護り

 

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真上を見上げるような切り立つ岩山の影に沿って、リュカたちは着実に進んでいく。道が広いのは、大型の魔物もこの道を通るためかも知れない。そもそも人間の世界ではないこの魔界で、リュカたち人間の感覚で物事を考えること自体、間違えているのだろう。
青白い光の柱が見える岩山の麓に沿いながら進むリュカたちは、荒涼とした土地の割には時折見つかる岩場に流れる水に、図らずも心を癒していた。人間も魔物も、水だけで延々と生き延びることはできないが、水が無ければ話にもならない。そして青白い光の柱に近づくにつれて、水の清らかさも一層増しているのは決して勘違いではない。日も当たらない暗い魔界において水の冷たさは身体を冷やすだけの害をなすものとも思えるが、確かに感じるその清らかさに、リュカたちはまるで穢れを落とすかのようにその水で身を清めることもあった。
「これだけの水があると、とても助かります」
リュカたちの中では恐らく最も水を必要とするのは、ピエールだ。身体のほとんどが水分で出来ているような彼には、生きる上で水を不可欠とする度合いはリュカたち人間よりも高い。浸れるほどの水があれば、ピエールはリュカたちに遠慮するような素振りを見せつつも、しっかりと清らかな水に緑スライムを浸していた。
「がう、がう」
「うん、この水はきっとこの山のどこからか湧いているんだろうね」
「それにしても不思議よね。こんな真っ暗な世界で、こんなに清らかな水が湧き出ているなんて」
「魔界にいる悪い魔物さんも、この水を飲んでいればその内良い魔物さんになったりしないのかな」
「それくらいキレイな水だよね。飲んでもおいしいしさ」
「あんまり飲み過ぎるとお腹が痛くなるから、気をつけなさいよ」
両手で水を掬い、がぶがぶ飲んでいるティミーに、ビアンカはすかさず一言添える。決して調子に乗るティミーを怒っているわけでも叱っているわけでもない。ただまだ赤ん坊にも見えるティミーのことが心配なだけなのだ。
「でもよ、オレたちは水も食い物も必要だけど、ゴレムスもロビンもそういうの、全然いらないのはいいよなぁ。楽で」
リュカたちが水のある場所で休むひと時の間、外の見張りにいるゴレムスは彼の中では当然の如く、水も食糧も燃料も必要とはせず、ただ高い岩山のすぐ向こう側にも見える光の柱をぼんやりと見つめていた。エネルギーが切れてゴレムスが倒れるという不安はないが、彼の巨大な石の身体は戦いの痕を残し、足には大きく削れている部分もある。リュカには彼の足の怪我とも言えるその箇所を直してやりたいという思いもある。
「でもさぁ、おいしいものが食べられないって言うのも、ちょっとツライ気がするなぁ」
「楽だけど楽しみが少ないのと、楽じゃないけど楽しみが多いのと、どっちがいいんだろ」
「そりゃあポピー、楽で楽しみが多いのが一番いいに決まってるじゃねぇか」
「うーん、でも楽で楽しいのって、そのうち慣れちゃう気がするなぁ。そうすると楽しいことも楽しくなくなっちゃうような……」
「リュカの言ってることってたとえば、美味しいものばっかり食べてるとそれが美味しく感じられなくなるとか、そんなところかしらね」
「あっ! じゃあそうなる前に一度、マズイものを食べてみればいいんじゃないかな? そうすればその次においしいものを食べれば、『おいしい~!』って思えそうだよ」
「食べ物じゃないとしたらそれって、大きな楽しみのためには、その前に大きな苦しみが必要って……そう言うことかな、お父さん?」
清らかな水で洗髪を済ませたポピーがマグマの杖の熱に寄って髪を乾かしながらリュカにそう問いかける。水を摂取し、数日前に摘み取り食糧としている赤い実を口にして、身体をも清めたポピーの顔つきは、暗い中にもすっきりとして生き生きとした様子を取り戻している。
リュカはポピーの言葉の意味を、自身の中でよく咀嚼するように考えてみる。自身のこれまでの経験に置き換えてみればそれははっきりと正当性が見えてきた気がしたが、それを娘に説明する気にもなれない。全てを包み隠さず伝えるということだけが、親が子に与える愛情ではない。
「そういうこともあるかもね。でもあんまり苦しみたくはないかなぁ。ほどほどがいいよね」
物事の神髄を見て感じるのと、我が子にその神髄の中に生きて欲しいかどうかと感じるかどうかは、全く別の話だ。もちろん、まだまだ無垢な表情をしている娘に、楽しさをより強く感じるために、過酷な状況に身を置いてほしいと思うわけがない。少なくとも親は子の感じる苦を取り除くための存在であるべきだと、そう思ってリュカは暗がりの中でポピーに笑みを見せる。
「あの光、もうかなり近くに見えるってのに、なかなかたどり着けないもんだな」
アンクルが見上げる青白い光は、リュカたちのいる岩山一つを隔てたくらいの場所に見えている。空を飛べるアンクルとしては、首が痛くなるほどの岩山であっても飛び越えて行ってしまえば早いという思いがあるのだろう。しかし険しい岩山のところどころに時折、群れを成して飛ぶ巨鳥の姿がある。リュカたちが徒歩で慎重に進んでいるのは、そのような魔物の鳥の目を避ける目的がある。暗い魔界の空を行くのは、赤く明るく輝くような煉獄鳥だけではなく、冷たく鋭く光るようなホークブリザードの群れもある。凸凹とした岩山に寄り、極力身を潜めている限りには、岩山の高くを飛ぶ鳥には気づかれずに済むと、リュカこそ焦る気持ちを抑えて仲間たちの歩調を緩めるようにしている。彼が急ぎ始めてしまえば、そんな彼の気持ちを抑えられる者は今ここにはいない。
何も言葉を話さないゴレムスだが、その行動からもしかしたらリュカ以上に心が急いているのは想像できた。足の石が大きく欠け、歩くのにもぎこちなさを見せている彼だが、ただ一心に先を急ぐべく常に青白い光の柱を見上げている。うっかりするとリュカたちの歩みを置いて先に行ってしまうため、リュカは何度か先を行きかけるゴレムスを呼び止めたこともあった。
「がう」
「うん、今は近くに魔物もいないみたいだね。進めるところまで進もう」
「でもピエールがまだお水に浸かってるわ、お父さん」
「えっ? い、いや、私はいつでも行けますのでご心配なく」
「まるで温泉に浸かってるみたいな言い方よね~。ピエールにとってはそんな感じなのかしら?」
「ええ~、いいなぁ。この水があったかかったらボクもゆっくり浸かるのに」
「おっ? じゃあ少し火で沸かしてやろうか?」
このささやかなやり取りにこれ以上ない幸福を感じているのは自分だけだろうかとふと思いながらも、リュカは笑って休む仲間たちを外へと連れ出した。旅の途中、完全に体力を回復できるほどの休息は取れないが、リュカにとっては家族や仲間とこうして同じ空気を吸い、同じ空間にいられるだけで、英気が養えるのだ。それと言うのも彼が過去に過酷な体験を積んできたからだと言うことを、リュカは先ほどの会話の中に新たに見い出したような気がしていた。



リュカたちの目指す光の柱が立つ場所は、まるでその存在自体を守るかのように険しい岩山にぐるりと周りを囲まれていた。その為に近くに見えているにも関わらず、永遠にその場所にはたどり着けないのではないかと思えるほどの回り道を強いられていた。
これまでにも何度かあった分かれ道を選択してきたのは、キラーマシンであるロビンだった。リュカが分かれ道に立つ度にロビンに広く景色を見渡してもらい、ロビンがどのように判断しているのかは誰にも分からなかったが、彼の選んだ道を誰もが不満も言わず、特別な不安も抱かずに進んできた。プックルの鼻を以てしても、知識も何もないこの暗黒世界での道の進み方は分からず、何かしらの判断で道を決めてくれるロビンを頼りにずっと前に歩いてきた。
そのロビンが唯一、判断を誤ったのは、最後の分岐の道だった。入り組んだ岩山の景色に分かれた道を、ロビンは左側へと進みかけた。その判断にリュカのみならず、他の皆も一様に首を傾げた。リュカたちの目指す光の柱の立つ場所は正反対なのだ。しかしこれまでロビンを信じ、彼の進む後をついて来ていたリュカたちは一度、彼の判断をこれまでと同じように信じ、道を進みかけた。
少し進んだところでふと後ろを振り向いたティミーが、見えた景色に「あっ!」と声を上げた。ロビンの進もうとしている道はこれまで来た道と同じように、険しい岩山に挟まれた道が続いている。しかし後ろを振り向いたティミーが目にしたのは、岩山の影にはっきりと見えた緑の景色だ。そのすぐ向こうに照る青白い光に照らされた緑の景色は、懐かしささえ感じる瑞々しい地上の緑の景色にも思え、ティミーは思わず声を上げたのだ。
「ちょっと、お父さん! ねえ、あっち、あっち!」
ティミーの声にリュカのみならず皆が一斉に後ろを振り向く。暗黒世界を歩いてきて初めて目にしたような鮮やかな緑に、誰もが呆然とする。一人、前を進みかけていたロビンもまた、後から付いてこなくなったリュカたちに気付き、後ろを振り向く。赤い一つ目に、淡く青白い光に照らされた緑色の景色が映ると、ロビンは瞬時混乱したように首をぐるりと回転させた。
「ロビン、ちょっとあの場所を調べて見たいから戻ってみよう」
相手が話を聞いて理解しているかどうかなど関係なく、リュカはロビンにそう呼びかけると、金属製の肩に手を置いて皆と道を戻るように促した。ロビンが進むと判断したのは別の道だった。しかし後ろを振り向けば、リュカたちが目指していた光の柱の立つ場所が垣間見えている。一体自身は何を以てして進むべき道を誤ったのだろうかと、ロビンは判断の間違いを消化しきれないままリュカに促され、道を戻り始めた。
それまで慎重に、岩山の麓に身を隠すようにして進んできたリュカたちだが、明らかに目的の場所と分かる景色が見えたことで、油断した。暗い魔界において、光に照らされた緑の景色の威力は、リュカたち地上に生きる者たちにとって飛びつきたくなる衝動さえ起こるものだ。気づけば、岩山の影に身を潜めることもなく、彼らは道の真ん中を急ぎ足で進み始めていた。
緑の景色は明らかに地上のものと同じく、木々や草が生い茂る場所のものだった。それも魔界特有の、生きているのに命の通っていないような冷たい景色ではない。木々や草地の向こうには、清かな水の流れ落ちる景色もまた広がっていた。リュカたちがここまで登り続けた山のところどころで目にした洞穴の中に流れる水は、ここを源流としているのだろうと思えた。その水は、大きな木々のその上に伸びている巨大な梯子の更に先に見える、綿雲のような巨大な岩からささやかな滝のように落ちていた。
梯子と言う道具があることにも驚いたが、その梯子の大きさにもリュカは思わず首を捻った。リュカたち人間にちょうど良いほどの大きさなのだ。梯子の上の、綿雲のような岩石の向こうに何があるのかは分からないが、人間がいるかも知れないという期待に胸が膨らむのは抑えようもなかった。
リュカたちの足が、これまで進んできた荒れ地から、緑豊かな草地へと移る。太陽に照らされないだけで、地上の景色とそう変わらない場所に足を踏み入れたことで、リュカたちの気持ちは否応なく高揚する。
その時、前に広がる木々がざわめき始めた。ここでは風も起こるようで、木々の葉が擦れあい、互いに囁いているような音を響かせる。しかしその中に、自然とはかけ離れた金属の耳に触るような音が聞こえ、リュカたちはその音に自身らが油断していたことに気付いた。
きらりと光る影が木々の中に見え、それらは蝙蝠のような形の羽を広げて、リュカたちの方へと飛んできた。硬質な金属製の身体を持つ竜の形を模した魔物、メタルドラゴン三体が、リュカたちを直ちに敵と認め襲い掛かってきた。金属製の羽を重々しくはためかせ、空気の流れを掴んだかと思えば、そこから一気に滑空してきた。
ゴレムスが正面に構える。ティミーが束の間面食らっている間に、リュカはゴレムスに守護呪文スカラを施し、敵の攻撃に備える。これ以上、ゴレムスの身体を損なうわけには行かないと、仲間のゴーレムを守ることを率先した。
しかし敵も頭脳を働かせるのか、守備力を強めたゴレムスに攻撃を仕掛けることなく、その脇を素通りして、リュカたち人間へと攻撃の手を伸ばす。それを許さぬと言うように、ゴレムスが腕を伸ばし、一体のメタルドラゴンを手で払い除けた。残りの二体の内、一体はリュカと、すぐ傍で天空の剣を構えたティミーが相手をする。もう一体はビアンカとポピーを守るプックルとピエールが相手をする。リュカたちが力を合わせて敵を対峙するのに、メタルドラゴン三体という敵の群れはそれほど手強いものではなかった。
リュカが半身に避けながら、左手にしているドラゴンの杖を斜め下から振り上げる。竜の神の力を秘めた杖が、メタルドラゴンの金属の翼をひしゃげさせる。滑空の勢い弱まったメタルドラゴンの長い首を、ティミーが天空の剣で斬りつける。伝説の剣で斬りつけられたメタルドラゴンは故障を免れながらも、機械仕掛けの首を中途からぶらつかせ、不安定なままながらも再びリュカたちに襲い掛かる。
片やビアンカとポピーに襲い掛かったはずのメタルドラゴンは、宙に高く飛びかかって来たプックルの炎の爪に腹を痛めつけられ、その攻撃の鋭さに金属の腹に穴を空けた。機械仕掛けと言う意味では、同じ機械兵であるロビンと同じだ。痛みを感じないために、己の状況がどれほど危険かと言うことも、メタルドラゴンはその感覚に分かるわけではない。
プックルの傷つけた敵の腹目がけて、ピエールが正確に剣を振る。緑スライムでの跳躍は、プックルには劣るが人間にはこなせない動きだ。その剣にすかさず呪文バイキルトを飛ばすのはポピーだ。直前に力を得たピエールのドラゴンキラーが、まるでメタルドラゴンの胴体を二つに切り裂いてしまい兼ねない勢いで深く斬り込んでいく。
ゴレムスが手で払っていたもう一体のメタルドラゴンが、リュカたちの背後から飛び込んでくる。その動きを冷静に頭上から見下ろしていたアンクルは。飛び込んでくる敵の動きに合わせて滑空し、メタルドラゴンの金属の羽に深い蹴りを入れる。アンクルの固い蹄は、それだけで立派な武器だ。銀色の翼に深い凹みをこさえた敵はもう思うように宙を飛ぶこともままならない。ふらつく敵にアンクルは容赦せず、更に攻撃を加える。己も翼を持つ者として、翼への攻撃が致命的になることを知っている彼は、先ずは敵の飛行能力を失くしてしまおうと、もう片方の翼へも強く蹴り込んだ。大きく凹んだ両翼のせいで宙を飛んでいられなくなったメタルドラゴンはそのまま地に落ちた。逃してはならないと、アンクルは尚も地に落ちたメタルドラゴンを追う。
リュカたちは現れたメタルドラゴン三体を、あっという間に追い込んだ。頼れる仲間たちと力を合わせれば、これくらいの敵の群れは問題ないのだと、余裕すらある戦いの状況にリュカは一気に勝負を決してしまおうと、両手に父の剣とドラゴンの杖を握りしめた。
その時、リュカとティミーが対峙していたメタルドラゴンが、生きたドラゴンの鳴き声のような声を上げた。機械音のようでもあり、竜の悲鳴のような音でもあった。その音に呼応するように、他の二体もまた同じ音を辺りに響き渡らせる。リュカたちの周囲に聳え立つ岩山に当たり跳ね返り木霊し、その音が不協和音のような音を作り出す。思わず耳を塞ぎたくなるような、悍ましい音だった。
リュカたちが入り込んだ岩山に囲まれた緑の中で、その岩山の岩盤が地響きを上げて揺れ始めた。凸凹と隆起した岩肌が、まるで生き物のように蠢く。これほどの揺れであれば、揺れ動く岩山から大小様々な落石があってもおかしくはない。しかし隆起した岩肌はどこも欠けることなく、まるでその場所に身を潜めていたように、はっきりとした形を浮かび上がらせて、その者たちは出現した。
「……ゴーレムが……」
周りの険しい岩山の隆起に身を隠していたゴーレムの群れが、リュカたちの前に姿を現したのだ。その数、実に二十体。見上げる高さは、仲間のゴレムスよりも尚高く、ゴーレムという魔物にも個体差があるのだと言うことを知らされる。現れたゴーレムの群れの中に入れば、ゴレムスほどの巨大な身体でも一回り小さく見えてしまう。
敵のゴーレムの群れが、新たにリュカたちの前に立ちはだかる。二十体ものゴーレムが立ち並ぶ姿は、それだけで大いなる壁そのものだ。彼らは言わば、リュカたちの目指している光の柱の伸びるその場所を守護するために、この場所に存在しているのだろう。誰かの指示や命令に従うはずのゴーレムがこれほどの数で守ろうとしているもの、ゴーレムと言う魔物に対する愛情を思えば、リュカは既に目と鼻の先に見えている光の柱の伸びる景色にこう思わずにはいられなかった。
「母さん……」
リュカたちの住む地上の世界には、エルヘブンと言うリュカの母マーサの生まれ故郷がある。かの村もまた、ゴーレムの守護を受け、外敵を退けていた。今はリュカの傍に立つゴレムスもまた、かつてはエルヘブンの村を守っていたゴーレムだった。
目の前に立っている二十体ものゴーレムを見れば、マーサと無関係であるとは考えられなかった。その思いに一瞬でも囚われたリュカは、剣と杖を持つ手に籠っていた力がふっと抜けるのを感じた。
「リュカ殿!」
気を緩めている場合ではないと、ピエールの声が飛んできたかと思うと、リュカは彼に横へと吹き飛ばされた。リュカを体当たりして庇ったピエールは、代わりに敵ゴーレムの拳を食らったが、盾の力を借りて身体への直撃は免れていた。
「がうがうっ!」
「本気でこんなヤツらと戦うのかよ!? デカいし多いし、勝てんのかよ!」
まるで大きな壁が四方八方から迫ってくるような状況に、戦い方の糸口が見つからない。このまま敵の動きを待っていれば、分厚い壁に一斉に押し潰されて終いだ。
「みんな、伏せてっ!」
ポピーの高い声が響いた。仲間たちは彼女の言葉を即座に飲み込み、その場に伏せる。ポピーが両手を常に暗雲立ち込める天に向かって伸ばし、目を閉じ、呪文を放った。イオラの呪文が二十体全てのゴーレムの身体に爆発を当て、敵の群れの動きが止まった。ゴーレムの身体が薄く剥がれ、ボロボロと辺りの草地に落ちて行く。
「お父さんっ! もう目の前なの!」
ポピーの声に、リュカたちは皆、無意識にも狭まっていた視界が開けたような気がした。立ちはだかるゴーレムの群れの向こう側に、目指していた光の柱が伸びる地が見えている。もしかしたらあの場所に、母マーサがいるのかも知れない。たとえいないとしても、この場所でゴーレムの群れに倒されるわけには行かない。
「戦いたくないけど……行かなきゃいけないの!」
ポピーの本音が、リュカの本音だった。目の前に立ちはだかるゴーレムの群れに、敵意と言うものが全く感じられないのだ。ニ十体のゴーレムはただの“相手”だった。話すことが出来れば、それは戦う相手ではなく、話し相手となるだけのものなのだ。しかしこのゴーレムたちと初めて出会い、話をするということは、それが“戦う”ということになってしまう。人間としては矛盾した行動のように感じられるが、魔物であるゴーレムにとってそれは矛盾ではない。。
「そうだよ、お父さん! もうそこに見えてるんだからさ!」
「リュカ、お母様を助けなきゃ……!」
ゴーレムの壁に覆われるのを防ぐように、ティミーが素早く手からベギラマの呪文を放つと、それを追うようにビアンカもまたベギラゴンの火炎を前面に立ち塞がる五体のゴーレムに向かって放った。激しい火炎の力で、ゴーレムの胴が黒く焦げ付いた。その内の一体にプックルが飛びかかり、軽やかに巨大なゴーレムの足から駆けのぼって行くと、黒く焼け焦げたゴーレムの胴目がけて体当たりを食らわせる。大きくぼろりと崩れた胴の土が地に落ち、一体のゴーレムの動きが明らかに鈍くなった。
迫る壁のごときゴーレムが大きな足を振り上げる。リュカたちの立つ場所に大きな影ができる。勢いよく踏み出されるゴーレムの足がリュカたちを踏みつぶそうとする。その足を横から蹴り飛ばすのは、ゴレムスだ。敵ゴーレムの踏み出される足に対抗できるのは、味方ではゴレムスしかいない。リュカたちは巨大な攻撃に対しては、防御呪文で備え、とにかく逃げ回るしかない。ちょうど、人間の足元を逃げまわる子犬のような状況だ。
幸いに、ゴーレムの動きは緩慢だ。これでもし、鋭い攻撃の手があれば、敵の多勢もあり、リュカたちに勝ち目はなかったかもしれない。
「ゴレムス! ビアンカとポピーを頼む!」
通常ならば、彼女らの守りを宙を飛べるアンクルに頼むところだが、現に今宙を飛んでいるアンクルは敵ゴーレムの次々に繰り出される拳の攻撃を避けるのに必死だ。二人の人間を抱えて飛べば、敵の攻撃を躱すのもままならなくなるだろう。今こうして宙を飛び回っているのは、彼が大抵の場面で引き受けている敵の目を撹乱させる目的のためだ。人間とて、目の前を大きな虫でも飛んでいたならば手で払い除けたくなるだろう。アンクルはいつでも進んでその役目を買って出てくれている。そして敵の隙を見つければすかさず攻撃に移ることのできる、頼れる仲間だ。
「お父さん! 落としてもいい!?」
共に駆け回りながら、ティミーがリュカに叫び伝える。彼が振り上げる天空の剣は、暗雲広がる天を指している。彼だけが使うことのできる勇者の呪文を、ゴーレムの群れの上から落とすのだと、ティミーは言っている。
彼が躊躇するのは、暗雲より雷を呼び、地へと落とせば、その箇所を目指して他の魔物がやってくるのではないかと言う不安からだ。金色に輝く雷撃が暗雲から地へと落ちる光景は遥か遠くにまで及び、それだけで彼らの立つ場所が広く知られることとなる危険性は高くなる。
「頼む、ティミー!」
今はどうにかしてこの場を切り抜けなければならない。その為にはティミーの力が必要だと、リュカは息子に応えた。父リュカの言葉が自身を頼りにしてくれているのだと感じると、ティミーは胸に沸きあがる勇者としての矜持を隠すことなく、黒い空に向かって、両手で持つ天空の剣を突き上げて見せた。ティミーの明るい性格を表す如く、暗雲に閃く稲妻の光は目に眩しく映る。そして、それは一瞬の出来事だ。
轟音と共に落とされたライデインの雷は、ニ十体全てのゴーレムの頭上へと落とされた。相変わらず耳が壊れるかと思うほどの轟音に、直接攻撃を食らっているわけでもないのに、束の間何も聞こえなくなってしまうほどに耳へのダメージは免れない。激しい雷の衝撃を受け、ゴーレムの巨大な身体にヒビが入った。しかし痛みを感じないゴーレムにとっては、少々動きを鈍くするだけの損傷で済んでしまったようだ。雷の衝撃を受けているにも関わらず、敵となるゴーレムの身体はあまりにも巨大だ。
「そんなぁっ! ちょっとゴレムス! 大きすぎるのは反則だよっ!」
「ティミー、ゴレムスはあっちだ」
無機物で出来ているゴーレムにとって、ライデインの雷の衝撃はそこまでの損傷を与えられないと言うことだった。言わば、石造りの大きな建物に雷を落とすようなものだ。巨大な体の数か所に細かなヒビが入り、ぽろぽろと細かな、とは言えリュカたちにとってはそれなりに大きな石が落ちているが、それには構わないという様子でゴーレムたちは変わらずリュカたちに足を振り上げている。痛みを感じないというのはそれだけで恐怖だ。
いくら防御呪文の守りがあるとは言え、あれほどの巨大な足に踏み潰されればただでは済まないと、リュカたちは必死にゴーレムの攻撃から逃げる。しかし逃げた先に、別のゴーレムが待ち構えている。瞬時戸惑い、ゴーレムの足の影を見上げるティミーを、リュカが突き飛ばす。そして自身もまた逃れるべく、走る。逃げた先に待ち構えていたのは、ゴーレムの巨大な手だ。その中に不意にリュカは飛び込んでしまった。握りつぶされる、と危機を感じた瞬間に逃れられたのは、プックルが横っ飛びにリュカの身体の下に潜り込み、戦友の身体を掬いさらって行ったからだ。
「すまない、プックル」
「がううぅっ!」
“ぼけっとするな”とプックルの怒られながらも、リュカはプックルの赤いたてがみを掴んでその背に乗った。すぐ近くでティミーが行き場を失っている。リュカはプックルと共に向かうと、ティミーの腕を引き、駆けるプックルの背に、自身の前に彼を乗せた。
「ティミー、もう一度やれるか?」
「えっ? う、うん、やってみる!」
激しく揺れるプックルの背で言葉を返すティミーだが、天空の剣を右手に、天空の盾を左手にしているティミーにとっては、プックルの赤いたてがみに捕まって振り落とされないようにするのがせいぜいできることだった。目まぐるしく変わる視界にも慣れず、一体父リュカがどうしてこれほどの速度に平然とついて行けるのかと驚かされる。
一方でリュカは、プックルの速度が明らかに落ちているのを気にかけていた。天空の装備を調えたティミーを背に乗せるのは、プックルにとってその勢いを殺してしまうことになる。プックルは必死に駆け回っているが、敵ゴーレムの踏み出す足を掠めてしまうほどにぎりぎりの状況だ。
「プックル! あっちへ抜けろ!」
「がうっ!」
言われなくともと返事をするプックルは既に一つの逃げ場を見つけていた。巨大なゴーレムの巨大な足が集まる中で、一つの隙間を見つけた。プックルを解放するべく一度そこへと逃げ込むのだと、リュカはプックルと共にその一点を見つめた。
しかしその動きを上から見据えていたゴーレムがいた。リュカたちの進もうとする道に、ゴーレムの巨大な足が蹴り出された。腹に直撃を食らったプックルがその一撃に、一瞬で気を失ったのが分かった。攻撃の衝撃にリュカも眩暈を起こしかけたが、その右手は前に座るティミーの身体を固く抱いていた。投げ出された空中で、リュカは離れたプックルに考えもせずに回復呪文ベホマを投げ打つようにかける。青い目をかっと見開いたプックルはまるで気を失っていたのが嘘だったかのように、宙返りをすると、そのまま近くのゴーレムの足を蹴って地面に着地した。
リュカはティミーを右手に抱いたまま、地面に共に転がった。地面に落ちた衝撃に、リュカは右手に持ち続けていた父の剣を離してしまった。父パパスの剣は草地を滑ることなく、まるで青々とした草地がその剣を優しく抱くように受け止めた。その剣の受け止められた先には、ゴレムスがビアンカとポピーを庇いながら必死に立っている姿が見えた。



バイキルトで高められた攻撃力を頼りに、ピエールは巨大ゴーレムの足元に着実に斬り込み、その動きを止めようとしている。ドラゴンキラーの切れ味は凄まじく、ゴーレムのような硬い無機質の塊にもその刃は通用している。しかしそれもピエールの正確な太刀筋がなければ効果を発揮しないところだ。ピエールは先ほどのティミーが放ったライデインの雷により生まれた敵のひび割れ目がけて剣を突き出している。綻びを広げ、ゴーレムが立つことのできない状況を目指し、ピエールはドラゴンキラーの剣に呪文を乗せ、ゴーレムの巨大な足の内部に、小さな爆発を起こしていた。
「アンクル! 下りて来て!」
ビアンカが叫び呼ぶが、宙を小賢しい虫のように飛び回っているアンクルはその声に応えない。アンクルが上を飛び回っているお陰で、ビアンカたち地上にいる味方たちはいくらか敵の攻撃を受けないで済んでいるのだ。しかし宙を飛ぶのも体力を使う。しかもアンクルは敵の目を眩ませ、その中でも敵の目が地上にいる仲間たちに向く瞬間があればすかさず攻撃呪文を飛ばし、すぐさま己の方へと敵の目を引きつけている。着実に魔力も消耗している。このままではアンクルの体力が尽きてしまうと、ビアンカは常にその手に賢者の石を構えている。
ビアンカはアンクルと共に宙を飛び、二人で同時に火炎呪文ベギラゴンを唱え、敵の群れに浴びせることが出来れば、敵への損傷も大きなものになるだろうと考えるが、アンクルがそれを許さない。アンクル自身、ビアンカを背負ってこの敵の群れの中を自在に飛び回ることに自信がない。人間の女が己の背に力強く留まっていられるとは考えられないと、アンクルはリュカが考えるようなことを自然と同じように考えていた。
「お母さん!」
ポピーがビアンカの手を引く。逃げろという合図と共に、ビアンカたちの頭上から大きな影が迫る。その影の正体を見る余裕もない。影が迫る中、ビアンカはポピーと共に必死に逃げる。彼女たちの頭上で鈍く、硬い音が聞こえた。
ゴレムスが身を挺して二人を護る。両腕に受けた敵ゴーレムの蹴りに、ゴレムスの右腕が大きく欠けた。巨大な石の塊が草地に落ちた。辛うじてまだ腕の形を成しているゴレムスの右腕だが、もう一度同じような攻撃を食らえば、ゴレムスは右腕ごと失ってしまい兼ねない。
ゴレムスの腕を治すには、ゴレムス自身が欠けた箇所に落ちた箇所を当て、その上で回復呪文を施さなくてはならない。ビアンカが賢者の石に祈ったところで、無機物であるゴレムスの傷は即座に癒されるわけではないのだ。今のゴレムスに、己の傷を癒す余裕はない。そして彼自身が心得ている己の使命は、マーサの子たちを護り抜くことだ。
ゴレムスを攻撃したゴーレムの背後で、爆発が上がった。ピエールが、敵ゴーレムに囲まれている危険な状況で、尚危険を己のところへ呼ぶようにと、イオラの呪文を放っていた。それもまた、ビアンカとポピーを守るためだ。敵の目を己の方へと引き寄せ、彼女たちを危険から遠ざける。彼は彼で、主であるリュカの大事な家族を守らねばならないという強い信念を持っている。
皆が必死に守ってくれているのは嫌でも伝わると、ビアンカは改めて己の為すべきことを頭の中に定める。彼らが守り、逃がしてくれようとしている中で、目立つ行動は避けなければならない。彼らと共に戦闘に躍り出て、前線で戦うのが己の為すべきことではない。
密かに小さく震えているポピーの肩を抱き、ビアンカは敵の目を盗むような気持ちを抱きながら、こっそりと呪文を唱える。視界には巨大なゴーレムの群れ。彼女の気性に合わないような隠れた行動だが、仲間たちの中でどうしようもなく非力な自分が為すべきことをと見定めれば、すべきことは自ずと決められていた。
敵ゴーレムの目に映っているのは、明瞭な景色ではない。守らなければならない場所への侵入を試みようとする者たちの、大きさと色の動きだ。その者たちが一体何者なのかは理解できていない。ただ侵入者を阻むために動いている、それだけだ。
その目にふと、先ほどから足元を小賢しく動き回っている緑色が映った。足元ではない。目の前だ。巨大ゴーレムである己の目の前の高さに、果たしてこの緑が現れるものだろうかと疑問に思う考えはない。ただ侵入者の一つであるこの緑色をこの場から追い払わねばならないのだと、大きな腕を振り上げて緑を叩き落そうとする。
巨大ゴーレムの腕が、何もない空を切るのをビアンカはポピーと共に見た。幻惑呪文マヌーサが効いている。当然、敵ゴーレム自身が呪文にかかっているという自覚はない。敵の動きが味方の誰にも向いていない今、逃げる隙が大きく生まれる。それでもビアンカは不用意に駆けることはせずに、敵の様子を窺いながらポピーと共に敵の群れの中から逃れるべく注意深く走り出す。
敵ゴーレムの目に映っていた幻影とは別に、本当の緑色は依然として敵の足元を忙しく動き回っている。ピエールは集中して、敵の巨大な足をひたすら叩き続けていた。ドラゴンキラーでひび割れから傷を広げ、そこに小型の爆弾を仕込むような内容でイオにも満たない爆発の呪文を放つ。中級呪文イオラを使わないのは、回復用にも魔力を残すためだ。ビアンカやポピー、アンクルのように攻撃呪文だけに徹底することはできない。実際にこれまでにも何度も、ピエール自身が敵ゴーレムの足に蹴飛ばされ、傷を負っているような状況だった。しかしその度に己の傷を癒し、動きを止めないように努めていた。巨大な敵の一撃の重みは酷いものだ。もし隙を突かれ、真正面からその一撃を食らえば、その場で命を落としてしまうだろうと気を張りつめ注意を払い続けている。
一つ一つを積み重ねて、巨大ゴーレムの足元を崩していく。もう一度、ティミーの雷撃が放たれれば巨大ゴーレムの群れにさらなる損傷を与えられる。そうすればピエールのような細かな攻撃は更に明らかな効き目を見せて来る。既に何体かは、ピエールの確かな攻撃でその動きを止めている。
ピエールは敵の足元を抜ける際に、気になり横目にティミーの姿を見た。リュカの近くにいる現実に安心するが、彼らもまた敵の攻撃から逃げるのに必死だ。ピエールが扱う初級呪文とは異なり、ティミーの扱うライデインの呪文には発動するのにも高い集中力が必要となるのだろう。リュカはその時間を稼ごうとしているようだが、逃げる先に他のゴーレムの足が待ち構えているために、油断ならない。父子の状況にそう感じたピエールだが、その考えが頭を過った矢先に、自らがゴーレムの激しい蹴りを食らった。衝撃に気が遠のくが、堪え意識を保ち、すぐさま回復呪文を施す。この回復が間に合わなければ、次に食らった拳の攻撃で命を失うところだったと、ピエールは草の豊かな地面に叩き落されそう思った。



「ティミー! プックルに乗ってあっちへ抜けろ!」
そう言ってリュカは、向かって来たプックルにティミーを託そうとする。どうにかしてティミーにもう一度ライデインの呪文を唱えさせようと、リュカは今見えている中で最も大きな空間を見つけ、そこへ移動するよう指示する。
「で、でも、お父さん、ボクだけじゃプックルについて行けない……」
「大丈夫だ。プックルがお前を運んでくれる。信じろ」
それだけ言うと、リュカはティミーの身体を抱えてプックルの背に乗せた。既に息の上がっているプックルだが、ティミーを背に乗せた瞬間に低い姿勢を見せ、勢いよく駆け出した。ティミーが慌ててプックルの赤いたてがみに捕まり、共に姿勢を低くして必死について行っている。ティミー一人ならばプックルもそれほど速度を落とさずに駆けることができるだろうと踏んだリュカだが、予想通りだった。目の前に飛び出してくる敵ゴーレムの足も、プックルは潜り抜け、飛び越え、進んでいく。ティミーはその背にしがみつくようにして、呪文を唱えられる場所に向かう。
息子と戦友の後姿を見つめていたのは一瞬だったに違いないが、その一瞬の間にも敵の影が頭上を覆っていた。踏み出された敵ゴーレムの巨大な足の影は、濃紫色の敵を踏みつぶそうと迫る。その影から逃れるべく逃げ出すリュカだが、間に合わない。地面に伏せれば、緑豊かな草地と草を育む柔らかな土に助かるだろうかという考えが頭に過り、リュカは潰される覚悟で地面にうつ伏せとなった。
うつ伏せのリュカの頭上で、ガキンッという激しい金属音が響いた。新たな敵かと、リュカは思わず顔を上げた。踏み潰されていない。暗い敵ゴーレムの作る大きな影の中でも、顔を上げる隙間も十分にある。
リュカの目に映ったのは、草地に立つ機械兵の四本脚だ。ロビンの赤い一つ目と目が合った。これほどの巨大ゴーレムの大きな足に、ロビンはその金属の硬い身体で踏み潰されることなく耐えている。ロビンの生み出す隙間に、リュカは助けられた。
「助かった、ロビン。ありがとう」
そう言うと、リュカは今もゴーレムの足と草地の間に見える外の景色に向かい、素早く這い出た。元は泥で作られたであろうゴーレムの身体よりも、キラーマシンの金属の身体の硬さが勝っているのだと、巨大なゴーレムにも潰されないロビンの姿にリュカは驚きつつも、すぐに立ち上がり構える。ロビンもまた赤い一つ目を一度瞬きさせ、勢いをつけてゴーレムの足の下から脱出した。ロビンの四本の脚は力を溜めて、その場から一気に跳ねることができる。その動きで敵の攻撃から抜け出し、リュカの隣に立つ。
ロビンの目には、リュカたちの戦いの姿が映し出されていた。彼の目には、人間と魔物の区別がついている。唐突に現れた巨大な敵と対峙することになった人間と魔物の一行だが、その戦いぶりをロビンはしばし離れたところで観察していた。そこで明確に分かったのは、強い者が弱い者を守る姿だ。巨大ゴーレムの攻撃に到底耐えられそうもない人間の女二人は、味方ゴーレムが離れず守っている。直接ではないにしても、宙を飛び回るアンクルホーンもまた形を変えた守りを展開している。状況に応じ、スライムナイトが回復呪文を放つ。キラーパンサーは自慢の足を生かし、人間の少年や“リュカ”を救い出す。凡そ、魔物が人間を助けるという姿に、ロビンは改めて新たな世界を学ぶ。
初めの出会いで己も、“リュカ”という人間に命を救われたも同然だった。集団で戦い、動けなくなれば捨てられるだけの機械兵である自身に、己の命の危機も顧みずに救いの手を伸ばしてきた。その行動自体、ロビンには理解不能だった。しかしあの時、自身の機械脳に異変が生じていたのは間違いなかった。
今彼が踏み出したのが、リュカの窮地だった。敵ゴーレムの石の身体の硬さに、己の金属の身体は耐えられると、機械の頭脳が割り出した。己は踏み潰されることはないが、人間はいともたやすく踏み潰されてしまう。そしてそれよりも何よりも、『“リュカ”を助けなければならない』という判断ではなく、『“リュカ”を助けたい』という意思がロビンの機械の脳裏に過った。過った瞬間には、身体が動いていた。
ゴーレムの足の下から抜け出したロビンが、リュカの半身前に立ち、構える。常に誰かを守ろうと動く“リュカ”を今、助けるのは己だと見定め、左手は肘から先を失ったままでも前に構え、右手には離すことのない剣を構える。ロビンの堂々たるその振る舞いを目の当たりにして、リュカもまた両手に剣と杖を構える。その途端に力が沸き起こる。娘ポピーの落ち着いた呪文の効果を身体に感じた。彼女は常に離れた場所からでも、目を閉じ、味方の気配を敏感に察知し、遠隔で呪文を飛ばすことができる。リュカの手にする武器にも伝わるバイキルトの効果を以てすれば、巨大ゴーレムにも攻撃を加えることができると、左手にしているドラゴンの杖を振りかざし、ロビンの横を駆け抜けていく。



「ロビン……いた!」
目を閉じ、そう強く呟くと、ポピーは攻撃補助呪文バイキルトの効果を遠隔で、新たな仲間ロビンへと放った。まだ子供の小さな手に、呪文が対象となる者に届いた感覚を得る。
「ポピー!」
母ビアンカの声にはっと目を開けると同時に、ポピーは腕を強く引かれた。目と鼻の先に見えている青白い光を遮るように、敵ゴーレムの大きな手が頭上から迫っている。ポピーを先に逃がそうとビアンカは娘の手を引いて後ろに追いやろうとするが、その前にゴレムスが敵ゴーレムの手を蹴り飛ばした。しかし直後にゴレムスが、他の巨大ゴーレムの強烈な体当たりを食らい、突き飛ばされる。ビアンカとポピーの目の前からゴレムスの巨大な守りが消え、二人の人間の女子供が敵の前に晒される。
ビアンカはこの窮地にあっても、どこか落ち着いていた。必ず仲間がどうにかしてくれると信じているからこそ、落ち着き、自らも行動を止めないでいられる。周囲を囲む巨大ゴーレムに対し集中して、幻惑呪文マヌーサを唱える。呪文の効果が現れる敵もいれば、呪文にはかからずそのまま手を伸ばしてくる敵もいる。そうと分かればすぐに切り替え、敵の手を物理的に止めるためにも、ほとんど詠唱時間を持たずにベギラゴンの呪文を放つ。ぐるりとほとんど一周回りながら火炎を放てば、炎に焼かれ壊れることを恐れてか、敵ゴーレムも迂闊には近づいてこない。しかしいつまでも呪文を放っていられるわけはないと、母の傍に立つポピーは当然分かっている。
母を見上げるポピーの目に、空に渦巻く暗雲の景色が映った。黒い雲が、彼らが戦う場所を中心に渦巻き、厚みを増している。見る間に分厚くなった暗雲の中にいくつもの光が閃いている。
本来であれば誰もが恐れるような雷の気配を呼び込む姿がある。巨大ゴーレムの群れの、僅かに開けた場所に、少年を乗せた豹がいる。まるで彼ら自身が全身に電気を帯びたような様相で、毛を逆立て、草地の上に立ち尽くしている。
プックルが雄たけびを上げた。ティミーが天に伸ばしていた両手を一気に振り下ろした。ティミーの呼び起こしたライデインの雷撃に、プックルの呼び込んだ稲妻が乗った。耳をつんざくような轟音が辺りに響き渡るが、術者であるティミーとプックルはその音に動じることもなく、敵対する者たちへの正義を示すかのように、激しい光と音の真っ只中に立つ。
敵である全ての巨大ゴーレムの頭上に、天に渦巻く暗雲から落とされた雷撃が落ちる衝撃は、辺り一面に響き渡った。皆、悲鳴も出せずに、息を詰め、その場に身を縮こまらせて耐える。雷の直撃を受けた巨大ゴーレムはしばしその場に立ち尽くす。動かなくなった敵ゴーレムの姿を見て、リュカたちの戦闘態勢に緩みが出始める。が、その内の一体が間もなく、ゆっくりと動き始めた。追って何体もの敵が動き始める。倒れた敵もいる。しかし凡そまだ敵が動きを止めないことに、見ていたポピーは胸の内に絶望に近い焦燥が駆け抜けるのを感じた。
敵ゴーレムの群れに今は、ティミーとプックルが囲まれ始めている。それにすぐさま勘づいたプックルは早々にティミーを背に乗せ、逃げ回り始めた。逃げることに必死で、もう一度同じように雷を生み出すことはできない。どうにか彼らの力をもう一度と、リュカが敵ゴーレムの群れの中へと飛び込んでいく。バギクロスの呪文で嵐を起こし、敵の動きを止めようと試みる。リュカの呪文に合わせるように、ピエールも同様に敵の群れの只中に飛び込み、イオラの呪文を唱える。嵐に爆発が乗り、敵ゴーレムの群れの動きを封じるよりも更に、攻撃として敵の巨大な身体に食い込んでいく。しかしそれでもまだ足りない。
アンクルが宙高くから飛び回りながら、ベギラゴンの呪文を唱える。激しい火炎の攻撃に、敵ゴーレムの動きが鈍るが、痛みを感じない敵の恐ろしいところは、痛みでの動きの躊躇が無いというところだ。彼らは動けなくなるまで、その動きに迷いはない。
ポピーは唐突に駆け出した。後ろから「ポピー!」と呼ぶ母ビアンカの声が聞こえたが、振り向けなかった。後ろから母が追いかけて来ても、ポピーは止まらなかった。その両目には今にも涙が溢れそうだった。
遠隔呪文を使えば、遠くからでも敵に呪文を浴びせることができる。しかしそれには通常以上の集中力と魔力とを必要とする。その上、遠隔呪文は通常よりも正確ではないとポピーは感じている。最も正確に敵に大きな攻撃を加えるには、先ほどの兄ティミーとプックルのように、今の父リュカやピエール、アンクルのように敵の只中に身を置くのが正しいのだと、ポピーは分かって走っていた。
敵ゴーレムの足元を小さな身体ですり抜ける。そんなポピーの目の前に、大きなゴーレムの腕が落ちて来た。それは敵ゴーレムではない。駆け込んできたポピーの身を守ろうとして出したゴレムスの腕が、敵の攻撃を食らって切り離され、落ちたのだ。その現実に、ポピーは顔を歪め、唇を噛みしめる。しかし躊躇してはいられない。
集中する。体中に魔力が籠る。足は震えない。これほど無防備な状態で巨大な敵の攻撃を一度でも受ければ、ポピーの小さな命など一瞬で散ってしまう。しかしいつもは守ってもらうばかりの自分ができることをと、それだけを思えば、驚くほどに集中することができる。
爆発呪文を得意とする彼女の魔力が高まり、精度も高まって行く。中級程度のイオラの呪文であればとっくに発動している。しかし今の状況で必要とされる呪文は、更に高みにある。彼女の魔力はそこまで高められていく。ここまで高めたことのない魔力に、彼女自身、燃え尽きてしまいそうな熱を全身に感じていた。もし呪文を発動すれば、彼女の身体ごと内側から弾けてしまうのではないかという怖れは、この時感じてはいられなかった。
「みんな、伏せてーーー!!」
ポピーを追って駆けて来たビアンカは、娘の尋常ならざる様子にそう叫ぶ他なかった。今のポピーを止めることはできない。してはならないと、ビアンカはただ娘の類まれなもう一人の勇者としての力を信じた。まだ少年のティミーも勇者だが、まだ少女のポピーもまた、紛れもなくもう一人の勇者に違いない。
ポピーの小さな身体から、異常極まりない魔力が放出される。文字通り、大爆発だ。それはポピー自身の、抱えきれないほどの感情の大爆発にも思えた。最大爆発呪文イオナズンの力は、ポピーの複雑に絡んだ感情の糸を丁寧に解くことなく、一気に破裂させるかのような、彼女自身は決して望まない無茶苦茶な呪文そのものだった。
彼女の放ったイオナズンの爆発の力は、上方へと向けられていた。ビアンカの声に反応し、地に伏せていたリュカたちは凡そ難を逃れた。ゴレムスもまた咄嗟に身を縮め、固くしていたために、大きく爆発の影響を受けることはなかった。宙に浮かんでいたアンクルはそんなゴレムスの傍に寄り、何事か分からぬまま仲間の巨大な背に張り付いていた。ロビンだけは、何事もなかったかのように通常通りその場に立っている。
爆発が収まると、今までの戦いの激しさ自体が夢幻だったかのように、穏やかさにも感じられる静けさが辺りに広がった。地に伏せていたリュカが顔を上げる。呪文を放ったポピーは泣いていた。その涙の訳が、リュカには分かるような気がした。彼女は本当は、命を吹き込まれ、使命を持って生きるゴーレムと言う敵を、こんな形で攻撃したくはなかったに違いない。
敵ゴーレムの巨大な身体に目を向ければ、その身体には無数のひび割れが起こっていた。これまでの敵ゴーレムに加えていた様々な攻撃は確実に効いており、多かれ少なかれ与えていた損傷に、止めを刺したのがポピーの放ったイオナズンの呪文だった。敵ゴーレムの巨大な顔に浮かんでいた二つの目の光が、今は落ちている。本来であれば、大爆発と共に身体ごと散ってしまっていたに違いない巨大ゴーレムの群れは、与えられた命を失い、動きを完全に止めながらも、その場所に立ち尽くしている。その姿はまるで幾本もの巨木が立ち枯れながらも、再び生きられる環境に戻れることを待っているかのようだ。
周りを岩山に囲まれ、目と鼻の先に見えている青白い光の柱からは絶えず不変の光が暗雲広がる天へと伸びている。聖なる光が満ちるであろうその場所は、綿雲のような形をした巨岩に阻まれ、リュカたちの立つ場所から望むことはできない。しかしその場所へと誘うように、長い長い梯子が青々とした草原からずっと伸びている。
「ポピー、このゴーレムたちはきっと大丈夫だよ」
呆然としながらも涙を手で拭っているポピーに、リュカは語りかけた。
「彼らはきっと蘇る。あの場所を……悪者から守らなくちゃならないから」
リュカの言葉に静かに、しかし最もよく耳を傾けているのは、ゴレムスだった。ゴーレムはたとえ身体が壊れたとしても、完全に命を失うことはないのだと、ゴレムス自身がそう心得ている。ゴーレムが完全に命も魂も失う時は、自身に命を吹き込んだ者からの命令による死か、若しくは自身に命を吹き込んだ者自身の死だ。それ故に今は壊れてしまった彼らがこの場で完全なる死を迎えることはないはずだ。
「ホントに?」
「ああ、ホントだよ。なあ、ゴレムス」
リュカが肩腕を地面に落としてしまったゴレムスにそう呼びかけると、ゴレムスは左手をゆっくりとリュカに出し、固めた拳を合わせるようにとリュカの目の前で手を止めた。リュカが己の拳をゴレムスに合わせると、ゴレムスは満足そうに手を下ろした。そして再び光の柱の伸びる景色に目を向けたゴレムスを追うように、リュカもまた同じように目指す光の柱の景色を見遣った。

Comment

  1. ケアル より:

    bibi様。

    更新を首を長くしながらお待ちしておりました!
    シーザーたちが居なくなってからどうなるか期になっていましたよぉ。

    激しい戦闘の前の水辺の会話は、ほっこりさせてくれますね。 ちょっと笑ったのがポピーが水で髪の毛を洗った後のマグマの杖の使い方(笑み)
    え?乾かせるの!?(笑)
    ドライヤーの代わりになるなんてクスっと笑みがこぼれちゃいましたよ。

    bibi様、今回も、まさに戦闘曲どおりの戦火を交えての転回!
    ゲームでメタルドラゴンってゴーレムを仲間に呼ぶんでしたか忘れておりました。
    実際ゲームで、このじてんでゴーレムを呼ばれても雑魚キャラだからぜんぜん気にならないですが、小説だとそうはいかないですよね。
    しかも、通常よりも大きいゴーレム10匹だなんて…もうシュール(恐怖)

    ティミーとプックルのいなずまダブル攻撃、自分的には、プチギガデインって感じです、FF4のパロムとポロムのプチメテオみたいな(笑み)
    たしか前にも同じ攻撃していた描写ありましたよね?どこだっけ…ラマダ戦?それとも魔界で?…やばい忘れてしまいました(謝)

    ビアンカもポピーも魔界に来てから守られてばかり…そろそろ何かないかなって感じていたところに、とうとうイオナズン!
    いつどこでbibi様がイオナズン使ってくれるかなって…もしかしたらゲマ戦まで使ってくれないんだろうかって思っていましたよ…。
    いやぁイオナズンの描写よかったです。 ポピーはゴーレムであるゴレムスと敵であるゴーレムを見て心の中で葛藤する優しさの気持ち、仲間たちを守らなきゃいけない気持ちと守られてばかりじゃいかないっていう気持ち、そしてポピーの涙…。 ポピーの心情がヒシヒシと感じて思わずこちらも貰い泣きしちゃいました(ウルウル)
    脳内BGMが戦火を交えてのクライマックスあたりで一番盛り上がる所の曲と、ポピーのイオナズン発動がいっしょになり…読み手側は興奮であります!

    次回は、bibi様あれですよね?まだメタルドラゴンいますよね?
    っていうかメタルドラゴンたちはずっと戦況を見ていたということに?
    空を飛んでいる2種の巨大炎と氷の鳥との戦いは?
    まだまだ戦いが続きそうで、わくわくであります!
    ジャハンナにいつ到着するのやら心配です。
    でも、ゴレムス片腕無いしロビンも片腕無いし…リュカたち不利なのでは…(汗)。
    もしかしたらビアンカも覚醒してメラゾーマ?
    ゴレムスも覚醒して迷走を使うとか?
    もう予想しまくりで、次話なるべく早くお願い致します(願)

    • bibi より:

      ケアル 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      マグマの杖は実際に考えたら危なくて持ちたくない武器ですが(まあ、ゲーム内、そんなんばっかな気がしますけど)、意外に実用的かもと思いながらあんな使い方をさせてもらいました。火の呪文の節約にもなりますね。

      ここでは敵としてゴーレムに登場してもらおうと、かなり前から考えていました。でもゴーレム単体では現れてくれないんですよね、ゲーム内だと。メタルドラゴンに呼んでもらわないといけない、と言うところでしばし話に行き詰っていました(汗) 巨大ゴーレムが倒れてしまったので、メタルドラゴンも怖れをなしてもう戻ってこないかも知れません。

      ティミーとプックルは勢いに乗れば最強と言う面で、気が合いそうです。この一人と一匹は何とも雷が似合います。実際に間近に落とされたらたまったもんじゃないですけどね(笑) よく平気ですよね、彼ら。普通だったら音だけで卒倒してると思う。

      ポピーのイオナズンはここで発動しました。彼女は呪文の使い手で、基本は頭で考えて考えて答えを出すタイプなのでしょうが、実はとんでもないパワープレイヤーだったりします(笑) 何となくですけど、男の子よりも女の子の方が感情って爆発しません? 何も見えなくなるというか、そんな感じ。あくまでも私の勝手なイメージですけど。

      いやあ、これまでなかなかのんびり魔界を歩いてきたので、ぼちぼち人気のある所に入りたいと思っています。人と話がしたい・・・っ! 仲間同士は沢山お話してますけどね。生粋の旅人である主人公もそろそろ誰か知らない人と話がしたくなってきたんじゃないかな。

  2. ケアル より:

    bibi様。

    すみません間違えてますね10匹じゃなくて20匹…すみません。

    そういえばピエールのイオラ魔法剣、初登場ですね。 いつのまにそんな剣技を習得したんですか?
    イオナズンを使えないピエールには素敵な技であります。

    bibiワールドのポピーは本当に可愛いですよね。 ほんとにピュアな女の子で…。
    bibiワールドの8歳の時のポピーと現在10歳のポピー、なんとなくですけど、話し方を少し変えてたりしますか?
    なんかそんなきがします(笑み)

    • bibi より:

      ケアル 様

      20体のゴーレム、多過ぎたかも知れませんね(笑)
      ピエールはその場で考えてそうしたというまで、という感じです。ちょっとした応用ぐらいのものでしょうか。常に自分のできる最良をと考えるピエールであります。

      ポピーの話し方は特別意識して変えたということもないんですが、もしかしたらビアンカにつられている所があるのかも知れないですね。本人も気付いていないでしょう、きっと^^

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