2017/12/03
父と娘の絆
「どうしてルーラで行けないんだろ」
そう呟くリュカは村に続く山道を一歩一歩進んでいた。サラボナでルドマンが手配した船に乗り、山奥の村近くの水門手前で下船し、それから村に向かって馬車を進めていた。サラボナを出てから既に数日の時が過ぎている。
「お主の心がどこか定まっておらぬから、じゃろうなぁ」
馬車の荷台に座るマーリンがどこか楽しそうに言いながら、スラりんを膝の上に乗せている。スラりんは馬車の揺れが心地よいようで、うとうとと目を閉じかけている。
「心が定まらない……何か心当たりはないのですか、リュカ殿?」
「心当たりって言ってもなぁ、なんだろう、良く分からないよ」
ピエールの言葉にそう応えるリュカだが、考えてみればその原因が分かるような気もした。山奥の村へは、ビアンカの父ダンカンに会いに行く目的で向かっている。彼女が結婚したことと、これから終わりの見えない旅に出ることを改めて報告するため、リュカは仲間の皆と共に馬車を進めている。
ダンカンから『ビアンカは実の子供ではない』ことを知らされているが、ダンカンとビアンカの父娘の間には既に実の子供云々という問題は存在せず、むしろ実の父娘以上の絆が築かれているほど仲の良い親子だ。それは以前、リュカが山奥の村にダンカン宅を訪ねた時に目の当たりにした。ダンカンがビアンカに言葉でやり込められても、彼にはそれを楽しむ雰囲気があった。それはビアンカも同じようで、父との言葉のコミュニケーションを大事にしている節があった。そして二人には互いに思いやる心が滲み出ていた。ビアンカは毎日父の世話を苦も無く行い、ダンカンも娘の元気な姿を優しく見守っているようだった。
しかしダンカンには娘の人生を自分の弱った体のせいで足止めしてしまっているという罪悪感があった。ダンカン宅にリュカが初めて訪れた時、彼はリュカにビアンカを嫁にもらってくれたらと呟いたことがあったが、あれはダンカンの本心から出た言葉なのだと今更ながらに実感する。父として娘の人生を解放してやりたい思いが、ダンカンの中には確実にあった。ビアンカは山奥の村にいながら、父の世話をしながら、常に外の世界に目を向け、冒険に出ることを夢見ていたのだろう。彼女は決して村にいることが苦痛なわけではなく、父の世話が嫌なわけでもない。しかし彼女の根本となるところに、常に冒険心がうずいているのを、父ダンカンが気づかないわけはなかった。それはもしかしたら、血の繋がりのない父娘だからこそ気づき、そして認めることができたことなのかも知れない。
ダンカンは恐らく、これから旅に出る娘を快く応援してくれるだろう。リュカが結婚式の準備のため、シルクのヴェールを村に受け取りに行った際にも、ダンカンは娘とリュカとの結婚に祝福の言葉を表し、心から娘の結婚を喜んでいるようだった。
しかしたとえダンカンが喜んでいるとしても、父から娘を引き離し、自分の人生に連れ回すことになるのは、考えるだけで胸が痛む思いだった。道中、魔物との戦闘も幾度となくある。旅は至極危険なもので、彼女は絶対に危ない目に遭わせないと思っていても、何が起こるかは誰にも分からない。絶対に死なないと思っていた父パパスでさえ、命を落としたのだ。リュカには絶対という言葉ほど儚いものはないと思うところがある。
「リュカ、心が定まらないのは父さんでしょ」
リュカが黙り込んで考えている姿を見ていたビアンカが、察するように言葉をかける。驚いたようにビアンカを見るリュカに、彼女は含み笑いをするような笑みを見せる。
「大事な大事な一人娘を奪うんですもんね~、そりゃあ心も動揺するわよね~」
意地悪そうに言うビアンカに、リュカは睨むような目を向ける。リュカのそんな視線を受けても、ビアンカはそれすらも楽しむように笑顔のままだ。
「父さんに『娘を連れて行くな』って言われたらどうするの? 私を村に置いて旅に出る?」
「本当はそうするのが一番いいんだと思うよ」
すぐさま真面目にそう返事をするリュカに、ビアンカはふざけた言葉を返す余裕を失ってしまった。旅慣れたリュカの冷静で正しい判断に、ビアンカは口を挟むことができず、気まずそうに周りの景色に視線を流す。
二人の頭の中を様々な思いが駆け巡る中、前方を飛んでいたメッキーが警戒の声を出した。近くに魔物の気配を感じ、皆にいち早く知らせる声だった。メッキーの声にリュカは素早く指示を出す。
「ピエール、プックル、マーリンは僕と一緒に外に出ていて。メッキーは外に魔物が来ないか空から見ていて。ビアンカはガンドフと一緒に馬車の中に戻ってて。スラりんはパトリシアを頼むよ」
素早い指示と共に魔物の仲間たちが応じる中、ビアンカは一人リュカの指示に口を挟む。
「ちょっと、私も戦えるわよ。私も外に出て一緒に戦うわ」
「その必要があったら呼ぶから、それまでは馬車にいて」
「どうして初めから戦闘から外すのよ。みんなで一斉に戦った方が……」
「いいから、僕の言うことを聞いて」
「何だか納得行かないわ。どうして馬車の中にいる必要があるのよ」
「……ガンドフ、ビアンカを連れて馬車の中に入っていて」
「ウン、ワカッタ。ビアンカ、コッチキテ」
「ちょ、ちょっと、私の言うことも聞いてよ、リュカ」
尚も食い下がろうとするビアンカを、ガンドフがまるで赤ん坊を抱っこするように抱え上げ、馬車の中へと入れてしまった。ガンドフの怪力に敵うはずもなく、ビアンカは渋々馬車の中で戦況を見守ることになった。外へ飛び出そうにも、ガンドフに包まれるように抱っこされているため、身動きが取れない。
「何なのよ、一体。聞く耳持たないなんて、ひどいわ」
「リュカ、ビアンカ、スキ」
間近で言われるガンドフの言葉に、ビアンカは一気に体が燃えるように熱くなるのを感じた。彼女のそんな変化には気づかず、ガンドフは穏やかな調子で言葉を続ける。
「ビアンカ、ダイジ。ケガ、キライ。アブナイ、キライ」
ガンドフの言うことは、言われる前から分かっていたような気がしていた。リュカがビアンカを危ない目に遭わせたくない思いで、戦闘から外していることを、ビアンカは分かっていた。しかしそれはリュカの一方的な思いで、結婚して共に危険な旅に出ることを覚悟した自分の意思が全く反映されていないと、ビアンカはどうしようもない反発心を抱く。
ガンドフにしっかりと抑えられながら、ビアンカは馬車の荷台から外の様子を窺う。リュカたちが対峙する魔物は金属で作られた兵器のようなもので、四本の足で移動し、右手には剣を、左手には弓矢のようなものを持っている。それらが三体。顔の中心には一つ目のような黄色い光が明滅していて、それが彼らの言語のようにも見える。しかしガンドフのような愛嬌ある一つ目とは違い、冷たく薄暗い黄色の光からはただ不気味さが伝わってくる。
機械のような鈍重な動きではなく、四本の足を使った移動は思ったよりも素早い。三体の兵器メタルハンターは顔の中心にある黄色い光を明滅させて互いに交信を行っているのか、どことなく連携した動きを見せる。三体がまとまって動くことはなく、リュカたちを取り囲むように三方から弓矢や剣を向ける態勢を見て、リュカたちはいつも通り一体ずつ集中して倒すことしたようだ。
「剣で切りかかったら剣がダメになりそうだね」
「呪文で応戦しましょう」
「幸い、あやつらから魔力は感じられん。距離を取っている限り、あの弓矢にさえ気をつければ大丈夫じゃろう」
リュカたちが言葉を交わす最中、メタルハンターの左手のボウガンが突然一斉に矢を放ってきた。三方からの矢の攻撃を避け損ね、一本の矢がリュカの肩を掠めた。一瞬顔をしかめたリュカだが、すぐさま傷の手当てを行い、その手で真空呪文を唱え始める。メタルハンターは一本の矢を放った後は、背中に収める次の矢をつがえるまで少しの時間を要するようだ。その間にリュカの呪文が発動し、メタルハンターは真空の渦に巻かれる。二体のメタルハンターが真空の刃に傷つけられ、一体の剣が途中から折れていた。しかしその事実に特に反応することもなく、メタルハンターは変わらずリュカたちにじりじりと近づいてくる。
剣の折れたメタルハンターに向かって、プックルが飛びかかった。鋭い爪をむき出しにして襲いかかったが、爪を武器にするというよりも、プックルは体当たりを仕掛けるように敵の体を強く押した。メタルハンターはプックルの強烈な一撃を食らい、たまらず吹っ飛び地面に倒れこむ。四本の足を使って立ち上がろうとする時に、マーリンの発動したベギラマの呪文が炸裂した。メタルハンターの金属の体はその熱に溶け、黄色い一つ目の明かりが静かに消えた。
「皆さん、馬車の方へ!」
ピエールの声が聞こえると、リュカ、プックル、マーリンは揃って馬車に向かって駆け出した。その直後、残ったメタルハンター二体に向かってピエールの爆発呪文イオラが放たれ、敵の姿が爆炎の中に消える。地響きするような爆発の後に、煙だけが動く状況を、リュカたちはしばらく見届ける。煙の中で敵が動く気配は感じられない。三体のメタルハンターを倒したのだと思ったリュカは、身体の緊張感を解いて馬車の中を覗いた。ガンドフの茶色い体に包まれるようにして座っているビアンカと目が合い、リュカは思わず微笑んだ。ビアンカもほっとした様子でリュカを見つめる。
しかしその時、パトリシアの鋭い嘶きが響き、馬車が大きく揺れた。スラりんが泣き声のような声を上げ、パトリシアの背中にすり寄る。見れば、パトリシアの背は傷を受け、赤い血が流れだしている。収まる煙の中から、一体のメタルハンターがゆらりと立ち上がり、一つ目の顔の光をオレンジ色に明滅させてパトリシアを見つめている。左手のボウガンには既に次の矢が構えられており、今にも放たれそうな状況だ。
「どうしてパトリシアが……?」
「違う、パトリシアではない。スラりんじゃ」
マーリンはそう言いながらも、呪文の構えを取っている。空から戦況を見ていたメッキーが慌てて降下してくると、パトリシアに回復呪文を施す。突然の痛みにうめき声を上げていたパトリシアも傷の手当てを受けると次第に冷静になり、落ち着きを取り戻してリュカを見た。指示を仰がれるような目で見られたリュカはすぐにパトリシアを大きな木々の陰に移動させようとした。
「スラりんには降りてもらいましょう。どうやら敵の狙いはスラりんです」
マーリンの言葉を引き継ぐように、ピエールも同じようなことをリュカに伝える。リュカは訳が分からないまま、パトリシアの背に乗るスラりんを自分の肩に乗せ、馬車だけを移動させた。マーリンの火炎呪文ベギラマが炸裂し、メタルハンターのオレンジ色の一つ目が激しく明滅する。しかし残り一体の敵はしぶとく動き、再びボウガンに矢をつがえて素早く放ってきた。自分に向かって飛んでくる矢に反応できず立ち止まっていると、リュカは横から体当たりをしてきたプックルに倒され、すんでのところで矢を回避した。
「ありがとう、プックル」
「がう」
地面に投げ出されたスラりんが目を回しながらその場でとどまっていると、草地を異常に早く移動してくる敵と出くわした。メタルハンターの右手につけられた剣が草地を薙ぐように払われ、スラりんは慌てて飛び跳ねてその剣を交わす。オレンジ色に明滅する一つ目は残りの力を全て、目の前のスライムに向かって出し切ろうとしている。最後の力を振り絞るようにスラりんを追いかけようとするメタルハンターから、リュカはスラりんを守ろうと拾い上げると、そのまま馬車の荷台に向かってスラりんを投げた。
リュカには目もくれずスラりんを追いかけようとするメタルハンターを、リュカは横から思い切り蹴った。不意の攻撃を食らったメタルハンターはその場に倒れ、四本の足をばたつかせる。その隙を逃さぬよう、プックルが上から飛びかかり、メタルハンターの一つ目に強烈なパンチを食らわせた。するとメタルハンターの顔が砕けると共に機械から煙が上がり、プシューッという音と共に敵は動かなくなった。
しばらく注意深く様子を見ていたリュカとプックルだが、メタルハンターが完全に動かなくなったと分かると、ようやくその場を離れて馬車へと向かった。馬車の荷台の中では、先ほどリュカに投げられたスラりんがしっかりとビアンカの腕の中に収まっていた。怯える目をするスラりんを、ビアンカはずっと撫で続けて宥めていた。
「メタルハンターはスラりんをメタルスライムと勘違いしたようじゃな」
マーリンが一仕事終えたと言わんばかりに再び馬車の荷台に乗り込んで休もうとする。
「メタルスライム?」
「金属の体を持ったスライムじゃよ。お主、今まで出遭ったことはないのか?」
マーリンにそう言われ、リュカは以前のことを思い出す。ヘンリーとサンタローズの村の洞窟に入ったとき、金属の塊のようなスライムに遭遇したことをすぐに思い出し、あっと声を上げた。
「会ったことがあるよ。暗くて良く見えなかったけど、鉄の塊みたいで、呪文を唱えて火を飛ばしてきた」
「奴らはメラだけは使えるからのう。じゃが好戦的なのは稀で、大方さっさと逃げてしまうんじゃ」
「どうして仲間の魔物を攻撃しようとするんだろ。メタルハンター……だっけ? メタルスライムと仲間じゃないの?」
「倒し辛い相手に対して意識が上がるというか、逃げるものは追いたくなるというか……やりがいを求めるタイプなのかも知れんのう」
「ふうん……変なの」
より強い者に挑みたいという気持ちは全く分からないリュカだが、逃げる者は追いたくなる気持ちは少しだけ分かるような気がした。逃げられると、どうして逃げるのかが知りたくなるというものだ。
「リュカたちでも知らない魔物がまだまだいるのね」
ビアンカは馬車の荷台から下りて、抱えていたスラりんをパトリシアの鞍の上に乗せた。いつもの席に、スラりんもすぐに心が落ち着いたようだった。
「僕なんて知らないことだらけだよ。まだまだ何にも知らないんだと思うよ」
「強い魔物と戦うには、強い呪文を覚えなくっちゃ。私、馬車の中にいる間はしっかり呪文を覚えるようにするわね。次に覚える呪文はどんなものがいいかな~」
どことなく心がうきうきしているビアンカを、リュカは不思議な目で見つめた。戦闘は無事に済んだとは言え、いつ誰が大怪我や最悪の事態を迎えるかどうかは分からない。そんな緊迫した状況だったはずだが、ビアンカはその状況すらも少し楽しむ余裕を見せている。
「ビアンカ殿もやりがいを求めるタイプなのかも知れませんね」
ピエールの言葉にリュカは無意識に頷いていた。
「僕もそう思った。そう言えば小さい頃からそうだったかも」
「私たちの旅には必要なことかも知れませんよ」
「そうだね。僕も少し見習うことにするよ」
「がうがう……」
「無理はするなって? うん、まあ、そうだね。僕は僕のやり方があるかな」
「がう」
「うん、そうするよ。プックルもビアンカが無理しないようにしっかり見ててね」
「にゃあ」
ビアンカの明るさに、魔物の仲間たちは皆良い影響を受けているのだとリュカは感じていた。彼女が一人旅の仲間に加わったことで、旅の雰囲気が根底から持ち上げられたような、一歩も二歩も光に近づいたような感じを覚えたのはリュカだけではないようだ。彼女の存在自体を太陽のごとく感じているのはリュカだけではなく、仲間の魔物たちも同様に感じているのかもしれない。
しかしリュカは一人、気づいていた。ビアンカは至って自然体で太陽のごとく輝いているわけではない。彼女は自分が太陽のようにあるべきだと、どこか自身の役割を認めている雰囲気がある。誰だって常に明るくいられるわけはないのだ。それなのに彼女には常に明るい雰囲気が漂っている。それは彼女がどこかで無理をして明るい雰囲気を作り出しているからに他ならない。
リュカの脳裏には、山奥の村で母の墓の前で手を合わせるビアンカの姿が思い出された。彼女が内包する悲しみは恐らく、リュカが想像するよりも深いものに違いない。母を失った彼女に、リュカは自分の母を探す旅に連れて回ることがとても罪深いことなのではないかと考える。
しかしもう後戻りすることはできない。父を殺され、父の遺志を継いで母を探すというリュカの旅の意味を知った今、ビアンカはリュカの意思に反して旅から離脱するという選択肢は求めないだろう。むしろ彼女は自ら進んでリュカの旅の手伝いをと、手を差し伸べるような女性だ。
馬車の中を覗くと、ガンドフに寄りかかりながら早速呪文書を開いてじっくりと読み込むビアンカの姿がある。リュカの視線に気づくと、首を傾げて「どうかしたの?」と問いかけてくる。
「……ううん、何でもない」
「何よそれ。あっ、そうだ、リュカが使えそうな呪文も見ておいてあげるわね。どんなのがいいかな~」
「あまり難しくなさそうなのを頼むね」
「上位呪文になればなるほど難しくなるんだから、ご希望に添えるかどうかは分かりません」
ふざけた調子で応えるビアンカに、リュカは急に想いが込み上げ、馬車の荷台に上がりこむと一度ぎゅっと抱きしめた。ビアンカの手から落ちた呪文書がリュカの足に当たり、リュカは思わず「いたっ」と声を上げる。
「な、な、なによ、急に。どうかしたの、リュカ?」
「何でもないよ」
足をさすりながら、何事もなかったかのようにリュカは馬車の荷台を下りる。自分でもどうして彼女を抱きしめたくなったのかは分からない。しかし急激に高まる彼女への愛情が抑えられなかった。改めて彼女と結婚して良かったと感じていた。彼女を抱きしめただけで、幸せな気持ちが体中に染みわたり、それがすべて活力に変わる。彼女が内包する悲しみや苦しみも、こうして幸せな気持ちに変えてしまえればいいと、リュカは一人考えていた。
一方、馬車の荷台に残されたビアンカはガンドフにニコニコと顔を覗き込まれ、きまり悪そうに俯いていた。マーリンも言葉はかけずにいるが、どことなくニヤニヤとしている雰囲気がある。ビアンカは彼らの視線から逃れるように、落としてしまった呪文書を手に取り、逆さまにしたまま読み始めていた。
「なんなのよ、もう……」
そう呟きながら、口元に笑みがこぼれてしまうのはどうしようもなかった。もしかしたら一番ニヤついているのは自分なのかも知れないと、ビアンカは右手で頬をパシンと叩いた。
山奥の村近くには相変わらず温泉の臭いが立ち込めていた。リュカは思わずその臭いに顔をしかめるが、ビアンカは村に戻ってきたのだと実感するその臭いに顔を明るくしていた。
「みんなにも村に入ってもらいたいけど……ちょっと難しいかな」
ビアンカの言葉にプックルが珍しく駄々をこねるように彼女の足にまとわりつく。困るビアンカを見て、リュカがプックルの赤い鬣を撫でつける。
「おじさんにもプックルの大きくなったところを見てもらいたいから、後で少し村の外まで来てもらおうか。おじさんならきっと、魔物の仲間たちのこと分かってくれると思うんだよね」
「そうね、なんせ私の父さんだもの。大抵のことには驚かないはずよ」
「ビアンカの行動で常に驚かされてたはずだからね」
「何よ、その言い方。失礼よ、リュカ」
「そうかな。僕、ウソはついてないと思うけど」
「それと気になってたんだけど、リュカにとってはもう“おじさん”じゃなくて“お義父さん”なんだからね。父さんに対しておじさんなんて言わないでよ」
「ああ、そうか。おじさんじゃなくてお義父さん……」
口にしては見るものの、リュカにとっては未だ父と言う存在はパパス一人だけだ。父と言う存在に限らず、パパスと言う存在を超える人物に、リュカは恐らく今後も出会わないだろうという確信がある。それほどまでにリュカの中で父パパスの存在は絶対的で、一生かかっても父を超えることはできないだろうと思っている。
「パパスおじさまと比べないでね」
まるで自分の心を読み取られるビアンカの言葉に、リュカははっとして彼女を見た。それほど分かりやすい反応をしていたのだと、リュカは少し自分の行動を反省する。
「比べてるわけじゃないけど、まだ実感が沸かないよ。ダンカンさんが僕の親になるなんて」
「それもそうよね。でもきっと父さんもリュカが息子になったことを喜んでくれるはずよ。さあ、行きましょう」
「うん。じゃあみんなは待っててね。出発はもしかしたら……明日になるかも」
「出発と言っても、次に行く場所は決めているのですか?」
ピエールの言葉に、リュカは言葉を詰まらせた。とにかく山奥の村に来てダンカンに結婚の報告をし、その後のことはまだ何も考えていない。
「ゆっくりしてきたらええ。ここらは山深い土地じゃから、ワシらはいくらでも自由に過ごせそうじゃ」
「ココ、キノミ、タクサン。ガンドフ、ウレシイ」
山奥の村に訪れる旅人はそうそうおらず、また山深い場所であるため身を隠すところはいたるところにある。パトリシアと馬車を安全なところに留めてしまえば、仲間の魔物たちは自由にそこここを行き来できるほど過ごしやすい土地のようだ。
「村にいる間に次に行くところも考えておくね」
「じゃあ行ってきまーす」
リュカとビアンカは仲間の魔物たちにそう言って手を振ると、村に向かって歩き出した。
山奥の村にはいつも通りの平穏な時が流れている。湯治の場所として知られるこの村には外から移り住んでくる者もおり、村人たちは旅人に対しても優しく穏やかに接する。村の外からやってくる二人の姿を見つけた村人は、常に見せる笑顔を顔に浮かべ、二人を出迎えようとした。しかし歩いてくる二人の内、女性の姿をまじまじと見つめると、その表情は喜びに変わり、大きな声でその名を呼んだ。
「ビアンカちゃん! おかえり、よく無事に戻ってきたね」
「長い間留守にしてごめんなさい。みんな、変わらず元気にしてるかしら」
「村は変わりないよ。ダンカンさんも何だか以前よりも調子が良くなってるみたいだし」
そう言いながら畑仕事をひと段落していた男性は鍬を担ぎながら、ビアンカの隣に立つリュカの姿を遠慮なく見つめる。リュカが説明をしようと口を開きかけると、先にビアンカが話し始めた。
「この人はリュカ。私の幼馴染……じゃなくて、もう旦那さんだね」
「それじゃあビアンカちゃんの結婚相手ってのはこの人かい?」
山奥の村人たちの中には既にビアンカが結婚したことを知っている者が多数いる。以前リュカが山奥の村へシルクのヴェールを取りに行った際、ダンカンにビアンカとの結婚を認めてもらったと同時に、ダンカンが村人たちに話をしていたようだ。ダンカンはそれは嬉しそうに娘の結婚のことを話していたという。
「早くダンカンさんのところへ行っておやり。首を長くして待ってるよ」
「そうさせてもらうわ」
「こりゃあ今日は忙しくなるぞ~」
村人の男性は今日の畑仕事は休みだと言わんばかりに持っていた鍬を放り出すと、そのまま村の中へと駆けて行ってしまった。男性の後ろ姿をぽかんと見つめるリュカを見て、ビアンカが笑い出す。
「さあ、父さんのところに行きましょう」
「う、うん……」
ダンカンの家に着くまでに何人もの村人がビアンカが無事に村に戻ったことを喜び、夫となったリュカも快く迎え入れられた。ダンカンがリュカのことを良く話してくれているようで、初めてリュカと言う青年を見た村人も、まるで旧知の間柄のようにリュカのことを受け入れる雰囲気があった。リュカは押されるような雰囲気に戸惑いを覚えつつも、まるで疎外感を感じない村人たちの温かい対応に感謝する思いだった。
ダンカンの家は村の奥まった場所に建っている。向かう途中、人の気配がまるで消えてしまう場所がある。リュカはビアンカの様子を窺いながら、右手に広がる墓地を見やった。昼前の時間、墓地には日が当たり、物寂しげな空気が和らいでいるようだった。
「後で寄るわ」
リュカが何かを言う前に、ビアンカは先にそう告げた。言葉を返してくれない愛する亡き者と向き合うのには、恐らく涙が必要不可欠だろうと、ビアンカは感じていた。父に泣き顔を見せるわけにはいかないと、心の中で母に謝りながらも墓地には寄らず、先に父に会うことを選んだ。ビアンカのそんな思いが、リュカにも少し分かったような気がしていた。
墓地を過ぎると間もなくダンカンの家が見えてくる。高床式の家の入口までは梯子階段を上る構造で、ビアンカはもう何年もそうしているように慣れた様子で階段を上っていく。続いて上るリュカはふと高床式の家の下に置かれる木箱やらリヤカーやらを目にした。そこに人影が見えないことに、無意識にもほっと安堵のため息をついていた。
上った先、入口のドアの前には、ダンカン宅に住み着いた猫が呑気そうに寝そべっていた。久しぶりに帰ってきたビアンカの姿に、まるで小さい頃のプックルのように足にまとわりついて、にゃあにゃあと甘えるような声を出した。
「ただいま。ちゃんとごはんはもらってた? 今日は特別良いものを出してあげるからね」
そう言って猫の首をくすぐるように撫でると、ビアンカは長い間家を空けていたという雰囲気を感じさせずに、普段通りに元気よく家のドアを開けた。
「ただいまー!」
ビアンカの大きな声が家の中に響き渡る。少ししてから右手にある部屋のドアが開くと、予想よりも数段元気そうなダンカンが姿を現した。そして娘の姿を見るなり、娘にしか見せないような穏やかな笑顔を見せる。
「おお、おかえり。よく無事で戻ったな」
「リュカたちが一緒だもの、何の問題もないわよ」
「頼りになる旦那様というところかい?」
「ちょっと抜けてるところがあるけどね」
ビアンカがそんなことを言う隣でリュカが憮然とした表情をするのを、ダンカンは楽し気に見ている。
「リュカ、良くここへ寄ってくれたね。ありがとう、感謝するよ」
「そんな……おじさんとの約束だったし、それに……」
「リュカ、“おじさん”じゃなくて、“お義父さん”でしょ。あなたはもう私たちと家族なのよ」
ビアンカにそう言われ、リュカは思わず言葉に詰まる。言い淀むリュカに、ダンカンが笑いながら話しかける。
「パパスの代わり……とはなれないかも知れんが、それでもパパスに甘えられなかった分、私に甘えてくれていいんだぞ、リュカ」
ダンカンのその言葉に、リュカはダンカンと生前の父の関係を垣間見た気がした。リュカ自身、まだ子供だった頃に父を亡くしてしまったため、パパスと言う人物を全く知らないままでいる。父の本当の姿を覗けたのは、サンタローズの洞窟奥深くで見つけた遺言とも呼べる手紙と、父が命がけで探したであろう天空の剣という遺物からだ。父が母を探して旅をしていたことをその時に知り、生前の父の人生の一部が見えた気がした。しかし知った事実はそれだけだ。父がどのような人物だったか、客観的事実は何一つ知らずに今までを過ごしてきてしまった。
「サラボナで無事に結婚式は挙げて来たんだな?」
「とっても素敵な式だったわ。父さんも来てもらいたかったけど……」
「リュカにも来てほしいと言われたんだがね。さすがにサラボナまでの船旅に体が耐えられそうもなかったから遠慮させてもらったよ」
ダンカンはそう言いながら、居間のテーブルに着いて息をついた。一見元気そうに見えるダンカンも、少し立ち話をしただけで疲れが出るようで、大きく呼吸をして調子を整えている。そんな父を見て、ビアンカは思い出したように台所に向かうと、すぐにお茶の支度を始めた。
「リュカも座ってて。お茶でも飲みながら座って話をしましょう」
お茶を入れるカップを出し、呪文で火をつけてやかんを火にかけると、そのままダンカンの部屋へと姿を消した。父が服用している薬を取りに行ったようだった。
リュカはダンカンの横に椅子を持ってくると、隣に腰を下ろしてダンカンの背をさすった。深い呼吸をしていたダンカンが次第に落ち着いてくるのを見ると、リュカは安心したように笑みを見せる。
「ありがとう、リュカ。優しい息子を持って私は幸せ者だな」
ダンカンの柔らかい声がリュカの胸に響く。リュカの中ではパパスが父であり、それは唯一の存在なのだと思っていた。常に自分のことを気遣い、大した怪我もしていないのに回復呪文を施したりするほど、言わば過保護とも見れるようなパパスの行動は、息子のリュカにしっかりと愛情として伝わっていた。何が何でも息子を守り抜くという、どこか鋭さすら感じるパパスの父としての愛情とは別に、ダンカンの愛情は子供たちを見守るという穏やかなもののように感じられた。どちらが強い愛情なのか、一概には比べられない。鋭い愛情には親の強い意志が、穏やかな愛情には親の覚悟が必要だ。ダンカンには一人娘を嫁に出す覚悟と、新しく息子となったリュカを信じる覚悟があるのだ。それはもしかしたら、パパスが今も生きていて、大人になった自分を傍で見てくれていたら感じることのできた愛情なのかも知れないと、リュカは想像した。
「ビアンカとの結婚を許してくれて、ありがとうございます。……お義父さん」
ダンカンを父と口にしてみて、リュカは初めてダンカンの家族の輪に入れたような気がした。
「これから色々なことがあるかも知れないが、二人で幸せな家庭を築いてくれ。な」
ダンカンに肩をぽんと叩かれ、リュカは小さく「はい」と返事をして頷いた。
ぶつぶつと数を勘定しながら戻ってきたビアンカが、眉をひそめながら薬の入った袋を手にしている。そしてその表情のまま父に話しかけた。
「父さん、薬の飲み忘れがあるんじゃないの? 何だか数が合わないわ」
「おや、そうかい? しかしそれほど調子も悪くないし、薬を減らしても良い頃なのかも知れんぞ」
「またいい加減なことを言って……ちゃんとお医者様に診てもらってからにしてよね、そういうことは。自分で勝手に決めないで」
「はいはい、分かったよ。今度しっかりと診てもらうことにしよう」
「私はまた旅に出るつもりだけど……大丈夫なの? このままじゃ心配で旅に出るどころじゃないわ」
小言を言いながら台所に戻って茶の支度をするビアンカに、リュカがすかさず話しかける。
「ビアンカ、そのことだけど、君はここに残っていてもいいんだよ。無理に僕の旅につき合うこともないんだから」
リュカの言葉に、ビアンカはしばらく彼に背を向けたまま黙っている。ただ茶を用意する音だけがカチャカチャと鳴っている。リュカは彼女の背中をじっと見つめ、言葉を待つ。
「リュカはそれでいいの? 私がここに残っていた方がいいの?」
ビアンカがそう聞いてきたことに、リュカは内心たじろいだ。彼女のことだから勢いよく『一緒に行くに決まってるじゃない』とでも言ってくるのかと思っていたのだ。彼女の本心はもしかしたら、この村に、父の傍に残りたいのではないかと、リュカは唐突に不安に駆られた。彼女と結婚し、共に旅に出られる喜びをより感じていたのは自分の方だったのだと思い知らされた。
「僕は……一緒に来てほしいよ。でも君がここに残りたいなら、そうするのが良いと思う」
リュカは自分の感情と、それとは切り離した事実と、両方を彼女に伝えた。ビアンカは茶をカップに注ぎながら、まだリュカたちには背を向けたままだ。素直な気持ちを伝えたとは言え、彼女が『やっぱり父さんが心配だからここに残るわ』などと言って来たらどうしようと、リュカは祈るような気持ちで彼女の後姿を見つめていた。
ビアンカが盆にカップを三つ乗せてテーブルへと歩いてきた。表情は無く、カップの中の揺れる茶をただ見つめているような状態だ。そんな彼女の無表情を見て、リュカはますます言葉が掛けられなくなった。
カップを父とリュカの前に置き、自分も席に着くと、ビアンカはリュカではなく、父に向かって話しかけた。
「父さん、私もね、本当は父さんの傍について看ていてあげたいの」
「ああ、分かってるよ。お前はとても優しい子だというのは、母さんの次に父さんが知ってるよ」
ビアンカの言うことが分かっているかのように、ダンカンは穏やかな調子で娘の言葉に応える。
「父さんが心配なのよ」
「ありがとう。お前のその気持ちがあれば、私は十分だ」
「離れている間に何があるのか分からないって考えるだけで、辛いわ」
「ああ、そうだね。私もそうだ。お前の身に何かが起りはしないかと、お前がまだ赤ん坊のころからずっと心配だった」
娘の不安が現れる言葉に、父はその不安を和らげるようにすぐに言葉を返す。ビアンカは父の返事を支えに、ようやく言わなければならないことに辿り着く。
「でもね、私、リュカを好きになっちゃった」
そう言いながら、ビアンカは目に浮かんでいた涙をテーブルの上に落とした。
リュカと結婚することになり、彼がこれからも終わらない旅を続けることが分かっていて、自分も彼の旅についていく気でいるのは今も変わらない。結婚し、夫婦になるということは、人生を共に生きるということで、父と母がずっとそうしてきていたのをビアンカは目にしている。アルカパで宿屋を営んでいた時も、山奥の村に越してきてからも、父と母は常に共にあった。ビアンカにとっては、そんな父と母が理想の夫婦なのだとどこか憧れを抱く気持ちを持っていた。自分もいつか誰かとそんな夫婦になりたいと、心のどこかで常に夢を抱いていた。
しかしそれが、親と離れて巣立つということを、ビアンカは想像していなかった。親は常に近くにいるものだと感じていて、自分の傍を離れるものではないと思っていた。母を失った時、ビアンカはこれ以上ない喪失感に襲われた。それは今でも続き、母の墓参りをする度にその気持ちが波のように押し寄せ、涙が出るのを抑えられずにいる。それほど自分はまだまだ子供なのだと、ビアンカは思う。
そして病気で体の弱い父を村に残して旅立つことは一体どれだけ罪深いことなのかと考えると、ビアンカはリュカと共に旅立つつもりでいた気持ちが萎れていくのを嫌でも感じる。リュカに『村に残っても良い』などと言われると、ますます自分の行動が身勝手で父を傷つけてしまうのかと、困惑してしまう。同時に、リュカは何が何でも自分と一緒にいたいとは思わないのだろうかと、悲しい気持ちも押し寄せる。
「娘の足を引っ張りたい親なんてどこにいるもんか。それに夫婦ってのは一緒にいてこそなんだ。一緒に暮らして、いろんなことを一緒に経験して、そうして積み上げて、ようやく夫婦の形を作っていくものなんだよ」
ダンカンには娘の優しさがひしひしと感じられた。この上なく好きになった青年と結婚し、この上なく幸せな今を迎えたというのに、長年共に過ごしてきた父と言う存在が彼女のこれからの幸せを邪魔しようとしている。父親を大切にしてくれる娘の心に、ダンカンは正直な嬉しさを感じると共に、娘の人生がようやくこの家から羽ばたこうとしている現実と向き合わなければならない時なのだと、ひっそりと自分に言い聞かせていた。
「父さん……ごめんね」
「何を謝ることがあるんだ。お前がリュカと結婚して、夫婦として一緒に旅をするのは当然のことだろう」
「私もそうだと思う。思うけど、やっぱり、ちょっと辛いね」
ビアンカが泣き笑いのような表情を見せて俯くのを、リュカは同じような表情で、ダンカンは見守るような目で見つめる。
「夫婦と言う旅には終わりがないんだよ。リュカが無事にお母さんを見つけて旅を終えても、お前たち夫婦の旅はまだまだ続くんだからな。ましてや子供を授かって家庭を築くようになったら、それはそれは大変なものになるぞ」
ダンカンはこれまで自分の感じてきた事実を、明るい調子で二人に告げる。親の役目はあくまでも子供の人生を応援することなのだと、彼らの気持ちを浮上させようと努める。
「父さん、私がいて大変だったの?」
「ああ、そりゃあ大変だったさ。こんなお転婆な娘なんだから、毎日ヒヤヒヤしていたよ」
「……ひどいこと言うじゃない」
「だけどそれ以上に楽しかったさ。人生でこれ以上楽しいことなんかないって思うほどね。子供ってのはそういうものだよ。色んなものを運んできてくれるんだ。それまでの人生が霞んでしまうほど、特別で、ワクワクするものをね」
話しているうちに、ダンカンは話している言葉すべてが真実で、それはもう亡くなってしまった妻も共有していたものだと感じていた。娘が結婚し、自分のもとを離れるという現実と向き合ったからこそこんなことが言えるのだと、目の前の二人に感謝する思いだった。
「ビアンカ、これからは思う存分自分の人生を楽しんできなさい。そうしてくれるのが私は一番嬉しいんだ。子供が楽しんでくれることが、親にとっては何よりも大事なことなんだから」
ダンカン自身、娘がこの村を離れ、旅立ってしまうことを寂しがる気持ちがないわけはない。娘が旅に出てしまった後、果たして自分の生活や気持ちがどうなるのか、まだ分からない部分もある。しかしそれ以上に、娘の人生をこの場に踏みとどまらせてしまう不安の方がよっぽど大きいのだ。
「父さん、本当にありがとう。今まで育ててくれてありがとう。リュカのお母さんを無事に見つけて、必ずここに戻ってくるわね」
「お義父さん、ビアンカを絶対に守り抜きます。僕が死んでも、ビアンカだけは守ります」
リュカは本心からそうダンカンに誓った。自分の命は惜しくないと、常に思って生きている。ただ自分は父の遺志を継ぎ、その役目を果たすために今もこれからも生きなくてはならないと感じているだけだ。そしてこれからは、妻となったビアンカのため、という新たな役割が自分の命に課せられたのだと感じている。
そんなリュカの真剣な思いに、ダンカンが気づかないわけがなかった。しかしリュカのそのような悲しい考え方に、賛同するわけにはいかなかった。死んだリュカの父パパスのためにも、リュカには自分の人生を生き、人生を楽しまなくてはならないという義務がある。
ダンカンの知るパパスは勇猛であり、誠実であり、サンタローズの村でも一番に信頼できる男と呼べるような人物だった。しかしそんな完璧な人格者とも見える裏側で、彼は常に幼い息子を旅に連れていくことに悩んでいた。まだ何も知らない息子を、己の人生に巻き込んでいることに、常に自責の念に駆られていた。だから尚のこと、パパスは息子リュカに自身の人生を生き、楽しんでもらいたいと思っているはずだ。
「おいおい、リュカよ、君が死んだら娘を守れないだろう。君も、何が何でも生きるんだ。生きて娘を守ってくれよ」
ダンカンはにこやかに笑いながらリュカにそう伝えた。この局面でも笑いの雰囲気を作れるダンカンに、リュカは尊敬の念を抱いた。この場で最も辛い思いをしているのは恐らくダンカンなのだ。
リュカが何かを言おうとする前に、一口茶を飲んだダンカンが身を前に乗り出しながら、楽し気に彼らに聞く。
「そうだ、サラボナでの結婚式のことをもっと詳しく聞かせてくれないか? ビアンカはちゃんと花嫁らしくしていたかね?」
「何よ、その言い方。失礼じゃない。私だってそういう時になったらちゃんとするわよ」
「本当かねえ。せっかくきれいな花嫁衣裳を用意してもらったのに、大股で歩いたりしていなかったかい? 勇ましい花嫁なんて笑われてしまうからね」
「ビアンカは……とても綺麗でした。この世の物とは思えないくらい……」
「リュカ、人を化け物みたいに言わないでよ」
「え? い、いや、そう言うつもりじゃ……」
「あっ、そうだ。ルドマンさんに結婚式の時の衣裳を頂いたのよ。せっかくだもの、父さんにも見てもらいましょうよ」
ビアンカはそう言いながら名案を思いついたというように両手をパンと合わせると、自分で入れた茶を一口も飲まないまま席を立ち、まるで風のように家を出て行ってしまった。残されたリュカとダンカンは互いに目を見合わせて、同時に笑い合う。
「相変わらず気の早い娘だ。私たちに何の説明もなしに行ってしまった」
「でも楽しそうですね、ビアンカ。彼女が楽しくいてくれるのが一番です」
リュカがダンカンと話しながらのんびりと茶を飲んでいると、再び玄関の扉が勢いよく開き、ビアンカが憮然とした表情でリュカを見る。
「ちょっと、リュカの分の衣裳もあるんだから一緒に来てよ。私一人で持って来させるつもり?」
「え? だって君が何をしに行ったのか分からなかったから……」
「衣裳を取ってくるのよ。さっきの話で分からなかったの? さあ、行くわよ」
そう言ってビアンカは席を立ったリュカの手を引っ張ると、再び家の玄関を出て行った。よろめきながら連れていかれるリュカの後ろ姿を見ながら、ダンカンは幼い頃の二人の姿を見ている気分に浸り、一人静かに茶をすすった。
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[…] 父と娘の絆 […]
今回の父娘の話はプレイ中にも気になっていた部分なので、こうして文字で読めて凄く嬉しいです。
一般的な二次小説は短編が主流なので、こういう細かいエピソードまで拾ってくれるビビさんの作品は本当に貴重だと思います(*´∀`)
ピピン 様
コメントをどうもありがとうございます。
長年育ててきた親に挨拶もなしで新婚旅行に行くのはどうかと思ったので、結婚後はまず山奥の村に寄ってみました。
細かく書いているつもりですが、これでもかなり端折って書いています。全てを書こうとするとキリがないので……と言うか、私の体力が持たないという^^;
次作も山奥の村でのつづきの話になります。鋭意制作中……。いや、まだ一文字も……^^;
ビビ様!
ダンカンの望みは二人が幸せになること。
そして、本当は血の繋がりのないビアンカをダンカンは、実の娘のように愛していたからこそ、親友パパスの息子リュカに貰って貰うことが、ダンカンの望み…。
分かっていたことですが、ビビ様の小説を読んで、改めてそう感じましたよ!
久々の戦闘で、まさかビアンカを馬車の中に入れちゃうなんて…ビビ様も読者の心をムズムズさせて来ますね(笑み)
てっきりビアンカも戦闘に加わるんだと思ってました(汗)
これからビアンカを戦闘に入れる描写を書くのが難しくなっちゃいませんか?(汗)
ケアル 様
お読みいただきましてありがとうございます。
今回の話ではビアンカ視点(子供視点)もそうですが、ダンカン視点(親視点)を描きたかったので、その辺りを感じていただけたようで良かったです。大事に育てた一人娘が結婚して、これから旅に出るだなんて、親としてどんだけの覚悟なんだろうと思っていたので。
ビアンカさん、ちょっと馬車に入っていてもらいました。次回は新しい呪文でも覚えてもらって、戦闘にも参加してもらおうかな。と言うか、彼女が勝手に馬車から出てくるかも知れません(笑
ビビさん
これでもですか…!
でも思えば自分も、ストーリー進行に全く関係無くてもついつい寄り道してたので気持ちは分かります。
5はつくづく妄想力を刺激される作品ですよね(笑)
ピピン 様
そうです、これでもです(笑
私がもう少し若ければ、もうちょっと細かく書けるのかも知れません。あ、でも、もう少し若かったらここまで考えられないかも、経験値が少なすぎて……(汗
つい寄り道をしたくなりますよね、ゲームでも。しかしこちらでは寄り道はそこそこにして、ストーリーを進めていきたいと思います。
あ、でもアルカパには寄る予定です。これはもう、避けられない(避けちゃイカンだろ)と思うので^^
ビビさん
やっぱりプレイした時期によっても見えてくるものは違いますよね。
子供の頃だったらこんなにハマったかどうか…(笑)
アルカパ…それは否が応でも期待しちゃいますね。
何がとは言いませんが、後々の重大な伏線ですもんね( ̄▽ ̄*)
ピピン 様
ドラクエ5を初めてプレイしたのは子供の頃ですが、大人になってまたプレイしてみると、その時とは違う感覚でプレイできますよね。
私の中では、トトロがそれかな~と。トトロって大人になってから見ると、知らず涙が……と言う感覚があります。
アルカパはドラクエ5をプレイする方にとっては絶対にする寄り道だと思うので、しっかりと(?)書く予定です^^