王女の複雑
テルパドールでの滞在は一日で、その日の夕刻には城下町のバザーに顔を出した。リュカたちは簡素な旅装に身を包んだ状態で砂漠の国の城下町をぶらついた。それと言うのも、勇者の再来を長らく待ち望んでいたこの砂漠の国で、勇者ティミーはあまりにも大きな存在であり、砂漠の民に要らぬ緊張を抱かせないためにも普通の旅人を装っていたのだった。それでも間もなく素性は知れたが、平民が身に着けるのと同じような旅装に身を包み、その上いかにも人懐こいティミーの性格が手伝い、テルパドールの人々はティミーを勇者として崇めるのではなく、普通の少年として接してくれた。そのお陰もあり、リュカは双子とサンチョと共にテルパドールの独特な特産物や装飾品を目にして、大いに旅行を楽しんだ。
グランバニアで採れる果物の味が濃厚なものが多いように感じられたのは、テルパドールの屋台に並ぶ果物の味が薄かったからだった。砂漠という乾いた土地に住む人々にはこの水気の多い果実が好ましいのだろうと、サンチョは決して美味いとは言わずに果実をむしゃむしゃと食べていた。地下庭園でリュカたちに出されたジュースは、テルパドールより外から来た来訪者に特別に出されるものだったのだろうと、リュカも味の薄い果実を食べ歩きながらそんなことを思った。
屋台に並ぶ装飾品は色とりどりと言うよりも金色に輝くものが多く、子供が身に着けるおもちゃの装飾品などは置いてなかった。目に眩しい金色の装飾品はまだポピーのような少女には似つかわしくないもので、その値段も到底子供らしさは感じられなかった。テルパドールの民の暮らしにはさほど裕福な雰囲気は感じられない。それでも金色の装飾品がそこそこ売れるのには、女王アイシスへの羨望や敬愛の心があるからなのではないかとリュカは思った。女王は常に装身具を身に着けており、それらは全て金色に輝くものばかりだ。女性だけではなく、男性も腕輪やベルトのバックルなどに金をあしらったものを身に着けていたりする。
アイシス女王は城にリュカたちの宿泊する場所を用意すると言っていたが、リュカたちはそれを断った。リュカがかつてビアンカとこの国を訪れた際には、城下町の宿屋に泊ったのだと話せば、双子の子供たちは当然のように同じ宿に泊まりたいと言い出した。サンチョもテルパドールの民に暮らしを見るのにも城下町に滞在するのは良いでしょうと賛同したため、アイシス女王の指示の下数人の兵をつけ、リュカたちはグランバニアの王族一行でありながらも一般の旅人が宿泊する宿でテルパドールの夜を過ごすことになった。初めの内は勇者であるティミーの姿を見に来る者も多く見られたが、夜も更けてくればその姿もなくなった。外で見張りを務める兵らが人々をなるべく遠ざけていることもその理由の一つだった。
日が落ちれば、砂漠は急激に冷えて来る。テルパドールの城に比べ、城下町の建物は熱しやすく冷めやすい。砂漠の夜が冷えると話には聞いていたティミーとポピーだが、まさか身体が震えるほどの寒さがやって来るとは思っていなかった。過去に経験してきた旅の中でも、高山地帯を歩いていた方が余程寒かったと思えるが、昼と夜の寒暖差に関してはこの砂漠の地と言うのは容赦がない。
街の明かりが落とされ、城の明かりもほとんどが消えると、途端に空に満天の星空が広がり、その景色にティミーもポピーも圧倒された。グランバニアの城からも当然、満天の星空を眺めることができる。ましてや旅に出ている最中は外で野宿になることも多く、存分に空を見上げることができる。しかし砂漠で眺める星空は、今までに感じたことのないほどの静寂に包まれていた。虫の音も鳥の声もない。耳に聞こえるのは僅かな風の音だけだ。それさえも時折完全に止み、耳鳴りがするほどの静けさに包まれて眺める星空の景色は、まるで自分たちが遥か上空に広がる星空の只中に放り込まれたかのようだった。
非常に不思議な感覚だった。あまりの静けさに、自ずと精神が研ぎ澄まされるようだった。昼の暑い最中は地下庭園で過ごすことの多いアイシス女王は、夜になって玉座に戻り、星空を眺めることが多いと聞いた。それは彼女の精神統一の場であり、星の輝きに彼女は未来を見ようと試みる。女王の特別な力を発揮するには、この砂漠の地と言う特殊な土地は必然のものなのかも知れないとリュカは子供たちとサンチョと宿の外に出て星空を見上げながらそんなことを思った。
宿の部屋で、リュカがビアンカと過ごしたテルパドールでの日々を少し話したところで、ティミーとポピーは穏やかな表情をしたまま眠り込んでしまった。かつての父と母が辿った道を聞きたいという興味よりも今は、彼らの中に残る疲れを癒す方に重きが置かれたらしい。
初め、サンチョは別の部屋を取って泊まろうとしていたが、今更そんな他人行儀なことができるかと、リュカは皆一緒に一つの部屋で寝泊まりすることにしていた。二人の子供たちが寝たところで、サンチョはリュカに眠るよう促したが、彼自身は部屋の小さなテーブルの上に小さな冊子を置き、それを広げるや否やテーブルに備え付けられていたペンでなにやら書き物を始めた。そんな彼の様子を見て寝ていられるほど、リュカは大人でもなく子供でもない。サンチョになら何をしても許されるという絶大の安心感の下、リュカはベッドの端に座りながらサンチョに小声で話しかける。
「仕事熱心だね」
「国に戻ってからでも良いのですがね。しかし私も年を取りまして、後々で記録を残そうと思っていても記憶が曖昧になっていることが多いもので」
サンチョはグランバニアを離れ、他の地を旅する際には必ずその土地の特徴などを記録に残している。本人はささやかな日記のようなものだと言うが、彼の思いも詰まる日記には、他の一般的な文献などには描かれない主観が含められる。
「サンチョの旅日記はグランバニアの国宝にしたっていいと思ってるよ」
「何を仰いますやら。誰に見せるものでもありませんよ、このようなものは」
「そんなことないよ。だってものすごく細かいことまで書いてあるんだもん。重要な資料と言ってもいいくらいだよ」
「褒めても何も出て来ませんよ」
「なーんだ。サンチョのことだから、ポケットから飴くらいは出て来るかと思ったのに」
「この国の暑さでは飴を持ち歩いても溶けてしまいますからね。こんなものしか出て来ません」
そう言いながらサンチョのズボンのポケットから出てきたのは、紙袋に収まった煎り豆だ。豆自体は甘みのあるものだが、全体に塩が振りかけられているその食べ物は酒のつまみに口にするようなものだ。
「どうして僕が今食べたいなって思ってるものが出てくるんだろう」
「たまたま先ほどのバザーで目についたので、少し買っておいただけですよ」
寝ている子供たちに悪いと思いつつ、リュカはサンチョとこそこそと話しながら煎り豆をひょいひょいとつまんでいく。砂漠の国とは言え、テルパドールには地下に潤沢な水資源があるため、水に困ることはない。今もテーブルには宿泊客用の水差しが置かれ、リュカもサンチョも揃って置かれた器に水を注ぎ飲みながら、ポリポリと煎り豆を口にする。
「坊っちゃんは小さい頃はあまり豆はお好きじゃなかったんですけどね
「あ、そうだった?」
「嫌いと仰っていたわけじゃないですが、いつも飲み込むときに少し辛そうなお顔をしていましたよ。喉を通りづらかったんでしょうね」
「僕が覚えてないよ、そんなこと。よくそんな昔のことを覚えてるね」
「このくらいの年になってくると、どういうわけか昔のことの方がよく思い出されるんですよね。不思議なものです」
自身もそうなるだろうかとサンチョに問いかけようとした口を、リュカはふと噤み、ゆっくりと視線を落とした。砂漠の国には至る所に砂が入り込み、リュカたちが泊まる宿にも当たり前のように砂のじゃりじゃりとした感触がそこここにある。テーブルの上も砂の感触があるが、リュカもサンチョもそのようなことは気にならないほどに旅慣れている。
リュカが振り返ろうとする過去の記憶の中に、子供たちが子供だった時の記憶は存在しない。二人は赤ん坊であり、八歳に成長した少年少女だ。目も見えていない生まれたばかりの赤ん坊で、泣くことしか知らなかった今にも壊れそうなほどに小さな赤ん坊で、二人に初めて歯が生えたことも、初めて言葉を話したことも、初めて立ち上がったところも、初めて歩いたところも、何一つリュカの記憶にはない子供の成長の姿だ。
「……見たかったなぁ」
リュカの独り言のような呟きに、サンチョは何も答えないまま静かにペンを動かし続けている。リュカが語りたければ語ることのできる空気を生み出すことに関し、サンチョは天才的だとリュカは思う。聞き出すこともなければ、ただ放っておくということもない。サンチョはテルパドールの景色を思い出すようにペンを器用にくるくると手先で廻し、リュカの独り言に応じるように「ふーむ、まだまだ見足りないな」などと独り言で返してくる。
リュカはこの場でサンチョに甘えることはしなかった。今この場で弱音を吐いて、最も打ちのめされるのは自分自身なのだ。子供のこれまでの成長を見られなかった過去を変えることはできない。しかし自分がいない間、これほど優しく頼もしい父の従者が双子の成長を見守っていてくれたことは、これ以上にない幸運なことだと思える。子供たちが健やかに成長し、今も尚元気に日々を生きていることが重要なことなのだと、リュカは後ろに向きそうになる顔を無理にでも前に向ける。
弱音を吐いてよい身でもない。自分はまだこうして助けられ、子供たちの傍に戻ることができたのだ。それに引き換え、彼女はどうだ。大きくなる腹を撫で、子供たちの誕生を誰よりも心待ちにし、誕生間もなく引き離された母の苦悩は、リュカが理解するにはあまりあるものだ。それを思えば、自身の苦悩などないと等しいと考えなければと、リュカは心の中で自身を戒める。
「サンチョ、この豆ってまだある?」
「お気に召しましたか」
「うん。明日の朝にもバザーがあるよね。子供たちにも食べさせてあげたいし、国のみんなにもお土産に買って帰ろうか」
「それは良いですね。では明日の朝、早くにバザーに立ち寄ってみましょうか。王子も王女もバザーは楽しそうでしたし、もう一度行けるとなればお喜びになるでしょう」
双子が早々に寝てしまったのは、熱気に包まれるバザーに思いの外疲れてしまったからと言うのもあった。子供たちにとって、砂漠のバザーでの買い物は初めての経験だった。その初めての時をリュカは子供たちと過ごすことができたのだ。
過去に戻り、子供たちの初めての時を全て共にすることなどできないが、これからはいくらでも子供たちと同じ時を過ごすことができる。過去を振り返り、反省することは大事だが、ただ後悔するばかりでは前に進めない。妻も、母もまた我が子と離れ離れになるという途轍もない苦悩を味わわせられているのだ。それを思えば、リュカは自身の中に沸き起こりそうになる悲しみなどささやかなものだと、その思いに蓋をすることもできる。
「こういうのって、食べ出すと止まらないよね」
「ここに酒でもあればもっと良いのですがね」
「僕は水でいいよ。酒はいつになっても飲める気がしない」
「私も、いつになっても坊っちゃんが酒を飲めるとは思えませんよ」
「それってどういう意味だよ、サンチョ」
「さて、どういう意味でしょうね」
口髭の中で小さく笑うサンチョを見ながら、リュカも思わず笑ってしまう。テーブルの中央には小さな明かりの揺れるランプが置かれ、中の火が仄かに風に揺れた。一つのベッドで背中合わせに眠る二人が、窓から入る冷たい風に身じろいだのを見て、リュカは窓の上部に備え付けられているカーテンを下ろした。砂漠の星空は見えなくなったが、今は子供たちに風邪を引かせないことの方が大事に決まっている。
「すっかりお父さんの顔ですね」
不意にそんな言葉をかけられ、リュカは面映ゆい思いでサンチョから視線を逸らして微笑む。自然とリュカの視線が寝息を立てる子供たちに向けられるのを見て、サンチョは胸の内を温かくしながら、冊子にペンをゆっくりと走らせ続けた。
砂漠の国の滞在を心身ともに楽しんでいたティミーとポピーは夜に悪い夢を見ることもなく、朝までぐっすり眠りについていた。見ていた夢は楽しいものだったようで、目が覚めるや否や夢の内容を話しだそうとしたティミーは、その途端に夢を忘れてしまったようで、悔しそうに頭を抱えて夢を思い出そうとしていた。
ポピーは砂のまとわりつく髪が束になっているのが気になり、いつもより丁寧に髪に手持ちの櫛を通していた。普段の旅の最中には持ち歩かないような櫛は、グランバニアの城にいる時には鏡台の引き出しに大切にしまわれているものだ。砂漠の女王に失礼のないようにと、旅の前にドリスが持たせてくれたものらしい。
朝のバザーに行くとリュカが言えば、二人は朝の仕度もそこそこにすぐに行こうと、喜び勇んで砂漠のバザーへと向かった。朝とは言え、砂漠を照りつける日差しは既に強い。昨日は雲一つない抜けるような青空が広がるばかりだったが、今朝は空のところどころに千切れた綿のような雲が浮かんでいる。そんな白い雲を見て、リュカは今頃天空城がどの辺りを飛んでいるのだろうかとふと気になった。
バザーは砂漠の民たちで賑わっていた。ここが砂漠という特別な場所だということを忘れてしまうほどに、バザーには様々な品物が並べられている。その多くは食料品や日用品で、嗜好品の類はほとんど見られない。その光景にこの国が決して豊かではないと気づかされる。しかし国民の表情に不満の陰は見られない。特別窮しているわけではないこの国で、それこそ絶大なる信頼の置ける女王の統治の下に、砂漠の民たちは日々の暮らしを穏やかに過ごしている。
バザーで朝食を済ませ、一通りの買い物を済ませると、リュカたちはそのままアイシス女王のところへと向かった。大きな袋を担ぐように背負っているサンチョの姿を見て女王は驚いたように目を見開いたが、この砂漠の国を楽しんでもらって良かったと一向ににこやかに微笑んだ。形式的な挨拶を苦手とするリュカは簡単に「また伺います」とだけ伝えると、情緒に欠けると思っている移動呪文ルーラを使って自国グランバニアへとひとっ飛びに戻って行った。
時差を計算していなかったリュカたちが戻ったグランバニアは、夕闇に包まれそうな時刻を迎えていた。城門から入れば兵士らの手を煩わせ、城下町にも要らぬ騒ぎを起こしてしまい兼ねないと、リュカはルーラの到着地点にグランバニアの屋上庭園を思い描いて、見事庭園の床に着地した。ティミーとポピーはまるで背中に羽でも生えているかのように軽やかな着地を決めたが、リュカはサンチョの背負う大荷物の負担を軽くしようと支えたため、大人二人で庭園の床にめり込みそうな激しい着地を決めていた。
その後玉座の間でオジロンにテルパドール訪問の報告をする前に、城を壊す気かと少々叱られたが、無事に戻って来たリュカたちにオジロンは密かに安堵した表情を見せていた。リュカたちが城を出て外に行く度に、オジロンは不安や心配に胸が押しつぶされそうになっているのが本当のところなのだ。しかしその不安も、サンチョが大量に持ち帰って来た土産物を目にすれば、すぐに笑顔の下に隠れてしまう。その術は年々、サンチョと共に上達するばかりだ。
明日から一週間、リュカがこの玉座に座り国王としての務めを行うようにとオジロンに約束させられた後、リュカと子供たちは自室へと引き下がった。グランバニアには既に夜の帳が下り始め、一日を終えようとしているが、リュカたちは今尚元気を持て余している状態と言うのがこのルーラという呪文の持つ欠点のようなものだ。旅の情緒も置き去りにして、途端に朝から夜に、夜から朝にと目まぐるしい時間の流れを行き来させられる呪文は、人間の持つあらゆる感覚にそぐわないために封印されていたのではないかと、リュカはついて行けない時間感覚にそんなことを思う。
まだ半日分の元気を持て余している子供たちは、砂漠の国を訪問したざらざらとした感触を湯浴みで落とし、食事をした後も疲れることなど当然なく、親子三人でテルパドールの国における話や、今後の行動予定についても話をしていた。
「ホントだ、この豆、美味しいね!」
「お水さえあれば、ずっと食べられそう……グランバニアでもこういうの、育てることできないのかな」
「これは砂漠のあの土地でないと育たないんだろうね。グランバニアみたいな湿気の多いところじゃ栽培に向いていないんじゃないかってサンチョが言ってたよ」
窓の外では夜に聞こえる鳥の声が静かに響いている。虫の音も聞こえる。砂漠の地ではどちらの音も聞こえず、耳鳴りのするほどの静けさに包まれていたのがつい先ほどのことだと言うのが信じられない。
「ボクもルーラが使えたらいいのにな。そしたらいろんなところにひょいひょい行けるのにさ」
ティミーの発言にリュカは過去の妻の発言を思い出す。そして二人がルーラと言う呪文を使えないことに納得と安堵が重なる。もしティミーが、もしビアンカがルーラを使えるようになれば、二人はそれこそ好き勝手にあちこちふらふらと行ってしまい兼ねない。好奇心に冒険心を併せ持つ二人がルーラを使えず、子供ながらに冷静な判断を持つポピーだけにその力が引き継がれたことは、リュカの精神安定には必要な事態だ。
「お父さん、一週間は国に留まるのよね。でもその後、またどこかに行く予定なんでしょ? どこに行こうと思ってるの?」
リュカはテルパドールに旅立つ前から既に次の目的地を決めており、書簡でのやり取りを二度ほど交わしている。到底、一国の王が書くようなものではない軽い内容のリュカの書簡に対し、相手もまたその上を行くような雑な返事を寄越している。しかし肝心の日程などはまだ調整中として、明確には決めていない。
「今度はちょっと長居する予定なんだ。だからティミーとポピーは国で留守番していても構わないよ」
「そんなのつまんないよ! ボクは絶対に一緒に行くよ」
訪問先がどこであれ、ティミーは迷わずリュカに帯同するつもりだ。しかしポピーは何かを感じ取るように、リュカの顔を覗き込んだまま黙り込んでいる。
「……どこに行くかによるけど」
「ラインハットだよ」
「…………少し、考えさせてください」
ポピーもラインハットに行きたいのは山々なのだろう。しかし行けば、必ずあの一つ年下の生意気王子に会うことになり、しかも王子王女という間柄で強制的に話をするなどして相手をしなくてはならないことが彼女にとっては不満の種なのだ。そんな娘の不安がありありと分かることに、リュカは思わず苦笑いしてしまう。
「ポピーってヘンリーのことは好きだよね」
リュカのあまりに直球な物言いに、ポピーだけではなくティミーもまた口をあんぐりと開けている。
「お父さん、もうちょっと言い方があると思うんだけどな……」
「いや、でもコリンズ君ってヘンリーの小さい頃そっくりだからさ。そんなに嫌わなくてもいいんじゃないかって思って」
「ヘンリーおじさまの小さい頃にそっくり!? あの子が!? 冗談言わないでよ、お父さん。どこが似てるのよ」
「……でも見た目はびっくりするくらい似てるね」
「僕なんかたまにどっちがどっちだか分からなくなる時があるよ」
「そりゃあ見た目はかなり似てるかも知れないけど、ぜんっぜん違うでしょ! ヘンリーおじさまはとっても大人で頼りがいがあって優しいけど、あの子はまるで反対じゃない! お兄ちゃんもそう思わない?」
「いや、ボクはヘンリー様のこともコリンズ君のこともそんな風には……」
「夢、見てるなぁ……」
引きつった笑みを浮かべる兄と、少し呆れたような表情を返してくる父を見て、ポピーは今の二人にはまともな話も通じないのかと悔しさに地団駄を踏む気持ちになる。どうにか伝えようとする娘を見ながら、リュカはこれほどまで嫌悪感を抱かれるコリンズに少なからず同情してしまう。
「うーん、そんなに嫌ならポピーだけはグランバニアで留守番……」
「そういうわけにも行かないでしょ! だってお兄ちゃんが行って私が行かないなんておかしいもの。私たちはいつでも一緒に行動してるし」
「行こうと思ってたんだけど風邪引いちゃって、で大丈夫なんじゃないかな」
「そんなの、お優しいヘンリー様やマリア様を心配させてしまうだけだわ」
「そうだ! 代わりにドリスに行ってもらうのはどうかな!? ドリスもラインハットに行きたがってたよね」
「そんなのズルイ! 私だって行きたい!」
「ラインハットへ行きたいは行きたいんだよね、ポピーも」
「ムチャクチャだよ、ポピー……」
ポピー自身、ラインハットへ行くことは楽しみなのだ。何故か憧れてしまったヘンリーに会うことができ、無意識にも母を意識するマリアに会うこともできる。しかしラインハットへ行けば必ず、あの生意気なコリンズの相手をさせられることは目に見えている。彼が悪い人だとは思っていないが、尊大な態度で口を開けば生意気なことを言う彼とまともな会話ができるとも思えず、むしろ売られた喧嘩は買うといったような態度を取ってしまい兼ねない自分の強気が前面に出てしまうことをポピーは怖れているのだ。
「コリンズ君はきっと寂しいだけなんだと思うよ」
ヘンリーとマリアの間に生まれたコリンズがラインハットでどのように育てられてきたのはなど、リュカには当然わからない。ヘンリー自身、幼い頃に父母を失い、マリアに至っては父母の記憶は無いに等しい。そんな二人が恐らく自身が得られなかった父母からの愛情をふんだんにコリンズに注いだことは容易に想像できる。ラインハットへ行けば必ず、ヘンリーもマリアもコリンズの話を自ら進んでするのだ。ヘンリーは相変わらず、一見突き放すかのような言葉で息子を語るが、その言葉の中には隠しようもない愛情がある。マリアはリュカの境遇に気遣い、控えめであるものの、やはり息子への愛情を自然と露にしている。コリンズは間違いなく、父と母二人の愛情を受けて育っている。
しかしヘンリーはラインハットの宰相であり、マリアはその妻という立ち位置だ。かつてラインハットは魔物の乗っ取りにより、危うく国家滅亡の危機に瀕していた。今でこそラインハットには平和が保たれているが、ヘンリーはその平和の中で安穏としていられるほどかつての危機を忘れてしまっているわけでもないだろう。それ故に彼の中では今も尚、国の復興の途上であるという意識の下、表では城の生活は退屈だなどと軽口を叩くが、裏では絶えず国の事細かな動向に世界情勢にと、日々忙しなく国政に携わっているのだとリュカは確信している。
そして妻マリアもまた、その真面目な性格故に夫の助けとなる務めを果たすべく、自身のできることをと国の中で動き回っている。以前、ラインハットを訪問した際には、突然の訪問であったにもかかわらずマリアはリュカたちを丁重にもてなしてくれたが、その合間にもマリアは宰相夫人として優雅に過ごしているわけではなく、折を見て席を外したことがあった。彼女の夫に聞けば、マリアは教会に日参しており、神父の務めの手伝いや教会を訪れる人々の話に耳を傾け寄り添う務めを果たしているという。他にもこまごまとした働きをしているようで、今や彼女もまたラインハットと言う国を立派に支える一人となっている。
同じ城の中にいても、決して父と母が常に傍に居てくれるわけではない。ヘンリーもマリアも決して息子をないがしろにしているわけではないが、大人と子供は住む世界が異なると言うのもまた抗えない現実だ。ただそれを理解できるのは大人の方だけで、子供は表面上では理解できても心の底から腑に落ちることはない。いつだって愛する父と母に構って欲しいと、その愛情を確かに受けているが故に更にその思いが強くなることもあるのだろう。
「友達と言う友達もいなくてさ、コリンズ君はきっと寂しいだけなんだよ」
それはかつてのヘンリーと同じようなものだろうかとリュカは思う。そしてかつての自分と同じようなものだろうかとも思う。ヘンリーは物心ついた時には既に実の母を亡くし、実の父とも分かり合えないままに二度と会えなくなってしまった。それを思えば、リュカは自分はどんなに恵まれていたのだろうかと思える。
しかしまた他方で、自分も恐らく愛情を欲していた。父パパスが自分に愛情を注いでくれていることは子供心にも感じていた。それにもかかわらず、父が仕事だと言ってサンタローズに住む家を空ける時には寂しいと感じた。自分には分からない話を他の大人としている父を見れば、置いていかないでと自分に注意を向かせたいと思った。ただそれがただの我儘だと分かっていたから、父を困らせてはならないとどうにか自戒できたからしなかっただけのことだ。
「ちゃんと友達ができれば、きっとコリンズ君ももっと素直になってくれると思うよ」
リュカはたとえ父との距離を感じても、その距離を埋めてくれるサンチョがいてくれたり、プックルがいてくれたり、ビアンカがいてくれたりした。父と自分だけの世界だったら、それは寂しさが募るだけの世界だったのかも知れない。他にもリュカには頼れる人たちがいたから寂しさと向き合うだけではなく、寂しさから逃れる術を持つことができた。
「ボクはもう、コリンズ君とは友達のつもりなんだけどな」
ティミーもまた、このグランバニアで王子として育ち、生まれた時には父も母もおらず、少なからず寂しさを抱えて生きてきた。しかしその境遇の中においても彼がこれだけ強く素直に育ったのは、グランバニアの人々の支えのみならず、彼を一国の王子としてよりも、リュカとビアンカの子供として大事に守ってくれた魔物たちの存在もまた大きい。そして最も大きな存在は妹のポピーだ。生まれた時から今まで、一度も傍を離れることなく共に育てられ、言葉を交わさずとも気づかない内にも分かり合えている特別な双子の心は、特別な絆で結ばれているに違いない。
そうして心から信頼できる人々や魔物らと育ったティミーは、彼自身が生まれながらに持つ性格も相俟って、コリンズを色眼鏡で見ることもなく既に友達なのだと言い切ることができる。
「私だって本当は……だってあの子はヘンリー様とマリア様の子供なんだもの。悪い子のわけないって思うもの」
同じ環境で育ってきたポピーだが、彼女だけがコリンズにどうしようもない嫌悪感を抱いてしまうのは、偏に持って生まれた性格の差なのだろうとリュカは思う。ティミーもポピーも正義の心を強く持っているが、ポピーの方がいくらか正義に厳しい。彼女の中にこうであるべきだという思いがあり、そこから逸脱したものを素直に受け入れられない頑なさが少女のポピーには存在している。
「ポピーがコリンズ君を悪く思ってないってだけで、コリンズ君は嬉しいと思うよ」
「それなら別に問題ないじゃん。じゃあ今度はみんなでラインハットに……」
「ちょ、ちょっと待ってよ! 私は悪くないって言っただけで、良いなんて言ってないもの! だからラインハットに行くのは……あ! そうだ! お父さん、テルパドールで女王様から聞いたじゃない。呪文に詳しい人がどこかにいるって。先にそっちに行ってみた方が良いんじゃないかな? だってもしとっても強力な呪文を知ってたら、それを教えてもらって、これからの旅にだって良いことだらけだと思うのよね。今度のラインハットは少し長くいるって言ってたわよね、お父さん。その前にその人に会いに行ってもいいんじゃないかしら、ねえ」
捲し立てるようなポピーの話す姿を見ていると、リュカはどうしてもその姿をビアンカと重ねて見てしまう。何せそっくりなのだ。慌てて話す時の口調も声も顔も仕草も、全てが生き写しなのだろうかと思うほどに、こんな時にポピーの中にビアンカの姿が見えてしまう。
だからリュカは、感情を隠すような笑みを浮かべた。
「ポピーはしっかりと話を聞いてくれるから助かるよ。そう言えばそうだった。女王が言っていたのはルラフェンの町のことだと思うよ」
リュカが町の名を口にすると、ティミーとポピーは目を見合わせた。その反応を見て、二人がまだ行ったことのない町なのだと分かる。未知の世界は自ずと、子供たちの好奇心を掻き立て、ティミーもポピーもその町はどんなところなのかと既に期待感を持った目をリュカに向けている。
「うん、分かったよ。じゃあ先にルラフェンの町に行ってみようか。僕も久しぶりだからちゃんとルーラで行けるかどうか自信がないけど……マーリンが一緒にいれば大丈夫そうな気がするよ」
リュカがかつてルラフェンの町を訪れた際、魔物であるマーリンが町の中まで同行した。通常、町や村の中に魔物の仲間を連れて行くことのないリュカだが、あの時だけは魔物の仲間であるマーリンも共にルラフェンの町の中を歩いたのだ。その珍しい過去の体験をマーリン自身もよく覚えており、今でも魔物の仲間たちに自慢げに語ることがあるという。
「僕にルーラを教えてくれたおじいさんがいるんだ。女王が言っていたのはきっとその人のことだろうから、久しぶりに会いに行ってみることにするよ」
リュカが次の目的地を双子がまだ行ったことのない町に決めると、ティミーもポピーも初めて行ける町に期待を高め、まだまだ眠気の訪れないのを良いことにリュカからもっと話を聞こうと身を乗り出す。しかしグランバニアは既に夜も更けようとしている。窓は閉めているものの、子供たちの興奮した高い声と言うのは意外なほど外に響くことがある。そんな声を聞かれて、後でオジロンやサンチョに叱られるのはリュカなのだ。
ルラフェンの町は行ってからのお楽しみと二人に言い、リュカは逃げるようにその場を離れ、書き物をするために机に向かった。父が仕事を始めるのだと気づけば、ティミーもポピーも無理に父に話を聞こうとはしない。そして彼らは二人でまだ見ぬルラフェンの町を想像しながら、互いの想像を言い合ってああでもないこうでもないと話し始め、話が脱線していき、終いには自分たちが一番初めに身に着けた呪文の話をしていた。リュカの知らないそんな話を耳にしながら、リュカは一枚の便箋に『子供たちもそちらに行くのを楽しみにしているよ』といった内容の友人への手紙をしたためていた。
Comment
bibi様。
二ヶ月ぶりの更新、誠にありがとうございます。
首を長くして心待ちにしていました。
旦那様のお怪我や息子さんの事などでお忙しい中、新しいエピソードをアップして頂けるbibi様の器に感無量です。
今後も少しずつでも更新していただけると嬉しい限りですが、あまり無理をなさらず、お体を大事にして下さい。
今回のお話ではポピーのコリンズに対する複雑な感情が描かれましたが、今でこそ微妙な関係でも最終的には仲良く、ひいては恋人関係になるような展開をbibi様は描かれる予定でしょうか?
小説やその他の二次創作では婚約したりといった展開が多いですからねえ。国同士の関係的に見てもつりあうでしょうし、そのあたりこの小説ではどうなるかワクワクします。
今後もお体に気をつけて頑張って下さい。
ゆうぼん 様
早速のコメントをどうもありがとうございます。
主人の足の怪我も大分良くなり、子供との生活も落ち着いてきたので、一度更新出来て良かったです。いやあ、時間がかかって申し訳ないです。本当はどんどん更新して行きたいところです。書きたいことは山ほどあって、大分先のことまで考えてはいるので。そして・・・そんなに悠長にしてると、自分自身もどんどん年を取ってしまうので(笑)
ポピーはそのうち・・・とは思っています。この二人の恋模様も本当は書いて行きたいところです。喧嘩しながら仲良くなっていくのはこの二人しか描けないかなと。まあ、まだ子供なんで今は子供同士で絆を深めていければいいなと思っています。ああ、書きたいことがありすぎてまとめられずに困っています。収拾がつかない・・・。
bibi様。
なまら更新お待ちしておりました!どうもありがとうございます。
bibiワールドのサンチョ、リュカと二人きりになると、リュカ王ではなく、ぼっちゃん…と呼ぶんですよね。
そんなサンチョのそういうとこ、なんかジーンと読み手は来るんですよぉ(笑み)
サンチョにとって、リュカは、いつまでも「ぼっちゃん」なんだろうなぁ…そんなふんいきが親しみ感じちゃいます。
ルーラ時差問題、ゲームは昼になるだけなんだけど、bibiワールドは昼夜の時差を前前から表現していますよね。
リアルだなあって感じてました、しかも北から南、南から北へ行く時の今回の描写はなかなか現実味があって良いですよ(拍手)
ルーラ時差の描写があるなら、ポピーのラナルータの描写は難しいですか?
話の流れ的にラインハットかと思えば最後の最後でルラフェンになるポピーのイヤイヤ執念(笑)
たしかに子分の印をとってこいだの、すなおに謝れない態度だの、上から目線の言い方、ティミーとの桧の棒との打ち合いでティミーを騙して狡してケガして逆切れ、あいかわらず子分扱いの言い方はポピーにはコリンズをまだ友達だとは思えないんでしょうね…、ポピー・コリンズの恋模様が見れるのはいつになるやら…。
次回はいよいよルラフェンですね、ルラムーン草を取りに行った後、たしかリュカは体調を崩したんでしたっけ?どうだったかな…。
光の教壇のおばさん、イブールの本、パルプンテ、そしてマーリンはまたしても街の中へ?
次話の更新を楽しみにしております!(笑み)
ケアル 様
早速のコメントをどうもありがとうございます。
サンチョはリュカにとっての安らぎの場所でありたいと自ら望んでいる部分もあります。そして自分自身、リュカという存在に縋っている部分もあると。リュカはサンチョの生き甲斐そのもの、そんな感じでしょうか。
ルーラで時差が生じないと、世界中の生活が大変なことになるなと思って、こちらの世界ではこのような設定にしています。もういっそのこと地球とか宇宙とか自転とか公転とか忘れて、もっと簡単な世界にしちゃえばいいかななんて思ったこともありますが、それだとどうにも情緒に欠けるというか、なんか足りない、みたいなことになりそうだったので、複雑だけどこんな世界にしています。・・・いや、別に複雑なことはないのかな。
ラナルータは世界中に迷惑をかける厄介な呪文なので、使いどころを考えてしまいますね・・・。今のところはまだ、この呪文の出番はなさそうです(汗)
元々は次はラインハットに行く予定でした。ただ今度のラインハット訪問は長くなりそうだったので、先に寄り道してもらうことに。私自身がヘンリー贔屓の人間なので、ルラフェンの次に書く話は少し長くなる予定です。
そうそう、以前ルラフェンに寄った時、リュカは体調を崩してマーリンに連れられて町の中に入りました。さて、ルラフェンのお話の準備をしなくては・・・。マーリンはまたしても、きっと強引に行くに違いありません(笑)