2017/12/03
別れの決心
山奥の村が管理する水門を通り過ぎてから、リュカとビアンカは時間の許す限り、船の上でこれまでのことを語り合った。しかしその内容に悲しさや寂しさは一切含まず、楽しい時間を過ごすために過去の楽しい話だけを互いに語り、共に笑い合った。相手の笑顔が見られる時は、今の状況を、これからの状況を忘れることができ、その楽しい時間に身を浸らせることができた。そんな楽しい時間が少しでも長く続くよう、リュカはいつになく絶えず話を続け、楽しい時間を途切れさせることがないよう必死に過去の楽しかった出来事を思い出していた。
しかしそんな楽しい時間を過ごせば過ごすほど、徐々に心が焦りを感じるのを抑えられなかった。水門からサラボナの町へ向かう航海は至って順調で、海の魔物との戦闘も数回あったが、魔物の仲間たちとの連携は磐石で、問題なく打ち払うことができた。遠くに見えた魔物にはマーリンやビアンカの呪文で牽制したり、うっかり船への侵入を許してしまった貝の魔物もリュカやピエール、プックルにガンドフの攻撃で倒すことができた。大方、メッキーやスラりんによる船からの見張りで魔物の存在を見つけ、船への侵入を許すことなく、呪文や特技、船の針路変更などで戦闘を回避することができた。
そんな仲間の協力に、リュカは心から感謝するとともに、ビアンカとの別れが刻一刻と近づいてくることに強い焦りを感じていた。どうせ訪れる別れならば、何故素直に山奥の村へ彼女を送り届けなかったのだろうかと後悔もしていた。彼女と楽しい話をすればするほど別れが辛くなることは想像できたはずだと、幾度となく自身を責めた。己の往生際の悪さに改めて気付かされ、リュカは甲板を歩きながら溜め息をつくことが多くなっていた。
船の舳先に立ち、前方を眺めていると、遠くに小さな明かりが揺れているのを見つけた。サラボナ近くにある船着き場の明かりだった。既に西の空は赤く染まり、東からは夕闇が迫ろうとしている。船が船着き場に着く頃には空には星が瞬き始めているだろう。船をどれだけ遅く進ませても、今日中にサラボナに着くことは明らかだ。
そんなことを考えているリュカの足元に、ふと温かな毛の感触があった。見ればプックルがリュカの足元に身を寄せ、じっと空に瞬く星を眺めていた。特に何かを語るわけでもないプックルだが、その青い目はどこか物寂しげで、もしかしたらプックルは自分以上にビアンカとの別れを惜しんでいるのかもしれないと気付かされた。プックルの雄々しい赤いたてがみを手で撫でつけると、プックルは目を閉じてじっとリュカの手から伝わる彼の気持ちに耳を傾ける。
「プックルの恩人だもんね、ビアンカは」
「にゃう」
「ビアンカが助けるって言ってくれなかったら、僕たちはこうして出会うこともなかったんだよね」
幼い頃、アルカパの町で少年たちにいじめられていたプックルを見て、ビアンカが助けの手を差し伸べたのがリュカとビアンカの出会いのきっかけだ。幼い頃から勇敢で正義感の強かったビアンカは、少年たちに捕われてしまったプックルを助けるために、少年たちの提示したレヌール城のお化けを退治するなどという条件を一も二もなく受け入れてしまった。そしてリュカを巻きこみ、まだ幼い二人で町の外に出て、レヌール城へと向かったのだ。
「考えてみれば僕はプックルに酷い目にしか遭わせてないね。ビアンカと別れる時、僕じゃなくてビアンカについて行ってれば、プックルももっと楽に生きられたのかもしれないね」
リュカは自身の過去を振り返り、プックルを殊更自分の都合で振り回し、挙句にはラインハット東の遺跡で置き去りにしてしまうという酷いことをしてしまったことに、改めて心から詫びたい気持ちになった。リュカも奴隷という過酷な人生を歩んできたが、十余年に渡る奴隷生活にはヘンリーという心強い仲間がいた。しかし置き去りにされたプックルは、突然一匹になり、しかもまだ子供だったプックルは恐らく東の遺跡の広間で途方もない孤独に晒されたに違いない。そこからどのような紆余曲折を経て西の大陸に移動し、あのカボチ村の西の洞窟に棲むようになったのかはプックルしか知らないことだ。水があまり好きではないプックルが自力で海を渡ったとは思えない。当時はまだ大きな猫ほどの大きさだったため、ビスタ港から出る船に紛れて乗っていても見過ごされていたのだろう。それもプックルの旅のほんの一部で、その数倍も苦労を重ねているのは想像に難くない。
「プックルは僕の旅についてきて、後悔してない?」
カボチ村西の洞窟でどれだけの時間を過ごしたのかは分からないが、あの洞窟にいたベビーパンサーにも懐かれ、まるで洞窟の主のように暮らしていたプックルは恐らくそれ相応の年月をあの場所で過ごしていたのだろう。カボチ村に時折現れ、畑の作物を荒らしてしまうことはあったが、それも彼が過去にリュカと暮らしたサンタローズの村の景色と重なるカボチ村にどこか期待を寄せていたからだった。カボチ村の人々ならば自分を受け入れてくれるのではないかという期待が、プックルの中からずっと消えなかったのは、サンタローズで過ごしたリュカとの思い出が強く残っていたからだ。
しかしカボチ村に姿を現すようになったプックルは既に大人になり、それは人々から恐れられるキラーパンサーという魔物としての姿となっていた。突然村にキラーパンサーが現れたとなっては、村の人々が警戒を強め、旅人に退治を依頼するのも無理はない。もしアルカパの町にキラーパンサーとしてのプックルが姿を現したら、恐らく同じように町の人々は退治することを考えたに違いない。そこに互いに悪気はない。ただ過去の楽しかった思い出と重なるカボチ村に期待をしたり、己の生活を守るために魔物を退治しようとしたりしただけだった。
偶然にもプックルは西の洞窟でリュカとの再会を果たしたが、旅に一緒に来ることはそれまで以上の危険を伴い、カボチ村西の洞窟での暮らしを手放さなければならないということだった。決してリュカが旅に誘ったわけではない。むしろプックルのためにはこのまま洞窟で暮らした方が幸せなのかもしれないと思ったほどだ。しかしプックルは迷わずリュカについて行くと意志表示をした。再会の喜びから気持ちが高ぶり、そんな意志表示をしてしまったのではないかと、リュカは今になって思い、思わずプックルに『後悔してない?』と聞いてしまっていたのだ。
リュカの言葉を受け、プックルは不思議そうな目でリュカを見上げ、溜め息をつくように息を吐いて彼の足元に伏せた。赤い尾でリュカの足をくすぐると、その後彼の背中を優しく尾でトントンと叩いた。『後悔しているわけがない』、プックルがそう言っているようで、リュカはプックルの横にしゃがみこんでその太い首に抱きつくように両腕を回した。
「ありがとう、プックル。お前は僕の親友だよ」
「がうがう」
プックルは『今となっては親子みたいなものだけどな』と言ったつもりだったが、リュカにはそう伝わらなかった。十余年の歳月で、リュカとプックルは子供と父ほどの年齢差が生じている。しかしそう思っているのはプックルだけのようだった。
「プックルはちゃんと自分の道を選択できたんだね。とても難しいことなのに……」
サラボナ近くの船着き場の明かりは容赦なく近づいてくる。船が陸に着き、サラボナの町に入れば、後はルドマンに水のリングを渡し、フローラとの結婚と天空の盾を手に入れることが決まっている。そして無理に連れて来てしまったビアンカとの別れも同時に決定的となる。
「僕に選択の余地なんてないはずなんだけど……これを往生際が悪いって言うんだろうね」
リュカはプックルの首に顔をうずめながら、独り言のようにそう呟いた。父の遺言を受け旅を続け、遺言の内容にあった天空の武器、防具を集める中で、その一つの天空の盾がルドマン家所有のものと分かっている以上、リュカの未来は決定的なものなのだ。そしてその未来にはどこも不都合はなく、むしろリュカの旅を後押ししてくれる要素すら含まれている。ルドマン家の後ろ盾を得られれば、これからの旅はずっと楽なものになるのは容易に想像でき、母を捜し出す旅の進行具合に拍車がかかることは間違いない。世界を相手に商売をして、成功しているような見識のあるルドマンのことだから、連れている魔物たちにも理解を示してくれるのではないかとリュカは踏んでいる。考えれば考えるほど、フローラとの結婚は今後のリュカにとって利点しかないのだ。
しかしそう考えれば考えるほど、結婚というものについて考えさせられてしまう。これからも旅を続けるリュカは、ルドマン邸に留まることはなく、たとえフローラと結婚したとしてもすぐに再び旅に出なくてはならない。大富豪のお嬢様として育てられたフローラを連れて旅をするわけにも行かず、結婚早々別々に暮らすことになることは明白だ。リュカにとって結婚とは、命懸けで母を探す父の姿であり、ラインハットで仲睦まじく暮らすヘンリーとマリアの姿だ。彼らの中には今のリュカにはまだ想像もできない強い想いが存在しているのかも知れないが、そこに共通するのは、ずっと相手の傍にいたいという気持ちなのではないかと、リュカはプックルの横腹を枕にして寝転がりながらぼんやりと考えていた。
「ちょっと、リュカ。もうすぐ船着き場に着くってのに、何をぼんやりしているのよ。ルドマンさんに会うんだから、身支度しておかなきゃ」
目を閉じながら聞いたビアンカの声に、途端に考えを乱された。もたれかかっていたプックルから身体を起こすと、後ろに仁王立ちするビアンカの姿があった。両手を腰に当てて堂々と立つその姿を、リュカは幼い頃にも見たことがあるような気がした。
「旅の汚れをある程度きれいにしておかないと、きっと迷惑になるわ」
「大丈夫だよ。ルドマンさんは旅人に慣れてるから」
呑気にそんなことを言うリュカに、ビアンカは思わず溜め息をつく。
「そうだとしても、せっかく結婚するためのリングを渡しに行くんだから、身ぎれいにしておくのがいいと思うわ」
ビアンカの言葉はまるで弟を心配する姉のようなものだった。そんな彼女の口調に、リュカの心の中に喪失感と反発心が起こる。
「サラボナの町に着く頃にはかなり遅い時間だよ。一度宿にでも泊まって、明日の朝ルドマンさんのところへ行くことにするよ」
「え? そうなの?」
「うん、そうする」
戸惑うビアンカを制するように、リュカは断定的にそう言い切った。リュカ自身、まるで予定していなかったことをビアンカに伝えると、リュカは胸の中でほっと一息つく気分になった。彼女との時間がまた少し伸びたことに、安心感と罪悪感を得たが、今は安心感に浸ることにした。
リュカの言う通り、船着き場に着いてからサラボナの町に向かう間に時間は更に進み、町に着く頃には町の明かりもほとんど消えているような時間になる。町の中で夜更けの訪れても良い場所は宿屋か教会くらいだ。人々が寝静まる頃に家の戸を叩いて訪問することもないだろうと、リュカは自身の言ったことに正当性を見て、後ろめたさを放り出した。
「じゃあ船で休んで行くっていうのもアリよね。その方が節約にはなるわよ」
ルドマンの船には身体を休めるための設備は十分に整っている。わざわざ金を払って宿屋に泊ることもないとビアンカは提案したが、リュカはその提案を一蹴した。
「町で休んだ方がゆっくり休めるよ。船で休むのは常に見張りを交代でしなきゃならないし、気が休まらない」
「まあ、そうだけど……明日には町に行くわけだし、一日くらいなら……」
「ビアンカはサラボナにはあまり来られないんでしょ? せっかくだし、今日は一緒に見て回ろうよ」
リュカの口調には明らかに焦りが含まれている。それに気付かないビアンカではない。彼の提案はまるでデートの誘いのようで、しかし彼自身はその事実に気付いておらず、ビアンカは困ったような笑みを浮かべる。
ビアンカの中で様々な思いが錯綜する。リュカと一緒にいたいという想い、フローラに対しての罪悪感、近い未来に訪れる彼との別れに対する躊躇、彼の幸せを願う気持ち、今すぐにこの場から逃げ出したいという苦しみ。その中で何が最善なのかとしばし考え、ビアンカはあとわずかしか一緒にいられないリュカとの時間を過ごし、彼との思い出を楽しいもので終らせようと思い至った。
幼い頃に彼と別れてからの、彼の人生を全て聞いたわけではないが、ビアンカが想像する以上にリュカは苦労を重ねているに違いない。そんな彼には少しでも楽しい思い出を持ってもらうことは間違いではないと、ビアンカは明るい調子でリュカに提案する。
「宿に酒場があったわよね。あそこでリュカの結婚の前祝いと行きましょうか」
「僕、酒が飲めないんだけど」
「無理にお酒を飲む必要なんてないわよ。まあ、私は少し飲ませてもらうけどね」
酒の力を借りて、リュカを想う心の苦しみから解放されるのもありだろうと思いながら、ビアンカはいたずらっぽく笑った。
「僕もちょっと飲んでみようかな」
「やめておきなさい。明日にはルドマンさんにご挨拶するんだから、あんたはしゃんとしてなきゃ」
「ビアンカも、まさか二日酔いの状態で一緒に行くことにならないように、あんまり飲まないでよ」
「気をつけるわ」
リュカの言葉に『まさか、そんなに飲まないわよ』とは返せず、ビアンカはそう言うに留まった。
「プックル達にはまた外で待っていてもらうことになるけど、よろしくね」
「がうがう」
「私が村に帰る時にはまたみんなに挨拶に来るからね」
「……にゃう」
「そんな声出さないでよ、プックル。何も今生の別れってわけじゃないんだから」
そう言いながらも、ここでリュカたちと別れてしまえば、恐らくもう二度と会うことはないだろうとビアンカには分かっていた。フローラと結婚し、母を探す旅を続けるリュカにとって、山奥の村に住むビアンカともう一度会う理由は何もない。水のリングを探す旅に無理について行ったのも、リュカと会えるのはこれが最後だろうと分かっていたからだ。その時にはまさか彼に恋をするとは思っていなかったが、それでも一緒に冒険の旅に出る時には既に彼との別れが分かっていた。今となっては、予想していた別れの辛さが数倍にも膨れ上がったが、決定しているリュカの未来を邪魔するつもりは毛頭ない。
「そろそろ着岸の準備だね。操舵室に行ってくるよ」
「私はパトリシアを見てくるわ。一番早く船を降りたがっているのはパトリシアかも知れないしね」
そう言うと、二人は甲板の上で別れ、それぞれの場所へと向かった。プックルはしばらく二人の背を交互に見つめていたが、やがて腰を上げ、赤い尾に黄色いリボンをなびかせながらビアンカの後を追いかけた。
サラボナの町に着いたのは、町の人々が一日を終えて、じきに寝静まる頃だった。空には月が明るく照り、星が煌めき、夜の町を十分に照らしてくれている。町の入り口からは大通りが噴水広場まで伸び、その通りにはちらほらと人の姿が見える。一年を通して穏やかな気候のサラボナでは夜の散歩を楽しむ人も少なくないようだった。
「相変わらず綺麗な町ね。ずっと山奥の村に住んでると、こういう都会に来ると何だか気後れしちゃうわ」
「ビアンカだってアルカパに住んでたじゃないか」
「アルカパの町とはまるで違うわよ、サラボナは。洗練された町って言うか……それって言うのもあの大きな教会があるからなのかしらね」
町の入り口からも見える教会の屋根に飾られる十字架は、町全体を代表するシンボルのようなものだ。大聖堂のような大きな教会の存在はそれだけで町全体をまとめ、静かに見守る機能を果している。色とりどりの花が咲き、華やいだ雰囲気のある町だが、それと同時に厳かな雰囲気も兼ね備えているのは、偏に町の中心にこの大きな教会があるからだ。
サラボナを訪れる旅人は珍しくない。世界を相手に商売をしているルドマンが住むこの町を目指して世界から人が訪れ、サラボナの町は常に新しい人が出入りしている。魔物が多くなったとは言え、人々は精力的に商売をし、世界に活気を生み出している。しかも今はルドマンが娘のフローラの婿を募集しているとあって、サラボナに留まる男性はまだ多くいるようだった。
宿での宿泊手続きを済ませ、リュカとビアンカは宿の施設の一部である酒場に向かった。外の爽やかな空気とは違い、酒場は独特の熱気に包まれていた。窓が開けられ、酒場内に熱気がこもらないようにはしているようだが、それでも外の気温に比べると別世界のように感じられた。
空いていたカウンター席に並んで座り、リュカとビアンカはそれぞれオレンジベースのジュースと酒を注文し、遅めの夕食も兼ねて食事もいくつか注文した。二人は自分たちが酒場に入ったと同時に、酒場内の雰囲気が少し変わったことに気がつかなかった。
炎のリングを手に入れ、ルドマンに手渡した若者が、今酒場に現れた青年だということに、酒場にいる数人の客は気付いていた。フローラとの結婚を夢見てサラボナの町を訪れた旅人もいる。サラボナの町に住み、フローラとの結婚を機に商売を拡大させようとしていた商人もいる。彼らはそれぞれルドマンの提示した結婚の条件である二つのリングを探すことを諦めたが、フローラの夫となる人物はどんな男なのかということが気にならないはずがなかった。二つのリングの内、一つの炎のリングを見つけたリュカのことを、彼らはしっかりと覚えていた。
そんなリュカがまさか女連れで酒場を訪れようとは、彼らも想像していなかった。フローラとの結婚を目当てにリングを探している男が、美しい娘を伴ってサラボナの町に戻って来ることなど、誰一人として予想していなかった。自然と、二人の会話に聞き耳を立て、突然現れた金髪の美女は一体誰なのかと彼らは探り始めていた。
そんな周りの雰囲気にはとんと気付かないリュカとビアンカは、至って普段通りの会話を始める。飲み物がすぐに運ばれてくると、まずビアンカがグラスを合わせ、「おめでとう」と言い添えた。
「結婚式には私も呼んでよ。リングを探すの手伝ったんだから、それくらいいいわよね」
あえて厚かましく言うビアンカに、リュカはオレンジジュースを一口飲んでから「うん」と小さく答える。
「いよいよね、リュカ。水のリングを持って行けばフローラさんとの結婚が決まるね」
「でもまだ僕が結婚相手に決まったわけじゃ……」
「えっ? 水のリングも手に入れたのかい?」
二人の会話に聞き耳を立てていた内の一人、リュカ達と席を並べていた男性が赤ら顔で話しかけてきた。顔が赤い割にはそれほど酒に酔っているわけでもないようで、しっかりとした表情でリュカとビアンカを見つめる。
「すごいじゃないか! 一体どうやって見つけたんだ? 伝説のリングなんだろう?」
酒の力も手伝ってか、元々積極的な性格をしているのか分からないが、男は初対面とは思えぬような勢いでリュカに問いかけてくる。同時に、リュカ達の話に周囲の人々も聞き耳を立てていることに、ビアンカは静かに気付いた。
「とんでもない魔物がいて、そいつをやっつけて手に入れたのよ。伝説のリングだけあって、手に入れるのは大変だったわ。でもこの人、こう見えても強いから、魔物を倒してリングを手に入れることができたの」
ビアンカは周囲の人々を警戒しながら、滝の洞窟を探索した時とは異なる話を始めていた。リュカが戸惑う雰囲気を感じたが、ビアンカは構わず話を続ける。
「他の人だったらきっと、あんなに強い魔物を倒すなんて無理だったでしょうね。それこそ山のように大きな魔物で、それが三体も現れて……」
「ちょっと、ビアンカ……」
ビアンカが話している話が、リュカが炎のリングを見つけた時のことの様子だと気付き、リュカは横から口を出す。ビアンカは水のリングを見つけに行く旅の最中、船の上でリュカや仲間の魔物たちから、炎のリングを手に入れた時の冒険の様子を事細かに聞いていた。すっかり頭に入っていた炎のリングの時の冒険の様子を、ビアンカは今、目の前の男に自慢げに話している。
「何よ、リュカ。この人が話を聞きたいって言うから、話しているんじゃない」
「でもその話は……」
「リュカが実際に体験してきたことでしょ。私、ウソはついてないわよ」
ビアンカが何故男にそんな話をするのか、リュカには全く分からなかった。リュカには周囲の人々が好奇の目で二人を見ていることが分からず、自慢げに話を続けるビアンカを制することもできず、まくしたてるように早口で話す彼女をただぼうっと見つめるだけだった。ビアンカが周囲の男たちを警戒し、リュカが強いということを知らしめ、水のリングを奪われないようにしていることに、リュカは微塵も気付かなかった。
サラボナにはフローラとの結婚を夢見ていた男性が多くいる。清楚可憐なフローラとの結婚のみならず、ルドマン家を継ぐことで莫大な財を手に入れることもできることに、野心を抱いていた男も多くいるはずだ。ルドマンの提示した結婚の条件の前に夢見ることを諦めた彼らが、水のリングを手に入れた青年が今このサラボナにいることを知れば、再びフローラとの結婚とルドマン家の財に目を眩ませ、リュカに襲いかからないとも限らない。そんな男たちを警戒するように、ビアンカは事実に多少の脚色を加え、酒に酔う隣の男に大きめの声でリュカの冒険譚を語って聞かせていた。
ビアンカが一通り話し終えると、酒に顔を赤くしていた男の表情から好奇の雰囲気は薄れ、代わりに感心するような態度でリュカに酒をおごろうとカウンター越しにマスターと話していた。運ばれてきたグラスに手を伸ばすリュカをビアンカが制し、グラスを自分の前にずらした。
「この人、お酒が飲めないんです。代わりに私がもらってもいいかしら」
「ああ、そりゃあ構わないよ。じゃあ代わりの飲み物を頼もう。そうか、酒が飲めないとは人生損をしているなぁ」
「そうなんですか? ……じゃあ、ちょっと飲んでみようかな」
リュカがそう言いながらビアンカの前のグラスに手を伸ばすと、ビアンカは容赦なくグラスを遠ざける。
「だからやめておきなさいって。明日にはルドマンさんのところへ行くんでしょ。二日酔いになんてなったら洒落にもならないわよ」
「なあ、ところで気になってたんだけど、あんたは誰なんだい?」
男の問いかけに、ビアンカが「私?」と自分に指差す。男がそう問いかけたと同時に、周囲の雰囲気もぐっと濃いものに変わったことに、ビアンカは気付いた。そしてようやく、周囲が気にしていた本当のことに気付いた。
「この子の姉よ。旅の途中で偶然再会したの。それで話を聞いてみたら、今度結婚するかもしれないなんて言うから、心配でこうしてついてきたのよ」
「なんだ、そういうことだったのか。これですっきりしたよ」
男の言葉に代表されるように、周囲の雰囲気もすっかり落ち着いたものになったことを、ビアンカは感じていた。彼らは皆、リュカとビアンカの関係を気にしていたらしい。考えてみれば、フローラとの結婚のために水のリングを手に入れた男が、他の女を連れてサラボナの町に入って来るなどおかしなことだと、ビアンカも後から気付かされた。
「リングを手に入れる男のお姉さんだけのことはあるな。危険な旅について行くなんて」
「僕は止めたんです。でもどうしてもついてくるって言って……」
「だって心配じゃない、弟がおかしな真似をしないかって。長く旅はしてるようだけど、小さい頃からぼーっとしたところがあるし、ルドマンさんにご挨拶するのにも失礼があっちゃいけないでしょ」
「そんなにぼーっとしてるかな、僕」
「十分してるわよ。そういうところは小さい頃から変わってないわ」
ビアンカがからかうようにそう言うと、リュカはじろりと彼女を見て、すねたようにオレンジジュースを飲み干した。
「そういえばルドマンさんはもう結婚式の準備を始めたらしいよ」
男の言葉に、リュカは思わず咳き込んでしまった。そんなリュカの背中をさすりながら、ビアンカも驚いたように男の顔を見る。
「まだこの人が戻ってきたって知らないはずよね?」
「あんたたち、ルドマンさんから借りた船に乗ってきたんだろ? あんな大きな船が町近くの船着き場に来れば、ルドマンさんの家の使いの人が知らせに走るだろうよ」
「そっか、じゃあ早くにルドマンさんを訪ねた方が良かったかしら」
「でももう遅い時間だったから、明日で良かったんじゃないかな。ルドマンさんだってきっとそのつもりだったと思うけど」
「それにしてもまだ水のリングを見つけたとも言ってないのに、ルドマンさんったら気が早いのね」
ビアンカの言う通り、リュカが水のリングを見つけないまま船で戻った可能性もあったのだ。むしろ水のリングを見つけるという奇跡を起こすのは、滝の洞窟での探索を考えると、万に一つもないほどの確率だった。
「でもそれだけリュカが信頼されてるってことかしら」
ビアンカがグラスの酒を少し飲みながらそう言うのを、リュカはぼんやりと聞いていた。炎のリングを見つけてルドマンに渡しに行った際、ルドマンはいかにも楽しそうにリュカに水のリングの話をして、大いに期待を寄せた顔をしてリュカに船を貸してくれた。あの時既に、ルドマンはリュカが必ず水のリングを見つけてくるに違いないと思っていたのだろうかと、リュカは思い返していた。
「良かったわね、リュカ。お父さんとなる人にそれだけ信頼されてるって幸せなことよ」
ビアンカがそう言いながらリュカの背中を叩くと、リュカはピンとこない様子で眉をしかめ、首を傾げる。自分にとって父とはパパスであり、それ以外に父という存在は考えられなかった。しかしフローラと結婚することになれば、フローラの父と母がリュカの父と母になるのだ。ルドマンと彼の妻を自分の父母と思うことができるのだろうかと、リュカは今考えてもどうしようもないことを頭に巡らせた。そんなリュカの隣で、ビアンカは静かにグラスの酒を一口飲む。
二人の会話の隙間を確認したかのように、カウンターの向こう側から料理が出された。店お勧めのサラダと、豆のスープが出されると、リュカは湯気の立つスープを早速口にした。その間、ビアンカはサラダを二つの皿に取り分け、自分とリュカの目の前に皿を出した。無言で行動する二人を、カウンター越しに見ていた女性店員が、意味ありげな笑みを浮かべてリュカに話しかけてきた。
「お兄さんってちょっとステキよね。フローラさんが悩むのも無理ないわ」
そう言って小さく笑う女性店員を、リュカとビアンカは同じようなきょとんとした顔をして見つめる。
「フローラさんが悩んでる? 悩むってどういうことかしら」
「何か聞いてるんですか?」
興味深げに聞いてくるリュカを、まるで品定めするような目で見つめ、女性店員は再びふふっと小さく笑った。
「ちょっとしたウワサよ。私はここで働いてるから、そんなウワサを耳にしただけ。詳しいことは知らないわ」
いかにも商売用の笑みを見せる女性店員に、リュカもビアンカも上手く言葉を返すことができなかった。そして女性店員は無責任にもその場を離れ、他の客のところへ回って話をし始めてしまった。放りだされたような二人は、しばし無言のまま目の前のサラダやスープをつつく。
「悩む必要なんてないと思うけど……」
言った直後、ビアンカは胸の鼓動が激しく打ち鳴らされるのを感じ、自身の発言をどう取り繕おうかと瞬時に頭を巡らせる。
「だってどこぞのおじさんなんかが炎のリングを手に入れて現れたわけでもないじゃない。年だって同じくらいだろうし、一応旅慣れててもしかしたら頼りになるかもしれない男の人なんだし、ルドマンさんだって気に入ってくれてるみたいだし、何を悩む必要があるのかしらね」
「……何となく言葉にトゲを感じたんだけど、気のせい?」
「どの辺りにトゲを感じたの? 私は素直に言ってるだけだけど」
「やっぱり僕はビアンカに子供扱いされてる気がするなぁ」
「それは仕方ないじゃない、弟みたい……弟なんだもの。子供扱いって言うよりも、子供みたいなものよ。私にとって、リュカはずーっと」
きっぱりと言い切るビアンカの口調に、リュカは胸がえぐられるような思いがした。思わず確認してしまった彼女の気持ちに、リュカは見たくもない現実を見せられたようだった。彼女を想う気持ちと、彼女が自分を思う気持ちとの間に途方もない距離があることに、リュカは酒も飲んでいないのに喉の奥が熱くなるのを感じた。せっかく運ばれてきた新鮮な魚介のマリネも無味なものに感じる。
「でもそれって他に好きな人がいるとか?」
ふと口にしたビアンカの言葉に、リュカはオレンジジュースの入ったグラスに手を伸ばしながら眉をひそめた。見れば隣に座るビアンカは、グラスの中の酒をじっと見つめながら、まるでそこに何かが映っているかのような目をして独り言を呟いている。少々眠気を感じているのか、目がとろんとしており、そんな彼女の表情からリュカは思わず目が離せなくなる。
しかし同時に、ビアンカの独り言のような呟きから、リュカの頭の中には、フローラとの結婚を夢見て慣れない冒険の旅に出て、大怪我をして町に戻ってきたアンディの姿が浮かぶ。そしてそんなアンディを必死に看病する献身的なフローラの姿も脳裏に蘇る。その時感じた心の中のもやのようなものが、今となっては嫉妬だったのだと分かり、果たして自分はフローラのことを好きになっていたのだろうかと、己の心が分からなくなってしまった。
フローラがアンディを献身的に看病していたのは果して彼のことが好きだからなのか、それとも修道院で花嫁修業を長く積み、彼女本来の優しさから大怪我をして町に戻ってきたアンディを放っておけなかったのか、それはフローラに聞いてみないと分からない。
ルドマンの妻も若い頃、ルドマンが結婚のために冒険をして大怪我をして戻ってきたことがあったと話していた。そしてその時献身的に看病をし、遂には結婚に至った。今のフローラは母と同じような状況で、リュカが二つのリングさえ見つけなければアンディとの結婚を果すのかも知れない。本当の気持ちはフローラに聞かねば分からないが、彼女がアンディのことを全く想っていないということもないだろうと、リュカは今となっては冷静に考えられた。
「どうしたの、ずっと考えこんでるみたいだけど」
ビアンカにそう言われ、リュカは意識を現実に戻した。
「いや、何でもないよ」
「そう? フローラさんのことを考えてたんでしょ?」
鋭いビアンカの一言に、リュカは目を見張って明らかに動揺した。分かりやすいリュカの行動に、ビアンカはつい笑って、茶化すように言う。
「他に好きな人がいるのでなければ……それともステキなリュカにケガをさせたくないから……? う~ん、どういう悩みなのかしら」
真面目に考えこむように唸るビアンカだが、その実は完全にリュカをからかうような雰囲気を漂わせていた。そんな彼女の様子に、リュカは再び胸をえぐられる思いがした。ビアンカはリュカのことをまるで弟のように思っている。そこに恋愛感情などなく、リュカが結婚について悩む余地はないことを思い知らされる。いくらビアンカに恋をしていても、彼女が自分のことを同じような対象として見ていなければ、そこに結婚の問題は発生しない。ビアンカは弟の結婚を見守る姉として、その役割を果たすべく、リュカのことを考えてくれているのだ。彼女の様子を見て、リュカにはそうとしか感じられなかった。
しばらく酒場で会話を続けていたが、リュカにはその後何を話したのか頭に残らなかった。話せば話すほど、ビアンカが姉として存在していることを思い知らされ、そもそもビアンカに恋心を抱いてしまったことが間違いだったのだと気付かされる。
しかし恋を止めることなど、リュカにはできなかった。酒場で話をしている時も、ビアンカの表情や動作がすべて目に焼きつき、彼女の全てに胸が熱くなった。この感情を止める手立てがあれば教えて欲しいと思った。どうせ叶わない想いならば、ビアンカへの恋はさっさと諦めて、フローラとの結婚を現実的に考えるべきだと思っていたが、ビアンカが横にいる限りそれは不可能だとも感じていた。
軽い食事を済ませ、会話も途切れたところで、二人は酒場を後にすることにした。これ以上一緒に隣で話をしていても苦しくなるだけだと、リュカが店を出ることを言い出し、ビアンカも素直にそれに従った。ほど良く酒に酔ったビアンカは、明るい調子で勘定を済ませ、軽い足取りで店を出て行く。そんな彼女がひっそりとサラボナの町で腹を決めていることを、リュカは全く気がつかず、己の想いだけに囚われていた。
そんな二人が出て行った酒場で、彼らについての話が続けられていたことを、二人は知らない。
「マスター、あの二人って……そうよね」
「ああ、そうだろうね」
店員の女性とマスターの間で交わされるやり取りが、他の席でもちらほらと交わされる。
「とても姉と弟には見えなかったわ」
「若い二人の恋心なんて、隠しきれるもんじゃないよ」
「あー、気持ちいい。夜風って少し酔った時には最高よね」
「そうなんだ。僕には良く分からないけど。経験してみたかったな」
リュカとビアンカは当てもなく町を歩いていたが、自然と向かうところは噴水広場だった。月明かりで充分歩ける明るさだが、噴水広場にはその月明かりが水に反射して、まるで水そのものが明かりのようにきらきらと煌めいている。そして噴水広場から右手には、町を象徴するような大きな教会があり、その大きな扉の前には夜中でも人を受け入れるというように、絶えず明かりが灯されている。まだ宿で休む気にはなれない二人は、自然と明かりのある方へと足を伸ばし、人影もほとんどなくなった町の中をゆっくりと歩いていた。
噴水近くまで来ると、風の向きによっては、絶えず上がる水の勢いに細かな飛沫が顔に当たる。その水の感触に、リュカとビアンカは滝の洞窟でのことを静かに思い出していた。あの冒険がなければ、二人は互いに恋というものに気付かずに過ごしていたはずだった。
噴水の縁に腰を下ろしたビアンカが空に浮かぶ月を見上げる。満月ではないが、町を照らすには十分な明るさを持ち、噴水広場を明るく照らしている。無言で月を見上げるビアンカと同じように、リュカも噴水広場の脇に立ちながら無言で月を見上げる。しばらく噴水の水の音だけが辺りに響く。
「月がきれいだね」
「本当ね」
そう言ったきり、また二人とも黙り込んでしまった。次に話す内容が思いつかず、しかし何か話をしなければと焦る気持ちが互いの胸の中にある。
「サラボナの町で見る月だから、きれいに見えるのかしらね」
「さあ、どうだろう」
リュカは自分で月がきれいだと言っておきながら、今までこれほど月がきれいに見えたことはないと自覚していた。何故これほど月が美しく見えるのか、その理由ははっきりとしている。しかしそれを言う立場にないことも、自覚していた。
「フローラさんとの結婚が決まれば、リュカもこの町の人になるのね。いいなぁ、都会の人になるんだ、リュカ」
ずっと月を見上げながら、都会の町に憧れる娘のようにビアンカはそんな台詞を呟いた。アルカパの町を出て、山奥の村で暮らして数年経つ彼女にとって、サラボナという町はかなり眩しく見えるようだった。
しかしそんなことよりも、リュカにとってはビアンカが既にリュカとフローラとの結婚を祝う気持ちを前面に出していることが辛かった。彼女の気持ちを素直に受け入れ、ありがとうと礼を言うのが正しいことはリュカにも分かっている。しかし彼女に抱いてしまった恋心が邪魔をし、どうしても気持ちが言葉に追いつかない。
「都会の人って言ったって、僕はまたすぐに旅に出なきゃいけないから、ビアンカの憧れるような都会の人にはならないと思うよ」
そう口にするリュカは、まるで他人事のように自分のことを話すだけだった。自分ではない誰かがフローラと結婚し、自分ではない誰かが再び旅に出るかのように、リュカの口調は軽いものだった。自分とフローラの結婚は、まるで別世界で起きることのようだった。
「でも旅の途中で帰ることもあるでしょう。その時、ちゃんと帰る家ができるんだもの。それって大事なことだと思うわ」
「それはそうかもね。でも一度旅に出たら、いつ帰るかなんて分からないよ」
「そんなこと言わないで、ちょこちょこ帰ってあげなさいよ。奥さんを大事にするのって大事なことよ。きっとパパスおじさまもそう思ってるはずよ」
リュカの父パパスが、幼いリュカを連れて旅をしていた理由は、妻マーサを探すためだった。命懸けで旅を続ける父は、恐らく妻マーサのことを心の底から愛していたに違いない。父と母がどのように出会って結婚に至ったのかはリュカには全く分からず、想像もできないことだが、父が母をそれこそ命懸けで愛していたことは疑う余地のないことだった。
夜空を見上げると、明るい月とその明かりに負けじと星々が夜空一面に煌めいている。死んでしまった人は星になるのだといつだか聞いたことがある。父も一つの星になり今のリュカを見ているとしたら、どのような思いで見ているのだろうかと、リュカは今の己の心を覆い隠したい気持ちになった。しかしもし父が今の自分の本当の気持ちを知ったなら、どんな言葉をかけてくれるのだろうかと期待する気持ちもある。
「私たち家族はこの町に住んでたかも知れなかったのよ」
噴水を囲む縁に腰を下ろして、同じように夜空を見上げていたビアンカが思い出すようにそう口にする。彼女は彼女で、死んでしまった母を夜空の星に見ていたのかも知れない。
「ここなら山奥の村の温泉にも通えるし、買い物にも便利だしね。だけどお父さんの身体には静かなところがいいって話になって、山奥の村に住むことになったの」
彼女の告白を耳にし、リュカは彼女に静かに視線を落とした。ビアンカの表情にはうっすらと笑みが浮かんでいる。
「もし私たち家族がサラボナに住んでいたら、もう少しリュカと早くに再会できたのかもね」
ビアンカのその言葉に、リュカは愕然とした。ビアンカがこのサラボナに住んでいれば、もしかしたら運命は大きく変わっていたのかも知れない。どうしてこの町にいてくれなかったのだと、彼女を責める言葉すら口から出そうになるのを、リュカはぐっと堪えた。しかし同時に、ルドマン家が天空の盾を所有し、フローラの結婚相手にその盾を譲るという条件を出す限り、この運命からは逃れられなかったのかも知れないとも考える。
リュカの人生の目的は、父の遺志を継ぎ、母を探すために天空の武器と防具を集め、伝説の勇者を見つけ出すことだ。何物にも代えがたいその目的がある限り、フローラとの結婚は運命で決まっていたことなのだと、リュカは夜空の星に確かめるように強い目を向ける。星々はただ静かにリュカを見守るだけで、何も応えてはくれない。
「でも山奥の村にいたから一緒に冒険できたんだものね。連れて行ってくれてありがとう」
「お礼を言うのはこっちだよ。色々と助けてもらったから」
「何を言ってるのよ。分かってるわよ、私が足手まといだったって。でもきっとリュカなら文句言いながらも連れて行ってくれるって思ったの。レヌール城の夜の冒険の時もそうだったじゃない。あの時は私が行こうって言って、リュカが嫌々ついてきたんだけど、それでもしっかり一緒に冒険してくれたものね」
「行ったらそうせざるを得ないだろ」
「あなたは優しいから……。その優しさでこれからはフローラさんを守ってあげてね」
月明かりを浴びるビアンカがこれまでになく美しく見え、リュカは息をするのも忘れて彼女に見入ってしまった。しかし彼女の言葉は別れの言葉でもあった。ビアンカは明日、リュカとルドマン家での挨拶を済ませた後、サラボナの町を出て山奥の村に帰るのだと決めている。その別れの言葉を、残酷にリュカに告げているに過ぎない。
リュカは静かにビアンカから視線を外すと、腰に下げた道具袋から一つの道具を取り出した。それは滝の洞窟を探索していた時に見つけたエルフの飲み薬という、世界でも希少価値の高い薬だった。炎のリングや水のリングのように、世界に二つとない宝物とは異なるが、それでも長い冒険をしている者でも手に入れるのはかなり困難だと思われる小さな水差しを手に取ると、噴水の縁に腰かけるビアンカに差し出した。
「これ、ビアンカにあげる」
差し出されたエルフの飲み薬を見つめた後、ビアンカは再びリュカの顔を見上げる。
「これって、とても珍しい薬だって話しだったわよね」
「うん、疲れていても一気に体力が回復できる薬だって、マーリンが言ってた」
「そんな貴重なもの、もらうわけにはいかないわよ。それにそういうものだったら、リュカがこれからの旅に役立てればいいじゃない。あなたが持っているべきよ」
そう言って受け取ろうとしないビアンカにリュカは歩み寄り、彼女の手を取って水差しを乗せ、軽く握らせた。
「村に帰ってからも、これがあれば僕たちとの冒険を思い出せるだろ? 村の人たちに話をする時にもちょっとした自慢ができるかもしれないよ」
「そんなちっぽけな理由で私が持って行くわけには……」
「いいから、持ってて」
「それにそんなことを言ったら、リュカこそこれが必要なんじゃないの? あなたはこれからも旅を続けるんだから、その旅の中で私との冒険を忘れないためにもこの薬を持っていた方がいいんじゃない?」
少々ふざけるように言うビアンカに、リュカはそんな彼女の雰囲気には取りこまれず、大真面目に答える。
「僕はいつでも君のことを思い出せるから、大丈夫。もう絶対に忘れることなんてないから」
子供時代に彼女と冒険したことを、リュカは大人になってからその事実は覚えていたものの、正直彼女の顔をはっきりとは思い出せずにいた。気の強い姉のような女の子に手を引かれ、夜の町を抜け出し、子供二人で外に冒険に出たことは強烈に記憶に残っていたが、彼女そのものに関する記憶はかなり薄れていた。しかし滝の洞窟での冒険を経た今では、リュカはビアンカの全てを忘れない自信があった。むしろ忘れたくても忘れられないだろうと、そう思っていた。
しばらく手の中に収まる小さな水差しをじっと見つめていたビアンカだったが、それを再び軽く握ると、視線を下に落としたまま「ありがとう」と呟いた。
「大切にするね。一緒に冒険について行った甲斐があったわ、こんなに貴重なものがもらえるなんて」
ビアンカが始終、どこかふざけた雰囲気を出しているのが、彼女が己の本心をしまいこんで隠してしまっているからだということに、リュカはやはり気付かないでいた。
多少ふざけた言葉でも口にしなければ、ビアンカは自身の心を保っていられる自信がなかった。リュカの大真面目な言葉に、真面目に返答したら、途端に涙が溢れてしまうと、ビアンカは努めて明るく振舞って涙を堪えていた。リュカとの別れを考えるだけで、胸が張り裂けそうになり、人目も憚らず泣いてしまいたいほどだった。
噴水の縁に座っていたビアンカは自分の道具袋にエルフの飲み薬をしまいこむと、絶対に落としたりしないように、袋の口をきつく紐で縛った。そしてまだしぶとく胸の内でくすぶる想いを断ちきるように勢い良く立ち上がると、元気な声でリュカに呼びかける。
「さあ、宿に戻りましょうか。あまり遅くなっても、明日のルドマンさんへのご挨拶に支障をきたすわ」
「そうだね。せっかく町に泊まれるんだし、旅の疲れを取らなくちゃいけないね」
「お互いゆっくり休みましょう」
そう言いながらゆっくりと歩き出すビアンカの後ろを、リュカがついて行くように歩いて行く。夜空に煌めく星々が二人を静かに見守っている。
「明日は僕がヘマをしないように、よろしく頼むね、お姉ちゃん」
「任せといて。私がちゃんと『自慢の弟をよろしく』ってご挨拶するわ」
「ありがとう……ビアンカ」
「姉として当然のことをするまでよ。お礼なんて言わないでよ」
それきり二人の会話は途切れ、宿に向かう間、リュカもビアンカも黙り込んだまま歩き続けるだけだった。互いに隠していると思っている二人の本心を見透かすように、夜空の星はどこか悲しげに光を放っている。
Comment
こんにちは、あてんです。
更新、とても楽しみにしていました。そして、期待通りの素晴らしいお話をありがとうございました。
リュカとビアンカの心の動きの表現のしかたがものすごく上手くて感動しました。私も、bibiさんのような文才が欲しいですね~。
次回はドラクエ5の代名詞とも言える結婚シーンですか……。難しいと思いますが、頑張って下さいね。応援しています!
あてん 様
コメントをどうもありがとうございます。
期待通りというご感想にほっと胸を撫で下ろしています。ほっ。
文才は決してないのですが、好きなゲームなので書きたいように書いています。
なるべく原作を汚さないように……大丈夫かな^^;
次回はルドマンさんのお屋敷でのお話が中心になるかと。
またしばらくお待ちいただければありがたく。気長にお待ちくださいませ~m(_ _)m
更新お疲れ様です! 外はすっかり寒くなりましたね。
読ませて頂いたおかげで、心は大分熱くなりましたが(笑)
いいなぁー、文才をお持ちで羨ましい限りです。
引き続き楽しみにしております。無理せず頑張って下さい!
タイーチ 様
コメントをどうもありがとうございます。
心は大分熱くなりましたか。寒さ対策に貢献できて光栄です^^
文才は決してなく、ただ書きたいだけで書き進めている……それだけです。。
今後もご期待に添えるよう、頑張りたいと思います。次の更新、今しばらくお待ちくださいませm(_ _)m