林への退避

 

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山を下り、平地に降りれば、身を隠す場所がほとんどなくなることがその景色に分かる。まだちらほらと林が形を成している場所もあるが、一体何色なのかも分からない草地のずっと先に広がるのは、暗がりの中でも関係なくその存在を知らせる、臭気を上げる毒の沼地だ。まだ遠くに見えている毒の気配が既にリュカたちの元へと伸びて来る。鼻を突く毒の臭気を吸い込み続ければ、それだけで体の調子を崩すと、リュカはより遠回りとなってもやむを得ないと、更に沼地を大きく回り込む道筋を進んでいくつもりだ。
平地に降り切る前に一度、岩山に寄り、休息を取った。水も食糧も十分に残っていた。それもそのはず、彼らはそれまでに数度休息を取っていたにも関わらず、さほど水にも食糧にも手を付けていなかった。先に続く道がどれほどかも分からず、途中で命綱でもある水と食糧を切らしてはならないと、誰もがそれらを少量で済ましていた。
しかし山を下りるとなった段階で、リュカたちの眼前には、敵の根城であるエビルマウンテンの景色が広がった。目的となる場所を何の障害もなくその目にして、それまではまだまだ続くと思われた旅路が終わるという感覚を唐突に突きつけられた気がした。エビルマウンテンの山頂は高く、暗雲が覆う空には絶えず稲妻が閃いている。稲妻の光により空は赤黒く照らされ、リュカたち人間にもはっきりとその山の威容を目にすることができる。ジャハンナの町が聖なる青白い光でその場所を示していたように、敵の根城であるエビルマウンテンは赤黒く明滅する落ち着かない光でリュカたちに居場所を示し、誘っているようにも見えた。
皆が一様に息を呑む姿を見て、リュカは「山の麓まで降りたら一度休んでおこう」と皆に声をかけたのだった。広がる景色の中に、身を隠すところがほとんど見当たらない。途中途中、ゴレムスの巨体に身を隠すことは続けるが、もう岩山に身を寄せて敵の目を眩ませることはできない。エビルマウンテンの山々の麓に広がる森に入るまでは、リュカたちは無数の敵がいるであろう平地を歩かねばならない。ゆっくりと休息を取れるのもここで最後かも知れないと、リュカはこの場でなるべく穏やかに過ごすこととした。
食欲の無さそうな子供たちに笑いかけながら、リュカは自ら食糧を口にした。本当は味気も何も感じなかった。水を口にするのは、口の中がやけに乾くのと、食べ物をただ流し込むためのものだった。しかしそれとは悟られないように、リュカはただ笑顔でティミーとポピーに食事を勧めた。
そんなことができるのも、リュカが旅の途中のパパスを思い出していたからだ。愛する妻マーサを必死に探す旅の中でも、父パパスは一人息子のリュカに辛い表情を見せることはなかった。いざ自分の番になってみれば、決して父が無理をしていたわけではないと感じた。親にとって子供が辛く悲しい表情を見せることが最も辛く悲しいことなのだ。それを避けるためならば、己の感情を封じることなど易く耐えられるものだと思える。
ふと前を見れば、ビアンカが同じように笑いかけながら子供たちの背に手を添え、支えている。彼女もまた同じように、今は子供たちの心の平穏だけを思っているのだろう。恐らく父親である己よりも、母親である彼女の方がより、子供たちに寄り添う心は深いのかも知れない。リュカには彼女の存在が心の底から有難かった。子供たちの心に究極に寄り添える母がいてくれることで、自身はむしろ子供たちと適度な距離を取ることができる。今までもそうだったが、今後は更に、どのような事態が起こるか全く分からない。その時にリュカは誰よりも冷静に、一人で、決断しなければならない時が来ることを想定していなければならないのだと、笑みを浮かべて妻と子供たちを見つめながら一口また水を口にした。
ジャハンナの町を広く取り囲むように聳え立つ岩山には、時折岩山の溝を小さな沢が流れ、その水はリュカたち人間にも口にするものができる清らかなものだった。思えばジャハンナの町を訪れる前にも小さな洞穴の中に水が流れ、そこには小さな赤い実が生っていたりもした。暗黒の世界に唯一ある人間の町には、町全体を守るような清らかな水が絶えず町の周りを流れていた。その水がこの広い岩山にも細々と伸びていると言うことなのだろう。水を見つける度に、リュカたちは手持ちの水に継ぎ足していた。お陰で今のところ、水に関しての不安はない。
しかしこの先の景色を見れば、水も食糧も減る一方であることは明らかだった。魔物のみが生きる目の前に広がる地帯で、人間が食するようなものは何も用意されていないだろう。たとえあの森の中に川が流れていたとしても、人間であるリュカたちが口にすることはできないに違いない。広い毒の沼地に侵された大地は、黒くおどろおどろしい森にも間違いなく影響を与え、全てにおいて人間を寄せ付けない。覚悟はしていたはずだが、いざ目の前の命を感じられない景色を見ると、自ずと身体は小刻みに震える。
震えを止めるのは、あの場所のどこかに囚われている母マーサを想う心だ。ただ目の前の景色に恐怖を感じるのではなく、その先に待つ母のこれまでの人生を思えば、己の中に育ちそうになる恐怖を抑え込むことができる。心を抑え込むことができるのは、あくまでも心なのだと、リュカはその胸に常に己の意志を明確にするよう努めた。決して見失ってはいけない。
平地を歩くリュカたちは身を隠す場所を選んでもいられず、その姿はどうしても目立つ。敵の魔物に進む姿を見られれば、敵は興味を持ってその一行を眺め、そして近づいてくる。なるべく戦いを避けるために、リュカたちは見える敵との距離を保ち続けた。しかしそれだけで敵との戦闘を全て回避できるわけもなく、戦いたくもない敵と戦うことにもなる。
平地を徘徊している魔物の数は多くは見当たらない。見るところ、平地を歩く魔物は決して意思を持ってエビルマウンテンという場所を守る風ではなく、ただこの魔界に生まれたからそのまま生きているという雰囲気を醸していた。ただ魔物として、生まれながらの敵である人間を見れば当然のように襲い掛かるだけの行動は見せた。
平地をしばらく歩いていたリュカたちだが、見れば魔物らが自然と集まり、リュカたちの行く手を遮るような格好になっているのが見て取れた。それも意図的ではなく、リュカたちの歩く動きに合わせている内に、目の前に伸びる道を塞ぐような形になっただけのようだ。しかしこのままでは大勢の敵の立ちはだかる場所を突破しなければならないと、一度敵の魔物の目を眩ませるのを目的に、近くの小さな林に身を潜めることにした。
「…………っ!」
林に入り、少し奥へを足を踏み入れれば、そここそが魔物の巣窟になっていた。木々の枝葉の間には多くのバズズの姿があり、同じようにホークブリザードの姿があった。これらの群れは、平地を行く生きるだけの魔物らとは異なり、明らかに意図をもってこの場に身を潜めていた者たちだった。バズズの目が暗い森の中に光り、ホークブリザードの鋭い嘴からは絶えず冷気が漏れ出ている。
「ビアンカ! ポピー!」
名を呼ぶだけで、二人はすぐさま戦闘態勢へと身を固めた。優先するべきは命だと、母娘は慣れたようにマホカンタの呪文を仲間たちにかけていく。一度この呪文反射の呪文を身体に帯びてしまえば、たとえ回復呪文でも防御呪文でも受け付けないのが分かっていても、敵の力が死の呪文だけではないと知っていても尚、そうするしかないのだとリュカたちは一人残らず青い巨大鳥の脅威をその身に知っている。
バズズが一斉に獣の声を上げた。その途端に、ホークブリザードが一斉に吹雪を吐き始めた。それだけでこれらの魔物の群れが連携を取れていることが分かる。猿の知恵はただの猿知恵に非ず、明らかにリュカたち一行をこの場で仕留めようと、猿の群れと鳥の群れは互いに協力している。マホカンタの呪文を帯びたリュカたちの様子を見て、バズズは冷静に仲間であるホークブリザードらへ呪文を唱えるなと指示を出しているのだ。
この暗闇の中で炎を上げて目立つわけには行かないと言っていられる状況ではなくなった。この林が燃えてしまうような勢いで容赦なく、アンクルがベギラゴンを放つ。その勢いを増幅させるようにと、リュカがバギクロスの呪文を放つ。豪風を受けた炎が森の中で轟音を上げて、頭上から吹雪を浴びせかけるホークブリザードらの青い身体を焼いて行く。その中で二匹、弱点でもある炎から逃れるようにと、揃って同じ方向へと飛んで逃げ出した。森の中、敵襲を受け、一時方向を見失ったリュカたちの目指すべき方向はそこなのだと見定めたピエールが、大声で皆に呼びかける。
「あっちへ抜けろ!」
ゴレムスが駆ける構えを取る。その手には既にビッグボウガンがあり、いつでも敵を狙う準備がある。リュカがティミーをプックルの背に乗せた。ティミーが驚いた表情でリュカを振り返るが、目を合わせる余裕もないまま、プックルは先を走り出した。プックルに続いてアンクルが、背にビアンカを乗せて低空飛行で矢のように飛んでいく。
リュカがポピーを抱え、共にゴレムスの足に乗る。ピエールは既にゴレムスのもう片方の足に乗り、仲間たちの様子を見たゴレムスが地響きをさせながら森の中を駆け出した。常に遅い動きを見せるゴレムスだが、身体が大きいだけでその速さをいくらか補える部分がある。疾風のような走りを見せるプックルには及ばないにしろ、小さな枝葉をバキバキと構わず折り進んでいく力強さはゴレムスだけのものだ。
先頭を駆けて行くプックルは、巧みに敵の攻撃を避けて行く。しかし全てを避け切れるわけではなく、その敵の動きをティミーが目を見開いて捉えた。右手に天空の剣が光る。疾走するプックルの背に乗りながら剣を構えている自分が自分ではないように感じるのは、こんなことができるのは父リュカだけだと思っていたからだ。しかし半ば強引にプックルの背に乗せられ、既に駆け出してしまったからには、できることをしなければならない状況だと、煌めく天空の剣を右手に振るう。
敵の群れにとっても脅威のものだったに違いない。決して怯むことのない獣と勇者が果敢に向かってくるその様に、森の中に潜むバズズの群れでも自ずと怯んだ。その一瞬の隙でも逃さないのがプックルだ。彼の青い瞳に映る景色は、こと戦いの場においては人間とはまるで異なる。疾風のごとく駆けるプックルだが、その目にははっきりと敵の動きを捉えることができた。伊達に地獄の殺し屋の異名をつけられているわけではない。速さと身のこなしを武器に、プックルは敵の群れの隙間を縫うように進んでいく。
息の詰まるような勢いで進むプックルの背で、ティミーが息を詰めて天空の剣を振るう。その動きは、父リュカの見様見真似だ。リュカならばこの勢いでも、両手を離して両足だけでプックルを乗りこなしかねないが、流石にそうは行かない。何故リュカがティミーをプックルの背に乗せて走らせたのか。それを考えるだけで、ティミーは力が湧き、プックルの背でも天空の剣を振るうことができた。ただでさえ、天空の剣は勇者ティミーの手にとっては羽のように軽く感じる武器だった。重々しい剣を手にしている感覚もなく、ティミーはただ自分の手を自由に振り回すことで、敵となる魔物の身体を斬りつけて行った。
父リュカが息子ティミーを信じ切っている。勇者ティミーと戦友プックルが、この局面の先頭を切り拓くことができるのだと、ティミー自身もそう信じ、プックルの躍動感溢れる走りに必死について行きながら、敵の中を掻い潜って行った。
頭上から、恐ろしいまでの死の呪文が飛びかかってくるのが空気に知れる。バズズはホークブリザードらに呪文の発動を抑えるよう指示していたが、その声が届かないものや指示を聞かないものが構わずザラキの呪文を放ってくる。呪文反射の効果はまだ皆の身に帯びている。しかし死の呪文を跳ね返す度に、マホカンタの呪文の効果は薄れる。そしていつかその効果はぷつりと途切れてしまう。
ビアンカはアンクルの背に乗りながら、ずっと前を走るプックルとティミーの様子を注意深く見つめていた。己とアンクルの身体に帯びるマホカンタの呪文もまた、効果は薄れているが、それよりも先頭を駆けて行くティミーとプックルが帯びる呪文の効果は最早途切れる寸前と見て取れた。ザラキの呪文をまともに浴びないためにも、絶えずマホカンタの呪文をその身に帯びていなければならないと、彼女はいつでも呪文を唱えられる体勢にある。
頭上に迫る魔物の気配に、彼女が素早く上を見上げる。木の枝の上からバズズが二体、タイミングを見計らったように飛び降りて来た。そのまま行けば、バズズはビアンカの頭上へと降りかかるように攻撃を仕掛けることができた。しかし、彼女らの後ろには、それを予期したかのように仲間たちがいる。
突風が、飛び降りた二体のバズズを退けた。リュカが放ったバギマの呪文で、木の枝から飛び降りたバズズ二体はその軌道を変えさせられ、地へと落ちた。まるで狙いすました矢のようなリュカの呪文の効果に、ビアンカは気づくこともできなかった。アンクルは頭上から敵に狙われた事にも気づかないまま、凄まじい勢いでの低空飛行を続けている。
先頭を駆けるプックルの更に先に回り込んでいたホークブリザード三体の姿が、アンクルの目に映った。鋭い嘴をパカッと開け、その中に溜め込んでいた吹雪の冷気を見る前に、アンクルが林の中で飛び上がった。ビアンカは必死にその背にしがみついている。
「嬢ちゃん! 杖で行けよ!」
そう言うとアンクルは中空からベギラゴンの呪文を放った。プックルとティミーの進路を阻むホークブリザードの吹雪をかき消そうと、炎の威力を最大に保つ。それを感じたビアンカもまた、アンクルに片手でしがみつきながら、片手にマグマの杖を振りかざし、同じくベギラゴンの呪文を放った。林の一部が赤々と照らされ、ホークブリザードの青い姿は赤い炎の渦に飲まれた。
その渦の中へ、プックルがそのまま突き進む。彼の目には、敵三体が炎に弾かれ、吹き飛ばされたのが映っていた。ティミーはただ、プックルを信じて背中の赤毛に身を伏せ、しがみついて一体となったまま、炎の渦に突っ込んでいく。右手に握る天空の剣はもう張り付いたかのように手から離れない。
プックルの疾風のような走りについてこられるのは、数匹のホークブリザードだけだ。その他の敵の魔物らは揃って、巨大なゴレムスを標的としていた。木の枝から降ってくるように、バズズの群れが落ちてくるのを、リュカとピエールで牽制した。二人とも魔力にそれほどの自信があるわけでもなく、またそれぞれ自身が回復役であることを自覚している。それ故に少ない魔力で調整し、リュカはバギの呪文で敵の動きを一瞬でも止め、その隙を突くように剣を振るった。同じくピエールもまた、イオの呪文で敵の群れを撹乱させ、剣を振るう。敵の数が多い。ポピーを庇うリュカの腕に、バズズの鋭い爪が食い込む。それを見たポピーが悲鳴を飲み込み、素早く腰の剣を抜くと、バズズの腕に斬りつけた。誘惑の剣に仕込まれる毒性が、バズズの目を曇らせる。即座に混乱状態に陥ったバズズは、そのままゴレムスの足から地へと落ちて行った。
ゴレムスの巨大な身体にバズズが群がる格好だ。ゴレムスが腕を鋭く振り、しがみつこうとするバズズを振り落とす。頭の上に落ちて来たバズズを掴み、投げる。それでも間に合わないほどに、多数のバズズがゴレムスの巨大に群がる。視界を塞がれそうになると、ゴレムスの動きが鈍くなると、ピエールがゴレムスの腕を伝い身体を登り肩に乗り、仲間の視界を守るべく剣を振るう。
敵を倒し、地面に打ち払っても、敵の数が減らないのは、バズズの得意とする呪文のせいだ。たとえ多数の仲間が命を落としても、古代から長々と生きる猿の魔物はその身に自己犠牲復活呪文を身に着けている。過ぎて行く暗がりの景色の中に、メガザルで復活したバズズの目が光り、再びリュカたちの後を追いかけてくるのだ。少しでも足を止めれば最後、無数とも思われるようなバズズの群れに圧倒されるのが予想できると、リュカはポピーを片手に庇いながらひたすら無心に目の前の敵を打ち払って行く。
その時、先頭を駆け抜けようとしていたプックルが倒れた。間もなく林を抜けるところだった。暗がりの中にも、先に開けた場所があるのが感覚に見える。開けた空気が、目の前に迫っていた。
背に乗っていたティミーが地面に放り出されていた。地面を激しく転がりながらも、ティミーは天空の剣を離さないまま、もう片方の手をプックルへと伸ばしていた。彼にはプックルが倒れる寸前にその気配が感じられていた。ホークブリザードのザラキの呪文を食らい、プックルの心臓は一瞬にして凍り付いてしまったのだ。
ティミーの蘇生呪文に外れはない。即座にプックルは蘇った。ザオリクの呪文を受けたプックルはまるで死んでいたことなど分かっていない様子で、背に乗っていないティミーを不思議に思いながら、辺りを素早く見渡した。すぐにその青い目にティミーを捉えたプックルだが、束の間その場に留まっただけで忽ち敵の群れに囲まれてしまった。
追いついたアンクルとビアンカが、プックルとティミーと立ち、敵と対峙する。ビアンカはぬかりなく防御を固めるように、プックルにマホカンタの呪文を施す。ティミーも間もなくその効果が切れる。あと一度、二度、敵の呪文を食らえば、恐らく皆の身体を保護する反射呪文の効果は消え去ってしまうだろうと思えた。その時には再び、ポピーと二人で一挙にマホカンタの呪文を唱えなくてはならない。
ホークブリザードが死の呪文を唱える。それはティミーたちに弾かれ、ホークブリザード自身に跳ね返る。跳ね返った呪文に息の根を止め、地に落ちる巨大鳥が二匹、三匹と続くが、今の敵は恐れず死の呪文を放ってくる。それは敵にも、リュカたちの身を守る防御呪文の威力が薄まっていることが知れているからに違いないと気づき、ビアンカのこめかみに冷や汗が垂れる。
敵が今、死を恐れずに死の呪文を放ってくるには訳がある。バズズの唱えるメガザルの呪文に頼っているのだ。現に今までにも何匹ものホークブリザードが己の死の呪文に倒れていたはずだが、その半数以上は既にバズズの自己犠牲蘇生呪文でこの世に息を吹き返していた。初めこそ敵も己の死の呪文に倒れることを避け、吹雪での攻撃に力を傾けていたようだが、リュカたちを逃がすまいと途中から方向転換を図ったようだ。道理で敵の数が減らないはずだと、ビアンカは素早くティミーにマホカンタの呪文を放った。
林の外へと抜ける道は見えている。先に抜ければ、山を下りる前に見たエビルマウンテンの景色が更に近くに見えているに違いない。林の中では、木々を生息地とする猿の魔物の行動に有利性を与えてしまうと、とにかく前へ進まねばならないとリュカはゴレムスの足の上で剣を手にしたまま、魔力をその手に込めた。
ゴレムスが腕にまとわりつくバズズに噛みつき、そのまま地へと払った。ビッグボウガンを構え、引き金に手をかける。ゴレムスの構えた矢の上に、彼の肩に乗っていたピエールが飛び乗る。放たれた矢と共に、ピエールはまるで弾丸のように飛び出した。
プックルたちのその先、バズズの群れが木の枝の上に待ち構えていた。目の前の敵だけを見つめているプックルとティミーは、頭上の気配に気づかない。木々の上で多数の光る目を見たのは、後方から追いかけるピエールとゴレムスだ。それ故に彼らは弓を向け、飛び出した。
宙を切り裂くように飛ぶピエールが呪文を放つ。イオラの呪文が林の一部に爆発を起こした。全く予期していなかった爆発呪文の攻撃に、待ち構えていたバズズの群れは敵目がけて飛び降りる機会を失った。それどころか、爆発を受けて落ちた猿の魔物は、そのままピエールの剣の餌食となる。それを切欠に、ティミーは素早くプックルの背に乗った。プックルが再び駆け出す。
地に落ちたピエールを、すかさず後方から飛んできたアンクルが拾う。再び前進を始めた仲間たちを見て、リュカがポピーの元を離れ、ゴレムスの手に掴まり肩へと登る。プックルのその先に、林の出口が見えている。プックルとティミーに突破口をと、リュカは林の道を拓くようにバギクロスの呪文を放った。林の中に大きな渦が巻き起こり、吸い込まれるようなその渦の中へと、プックルは迷わず駆け込み、走り抜けていく。激しい嵐が向かう先で敵が道を阻むこともできず、プックルは後僅か続く林をどうにか抜け出そうとする。
相変わらずホークブリザードが放つザラキの呪文が、リュカたちの呪文反射の効果を薄れさせていく。アンクルが身に帯びる呪文の効果が切れたと感じた瞬間に、常に呪文の構えを取るビアンカが切れ目なくマホカンタの呪文を帯びさせる。
ゴレムスの足に捕まるポピーは、父リュカと話をしていた。リュカの合図と共に放つのだと、ポピーはゴレムスの肩に乗る父を見上げている。リュカが手にする剣を一度、振り下ろした。それが合図だった。
間違いなく皆の身にマホカンタの呪文の効果が見えている。敵の死の呪文の雨が一瞬、止み間を見せた。林の出口は見えている。この時に、ポピーは目を閉じ、遠隔呪文を放つ時のように、味方を必ず守る精神を以て、イオナズンの呪文を放った。
放った先は、味方だ。縦一列に並ぶ味方が一斉に、大爆発の影響の中に飲み込まれる。しかしその効果は余さず、マホカンタの呪文で弾き返される。瞬時、少女の起こした爆発がリュカたちへと収束したように見えた。その直後、まるで一直線に並ぶリュカたちそのものが大爆発を起こしたように、周囲を取り囲んでいた全ての魔物らは一斉に吹き飛ばされた。プックルとティミーが向かう先にはもう、林の終わりが見えている。
プックルの身体が開けた地の空気を感じた。頭上から見下ろす敵の気配が消え、唐突に解放された感覚に速度を緩めた。幸いにも、林を抜けた平地に、敵が群れる景色はなかった。林の中で起こった尋常ではない爆発の威力に、もしかしたら近くにいた魔物も逃げ出してしまったのかも知れない。プックルの背にしがみついていたティミーがその景色を目にして、ずっと詰めていた息を吐き出し、後ろを振り返った。
アンクルがビアンカを背に、ピエールを腕に、宙を飛んでいた。その後ろに、ゴレムスが地響きを鳴らしながら駆けこんできた。林に起こった大爆発の影響を受け、追ってくる敵の姿は今のところ見られない。まだもうもうと土煙の立ち込める林の中で、敵の群れは退散しているか、立ち往生しているような状況に違いないと、リュカはゴレムスの肩に乗りながらそうだと見た。
多少引き返すような位置となるが、リュカは皆に岩山に寄るようにとゴレムスの肩の上から剣で指し示して合図を送る。声を上げて指示をすれば、言語を理解する魔物が聞きつけ追ってくるかもしれないと、リュカは小声でゴレムスにも呼びかけ、移動を始める。ゴレムスの腕を伝って足に降りると、そこで一人でまだ身体を震わせていたポピーに寄り添い、「ありがとう、ポピー」と娘の頭を優しく撫でた。



岩山の陰に皆で身を隠し、ゴレムスはじっと動かないことで岩山の一部と化した。暗黒世界ではもう慣れたやり過ごし方だった。近くにいる敵の気配が完全に遠ざかるまで、じっと待つ。その間は休息も兼ね、言葉を交わすこともなく静かに少量の水や食料を口にし、交代でひと時の眠りに就く。それだけで身体が再び動くようになるのは恐らく常に気が張りつめているからだろう。浅い眠りに就いている時も、完全に心身ともに休めているわけではない。それはティミーもポピーも同じだ。それでもここでひと時休息の時間を取るだけで、大幅にすり減っていた魔力も少々回復できるのだから、非常に有意義なひと時だった。
岩陰に身を潜める時は、アンクルがその大きな身体を隠すのに常に苦労した。戦闘時や移動時にはこれ以上ないほどにその価値が発揮される大きな悪魔のような翼を極力小さくたたまねばならない。大きな身体を細めて、邪魔にならないようにと身を縮こまらせているアンクルを見ると、もっとゆったりと休んで欲しいと思いつつも、そうできない状況に、リュカはただアンクルの翼に手を当てて彼を労わった。
アンクルの足元で周囲の気配に耳を立て、鋭い青い目で外の様子を窺っていたプックルが、赤い尾でリュカの足を叩いた。まだ誰も声を出さない。ただプックルのその行動に、敵の気配が遠のいたのだと知れて、皆に一様に顔を見合わせ、強張っていた表情を和らげた。
しかしプックルは続けて忠告するように、まだ声を出さないまま、尾でリュカの尻を叩き、まだ見つめ続けるその鋭い視線で伝える。プックルの視線は近くに留まらず、遠くを見つめている。リュカは彼と同じ視界を得るために地面に腹ばいになり、横に並んで遠くを眺めてみた。
長らく光を目にしていないために、目は暗がりにすっかり慣れている。暗がりの中でも仲間たちの顔もわかるほどに、リュカは闇に慣れてしまった。今ではもしかしたらプックルにも引けを取らないほどに、この世界でも視界が開けているような気さえする。
眺める景色に、道が狭まっているのが分かる。既視感のあるその景色に、リュカはプックルが言わんとしていることがありありと分かった。恐らくその道を阻むように、暗黒世界への侵入者をこの場で留めるためにと、配置されているに違いない、彼らが。
ゴレムスの護りの中に収まっている家族、仲間の顔つきをリュカは己の目に確かめる。真っ暗な中でもリュカは一人一人と目が合うのを感じた。ビアンカはこんな時でも笑みを浮かべて、リュカの背中に片手を添えて、その意思を伝えてくれた。ティミーの目はこの暗がりの中でも勇気を示すように煌めき、ポピーは右手にストロスの杖を持ち、頬に杖を当てた。プックルはリュカに背を向けたまま、赤い尾を静かに揺らして、背後にリュカたちの無言の会話の様子を気遣っている。ピエールは右手に装着するドラゴンキラーの様子を確かめるように、被る兜の奥から鋭い目をその刃に落としている。アンクルは極力縮めていた羽を僅かに広げ、腕組みをして抱え込んでいたデーモンスピアを右手に持った。皆を守るゴレムスは、いつでも号令をかけろと言うように、上からリュカたちを静かに見下ろしている。
「この先にきっと、キラーマシンの群れがいる」
ジャハンナの町に置いてきたロビンとは違うのだと、リュカは自身に胸の内で言い聞かせる。相手は恐ろしい敵で、こちらを容赦なく攻撃してくる。生きるためには、ここで死んではならない。仲間たちを守るためにも、話し合いができない前提で考えなくてはならないのだと、リュカは敢えて、己の瞳に在った光を消した。
「道が広くない。真ん中を進む。ゆっくり近づこう」
目指すその場所までは、まだ距離がある。その間、リュカたちは再び身を隠すこともできないような平地を進まねばならない。広く見える平地には所々に魔物の姿があった。しかしそれらは群れることもなく、ただこの魔界に生まれたために、ただそこに生きているだけのような者たちだ。近づけば魔物として本能的に襲い掛かって来るには間違いないが、不用意に近づかなければ戦闘を回避できるだろう。もし近くを行く必要がある場合には、林の中に入る前までにそうしていたように、こちらから奇襲をかける。
仕方がない、と思う。そう思わなければならないと思う。ここまで来て何を甘えたことを考えようとしているのだと、自戒する。本来は人間と魔物が分かり合うことができるという思いは忘れないまま、しかしそれを今は忘れて、リュカは率先して前に進むために必要なのだと、再びプックルの方へと振り返ると彼の背中の赤毛を優しく撫でた。皆に向けないその漆黒の瞳が、これからの行動に寄せて、敢えて薄暗い色を纏っていた。

Comment

  1. ケアル より:

    bibi様。

    バズズとホークブリザードのペアは反則級です、メガザル=ザラキは永遠のループ地獄です(汗)
    しかしまあすさまじい逃走劇!
    ピエールがボウガンの槍の上に乗っている新たな攻撃に、思わず笑みがこぼれます(笑み

    やはり最後はイオナズンで閉めましたか…。
    自分的には、ライデイン➕プックルのいなずまのダブル雷撃が来るかなって思っていました、
    ビアンカのメラゾーマそろそろかなって思ってますが…あっもしかして「ヤツ」との戦いの時にとか?

    そろそろ、ギガンテス・マドハンド・はぐれメタルあたり登場しないかなって思ってます

    • bibi より:

      ケアル 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      バズズとホークブリザードは最もタッグを組んで欲しくないヤツらですよね。敢えてそれを組ませました。ゲームだったらここで詰んでいるかも。

      イオナズンは最後の切り札。でもMPが尽きちゃえばそれも出せないから、魔法使いはそこが弱いところですね。ゲームでもそうですけど。だからいつも残りMPを気にしながらちまちま呪文を使っていたなぁと思い出します。ビアンカのメラゾーマは……もう少し後になりそうです。

      魔界のモンスターをまだまだ登場させる予定。沢山いますもんね、恐ろしいのが。

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