立場と本心の狭間
あれから十年と言う月日が流れたが、無事に妻を取り戻すことができた。ようやく双子の子供たちと会わせることができた。リュカの願いは一つ、完遂された。しかしそれでめでたしめでたしと、物語が終わるわけではない。生き続けている限り、これからも自身の周りには時が流れ、物事の動きも止まることはない。
リュカは一国の主と言う立場だ。君主として、グランバニアの人々の生活を背負っている。家族や身内だけの安全や保護に固着している場合ではないのだと、オジロンの呼び出しに嫌でも思い起こされる。
兵からの伝達を受けてリュカが玉座の間への階段を降りれば、そこには昼の日差しを入れた明るい空間が広がっていた。グランバニアの玉座の間はこれほどまでに明るかっただろうかとリュカはしばし瞠目したが、それもこれもグランバニアに無事に戻った王妃の存在がそうさせているのだろうと、早くも上階へと戻りたい気持ちに駆られた。
「おお、リュカ王!」
国王代理の立場にあるオジロンは、国王であるリュカが城中にいる間は凡そ玉座に腰を下ろしていない。今も彼は玉座の傍に立ち、今か今かと国王であるリュカの到着を待ちわびていた。リュカが国を不在としている間は、その義務感から国王の務めを果たすことのできるオジロンだが、本心ではいつでも自身は王の器ではないという思いがある。リュカとはまた別の思いで、オジロンの心の中にもまた、兄パパスへの消えぬ尊敬の念が在り続けているのだ。そしてその思いは、兄パパスの息子であるリュカへと引き継がれている。オジロンにとってリュカは可愛い甥と言うだけではなく、兄パパスの後を継ぐことのできる唯一の存在だという確信がある。
「親子水入らずのところをお呼びたてして本当に申し訳ないのじゃが……」
「いえ。僕の方こそすみません。本当はこの場所を空けちゃいけないのに」
玉座の間にはオジロンの他に衛兵数人、それとサンチョの姿があった。しかしこの玉座の間にあってはサンチョはあくまでも家臣の一人と言う立場を崩さないようにしているのか、玉座の傍に立つリュカとオジロンとは離れた扉近くの位置に直立している。ビアンカが戻ったと聞いて息せき切らして国王私室を訪れた時には、身分の違いなど頭からすっぽ抜けていたかのように、顔中に涙を溢れさせて「ビアンカちゃん……よくぞお戻りに……」といつも以上に泣きじゃくっていたサンチョは、今もまだ目を腫らしたまま、君主と家臣の距離を持ったままリュカをにこやかに見つめている。
リュカもまた、すんなりと玉座に腰を下ろすようなことはしない。己がこの国の王なのだという思いは十分に胸に留めているが、玉座を空け、旅に出てばかりの自分が一国の王だという現実に多かれ少なかれ引け目を感じているのも事実だ。その思いの土台の一つに、リュカ自身が国王としての教育など一切受けていないという過去もある。正当な王位継承者であり、順当に王位を継承した身となっても、リュカの国王としての心は常にどこか彷徨っている。
リュカは玉座の前に立ち、同じく立つオジロンと言葉を交わす。先ずはグランバニアの現在の状況を聞く。十年ぶりとなる王妃の帰還に城中は沸き、王妃の体調さえ戻ればすぐにでも城下町での祝いの場を設けるのだと息巻いているような状況らしい。お祭り騒ぎを期待する国民の思いを蔑ろにするわけにはいかないが、先ずはビアンカの様子を見るべきだとリュカはオジロンに伝える。身勝手を承知で、リュカは今は彼女には子供たちとの時間を優先させてやりたいという思いを隠さずにオジロンに伝えると、彼もまた素直にそれを承知した。あくまでも決定権はリュカにあることが、オジロンの態度に現れている。
セントベレスの地から解放した人々は今も尚、天空城に留まっている。その数はまだ正確に把握しておらず、しかし一国で面倒見ることのできるような人数ではないことは分かっている。一刻も早く彼らの生きる場所を確保しなければならないのだ。ようやく奴隷の身分から解放された彼らだが、ここで新たに異なる不安を与えてしまえば、不安に駆られ、不安に憑りつかれてしまう。そうなれば彼らは人も何も信じなくなってしまうだろう。
救出した人々の事はリュカも既にオジロンやサンチョに話していた。グランバニアでも当然、行き場のない人々を引き受ける場所を用意するが、全ての人々を受け入れることはできない。そして人は物ではない。できる限り、一人一人に話を聞き、状況に応じた対応を取りたいとリュカは考えている。しかしオジロンは冷静に、ある程度の強制は必要だと言葉を返す。住めば都ということもある。いずれにせよ、喫緊の課題として、セントベレスから救出した人々の生活を整えなくてはならないことは確かなことだ。家族との時間を大切にしたいと言っている場合ではないと、リュカは今の状況にそう思った。
その他にも話すことは尽きないが、一息つくようにオジロンが大きく息を吐くと、一転して声の調子を弱めて、リュカに内緒話でもするかのように話しかけた。
「リュカ王にどうしても聞いておきたいことがあってな」
近くに立つ衛兵にも聞こえないような小さな声で、尚且つリュカに一歩近づいたような状態で、オジロンはいかにも話し辛い調子でそう言葉をかけた。リュカは嫌な予感がしつつも、断る理由も術もなく、伯父の言葉に耳を傾ける。オジロンはいつになく険しい顔つきで、束の間口ごもる様子を見せながらも、意を決して声を上げた。
「ずばり申そう! リュカ王は暗黒の魔界にゆかれるおつもりか?」
リュカがこの玉座の間に姿を現す前、オジロンはセントベレスより帰った魔物の仲間たちより事の詳細を聞いていた。主にオジロンに話をしたのは、恐らくピエールに違いない。しかしピエールはあの大神殿の地上部分での待機要員として、リュカたちが地下神殿から戻るのを待っていた。リュカが子供たちやガンドフ、スラりん、ベホズンと共に聞いた母マーサの言葉を、ピエールは知らないものだとリュカは思っていた。
しかしリュカに呼びかけた母の言葉は、そのままピエールたちに届いていてもおかしくはないのだと、リュカはその時の現象を思い出す。どこからともなく聞こえた母の声を、ピエールもプックルも、メッキーもミニモンも聞いていたのかもしれない。
ただそう考えると一つだけ、引っかかることはある。母マーサを慕うミニモンが、リュカにも子供たちにも、魔物の仲間にさえも何も語っていないことだ。もしマーサの声を聞けたなら、ミニモンのことだ、自慢げに仲間たちに語るに違いない。
リュカに問うオジロンの表情には、明らかな不安が見えている。リュカが父パパスの遺志を継ぎ、魔界に囚われ続けている母マーサを救い出すことを諦めず、今後魔界にその足を延ばすことをはっきりと懸念している。
リュカの思いを尊重したい気持ちも当然あるのだろう。オジロン自身、兄であるパパスの妻マーサを奪還することは長年の夢であることには違いない。彼やサンチョは、このグランバニアと言う国において二度に渡り、王妃を魔物に攫われるという悲劇に遭遇しているのだ。既に攫われて三十年近くが経つという時の経過に関わらず、オジロンは義姉のマーサの救出をきっと夢見ている。
しかし、それを上回る思いが彼にはある。もういいではないかと、オジロンはまるで兄パパスの言葉を代弁するかのように、リュカの危険な旅路を終わらせようとしている。たとえパパスが生前、妻マーサを救い出して欲しいと手紙に残し、息子であるリュカに伝えた事実があるとしても、その時のパパスの若き思いから二十年以上が経っているのだ。今のリュカを見て果たして今も尚、父パパスがあの時と同じように妻マーサの救出を息子に願い託せるだろうかと、オジロンは自分の息子も同然のリュカを労う。
伯父の深い心配を見るリュカの胸の内には、それでも変わらず父パパスの遺した手紙の文面が一字一句違わずに蘇る。現実には数十年の時が流れているとしても、リュカの時は一部、あの時で止まってしまっている。時を前に進めるためには、母マーサの救出を成し遂げてようやく本当の意味で動き出す。ビアンカを救出できたからこそ、リュカの母救出への思いは強まっている。
目の前のオジロンの白髪がまた増えたような気がする。年相応と言われればそうなのかもしれないが、顔に刻まれる皺も数日前に比べても多くなったような気までしてくる。王に相応しくないと自身で口にするオジロンの不安も見て取れる。恐らく苦労続きの伯父の様子を見れば、リュカは己の本心に自ずと蓋をする。
「行きません。僕は、この国の王として、この国に留まるべきでしょう」
心の内に思うのと、言葉にして外に表すのとでは、雲泥の差がある。リュカの言葉を聞いたオジロンの表情が一瞬、時を忘れたかのように固まった。リュカの答えが意外だったのかも知れない。パパスの息子リュカならば、この先も母マーサの救出を諦めることなく、歩み続けるに違いないという思いが、オジロンの中には間違いなくあった。
リュカが国の王として、グランバニアに留まることを決心した。その事はオジロンにとって、喜ばしいことに他ならない。兄が遺した大事な息子をもう危険な旅に出す必要もない。これからは愛する妻子と共に、このグランバニアという国を治めるために力を尽くしてくれると、リュカは覚悟を決めてくれた。その事実を噛み締めれば、オジロンの表情は徐々に解かれ、笑みが広がって行く。
「それを聞いて安心した。これでこの国も安泰! 万々歳じゃ!」
そう言った後のオジロンの顔つきには、晴れやかな未来を想像する雰囲気がありありと漂っていた。そんな伯父の表情を見て、リュカもまた自分の言ったことは間違っていないのだと思えた。
オジロンはピエールから聞いていた。リュカを魔界に誘う悪の手が伸びてきている。敵が何を思い、リュカを魔界に誘い込んでいるのかは分からない。マーサを人質に、リュカを魔界に誘い込むことで、地上世界にあるグランバニアを先ずは陥れようとしているのかもしれない。そのような一つの可能性を、ピエールは示していた。
リュカを魔界に近づけてはならないのだと、オジロンは真っ先にそう考えた。大事な息子のようなリュカを守るためにも、彼の愛する家族を守るためにも、このグランバニアを守るためにも、それが最善なのだとオジロンは信じて疑わない。第一、魔界に囚われている義姉マーサもまた、彼女の子供であるリュカの身の安全を最優先することに疑いの余地はない。全ての者たちの意を汲んだ末の決断であることは、誰の目にも明白だ。
その中で、オジロンは胸の内に一つの棘のように残る悔いを、どうにか収めようとする。魔界に囚われ既に三十年近くの時が過ぎた今、義姉マーサのありもしない怨嗟の声が聞こえそうで、思わず耳を塞ぎそうになる。彼女の無事をこの目に確かめない限りは、今後も勝手な己の想像の中に生きる義姉の恨みの声を聞くことになるだろう。しかしそのようなことは、リュカたちの安全の前では小さなことだと、オジロンはリュカの両手を手に取った。
「あくまでもこの国の柱となるのはリュカ王、そなたに他ならぬ。そして無事に戻った王妃、そして王子王女と共に、これからはこの国のため尽くしていただきたい」
「はい。これからもよろしくお願いします、オジロンさん」
そう言ってリュカもまたオジロンの両手を握り返した。オジロンの手は年相応に節々が固く、一流の武闘家という存在も相俟って皮膚の厚みもある。この手をもってして、リュカがグランバニアに戻るまで絶え間なくグランバニアの国政を務め、頼りないと言われながらもどうにか国を存続させてきた。本来ならば、何事も起こらなければ、正当な王位継承者であるリュカが父パパスよりその位を受け継いでいたはずだ。リュカが玉座に就くことは、世の理から言っても正しいとしか言いようがない。今ようやくにして、ただ普通の既定路線に戻ったというだけの話なのだ。
玉座の間全体にも、リュカがこれからもこの国に留まり国王としての務めに励む決意を見せたことによるそこはかとない安心感が漂っていた。当然、同じ場に立つサンチョもまた、同じようにリュカがグランバニア国王としての務めに真剣に向き合うことに賛同しているものだと思っていた。
離れた場所に立つサンチョに目を向けると、いつもにこやかな表情を見せる彼の顔つきは、どこか強張っていた。笑みを見せようと口角を上げているものの、その目に喜びの心情は見られない。リュカと目が合えば、目を細めて笑顔を見せるものの、その視線は間もなく外された。
その後、リュカは引き続きオジロンと国王としての会話を交わしていたが、気づいた時にはサンチョの姿は玉座の間から消えていた。どこかよそよそしさを感じるサンチョの態度に、リュカは不安を覚えるとともに、僅かに苛立ちを感じ、そんな自身を子供じみていると密かに胸の内で詰った。兎にも角にも、後々彼の言葉を直に聞かなければならないと思いつつ、オジロンの話に耳を傾けた。オジロンがリュカを息子同然に思うように、リュカもまたサンチョを父や母のように思っているのだ。
オジロンとの話を一度区切り、リュカはそのまま玉座の間を後にした。向かう先はグランバニア城二階にある兵士訓練所だ。一度私室に戻り、妻と子供たちの顔を見てからでも良いのではと言うオジロンの勧めには従わず、リュカは後ろ髪引かれる思いで玉座の間の扉を開いた。今ビアンカやティミー、ポピーの顔を見に戻れば、再び部屋を出るのに多大な胆力が必要になるだろうと、勢いに任せるように屋上庭園を臨む回廊に出ていた。
今の時間、屋上庭園によく姿を見せるドリスはいない。空には綿のような雲がぽつりぽつりと浮かび、空の色は強い青さに満ちている。間もなく日は中天に昇る頃合いで、今の時間ドリスは昼食前の鍛錬にでも行っているのだろうと、リュカは暑さに顔をしかめ、首元を緩めながら早足で回廊を歩いて行く。
回廊を歩いた先の建物の陰に入った瞬間、早くも顔に浮かぶ汗を冷やす風に、ほっと一息つく。そんなリュカを建物の陰から見ているのは、警備についている兵士ではなかった。まるでリュカがこの場にやってくるのが分かっていたかのように待ち伏せていた、サンチョだった。
「リュカ王、これから訓練所へ行かれるおつもりですか」
リュカが兵士訓練所へ行こうとしているのは、グランバニア一の兵士長となったジェイミーと話をする必要があるからだった。今この時も、天空城には光の教団に囚われていた人々が残っている。天空城はあくまでも竜の神の城であり、天空人たちの住まいである。まだ行き場の定まらない人々の処遇を定めるために国の兵の力を借りるべく、兵士長であるジェイミーに話をしに行こうとしていたのだ。そのリュカの行動を、サンチョは理解していたに違いない。
「うん。サンチョも訓練所に行こうと……してたわけじゃないんだよね」
「ええ、まあ私はそういうわけでは……」
言葉を濁しながらもその場を取り繕おうとするサンチョだが、特別玉座の間を後にする理由も用事もなかったことはその態度に知れた。もし理由があるとすれば、あの状況でただ玉座の間にいる理由もないという至って消極的なものだろう。
サンチョに一言声をかけ、リュカはそのまま訓練所に向かうことには何の問題もなかった。グランバニアの国王として為すべきことは腐るほどある。そして国王としての一日の務めを早く終わらせ、すぐさま私室に戻って妻と子供たちに会いたいという思いが最も強い。
しかし珍しく勝手に席を外したサンチョと話をしておきたいと思うのもリュカの本心だ。リュカとオジロンが話をしている途中で特別な理由もなく席を外すなど、常に従者たる心持ちのサンチョらしからぬ行動だった。最も身近な存在とも言える彼の隠した言葉があるのなら、それをリュカは聞き届けなければならない。
「サンチョ、僕はこの国の王だよ」
リュカは普段通りの調子でそう言葉にしたつもりだったが、その声はどこか冷徹な雰囲気でサンチョの耳に響いた。一国の王であれば、国の事を第一に考えなくてはならない、大義を大事にしなくてはならないと、サンチョ自身の思いに蓋を被せられたような気になった。
「サンチョは大事な臣下……臣下なんて言いたくはないんだけど、でも大事な人であることは間違いないよ」
「ありがたきお言葉です」
「だからさ、話してよ」
「……何をでしょうか」
「僕に言いたいこと」
中天に昇ろうとしている日の光が差し込まない建物の陰で、リュカはサンチョの茶色の目を覗き込んだ。人間は巧みに嘘を吐いたり、本心を誤魔化したりすることがある。サンチョの場合はそれが優しさから出てしまうことがあるのだと、リュカは思っている。しかし真正面からその目を覗き込めば、相手が嘘を吐いているか、誤魔化そうとしているか、その状態を掴むことができる。言葉や態度は誤魔化せても、どうしても生き物の本心は目の中に現れてしまう。
しばし視線を逸らさずにリュカの目を見つめていたサンチョだが、本心を質そうとするようなリュカの強い目に耐えられず、揺れて落ち着かなくなった視線はそのまま横に逸らされた。しばらくの沈黙が流れる。暑い日差しの入らない建物の陰には、涼し気な風が入り込む。間もなく昼時を迎えるからか、城下町か城の厨房か、食事時の良い香りも漂ってきた。
口を引き結び、逸らしていた視線を上げて、サンチョは再びリュカを見る。脇に提げられた両手にも知らず拳が握られている。
「坊っちゃん! いえ、リュカ王!」
その声の勢いに僅かに目を開き驚くリュカだが、サンチョの言葉の続きを促すように、すぐさま穏やかな表情で「何?」と小首を傾げる。
「オジロン様のお考えも分からずでもないですが……」
サンチョが異を唱えようとしているのは、国王代理であるオジロンの意見に対してだ。オジロンはリュカに、本来の立場であるグランバニアの王としてこれから城に留まり、国の主として今後は国に尽くして欲しいと願った。リュカもそれに応じる言葉を返した。オジロンの言うことに間違いは見当たらない。しかし間違いは見当たらなくとも、リュカの胸の内には蓋をして上から押さえつけた思いがある。そしてそれは、サンチョも同様だった。
「私はなんとしてもパパス王のご遺志を継いでマーサ様を助けていただきたいと……そのためにはこのサンチョ、どんなところにでもお供いたしますぞ!」
サンチョという人物はどこまで行っても、亡き主であるパパスの従者だった。その息子であるリュカを我が子同然のように可愛がり、父を亡くし、母とも生まれた時から生き別れとなっているリュカへの愛情は計り知れない。それ故に彼のこの強い思いは、リュカに告げたくないと思うと同時に、告げなくてはならないと思っていた。
「ビアンカちゃんを助けた場所で、マーサ様のお声を耳にされたと聞いております」
サンチョがその事実を知っているということは、当然オジロンも知り得ているはずだった。マーサの声をリュカが聞き届けたと知って尚、オジロンはもう旅に出ずに国に留まれと、リュカの足を止めたのだ。オジロンはリュカの命を最優先に考えた。もちろん、サンチョとてリュカの身の安全を第一に考えている。
「あと……あともう少しで届くのです」
「……うん」
「旦那様の悲願を……私はどうにかしたくて……」
「うん、分かるよ。分かってるよ、サンチョ」
リュカはサンチョが声を詰まらせて言うその姿を見て、今にしてようやくサンチョの思いに追いついたような気がした。
サンチョはただ、永遠の主とも呼べるパパスの願いを果たしたいと思っているのではない。リュカの父であるパパスも当然、我が子を母と会わせたい思いをこれ以上なく強く持っていたに違いない。そしてその思いを、サンチョは父の従者として共有していた、というほどのものではなかった。
サンチョ自身がリュカの片親である意識が、長い時間を経る間に育つのは避けようもなかった。生まれてすぐに母と生き別れとなり、まだ六歳と言う幼い時分に尊敬する父を喪ったリュカを、サンチョは身分など越えて我が子のように思っていた。
「マーサ様は坊っちゃんの名を何度も呼んでいたと……ガンドフが教えてくれました」
セントベレスの地下神殿に共に入ったガンドフは、その帰路でリュカたちと何処からともなく響いてくるマーサの声を聞いた。初めて耳にするマーサの声だったが、リュカの母としての愛情を隠し切れないあの声をガンドフもまた同じように聞いていたのだろう。リュカの名を何度も呼んでいたとオジロンやサンチョに伝えたガンドフの口調は、凡そ涙に暮れたものだったのではないだろうか。
「今の坊っちゃんになら成し遂げられると、そう思えるのです」
そう言いながらリュカの目を見上げるサンチョの表情は硬い。しかし同時に意志の強さをありありと感じさせるものだ。リュカ自身、サンチョが感じているような思いを抱いている。
これまでに様々な経験を積んできた。リュカが積み上げてきた経験値は非常に多いものだろう。幼い頃に父を亡くし、過酷な環境で友と二人、子供ながらに生きてきた。魔物の手に滅ぼされようとしている友の国を共に救った。海を渡り、かつての戦友とも再会し、死の火山に足を踏み入れ、滝の洞窟を探索し、生涯の伴侶とも出会えた。砂漠の国に渡り、勇者の伝説の一端に触れ、見知らぬ故郷の話を耳にした。そして故郷グランバニアを目指し、到着して目の前のサンチョとも再会。妻の懐妊という出来事にも恵まれ、喜びも束の間、妻と共に人として生きる時間を止められた。
絶望を感じたことがあった。しかしその度に、諦めるわけには行かないと己の心を奮い立たせた。自分は構わない。しかし自分以外の思いや願いがリュカの背中に負ぶさっている。大事な人の大事な思いが背にある限り、歩みを止めるわけには行かないのだと、石の呪いから解かれた後は、宝物である二人の子供のために奔走した。
子供たちと、生き分かれてしまった母とをどうにかして会わせたい。つい昨日まで、リュカの思いはその一点だけに注がれていた。これと同じ思いを抱いたまま、父パパスは命を落としてしまったのだと思うと、きっと今も浮かばれぬ思いを抱いたままその魂はこの世に留まっているのではないだろうかと、不安に極まる時がある。
サンチョの思いは彼の主であるパパスの思いがそのまま引き継がれているかのようだ。彼にはそれを引き継がなければならないというほどの、強い思いがあるに違いない。そしてその目的が達成されない内には、彼もまた背中に負った大事な人の思いと共に、歩みを止めるわけには行かないのだ。
リュカはサンチョの両肩に手を置いた。彼の心に寄り添うように、その大きく逞しい両肩を優しく二度叩く。
「大丈夫だよ、サンチョ。分かってる」
「坊っちゃん……」
「僕も本当は……でも今はまだ……」
リュカの濁す言葉の中に、サンチョはしっかりと彼の本心を読み取った。
リュカの気持ちも、サンチョと同じものだ。あともう少しで母の場所に手が届く。母マーサはリュカに来るなと告げた。それも偏に、息子であるリュカの身を思ってのことだと、双子の父であるリュカには嫌でも分かった。誰が魔界などと言う危険な地に、我が子を呼び寄せたいと思うのか。子供が幸せに暮らせるのなら、親の願いはそれだけに尽きる。
しかしリュカはもういわゆる「子供」ではないのだ。力も知識も何も持たないような子供ではない。人よりも様々な経験を積んできたつもりだ。それを糧に、力を尽くせば、父の悲願である母の救出も夢ではないと、竜の神の復活に携わり、我が子に伝説の勇者を持つ彼は夢や希望をそのままの形に終わらせることに心の中で異を唱える。
「もちろん、私も今すぐにマーサ様の救出のために行動を起こすなどとは考えておりません」
本来ならば我が子のように大事に思うリュカを、危険な場所へ向かわせることをサンチョが望んでいるわけがない。ましてやリュカ自身、ようやく妻ビアンカを救出し、再会できたところなのだ。複雑な胸中には当然、リュカが家族団欒の中に幸せに笑っている姿を望む気持ちも多くある。そして同時に、母マーサの腕に抱かれ安らぐ赤ん坊のリュカがその目に見えている状況は、どうしようもない。
「やはり、こんなことを申し上げるべきではなかった」
「そんなことないよ、サンチョ」
リュカはそう言って、もう一度サンチョの両肩を軽く二度叩いた。
「サンチョが言わなくたって、きっと僕はその内、同じことを思ってたよ」
「そんなことは……」
「遅かれ早かれ、きっと思ってた」
妻ビアンカを救出できたことに胸を撫で下ろしたことは間違いない。これまで会えなかった十年の時を埋めるように、これからは彼女と子供たちと一緒の時間を丁寧に築いていきたいと思う。時を戻すことはできない。過ぎ去った時を埋め切れるとも思えない。しかしこれからの時間を丁寧に着実に積み重ねていくことで、家族の形は徐々に丸く定まって行くものだと信じる。
そしてリュカの家族の形が定まって行けば行くほど、恐らくもっと欲しいものに手を伸ばしたくなるのだ。リュカが自身の家族を築く前からずっと続く父パパスの願いを叶えたいと思う気持ちは、これから幾度となく見るビアンカと双子の子供たちの幸せな状況を見れば、気持ちに蓋をしていても自ずとその蓋を押し上げるほどになるだろう。
「サンチョは僕のこと、どう思ってる?」
「どう、と言うのは?」
「ほら、僕って人によく優しいとか、一見弱そうとか、優柔不断そうとか、そんな風に思われてると思うんだけどさ」
頬を指先で搔きながらそう言うリュカを見ながら、サンチョは困ったように微笑する。一見弱そうに見えるというのは恐らく城下に住む人々の声を聞いてのものだ。
「坊っちゃんは子供の頃からなかなかに強か、且つ心根に計り知れない頑固さを持つお方です」
思っていたよりも数段はっきりとしたサンチョの物言いに、リュカは思わず目を見張る。
「そうでなければどうしてビアンカちゃんを救い出せたでしょうか」
「サンチョ……」
「あなたはどれほど苦難に見舞われても、絶対に諦めない方です」
サンチョの言葉がリュカの背中に重くのしかかる。しかしその重みはリュカ自身が望んでいるものだと思っている。彼の言葉をそのまま受け入れられるのは、サンチョ自身もまたその言葉の重みを知りつつも口にしているからだ。諦めずに前へ進めとリュカに言い放っているだけではない。サンチョ自身もまた、同じように、むしろリュカの盾となるようにその前を進み続けるのだと、そう言っているに等しい。
「ありがとう、サンチョ」
リュカの言葉に、サンチョは厳しい表情のまま首を横に振る。礼を言われることなど一つも言っていない、むしろ余計な事を口にしたのだという意味が、サンチョの行動に見て取れる。
「とりあえず今日はこのまま……訓練所に行ってくるよ。サンチョはどうする? 一緒に行く?」
「いえ、私はマーリンのところへ行って少し話をしてきます。まだ国の南を流れる川の整備が終わっていないようなので、状況を今一度確かめて参ります」
「実はやることが多いのはサンチョの方なんじゃないの?」
「そんなことはありませんよ」
いつものにこやかな表情を取り戻したサンチョは、リュカに軽く会釈をするとそのまま一階へ続く階段を降りて行った。ぼやぼや時を過ごしていては昼食の席に着けないかも知れないと、リュカもまた早足で城の二階の一角にある兵士訓練所へと向かった。今は一先ず、目の前にある問題に向かわねばならない。天空城に避難させている人々の居場所を定めるべく、人々を混乱させぬよう収めるために、統率された兵士たちの力が必要なのだと兵士長ジェイミーに相談をと、リュカはそれだけを考えながら訓練所へと向かって行った。
Comment
bibi様。
小説更新ありがとうございました。 今か今かと首を長くしてお待ちしておりました。
ゲームではあっというまに話が流れて魔界突入になる会話転回ですが、ここはbibiワールドで楽しませてくれるんですね(楽しみ)
ゲームでのオジロンとサンチョの台詞を使いながら、、bibiワールドで話を膨らませてくれると感情輸入しやすいです(笑み)
サンチョとリュカ王との主君と従者の会話…いやいや、ぼっちゃんと料理のうまいおじさんとの絶妙な会話進行は、まじでなんか…心にしみわたるもんです(ウルウル)
ずっと最初から今までbibiワールドを聴いてたからbibiワールド小説に自分が感情輸入しやすいんでしょうね(笑み)
bibi様、サンチョの、ぼっちゃんにおともします…は、今後のbibiワールドでパーティ加入のフラグになるとか?(楽しみ)
bibi様、オジロンの返答に、魔界に行くのか? → はい…と答えたらゲームではどのような台詞になるんですか?(気になる)
bibiワールドでは、天空城に助けた市民がいるんでしたよね。 ここはbibi世界だけの中の話。
どのように助けた人たちを割り振るのか?
ラインハット、サラボナにいつ市民を連れて行くのか?
次回は、完璧にbibiワールドになりそうですよね、ジェイミーに話を聞きに行くんでしたよね?
ここから先はどういう話の小説転回になるか予想難しい…。
自分的にはジージョとの初対面…初会話…どちらが正しいのかな(ええへ)
それがすんごく気になります!
次話お願い致します。
m(__)m
ケアル 様
コメントをどうもありがとうございます。
そうです、ゲームではあっという間に魔界へ突入となりますが、それまでの話をいくつか入れて、じっくりと進めていく予定です。大神殿で助けた人たちや、ちょこっと各地にも寄る予定です。
オジロンとサンチョは根っこでは同じ思いがある、という感じです。けど、オジロンは外で旅をしていた時のリュカを知らない一方で、サンチョはリュカと共に外に出て一緒に戦ったりしているので、サンチョはリュカの強さをしっかり見ているんですよね。だから、リュカを守りたいという思いと合わせて、共に戦えるという存在と認めているところがあります。ただただ守るだけの存在ではないと。サンチョが今後、パーティーインするかどうかは・・・これから考えていきたいと思います。
オジロンに「はい」と返事をした時は、「それはなりませぬぞ! 命のリングからのマーサ様の言葉、このわしも人伝に聞き申した。どうかマーサ様を信じてお考えを改めますように」と、断固拒否の姿勢でした。こういうゲームの台詞一つ一つに、色々と考えさせられますね・・・。
これからはしばらく、私の勝手なワールドが広がります(汗) ゲームの展開と違うじゃん!と突っ込まれるようなこともあるかも(まだ分かりませんが)。しかしそれでも、どうにか皆様に楽しんでいただけるお話を作って行ければと思います。
次回は、天空城へ。解放した人々の様子を見に行くところから始まる予定です。
bibiさん
ここはそれぞれの立場の気持ちが辛い場面ですね。
王族に生まれ長い間国を支えてきたからこそ、国の事を一番に考えるオジロンの主張はよくわかります。
戦乱の世であれば君主や子が戦争で遠征する事はよくありますが、魔物の影が蠢くこの世の中ではずっと国に残って支えて欲しいと思うのは当然ですよね。
ゲームプレイ中は、グランバニアという国に愛着は沸きつつもやはり家族を優先したいという想いが強かった記憶がありますが、この作品で出来る限り国王としての務めを果たしてきたリュカを見てると、なおさら難しい選択だと実感します。
ピピン 様
コメントをどうもありがとうございます。
ゲーム中は流れもあり、すいすいと魔界へ向かう一行ですが、お話になるとかなり躊躇するものがあるなぁと。そんなところです。
基本的には君主として国に在るべきでしょうとも思いますが、そうはさせない世界がこの後待っていると・・・そんな感じです。
ようやく家族が一緒になって、国王としての務めもあり、だけどまだ父パパスの思いを遂げることができない、そして自身もまた見知らぬ母への憧れが沸々と、と、まだまだ葛藤の中にあるリュカであります。