ミルドラース

 

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在りし日の志は今や、自ら吹き荒す灼熱の炎の中に溶けて消える。ミルドラースがまだ人間だった頃の話。それが一体どれほど前のことなのか、大魔王自身がもはや覚えていない。年月というものは、あらゆる意味で物事も事象も変える。人間には人間の寿命と言うものがあるにも関わらず、それを遥かに超えて生きてきた大魔王を名乗る元人間は、到底人間には耐えられないトキの中で、その思いを歪めざるを得なかった。
今は己が吐き出す灼熱の炎の凄まじさ、何者にも勝つことのできる、頂点に立つことのできるこの強烈極まりない力があることだけが、ミルドラースの意識をまだ“大魔王”に留めることが出来ていた。長い長い年月を経て手に入れたこの力があればこそ、己は大魔王でいることができる。己が大魔王でいるからこそ、この力を見せつけることができる。その循環に入り込んでしまっているミルドラースには、もう出口は見つけられない。
目の前には、まるで竜神を気取ったかのような黒竜が真っ直ぐにコチラを見つめている。その隣で、同じような目をした黄金竜もまた、コチラを見ている。あの、マスタードラゴンとかいう竜神は、唯一己を認めなかった不届きなヤツだった。何がカミサマだと、その存在自体が馬鹿馬鹿しく感じたものだ。カミサマなどと名乗るのなら、この世に生きる人間を選別し、必要な者たちだけを残せば良いものを、そんな簡単なこともしないで怠けている。
カミサマが怠けているから、世界は安定することがない。人間どもは常に互いに互いの些細な欠点を見つけては責め、時にはそれが国同士の争いにも発展する。そうして今までいくつもの人間の国は勝手に滅びて行った。馬鹿馬鹿しい限りだ。醜い限りだ。もし私が神になれば、面倒な諍いごとなど起こさせずに、争いをする双方を一息に潰してしまうというのに。
人間と言う生き物は全て、辺りに転がる小石程度にしか見えないのだから、それらを踏んで潰したところで一体何の問題があるのだろうかと、いつからか、いや、初めからか、そう考えていた。生きていても、常に問題を抱え、事あるごとに問題を起こすのが、人間と言う生き物の性なのだろう。呆れるばかりだ。何のために生きているのか。寧ろ、この世界から一切がいなくなってしまった方が、それこそ世界の為になろう。人間が人間の為にその手段を取れないというのなら、大魔王となった私がその尊い役目を果たすのが筋というもの。
私はただ、この世界を救いたかっただけなのだ。この、愚かな人間たちが住む世界を広く救うことができないだろうかと思考した末に、己が神になることさえ叶えば、その切なる願いも叶うのだと、そう思っただけだった。
己は選ばれし者だと信じていた。しかし今、目の前には、黄金竜の背に乗る少年の姿がある。世界を救う勇者などという宿命を負った少年。まだ子供に過ぎないその者の手には、選ばれし者だけが扱うことのできるという神の剣が、その先をコチラに向けて煌めきを放っている。神の盾に神の鎧に神の兜。全身を神の武器と防具に固めたその勇ましき者は、まだ、たかが子供。
何が選ばれし者だと、神の武器も防具もそぐわない子供の姿を目にするミルドラースの顔つきは、ますます醜悪さを帯びて行く。それは単なる妬み嫉み、それに基づく憎しみだった。あのようなちっぽけな子供に勇者と言う宿命を負わせる神と言うのも馬鹿げたものだと思えば、それは更にミルドラースの表情を醜く歪める。
世の中が全てにおいて、馬鹿げているとつくづく思う。人間では過ごすことのできないほどの長い時間をかけて、ミルドラースはその目に世界を見てきた。私が神になりさえすれば、このような醜い人間の世界など一息に終わらせてしまうというのにと、常にそう考えていたミルドラースの目に映る人間の姿は、ただの棒であったり丸であったり、小石に等しいものであったりと、凡そ“人間”として映ってはいない。そこに一つ一つの命はない。小さく意味もなく蠢く者たちであり、それほどのものでしかないにも関わらず、一丁前に世界を引っ掻き回すという暴挙を繰り返す歴史を作り上げる。そのような者たちにどうして寄り添うことなどできようか。
目の前に大魔王が存在しているというのに怖気づくことなく、寧ろ挑むような目を向ける勇者ティミーの姿に、ミルドラースはその赤黒く膨張した身体に怒りのエネルギーを溜める。自ら大魔王と成り果てたミルドラースを支える力は、あらゆる負の感情だ。それこそ嫌と言うほどに長い年月をかけて育て上げたこの負の感情の蓄積は、もはやいささかも削り取ることなどできず、上へ上へと積もって行くばかりだ。ましてやその感情の最たる的ともなる勇者という存在が目の前にあれば、負の感情は一挙に膨れ上がるに決まっている。
酷い魔力の暴発を予期したリュカたちは、その時に備えて身構える。ミルドラースの赤黒い巨体から発せられるのは、人間や魔物の世界で言えばイオナズンという呪文の大爆発には違いなかった。身構えていても尚、宙に吹き飛ばされるその凄まじい威力に、黒竜リュカは同じく竜の姿となっているポピーごと守ろうと翼を広げた。広げた翼は爆発の威力に耐え切れず、瞬間的に破れ、散っていってしまった。その背で、リュカの身を挺するような行動を予期していたピエールが、必死に黒竜の背にしがみつきながらも回復呪文を唱える。巨大な黒竜となったリュカの損傷を治癒するための魔力は想像より大きく、ピエールは本来のベホマの呪文を超えた魔力でどうにかリュカの両翼を復活させた。
黒竜リュカに守られていた黄金竜ポピーが、均衡を失ったリュカの後ろから、自ら上方へと飛び上がった。その背には兄ティミーと母ビアンカが、大魔王にも怖気づくことなく同じような目を敵へと向けている。この母と息子は、その意の底にある精神に依るのか、非常によく似た目をしていた。正義感に満ちているその精神は、ただ勇者の子孫だからというだけに留まらない。人間を作るのは、人間だ。ビアンカが生きてきた人生が、ティミーが生きてきた人生が、彼らの中にある正義感をより強いものへと成長させたに違いなかった。人間は、生まれながらのものだけで生きているわけではない。生まれながらのものに、生きて過ごしてきた時間が足されて、足されて、一人の人間が成長しながら、変化しながら生きている。ビアンカもティミーも、他の誰もが、命を与えられた瞬間から、過ごす時の中で、その人という人間を作り上げていく。
目に、正義の炎が燃えている。悪は許すまじという思いが、彼女の水色の瞳に燃えていた。その炎は、彼女の操る呪文にそのまま現れる。素直で、隠し事は苦手な彼女だ。唯一、彼女が嘘を吐ける時は、大事な人を守ろうとする時だけだ。
彼女は大事な者を守るために、炎の呪文を唱える。幼い頃は単に、炎の呪文を使えることを自慢げに見せていた彼女だが、その力は彼女の成長と共に意味合いを変えて行った。彼女が本気で炎の呪文を放つ時には、必ず大事な者を守りたいという思いがある。併せて、彼女の胸の中にある正義の炎が、相対する悪を許さないという強烈さを見せる。
彼女の息子として生まれたティミーは、自らが勇者と言う肩書に生まれながらも、今は決して突っ走って勇者であろうなどとは思わない。世界から、とりわけテルパドールの人々から待望された勇者に生まれたティミーだが、それを今でも心の中では認めていない者が一人、いるためだ。父であるリュカが、今も尚、ティミーを勇者とは認めていない。認めないというよりも、リュカに取ってティミーは大事な息子である以上のものではない。たとえ世界を救うための勇者に生まれたのだとしても、リュカにとってティミーが大事な息子である以上の意味など存在し得ないのだ。しかしそれ故に、ティミーは走りがちな性格である自身を冷静に抑えることもできた。今では、まだ子供でありながらも勇者の宿命を負ったことにすら意味があったのではないかと、父の背中に守られる安心にそう感じている。
勇者だからと、全てを背負って、一人で解決しようなどとは思わない。勇者が一人で世界を救うのではない。かつての勇者にも仲間がおり、その中の一人の子孫が今もテルパドールの女王として勇者の伝説を守り続けている。勇者が大魔王を討つのではない。大魔王を倒すのは、この世界で穏やかに暮らしたいと願う人々の総意であり、その想いを受け止め、この場に立つ皆だ。
ティミーは天空の剣を構え、剣先を大魔王ミルドラースへと向ける。黄金竜ポピーは決して不用意にミルドラースへと近づかない。兄が無謀にも剣で攻撃するなどとは考えていない。天空の剣の先から、ミルドラースの赤黒く膨張した身体を守る膜を剥がすべく、凍てつく波動が放たれる。同時に、ビアンカが操る大火球メラゾーマが、剥がれたマホカンタの膜の隙間を突くように、飛び込んだ。
ミルドラースの黒の目が鋭くメラゾーマの大火球を見据える。大魔王の膨張した身体に取り込まれた悪魔神官の力が、まるで機械の如く、大魔王の身体を守るべくマホカンタの呪文を主へと施そうとする。そこに、大事な主を守ろうとする意思はなく、ただ反射的にと言っても良いほどの軽さで、マホカンタの呪文が発動された。
大魔王の纏う闇の衣を剥がすのだと、ティミーは天空の剣の先をミルドラースへと向け続けている。凍てつく波動はまだ止まず、悪魔神官の力が反射的に守ろうとする大魔王の身体の一部を穿つように、マホカンタの呪文は完成しない。ビアンカは息子の力を信じ切り、メラゾーマの大火球を止めることなく、剥がれている場所目がけて押し込む。
ミルドラースの膨張した腹の一部、メラゾーマの大火球が衝突した。衝突した後もまだ、ビアンカは己の魔力を注ぎ込むように、メラゾーマの大火球を更に巨大化させた。ミルドラースの身体があまりにも巨大なのだ。ビアンカの放ったメラゾーマの大火球を以てしても、大魔王の腹の一部を焦がすに留まり、しかしその攻撃一つで、ミルドラースは己を傷つける勇者一族の姿に更なる憎悪を増幅させた。
ミルドラースの膨張した腹の一部、焼け焦げた跡が残る。メラゾーマの威力に、悪魔神官の力で生み出されたマホカンタの呪文は消し去られてしまった。今が好機と、様子を窺っていたアンクルが目立たぬよう背後から回り込むように、静かに黒竜リュカの背後から飛ぶ。
勇者という選ばれし者への憎悪は、かつて己が選ばれし者を目指したミルドラースにとって抑えようもないものだ。そしてその存在が、その一族が今、目の前に、いかにも正義を見せるように宙に浮かんでいる。その存在が、ただただ許せない。その存在は、我であるべきだった。
膨張した身体にも関わらず、その動きが俊敏さを見せた時、黄金竜ポピーは意表を突かれたようについて行けなかった。それほど速く移動し、こちらへと迫って来るとも予想しておらず、逃げる間もなくミルドラースは目の前にまで迫っていた。
悪魔神官の棘の棍棒を彷彿とさせる、禍々しい棘の生えた尾を振り上げ、それを容赦なく黄金竜の脳天へと叩きつけた。近くにいたはずの黒竜リュカもまた、そのようなミルドラースの動きについて行けず、守ることも叶わなかった。すさまじい衝撃に、黄金竜の背に乗っていたビアンカとティミーは振り落とされ、宙へと放られる。ミルドラースの尾の直撃を受けた黄金竜ポピーは、堪らず気を失い、そのまま宙を落ちて行く。
ティミーとビアンカの落ちる先に、彼らを受け止めるような場所はない。どこまでも深く続くエビルマウンテンの谷があるだけだ。ミルドラースへの攻撃の機を捉えていたアンクルだったが、急旋回し、落ちるティミーとビアンカを拾いに行く。しかしアンクルの力では、黄金竜となったポピーを拾い上げることはできない。アンクルの手に救われながらも、ティミーが叫び、落ちて行くポピーへと手を伸ばす。しかし彼の放つ回復呪文は妹に届かない。
その前を、激しい風を起こしながら、黒竜が滑空していく。まるで暗雲から落ちてきた巨大な矢の如く、黒竜リュカが気を失っている黄金竜ポピーを追いかけ、その足を掴んだ。ダラリと力のない黄金竜の状態を見て、すぐさまピエールがリュカの竜の身体を伝い、ポピーへと回復呪文を唱えようと手を伸ばす。
ベホマの呪文が発動するや否や、彼らはほとんど無防備の状況のままに、激しい爆風に吹き飛ばされた。ミルドラースが躊躇なく再びイオナズンの呪文を唱えたのだ。リュカの手を離れてしまったポピーだが、ピエールの回復呪文を受けて辛うじて意識を取り戻し、宙に飛ばされながらも谷底へと落ちることは免れた。
しかし今度は、その横を、大魔王のイオナズンには耐えられないと言うように、ビアンカとティミーを抱えたままのアンクルが吹き飛ばされて行く。二人を守らなくてはと爆発に背を向けるアンクルの羽が、破れ、ボロボロになってしまった。飛行の力が落ち、下降を始めるアンクルに、ティミーが必死に回復呪文ベホマを施す。ビアンカはアンクルに抱えられながら、息もできずに、意識を保つのに必死だ。
息子ティミーもすぐさま回復呪文で仲間を癒しているというのに、何もできない己に不甲斐なさを感じる一方で、ビアンカは近くに迫る気配に一瞬にして死を感じた。アンクルの背後に迫る巨大な気配は、紛れもなくミルドラースの巨体。先ほど黄金竜ポピーの頭部に、凄まじい尾の一撃を食らわせた場面が脳裏を過れば、ビアンカの胸には大魔王への恐怖よりも、娘を思う母心が勝った。ポピーを心配する心が、大魔王を恐れる心に勝つことで、彼女は寧ろ意識を強く保てた。
アンクルに迫る大魔王の狙いは、変わらず勇者ティミーだった。天から授かった宿命を負い、世界を救うことを約束されたその存在に生まれた者が、ひたすらに憎かった。その場所は、己であったはずなのだと、もはや気の遠くなるほどの長い年月を経て培われたその執念は、何を以てしても覆ることがない。
ミルドラースの巨大な尾の攻撃を受ければ、黄金竜ポピーですら一撃で気を失うほどの強烈な打撃を、アンクルが耐えられるはずがない。
ビアンカは大魔王の視界を奪うためにと、再びメラゾーマの呪文の詠唱を始める。間に合うわけがないと思いつつも、その機会は必ずあるはずだと、諦めずに呪文を唱える。誰か、仲間が、隙間を作ってくれるに違いない。
大魔王ミルドラースに唯一、大きさでも対抗できる黒竜リュカが、斜め下方から突き上げるように、大魔王の膨張し切ったような横腹へと突進した。アンクルごと勇者ティミーを滅ぼそうとしたミルドラースの尾は離れ、赤黒い巨大な身体は中空へと突き飛ばされた。黒竜がミルドラースを牽制するように、口から膨大な炎を吐き散らす。そして間髪入れずに、恐れることなく、再びミルドラースへと飛びかかって行く。
黒竜となったリュカの形相は凄まじく、一見すればどちらが大魔王か分からないと思われるほどの怒りを竜の顔に露にしていた。しかしそれと言うのも、竜と言う種族に姿を変えているためで、その実リュカは冷静だった。己の背には、戦いの場において誰よりも信頼する仲間がいる。
ミルドラースの動きを封じられるのは己しかいないと、黒竜リュカはその巨大な竜の身体を生かし、ミルドラースの余計に生えている腕の一本を掴む。ミルドラースとの距離はなくなり、すかさず黒竜の背から肩へ、肩から腕へと、プックルとピエールが飛び込んでくる。ミルドラースの光のない黒の目が、虫けらを見るごとくの蔑むような意で、その二体の魔物を見る。当然、プックルもピエールも、大魔王のその視線を受け止め、寧ろ見返している。
鬱陶しい虫を仕留めるように、ミルドラースの腕がプックル、ピエールを叩き潰そうとする。人間が小さくも素早い虫をなかなか仕留めることができないのと同じく、ミルドラースの巨大な手は小さく素早く動く二体の魔物を潰すことができない。的は小さく、素早く、奇妙な動きも見せる。ミルドラースの巨大な腕がまともに攻撃できるのは、黒竜リュカや、黄金竜ポピーのように大きな的となった者たちだ。
黒竜リュカはミルドラースの腕の攻撃をその身に受ける。ボロボロと黒竜の鱗が剥がされ、血が噴き出す。それでもリュカはまだ、掴んだミルドラースの手を離さない。ここで逃してなるものかと、薙がれた肩から血を流しながらも、大魔王の巨体を宙に固定する。
ミルドラースの身体へと移ったプックルが、迷わず目へと向かう。対してピエールは尾へと向かう。プックルは大魔王の視界を奪うため、ピエールは大魔王の尾の攻撃を防ぐため、そして同時に離れた場所へと向かうことで、大魔王の意識を散らせる目的もあった。どちらかの攻撃が定まれば良いのだと、どちらも己が犠牲になることを想定している。
寄りつく虫が鬱陶しいと言うように、ミルドラースが激しく尾を振るえば、そこを駆けるピエールが振り払われそうになる。ピエールは己の身体を固定するべく、黒の斑点模様が浮かぶ赤黒い尾にドラゴンキラーを突き立てる。巨大になり過ぎた故に、痛みをさほど感じないのだろうか。ミルドラースが痛みに尾を払うことはない。
同時に攻撃を仕掛けるプックルは、ミルドラースの左肩の上を駆け、目に向かう。ミルドラースは手で振り払おうにも、その手には何物をも傷つけるような鋭い爪が剥き出しになっているために、己の手で己の顔にも触れられないのが実状だった。ひたすら自身以外の者が悪者だと、妬み続けてきたその結果、己の身体全てを敵を攻撃する武器に変化させてしまったのだ。敵となる全てのものを寄せ付けないというように、手足には剥き出しの鋭い爪が生え、翼にも尖る角が飛び出し、尾の先にも敵を振り払うための巨大な棘を見せ、口の牙は常に収まり切らず、頭部には向かってくる敵を串刺しにしてやるのだと三本の長く鋭い角が黒々と光っている。
身の丈に合わない巨大を、もはや持て余しているミルドラースに、プックルもピエールも今己のできることをと各々で攻撃を仕掛ける。肩口から上ってくる獣を嚙み砕いてやろうと、ミルドラースは己の肩に噛みつかんばかりに大口を開けるが、肉に埋もれた首の動きは鈍く、プックルは難なくその動きを躱し、大魔王の顔へと飛び移る。炎の爪をだらりと垂れ下がる頬の赤黒い肉に突き立て、そこから一気に飛び上がる。攻撃の的となる左目を、正面に捉えた。
まさか完全なる大魔王へと姿を変化させた自身に、虫のようにはりついて攻撃してくるような不遜な者がいるはずがないと、ミルドラースの思考はどこまでも奢り、そして馬鹿馬鹿しい思い違いをしていたに違いない。我は大魔王。敵は勇者。他の者に用はないのだと、その顔は更なる醜悪を極めて歪むが、振るう尾がふっと軽くなったのを感じると、その顔は今度驚きに取って代わった。
ピエールがドラゴンキラーを何度も振るい、棘の生えたミルドラースの尾の先を切り離してしまった。痛みを感じないことが幸いした。ミルドラースの気づかない内に、ピエールは一仕事やり終えてしまった。黒い棘の生えた怪物の尾が、エビルマウンテンの谷底へと落ちて行く。切り離された尾の断面からは、まだ生き物として存在しているミルドラースの血が流れ出ている。
驚きに目を見張ったミルドラースの左目に、プックルが前足の炎の爪を閃かせ、突進した。ミルドラースの左目に映る景色は無くなった。やはり痛みはないようで、左の視界を奪われたことに、ミルドラースはただ怒りを表すように、己の凶器の手で、己の顔にあるはずの獣を捉えようとした。しかしプックルは既にそこにはいない。ミルドラースの巨体を抑え続ける黒竜リュカの鼻先へと飛び移り、背に回り、ミルドラースの視界には映らない場所へと身を潜めている。
巨大な尾が振り払われ、ピエールが宙へと飛ばされた。すかさずそのスライムナイトを拾い上げるのは、黄金竜ポピー。地が滴るミルドラースの尾が、敵への攻撃の為にと振られるが、黒竜に動きを抑えられている上、短くなった尾の先は、ポピーには届かない。そのポピーの竜の目に映るのは、赤く燃える、巨大な炎の玉だ。
ビアンカがメラゾーマを放った。ただ放っただけではない。黒竜リュカの首を掴み、傷つけている右腕を狙い、放った大火球は確実にミルドラースの右腕に衝突した。ビアンカは呪文の手を緩めない。放ったメラゾーマで大魔王の右腕を行動不能にまで追い詰めるのだと、メラゾーマの大火球へ己の魔力を注ぎ込む。ミルドラースの右腕に絡みつくように燃える大火球は、ビアンカの魔力に呼応し、凄まじい光を放ったかと思うと、その直後大魔王の右腕の肘から先が焼け落ちた。リュカの首を掴んでいた手は外れ、肘から先の腕がエビルマウンテンの谷へと落ちて行った。
痛みを感じないであろうミルドラースは、己の右腕が切り落とされ、落ちて行く様を、残る右目の景色に見た。唖然とするミルドラースの背後から、黄金竜が飛び込んでくる。背に乗るピエールが狙いを定める。黄金竜の背から跳ねたピエールが、ミルドラースの背後から左腕へと斬りかかる。四本生えているミルドラースの腕がリュカを傷つけることを許すまじと、ピエールのドラゴンキラーが巨大な大魔王の腕に鋭い裂傷を作ると、黒竜リュカはそれを受けて敵の腕を掴み、千切ってしまった。下方へと落ちて行くピエールを、すかさず黄金竜ポピーが拾い上げる。
リュカの首近くで、プックルが再びの攻撃の機会を窺っている。尾の先を失い、腕を二本失い、これほどの巨体と言えども明らかにその勢いは弱まっている。飛びかかることはいつでも可能だとその目に理解しつつも、敵の表情に焦りのような気配がまるで見えない。痛みを感じないことは明らかだ。その醜悪な顔には笑みすら浮かんでいる。プックルは直感的に、今は飛びかかってはならないと己に言い聞かせていた。
その直後、ミルドラースの巨体が輝く光に包まれた。呪文の気配はまるでなかった。口から灼熱の炎を吐き出したわけでもない。しかしミルドラースの身体からの発光により、目の前で対峙していた黒竜リュカは敵を掴んでいた手を離さざるを得なかった。離すというよりも、弾かれたような状態だった。
ミルドラースの巨体に取り込まれた悪魔神官の魂が、その身体の中で蠢いている。主の危機を救わなくてはならないと思うその心は、もはや反射に過ぎない。そこに悪魔神官らの明確な意思はない。主である大魔王の身体が傷つけられている。それを修復しなくてはと行動するのは、悪魔神官の群れの反射的行動だった。
失われた箇所を復活させねばと、悪魔神官の蘇生呪文ザオリクの気配が、ミルドラースの巨体の中に生まれる。それに呼応するようにミルドラースは残る右目を静かに閉じ、己の中で集中するかのように瞑想に耽る。膨れ上がったミルドラースの身体の部分、部分を蘇らせる力が働く。ミルドラースの左目の視界に、再び敵の群れが映し出された。焼け落ちた右腕の肘から先、ぶくぶくと盛り上がる肉の塊は、ほどなくして元の通りの腕の形を取り戻してしまった。同様に左腕もまた、元の形を寸分違わない状態で復活した。数多の悪魔神官の蘇生呪文が合成されたような強烈な力により、鋭く巨大な棘を備えた尾までもが、敢え無く再生してしまった。おまけに、主を守ろうとする悪魔神官の反射行動により、大魔王を守るマホカンタの呪文の膜までもが再びその景色を見せる。
「……ウソだよ……こんなの……」
皆が唖然としている中で、唯一言葉を口にしたのはティミーだった。誰もがそうと思ったことを口にしたティミーだが、この言葉を口にしたことで、起こったことが現実なのだと思い知らされたような気分にさせられる。これまでの戦いなど、何もなかったかのような雰囲気で、ミルドラースは変わらぬ不気味な笑みを浮かべて敵の群れであるティミーらを見据えている。皆の胸の中に、冷たい氷が入り込んだようだった。戦う気力が萎もうとする。
黒いエビルマウンテンの最奥の空間で、山を轟かすような雄叫びが上がった。プックルではない。低い低いその雄叫びは、黒竜リュカが上げたものだった。竜に姿を変えているリュカは今、人間の言葉を口にしない。しかしその激しい雄叫びに、家族も仲間も目が覚めたように再び士気が上がるのを感じた。
リュカが何を口にしたのか、誰もがその意味を知っていた。彼の口癖のようなものだ。彼の諦めの悪さを、誰もが知っている。
―――――諦めるな!―――――
諦めない限りは終わらない。いつも彼は自分自身の性格をそう口にしていた。しかし今、彼は黒竜の姿で大きく吠えた。それは彼が自分自身に向かって言ったのではない。彼は初めて自分自身にではなく、家族に、仲間たちに“諦めるな!”と檄を飛ばしたのだ。
黒竜の雄叫びがなければ、皆は一様に、この終わりの見えなくなった戦いの中で、負の感情に圧し潰されるところだった。大魔王を名乗るミルドラースの巨体をいくら傷つけたとしても、その度に身体が復活したのでは、命にも身体にも限りのある人間も魔物も勝ち目がない。しかもミルドラースの魔力にも回復の術にも、その限りがあるのかどうかも分からない。しかし今、そのような“分からないこと”をいくら考えても、答えが出るわけではない。
今は今を見ろと、未来を見るなと、黒竜リュカは大きな翼で一度羽ばたくと、迷わずミルドラースへと突っ込んでいった。先ずは己が示さねばと突き進むリュカの心の中には、彼の父であるパパスの最期の姿が残っている。皆の為に己の身体が朽ちるのは構わないと思うのは、リュカが父パパスの姿に得た感覚だ。しかし同時に、皆の為に己は生き続けなければならないと思うのも、幼くして父を目の前で喪ったリュカの得た感覚だった。その正反対の想いが混在するリュカの意思は、決して負けることのできない大魔王ミルドラースとの戦いにおいて、ただただ強まるばかりだ。
大口を開け、その中に赤々とした炎を溜めるリュカを、ミルドラースは黒く冷たく笑む目で横目に見つめる。口元には深い笑み。瞬間、その赤黒い巨体全体から、イオナズンの呪文を放った。黒竜リュカの背に乗り込んでいるプックルが必死に爪を立て、黒竜の首元にしがみつく。リュカは間近に受けたイオナズンの大爆発にも耐えるが、両翼はボロボロになり、宙に留まることも困難となる。
黄金竜ポピーに拾い上げられていたピエールが、ポピーと共に爆風に飛ばされながらも、弾みをつけて飛び出す。飛び移るには無茶な距離を、ピエールは自らイオの呪文を唱えて方向を変え、黒竜リュカを目指し飛ぶ。リュカに再び飛び乗る直前から既に、彼は回復呪文の準備があった。巨大な竜となっているリュカを癒すには、通常よりも使用する魔力は増大するが、ピエールは己の魔力の底など知らぬという様子でベホマの呪文を施す。
ピエールが離れるや否や、ポピーは自ら爆風に飛ばされながらも、同じく飛ばされるアンクルを目の端に捉えた。アンクルの両腕にはビアンカとティミーが抱きかかえられ、二人の人間を必死に守ろうと必死に己の背だけを爆風に晒している。ポピーは今にも力が尽きて、二人を両腕から落としそうになっているアンクルの下方へ回ると、アンクルは抱えていた二人を黄金竜の広い背の上へと乗せ、自らはすぐさまその場を飛び去った。ふらふらと飛んでいくアンクルの姿に、ポピーは呼びかけようと口を開いたが、彼の腕に装着されている力の盾が仄かに光っているのを見て、出かけた声を抑えた。アンクルは既に次の行動へと移っているのだ。力の盾の癒しの力をその身に受けたアンクルは、デーモンスピアを握る手に再び力を込めた。大魔王の視線がはっきりと、一点に注がれていることに彼は気づいていた。
ミルドラースの視線の先にいるのは、黒竜リュカではない。まるで御伽噺から飛び出したかのような神々しさすら纏わせ、エビルマウンテンの奥地でもその輝きを失わない黄金竜の、その背に立つ勇者ティミーだ。黄金竜ポピーもその身にイオナズンの大爆発を受け、酷く傷つけられていたが、爆風落ち着いたその時にすかさず妹の怪我をティミーが癒した。そのティミーが今、黄金竜の広い背に立ち、天空の剣を掲げている。勇者に生まれた少年の姿が、大魔王となってしまったミルドラースには忌々しいことこの上ない。何故、自分ではなかった。何故、自分ではなかったのか。
ティミーは大魔王ミルドラースに対する己の立場を、十二分に“使う”ことを考えていた。勇者に生まれた自身には、その宿命を究極にまで使用しなくてはならないと考えるティミーの思考は、非常に落ち着いたものだった。大魔王の注意を引きつけられるのであれば、それを利用しない手はない。黄金竜ポピーが父である黒竜リュカの後ろに回り込んでから、大魔王へと共に向かっている。双子の妹もまた、同じ考えを見せていると、ティミーは自然とそう感じていた。勇者はボクだけじゃない。ポピーがもう一人の勇者になってくれている。
最も目立つ双子の存在だが、彼らはただ大魔王の注意を引きつけているに過ぎなかった。それはただの囮。ティミーの天空の剣の先が閃き、ティミーがすることは、ただ膨張した赤黒い身体に施されたマホカンタの呪文を無効化することだ。天空の剣から放たれる凍てつく波動の力により、ミルドラースの身体を覆うマホカンタの膜が剥がれていく。今はそれだけで良い。自らが無茶をして飛び込み、大魔王を攻撃しようなどとは思わない。勇者はたった一人で勇者であるわけではないことを、ティミーは誰よりも深く感じている。意を同じくしているポピーは、大魔王に無謀に突っ込むようなことはせず、ただ敵の目を撹乱しておくためにと辺りを素早く飛び回る。その位置は、父である黒竜リュカの正反対の中空だ。
ミルドラースの赤黒い身体をその背後から、赤々と燃える大火球が照らす。ミルドラースが双子の勇者に気を取られている隙に、リュカの背に乗り移っていたビアンカがメラゾーマの呪文を放った。腕も尾も復活させてしまうような敵の、腕や尾を狙っても意味のないことだと、メラゾーマの大火球はミルドラースの後頭部を目がけて飛んでいく。後ろを振り向こうとするミルドラースの動きは間に合わず、後頭部に命中したメラゾーマの大火球へと、ビアンカは更に魔力を当てる。このまま大魔王を倒してしまうのだというビアンカの強い意志は、偏に皆を想う心から生まれる。
一瞬、後頭部への攻撃に目を瞑り、そして目を開いた時、目の前にアンクルホーンが迫っていた。手にしたデーモンスピアで迷わず、過たず、アンクルはミルドラースの右目を突いた。痛みを感じないことは、ミルドラースにとっての幸いなことに違いない。痛みに声を上げることもなく、ただただ右目から見えていた視界が無くなった。
攻勢をかけるべきと、黒竜リュカが再びミルドラースへと飛びかかる。その背に乗るのはプックルにピエール、そしてビアンカ。アンクルが、視界を失ったミルドラースの右側を背後へと回り込み、今度は左目を狙う。ミルドラースの後頭部が激しく抉れ、ビアンカの放ったメラゾーマの威力に思わず顔を顰める。己があんなものを食らっていればひとたまりもないと、アンクルは味方である一人の人間の女に対して恐怖すら感じていた。
リュカの首元にしがみつきながらビアンカが唱えるのはルカナンの呪文だった。それに呼応するように、プックルとピエールが再び大魔王の巨体へと飛びかかる。黒竜リュカ自身もまた、大魔王と直接向き合うように、その巨体を両腕で掴みかかろうとする。しかしそれさえ、注意を引きつけるだけの行動だった。
リュカの視界の端には、大魔王の後ろから回り込んでくるアンクルが映っていた。ぎりぎりまで注意を引かれていたミルドラースは、直前まで他の小賢しい敵に迫られていたことに気付かなかった。ふっとごく小さな姿が目の前に現れたと思ったら、次の瞬間には左目から見える景色までも無くなってしまった。完全に目潰しを食らった状態のミルドラースには、もはや何者が近くにいて、どのような行動を仕掛けて来るかなど、何も察知できない状態に陥った。
プックルとピエールが赤黒い膨張した大魔王の身体の表面を這い回るように移動する。彼らは今度は揃って、大魔王の肉に埋もれたような首へと向かう。ビアンカのメラゾーマを食らい、敵の後ろ首は酷く損傷している。何を以て、この大魔王を名乗る者が倒れるのかは誰にも分からない。実際にリュカの仇敵ゲマもまた、いくら傷つけようとも倒れることはなかった。しかし今の彼らにできることは、兎にも角にもこの巨体に多くの攻撃を仕掛けることだ。
ピエールがドラゴンキラーで鋭くミルドラースの後ろ首を傷つける。プックルもまた前足に装着した炎の爪で激しく攻撃する。攻撃の手を止めてしまえば、再びミルドラースは己の損傷を見る間に治してしまうかもしれないと、プックルもピエールも呼吸をするのも忘れ、攻撃の手を緩めない。
ミルドラースの肉に埋もれたような首が不安定に揺れた。痛みを感じないのは、危機を察知できないと言うことだ。しかし首が不安定に揺れたことで、己の異変にも気づいたのだろう。ミルドラースはその巨体を大きく振るわせると、その揺れに耐えきれずに堪らずプックルもピエールも宙へと放り出されてしまった。プックルをアンクルが、ピエールを黄金竜ポピーが宙で拾い、大魔王から距離を取るべく離れる。
ミルドラースの巨体が震えたのは、ただプックルとピエールを振り払ったからではなかった。今度は異変を感じたのはリュカたちの方だ。エビルマウンテンにかかる暗雲の景色の中に見える穴が、更に広がったように見える。ミルドラースの周りを浮遊し続ける岩石に見える地上世界の景色が、更に色濃い暗雲に包まれたように、ほとんどが見えなくなってしまった。ミルドラースは首をぶらぶらと不安定に揺らしながら、痛みを感じないが故に不敵な笑みを浮かべ、頭上に開きかけている地上への入口を目指し、飛び上がろうとする。ミルドラースの目的はもはや、地上世界を侵食し、滅ぼしてしまうことにあるのだと、浮かべる醜悪な笑みに知れる。
黒竜リュカが宙に飛び上がる。その背にしがみつくビアンカ。足手まといになど絶対にならないと、ビアンカはしがみつく爪が割れるのも構わず必死についていく。
黒竜が大魔王の足を鷲掴みにつかまえた。大魔王が、視界を奪われているにも関わらず、黒竜リュカを見下ろす。神を名乗るあのマスタードラゴンと同じく竜の姿となったリュカに対し、ミルドラースは憎々し気に、歯を剥き出しにした表情をまるで隠さない。その顔つきには、単純にも見える恨みの感情が現れている。ミルドラースはもはや醜悪な姿形へと変化したことで、ただの恨み妬みの感情をそのまま表出しているようだった。
掴まれた足を激しく振り、掴む黒竜の手を振り払おうとする。しかし黒竜の爪が食い込み、その手は離れない。ミルドラースはただ己の執念だけで地上世界を目指す。リュカは地上世界を広く守るために大魔王の足を離さない。その想いの大きさに、差はなかった。しかし相手をいかに踏みにじろうとするかを考える思考には、明確な違いがある。
ミルドラースは足を離さない黒竜に向かって、灼熱の炎を容赦なく吹き下ろした。その炎は己の足ごと焼き付けるにも関わらず、ミルドラースがそのようなことができるのは、全く痛みを感じないからだ。ミルドラースの膨張した赤黒い身体は、一人の人間から成り立ったものではない。数多の悪魔神官をも巻き添えに、複合され、ある種禁忌の進化を遂げた身体だった。灼熱の炎を浴びて悲鳴を上げているのは、もしかしたら複合された悪魔神官なのかも知れない。
炎を吐かれる黒竜リュカも、ただ炎を浴びることはなく、激しい炎を吐き応戦する。しかし敵の吐く炎の比べ圧倒的に威力は劣る。黒竜が吐く激しい炎の援けをと、その首元でビアンカがベギラゴンの呪文を放つ。それでもまだ圧される。
黄金竜ポピーが、背に兄ティミーとピエールを乗せたまま、リュカの横に並ぶ。父リュカほどの巨大竜とはなれていないと自覚しているが、やはり援けをとポピーもまた激しい炎を吐き応戦する。その背でティミーが呪文の構えを見せるのを横目に見て、ピエールもまた呪文を唱えるべく黒竜リュカを見る。
ミルドラースが向かおうとする暗雲の渦の中の穴の辺りに、光が閃く。ティミーが黄金竜ポピーの背の上に、両足を踏ん張って立ち上がる。天空の剣を右手に握り、左腕には天空の盾を装着したまま、両手を頭上へと掲げるや否や、大声を上げて辺りの空気を震わせた。暗雲の渦から生まれる激しい雷の嵐が、神の裁きと言わんばかりに大魔王ミルドラースの巨大な身体へと降り注いだ。すさまじい轟音に、誰もが自身こそが雷の餌食になったのかと感じたが、ティミーの放ったギガデインの雷の嵐は、勇者が悪と認めた者の巨大な体のみを貫いていた。
灼熱の炎を受け、またしても黒竜の翼を焼かれていたリュカだが、その背に飛び移っていたピエールが主の回復をとベホマの呪文を施していた。しかし黒竜リュカの傷を癒すのに消費した彼の魔力は大きく、ピエールは己の中に残る魔力が僅かであることを感じている。リュカの背に必死にしがみついていたビアンカの身体を支え、彼女が休まず今度はその手に賢者の石を握るのを見ると、ピエールはそれだけで己の中の士気が高まるのを感じ、主リュカと共に大魔王ミルドラースを見上げた。
不安定に揺れる首に不安を覚えたのか、不快に感じたのか、視界を奪われていることにも苛立ちを見せるように、大魔王は地獄の底から響くような声を上げる。それが己自身への命令の言葉なのか、ミルドラースの巨大な身体は再び回復の兆しを見せる。既に傷つけられ、閉じさせられている両目をそのままに、ミルドラースは深く瞑想の気配を漂わせる。
その隙など与えないと、黒竜リュカが勢い込んでミルドラースへと突撃する。あまりの勢いに、背に乗るビアンカが振り落とされる。母を救わねばと、その下を滑空する黄金竜ポピーがビアンカの身体をその背に乗せた。
瞑想の時には何者をも寄せ付けない障壁を張っていたはずのミルドラースだが、吠える黒竜がそれを突破した。不安定に揺れるミルドラースの首の付け根を狙い、黒竜が大口を開けて噛みついた。抗うミルドラースは、黒竜の翼を四本の腕で鷲掴みにし、引きちぎらんばかりの力で激しく引っ張る。真っ当な痛みを感じる黒竜リュカだが、翼を引きちぎられようとする痛みなどどこかへ放り、対して大魔王の首をこのまま引きちぎってしまおうと、意地でも食らいつき続ける。その黒竜の顔の脇を、素早くピエールが駆け抜けていく。
本来は、主リュカの翼の傷を癒すべきと当然思っていた。しかし余りに激しい黒竜の、喉から出る低い唸り声の凄まじさに、ピエールは己も攻撃に向かうべきとミルドラースへと飛びかかった。大魔王の首に噛みつくリュカのすぐ横で、ピエールはドラゴンキラーを振り下ろす。ドラゴンの硬い鱗をも容易く切り裂くドラゴンキラーの刃は、ミルドラースの首元にも難なく切り込む。
ピエールの姿に、プックルを抱えたアンクルがそのまま加勢するべく、ミルドラースの首元へと飛び向かう。敵の視覚は、アンクルの攻撃を受け、封じられている。今この時に一気に攻勢をかける時だと、アンクルもプックルも意を同じくして、戦友ピエールの近くに飛び降りるや否や、各々の武器を振るい始めた。
人間が鬱陶しい虫を追い払うような感覚で、ミルドラースは己の首辺りにうろつく敵を手で叩こうとした。が、それを黒竜リュカが灼熱の炎を浴びてボロボロになった翼を広げて邪魔をする。父と肩を並べるようにして、黄金竜ポピーが反対側からミルドラースの首へと噛みつくと、父との距離を縮めた状況に機を見たティミーが、激しく損傷している黒竜の翼も身体も癒さなくてはと、回復呪文ベホマを唱える。併せてビアンカもまた、その手に賢者の石を握り祈る。ティミーの魔力の消耗が激しい代わりに、黒竜リュカが負った傷がみるみる癒えて行く。賢者の石から滲み出る癒しの風により、皆の意気も上がる。
敵であるリュカたちの力が強まったことに、視界の利かないミルドラースも気付いた。大魔王としての己の首がぶらぶらと不安定な気配に、ミルドラースはそのようなことがあってよいはずはないのだと、怒りに震えるようにして、全身を震わせ始めた。赤黒い巨体全体に凄まじい魔力の集中が感じられ、ミルドラースの近くに密集している皆が一様に息を呑んだ。
避難する隙はなかった。ミルドラースの全身から放たれたイオナズンの大爆発に、皆が皆巻き込まれ、吹き飛ばされた。ミルドラースを直接攻撃していたピエールにプックル、アンクルは、その身一つで宙へと吹き飛ばされてしまった。黄金竜ポピーも間近でのイオナズンの大爆発には耐えられず、竜の身体ごと吹き飛ばされ、その背に乗っていたティミーとビアンカはもしかしたら宙へと放り出されてしまったのかも知れない。唯一、ミルドラースのイオナズンの中でも意識を保っていたのはリュカだけだ。他の皆は至近距離で受けた大爆発の威力に耐えられず、誰もが意識を失い、宙に放り出されている。下に、彼らを受け止めるような地はない。このままでは皆、エビルマウンテンの谷底へと落ちてしまうと、リュカは黒竜の姿のまま必死に仲間たちを救いに飛び回り始めた。
翼の損傷が激しく、思う場所へと飛び回ることができない。痛みも激しいはずだが、今のリュカはミルドラース同様に痛みをその身に感じない。それよりも皆を掬い上げなくてはと、アンクルを右手に掴み、プックルを左手に掴む。初めに戦いの舞台として彼らが立っていた、浮遊している唯一の巨大岩石の上に彼らを多少雑に放り出すと、すぐさまピエールを掴み、そのまま下へと落ちかけていたポピーを拾いに向かう。ビアンカとティミーの姿が見えない。黄金竜であるポピーの陰に隠れているのかと、リュカは宙を下方へと滑空する。
その後ろ、まるで巨大な黒竜をも鬱陶しい蠅と見下すような意図すら見せて、ミルドラースの棘の尾が上から振り下ろされた。見えていないはずの目に、憎たらしい黒竜の姿が映し出されているのか、その狙いは驚くほどに確かなものだった。黒竜の脳天を目がけて、過たず棘の尾が振り下ろされ、命中は免れない。
一瞬、闇の宙に、銀色の大きな布が広がったようだった。それは高く硬質な音を響かせ、信じがたいことに大魔王の攻撃の意思を持った尾を弾き返してしまった。
はぐりんは常に、黒竜の背にへばりついていた。空中戦となってしまった状況下で、はぐりんはじっと静かに様子を見守っていた。はぐれメタルという魔物の性質上なのか、はぐりんは自ら攻撃することは苦手だ。しかし己の強烈なまでの守りの力にはある種の自負がある。それをここで発揮するのは当然だと言わんばかりに、黒竜となったリュカの頭部を守るために、己のどこまでも伸びそうな身体を広げ、ミルドラースの尾の攻撃を宙に弾いた。が、当然反動で、はぐりん自身もまた宙に弾き飛ばされてしまった。にも関わらず、やはりはぐれメタルという魔物の性質なのか、誰よりも恵まれた運の良さを発揮するように、広げられたその銀色の身体はプックルとアンクルが放り出された広い岩石の上へと落ちて行った。
はぐりんに守られたことに気付いていないリュカは、その隙にポピーを拾い上げつつ、辺りに目を凝らした。ティミーとビアンカが見つけられない。気を失い、呻き声を発する黄金竜の背を見れば、そこにはポピーが必死になって守ろうと翼を畳んで守ったティミーとビアンカの姿があった。同じく、イオナズンの呪文を使うことのできるポピーだ、直前にその気配を目の前の大魔王から感じたのだろう。ただ、二人とも気を失い、今は運良くポピーの背に留まっているような状態だった。リュカは彼らを落とさないよう、黄金竜のポピーを両腕に抱きかかえた。
彼らを広い岩石の地に下ろす寸前、リュカの脇腹を抉るような一撃が迫っていた。気づかないリュカの竜の脇腹を、ミルドラースの棘の尾の一撃が抉る。痛恨の一撃に、リュカは思わずポピーを両腕から落としてしまった。しかし幸いにも既に広い岩石の地の上方にあったポピーの竜の身体は宙へと放られることなく、プックルたちと同様に岩石の広い地の上に横たわる。背に乗るティミーとビアンカは、ポピー同様にまだ意識を取り戻さない。ポピーは竜としての力を使い果たしたように、その姿は嘘のように小さくなり、人間の少女の姿へと戻ってしまった。
黒竜リュカは、皆の意識を覚まさせるようにと、咆哮を上げた。岩石の地に倒れる仲間が、リュカには気づかないほどの小さな動きを見せ、反応していた。しかしその動きを確認する間も与えられず、リュカの背後に大魔王の巨大な影が迫る。振り向くリュカの目の前に、変わらず首を不安定に揺らしながら大口を開けて鋭い牙を見せるミルドラースがいる。
迎え撃つ黒竜リュカだが、その身体の大きさはミルドラースが勝っている。己の目を潰された仕返しの如く、黒竜の両目を狙い、巨大な両腕を振るってくる。リュカは咄嗟に宙に身を翻し、ミルドラースの攻撃を避けるが、すかさず黒竜の翼に棘の尾を振るわれた。右の翼は完全に機能を失い、黒竜は飛行の力を弱め、宙をゆっくりと落ちて行く。その下に、黒竜を受け止めるような岩石の地はない。エビルマウンテンの深い谷底が、黒竜リュカの身体を飲み込もうとする。
意識はまだある。翼を動かそうとする。しかし動かず、均衡が保てない。そして、谷底になど逃がさないと執念を剥き出しにするミルドラースが、更にリュカへと追い打ちをかける。今度は左の翼を凶悪な爪に薙がれた。堪らず竜の悲鳴が上がり、完全に両翼の動きが止まった。回復の術を持たず、黒竜は力なく宙を落ちて行く。
辛うじて意識はあるものの、深手を負った黒竜はもはや竜の姿に留まることができない。竜神の力を受け止める器がひび割れたような状態だ。黒竜の姿はみるみる萎み、その姿は元の人間のリュカへと戻っていく。ミルドラースはしぶとく、しつこく、リュカを狙うが、小さくなった標的に棘の尾も振り下ろす腕も当たらない。両目の視界を奪われているミルドラースに、小さな標的に当てるような器用さはない。しかしその状況故に、ミルドラースは激していた己の状況に気付いた。一度冷静になれば、小さき者たちに対してなど、灼熱の炎をひと吹きすればよいのだと、大きく息を吸い込もうとする。が、不安定に揺れるほどに首を斬られているような状態で、大きく息を吸い込むことができない。喉の隙間から息が漏れている。
宙を落ちて行くリュカに向かって、矢のように飛び向かうアンクルの姿があった。その背には、ピエールがいる。先ほどの黒竜の咆哮に、意識を呼び覚まされたピエールが、その声に主の危機を悟り、アンクルを叩き起こしてリュカの元へと共に向かっていた。アンクルも万全ではない。しかし彼の身体を癒す力の盾の魔力が発動し、飛行できるまでには回復していた。
アンクルが人間の姿に戻ったリュカの身体を片腕に抱きかかえる。腕を掴むことはできなかった。ミルドラースから受けた攻撃により、両肩を酷く損傷しているのだ。下手に腕だけを掴めば、肩から千切れてしまいかねないと、しかしミルドラースの傍から逃げるために必死に敵との距離を取ろうと急旋回する。その間にピエールは、このために己は来たのだと言うように、すかさずリュカへベホマの呪文を施す。黒竜の姿のリュカとは異なり、使用する魔力は格段に小さくて済むが、既にピエールの保持する魔力は残り少ない。
アンクルの急旋回による衝撃で、リュカの腰にぶら下げている道具袋が落ちかける。その隣で同じようにガチャンと揺れるのは、聖なる水差しだ。注ぎ口に栓をしているわけでもないのに、普段はそこから水が漏れることもないのは、明らかに魔法の力が働いているからだった。しかし今、寧ろ魔法の力が働いて、その注ぎ口から、小さな水差しになど収まるはずのない水が一気に噴き出した。その水の一粒一粒がまるで意思を持っているように、霧のように宙に広がり、リュカたちとミルドラースとの間に聖なる膜を張る。ミルドラースが両目を閉じたまま、嫌悪感隠さず顔を歪める。
深い霧の中に、大魔王ミルドラースの姿が閉じ込められるのを、ピエールの回復を受け、アンクルの脇に抱えられるリュカはその目に見た。その霧の中から飛び出して来ようと思えばいつでも、ミルドラースは霧を吹き飛ばすことができた。しかしそれをしないのは、ミルドラース自身がこの状況にいくらか怯み、確かめようと感じたからだろう。そして冷静さも取り戻してしまったミルドラースは、自身の負った損傷に向き合い始める。



霧の中に、リュカたちの見たこともないどこかの景色が映し出される。明るい。地上を日が照らしている。もはやその景色自体、リュカたちには懐かしささえ感じられるものだ。長らく魔界の中にいるせいで、日を浴びる地上世界の景色に思わず眩しそうに目を細める。
地上世界のどこかの景色なのだろう。その場所をリュカたちは知らない。緑の草原地帯を歩くのは、人か、魔物か。どちらとも分からないが、どちらにしても感じられる雰囲気に凶暴さは見られない。
リュカたちにも見覚えのある景色がふと映る。天空の塔。しかしリュカたちが見たような、廃墟と化してしまった天空の塔ではない。その先端にまで美しく装飾が施され、天の空を突き抜けていきそうなほどに高く聳える塔だ。この塔を前にして立つ、一人の男の姿があった。長らく旅を続けてきたような、着古した旅装束にマント、旅の荷を肩に担ぎ、片手には分厚い本を開き持っている。
祈りの言葉を小さく口にし、天空の塔の入口を閉じる巨大な門を見上げる。その顔には、ただ真剣な表情が浮かんでいる。古い文献には天空の塔の挿絵が覗き、その門を開く者のみが竜神マスタードラゴンとの対面を果たすことができるのだと、記述されている文献の内容を信じ切った人間だった頃のミルドラースの姿が霧の中に映っている。その顔は髭に覆われ、既に幾日も、幾月も、この場で天空の塔の中へと入ることを試みている状況だったと知れる。
天空の塔の扉は開かない。その巨大な扉はかつては天空の剣、鎧、盾、兜を身に帯びた勇者にのみ開くことのできる扉だった。勇者と認められないミルドラースの前で、天空の塔がその扉を開くことはない。竜神へと続く塔に、竜神の厳格な意思が働いている。
しかし竜神は神としての厳格さを持ちながらも、一方で、人間とは良いものだという思いも抱いていた。一人の人間の男の真剣な思いを無慈悲に跳ね除けるだけではあまりにも、という情も沸き、竜神は男の深い祈りの中に、幻影として姿を現わした。
一方で、真剣な思いの裏側に潜む、男の邪悪にも当然気づいていた。それ故に放っておくことはできないとも考えたのだ。
人間だった頃のミルドラースの祈りの中に、マスタードラゴンがその姿を見せる。言葉を声にして対話をするわけではない。ただ祈りの中に、静かに、無言のままの対話をする。幾日も、幾月もこの場でひたすら待ち続けていたミルドラースの中には既に邪悪が育ってしまっていた。彼は初めから、このように問いかけたかったわけではなかったはずだった。しかし長らく天空の塔の前にその身を置いている間に、彼の心の中に潜んでいた邪悪な思いはただ大きく育ち、何をも隠さなくなっていた。
世のため人のため、私のような者が神となるべきだと、ミルドラースは心の底からそう信じ、祈りの中に現れる竜神にそう告げた。もはや彼は、それが人間の傲慢そのものだということにも気づかない。彼が接してきた人間という生き物は、それこそ彼を神のように崇めた。誰もが彼に従った。彼に異を唱える者はいなかった。彼は全てにおいて正しかった。そのように彼自身は彼自身のことをそう信じ、それ以外のことは信じなかった。
竜神ははっきりと応えた。神になるべき、などと言うものが神になるべきではない、と。竜神が応えた言葉はそれだけだった。その言葉に意味が表れていた。全ては対になっている。神になるべきなどと言う者は神になるべきではない。自らを完全と思う者は決して完全ではない。全ての物事は、対になっている。寧ろ、己を完全だと思うことこそが、愚かの極みであるのだと、竜神の言葉はそこまで言及しているようなものだった。
しかし人間のミルドラースが受け取った竜神の言葉はただ、己を否定したもの、というだけのことに留まってしまった。言葉の真の意味になど触れようともせず、ミルドラースはただ己を否定されたことに対してだけ、憤怒の表情を露にした。言葉が持つ意味の、浅い浅い部分に留まり、ミルドラースはただ神の否定に対してだけ、歯を剥き出しにして獣のように吠えた。
手にしていた本を投げ捨てた。この場で自身は確実に神になることができると信じていた。その才能があると思い込んでいた。己は選ばれた人間だと、深く深く考えている内に、彼は自身の想像、妄想の中で出来上がった自分自身こそが神なのだと思うようになっていた。
それこそが、人間の愚かさなのだと、自ら気づくこともなければ、誰に言葉を貰うわけでもなかった。人間を愚かだと思っている彼に、人間の言葉は届かない。
才能溢れるミルドラースは、すぐさま呪文の構えを見せる。対象は、己の祈りの中に現れている竜神だ。しかしミルドラースが呪文を放つ前に、竜神は姿を消してしまった。それがミルドラースには、竜神の逃亡と見えた。竜神と言えども弱いものだと、蔑む思いが生まれるのを止められない。止めようとも思わない。全ては自身が正しい。竜神を愚かだと思う自身が正しい。
彼の両目にはそれ以来、神に対する憎しみの暗い光が灯った。やはりあのような愚かな竜神に世界を任せることなどできない。どうにかして自身が神となり、この世界を安定させるのだ、という彼の思いは実のところ異なる意味が宿っていた。その真の意味には、己がこの世界を統べるのだという野望がもはや隠れもせずに、その暗い目に現れていた。
それからも長い長い年月、彼は旅をした。誰とも心打ち解けて話すことなどない。彼は常に、人間を愚かだと感じている。愚かだと感じる人間と話をすることもないと、彼は真剣にそう考える。人間は愚かだから、竜神でさえも愚かだから、自身が神となるしかないのだと思えば、その思いは彼の中で膨れるばかりで、どこまでも野望は成長していった。
リュカがかつて奴隷として過ごしたよりも、かつて石の呪いの中に時が過ぎて行った時よりもずっと長い年月を、ミルドラースは一人で過ごした。それは自ら望んだ一人だった。老人になっても尚、一人で生き、人間には近づかず、そのような彼に人間も近づいては来なかった。
以来、老人の姿のままのミルドラースは、いつしか人間であることを忘れ、その身は当然のように魔の世界へと落ちていた。人間としての寿命が尽きることも、彼には許せなかった。人間として寿命を終えることなど馬鹿馬鹿しいと、己が人間で在り続けることの意味も喪った。人間と魔物と、一体何が違うのかと考えれば、己が魔物の姿に変化することも問題ないと思えた。寧ろ何故初めから愚かで寿命短い人間の生などに留まっていたのか、彼はあっさりとその身を魔物へと変化させてしまった。
信じるのは、己のみ。他の人間など、誰一人信じられない。何せ人間は愚かな者たちばかりだ。自分は選ばれし者だという思いは、魔物となった身でも消えない。彼に、魔物になれと囁いたのは誰だったか。そんなことはもはや何も分からない。しかしそれで良い。己に甘言を囁いてくれればそれで良いのだと、ミルドラースは戻れない道へ自ら突き進んでいった。
己がこの世界を統べるその時まで、絶対に諦めない。ミルドラースの身に残るのはその執念だけだった。

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