学問のすすめ

 

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近頃は日本も世界も情勢がとても不安定で、心が落ち着かない状態です。お先真っ暗な未来が見えていそうで、本当にこのままでいいのかしらと、常に不安を抱えているような状況です。恐らく、多くの皆様もそのような日々を送られているのではないでしょうか。

私もそれなりに年を取ったせいか、以前よりは周りが見えてきたような気がしています。ニュースも日々チェックはしているのですが、どうにもこうにも殺伐とした内容のものが目立ちます。

それというのも、一人一人に心の余裕が無くなってきているからではないかと思います。心の余裕を失う理由は様々ありますが、どのような理由にせよ心にゆとりを持てないようになれば、せいぜい自分自身を守るために他人に攻撃的になったりと、そういうことから殺伐として、人々が分断されたような状況に陥ってしまう・・・そんな悪循環が今の世の中に蔓延っている気がしてなりません。

そんな折、とある動画を切欠に、福沢諭吉の「学問のすすめ」を読んでみようという気になったので、よくお世話になっている青空文庫さんにて無料で入手し、読んでみました。

この本が書かれたのは明治時代。ですが、まさしく今の世の中を見るのに相応しい内容だと思えました。今の世の中だけではなく、恐らくいつの世にも通じる、いわゆる道徳を身に着けるのに必要な一冊ではなかろうかと思うような本でした。

いちいち頷ける内容であったり、譬えが示されている部分には思わず噴き出してしまうような面白さがあったりと、つまらない教本などではなく、一つの楽しめるお話のような雰囲気で読み進めることが出来ました。…ただ現代の文体で慣れていると、少し読むのに苦労しますが。昔の言葉遣いは難しい…。

この「学問のすすめ」で最も有名な部分として…

『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』

という言葉から、この本は始まります。冒頭の部分なんですね。そしてこの部分、福沢諭吉自身の言葉ではなく、トマス・ジェファーソン起草のアメリカの独立宣言の一節を意訳したものとされるのが最も有力な説、とされています。諭吉さんじゃなかったんか…。

まあ、学問のすすめの本文でも、

『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』と言えり。

と書かれています。と言えり…と言うことは、この一節は引用しました、と言うことですね。

これ、私たち現代人は凡そ「世の平等」と説いているものとして教えられませんでしたか? この世の人たちはみーんな平等、それが正しいものだと。

しかし実際の世の中、そんなに簡単なものではないですよねぇ。現代社会にも当然のように貧富の差はあるわけですし、そこにはいわゆる平等という世界は存在しません。

そこで、この本の題名を思い起こせば、「学問のすすめ」と。

福沢諭吉がこの本で表しているのは、貧しいことは嫌だ、愚かなことは嫌だ、と思うのなら学問せよ、そのようなことを言い表して人々に広めることが必要だと考えてこの本を出したのではないかと、思います。

それさえも綺麗事だと思ってしまうのは、私のような庶民としては既に富に浸かっているような人に対する妬み嫉みが多かれ少なかれあるからなんでしょうね。しかし人に嫉妬しているばかりでは、ただただ自分の精神が汚れていくだけで、何の益にもならないことには気づかなくちゃなりません。

それと同時に、既に富の中にいる人もまた学問せよと、そのような意味合いもありました。富があるのならそれをどのように使うかで、周囲の人から尊敬されるか軽蔑されるか、分かれますよね。どうせなら尊敬される人となりたいって思うのは、自然な人間の心だと思います。

…その辺り、今の世の中に少し思うところがあります。富さえ手に入れば後はどうでも良いと、そんな雰囲気を世の中全体に感じます。刹那的ですよね。でもそんな雰囲気が漂ってしまうほどに、この日本が困窮しているということなのかも知れません。

世の中って富を持つ誰か一人が作っているものではなくて、大きな潮流があって、その潮流をどちらの方向へ持って行くかが大変重要な問題になると思います。その潮流を作るのが、私たち一人ひとりな訳なので、やはり私たち一人一人がしっかりと自分の足で立つようにしなければならない、ということになるでしょう。

誰それがこんなことを言っていたから、じゃあ私もこちらへ…というように簡単に流されて大きな潮流に飲み込まれるのではなくて、一人一人が物事を落ち着いて考えてみることが必要なのかと。第一、今現在の大きな潮流が正しいという保証はありません。それこそ誰かが裏で操っている潮流なのかもしれません。

事実は小説よりも奇なり。

これまでにも無数の小説が世に出ているでしょうが、結局最も奇妙な世界と言うのは現実世界にある…のかも知れません。そんなことあるわけないじゃん、と言うようなことが、私たちの知らない世界の裏側で当然のようにまかり通っているくらいの考えでちょうど良い、そんな気がします。

ゲームの世界には当然登場する魔法なんてない現実の世界ですが、これだけ数多の人間が生きている世界です。どれだけ複雑に人々の思いや行動が絡み合っているのか…。

そんな複雑な世界を見るためにも、私たち一人ひとりが学びの心を持って、視野を広げて、新たに得た知識をすぐに広めるのではなくて正しいかどうかを認めた上で、その知識を広げていく、と言うことを繰り返して大きな潮流を作っていく。ネットがこれだけ使える世界で、昔より物事を広げるのは簡単になりました。それ故に私もこうして、こんな事をこんな場所で発信しています。

とりあえず私がここで申し上げておきたいこととして一つ…

道徳心を養うためには敢えて昔の名著を読んで欲しい、と。

今出ている新しい本に色々と手を出すよりも、余程手っ取り早く道徳心を養える気がしますよ。だって人間の道徳って普遍的なものだと思うし、昔の本の方が端的で分かりやすく書いてある印象があります。

…と言うのも、息子の道徳の教科書を見てみると、なんともまどろっこしい、無駄に長い友達同士の会話が書かれていたりして、それでいてその単元で学ぶことは少ないように私には感じられたもので。それに比べて、戦前に使用していたという国民の修身という今でいう道徳の教科書は特別余計なことも書かれておらず、それだけに子供の心にはズバッと入り込んでくれるんじゃないかと感じるんですよね。

子供に分かりやすいように分かりやすいようにと、子供よりに内容を考えて作っているのかも知れませんが、子供の能力をあまり甘く見ないでいただきたい。

……あ、こんなことを書いてしまうと、私の書く話はなんともまどろっこしくて無駄に長いと、自分自身を責めている気になってきて気が滅入りそうなので、この辺でおしまいにしておきます(汗)

尚、どうして今回こんなことを書いたかと言えば、今の日本が本当に危険な状況だと思ったもので、何かを書いておいた方が良いのではと、唐突にこんな真面目なお話をしてみました。世界全体が不安定ですが、実はその中でも今の日本、相当マズイ状況です。悪い潮流がどうにか良い方向へと流れを変えていくことを願っています。

どうしたら明るい世界になるんでしょうね。私たちの世界に勇者はおらず、たとえいたとしても巨大な怪物を物理的に倒すわけではないので、やはり一人一人が正しい潮流を作るための努力を地道に続けていくのが最善なのかと、そう思います。

突然こんな話をして、引いちゃったらごめんなさいね。

ではまた、それはそれとして、お話の続きを書いて参りたいと思います。

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