2017/12/03

砂漠の城

 

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砂漠の旅の最中、リュカたちは細かく地図を確認し、目的地であるテルパドールの位置を見誤らないように努めた。砂漠の景色は余りにも単調で、丘の形やちらほらと見える枯れ木に多少の違いがあるとは言え、砂漠全体を眺めていると、果たして自分たちは本当にこの地図に描かれている南の大陸にいるのだろうか、船で下りたのは全く異なる大陸だったのではないだろうかと不安になることが多々あった。あまりにも続く砂漠の景色に、長い夢でも見ているのではないかと、厳しい現実から逃げ出したくなることもあった。しかしひっきりなしに鳴る腹の音は現実で、途中で見つける水場での水の潤いは確実に身体に染みわたった。
あと一日半ほど歩けばテルパドールに着くところまでリュカたちは馬車を進めていた。しかしまだ建物らしき影はどこにも見えない。見えるのは変わらない砂漠の景色だけだ。全てが見渡せるというのに、何も人口的なものが見えないとなると、進む方向を間違えているのかも知れない。リュカたちはもう何度目になるか分からない現在位置の確認を行う。
「でもさっきの水場がここだったから、間違いないよね」
「今の時刻で太陽があの位置で……」
リュカがピエールと共に地図を睨んでいると、急に聞き慣れた音が飛び込んできた。砂漠の旅では何度も見舞われている砂嵐の音だ。いつもは遠くから現れ、徐々に近づいてくる砂嵐の唸り声が、今はすぐ近くで鳴り始めた。見ればリュカたちの周りにあっという間に砂嵐が巻き起こり、一切が見えなくなってしまった。砂嵐は太陽の光すらも遮り、今まで体に感じていた熱も奪い、一気に寒さを連れてくる。もしかしたらこれは魔物の襲来かも知れないと、リュカは大声を上げて仲間たちを呼び寄せ、馬車から離れないようにと指示を出した。
生憎、魔物に壊されてしまった馬車の荷台は使えず、辛うじて荷物が置ける程度だ。まるでリュカたちのいる場所を中心として突如発生した砂嵐は、四方八方から風を浴びせ、馬車の荷台の影に身を潜めようにも嵐に対して影になる場所がなかった。とにかく体を丸め、目を閉じ、ひたすら嵐に耐えるしかない状況に、リュカは自分の体温が徐々に奪われていくのを感じた。自分のマントはパトリシアの頭に巻きつけ、彼女を砂嵐から守る役目を果たしている。すぐに止むだろうと思っていた嵐は、これまでにないほど長時間にわたって吹き荒れた。
リュカが気がついた時には、嵐は止んでいたが、夕闇も訪れようとしていた。自分を包む温かい温度は、プックルの腹だった。隣にはビアンカがいて、目を開けたリュカの顔を覗き込んで疲れたような笑みを見せた。
「ああ、良かった。起きたのね、リュカ」
ビアンカの声が嗄れている。彼女に早く水を飲ませなければと、そう言おうと思ったリュカだが、声が出なかった。出るのは咳だけで、咳が出ると喉が異物感に襲われ、さらに咳が出る。止まらない咳に苦しくなり、リュカがめまいを起こす傍ら、ビアンカが器に水を入れて持ってきた。
「ゆっくり飲むのよ。私も起きた時にそうなって、とても辛かったの」
ビアンカに言われる通り、リュカは差し出された水を少しずつ飲み始める。まるで一滴一滴が喉に染みわたるようで、喉のひりつきが徐々に収まるのを感じた。
「この水をゆっくり飲んで、飲み終わって少ししたら話せるようになると思うわ。それまでしばらくプックルと休んでて」
そう言うと、ビアンカはゆっくりと立ち上がり、歩いて行ってしまった。行った先にはマーリン、ピエールがおり、三人で何やら地図を見ながら話をしている。リュカもすぐに話に加わりたかったが、少しでも動くとまた咳が出そうで、仕方なくビアンカに言われた通り与えられた水をゆっくり飲むことに専念した。
あとほんの少しで飲み終わる、と言うところで、リュカはすぐ近くで鋭い視線を感じた。プックルが横目でじとりと水の残った器を見ていた。リュカの視線に気づき、プックルはぷいっと他所を向くが、少しするとまたリュカの手にある器を見てしまう。
「いいよ、プックル。あげるよ」
まるで自分の声ではないような嗄れた声に驚いたが、リュカはもう喉のひりつきが収まったからと、少し水の残った器をプックルの口の前に置いて、立ち上がった。そして地図を見ながら話をしている三人のところへ歩いていく。
「ごめん、僕だけこんなことになっちゃって」
「ううん、リュカだけじゃないの。みんな同じような状態だったのよ」
激しい砂嵐の最中、皆それぞれ身動きも取れずに、何もできない状況だったため、揃って眠り込んでしまったということだった。順々に目が覚め、それぞれが砂に苦しみ、馬車に残っていた水を含んでようやく話せるようになったのだ。リュカが口にした水で、馬車に残された水は尽きてしまっていた。
「何を話してたの?」
「どうやらさっきまでの砂嵐で、辺りの地形が少し変わったようなんじゃ」
「それでもやはりここからテルパドールの建物は見えませんね」
ピエールとマーリンの間に入り、リュカは地図を見る。現在位置にマーリンの指先があるが、その位置はもうテルパドールの城のごく近くまで来ている。しかし辺りは一面砂漠の景色が広がるだけで、人工的な建物の影は何も見えない。その状況は先ほどと何ら変わりはない。
「ポートセルミで聞いたテルパドールの位置って、ここで合ってるわよね?」
「うん、そのはずだけど……でもこれだけ大きな地図だから、多少のズレはあるのかも知れない」
「この大きな地図での多少のズレは、かなりのズレということになりますね」
「しかもどっちにズレているのかも分からんとなると、近くを皆で手分けして調べた方が良いかも知れんぞ」
マーリンの提案にすぐに反応したのはメッキーだが、彼一人に任せるにはあまりにも広大な砂漠だ。万が一、メッキーだけがはぐれてしまってもいけないと、リュカは組を組んで手分けして辺りを確認することにした。リュカはプックルと西側を、ピエールとガンドフとメッキーは東側を調べることになり、ビアンカとマーリン、スラりんは馬車のところで待機することになった。
「そっちは来た道を戻ることになりそうだけど……」
「何か見落としているところがあるのかも知れません。それに砂丘の形が少し変わってしまったようです。もう一度しっかりと調べてきます」
そう言いながら、ピエールはガンドフの右腕に抱えられていた。ピエールの緑スライムは砂漠の地を歩くとすぐに砂まみれになってしまうため、誰かに砂地から離してもらわねばならないのだ。
「何かを見つけたら、こっちはプックルが、そっちはメッキーが鳴いて知らせるようにしよう」
「ッキッキー!」
「がう」
互いのすべきことを確認している間にも、リュカは馬車の荷台に寄りかかっているビアンカの様子を窺っていた。彼女のことだから、『どうして私を一緒に連れて行かないのよ!』などと怒るだろうと思っていたが、彼女はずっと砂漠の景色をぼんやり見つめるだけで、何も反応を示さない。
「嬢ちゃん、どうしたんじゃ? いつもだったら『私も連れてってよ!』なんて言い出しそうなもんじゃが」
マーリンも同じことを思っていたようで、ぼうっとしているビアンカにいたずら心半分、心配する気持ち半分でそう問いかける。マーリンの言葉に、ビアンカがはっと顔を上げ、まるで現実に戻ってきたような顔をして仲間たちに焦点を合わせる。
「うん、そうよね。でもここでパトリシアと馬車を守るのだって立派な役目だわ」
「ピー、ピキー」
「ねぇ。ほら、スラりんだってそう言ってるじゃない。私はここでしっかりパトリシアを見てるわ。だから、気を付けて行ってきてね」
そう言いながら笑いかけるビアンカだが、その笑顔にもどうしようもない疲労が漂っている。本当は一緒に行って砂漠の城を見つけたい思いがあるのだろうが、そこまでの気力がもう彼女には残されていないのだと、リュカは妻の頬を撫でる。
「疲れてるよね。早くテルパドールの城を見つけて戻るからね」
「疲れてるのはみんな同じよ。でも、ごめんね、私だけこんなに……」
元気のない彼女を見ていられず、リュカは彼女の言葉を遮るように大きな声を出す。
「早くお城を見つけてそこで休もう。お城があるくらいだから、きっと広いオアシスもあってみんなも休めるはず。さあ、プックル、行こうか」
「がうがう」
「ピエールたちもよろしくね」
「かしこまりました。ガンドフ、よろしくお願いします。メッキーも何かを見つけたらすぐに知らせてください」
「ガンドフ、オシロ、ミツケル」
「メッキメッキ!」
仲間たちの残っている元気に支えられ、リュカはプックルと共に西の砂漠へと歩き出した。
酷い砂嵐は砂漠の地形をも変えてしまっていた。少し進むと一面が小高い丘になっていた。砂漠の丘を越えるにはかなりの体力を消耗するからと、リュカはなるべく平らな地を進もうと考えたが、彼らの進むべき方向には見渡す限りの丘が続いている。まるで海を行く船が大波に襲いかかられるような、行く手を阻む砂丘だった。
「……行くしかないみたい。プックル、大丈夫?」
「……ふにゃあ……」
リュカの問いかけに、プックルはもう子ネコのような声しか出すことができないようだ。
「弱気にもなるよね。でも行くしかないよ。この丘を越えないと向こう側が何も見えないもん」
「ゴロゴロゴロ……」
「僕がプックルをおんぶなんてできないだろ。無茶言うなよ」
「……がう……」
「うん、頑張ろうね。きっとあの丘を越えれば……何があるか分からないけど、何もないかも知れないけど……いや、きっと何かあるよ。そう考えないと進めないや」
リュカはかなりの急斜面になる砂丘に足を踏み入れ、砂に沈む足を一歩一歩引き揚げながらゆっくりと進み始めた。プックルも足にまとわりつく砂を時折払いながら、もはや無心になりながら砂丘を上る。
激しい砂嵐は砂丘に波上の紋様を描いており、そこに人と獣の足跡だけがくっきりと残る。だがそれはとても美しいと言えるものではない。一歩進んでは半歩戻りという、進んでいるのかどうかも疑わしいような無数の足跡がつくだけだ。少しでも休もうとすれば、生き物のように砂丘の砂が襲いかかり、一気に下まで引きずり戻されそうになる。リュカとプックルはもう何も言葉を交わすことなく、ただひたすら丘を越えることだけを考えて歩き続けた。
途中から、リュカは丘の上すら見ないまま歩き続けていた。目の前にあるのは砂だけで、時折風に吹かれて右から左へ流れていく。そして自分たちのつけてきた足跡を徐々に消していく。リュカとプックルの足跡は既にほとんどが消えていたが、二人がそれに気づくことはなかった。
どれくらいの時間をかけて丘を登り続けたのかは分からない。しかしいくら時間がかかったところで、大して進んでいないのは明らかだった。丘を越えた時に、またその先に広大な砂漠が広がっていたらどうしよう、いや、更に大きな丘が立ちふさがっていたらどうすればいいのか、リュカは徐々に大きくなる不安を抱きながらも、ひたすら足だけは動かし続けた。
ふと目の前の砂の景色がなくなった。足元だけを見つめて登り続けた砂丘の先の空が見えた。空は赤く染まり、夕焼けが訪れていた。砂丘を登りきった感覚はないまま、リュカは砂丘の頂上からの景色をぼうっとする頭のまま見渡した。
そこには赤く照らされた四角いものが建っていた。明らかに人工的な形で、それがテルパドールの城だということは誰にでも分かった。遥か遠くからでも見つけることができるほど、テルパドールの城は巨大で堅牢な造りをしているようだ。しかしテルパドールの城は周りを高い砂丘に囲まれ、まるで自然の要塞に囲まれているような場所に建てられていた。リュカとプックルが登り切った砂丘を越えなければ、テルパドールには着けなかったのだ。
城の周りにはまるでそこにだけ魔法がかかったように、緑の木々や草が生い茂っていた。かなり広大な土地のオアシスの端には、人々が住まわないような土地も見られる。リュカは仲間たちも休めるその環境に安心し、一気に体中から疲れが噴き出るのを感じた。
「プックル、みんなを呼ぼう。お願いできるかな」
「がうがうっ」
任せとけと言わんばかりに言うプックルの目は、もう眼前に迫るテルパドール周辺のオアシスから離れない。目を血走らせるプックルは大きく息を吸い込むと、勢いをつけるために前足を大きく上げて上体を反らせた。
「がっ……ああっ!? がうーーーー!」
叫びながら、プックルはテルパドールに向かって砂丘を滑り落ちて行ってしまった。テルパドールに向かうにも、上ったものと同じくらいの急斜面が続いている。その坂をプックルが一気に滑り落ちていく。みるみる遠ざかる仲間の姿に、リュカは互いに一人になるのは危ないと、自らも下りの砂丘に足を踏み入れた。すると見ているよりもかなり危険な滑りに、リュカは内心『下りるんじゃなかった……』と思いながら、砂丘を滑り下り、と言うよりも転がり落ちて行ってしまった。



「プックルの呼ぶ声とは思えんような声が聞こえたから、何事かと思ったわい」
「まるで悲鳴でしたね。でも二人とも無事で何よりです」
「みんなもよく頑張ったね。特にパトリシアとガンドフはお疲れさま。ここならゆっくり休めるだろうから、しばらくゆっくりしててね」
リュカの言う通り、パトリシアとガンドフはもう身動きも取れないほど疲れ切っていた。パトリシアは馬車の荷台を引いて、ガンドフは荷台を押しながら、あの急斜面の砂丘を登り下りしてきたのだ。下りる時などは、ガンドフが荷台を支え、パトリシアが荷台を引きながら後ろ向きで下りてくると言う、信じられない連携をやってのけた。他の仲間は皆、砂丘を滑り落ちてきたため、今はオアシスの草で体にまとわりついた砂を取り払ったりしていた。唯一空を移動できるメッキーも、砂丘の上に着いた時には飛ぶ力もわずかだったため、仲間たちと一緒になって砂丘を滑り降りて来たのだった。
皆が辛うじて生きているという状態だった。ビアンカも、元気な時であればあの砂丘を楽しんで滑り降りてきそうだが、さすがの彼女にもそんな余裕はなく、ただただ必死だった。身を丸めて、マントで体を包むようにして砂丘を下った。遠くて表情は分からなかったが、ビアンカが何かに不安を感じている様子がリュカには感じられた。
しかし今はテルパドール周辺のオアシスで水を得て、木になる果物も食べ、かなり回復したようにいつも通りの笑みを見せていた。彼女のいつもの笑顔が見られたのは久しぶりのような気がして、リュカは思わず胸を撫で下ろしていた。
「さーて、テルパドールに着いたはいいけど、まずは馬車をどうにかしないとね」
元気になった途端、これからの旅の心配をするビアンカは根っからの冒険好きなのだ。まずは休むところを探そうという気にならないところが、彼女の凄まじいところだと、リュカはそんな妻の様子に嬉しさを感じる。
「馬車を直すのを依頼するのは……私たちには手伝えそうもありません」
いつもは真面目に一緒になって考えてくれるピエールだが、まだ余裕がないようで、いつになく他人事のように話すだけだった。実際、ピエールとスラりんは砂漠の旅で最も疲労していた。ガンドフとパトリシアは体力的に極限に疲労していたが、それとは別にピエールとスラりんは身体にまとわりつく砂のせいで呼吸することも辛いような状況が続いていた。スラりんは馬車の荷台の隅に乗れるほど小さく、大した重みもないため、旅の最中は大よそ荷台やパトリシアの背に乗っていたりしたが、それでも風に乗って運ばれる砂のせいで体中がからからに乾いていた。ピエールに至っては、馬車の荷台が壊れてからというもの無理をして砂漠を歩き続けたため、テルパドールに着いた頃には緑スライムの大きさが半分ほどに小さくなってしまっていた。今はテルパドールのオアシスに辿り着き、水を得たため、いくらか元の大きさに戻っているようだ。
「とりあえず行ってくるよ。この国にも旅をしてくる人がいるんだから、馬車を直してくれる人もいるはず……って、もう夜だけど、馬車を直してくれるような店って開いてるのかな」
リュカの言う通り、もうテルパドールは夜の闇に包まれていた。しかし夜空に広がる満点の星空と、輝くような大きな月の明かりは、旅慣れたリュカたちにとって十分辺りを見渡せる明るさだ。
「開いてなかったら、先に宿を探しましょう。大丈夫、行けばどうにかなるわよ」
「そうだね。だけど馬車を直すのにいくらかかるんだろう……。お金、全然ないんだよね」
「お金はきっとどうにかなるわよ。と言うか、どうにかしましょう。さあ、テルパドールのお城へ行きましょう!」
ビアンカは新しい国を見てみたくて仕方がないらしく、リュカの手を引っ張ってテルパドールの城へと意気揚々と歩き出してしまった。リュカは彼女が元気ならばそれでいいかと、深いことは考えずに共に城へと向かった。
テルパドール城周辺の土地は砂地ではなく、ごつごつした岩でできており、久々に固い地面を歩く感覚にリュカもビアンカも歩き方がぎこちなくなっていた。しかし砂に足を取られないというのはこれほど軽い足運びになるのかと、ビアンカはその場でぴょんぴょんと跳ねたりしていた。
「元気そうだね、ビアンカ」
「まあね。元気が取り柄ですもの。……ああ、でもね」
「何?」
「最近、私ちょっと熱っぽい気がするのよね。カゼひいちゃったかな……」
そう言いながら額に手を当てるビアンカを見て、リュカが顔色を変える。
「そんなことなら、馬車のことは後にしてまず宿を探そう。そこで君は休んでいたらいいよ。馬車のことは僕が誰かに修理を頼んでくるから」
「あー、やっぱり言わなきゃよかった。そう言われると思ったのよね」
「何だよ、それ」
「きっとあれよ、砂漠の熱に当てられて体が火照ってるだけよ。ごめんね、変な言い方をして。大したことはないから、私も一緒に歩いていてもいい?」
「本当に大丈夫?」
「大丈夫だってば。それに私が大人しく宿で休んでいるとでも思う? 宿に置き去りになんてしたら、一人でどこに行くか分からないわよ」
「……それは、そうかも。でも絶対に無理はしないでね」
「水と果物のお陰で元気になったんだから、せっかくの新しい国を歩き回らないと損だわ」
ビアンカとしては、新しい土地に来たというのに、大人しく宿で休んでなどいられない、と言ったところだ。砂漠の国を訪れるという目的自体を楽しみにしていた彼女だ。砂漠の国に住む人たちと話をし、新しい物事に触れることは彼女の人生の楽しみなのだ。
テルパドールの民は皆、旅人に親切だった。この砂漠の国を訪れる旅人は少なく、テルパドールの民にとっても旅人と出会う機会は楽しみなのだ。まるで外界から切り離されたような場所に住むテルパドールの民は、それ故に旅人に親切で、何か聞かれれば丁寧に答えてくれる。リュカたちが馬車の修理はどこに依頼するのがいいかと聞くと、一人の男性が『それならば武器屋の主人に頼むのがいい』と場所も細かく教えてくれた。宿屋も同じ道沿いにあるらしいが、反対側のため後で訪ねることにした。
テルパドールの武器屋は一軒だけで、そこは防具屋と併設された石造りの建物だった。テルパドールの建物は全て頑丈な石でできており、時折起こる砂嵐にも十分耐えられるものだった。砂嵐が起こる時には窓とカーテンを閉めて、建物の中はほぼ暗闇になるという。用があれば、火を灯し、その明かりのなかで用を済ませる。砂漠の旅で砂嵐を経験したリュカたちにとっては、それも理に適っているなと納得できた。砂嵐が一たび起これば、視界は完全に遮られ、目も開けていられず、完全な暗闇に等しい状況になり、しかも体温まで奪われるのだ。それに比べればこの石造りの建物の中にいるだけで、そこは天国にも思えるのではないかとリュカは砂嵐の凄まじさを思い出していた。
武器屋の看板を確認し、リュカはビアンカと店の中に入った。店の中はそれなりに広く、見たこともないような武器も様々並べられていた。建物の中には小さな窓から月明かりが差し込む。夜になって肌寒さを感じる外気になったが、建物の中はほんのり温かさが感じられた。建物の壁に触れると、まるで石自体が温度を持っているようだった。
「いらっしゃいませー」
武器屋の主人はいかにも頑固な性格を現したような、顰め面しい顔つきをして店の奥で武器の刃を研いでいる。とてもその主人から発せられたとは思えない挨拶に、リュカとビアンカは互いに目を見合わせた。すると店の奥から姿を現したのは、まだ十歳ほどの男の子だった。愛想のよい笑顔で、二人のお客を見上げている。
「武器を買いに来たんですか? それとも他の用事?」
まるで店番をしているかのようにしっかりとした子供の対応に、ビアンカは思わず顔を綻ばせながら少年と話を始める。
「武器も見たいんだけど、私たちの馬車が壊れちゃってね。ここでは馬車も直してくれるって聞いて来てみたんだけど」
「馬車の修理ですね。ちょっとお待ちください」
普段から店で注文を受けているのだろう、少年は慣れた調子で客のビアンカと話すとそのまま店の奥へと戻って行った。そしてじっくりと武器の刃を研いでいた店の主人である父親に伝えると、今度は顰め面しい顔のまま少年の父親がリュカたちのところへと歩いてくる。
「まずは馬車の状態を見ないと直せるかどうかも分かんねぇよ」
言葉遣いも粗暴で、素っ気ない態度を見せる武器屋の男に、ビアンカがムッとしながら言い返しそうになるのをリュカが止める。
「荷台が魔物に潰されてしまったんです。車輪の部分は無事で、幌を張った上の部分が……」
「ああ、それじゃあ千ゴールドは下らねぇな」
話の途中で提示された金額に、リュカもビアンカも黙り込んでしまった。到底払える金額ではない。そんな二人の様子を見て、武器屋の男は改めて二人の旅人の姿を見る。そして再びぶっきらぼうに話しかけた。
「金がそんなにないんだったら、とりあえず半分でいいよ。あとはツケといてやる」
「あ、でも、その半分もなくて……」
「なんだぁ? ここまで旅してきてすっからかんになっちまったのか。金好きの魔物にでも襲われたのか?」
「金好きの魔物がいるんですか?」
「知らねぇよ、そんなこと。いるかも知れねぇだろ」
言葉遣いはとんでもなく粗雑なのだが、男の性格が粗雑ではないのだと感じられる。金のない旅人を相手にしたくなければ、初めに金額を提示したところで旅人を追い返し、話は終わっていたはずだ。
「でもどうしても馬車を直して旅を続けなきゃいけないんです。お金が必要だったら働くので、どこか働く場所を教えてもらえませんか?」
「働く場所ねぇ。そう言うのは城の中で聞いてもらった方が……」
「父ちゃん、この人なら大人の男の人なんだから、武器を作るのを手伝ってもらってもいいんじゃないかな」
「バカヤロー! 武器ってのはそう簡単に作れるものじゃねぇんだ!」
「でもクラリス姉ちゃんには……」
「クラリス姉ちゃん?」
少年が言う名を耳にし、リュカとビアンカは同時に聞き返した。二人が知るクラリスは、今ポートセルミの町で踊り子として名を上げている女性だ。彼女はこのテルパドールの国からポートセルミに来たのだと話していた。よく見れば、目の前の少年にはクラリスと似たような面影が見られる。
「クラリス姉ちゃんを知ってるの?」
「多分、同じ人だと思うわ。あなたとどことなく似ている気がするもの」
リュカがクラリスと言う娘をポートセルミの町で見たと話すと、それを聞いた武器屋の主人が仕上げにかかっていた刃を取り落とし、リュカに憮然とした表情を向ける。
「なんだって? クラリスと言う娘をポートセルミで見たって?」
「はい、多分そうだと思います。ポートセルミの町で綺麗な踊り子さんとして舞台に立っていましたよ」
リュカの説明に、武器屋の主人は顔を真っ赤にし、落としていた武器の刃を派手に蹴りつけた。
「バカヤロー! そんな娘は知らねぇぞ! オレのガキはこいつ一人よ!」
あまりの怒りように、リュカもビアンカも呆気にとられ、返す言葉を失ってしまった。息子である少年も父の怒りに触れまいと、静かに黙り込んでいる。怒鳴り声を上げた後、武器屋の主人はまた作業に戻り、蹴り飛ばした刃を拾い上げると再び黙々と磨き始めた。その様子にビアンカが遅れた怒りを感じ、わざと武器屋の主人に聞こえるようにリュカに耳打ちする。
「あの人、ムリしちゃって。心配してるのが見え見えよね」
「なんだとっ!?」
「何よ。だってどう見たってそんなの強がりじゃない。心配してるなら、クラリスさんの様子を私たちに素直に聞けばいいのに」
「だからそんな娘は知らねぇって言ってんだろ!」
「知らないも何も、良く見たらあなたとクラリスさん、そっくりですよ」
「何がそっくりだってんだ!」
「何もかもです。見た目もどこか似てると思うけど、どことなく……そう、面倒見が良い雰囲気が似てるかな」
「面倒見がいいって何のことだよ。別にオレはお前たちの面倒なんか見ちゃいねぇぞ」
武器屋の主人の口調はやはりつっけんどんだが、しっかりとリュカの目を見ながら話をしている。その目は隠し切れない人としての優しさがにじみ出ている。
「でも武器屋の仕事をしながら、馬車を直してくれたりするんですよね。それって見ず知らずの旅人の面倒を見てくれてるってことじゃないですか。それにお金が払えないなら、ツケにしていいから後で払いに来いなんて、なかなか言わないと思います。だって、相手は全く知らない旅人なんですから。払いに来るかどうかも分からないじゃないですか」
「そうよね。実際に払いに来なかった旅人だっていたんじゃない?」
ビアンカの指摘に、武器屋の主人は黙り込んでしまった。あまりにも素直過ぎる反応に、リュカは思わず気遣うような視線を向ける。
「僕たちは絶対に後で払いに来ます。この国で何か仕事を見つけて、お金を稼いで、払いに来ますから……馬車の修理をお願いできますか?」
このテルパドールに着いたばかりで、まだこの国がどのような国なのかも分からないリュカだが、旅を続けるには馬車を直さなくてはならないのは事実だ。馬車の荷台が潰れたまま旅を続けることはできない。再びこの広大な砂漠を越え、大陸東に停泊させている船に戻るには、馬車を修理することが必須条件だった。
「……その、ポートセルミの娘は踊り子をやってるだって?」
武器屋の主人の声は小さく、耳を澄ませていないと聞き取れないほどだが、リュカにもビアンカにも男の思いと共に声は届いた。
「はい、あそこでは人気の踊り子さんで、かなり有名みたいです」
「人気の踊り子ねぇ……。はんっ! とんでもねぇ破廉恥娘だな、人気の踊り子なんてよう……」
「ちょっと、何よその言い方。ひどいじゃない、自分の娘なんでしょ」
「だからそんな破廉恥娘なんざ知らねぇよ! オレのガキはこいつ一人だって……」
「いい加減にしなさいよ!」
武器屋の男の態度にビアンカが本気で怒りだすことはリュカにも分かっていた。そしてそれはどうせ止められないもので、止めたところで怒りが増幅するだろうと、リュカはじっと横で様子を見守っている。
「自分の娘が元気で暮らしているんだから、それでいいじゃない。大怪我をしてるわけでもなく、病気にかかってるわけでもない。とっても元気に暮らしているわ。それの何がいけないことなの? それにね、言っておくけど、あなたの想像する踊り子さんとは違うのよ、クラリスさんは」
「何だよ、それは。どういうことだよ」
「男の人を虜にして手玉に取って……なんて考えてない? 悪いけど私も初めはそんなイメージだったわ。だけどクラリスさんは違うの。あの人は、何ていうか、とっても輝いてるのよ。だって女の私が彼女の踊りを見て、とても綺麗だって思ったもの。それって特別なことだと思わない? 全くいやらしさなんて感じなかったわ」
「あんた、クラリスの踊りを見たのか?」
「ええ、この目でちゃんと。ポートセルミの劇場で、いろんな人が集まるところで、彼女、とっても堂々と踊ってたわ。かっこよかった。踊り子っていう仕事に誇りを持っているのね」
ビアンカの言う通り、クラリスの踊りは芸術的なものを感じた。指の先、足の先まで魂が入り込み、真剣な表情には妖艶さよりも研ぎ澄まされた美しさが現れていた。クラリス自身、踊ることが好きで、あのポートセルミの舞台に立っている時は彼女が最も輝いている時に違いなかった。
「仕事に誇りを持つって言うことだったら、あなたも同じじゃないんですか? 武器屋の仕事に誇りを持ってやっているんですよね」
「そりゃあそうよ、仕事に誇りを持たないヤツなんて仕事をする資格もねぇ」
「誇りを持って仕事をしているのは、クラリスさんも同じですよ。きっとそう言うところも似てるのかも知れないですね」
大真面目にそう言うリュカに、武器屋の男は考え込むように黙り込んでしまった。もうクラリスと言う踊り子が自分の娘ではないと否定する意識はないようだ。今となっては娘の今を知りたい、それだけだった。
「あんたらがポートセルミを出たのはいつ頃だったんだ?」
「もう二月以上前になるかしら」
「その時はクラリスは元気にしていたんだな。ポートセルミに住んでいるんだな」
「そうみたいです。あそこは劇場と宿屋が同じ建物だから、宿屋の部屋を借りてるかして暮らしてるんじゃないかな」
「そうか、ポートセルミの宿屋……」
リュカにもビアンカにも、男が考えていることはすぐに分かった。しかしそれをあえて言うと、男が反発するに違いないと、何も言わずにただ男の次の言葉を待つ。
「父ちゃん、クラリス姉ちゃんに手紙を書こうよ! 手紙なら海を越えて届くんだろ?」
「んあ!? ……ああ、まあ、そうだな。考えておくか」
考えていたことを息子に言葉にされ、少々しどろもどろになる武器屋の主人を見て、リュカは安心したようににこやかに見つめ、ビアンカは顔を背けて笑いをこらえていた。
「でもよう、手紙を書くにしたってなんて書きゃいいんだろうな」
「そんなの、何だっていいじゃない。『元気にしてるか?』だって、『風邪は引いてないか?』だって、何だっていいのよ」
「そんな同じようなことを何遍も書けるかよ、バカバカしい」
「バカバカしいなんて思うかしら、親からの手紙を。手紙が届くだけで嬉しいに決まってるわ」
「お互い生きてるんだから、生きてるうちにちゃんと言葉を伝えあってください。思ってるだけじゃ何も伝わらないんです、たとえ親子でも。だからバカバカしいからって、そんなバカバカしい理由で手紙を書かないなんて、止めてください」
武器屋の主人がただの意地で娘への連絡を取らないなどと言うことは、リュカには考えられないことだった。大切な人が生きているというだけで、どれだけ特別なことなのか、彼に分かってほしかった。武器屋の主人も、そのような現実は分かっているはずなのだ。だからポートセルミで娘のクラリスが無事に暮らしていると分かった時、彼は隠し切れない安堵を顔中に表していた。
「だが手紙なんて出したこともねぇから、どうやって出しゃいいんだろうな」
「僕が誰かに聞いてきますよ。あっ、そうだ、それならついでに僕も手紙を書いて出そうかな」
「誰に書くの?」
「ヘンリーとマリアに。お義父さんにも。それとルドマンさんにも出しておいた方がいいかなぁ」
「あっ、それいいわね。そうしましょうよ。何て書こうかしらね。私はフローラさん宛にも書こうかな」
「じゃあ手紙を書いたら僕にください。聞いて回れば手紙の出し方も出す場所も絶対に分かるはずですから」
旅を続けるリュカにとって、知らないことを見ず知らずの人たちに聞きまわるのは日常だ。そうしなければ旅ができないのだ。何も知らないままで旅をするのは自殺行為に等しい。
「あ、ああ、じゃあ、あとで頼む」
すっかりリュカのペースにはまった武器屋の主人は、もうクラリスを完全に自分の娘と認め、そのうえ手紙まで出すことになってしまった。しかし男は二人の旅人にこれ以上ない感謝の気持ちを抱いていた。ずっと胸の内で心配していた娘の行方が分かり、元気に暮らしていることも分かり、そのうえ娘と連絡を取ることができるかもしれない事態になり、彼の心はまるで羽根でもついたかのようにふわふわと浮いていた。
「ボクもクラリス姉ちゃんに手紙を書いてもいいんだよね?」
「あたりめぇよ。何を書いたっていいんだ。お前のヘタクソな絵でも描いてやれ」
「じゃあ早速どこで手紙を出したらいいか、聞いてきますね」
「おい、ちょっと待て」
武器屋の主人に呼び止められ、リュカは振り向いて彼を見る。
「お前たちの馬車、持って来ておけよ」
「え?」
「直してやる」
「でも、状態を見ないと分からないって……」
「何言ってやがんだ。俺に直せないものはない。何が何でも直してやるから、持ってこい」
「本当ですか!? とても助かります。あ、でもお金はちょっと待っててください」
「金なんざいらねぇよ。これは……礼だ。俺からの礼だ。ありがたく受け取っておけ」
何に対する礼かをはっきりとは言わない主人だが、素直に『礼だ』と言った男に対しリュカも素直に『ありがとうございます』と言って受け取ることにした。
「じゃあ私たちが馬車を持ってくる間に手紙を書いておいてくださいね。ちょっと離れたオアシスに止めてあるので、時間がかかると思うけど……」
「ああ、分かった。さて、何を書いてやろうかな……」
そう言いながらもどこか楽しそうにしているクラリスの父親を見て、リュカもビアンカも微笑ましい気持ちを抱きながら一度武器屋を後にした。



馬車の修理を依頼しに武器屋に戻ったのはもう夜も遅い時間だった。子供は既に眠りに就いていたが、クラリスの父はまだ起きて作業を続けていた。明かりを手にして馬車の状態を確認したクラリスの父はしばらく考えたのち、修理に最低でも一週間ほどはかかると見積もり、その頃にまた来るようリュカとビアンカに言い渡した。手紙は父子とも既に書き終えており、リュカは大事にそれらを受け取ると、必ずどこかで出してくると約束をした。
「夜には城には入れねぇんだ。だから宿に泊まって、朝になったらまた城に行ってみな」
宿賃の心配までしてくれたクラリスの父だったが、それくらいの手持ちはあるはずだと、リュカとビアンカはそのまま武器屋を後にした。砂漠の城周辺はひっそりと静まり返り、ほぼすべての人々が一日を終えている。少しの風の音すらも聞こえるほどの静かな夜の中、二人はテルパドールの宿屋に無事辿り着いていた。
「宿に泊まるお金、ぎりぎり足りて良かったわね」
「でも明日からはここに泊まることもできないよ。何かしてお金を稼がないと」
二人が宿屋のカウンターでそのような話をしていると、宿屋の女将が旅に疲れた二人の若者の姿を見て声をかけてきた。
「この国でお金を稼ごうと思うなら、とりあえずは女王様にお会いになることだね。話はそれからだ」
「女王様ですか?」
「おや、知らないのかい? このテルパドールが旅人に優しいのは、女王様がそうさせてるからだよ」
話を聞くと、テルパドールの女王は国を訪れる旅人を全て快く受け入れると言う。その精神が国全体に根付いており、テルパドールの国民は皆旅人に優しい。テルパドールの国は広大な砂漠を幾日にも渡って旅をし、疲労の限界に達したところでようやく辿り着くような場所にある。自然の要塞の中に創られたテルパドールをわざわざ侵略してくるよそ者もいない。そもそもそれほど過酷な土地の国を攻めたところで、何か有益なものが得られるとも思えない。故にテルパドールは外敵の侵入を恐れず、来るものは拒まずの精神が女王を始め、国民にも根付いているようだった。
宿屋の女将も親切で、リュカとビアンカは素泊まり分の金しか払えなかったが、夕食にと少しのパンとスープを提供してくれた。二人が手紙はどこで出すのかと話をしていると、それはここで請け負ってると、クラリスの父と子供の手紙と、リュカとビアンカの手紙を受け取ってくれた。宿に泊まってくれれば手紙代はサービスだと言って、手紙の代金は受け取らなかった。リュカとビアンカは宿の女将の親切にも助けられ、翌朝元気を取り戻して意気揚々とテルパドールの城に向かうことができた。
城に近づいて見ると、広大な砂漠の中に一体どうやってこのような巨大で堅牢な城を造り上げたのかと、二人とも思わずため息が出るほどだった。堅牢な外見とは裏腹に、城への出入りは自由で、二人の外にもちらほらと旅人と思われる人間が城に出入りしているようだった。
「こんなところにお城なんて、本当によく建てられたと思っちゃうわ」
ビアンカの隣で、リュカは複雑な思いを抱いていた。砂漠のただ中にこれほど巨大な城を建てるには、それだけの労働力が必要だ。それを考えると、リュカはどうしてもあのセントベレス山の奴隷たちを思い出してしまう。奴隷を経験してしまったリュカとしては、この巨大な城にどれだけの人が関わり、どんな思いで働いていたのだろうかと、城の建造に関わった人々の思いを考えてしまう。
「お二人も旅の方ですか?」
城を目の前にして、二人は誰かに呼びかけられ振り向く。そこにはローブを身にまとった長身の男性が柔和な笑顔を見せていた。
「昨日着いたばかりです。これからお城を訪ねるところなんです。あなたは?」
「私は旅の吟遊詩人ですが、この城に来てみて本当にびっくりしました。この城には勇者にまつわる色んなことが語り継がれているみたいですね」
吟遊詩人を名乗る男性も二人と同じように旅人で、すでにこの国にしばらく滞在しているらしい。この砂漠を旅する辺り、彼も何か目的を持ってこの砂漠の城を訪れているのだろう。
「ついでに勇者もここにいてくれればいいんだけど、そういうわけには行かないわよね」
ビアンカの言葉に、吟遊詩人の男性が目を大きくして驚く。
「なんと、勇者をお捜しなんですか?」
「はい、ここには勇者のお墓があるって聞いたんで、それなら行ってみようということで」
「勇者様のお墓……私は残念ながら見せていただけなかったのですが、そういうことでしたら女王様にお話するのがいいでしょうね。女王様にしか入れない場所のようですから」
旅の資金が底をついた二人はこの国で働かなければならないため、ちょうどテルパドールの女王に会いに行くつもりだった。勇者のお墓も彼女の管轄下にあるとなれば、話をするにもちょうどよいと、彼に女王の居所を聞き城の中へと入っていった。
「お城の中はひんやりして涼しいわね。生き返った気分だわ」
外の灼熱地獄とは違い、テルパドールの城の中は涼しい空気に満ちていた。城の中の人々は汗一つかいておらず、ここが砂漠の真っただ中だということを忘れさせてくれる。城の壁を触ってみると非常に冷たく、城の中の涼しさはこの城を造る石が生み出していた。城の中を乾いた涼しい風が吹き抜ける。
女王は上階の玉座の間にいると聞いたリュカたちは、上り階段に向かって歩いていた。城の中は広々としていて、華美な装飾もなく、目立つ彫刻もない。かなりすっきりとした建物の中、テルパドールの民たちは旅人であるリュカとビアンカににこやかに挨拶をしてくれる。城の中に住む者たちも旅人に優しい。
階段脇に立つ兵士も決して強面の男ではなく、旅人がやってくるのを見るとにこやかな笑顔を見せる。
「我らが女王アイシス様は旅人の訪問を心より歓迎いたします」
それがまるで挨拶の言葉のように、兵士はリュカとビアンカをすんなりと二階に通した。女王が旅人に優しくするという精神が、城の兵士にも行き渡っているようだ。
二階に上がると、どこからか大きな声が響いてきた。それはまるで城の中で魔物との戦闘が行われているかのような激しいものだが、響いてくるのは声だけだ。一体何事かと、リュカとビアンカは声のする方へと早足で歩いていく。
声のするところで足を止めると、そこには頑丈な両開きの扉が片側だけ開けられており、扉の脇には城の兵士が一人立っている。兵士がリュカとビアンカの二人を見ると、やはり明るい笑顔を向けて気さくに話しかけてくる。
「ややっ、旅の人ですね。ようこそテルパドールへ」
「あの、ここから大きな声が聞こえたんですが、大丈夫ですか?」
「ここは兵士たちの訓練所です。再びこの世界に勇者様が現れるその時まで……。伝説の兜をお守りするのが我らテルパドールの民の使命なのです」
何気ない兵士の言葉に、リュカとビアンカは同時に息を呑む。
「伝説の兜って……天空の兜のことですか?」
そう言いながら、リュカの鼓動は早まっていた。この国に勇者の墓があるとは聞いていたが、まさか天空の兜があるとは思いも寄らなかった。
「おお、ご存知でしたか。そうです、伝説の勇者様にだけ装備することを許された、天空の兜。私も一度目にしたことがありますが、あれはとんでもなく神々しいものでした」
そう言いながらうんうんと頷く兵士は、過去に見たことのある天空の兜の美しさを思い出して改めて感動しているようだ。
「ここに兜があるってことは、そのうち伝説の勇者様が現れたら、テルパドールに来るってことかしら?」
「そのはずです。悪しき魔王を倒すべく、勇者様は我が国でお守りする兜を求めてこの地を訪れるでしょう」
「伝説の兜を求めていつか勇者がやってくるなら、ここで待っていた方がいいのかもね」
いつものビアンカらしくない消極的な『待つ』と言う考えに、リュカが彼女に訝し気な目を向ける。
「ビアンカ、待てる?」
「ううん、待てない」
リュカが問いかけると、ビアンカは一も二もなくすぐにそう返事をした。
「そう言うと思ったよ。僕も待てない。それに僕たち、まだ鎧を見つけてないじゃないか。伝説の勇者だって、いつどうやって現れるのかも分からないしさ」
「分からないことだらけだものね。それだったら自分たちで答えを見つけに行かなきゃ気が済まないわ。待ってるのは性に合わないわよねぇ」
二人の旅人がまさか天空の剣と盾を持っているとは露ほどにも考えない兵士は、何だか分からない二人の会話をただ笑みを湛えながら聞いていた。
「兜が国に守られてるなら安心だね。僕たちが旅に持っていくよりもよっぽど安全かも」
「そうね。伝説の勇者様が現れるその時まで、ここで安全に保管してもらいましょう」
「それじゃあ引き続きよろしくお願いします。大事に守り続けてください」
「あ、はい。分かりました。伝説の兜は我が国にお任せください」
テルパドールの兵士には勇者の伝説を守るという使命に誇りを感じている者が多いようだ。しかしその割にはあまりにも穏やかで、いざ敵に襲いかかられたら果たして立ち向かえるのかと、リュカは兵士たちに漂う呑気さに少々不安を覚えていた。
先に進むと、更に上階に上がる階段があった。階段を上ると、そこは外だった。屋根もなく、壁もない、まるで広いテラスのような場所だった。突然外の灼熱地獄に放り込まれたリュカとビアンカは、うだるような太陽の熱に一瞬目眩を覚える。実際、白っぽい建物が太陽の光を反射し、辺りには眩いばかりの景色が広がった。
目が慣れてくると、ようやくテラスの景色が見えるようになった。そこには大きな柱が数本並び、そして正面には人が二、三人座れそうな大きな玉座があった。しかしそこに座っているはずの女王の姿がない。まだ目が慣れないだけで、その姿が確認できないだけなのかと、リュカは目を擦ったが、やはり女王はそこにいなかった。
「ようこそテルパドールの城へ」
聞こえてきた声は女性のものだった。女王は玉座に座っていないだけなのかと、リュカもビアンカも辺りをキョロキョロと見渡す。数本並ぶ柱の影に、女性が二人頭を下げて立っていた。
「女王様は玉座の間にはいらっしゃらないのね」
ビアンカがそう言うと、女王の侍女と思われる女性が丁寧な様子で二人に教える。
「女王アイシス様は下の庭園におわしますわ」
「下の庭園? 下って庭園があるんですか?」
「はい。この城には地下庭園がございます。アイシス様は日中、そちらにいらっしゃることが多いのです」
「地下庭園ですって? 何それ。とっても楽しそう。こんな砂漠の地下に庭園があるなんて、どういうことなのかしら」
ビアンカは女王の侍女が言う地下庭園と言う響きに、早くも冒険心が止まらない状態になってしまった。
「とても砂漠のただ中とは思えぬほどの、美しい庭園です。旅でこちらに寄られたのなら、ぜひご覧になっていってくださいまし」
「もちろん、ぜひとも伺わせてもらいます。さあ、リュカ、行ってみましょう。オアシスとは違うのよね。どんなところなのかしら」
「ちょっと待ってよ、ビアンカ。まだその庭園への行き方を聞いてないよ」
さっさと階段を下ろうとするビアンカを止め、リュカが侍女に地下庭園への行き方を細かく尋ねる。城の中のおおよその地図を教えてもらい、他にも気になる場所があれば寄ってみようとビアンカに持ちかけたが、今のビアンカは地下庭園にしか興味がないらしい。リュカの提案をやり過ごし、とにかく地下に行ってみようと夫の手を引っ張って階段を下りて行ってしまった。そんな夫婦の後ろ姿を見ながら、女王の侍女たちはくすくすと笑っていた。

Comment

  1. ケアル より:

    ビビ様。
    え〜と…。
    ダイヤリーのタイトルと本編のタイトルが違いますよ(汗)
    ダイヤリーが砂漠の国で本編が砂漠の城。
    どちらが正解でしょうか?
    やっとテルパドールに到着しましたね。
    全員ぎりぎりで、もし戦闘があったら全滅だったかもですね。
    ビアンカもしかして…妊娠初期?
    それとも疲労からの発熱?
    まさか、ビビ様が、こんな早くに、さりげない描写をして来るとは…てっきりネットの宿屋かグランバニアの山に上る時の、お婆さんあたりで描写して来るんでないかと予想してました(えへ)
    次回は、アイシスに会い兜を見て、旅の万屋を水場まで押してからの馬車になりますか?
    楽しみであります!
    船に戻る旅を思うとリュカたち可哀想…いっそのことルーラでポートセルミ〜、船も自動的にポートセルミ〜…は、やっぱり駄目ですよね(汗)

    • bibi より:

      ケアル 様

      いつもコメントをどうもありがとうございます。
      あ、タイトル……ご指摘ありがとうございます。正しくは「砂漠の城」です。修正しておきました。すみません……m(_ _)m
      ようやくテルパドール到着です。全員ぎりぎりです。中でも一番余裕がないのが……ガンドフかパトリシアかも。ガンドフなんて、言葉すら発していません。ピエールもかなりマズイことになっています。
      ビアンカさんは……どうなんでしょうね。ただ、もし初期だとしたら、あの砂丘を滑り降りるなんて無謀を誰かに止めてほしいものです。とんでもない行為です。けしからん。私がその場にいたら説教です。
      次回はアイシス女王に会って、兜を見て……馬車の修理に一週間かかるので、のんびりテルパドールで過ごしたりするかも知れません。いかんせん、彼らは疲れ過ぎです。少しここでゆっくり休んでもらうことにします。
      あ、でも旅の資金がなくなったので、少し仕事をして稼ぐことになるかな^^;
      船に戻る旅を考えると、もういっそのことこのままテルパドールに住む……いやいや、そう言うわけにもいかないか。えーっと、どうにかします(汗)

  2. ピピン より:

    ビビさん

    ついに登場しましたね、ツンデレお父さん(笑)
    この気難しい性格だと反抗期のクラリスともお互いに苦労したでしょう( ̄▽ ̄;)

    リュカは相変わらずビアンカに振り回されてるようで微笑ましい限りですね…w
    この先の出来事を経て二人の関係がどう変化していくかも楽しみです。

    次回は…旅資金の為にバイト編ですかね?( ̄▽ ̄)

    • bibi より:

      ピピン 様

      いつもコメントをどうもありがとうございます。
      ツンデレ……その通りですね(笑) しかし素直になれない性格と言うのは損をしますね。大事な娘が家出しちゃうんだから。シャレにならない。
      リュカはビアンカに振り回されるのが楽しいのです。この先の出来事で、徐々に恋人から夫婦になっていくかな、どうかな。
      次回は、そうです、バイト編。……の前に、女王様とご対面できるかな~。

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