隠された神殿
エルヘブンの村の森を抜け、大きな水路に出たところで、リュカは懐に収めている小さな布を取り出した。厚手の布はリュカと無言の会話をしばし交わすと、水路の脇の開けたところでその布をパッと宙に放られる。リュカとの無言の会話を済ませていた布はみるみる広がり、川の上にもその生地を伸ばし、風もないのに吊り下げられているわけでもないのにゆらゆらとその場に揺れながら、運ぶ者が上に乗るのを待っている。
「すごいね。こんな不思議なじゅうたんを持ってるなんて」
スラぼうが広い水路脇の草地に跳ねながら、いかにも楽しそうに口角を上げて喜んでいる。魔法のじゅうたんはスラぼうの期待に応えたいと、スラぼうのためにじゅうたんの端を下げて乗りやすいように草地に沿わせた。意思を持つ魔法のじゅうたんの様子に目を輝かせると、スラぼうは青い雫形の身体をふるふると揺らしながらじゅうたんの端にその身体を乗せた。すると魔法のじゅうたんはスラぼうを楽しませたいとその身体をじゅうたんの端に包んで一度力を込めたかと思うと、包みを取っ払ってじゅうたんの中央へとスラぼうの身体を飛ばしてしまった。宙に舞い上がったスラぼうが声を上げて笑っている。
「オレはそんなのに乗らなくてもヘイキだぞー」
普段から自身の翼で宙を飛び回ることのできるミニモンは、何かに乗って飛び回るということが返って想像できないようで、魔法のじゅうたんに乗ることをむしろ怖がっている様子がリュカには見て取れた。
「でもミニモンだって飛び続けるのは疲れるよね? 魔法のじゅうたんはもっと大きくできるから、みんなでのんびり乗って行こうよ」
「そんなぼよんぼよんしたモノになんか乗れるかよー」
「あれはスラぼうと遊んでるからぼよんぼよんしてるだけで、飛んでる時はそんなにぼよんぼよんしないよ」
「実は私も乗ったことがないんですよね。いつも自分で飛んでいましたから」
これまでの半年の間サーラは仲間の一人として共に旅をしていたが、彼の言う通り、今まで魔法のじゅうたんに乗って移動したことはなかった。翼を持ち、常に自分自身で飛ぶことのできる者にとっては、何かに乗って飛び回るということをそもそも考えないのかも知れない。
「サーラさんも一緒にじゅうたんに乗って行こうよ! すっごい楽チンだよ!」
「真ん中の方に乗ってれば、下に落っこちる心配もないもの。このじゅうたん、どこまでも大きくできるから……どこまで大きくできるのかは知らないけど」
「ポピー王女、私はたとえじゅうたんから落ちても平気ですよ。飛べますから」
多少なりとも魔法のじゅうたんの移動を怖がっているポピーに、サーラが笑って言葉を返す。サラボナの町に立ち寄った際には、山の様な怪物との戦闘時にこの魔法のじゅうたんで縦横無尽に飛び回っていたというのに、ポピーがまだ魔法のじゅうたんでの高低差ある移動を怖がっていることがサーラには微笑ましい。
「リュカ王は不思議なものに囲まれとるのう。この魔法のじゅうたんと言い、どんな扉も開ける最後の鍵と言い、威厳あるドラゴンの杖と言い……一体これらのものにはどんな歴史があるのやら、気になるわい」
「そういう難しいことはマーリンに任せるよ。どこかに何か調べたいことがあったりしたら、僕やポピーに言ってね。連れて行ってあげるから」
「そんなことを言ったら、わしはお主らを色々なところに連れまわすぞい」
「構わないよ。それがグランバニアのためとか、世界のためになるのなら」
リュカがマーリンの便利な足になるという言葉には一国の主のような重々しさは感じられないが、その内容には彼が一国の王に留まらず、世界のために有益なことを自然に考えている思想があった。それはリュカが国王と言う立場にならずとも、彼が幼い頃から持つ根底の考えに基づくものだ。ただ純粋に『誰かの役に立ちたい』という思いで、彼はマーリンの便利な足になることも厭わない。
リュカは今、依然として父の形見の剣を腰に提げているが、それと合わせて竜の神の力が宿るドラゴンの杖も反対側のベルト近くに持ち歩いている。新しく手に入れたこの杖をグランバニアの国に置いてくることも考えたが、この杖を常に身に帯びることでいつでも天空城の竜神と繋がっていることができるため、己の身から放すことは望ましくないだろうと持ち歩くことを決めた。ただ道具袋の口紐の結び目に引っ掛けているだけなので、持ち歩くのに少々心許ないところがある。今度国に戻り、二月は国に留まると決めているため、その間にこの杖の装備について武器屋に相談に行こうかとぼんやりと考えていたりする。
「魔法のじゅうたんと、オレと、どっちが早いか競争だー」
ミニモンは頑なに魔法のじゅうたんに乗ることを拒否し、競争だと言いつつも先に飛び出し、広い水路の上を勢いよく飛んで行ってしまった。リュカはミニモンが危険に晒されない内にと、じゅうたんの上に他の皆が乗るのを確かめると、ミニモンの後を追いかけて水路の上にじゅうたんを滑らせるように飛び走らせる。父の安定した進みに早くもしびれを切らすように、ティミーがじゅうたんに手を当ててその速度を上げようとする。
「お兄ちゃん、あんまり早くしないでよ」
「だって競争には勝ちたいもん。ミニモンに負けるわけには行かないよ、なぁ」
そう言いながらティミーは魔法のじゅうたんを手で叩いて話しかける。ティミーの心に楽しさを感じ、魔法のじゅうたんは仲間たちを乗せながら、ティミーの口に乗せられて速度を上げて行く。スラぼうがじゅうたんの上を転がり、その身体をリュカが掬い上げて自分の胡坐の上に乗せた。この場にいる仲間の中では最も身体の大きなサーラが乗っても、当然魔法のじゅうたんはその重みを感じることなく、至って軽やかに飛んで行く。しかし座る絨毯の端に今も焼け焦げた穴が空いているのを見ると、サラボナの激しい戦闘での傷が今も癒えていないのだと、サーラは魔法のじゅうたんを労わるように二、三度優しく擦った。
途中まで威勢よく大きな水路の上を飛んでいたミニモンだが、後ろからぐんぐん迫ってくる魔法のじゅうたんを見て、あっさり心変わりしたようにその不思議な乗り物に興味を引かれた。生き物のようで生き物ではない魔法の乗り物が自分に追いつくのを待ち、位置を見定めて魔法のじゅうたんの上に飛び込んだ。ぼよんぼよんと跳ねているのはわざとで、その不安定な揺れにティミーははしゃぎ、ポピーは怯え、リュカはポピーの手を掴みスラぼうを胡坐の足の上に乗せたまま笑った。マーリンは絨毯の上に寝そべり、サーラはリュカと同じように胡坐をかいたままミニモンを捕まえ、落ち着かせた。そうして間もなく、魔法のじゅうたんはそのまま水路を隠す海の洞窟へと入って行った。
水路の上を飛んでいる時には感じられなかった潮の匂いが、洞窟内には漂っている。この洞窟の出口は海に繋がっているため、洞窟の中ほどでは海の水と水路の水がまじりあっているような状況だ。ミニモンが絨毯から飛び、下にある水に頭から突っ込んで出てくると、「あんまりしょっぱくないなー」と思っていたほどの海水ではなかったというような感想を漏らす。
洞窟内には当然のように魔物の姿を認めることができたが、魔法のじゅうたんで進むリュカたちに驚くばかりで、襲いかかってくることはなかった。たとえ襲いかかられても、リュカはこの魔法のじゅうたんで逃げ切れる自信があった。
海の洞窟の水路は大型船を飲み込めるほどの広さがある。その水路をひたすら真っ直ぐに進む。奥にはリュカたち人間にも見える火の明かりがある。それは独りでに灯る明かりであり、グランバニアの城下町のように魔力を燃料としてその場所を灯し続けるものなのだろう。その明かりが灯り続けていることに、リュカはこの場所が今も尚、魔界との境界の役割を果たしているのだと思うことができる。
洞窟奥で、リュカは魔法のじゅうたんから仲間たちを下ろし、絨毯はとりあえず役目を果たしたのだと小さく縮み、再びリュカの懐に収まる。皆が降り立った場所を二本の大きな石柱が挟むようにして立ち、その奥には洞窟の行き止まりと思わせるような巨大な壁と扉が立ちはだかっている。陽の光を浴びれば恐らく鮮やかな青を見せる扉が、火台の明かりに照らされ青白く揺れているように見えた。
「これはまた、一見では扉と気づかんかも知れんのう」
壁の一部の模様が異なるだけと見ることもできる巨大な扉を前に、マーリンが後ろにずり落ちそうになるフードを手で押さえながら、首を仰け反らせるように扉を見上げる。明らかに人間用の扉ではない。この巨大な扉を必要とするのは恐らく魔界に棲む魔物たちなのだろう。
「お父さん、この扉を開けた瞬間に、あっちから悪い魔物さんたちが一気に押し寄せてくるなんてこと、ないよね?」
「わしらが来たことに気付いて、あちら側でわんさか魔物が待っておるなど、笑えんのう」
そう言いながら笑っているマーリンだが、リュカはその光景がふと脳裏に浮かべば、当然のように顔を強張らせた。リュカの母マーサにのみ開くことのできる人間界と魔界を隔てた扉を今、リュカたちは最後の鍵という世にも稀な鍵を使って開けようとしているのだ。何も考えずに不用意に扉を開けてしまうことは避けなければならないと、リュカはまだ道具袋に収めてある鍵を慎重に取り出そうと、道具袋の口紐をゆっくりと緩める。
しかし緩めた口紐に従い、その紐で固定してあったドラゴンの杖が傾き、そのまま滑るようにして床に落ちてしまった。軽い音を立てて転がる杖だが、それはリュカ以外の者は持ち上げることすらままならない。杖を拾おうと身を屈め、杖を取り上げた瞬間、リュカの道具袋から赤い目が外の景色を覗き込んだ。
「あっ! お父さん、カギが!」
最後の鍵という代物は、まるでティミーのような好奇心旺盛な子供がそのまま鍵に姿を変えたものと思うほど、突拍子もない行動を取るものだとリュカはこの時身に染みて知った。道具袋の口をしっかり閉めていれば問題ないが、一たび出口を解放してやればその時を逃さずに最後の鍵は自ら飛び出し、開けられる扉はないかとその赤い目をキョロキョロと彷徨わせる。
床に降り立ち忙しなく目をあちこち向けている最後の鍵を、リュカはそっとつまみ上げる。後ろを振り向くように金属の身体を捻って目を向けて来る最後の鍵に、リュカは困ったような笑みを浮かべる。
「君に開けて欲しい鍵はこのずっと上にあるんだ。ただ慎重に開けたいから、勝手に開けて来ちゃダメだよ」
リュカはそう言うとサーラを呼び、自身を抱えて上まで連れて行ってもらうよう頼む。その間も最後の鍵は柔らかな先端の金属部分を芋虫のようにうねうねさせていたが、リュカは敢えてそれを見ないようにしていた。
「みんなは扉から離れていて。もし突然扉がこちら側に開いたりしたら、挟まれるかも知れないからね」
「念の為、戦闘態勢を整えておいた方が良いかも知れませんね」
リュカとサーラの言葉に、マーリンが落ち着いて反応を示し、扉の大きさを目視して皆を扉から十分に離れさせた。ティミーとポピーは中から魔物が出て来たら戦うことを念頭に置いていたが、マーリンは真っ先に逃げることを考えていた。中から魔物が現れ、その数や強さに到底勝ち目はないと判断してから逃げるのでは遅過ぎるのだと、マーリンは進んできた水路の縁にまで後退し、二人の子供たちには単に扉との距離を十分に開けろと言い含めた。
リュカを連れたサーラが巨大な扉の前面を滑るように飛んで行く。サーラの肩にはスラぼうが、当然リュカの近くにいるのだと言うように乗っている。そしてその後から、ミニモンが単純に興味津々でサーラの後を同じように飛んで行く。
間近に見る青白い扉には非常に細かな文様が至る所に施されている。それは一つ一つが不規則で、一つも同じ部分はないように思えた。それが驚くほど長い古代の呪文の一つだと言うことに、リュカたちは全く気付かない。そしてこの世界で誰一人、この扉を封印する呪文を解く者はいないのだ。リュカの母マーサを除いては。
以前、リュカがこの扉の上部にある鍵穴を見つけた時にはメッキーが一緒だった。見つけた鍵穴はこの巨大な扉に似つかわしくない、リュカの小指が入るかどうかというほどの非常に小さな穴だ。その穴は確かこの扉の上部中央辺りにあったはずだと、リュカはサーラにその辺りを飛んでもらい目を凝らして探す。ミニモンもリュカに負けまいと、魔物特有の暗がりにもよく利く目でいつになく真剣に探している。
「リュカ、これじゃないのかー?」
先に見つけたのはミニモンだった。手にしている大きなフォークの先で扉をつつくミニモンは、リュカよりも先に宝を見つけたかのように得意気だ。ミニモンが指し示す場所を見ても、リュカは俄かにはその鍵穴を見つけられない。サーラは目を細めてミニモンの指し示す位置をそれこそ穴が空くほど見つめている。
「あ、ホントだ。でもそれって、ホントにカギ穴なの? 何だか虫に食われたみたいな穴だね」
サーラの肩に乗りながら僅かに身を乗り出すスラぼうは不思議そうに身体を揺らしている。首を傾げているつもりなのだろう。
「その最後の鍵というものを差し込んでみれば分かるでしょう」
リュカはずっと手に握っていた最後の鍵を持ち上げ、見える小さな鍵穴に手を伸ばす。サーラが羽ばたきながら更に扉に近づく。スラぼうの言う通り、見る者によってはただの虫食いのような穴なのだ。これを鍵穴と思うのは、リュカたちがそう思いたいからという部分も大いにある。
そんなリュカたちの杞憂も、最後の鍵が自ら扉にへばりついたところで途切れた。最後の鍵は垂直の扉の面を這うようにして進み、虫食いのような小さな穴にその赤い目を当て、中を覗き込むのと同時に赤い光を放った。そして一度目をしかめ、もう一度穴の中を覗き込みながら赤の光を瞬いた。一度では鍵穴の構造を理解し切れなかったのか、二度同じことを繰り返してようやく赤い目は弧を描いて笑みを浮かべた。
最後の鍵の先端が形を変えて行く。何度も考えるように形を変え、行きついた形はまるで針金を何本も絡みつかせたような、到底この虫食いの穴の中にあるものとは想像できないほどの複雑な形状だった。果たしてこんな形のものが鍵としての役目を果たすのかどうかも怪しいと感じる。
リュカの手に落ちてきた最後の鍵は、その赤い目を好奇の光に満たしてリュカを見上げている。貴方の期待に応えますと言わんばかりの自信に満ちた鍵の様子を見て、リュカは迷わず虫食いのような鍵穴に最後の鍵を差し込んだ。そして右にも左にも捻る必要はなく、何やら穴の奥で鍵自体が蠢く気配がした。細い針金が虫食いの穴のような鍵穴の中で定まった形を求めて動いているのだ。扉の中には蟻の巣のようにいくつもの部屋に分かれるような鍵穴があるのだろうかと、リュカは手に伝わる妙な感触にそう思った。
リュカたちの目の前で、仄かに光を帯びていた扉が、瞬間的に激しい光を放った。その光は明らかに聖なる力を纏ったもので、リュカたちは皆、聖なる光のシャワーを浴びたような感覚を得た。強い聖なる光に、スラりんが放つニフラムという呪文にも似たような力を感じた。もしかしたら邪悪な心を持つ魔物にはひとたまりもない強烈な光だったのかも知れない。
巨大な扉がリュカたちのいる側へと開いて行く。リュカは一仕事を終えた最後の鍵が鍵穴から力なく落ちてくると、それを右手に受け取り素早く道具袋にしまい込んだ。扉はゆっくりゆっくりと確実に開いて行き、扉と壁との間に隙間ができても向こう側から魔物の気配を感じることはなかった。
扉も聖なる力に包まれていたが、扉の奥に隠された空間には聖なる力が溢れんばかりに満ちているのが分かった。中からは水の流れを思わせる涼し気な音が聞こえてくる。十分に中に入れそうなほどに扉が開いたところでリュカはサーラに抱えられたまま扉に手を当てた。すると扉はぴたりとその位置で止まる。扉の隙間からは日の光を思わせるような白い光が筋になって伸び、海の洞窟の岩盤を白く照らしている。止まった扉の様子を見てマーリンが子供たちを連れて扉に近づいてくる。リュカもサーラに声をかけ、ミニモンと共に下へと下りて行った。
「幸いにも中から魔物が飛び出してくることはなかったの」
「中はどうなってるのかしら。そのまま魔界に通じていたりするのかな……?」
「ここまで来て中を確かめないなんてことないでしょ! さあ、お父さん、行って見てみようよ!」
そう言いながらティミーは父の手を掴み、開く扉へと向かう。扉の隙間から覗く白い光にもまた、聖なる力が満ちている。中には水の流れがあるのだろう、絶え間なく水の音が響き、水の気配も間違いなく感じられる。リュカはティミーの手に引かれながら、分厚い扉の奥へと足を踏み入れた。
正面遠くに、滝の景色があった。天井は遥か上で、自然の岩盤が垂直に切り立って壁を創り出している景色は、あのエルヘブンを囲む断崖絶壁を思わせる険しいものだ。その壁に沿って、壁を隠すようにして、大量の聖なる水が滝となって流れている。
この場に灯される火は見当たらないが、リュカたちが踏み入れた床が白く発光し、それが辺りを白く照らしていた。サーラやマーリンはそこかしこに感じられる聖なる空気にしばし気圧されていたようだが、心を改めていない邪悪な者たちがこの場所に足を踏み入れたなら、この場の清浄な空気にひとたまりもない状況に追い込まれてもおかしくはない。
リュカたちの前には白く発光する床が広がっているが、先には上段へ上る広い階段があり、ティミーは何者も恐れるものはないと言わんばかりにリュカの手を引いてその先を目指す。ポピーもリュカの隣を歩きながら、圧倒される洞窟内の滝の景色をぼんやりと見つめている。激しい滝の轟音で、互いに言葉を交わすには大きな声を張り上げなければならないような状況だが、誰もが洞窟内に現れた巨大な滝の景色に言葉が出ないのが現実だ。
白くぼんやりと浮かび上がる景色の中に、白い水しぶきを上げて流れ落ちる滝を見ながら、リュカは忘れもしないあの時の滝の景色を思い出していた。
冒険好きの彼女を連れて、束の間の冒険の旅に出かけた。水のリングを見つける旅に、彼女は喜び勇んでついて行くと言った。初めは恐らく、ただ冒険に出てみたかっただけだったに違いない。リュカはその時、彼女がついてくるのを本気で止めたつもりだったが、果たして本当に本気で止めていたのかどうか、今となっては分からない。
あの時の滝の景色とは異なるものだが、激しい水の流れ、遠くからでも感じられる湿った空気、淡く照らされる剥き出しの岩盤、人工の白い床にも滝の水が届き、一歩進むごとにブーツの底が水を踏む。そしてこの場所に漂う清浄な空間は、あの水のリングを見つけた洞窟にも通じるものとリュカは感じた。
正面奥に広がる滝の景色の前に、それはリュカたちを待ちわびるかのように静かに佇んでいた。
微笑を湛える石像が、リュカの正面遠くに立っていた。その姿が視界に映った瞬間、リュカは周囲にある全てのものが一切なくなったような感覚に陥った。
「ビアンカ」
リュカが呟いた声は、激しい滝の音にかき消され、誰にも届かない。立ち止まってしまったリュカの手を、ティミーが引く。ポピーが様子を窺うようにリュカの顔を覗き込む。二人が何かを言っているようだが、たとえ滝の音が止んだとしても今のリュカにはそれらが届かない。
再び歩き出したと思ったら、その足はみるみる早まり、リュカは遠くに見える美しい石像に向かって走り出していた。父が駆けて行った後を慌ててティミーもポピーも追いかける。リュカの異変に気付いたマーリンもサーラも、その後に続く。
滝を背に立っている女神像は穏やかな笑みを浮かべ、その視線は自分を見ているのだとリュカは勝手にそう感じた。恐らくこの世界の中で最も安全であり、最も危険な場所であるもあるここに、彼女は隠されていたのだとリュカは女神像の両肩を両手でつかむ。硬質な石の冷たい感触が両手に伝わり、その冷たさを取り払ってやりたいとリュカは女神像の両肩を優しく擦った。
女神像はまるでリュカの助けを待ち詫びるかのように両手を前に広げて差し出し、彼の身体を包み込もうとするかのようだった。女神像はいかにも女神像らしい、穏やかな顔つきをしている。全ての者に等しく慈愛の心を授けようと、その表情にはただ安らぎだけがあるようだった。その表情を見ている内に、リュカの表情が徐々に変わる。
あの時の彼女の姿を思い出す。石の呪いを受けた瞬間、彼女がこれほど穏やかな感情を示していたはずがない。夜着のまま魔物に連れ去られ、リュカたちの危機を救わんと立ち上がり、全身から光を放った彼女は見紛うことなく女神そのものだった。しかし彼女は女神などではなく、一人の血の通った人間だ。勇者の子孫と言う特別な血を引いている真実を抱えているものの、彼女自身は紛れもなく一人の人間の女だ。
昂っていた感情の波が引いて行き、リュカはいくらか冷静になった目で改めて目の前の石像を見つめる。女神像と感じていたものは、正真正銘の女神像だった。この石像は、彼女ではない。
女神像の背からは大きな白い羽が生え、途中で羽ばたきを止めたかのような形で背から伸びている。長い髪はゆるく波打ち、腰の下にまで伸びている。ゆったりとした衣は彼女があの時来ていた夜着にも見えたが、それはリュカたちが目にしたことのある天空人らが好むようなゆったりとした衣に過ぎない。
リュカはふと、女神像の肩に乗る自分の手に目をやった。自身の左手薬指には常につけている炎のリングが、今もその小さな宝玉の中で小さな炎を揺らめかせている。そしてリングを目にしたその思いのまま、女神像の左手に視線を落とす。そこに彼女が肌身離さず着けている水のリングはなかった。
「リュカ王よ、それは女神像じゃ」
リュカの心情を読み取り、現実を見るようにとマーリンの声が後ろから聞こえた。マーリンの声を聞いた直後に、滝の轟音がリュカの耳に戻って来た。そして改めて周りの景色を見れば、水のリングを見つけたあの滝の洞窟とはどこもかしこも異なる景色なのだと悟った。あの場所には自然の神秘があった。この場所には作られた清浄が満ちている。あの場所には人間も魔物も、あらゆる生き物を受け入れる自然だけがあった。しかしこの場所には邪悪を許さないと言わんばかりの聖なる力が張りつめている。リュカの両手が女神像の肩から滑り落ち、力なく両脇に下りた。
「とってもキレイな女神像……。しかも、ほら、他にも二つあるわ」
ポピーたちは既に三体の女神像を目にしていた。巨大な滝を背景に、三体の女神像が正三角を描くように安置され、同じ穏やかな表情で正面を向いている。非常に精巧な造りで、女神像の顔や腕は生きている者が持つような滑らかさがあった。腰まで波打つ髪も一本一本が表現され、身にまとう衣の皺も石像にしては不自然なほどに自然で、まるで生きている者がそのまま石像に姿を変えたのではないかと、自ら石にされた経験のあるリュカはそんなことを思う。
「幸い、ここはまだ魔界ではないようですね」
そう言いながらサーラは天井高い洞窟内の景色をぐるりと見渡す。三体の女神像の後ろには洞窟の岩盤を広く隠すように巨大な滝が絶えず大量の水を流し続けている。そしてその水はリュカたちが立つ広い祭壇を囲むように満ちており、この広い祭壇の間には聖なる空気が満ち満ちている。一体どこからこれほどの大量な聖なる水が生み出されているのかは分からないが、この水が人間界と魔界とを隔てているのだろうとリュカやサーラ、マーリンは想像していた。
「この場所こそが、リュカ王の母君だけが開くことのできる魔界の門なんじゃろう」
マーリンの言葉通り、どこかに門のような場所が見られれば良いが、生憎と広がる景色は滝に洞窟の岩盤に祭壇にと、門らしきものは見当たらない。
「ねえ、お父さん、ボクならできると思う?」
滝の音にかき消されないようにと、ティミーがリュカの傍で声を張り上げる。その声に息子を見れば、彼は背中に背負う天空の剣を抜き放っている。世界を救うとされる勇者の力をもってして、魔界の門を開くことは現実的なのかもしれないと、リュカもティミーの姿に自ずと期待が沸きあがるのを感じた。
「この女の像を壊すんだったら、オレも手伝うぞー」
「ミニモン、そんなことしちゃダメよ。この像はきっと、魔界を封印するための大事なものなんだから」
「魔界に行くんだったら封印を解かなきゃいけないんだろー? だったら壊すのが一番だと思うけどなー」
「この女神像はわしらの攻撃なんぞで壊れるようなものではないじゃろう。むしろ呪文でもぶつければ反撃でもされかねんぞい」
ミニモンが呪文の構えを取れば、ポピーが慌てて止め、マーリンも下手に攻撃する危険を考え伝える。そんな彼らの様子を見て、ティミーもまた掲げた天空の剣に雷撃の呪文の力を伝えようとすることを踏みとどまった。彼もミニモンと同じように、女神像の破壊をもって魔界の門が開くかどうかを試そうとしていたのだった。
「祈りの力、なのかな」
リュカはかつて、魔物に乗っ取られかけていたラインハットを救うべく、真実の鏡を求めて神の塔と呼ばれる場所に向かったことがあった。神の塔もその門は閉ざされており、門を開くためには神に仕える乙女の祈りが必要だった。旅の同行を自ら申し出たマリアの祈りにより扉は解錠され、無事に真実の鏡を手に入れることができた過去を思い出す。
聖なる力で封印された意味では、神の塔もこの場所も同じだと思える。そしてリュカの母マーサはエルヘブンで最も力のある巫女でもあった。魔界への門を開くには彼女の祈りの力こそが唯一の鍵となるのではと考えるのは、至って自然なことだった。
「お祈りかあ。どういう言葉なんだろ」
「たとえその言葉を知っていたとしても、恐らくリュカ王の母君でなければその効果は現れんのじゃろうなあ」
マーリンの言う通りだと思いながらも、ティミーは何としてでもこの場所の封印を解きたいという思いに駆られる。それもまた勇者の使命なのだと、彼は改めて天空の剣を両手で握り直した。扉や門があるわけではない洞窟のどこにその剣先を向ければいいのかも分からないまま、天空の剣はティミーの頭上から真上を差したままだ。
当然、祈りの言葉を知っているわけではない。ティミーが祈る時といえば食事の前のお祈りくらいのものだ。まさかこの場所で食前の祈りを捧げるわけにも行かず、ティミーはただ目を閉じてひたすら頭の中で『魔界の門よ、開け!』と念じ始めた。
依然として滝の流れ落ちる激しい音が響き、ティミーが目を開けても何一つ変わったところはないように見えた。諦めきれずにティミーは再び目を閉じて、魔界の門が開くようにと念じ始めたが、その頭にリュカが柔らかく手を乗せる。
「一度エルヘブンに戻って、この場所のことを村の長老さんたちに話してみよう」
「でもせっかくこの場所を見つけたのに」
「ここにはまたいつでも来られるよ。ルーラでエルヘブンに飛んで行って、魔法のじゅうたんに乗っちゃえばあっという間だからね」
「それにもしこの場で魔界の門が開いたらどうするつもりじゃ。それこそあちら側からわんさか魔物が押し寄せるかも知れんぞい」
「マーサ様はそうならないように、魔界との門を開かせないように、きっと頑張ってるんだと思うよ」
スラぼうの言葉は滝の音にかき消されそうな小さなものだったが、誰の耳にもその言葉は届いた。リュカの母マーサが魔物に連れ去られたのは、魔界の門を開かせるためだとリュカは聞いている。それが今もこうして人間界と魔界と隔てる門が門としての役割を果たしていると言うことは、即ちマーサが今も魔物の力に屈さず、人間界を守っていると言うことだ。ここで下手をして、うっかり魔界の門を開いてしまうことはマーサの努力を無に帰してしまう。
「長老様たちがまた何か教えて下さるかも知れないわ。一度、村に戻ろうよ、お兄ちゃん」
妹の声にどこか怯えを感じたティミーは、上に掲げていた天空の剣を力なく下ろした。ティミーとしても、祖母が命懸けで守り抜こうとしているこの人間界を危険に陥れるような真似はしたくない。
その時、激しい滝の音に混じって、地の底から響く低い低い呻き声のような音が皆の耳に届いた。祭壇のある広い空洞内に反響し、一体どこから聞こえているのかは分からない。ただその声がこの聖なる水に満ちた祭壇を汚すようなものであることは間違いない。ティミーとポピーは思わず両耳を塞ぎ、スラぼうはポピーの肩に乗って身を震わせた。サーラは顔をしかめたまま辺りを見渡し、マーリンは目を閉じてその声がどこから響いているのかを聞こうとしている。ミニモンが大きなフォークを振り回して呪文を唱えようとするのをリュカが止める。そしてリュカは絶えず水の流れ落ちる滝の中に一瞬、黒い光を見た気がした。しかしそれは一度瞬きをした後には、消えていた。
「やだ……よお。なんだか気持ち悪い空気がいっぱい流れてる……」
先ほどまでは聖なる力に満ちていたこの空間に、どこからともなく陰鬱な空気が流れ込み、洞窟内の空気が取って代わられようとしているのを感じる。相も変わらず流れ続ける滝の水が聖なるものから邪悪なものへ、リュカたちを下から照らす白く発光する床の力が弱まり、辺りに闇が迫り始める。美しい女神像の表情に変化はないはずだが、下から照らす光の弱まりと共にその表情にも翳りを感じる。周りに満ちる水が凍ってしまったのではないかと思うほどの冷気が、リュカたちの身体にまとわりつく。
しかしそれもしばしのことで、三体の女神像が立つ祭壇には再びの光が戻り、邪悪な気配は聖なる水の流れと共に消え去った。
「不安定な空間じゃ。何やら空気が揺らいでいるように感じられるのう」
「間違いなく人間界と魔界とを隔てている場所……そのような感じを受けます」
天空城に復活した竜神も、エルヘブンの長老たちも、魔界の門が開けられようとしている旨をリュカたちに伝えている。今まさに、魔界に漂う禍々しい空気がこの場に流れ込んで来ていたのだろうが、まだこの場所の持つ封印の力に適うほどの力を蓄えてはいないのだろう。しかし確実に、人間界は危機に陥ろうとしている気配をリュカたちは感じた。
「とにかく一度、村に戻ろう。長老さんたちにもう一度話を聞きたい」
エルヘブンの長老たちが魔界の門たるこの場所の存在を知っているかどうかは分からない。しかし古くから魔界の門番の役目を負うエルヘブンの村にはまだリュカたちが知らされていない秘密が隠されているはずだと、リュカは今一度女神像の無表情を見つめながらそう思った。
海の洞窟を出たところでリュカはルーラを唱え、ひとっ飛びにエルヘブンの村へと戻った。日は既に西に傾き、断崖絶壁に囲まれた特殊なエルヘブンの地は早くに日差しが陰ってしまう。しかし村の象徴とも呼べる祈りの塔には今もまだ日の光が悠に届き、輝きながらリュカたちを見下ろしていた。
腹が空いたと騒ぎ始めたミニモンに影響されるように、ティミーも空腹で力が入らないと階段を上る歩みが遅くなる。無言で歩くポピーも同じように腹を空かせており、リュカは彼らを村の宿屋で待っていて構わないと話したが、三人とも各々の理由でそう言うわけには行かないのだと意地でも階段を上り続けた。
祈りの塔に到着すると、彼らを待っていた四人の長老がすぐに部屋に招き入れ、水とパンとチーズを出した。双子とミニモン、スラぼうも加わって食べ物や飲み物にありつく中、リュカは長老たちに話し始める。
「魔界の門、という場所を見てきましたが、あの場所はやはり母にしか開けられない場所なのでしょうか」
以前にも魔界の門を開くことも閉じることも、今となってはマーサだけがそれをできるのだと聞いている。魔界に棲む魔物たちの力でも、魔王の力でさえも、人間界と魔界を隔てる門を開くことはできない。そしてエルヘブンの村に住む四人の長老たちにもその力はないと、彼女ら自身がそう話している。
「マーサ様の力でのみ魔界の門を開くことができる、それは間違いありません」
「それは祈りの力というようなものなのでしょうか。魔界の力にも負けないほどの聖なる力、そのようなものなんでしょうか」
リュカはかつて神の塔の封じられた扉に通じたマリアの祈りを思い出しながら、長老たちに問いかける。もしそれに類するようなものであれば、あの場所にマリアを連れて来て祈りを捧げてもらうことを試しても良いかも知れないと考えていた。
「聖なる力、だけではなく、対となる魔の力……その二つの力が同時に必要なのだと私たちは考えています」
人間の中にもリュカたちのように魔力を使って呪文を使いこなすものが少なからず世界にいる。しかし長老たちの話す魔の力というのはいわゆる魔力のことではなく、本来人間の中には存在しないはずの、魔物としての力なのだという。
「じゃあおばあさまって元々、魔物だったの?」
「私たちのご先祖様って、ずっと辿って行くと魔物ってこと?」
ティミーとポピーが長老たちの言葉を受けて考えた言葉に、リュカはそんなバカげたことがあるだろうかと訝しみつつ、心の中にすとんと落ちるものも感じた。
現実的には魔物が人間になることなどあり得ない。魔物が人間に化けることはあっても、人間そのものに変化してしまうという話は聞いたことがない。もしそのような不思議な呪文でもあれば、リュカは真っ先に仲間の魔物たちに試してみたいと思う。人間の姿を望む魔物の仲間がいれば、迷わずその姿を変えてやり、人間の暮らす町や村を訪れる際にも共に歩くことができるようになる。
人間が魔物になり果ててしまうことはある。リュカはこれまでにもその姿を何度となく目にしている。この場にいるマーリンもその一人だ。魔物になる前は彼は何かしらの研究家の一人だったのだろうと想像できる。人間が魔の手により人間の姿形を失い、魔物と化してしまえば、二度と人間の姿に戻ることはできないと誰もがそれを常識と考えている。
もし聖なる力と魔の力が一人の者の中に混在するのだとしたら、リュカは仲間の魔物たちこそその存在に近いのではないかと思う。魔物としての姿形を残しながら、改心したその心は聖なる力を帯びているのではないかと考えるリュカの思考と同様のことを、マーリンも考えていた。
「しかしわしらの誰にも、あの場所は何も反応せなんだ。リュカ王やマーサ先王妃の力で改心したわしら魔物にはその特性がありそうなものじゃが」
「マーサ様の力は血の為せる業なのです。それ故に私たちはマーサ様の子リュカに、その力を期待していました」
長老たちの話を深く聞いても、やはりあの魔界に通じる門を開くも閉じるも、世界でただ一人マーサを除いてはいないということが確かになるだけだった。魔界の力が強まり、あちら側から門をこじ開けてしまう前に、マーサが魔界の門を固く閉じることがこの人間界を守る唯一の手段なのだと、長老たちは繰り返しリュカたちに諭すように語る。
「しかしあの場所には三体の女神像が置かれていました。あれはマーサ様が力を発揮する際に必要な祈りの場所のようなものなのでしょうか」
「ただ祈るだけなら一人で良さそうなもんだよなー」
サーラとミニモンの言葉を聞き、四人の長老たちは揃って黙り込んだ。その様子にリュカは思わず首を傾げた。二人の長老たちの視線が静かにミニモンに向けられていることに、リュカは口を挟む。
「三体の女神像に何か意味があるんですか」
リュカの言葉にすぐに反応したのは、四人の長老の中でも最も年嵩の巫女だ。彼女は恐らくマーサよりも年上で、今はこのエルヘブンの長の役割を最も重く担っている。
「私たちには分からないことです。あの場所に足を踏み入れることができるのはマーサのみ。三体の女神像が意味するところを、私たちは何も知らされていません」
何も知らないと話す割には、リュカには長老たちがあの場所の光景を思い浮かべているのではないかと言う雰囲気を感じていた。聖なる水の力に満ちた清浄な空間、轟々と流れ落ちる滝の音、それを背に正三角の位置に安置されている三体の女神像。それらを彼女たちははっきりとその脳裏に思い浮かべ、そして知らないふりをしている。リュカにはそう思えて仕方がなかった。しかし彼女たちが一切を話さないと決めているからには、いくら聞き出そうとしても無駄骨に終わるだろう。長老たちは恐らく、彼女たち自らの意思で話をしないわけではなく、厳しい定めの中で話すことを拒んでいる、そんな感じを受けた。
「まだその時ではない、ということでしょうか」
核心には触れないように、リュカは曖昧な問いかけをした。しかしその曖昧さだけで長老には十分伝わったようだ。
「きっとそうなのでしょう、とだけ申し上げておきます」
その後リュカたちはかつてマーサが暮らしていた祈りの塔の上階の部屋へと通された。以前にも泊ったことのある母の部屋で、リュカは存分に寛いだ。初めてマーサの部屋に入ったスラぼうとミニモンは絶えずはしゃぎ回り、サーラは窓から遠く北の景色を見つめ、マーリンはマーサの本棚に並ぶ本を勝手に丁寧に拝借し、目を輝かせながら読んでいた。ティミーとポピーも窓から覗く星空の美しさに顔を綻ばせ、その夜空に見知らぬ魔界の景色を重ね、まだ見つからぬ祖母を想った。
各々に寛ぐ様子のリュカたちの雰囲気を、四人の長老たちは祈りの部屋の中に居ながらにして感じつつ、東西南北の位置に姿勢を正して座っていた。その中央には特別に大きな水晶玉が置かれ、それに向かって四人が両手を差し伸べる。目を閉じ、集中して念を送れば、水晶玉は淡く黄金色の光を浮かび上がらせる。
長老たちの無言の交信が、水晶玉を通じて行われる。祈りの部屋の扉は施錠され、今は何人たりともこの場に足を踏み入れることはできない。上階に寛ぐリュカたちも、今は半ば上階に閉じ込められているような状況だ。
何の物音もしない、非常に静かな空間だ。長老たちは皆目を閉じているため、水晶玉に何が映っているのかを見ることはできない。しかし今必要とされているのは見ることではなく、求める声を聞くことだ。
水晶玉を通じて、長老たちの思念の中に直接、待ちわびる彼女の命の灯が明るく照らされる。その灯は温かく、彼女が今も無事でいることを知らせてくれる。途切れ途切れに聞こえる彼女の声は、二十年の時を経ても変わらず穏やかで、とても四六時中窮地に立たされている状況とは思えない。
彼女の安否を確かめた後、長老たちは問うた。彼を貴方に近づけて良いのかと。
それに対する彼女の答えは明らかだった。決して近づけてはならないと。
それだけを伝えると、水晶玉の黄金色は中央に吸い込まれるように止んでしまった。彼女の側から交信を途絶えさせたのだと長老たちには分かった。人間界と魔界との交信には常々危険を伴うため、彼女の命を守るためにも、エルヘブンの村を守るためにも、ごく短い時間での交信を心がけている。そして今回もまた、魔界からその繋がりは切られた。
長老たちは四人揃って目を開き、顔を見合わせる。そして上階のマーサの部屋で寛ぐ彼女の子供や孫たち、魔物の仲間たちに、神のご加護があらんことを、と祈りの言葉を紡ぐにとどまった。
Comment
bibi様
こんばんは。今回もたのしく拝読させて頂きました。最近、コメントを多発させててすいません^^;
全く飽きてないので、どんどん寄り道してくださいね!笑むしろライフワークなので、終わられると淋しいっす泣
あ、けどはやくビアンカは助けて欲しいなぁ(勝手)
さすがの最後の鍵でも1度で開けれなかったシーン、女神像がビアンカを思わせるシーン等、またまた豊かな発想力に感動しました!!さすがです。最後の鍵が戸惑うとは、母の力恐るべしですね。そして、リュカも(僕も)そろそろビアンカへの想いが溢れそうですね。リュカよ、あと少しがんばれ!!って思いで読みながら応援してるぞー!笑
やゆよ 様
コメントをどうもありがとうございます。多発、大歓迎です。
ライフワーク! そうですね、私もそんな感じになってきています。本当はオリジナルの話なんかも書いてみたいんですが。そっちに回るともうこっちには戻ってこられないと思うので、そういう寄り道は避けています(笑)
想像と言えばキレイですが、私の場合は独りよがりの妄想なので、お付き合いいただけるだけでありがたいです。
主人公の母はゲームの中ではほとんど登場しないような人ですが、恐らくリュカやパパス、孫たちをも凌駕するような力の持ち主と考えています。戦う力はないですが、世界を変化させる力を持っている・・・そんな感じでしょうか。
早くビアンカに会いたいですね。このままあの場所に突っ込んでしまいたい気持ちもありますが・・・寄り道の形で様々なサイドストーリーを書いて行く予定です。まだまだお付き合いいただければと思います^^;
bibi様
お言葉に甘えて多発させて頂きます笑
稚拙なコメントにもいつも丁寧な返信ありがとうございます!
いくらでもお付き合いさせて頂くので、じゃんじゃん妄想してください!笑
グランバニアの民にも慕われ、豪傑パパスに一目惚れされ、魔物とも通じる母ですから、そりゃ世界を変えるほどの力を持ってても全く違和感はないですね。
サイドストーリー、とっても楽しみです♪
寄り道大歓迎です。とっても個人的な感想ですが、子供達を魔物から隠し通したおばさん(乳母?)や、その部屋で、子供達は命に変えても守りますって言ってくれた兵士や、名前の無いキャラクター達にもスポットライトが当たるとワクワクしますね。隠し通したおばさんは、おそらく母親代わりの様な存在にもなった?であろうお方なので、子供達とのやり取りとか詳しく見てみたいですね!笑お城の人達の、子育て奮闘記的な!笑
ティミーもポピーも、父も母もいない過酷な人生にも関わらずまっすぐな良い子に育ってるので、きっとみんなに愛されたんでしょうね。ってな具合で裏側を想像しながらゲームしていたので^^;
とにかくなんでも楽しみにしてるってことが言いたかったです!!笑
やゆよ 様
グランバニアにいる際には、グランバニアの人々との交流を描ければなぁと思いながら今のお話も書いています。
ただ色々と登場人物を増やしてしまうと、私自身が混乱しかねないという・・・キャパが狭いもので(苦笑)
その内にグランバニアの人達のプロフィールも上げていければと思っています。いつになるかな・・・。
ドラクエというゲームは特にゲームの裏側を想像するのが楽しいゲームですよね。その辺りを好き勝手に想像妄想しながら書いて行ければと思っています!
bibi様。
いつも楽しいお話ありがとうございます。
ブオーン戦であんなに空中飛んで、ティミーといっしょに絨毯操ってブオーン倒したのに…
ポピーやっぱり高い所は克服ならず…(汗)
まあさすがにゲーム本編の設定を変えるわけにはいきませんよね(テヘペロ)
ゲームでは描かれない今回のストーリー、マーサが聖なる気で守り、邪悪な気がそれを阻もうとする描写、4人の長老がマーサと通信していたという事実。
こういう細かい所を描写してくれるのがbibi様です!
二次創作だからこそ、想像の中だけどゲームでは描かれていないけど、やっぱり疑問になっちゃいますから描写しちゃいたいですよね(笑み)おみごとでありますよ!
bibi様、自分忘れていますが、ゲーム本編で魔界の門を開く方法の情報は実際、どこから教えて貰えるんでしたか?
それと、大神殿に行かないといけないという情報はどこから教えて貰えるんでしたか?
記憶がうろ覚えで…(汗)
ケアル 様
こちらにもコメントをどうもありがとうございます。
ブオーン戦は必死だったゆえにポピーも気を張っていましたが、普段はやはり高いところは苦手です(笑)冷静になると、高いのって怖いじゃん!みたいな感じ。
マーサほどの力はないにしても、エルヘブンの長老たちにも途轍もない力があると思っています。リュカたちが来ることを事前に知っていましたし。なので、裏ではこっそりマーサと通じていたのではないかと思い、そんなお話にしてみました。
魔界の門を開く方法や大神殿の情報については、今後の展開で書いて行ければと思っておりますゆえ、その時をしばしお待ちくだされぃ(笑)