魔の山の頂を目指して

 

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巨大階段を上る途中から、異様に寒々しい空気を感じていた。微かに魔物の咆哮も聞こえるが、それは決して近くではなく遥か遠くに響いている。そしてその声が、この大きな建物の内部に響いている気配はない。
リュカたちが足を踏み入れている場所はエビルマウンテンと呼ばれる魔の山で、一行はあくまでもその山の中に造られた大魔王の居城の中を歩いていた。人工的に造られた居城は、魔の山の一部に過ぎない。人間のリュカたちにしてみれば遥か上方に見上げていた天井すらも、魔の山の中を一部くり抜かれたようにして造られた建造物に過ぎないのだ。
巨大階段を上った新たな階層には、僅かに二つの明かりが壁に灯されているだけで、他には何もない殺風景な場が広がっているだけだった。悪魔を模したような巨像もない。魔物の気配もここにはない。壁に灯されている火にも魔性はないようで、ただ静かにその場にゆらゆらと明かりを灯しているだけだった。
ただ、巨大な部屋の一部にぽっかりと、大きな黒い穴が開いていた。その先には何も明かりのようなものは見えず、目がおかしくなるほどの暗闇がそこにあるように見える。その穴の向こうに、魔物の咆哮が何の隔てもなく聞こえるようだ。ただその音はまだ遠い。プックルが青の目を見開き、鼻をひくつかせながら辺りの気配を丁寧に探るが、今のこの場に危機は迫っていないのが分かる。
「外……?」
全くの暗闇と感じていた大きな穴にも、どこかに僅かな光源があるようで、その暗闇の景色が徐々に視界に明らかになる。プックルは当然のように既に、その景色が見えていたのだろう。ピエールも、アンクルも然りだ。ゴレムスは強い独断の意志さえあれば、とっくに前に動き出していたに違いない。しかし彼らは魔物でありながらも、人間と行動を共にしている仲間たちだ。そして仲間たちとして行動する彼らには、彼らの行動を決める指揮者がいる。人間である指揮者の言葉と行動を、人間よりも感覚の優れている魔物らは静かに待っていた。
「そうみたいだね」
ティミーの言葉に反応するように、リュカは皆と同じように暗闇に目を凝らしながらもそう軽く言葉を返した。大きな穴の向こうに外の景色があると言うことに、少し安堵していた。リュカの頭の中は冷静だった。天井も壁もない場所に出られれば、いざという時に素早くルーラやポピーの風の帽子で逃げることができる。もちろん、それは最後の手段に過ぎない。たとえ窮地に陥り、ルーラでジャハンナの町へと逃れることができたとして、再びこの敵の居城の奥深くにルーラで降り立つことができるかどうかは分からない。
ただ最優先すべきことが何なのかは、リュカの頭の中で明確になっている。家族や仲間たちの命を最優先とし、常にその思いを忘れず胸に収めておく。それは自分だけの我儘な思いではないはずだと、旅の最大の目的である母の救出の中にもそう思っている。己の信じる、父が追い求めた母マーサもまたきっと、同じように家族や仲間を大事にすることを言うはずだと確かに感じている。
指にはまる命のリングは、光こそ放たないながらも、リュカの手にそっと寄り添っている。このリングは魔界の扉を開ける鍵の一つだった。それと共に、恐らく母マーサが常に身に着けていた指輪だったに違いない。この小さなリング一つに、マーサの切なる願いが込められているように感じるのが、リュカの思い過ごしかも知れないという思いをも飛び越えて、今確かにここにあるのだと思える。母の言葉をリングに触れて聞くように、リュカは指にはめる命のリングをもう片方の手で覆い包むようにして、今は光らない緑の宝玉を温める。
「そろそろ外の空気が吸いたいと思ってたんだ。ちょうど良かったよ」
リュカの緊張感のない声を聞いて、ほんの小さく笑ったのはピエールだ。誰も気づかないようなごく小さな反応だったが、リュカには彼がそうしたのが雰囲気に分かった。ピエールの妙な緊張感が解れたのかも知れないと思うと、それだけでリュカは満足だった。
「お父さん、行こう」
「みんな一緒だもの、きっと、大丈夫、大丈夫……」
「お母さんと手を繋いでくれると嬉しいな、ポピー。いい?」
天空の武器防具を身に着けるティミーにとって、目の前に広がる闇の景色は恐怖の対象ではないのかも知れない。まるで光に包まれているようなティミーは、むしろ真っ暗な世界を己で照らしてやるのだと言わんばかりの堂々とした態度を示していた。己を奮い立たせようとしているポピーに寄り添うように、母ビアンカは直接的に娘を支えるのではなく、むしろ自分を支えて欲しいのだと言うように手を差し出した。勇者ティミーと血を分け、双子の妹としての彼女の生き方を尊重するような妻の行動に、リュカは安心するように前に目を向け、半歩前を歩くプックルに続いて大きく暗い穴に向かって進みだした。



暗い中に出てしまうと、再び暗闇に目を慣らす時間がしばし必要となった。しかしその中でも、黒々とした山々の景色は大きな影の如く初めから見えていた。それは、影を一層濃く映すような青白い光源が、このエビルマウンテンの山頂付近に絶えず灯っているから、陰に見える山の景色を一層黒く映し出していた。あの光がこの魔の世界を照らす限りは、たとえ魔物ばかりが生きるこの世界でも完全な暗闇に覆われることはないだろう。
大魔王の居城に侵入者であるリュカたちが入り込んでいることは気づかれているはずだが、この場所にリュカたちを待ち受けるような敵はいない。しかし離れた場所では明らかに魔物の咆哮と思われる低い声が響いている。闇ばかりが広がっていると思われた山々の中に時折、目に眩しいほどの炎が上がるのは、どうやら竜が吐き散らす炎なのだとその不規則な様子に見て取れた。
「がう」
足元に気をつけろと、プックルが小さく知らせる。建物の中から外に出て、本能的にいくらか解放感を得たリュカたちだが、エビルマウンテンの足場は悪い。元からこのような切り立つような山の形をしているのか、それともこの山に棲みつく魔物らが山のあちこちを削ってしまったのか、地面は不規則に隆起し、歩くことにも足元への配慮が必要となる。しかし落ち着いて見てみれば、その地面の隆起は巨大な何者かが踏み固めたようでもあり、いくらか平らな場所を選び進めば先へ進むことは不可能ではないと、リュカは先に続く山道を広く見渡した。
暗い影のような山の中に、大きな魔物の姿が見える。まるで山の一部のようにすら見えるギガンテスが数体、うろついているようだ。魔の山にふさわしく、この地には草木が全く生えていない。岩と石と土ばかりのこの地で、一体あの魔物らは何を糧にして生きているのだろうかという疑問がリュカの脳裏に過るが、もし魔物との戦いに敗れれば自分らこそがその糧となるのかも知れないと思えば、彼らの糧について考える余裕はなくなった。
相変わらず風も吹かず、この場所では時が止まっているのではないかと錯覚するような感覚にも陥るが、山の内部よりもいくらか涼しいようにも感じられた。知らず首筋に浮き出ていた汗に涼しい空気が当たるだけで、この暗い魔界においても爽やかささえ覚える。そう感じられるのも、リュカたちの視界に、山頂近くの青白い光が希望として映るからだろう。目標となるものは消えず潰えず、今も確かに目に見えている。揺るぎない目標が見えている限りは、そこに向かって進むだけだと、無駄な思考を排除するようにリュカは見える景色に思考を整理する。
希望の光があるのと同時に、その光を遮るように巨大な魔物の影があることに向き合わねばならない。エビルマウンテンの道は恐らく、この山に棲むギガンテスたちの大足によって踏み固められ、凸凹としながらも凡そ道の形を成している。道幅も広く、ゴレムスのような大きな仲間が歩くにも支障はないが、道の端に寄ることだけは避けなければならないと、リュカたちは隠れる場所もないような道の真ん中を進まざるを得なかった。
「今んところ、見えるのはあのデカイ奴らだけだな」
「この山の麓の森と同様に、ここらはあの巨人しかいないのかも知れません」
エビルマウンテンの麓の森林地帯には、ピエールの言う通り巨人ギガンテスらの群れる地帯があった。あの場所に他の魔物が棲息していなかったのは、同じ魔物でありながらもギガンテスの振るう巨大棍棒は誰かれ構わず向けられるからだろうとリュカたちは考えていた。ギガンテスにとっては同じギガンテス以外の魔物は敵でも味方でもなく、ただ棍棒を振り上げる対象となるものくらいなのだろう。無暗に殴られたくないと考える他の魔物らにとっては、下手にあの森には近づかないのが、すでに慣習のようなものになっていることは容易に想像できた。
「……だけど、何だか吠えるような声が聞こえる」
「ぐるるる……」
耳を澄まして魔物の声を聞いているポピーと同じように、リュカも既にその声を聞いていた。その声はまだいくらか遠くに聞こえるが、間違いなく竜の声だとリュカは感じていた。実際にこの山々のところどころに上がる炎は、ドラゴンの口から吐き出されているものだ。ギガンテスのような巨人と棲む場所を同じにできる魔物がいると考えれば、それは以前、少しの間共に旅をしたシーザーたちのようなグレイトドラゴンくらいのものだろうと、リュカはまだ近くには見えぬ巨大竜の姿に警戒する。
「空からの攻撃にも備えよう。それこそ突然後ろの山影から……」
そう言ってリュカが後ろを振り向いた時、つい先ほどリュカたちが出てきた山の内部の洞窟となる山影の向こうに、静かに様子を窺っていた巨大竜の影が目に飛び込んできた。侵入者であるリュカたちを後ろから観察し、攻撃の機会を窺っていたようだ。しかし二体のグレイトドラゴンの視点からは、主に魔物であるゴレムスの背中が見えるだけで、この者が果たして侵入者なのかどうか判断が付かなかったらしい。
ゴレムスの肩の向こうに見えた人間の姿に、グレイトドラゴンは二体揃って目を見合わせ、束の間互いに確認した。その隙にリュカは、家族にゴレムスの影に入るよう指示し、自らはアンクルの背に乗ろうと仲間の逞しい腕に手をかけた。しかしアンクルはそれを拒む。
「お前は囮だ。ここに残ってろ」
アンクルの一言に、リュカは瞬時に納得した。グレイトドラゴンと目が合ったのはリュカ一人で、そして彼は魔物と敵対する人間だ。今、二体のグレイトドラゴンが視覚に認識している敵は、リュカとゴレムスと、ゴレムスの大きな身体の陰にも収まり切らないアンクルだけだろう。他の仲間たちはうまい具合にまだゴレムスの巨体の影に入り、敵に見つかっていないに違いない。
竜の咆哮が上がった。大きな翼が大きくはためく。直後、二体のグレイトドラゴンが山影から飛び上がり、リュカという人間目がけて飛びかかって来た。リュカは尚の事目印になるようにと、ゴレムスの腕から肩へと上り、同時にゴレムスの身体を守るべく、防御呪文スカラを静かに施した。
リュカやアンクルの思惑通り、グレイトドラゴンは二体揃ってリュカ一人を目がけて飛んで来る。その視界から逃れるように、ゴレムスの影から宙へと飛び上がったアンクルの動きに、もはや巨体のグレイトドラゴンはついて行けない。巨体故に急激な方向転換ができず、他の敵の動きに気付いても二体の巨大竜はそのままリュカに向かって大口を開けて来る。口の中に炎の欠片も見えない。竜はその鋭い牙で、人間のリュカをかみ砕こうとしているのかも知れない。
二体の巨大竜の後ろ側に回り込んだアンクルが、デーモンスピアを片手に竜の飛行能力を奪うべく、大きな翼に槍を投げつけた。グレイトドラゴンの最も厄介な動きとして、この飛行能力がある。自身もまた宙を飛んで敵の目を引き付けたり、撹乱させたりする動きをすることがあるために、アンクルは誰よりもその厄介さを理解している。それ故に、翼さえ傷つけてしまえばこの巨大竜も地上に降りざるを得ないと、アンクルの投げた大槍がグレイトドラゴンの動きを封じた。
翼に槍を受けて地に落ちた一体のグレイトドラゴンと合わせて、もう一体もまたほぼ同じタイミングで地に落ちた。その竜の背から同じように落ちるのは、グレイトドラゴンほどの巨大な竜に比べれば子犬ほどの大きさにも見える、ピエールだった。アンクルが宙へと飛び立つ際に素早くその背に飛び乗り、二体のグレイトドラゴンを同時に攻撃することを狙っていた。囮となるリュカに一体も近づけさせないようにと、ピエールはアンクルの背から跳躍し、グレイトドラゴンの大きな翼をドラゴンキラーで一閃していた。
翼を傷つけられ、宙に飛べなくなったグレイトドラゴンだが、敵らの持つ攻撃力がそれで弱まったわけではない。地に降りた大型ドラゴンと捉えれば、依然としてリュカたちにとって脅威であることには違いない。しかしそれでも、敵の機動力は圧倒的に低くなった。
「前に進もう!」
リュカの言葉に合わせ、ゴレムスが足元に守っていたビアンカ、ティミー、ポピーを両腕に抱き上げた。背後から襲い掛かって来た二体のグレイトドラゴンの他には今、近くに魔物はいない。前進する機会を逃してはいけないと、ゴレムスが三人の仲間を腕に抱え、肩にはリュカを乗せたまま、前に続く上り坂を駆け始めた。その前を行くのは、先鋒役を務めるプックルだ。
目指す青白い光の伸びる山頂はまだ遠い。しかしその方向へ少しでも近づくためにと、プックルを先頭にしてリュカたちは山道を登り始める。背後から追いかけて来るグレイトドラゴンの速さは、ゴレムスと同等ほどだ。翼に傷をこさえているために、その痛みからか通常よりも動きは鈍くなっている。少しでも敵との距離を取ろうと、ゴレムスの後を追うように飛んで逃げるアンクルの背に乗るピエールが、イオの呪文を敵の目の前に放ち、敵の動きを少しでも止める。
ゴレムスの肩にしがみついているリュカは、グレイトドラゴン二体の様子をじっと見つめていた。敵がどのタイミングで炎を吐き出すのかを見ていたのだ。その攻撃に耐え、むしろ跳ね返すほどの力を蓄えるように、リュカは呪文を放つ用意をしていた。すぐにでも豪風を放てるようにと、彼の両手には既に魔力が溜まり、留められている。
徐々に距離が空き、翼を傷めたグレイトドラゴン二体の走る速度が、次第に体力を削られるようにみるみる落ちて行くのが目に見えて分かった。しかしそれと同時に、前を駆けるプックルの動きもまた、上り坂の途中でぴたりと止まった。
リュカたちは今、山道の途中にある。プックルが駆ける足を止めた場所は、山道の途中にあるいくらか平らな地だった。赤い尾が警戒心を高めるように、高く上がっている。彼のその様子を注意深く見ながら、リュカたちもまたすぐにプックルに追いついた。
思っていたよりも広く平らな地だった。まだまだ山の中腹に位置するような場所だ。その場所に立って見える景色に、何体もの巨人がうろつく姿があった。ゴレムスのような大きな魔物が姿を見せているというのに、特別リュカたちの存在を気にかけることもなく、ただこの地に生きているというだけの雰囲気がギガンテスの周りにはある。彼らほどの巨人ともなれば、敵という敵もおらず、周囲を警戒する必要もないのだろう。力によって己を脅かすような他の存在はないとして、ただこの地に生きているだけなのかも知れない。
そしてギガンテスのうろつく平地のその向こうに、このエビルマウンテンの山にかかる巨大なつり橋が見えた。初め、それが吊り橋だとは分からなかった。魔界という世界で、魔物たちのみが棲みつくようなこの場所で、吊り橋などかかっているはずもないと頭のどこかで思っていたからだろう。しかし現にリュカたちは、エビルマウンテンの山の中、巨大洞窟の中に造られた人工的建造物の中を歩いてきたのだ。この魔の山には広く深く、人工的な力が働き及んでいるのは間違いない。
「がうっ!?」
リュカを振り向いて問うプックルの声に、リュカは右側にも広がる景色を見上げた。急な山道が続いている。後ろからはグレイトドラゴンがすぐそこにまで迫っている。不思議なことは、巨大黄金竜らがまだ一度も炎を吐き出し攻撃してこないことだった。今もドラゴン二体は炎を吐くような気配を見せず、ただその目は明らかにリュカだけを見つめ、追いかけてきている。前方に広がる平地にはただ巨人が点在しているだけで、その間を抜けて行けば巨大吊り橋にも届くだろうと、リュカだけではなく、仲間たちの間にもその自信は生まれていた。目指す山頂の光は、吊り橋を渡った先に見えているのだ。
「プックル、前だ!」
「がう!」
リュカの言葉を予期していたように、プックルは既に遠く前方に見えている巨大吊り橋を見据えていた。吊り橋に繋がれた二つの地には高低差があり、リュカたちは長い橋を一気に登り切らねばならない。二体のグレイトドラゴンに追われていることもあり、速度を緩めるわけにも行かない。ギガンテスがのそりのそりとうろつくこの平地の中を、プックルを先頭に、リュカたちは進み始めた。
動きの鈍いギガンテスが真っ先に目にするのは、同じく巨大な魔物であるゴレムス、そして仲間と言っても良いはずの二体のグレイトドラゴンだ。大きな一つ目で同じく巨大な魔物の姿を捉えると、先ずは興味を持って見つめ、そして興味本位で近づいてくる。その一つ目には初めから攻撃の気配はないのだと、リュカは今初めて知った。恐らく彼らの生きる場所を荒すことさえしなければ、この巨人たちは手にしている棍棒を無暗に振るうこともないに違いない。
向かってくるグレイトドラゴンとの距離が狭まる。しかしその距離を広げようと、今度は暗がりの中を静かに氷の刃が飛ぶ。狙いすましたような切れ味鋭い刃は的確にドラゴンの目を捉える。ゴレムスの肩に乗るリュカが横を見れば、ゴレムスの反対側の肩にはティミーとポピーの姿があった。二人の子供たちは父リュカと目を合わせる余裕もなく、ただグレイトドラゴン二体の動きを封じるためにと、敵の様子を窺っている。ここで派手な攻撃をしかけては、周りにいるギガンテスの気を荒くしてしまうだろうと、彼らもまた雰囲気に感じているのだ。
ただリュカたちが特別攻撃の意図を示さずとも、ゴレムスの巨体がこの場所を駆けており、それを二体のグレイトドラゴンが追っている状況は、ギガンテスという巨人の魔物の本能にいくらか火をつけてしまう。ゴレムスの正面に、本能で振るわれるギガンテスの棍棒がゆっくりながらも迫る。それを前を駆けるプックルが、捨て身にも等しい体当たりを食らわせ、その軌道を逸らす。また別のギガンテスが、ゴレムスが腕に抱えるビアンカに手を伸ばそうとすれば、ビアンカはマグマの杖を振って火の塊を飛ばし、ギガンテスの一つ目を攻撃して視界を奪う。それだけで巨人の手は引っ込み、奪われた視界が戻るまでの間はその場から身動きできなくなってしまう。リュカたちにとっては大抵の時がそうだが、前進するために敵を蹴散らす意図はない。ただ前に進むために、敵となる者を脇に退け、道を拓ければよい。
巨大な吊り橋だ。一体いつ造られたのかは分からないが、非常に古いことだけはその外見に自ずと知れた。巨大で武骨で、形も整えられていないような板がいくつも並べられ、しかしその古さ故か、雑に扱われて来たのか、並ぶ板はところどころ抜け落ち、到底安全性には期待できない。橋全体が朽ちているようにも見える。抜け落ちた場所を足で踏み抜けば、その大きさから真っ逆さまに魔界の底へと落ちてしまうだろう。
「ほ、本当にここを行くの?」
「い、行けるよ! 多分……」
ポピーとティミーがそう不安を見せるのも無理はなかった。巨大な吊り橋を前にして、それまでリュカたちをのそのそと追ってきていたギガンテスらは一体としてそれ以上追いかけて来ようとしないのだ。ゴレムスよりもまだ大きな身体をしているギガンテスらは、この襤褸ついた吊り橋を渡らないことにしているのかも知れない。彼らの大きな一つ目にはどこか怯えのような感情が見えるようだった。もしかしたら吊り橋のところどころ抜け落ちている箇所は、かつての彼らの同族が踏み抜き、そのまま落下した場所なのかもしれない。
しかしここまで来て引き返すわけにも行かないと、リュカはゴレムスの肩の上で彼に呼びかける。後ろからは二体のグレイトドラゴンが迫ってきており、目指す光はこの吊り橋よりも先の山頂にある。
「ゴレムス、先へ……」
リュカが呼びかけたその時に、リュカたちを追っていたグレイトドラゴン二体の内一体が、大口を開けて雄たけびを上げた。その声はエビルマウンテンの山に木霊し、吊り橋の向こう側に広がる山々の景色にも響く。雄たけびを上げた竜の口は、真っ暗な空に向かっていた。リュカたちを敵とみなし、油断させようとしたものではない。巨大黄金竜はただ、仲間を呼んだのだ。
吊り橋の向こう側に広がる山の景色の影から、竜の呼び声に応じる者が現れる。その数三体。リュカたちを追う二体のグレイトドラゴンは翼に傷を負い、宙を飛べない状態だが、吊り橋の向こう側に姿を現した三体は大きな翼を広げて悠々と宙を飛んで来る。半ば朽ちたようなこの吊り橋の上で、正面から迫ってくる三体のグレイトドラゴンと交戦することに、到底勝ち目はないと、リュカは冷静に考えつつもこめかみに冷や汗を垂らしていた。
「リュカ殿、道はここだけではありません」
ピエールの言葉に、リュカは視界が一気に広がるのを感じた。目指す場所は山の頂上、そこへたどり着くための道が今目の前にしている吊り橋だけとは限らない。エビルマウンテンと呼ばれるこの山からは、様々な場所から魔物の咆哮が聞こえ、竜の吐く炎が暗闇を照らす明かりの如くちらつく。
目指す光の場所に近づけるような道ではないが、確実に山を登る他の道がある。進んできた道を少し引き返すことになるが、今はそれしか方法がないと、リュカはゴレムスに違う道へ進むことを指示しようとした。
そこへ間近に迫っていたグレイトドラゴンの姿があった。口に炎を溜め込んでいる気配はない。それだけで、敵となるはずのグレイトドラゴンに、リュカたちを端から焼き殺してやろうとする意図がないのが見て取れる。シーザーたちのようなグレイトドラゴンの家族がこの魔界に生きていることをリュカは否応なしに思い出す。もしかしたらこの二体のグレイトドラゴンもまた、話の通じる魔物なのかもしれないとリュカは黄金竜の目を正面から見つめながら、話し出そうとした。
しかしその後ろから地響きを立てながら重々しく走ってくる巨人の姿があった。大きな一つ目には魔物本来の獰猛さが帯びている。恐らくギガンテスらのみがうろつくこの地を荒されたと感じ、それに抗う感覚だけでリュカたちや、同じ魔物であるグレイトドラゴンにでさえ攻撃対象とするような勢いで向かってきている。
「がうっ!」
先に導くのは大方プックルだ。猛進してくるギガンテスに押し込まれれば、嫌でも吊り橋へと足を踏み出さねばならない。それを避けるためにと、プックルはもう後ろを振り向かないままに赤い尾に緊張を漲らせて駆け始めた。プックルにはリュカの意図が伝わっていた。別の道をと誘導したピエールの言葉を汲み取るに決まっていると、プックルもリュカと同様に別の道を既に見ていた。今はまだ点在しているギガンテスの間を抜けるように、プックルは吊り橋には背を向け、別の山道を登り始めた。
「ゴレムス、行こう!」
敵と言葉を交わしている余裕が今はないと、リュカは仲間の大きな肩の上に乗りながらそう呼びかけた。ゴレムスがやや前傾姿勢になり、駆け出そうとする構えを見せる。リュカたちは各々、彼の走りに振り落とされないようしがみつく。グレイトドラゴンの目はやはり、リュカを見つめている。明らかにそこに意図があるようだったが、ギガンテスも更に迫ってくる状況でそれに応じることはできないと、リュカは竜の視線から逃れ、プックルが先に行く道を見つめた。
ゴレムスが駆け出そうとする一瞬前に、まるで明後日の方向に一つ、小さな爆発が起きた。その音と、唐突に宙に響いた爆発の状況に、二体のグレイトドラゴンの視線がそちらへ逸れる。ポピーが敵の目を逸らすために遠隔呪文で放ったイオの呪文だ。その隙を逃さず、ゴレムスは巨大黄金竜の脇をすり抜けるように、山道を駆け始めた。
地響きを立てて走り、攻撃の意思を持って大きな棍棒を振り上げているギガンテスに、その小爆発は意味をなさなかったようだ。走る足は止まらず、巨人は爆発に瞬時気を取られていた黄金竜へと突っ込んでいった。このギガンテスという巨人にとっての、明確な敵と言うものはないのかも知れない。言わば、目の前に立つ己と異種の者は全て敵と見なされてしまうような、ただの本能だけて生きている魔物なのだ。
同じく巨大な魔物として立つグレイトドラゴンだが、勢いこんで攻撃してくるのがギガンテスではたまらないと、背に生える翼を使って宙へ逃げようと力を込めたが、傷を負っている翼に傷みを感じるや否や、その場に呻き留まった。ギガンテスは目の前に立つ己とは異なる者を攻撃するべく、走り込んだまま巨大棍棒を振るう。グレイトドラゴン一体と、ギガンテス一体がもんどりうつようにして吊り橋へと倒れ込み、端から朽ちかけている吊り橋はそれだけで更なる悲鳴を上げた。
唐突にかかった二体の巨大な魔物の重みで、ただでさえ頼りなかった吊り橋は切れてしまった。翼に傷を負っていなければ宙に飛んで逃げることもできただろうが、一体のグレイトドラゴンは竜の悲鳴を上げながら、どこまでも深く続くようなエビルマウンテンの崖の下へと落ちて行った。そして黄金竜を攻撃したギガンテスもまた、何が起こったのか分からないと言った状態のまま、同じく崖下へとその巨体を投じた。ゴレムスは既に山道をのぼるプックルの後を追う。その肩に捕まりながら、リュカは後ろを振り返る余裕もない。ただその耳には悲痛にも感じられるグレイトドラゴンの悲鳴だけが残った。
後ろを振り返らずとも分かるのは、吊り橋の向こう側から現れた三体のグレイトドラゴンが、同族が一体崖下へ落ちて行くのを目にして怒りに気勢を上げていることだった。竜が口から吐く炎が暗がりを明るくし、その明るさを後ろに感じるだけで、リュカは今は足を止めてはいけないのだと思考する。とりあえずはこのギガンテスが棲みつく地域を抜け出さなくては、たとえグレイトドラゴンと言葉を交わしたいと思ってもどうにもならないのだと、前を行くプックルの赤い尾を見失わないようにゴレムスと共に駆け続ける。

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