「ぼくのマンガ人生」(手塚治虫 著)を読んで
先日、息子と一緒に図書館へ行き、互いに読みたい本を何冊か借りて来ました。息子は専ら電車関連の本を借りていましたが、私は今回たまたま目についたこちらの本を借りてきました。
本当にたまたま目についた本だったのですが、借りて読んでみて、非常に有意義だったと感じました。文庫本で、手塚先生の本なので当然のようにところどころに漫画が挿絵のように入っていたりと、読みやすい本でもあります。そして題名の通り、手塚治虫先生の人生を覗くことのできる、楽しくも考えさせられる本です。手塚治虫という漫画家を知るにも、一度読んでおいた方が良いような自伝です。手塚先生が漫画を描くことになる将来に繋がる子供時代、学生時代のことを、手塚先生ご自身の言葉で知ることのできる貴重な本です。
その中でもやはり、戦争体験は強烈な印象がありました。手塚先生が戦争を体験したのは旧制中学の頃ということで、非常に多感な時でもあったように思います。当時は碌に学校での授業は行われず、労働者として工場勤めをする日々が続いたとのこと。手塚先生がいらっしゃった大阪も空襲を受け、運良く命は助かったものの、目の前で人々が亡くなるような凄惨な現場を目にしたことは、その後の先生の描く漫画に大きな影響を与えたことは違いありません。実際に描かれた多くの漫画には、笑いもギャグもたくさんあるにも関わらず、物語の芯は非常に真面目で深いもので、そのようなところが多くの人々、今では海外にも影響を与えているのではないかと思います。漫画の神様と呼ばれるのも大いに頷けるというものです。
絵を描くのは小さな頃から大好きで、ずっと描き続けていたということです。幼少期はご本人曰く、いじめられっ子だったようで、いじめられてばかりではダメだと、いじめっ子を見返すためにも漫画を描き続けていたと。漫画が上手くなればバカにされることもなくなるという思いで漫画を描き続けていたその精神は、非常に強いものだなと思わせられます。できることをやり続けて、伸ばして、ただいじめられるだけの自分ではいないのだと奮起する手塚少年は実はものっすごい強い少年だったのではと思います。しかしそれだけ「漫画では誰にも負けない」という自負があったんでしょうね。
ただ、このいじめられていたというご本人の感覚とは別に、妹さんから見た兄である手塚先生の様子は決していじめられてはいなかったという印象が語られています。こちらの本には手塚先生ご本人の他にも、妹さんやかつての級友、社会に出てからの恩人の方からの言葉も収められています。その中で妹さんから見たお兄さんの印象は、ご本人が感じていたものとは異なっていたようです。確かに本文を読んでいると、いじめられているという割には、手塚先生の誕生日の時には多くの級友(いじめっ子含む)を家に呼んで、みんなでわいわいパーティーを楽しむと言った光景が書かれているんですよね。いじめられていると感じる本人の辛さを否定する気にはなりませんが、それでもいわゆる”いじめ”という陰湿な雰囲気はそれほどなかったのかなという印象を私も受けました。妹さんも、兄は感受性が強いからいじめられていたと思っていた、と、そのようにお兄さんである手塚先生を見ていたようです。
手塚先生が漫画家への道へと進んだ切欠は多くあるのでしょうが、その中でも大きな影響を受けたのは学校の先生方の存在でしょう。小学校の担任の先生が、当時、これから流行るであろう綴り方教室(とにかく作文を書かせる)をさせ、一人の子に原稿用紙十枚を書かせるという、小学生にはかなり苦行なのではと思うようなことをさせたことがあったそうです。授業時間は一時間、その間に終わらなければ休み時間に、それでも終わらなければ放課後に、それでもまだ終わらなければ宿題にと、終わるまで書かせるという……作文が苦手な生徒には苦行以外の何物でもない気がしますが、とにかくそのようなことをさせた担任の先生がいらっしゃったようです。手塚先生はそのお陰で物語を作る喜びを知ったと、こちらの本で感謝の言葉を述べておられます。
このエピソードには面白いところがあり、やはり作文が苦手な生徒がいて、どうしたって書くことが思い浮かばないから、「何も考えつかなかったこと」という題で、原稿用紙二十枚を書いて提出したことがあったそうです。延々と一生懸命考えていることを書いたその作文に対し、先生の評価は三重丸。……やはりこの先生は素晴らしい方だと思わせられるエピソードでした。しっかりと作文と、その生徒自身のことを”評価”していたんだなと。こんな先生に出会えたら、痺れますね、きっと。
しかしその綴り方教室も、その内に戦争が激しくなってくるとボイコットされるようになり、作文自体も国策に沿ったものだけが許されるようになったという話です。このような話は私も義父から実際に聞いたことがありました。義父がまだ小学生だった頃に、書いた作文が学校を代表するものに選ばれそうになったことがあったらしいのですが、当時はもう一人、女の子の作文も候補に挙げられており、そちらの女の子の作文の方がいわゆる”国策”に沿ったものだったために、そちらが選ばれたという話を聞いたことがありました。このような話を聞くと、学校教育というのも、どうしても国のその時の状況から逃れることはできないものだなと考えさせられます。
また、もう一人、手塚先生に大きな影響を与えた先生がいらっしゃいました。旧制中学の時の美術の先生のお話がこちらの本に書かれています。当時は戦争中の為に、他の先生方は皆「マンガを描くとは何たることか」と、漫画を描く手塚少年を良い目では見ていなかった。しかしその中で一人だけ、美術の先生だけが手塚少年の味方になってくれたそうです。「手塚はこれが才能なんだから」と背中を押してくれ、職員室でそう熱弁を振るってくださったと。そんなのされたら、泣けてしまいますね。子供の頃って特に、背中を押してもらうことが何より重要だと思うんですよね。とにかく不安定で、自信がなくて、どうしたらいいのか分からないような時に、親なり先生なりにぐっと背中を押してもらえれば、勢いづいて進むことができることって、恐らく誰にも当てはまる人生の通過点かと思うんです。ただ、そのように子供の背中を押すのって、しっかりとその子供を見ている人にしかできないことでもある。だから、やはり親や身内、そして先生などにだけできる特権なのではないかと思います。
他にも様々なエピソードが本の中に手塚先生ご自身の言葉で語られています。もちろん、社会に出てからの大変さもまた、別のエピソードに見ることができます。それと併せて差しはさまれている漫画も合わせて、楽しめるし考えさせられるしで、この一冊を読めば手塚治虫という偉大な漫画家の根っこを知ることができるように思います。いやあ、本当にたまたまでしたが、とても良い本に出会いました。こういうことが、図書館に行ってふらふらと本を漁る醍醐味ですね。ということで、また後日返却がてら、何か借りて来ようかなと思っています。