーリンに頼まないといけないけど」
「料理ってそう簡単なものじゃないのよ」
「やったことがないから分からないけど、きっとそうなんだろうね。いつものビアンカを見てると簡単そうに見えるけど」
「子供の頃から家事手伝いはしていたからね。年季が違うわよ」
「そうだったね、家の宿屋の手伝いをしていたみたいだもんね。お客さんにも愛想を振りまいて……」
「愛想を振りまいて、だなんて、何だか悪意のある言葉ね」
「そう? でもそうしていたから色々とお菓子をもらったりしていたんでしょ?」
「まあね。だって宿屋の看板娘だったんだもの。可愛い女の子が笑顔で『いらっしゃいませ』って言ったら、ついお菓子もあげたくなるでしょう?」
「そんなこと考えてにこにこしていたの? 悪い女の子だなぁ」
「そうかしら。それでお客さんも私も幸せになれるんだから、何も悪いことなんてしていないわよ」
しれっと言うビアンカの真面目な表情を見て、リュカはつい笑顔になる。彼女と他愛もない話をしているだけで、自然と心が弾んでくるのは抑えようもない。思い返せば、幼い頃も彼女と話をしている時は楽しい感覚が知らず沸いていたのかもしれない。当時はそのような感情を自覚したこともなかったが、父を失い奴隷の身に落とされたときも、ヘンリーと共にラインハットとサンタローズの現状を見たときも、幾度となく彼女との思い出に支えられていたのは、既にその頃から特別な感情があったからなのだろうかと、リュカは今になってそう考えることができた。
「じゃあ、水門を過ぎたらそのままサラボナに向かうね。いいよね?」
半ば強引に返事を求めていることを、リュカは自覚していた。唐突に話を戻し、彼女に問いかけたのも、彼女に考える余地を与えないためだということを、リュカは分かってそうしていた。ビアンカの水色の瞳が泳ぐのを、リュカは表面上は穏やかな表情で受け止める。
「……・まあ、大事な弟がサラボナの町でヘマをやらないように見るのも、姉の努めなのかも知れないわね。仕方がない、ついて行ってあげるわよ」
「ビアンカが一緒に来てくれると助かるよ。僕だけだとあの大きな町はどうも上手く歩けなくて……」
「何言ってるのよ。もう旅をして長いんでしょう? 私なんかよりずっと大きな町に慣れているはずだわ」
「そんなことはないよ。オラクルベリーの町だって、ヘンリーが一緒にいてくれたから何とかなったようなものだし、それに……」
「リュカと話をしていると、本当にヘンリーさんがよく出てくるわよね。一度会ってみたいものだわ、ヘンリーさんと……奥さんのマリアさんだっけ?」
「うん、一緒に旅をしていた時は何とも思わなかったけど、今は本当に仲良しなんだなって分かるよ。少し前に会いに行った時、そんな感じだったから」
「そうなんだ、羨ましいわね。……リュカもそんな夫婦になれるといいわね、フローラさんと」
「え? ……ああ、そうだね、そうなれるといいね」
ビアンカと話している時は大抵楽しい感情が沸き起こるのだが、彼女は時折こうしてリュカを現実に引き戻してしまう。弟としてしか見られていないことや、フローラと結婚するためにサラボナの町に向かっているということに、リュカの意識を引き戻す。その度リュカは少なからず傷ついているが、その一方でビアンカの心にも更に大きな傷がついていることを、リュカは知る由もない。その傷を、ビアンカがパトリシアの白い首を撫でることで落ち着けていることなど、リュカには想像することもできない。
「リュカ、ごめんね」
パトリシアの首を撫でながら、ビアンカがぽつりと言った言葉に、リュカは静かに彼女を見た。ビアンカはリュカと目を併せることなく、ただ視点の定まらない目を船の甲板に落としながら言葉を続ける。
「リュカが結婚しちゃったら、もう一緒に旅はできないでしょ? 奥さんに悪いし……。だから強引についてきちゃったの」
「君が強引なのは昔からだろ。そんなの別に構わないよ。それに、ビアンカがついて来てくれて楽しかった……」
「ごめんね」
「どうして謝るんだよ」
「ごめんなさい……」
リュカにはビアンカが何故謝ったりするのかが、全く分からなかった。しかしビアンカはリュカに謝らずにはいられなかった。
水のリングを探す旅について行くと決めた時は、リュカのことを単なる幼馴染の一人だと思っていた。サラボナの令嬢フローラと結婚するために水のリングを探していると話を聞いた時も、純粋に幼馴染の幸せを嬉しく思う気持ちに嘘偽りはなかった。リュカが冒険の旅に出るのを羨ましく思い、ただ村の外に出たい思いで彼の旅についてきた気持ちも本心からだった。
しかし彼との旅を続けて行くうちに、もう少年ではなくなった彼の魅力に引き込まれ、まだ滝の洞窟を見つける前からまさか恋に落ちるとは思いも寄らないことだった。その気持ちに気付いても、まだ今なら引き返せる、この恋心は抑え込めると、軽く考えていたが、共に過ごす時間が長くなればなるほど、どんどん引き返せなくなるのが嫌でも分かった。表面上は彼を弟として扱っても、胸の内に沸き起こる想いは自身ではどうにもならず、勝手に膨れ上がって行ってしまった。今では上手く恋心を抑え込むことができているのか、不安に思うほどだった。
そしてビアンカはリュカの気持ちの変化にも気付いていた。彼がサラボナの町まで自分を連れて行きたい理由、それは恐らく恋に違いなかった。ビアンカがリュカに恋してしまったように、リュカもまたビアンカに恋をしてしまったのだと、彼女は彼の瞳を見て気がついてしまった。時折見せる熱のこもった視線は、今までのリュカには見られなかったものだ。それは青年になったリュカが一時見せる男としての部分なのだと、ビアンカは必然的に気付いてしまった。
それがどんなに罪深いことか、ビアンカは懺悔の気持ちで胸がいっぱいになった。結婚相手を決めている彼に横恋慕のような真似をする自分は、どれだけ汚くずるい人間なのかと、ビアンカは共に旅に出た自分を内心責めていた。噂に違わぬであろう清楚可憐なフローラの幸せを、未だどこか純真無垢で優しいリュカの幸せを、自分が壊そうとしていることにビアンカは今の自分を消し去ってしまいたいほどの後悔の念を抱いていた。
「とにかく、このままサラボナに向かうね。町までだったらまだ何日かあるから、もっとビアンカと話せるね」
そう言ってにっこりと微笑むリュカに、ビアンカへの恋心を隠そうという意識は働いていない。フローラという結婚相手がいるというのに、リュカは構わずビアンカとの残された時間を楽しもうとしている。リュカに悪気はまったくない。ただ気付いてしまったビアンカへの恋心に純粋に浸っているだけなのだ。
「そうね……一緒にいられる時間が少し増えたから、もっと色んな話をしましょう。リュカの旅の話、まだまだあるんでしょう?」
「そうだなぁ……ヘンリーがプックルを怖がって椅子に飛び乗ったこととかね。ねぇ、プックル」
「にゃう」
いたずらっぽく言うリュカに、プックルも同じような調子で返事をする。そんな二人の様子を見て、ビアンカはもう少しだけリュカとの時間を楽しんでも良いのかと、天を仰いだ。空には星が瞬き始め、群青から藍色に変わり始める夕闇の景色はすべてを覆い隠してくれそうで、己の恋心にも蓋をしてくれるのではないかと、ビアンカは秘かにその雰囲気に乗じることにした。
「きっとすべてを聞くことはできないけど、沢山あなたの話を聞いて、村に戻ってからの良い思い出にするわ」
数日後には訪れるであろう未来にビアンカが目を向けているのに対し、リュカはただただ今のこの時を楽しい時間にしようと、過去の出来事に頭を巡らせる。
「……じゃあ、楽しい話をしよう。ビアンカも村でのこと、もっと僕に教えて。君の話ももっと聞きたいから」
「私は毎日同じことの繰り返しだもの。大した話はできないわよ」
「それでもいいから、ビアンカが楽しかったこととか、村の人たちの話とか、何でもいいから」
「そうねぇ、じゃあ山奥の村に行くまでの旅の途中で……」
話し始めると、ビアンカの口からは自然と次々と言葉が落とされていった。他愛もない話だ。リュカとの残された時間で話すような大事な内容でもないと思いながらも、ビアンカは楽しそうに自分の話に耳を傾けているリュカを見て、泣きそうになる意識とは別に話をし続けた。今は楽しいことだけを考え、楽しい思い出だけを彼に話し、彼の笑顔だけを見てサラボナまでの時間を過ごそうと、ビアンカは余計なことは考えないように必死に話し続けた。ビアンカの護衛役のようにいつも隣にいるプックルは彼女の足元に伏せるようにして目を閉じ、耳だけを動かして彼女の声に耳を傾けている。ビアンカの肩に乗っていたスラりんは再びパトリシアの背に戻り、そこで身体を揺らして会話に参加する。パトリシアは静かに潮風を浴びながら、二人の会話を見守っている。彼らの前にはただ穏やかな時間が過ぎているようだった。
そんな雰囲気の中、リュカは笑顔を浮かべながらも、頭の中では全く異なることを考えていた。ビアンカの話を聞きながらも、サラボナの町に着いてからのことに頭を巡らせていた。彼女との時間が伸びたのは純粋に嬉しいことだが、水のリングを手に入れた今、リュカの未来はビアンカと別れ、フローラと結婚することがほぼ確定している。ルドマンの条件を達成したリュカがフローラと一緒になることは、もはや機械的に決まっているようなものだ。
サラボナの町でフローラと会話をしたのはまだほんの一言二言しかない。それだけでも彼女が噂に違わぬ魅力的な女性であることは感じたが、あくまでもそれは客観的に感じたに過ぎない。恐らく、フローラにしても、突然町に現れた旅人が炎のリングと水のリングを探し出して結婚相手に名乗りを上げたところで、彼女の気持ちは混乱するだけだろう。結婚の条件を果しても、当事者二人の気持ちが追いつかない状態で、結婚などできるものなのだろうかとリュカはラインハットの友人を思い浮かべながら考える。結婚のあるべき姿は、ヘンリーとマリアのような関係を言うに違いないのだ。
本来の目的であった天空の盾を手に入れることを忘れたわけではない。しかしそれよりも重要なことを見失ってはならないと、リュカはサラボナの町に着いたらどうするべきかを、ビアンカと楽しい話をしながらじっと秘かに考え続けていた。
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[…] 「足りない時間」 […]
私は今エルヘブンについたばかりです!
続き楽しみにしてます!
ヘンリー 様
コメントをどうもありがとうございます。
エルヘブンまでの道のりはかなり険しそうですが、私もそこまで行けるよう頑張ります。気長にお待ち下さいませ><