手塚治虫さんの「火の鳥」(鳳凰編)を読みました。

 

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最終巻まで読もうと、続けて読んでいます。手塚治虫さんの「火の鳥」。

今回読んだのは、4巻目に当たる「鳳凰編」。

↓こちらの全巻セットの、4巻目にあたる本です。

生まれたその日に、片手と片目を失った我王(がおう)という男の物語です。初めから絶望のような場面から始まります。我王の始まりはどん底からです。

身体的ハンデを負った彼は、村の中でもずっと孤独に生きています。村の中でも慰み者として生きてきたと自分でも言っています。鬱々と抱えていた思いが、村の人の心無い一つの行動で爆発し、彼はとうとう殺人を犯します。

この辺りの見せ方も、やはり天才・手塚治虫さんという感じでした。ひたすら絵で見せてくれます。必要なセリフを最低限だけ。怒涛の絵の展開に引き込まれ、無駄な絵も一つもなく、さりげない絵の中にもしっかりと深い内容を包んで入れています。天道虫が・・・と、後でその場面を見返してしまいました。そこにも意味があったのかと。

逃げる途中でも人を殺し、人を傷つけ、他人のことなど構っていられないと、自分が生きるためには他人のことなどどうでも良いのだと、そんな我王の性格が絵の中に表されていきます。一体この男がどうやって魅力的な主人公になるのかと疑うほどに、どん底にいる人物です。

川でずぶ濡れになった我王を、焚火に当たらせていた仏師・茜丸。彼は我王を悪者とも思わず、自分が旅する理由など話していたけれど、我王は彼をも脅して身ぐるみを剥ぎ、その上仏師の命とも言える腕を斬りつけます。そこに確かな理由はありません。ただ、カッとなった。でも彼が生まれてから負い続けてきた身体的ハンデが根深い理由、と言うことになるでしょうか。

この我王と茜丸の二人の物語が展開していきます。二人はそれぞれに、運命に翻弄されていきます。その中で、生き物とは、生きることとは、という難題が常に二人にのしかかります。生き物は常に輪廻の中でぐるぐると延々と回っており、人間の生が終われば、次は異なる生き物に。それは虫けらかも知れないし何かの動物かも知れない。そして次に生まれ変わる生き物は、前世での行いが影響していると。火の鳥である鳳凰がその一端を教えてくれます。

年数を経て、再会した我王と茜丸は東大寺大仏殿の大屋根につける鬼瓦八体の制作を依頼され、いずれか一名の作品を採用すると言われます。二人とも異なる場所で七日間カンヅメの状態で、鬼瓦の制作に取りかかります。

これまでに茜丸は仏師としての地位を築いており、後ろ盾もいます。すっかり人間が作る人間のための世界にどっぷりと浸かっている状況です。一方、我王は苦労に苦労を重ね、自分を救ってくれた良弁上人も即身仏となり、乞食坊主として放浪しています。やはり人間は信じずに、彼の周りには動物ばかりが寄り添います。

鬼瓦の出来は、圧倒的に我王の勝利。しかしそこで、茜丸が我王の過去の悪事を暴き、その罰として我王は残っていた腕をも切り取られてしまうという・・・本当に酷い。我王は両腕を失ってしまいます。

それでも我王は生き続ける。完全に悟りを開き、一人山の中で生き続けます。生きると言うことは、と考えながら、これまでは人を殺めてきた我王がこれからは人をできるだけ救って行きたいと思い、生き続けます。

茜丸は日照りの続く中、火がついて燃え出した大仏殿の火に焼かれて死んでしまいます。彼はすっかり人間のための世界に生きているので、日照りで水がない中でも、大仏は絶対に守らねばならない、自分の他人の身命を賭してでも守らなければならないと思い、そのまま火に焼かれてしまいます。とても・・・現実的です。いかにも人間らしいと言えば人間らしい行動だと思いました。

その後、我王がどこでどう生きたのかは分からず、ただ百余歳まで生きたという記録があるというところでおしまいです。生きて生きて生き続けたという、両腕を無くしても。何物をも無くしても。

今回も感動巨編です。これが漫画で表されているんだから、やはり読んでおくべきと思います。この漫画を読むことで、当時の生活やらも想像でき、色々と勉強にもなるのではないでしょうか。

今回も何度も読み返したくなる素晴らしい漫画でした。いいもの読んだなぁ。

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