少年とスライム

 

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「ゴレムスの腕はどうにかくっついたけど、ちょっと不安定かな?」
敵ゴーレムの攻撃により肘から先の腕を地面に落としていたゴレムスに回復呪文ベホマを施し、見た目には彼の腕は元通りに戻ったようだった。ゴレムス自ら地面に落ちていた己の腕の断面に、自身の腕の断面を合わせたところで、リュカが回復呪文をかけたが、完全に元の通りにはならなかったようだ。ゴレムスが確かめるように腕を上げたり下げたり、回してみたりする様子を見て、リュカたちは誰もがその動きの鈍さに気付いた。元よりそれほど動きが鋭いとは言えない彼だが、それにしても今の動きの鈍さでは、もし次に敵との戦いがあった場合には様々な局面で苦労するのは予想できる。
「もう一度回復呪文をかけてみたらどうかな、お父さん。ボクもまだ魔力はあるから、できるよ?」
「ティミー、魔力はまだ取っておいた方が良いわ。その代わりにこの石で回復してみましょう」
ティミーを制止させたビアンカが手にしているのは、マーサの声と共に贈られた賢者の石だ。強力な呪文を使うことのできるビアンカの魔力に反応するのか、それともビアンカと言う人物そのものに反応しているのか、賢者の石が生み出す治癒の効力は皆の期待を裏切らない。彼女はマーサから譲り受けたものだというその意味が、回復呪文では治しきれないゴレムスの不具合すらも取り除いてしまうのではないかと、そんなことをふと考えていたのだ。
しかし周りの心配を余所に、ゴレムスはただ目の前に迫った緑広がる景色を、その先にある、まるで宙に浮かぶようにも見える綿雲の形をした岩石を見上げている。その様子に、リュカは物言わぬ彼が最も先を急いでいるのだと確かに感じた。己の腕のことなどどうでも良い、それよりもあの先に何があるのかを確かめたいと思っているに違いない大きな仲間の横顔を見上げ、リュカは相変わらず欠けたままのゴレムスの足の傍に立ち、その足に手を当てた。
そしてそんな仲間の様子にも構わないのがビアンカと言う女性だ。治せるものならこの場で治しておかなくてはと、誰にも有無を言わせぬ様子で賢者の石を両手に握ると、ゴレムスの腕が完全に治りますようにと願いを込めて、石の力を解放させる。仲間の無事のために、彼女は現実的でいられるのだろう。賢者の石の癒しの力がゴレムスの大きな身体のみならず、周囲に立つ仲間たちへも惜しげなく放たれる。誰もが己に感じている疲労や痛みなどが身体から吸い取られるように抜け出て行くのを感じたが、それでもゴレムスの腕は完全に治ったとは言えない状態だった。
恐らくこれ以上回復呪文を施しても、賢者の石の力を借りても、ゴレムスの腕の動きのぎこちなさは取れないだろう。何が原因なのかは誰にも分からない。しかし今は、この状況が彼らのできる最善のものだ。
「どうにかしてあげたいけど……どうしたらいいのかしらね」
「お母さん、ゴレムスはとにかくあそこへ行きたいんじゃないかしら? ずっと、見てるもの」
ポピーがどこか戸惑いがちにそう言って指差すところには、青白い光の柱が立つ場所がある。リュカたちは皆、ずっとこの場所を目指し、暗黒世界を歩いてきたのだ。その場所を目の前にして、ここで立ち止まっている場合ではないのだと、ポピーの言葉に改めて気づかされる。
「とりあえず、行ってみよう。近くに魔物がいないうちに、あの場所の近くにまで移動しないとね」
そう言うリュカを先頭に、一行は緑豊かな草原のふかふかした地を歩き進んでいく。近づいていくと、遠くからでも確認できていた梯子がはっきりとその目に映る。
天空の塔とまでは行かないが、近くにまで来た梯子を見上げると、かなり高くにまで梯子を上り詰めなければ上に見える岩石の地には辿りつかない。高い所が苦手なポピーは、遥か上方に見える目的地を目にして、俯いて、一人静かに現実逃避をしていたりする。
「こんなハシゴなんか登らなくてもよぅ、オレがひとっ飛びで上まで連れて行ってやるよ」
そうやって気前の良い言葉を口にするアンクルだが、皆を上まで運ぶにしても一度に全員を連れて行くのは無理だろう。
「いや、流石のアンクルだって、ゴレムスを運ぶのは無理でしょう?」
「ゴレムスにはこの梯子も登れないだろうし……ぴょーんってジャンプして上に行けたりしないのかな?」
「がう」
「ゴレムスにプックルほどの跳躍力があるとは思えませんが……いや、あったとしても色々と壊さないかが心配です」
ビアンカたちの会話を耳にしながら、リュカは梯子を目前にして思わず唸る。
梯子は頑丈な木や鉄で作られているわけではなく、信じられないことに上から垂らされている縄梯子だ。そしてその大きさを見るに、明らかに人間が使うようなものと感じられる。しかしここはあくまでも、魔物たちが棲む暗黒世界だ。
地上世界では当然のように、町など人間の生活する集落に入る場合には魔物の仲間たちには外で待機してもらっていた。しかし魔物たちが棲むこの世界において、常識の中で考えるならば、人間であるリュカたちの方が招かれざる客であることには間違いない。
「ねぇ、そもそも私たちみたいな人間が入ってもいい場所なのかしら?」
ポピーは決してこの遥か上にまで伸びている梯子を上ることが嫌だからそうと口にしたわけではない。リュカたちは暗黒世界に足を踏み入れ、遠くに見えていたこの青白い光の柱を見て、全くの未踏の地であるこの世界の歩き方も分からないままその光を目標物に定め、ただひたすらに進んできた。目的が目的である限りにおいては、ひたすらに進めばよかった。しかし目的のものが目前となれば必然と、人間誰しも戸惑いという気持ちが生まれるものだ。ポピーの心の中にもそのような躊躇う気持ちが生まれてしまったに違いないと、リュカは娘の気持ちを慮るようにその肩に優しく手を置いた。
「とにかく確かめてみないと始まらない。僕が先に行ってみるよ」
そう言ってリュカはポピーの肩から手を離し、数歩進めば梯子に手が届くと言うところまで歩いて行った。
梯子の周りから既に、結界は張られていた。リュカ自身にはその域に足を踏み入れたという自覚もなかった。ただリュカが結界内に足を踏み入れたと同時に、異変が起こった。
梯子に繋がる綿雲のような岩石を支える、言わば大木の幹に当たる切り立つ岩山の表面がぼこりと飛び出す。既視感覚えるその状況は、つい先ほどまで戦っていたゴーレムの群れが現れた時と同じだ。そしてリュカたちの想像通り、岩山の二箇所から姿を現したのは、二体のゴーレムだった。
皆の間にさっと緊張感が走る。梯子を挟むようにして現れたゴーレムは、先ほどまで対峙していたゴーレムとは異なり、その身体の大きさは仲間のゴレムスとそう変わらない。それだけでもリュカは、度を越えたような緊張からは解放される気がした。
リュカたちのすぐ近くには頭上に浮かぶ岩石の地に繋がる梯子がある。下手にこの場で攻撃呪文を放ち、二体のゴーレムを攻撃でもすれば、この梯子ごと壊しかねない。今リュカたちの目の前に現れているのは、先ほどまで戦ったようなニ十体の巨大ゴーレムと言う途方もない相手ではない。ゴレムスと変わらぬほどの二体のゴーレムであれば、武器による攻撃のみで相手できるのではないかと、リュカはビアンカとポピーに助力を求める。
敵と思しきゴーレム二体は、悠然と歩いてきたかと思うと、リュカを目の前にしてピタリとその動きを止めた。攻撃を仕掛けてくるわけでもなく、ただその場に立ち尽くしている。全く攻撃の気配を見せないゴーレムに飛びかかろうとするプックルを、リュカは慌てて止める。
「何……かな?」
もしかして言葉が通じるのだろうかと、リュカは二体のゴーレムを見上げるが、あくまでも彼らはゴーレムという魔物であり、言葉を持たない。二体のゴーレムの脇をすり抜ければ、前に見えている梯子へと手が届くが、できることならリュカはこのゴーレムたちに応じたいと思った。彼らもまた、この梯子に続く上の地を護るべくこの場所に立つゴーレムなのだろう。攻撃の姿勢も見せず、敵対することを望んでいないその様子に、リュカは彼らとの意思疎通を図ろうとする。
「ゴレムス。君になら何か分かるかな。この二人と、話ができたらいいんだけど」
ゴーレムの音にならない言葉があるとしたら、それは同じゴーレムであるゴレムスになら通じるだろうかと、リュカは仲間に声をかけた。ゴレムスが一歩前に出る。一体と二体が互いに向き合うゴーレムの姿を、リュカたちは真上を向くかのように顔を上げて見守る。
少しすると、ゴレムスは静かにリュカの立つ前に、先ほど繋いだばかりの腕を伸ばして、手の平を見せるようにして水平に差し出した。手の平に乗れと言うことだとその行動に分かると、リュカは迷いなく仲間の大きな手の平に飛び乗る。
ゴレムスがリュカを乗せた手を上方へと上げ、二体のゴーレムの目の前にまで連れて行く。リュカはその行動に何ら危険を感じなかった。ただ単純に感じたのは、ゴーレムという魔物の大きな顔面をこれほど間近に見たのは初めてかも知れない、ということだった。
暗い目の奥に、青白い光が二つ、潜んでいる。ゴーレムの生きた目だ。到底魔物とは思えないほどに、その光は澄み切っているのだとリュカには感じられた。その光は、リュカたちがこれまで目指して歩いてきたあの青白い光にも通じる聖なる力を帯びたもののようにすら思える。この目がもし悪に染まることがあるとしたら、それはゴーレム自身が悪いのではない。ゴーレムを操る者が悪しき心を持っていると言うことに他ならない。
この暗い世界で、リュカは己の左下辺りから仄かに淡く光るのを目の端に捉えた。そこに目を落とせば、自身の左手が淡い翠色に照らされている。手を目の前にまで上げて見れば、左手薬指に付けていた指輪の宝石が、淡く優し気に光を灯していた。
命のリングの輝きは、それ自体が命の輝きであるかのように、周りを温かな光で照らしつつも、その芯となる部分には命の強さそのものを閉じ込めたような鋭い光が込められていた。生きとし生けるものは全て、生きていたいのだという強い思いがそこには感じられる。命にはそれだけで夢も希望も詰まっているのだと、翠色を灯す命のリングが、リュカにも、前に立つ二体のゴーレムにも無理なく伝わる。窪みの奥に見えるゴーレムの青白く光る目線が、命のリングに一心に注がれる。
ゴレムスの手の上に乗るリュカに道を開けるように、二体のゴーレムは重々しくゆったりとした動きで後ろへと下がる。明らかにリュカたちに、この先へ進むことの許しを与えたと言った様子だった。二体のゴーレムに阻まれていた梯子が再び現れる。
ゴレムスの手から降りたリュカが、梯子の下へと歩いて行く。それに続いて家族も仲間もついていく。上を見上げればやはり途方もないほどの高さにまで登らなくてはならないと、改めて思わせられる。その高さにポピーが一度、震える溜め息をついた。
「コレって飛んでったらダメなのか?」
梯子など使わずとも、翼のあるアンクルであれば、上までひとっ飛びに辿り着くことができるだろう。そう思い、アンクルは翼を広げてみたが、その途端に力が抜けてしまい、宙に羽ばたくことができない。どうやら結界が張られているらしいこの場において、空を飛ぶ魔物は空を飛ぶ能力を削がれてしまうようだ。しかしそのお陰で恐らく、この地は空からの魔物の攻撃を防ぐことも出来ているのだろうと言うことは、想像できた。
「なーんだ。アンクルに背中に乗せてもらおうと思ったのに。ざんね~ん」
「でもそれにしてもこの梯子って、私たちみたいな人間じゃないと使えないような大きさよね」
「がう~」
「プックルも登りづらいですね……。私もどうにか、一段一段張り付いて上まで登ろうと思いますが、少々時間がかかりそうです」
「ロビンだってどうやって上るの? それにこのハシゴって……縄よね? 上から吊り下げられてるだけなの? こんな不安定なハシゴ、無理じゃないかしら?」
上の地と下の地面を繋ぐ梯子は、太く頑丈そうとは言え、いわゆる縄梯子というものだ。しかも下の地には梯子の端が固定されているわけでもなく、ただぷらぷらとその縄の端を垂らしているだけなのだ。幸いにしてこの場には強風など吹かないようだが、それにしても上っている途中で縄梯子の揺れが大きくなれば、それだけ高所から落とされる危険が増すことはポピーでなくとも当然考えられるところだ。
「うーん、でもまあ、行ってみるしかないよ。とにかく僕は行ってみるね」
そう言ってリュカは先に縄梯子に手をかけた。リュカを一人にするわけには行かないと、ビアンカが続く。その後にこの上に何があるのか気になると好奇心に圧され、ティミーも続く。置いていかれるのは嫌だと、渋々ポピーも縄梯子に手をかけて、ゆっくりと登って行く。
プックルが縄梯子に飛びついた時に激しく揺れ、一度ポピーが悲鳴を上げたが、それにも耐え、進む。ピエールが縄をなるべく揺らすまいと慎重に縄に緑スライムを絡みつかせて上る。アンクルはしばらく考え込むように腕組みしていたが、どうやらこの太い縄には魔力が籠り、通常よりも強力であると察し、梯子などまともに上ったこともないから尚更、慎重に上に上り始めた。
見よう見まねでロビンが剣を持つ右腕の肘関節を梯子に引っ掛けたところで、梯子の両側に立つ二体のゴーレムが、縄梯子ではなく、その後方にぶら下がっている別の縄をそれぞれ掴んだ。その縄の端は重々しい岩石の出っ張りに括りつけられ、固定されている。二体のゴーレムが、彼らの目線辺りにまで登って来たリュカを見て、そして今も地に足をつけているゴレムスを見ると、その三体は互いに一度頷き合った。
ゴーレム二体が同時に、手にした太い縄を力強く引き始めた。リュカたちの乗る縄梯子が滑るように上へと動き出す。予期していなかった急な動きに、リュカたちは一斉に必死に縄梯子に捕まるほかなかった。みるみる下の地が視界から遠ざかっていく。ぐんぐんと上へと上げられているのが分かった。自身の力で上まで登る手間は省けるが、そうならばそうと予め伝えておいてほしいと、リュカは縄梯子に捕まりながら仲間のゴレムスを見下ろしたが、もしかしたらゴレムスは無言の内にリュカに伝えていたのかも知れなかった。
アンクルやロビンなどのような重量ある魔物も縄梯子に捕まっているにも関わらず、縄が切れてしまいそうな気配は微塵もない。その点においては安心感があったが、ただ揺れて振り落とされそうになる恐怖には耐えるしかなかった。ポピーは声にならない悲鳴を上げ、梯子など慣れないアンクルも野太い叫び声を上げていた。
「ゴレムス!」
下に残っている仲間のゴレムスに、リュカは引き上げられる梯子に捕まりながら呼びかける。
「お前は……」
リュカが言葉を続けるよりも前に、ゴレムスは下の地からリュカたちに悠然と手を振っていた。どうやら彼は上の地へ行くことは特別望んでいないらしい。と言うのも、恐らく今縄梯子を動かしている二体のゴーレムに何事かを教えられているのだろう。そして同じゴーレムと言う種族同志、まだまだ話すことがあるのかも知れない。
リュカは最もマーサに近いはずの仲間ゴレムスの意思を汲み、ただ遠く小さくなっていくゴレムスの姿を理解したように頷いて見つめていた。



長い長い縄梯子が上まで引き上げられ、リュカたちは順々に岩石の上に見えていなかった場所へとたどり着いた。下から見上げた限りは綿雲のような形をした岩石にしか見えなかったものだが、その上に広がっていた世界は魔界とは隔絶されたような、生き生きとしたものだった。
地上の自然豊かな世界が一部、切り取られてこの場に移されたのではと思わせるほどの、青々とした美しい景色が広がっていた。足元には柔らかな土、そこに根差す命そのものを体現する草花、木々、それらの自然とともに存在しているのが、人工的な建造物だ。
建造物の造りは拙いものだ。と言うよりも、自然の岩石の形を利用しているだけのようだった。一つの大岩に大きな穴をくり抜いて空け、その穴に合うように作られた木製の扉が取り付けられている。その扉にしても造りは粗いもので、凡そ切り揃えただけの板を、板と板の隙間を埋めることも構わずにくっつけて、とりあえずそれを扉にしておこうというほどの、仮の扉とも思えるようなガタガタとした形をしていた。
そしてその扉の上側、岩肌の表面に掛けられている一枚の木の板は、看板だった。看板に刻まれた文字は誰でも読めるもので、「やどや」と簡単に書かれていた。ただ文字が乱雑な上に、この場所にあるはずのないものがあるという状況に、リュカたちは一様に首を傾げた。
「“やどや”って宿屋、で間違いないのよね」
「違う“やどや”って何かあったかな。思いつかないわ」
ビアンカとポピーが互いに確かめるように言葉を落とす。
「ねえ、とにかく行ってみようよ! ボクたちの知ってる宿屋だったら、休ませてくれるよ、きっと!」
「王子、何かの罠やも知れません。慎重に参りましょう」
「がう? がう?」
「下にいるゴーレムたちがみんなここまで運んでくれたんだから、魔物でも平気だよ」
「相変わらず楽観的だな、お前は」
リュカの言葉に呆れるような感心するような表情でそう言うアンクルは、他の魔物の仲間同様に、グランバニアではない人間の町や村のような場所に足を踏み入れたことに少なからず気持ちが高ぶっていた。もしこの場所に人間がいれば、魔物である自分は攻撃されるかもしれないという思いから自然と身構えるが、最も慎重にも思えるピエールがどこか興味津々に中の様子を見ていることが分かると、それだけで妙な緊張感からは解放されるような気がした。
ピピピーッという機械音が近くでしたかと思うと、リュカのすぐ後ろに立っていたロビンが丸い頭を一周ぐるりと回して辺りの様子を窺っていた。赤い一つ目が注意深く見渡した後にその目が留まったのは、“やどや”と書かれた看板が下げられた大岩の脇だ。魔物の気配であれば、プックルにもその気配を察する鋭さがある。しかし今のプックルは周りに危険を感じていない。赤い尾がふらふらと気ままに宙に揺れている。
ロビンが見つめていた大岩の脇から飛び出してきたのは、一匹のスライムだ。リュカたちの予想していたものよりも遥かに小さいものだったために、誰もが見間違えかと目を瞬いた。
同じように岩山から続いて姿を現したのは、一人の少年だった。年はティミーやポピーよりも幼い。その動きも幼く、全身で楽しさ嬉しさを表すように、ぴょんぴょん跳ねるように走ってくる。どうやらスライムを追いかけてきたようだ。
「わーいわーい、ボク人間になれたよお!」
少年の言葉がはっきりと、リュカたちの耳に届く。しかし意味が理解できない。少年はどこからどうみても人間で、一人の少年だ。何をそれほどはしゃいでいるのかと思うが、子供がはしゃぐ姿を見るだけで、リュカもビアンカも自ずと笑みが零れるのを止められない。
そこで少年の前を走っていたスライムがくるりと後ろを振り向いて、途端に少年へと飛びかかる。それは魔物による少年への攻撃かと思わせる行動で、咄嗟にティミーとビアンカが攻撃呪文の構えを取ったが、リュカが二人の前に出て止めた。
少年に飛びかかったかと思われたスライムはやはり、少年へと体当たりを食らわせていた。しかしそれは凶暴な勢いあるものではなく、相手に対する加減をしたものだった。現に少年へと飛び込んだスライムは、少年の胸にぽすんと当たった後、彼の両手に捕まえられていた。少年とスライムの間に、完全な意思疎通が見られると、リュカはまじまじと彼らを見つめた。
「うわー! すごいっ! ボク、スラタロウくんをだっこしてるよ!」
「ピキー!」
無邪気に嬉しそうに、豊かな草地の上をぴょんぴょんと跳ねる少年の姿は、どこか彼が腕に抱いているスライムを髣髴とさせる。リュカの仲間のスラりんもスラぼうも意志表示をする際にはよく跳ねている。手足がなく、弾力ある身体全体で意思表示をするとなればそうするのが普通なのかも知れないが、そんなスライムの動きと少年の動きが似ているとリュカは思ってしまった。
子供の視界と言うのは驚くほど狭い。単純に背が低いということもあるのだろう。しかしそれ以上に、目の前のことに夢中になってしまうという性質がそうさせてしまう。それ故に、少年はしばらくの間腕に抱いているスライムとのみ遊んでいたが、ふっと視線を上げた時にようやく見知らぬ人間と魔物の一行に気付いた。
恐怖に目を見張るでもなく、逃げ出すこともなく、ただリュカたちを不思議そうに瞬きしながら見つめている。少年に抱っこされているスライムも同じように、リュカたちをただ無邪気な二つの目を向けている。あまりにも用心しない少年とスライムに、リュカは寧ろ不安を覚えるほどだ。
「ねえ、お父さん。私たちがお話した方がいいかな?」
「そうだね。そうしてくれた方がいいかも」
「突然見知らぬおじさんが話しかけてきたら、ちょっと怖いかも知れないものね」
「じゃあちょっと待っててね、みんな! すぐに呼ぶから!」
そう言うと、ティミーはポピーと手を繋いで颯爽と駆けて行く。これまで外を歩いてきた疲れを忘れてしまえるのが子供の強さだ。たとえ身体が疲れていても、目の前に新たな興味が現れれば、疲れが回復はしなくともすぐに身体が動き出すのだから、ある種底なしの体力を持っているのかも知れない。
「ロビン、あの小さな子供を攻撃しちゃダメだよ。あの子は敵じゃない」
リュカは言い聞かせるようにロビンに話しかける。相変わらず理解しているのかどうかは判別できない。万が一危険な行動に出た時に備え、リュカは常にロビンの横に立ち、彼の肩に手を置いてその行動を抑制しようとする。リュカの体温を感じる手の感触に、ロビンの頭脳が“安全”の判断を下すのにはそう時間はかからなかったようだ。機械的に身構えていた右手の剣がすっと下に下ろされた。
ティミーとポピーが目線を合わせるように、屈んで少年に話しかけている。人間の子供にしてみれば、恐らく五、六歳と言ったところだろうか。ティミーとポピーが少年の兄や姉のようにも見える。ティミーが少年の抱いているスライムを撫でると、スライムはくすぐったそうにしてくるりとティミーに後ろを向けてしまった。ポピーがにこやかに少年に話をしながら、途中で後ろに立つリュカたちの事を指差す。少年はただ素直に頷きながら、ポピーの説明を聞いてくれているようだ。
「お父さーん! お母さーん! こっちに来ても大丈夫だって!」
「お父さん、男の子とスライムさんって、お友達なんですって!」
二人の呼びかける声に、リュカたちはゆっくりと歩き始めた。大丈夫と呼びかけられたからと言って、通常の感覚で考えれば、あの幼い少年にとってキラーパンサーやアンクルホーンなどは見るからに恐ろしい魔物に違いない。魔物であるスライムとしても、大型の魔物の存在と言うのはそれだけで怖いと感じても不思議ではない。
「初めまして。僕たちを受け入れてくれてありがとう」
そう言ってリュカもまたしゃがんで少年と目を合わせると、少年はまるでリュカの瞳に惹きつけられるようにまじまじと見つめ返して来た。リュカは少年の信頼に足るようにと、その素直な視線を受け止める。
「お父さんやお母さんは? おうちにいるのかな?」
「ううん、いないよ」
「あら、じゃあお出かけしてるのかしら? 夕方には……と言ってもここはずっと暗かったわね。いつ頃ボクのところに戻ってくるのかな?」
「ううん、いないの」
少年の答えに、リュカとビアンカは顔を見合わせる。少年が未だリュカの目をじっと覗き込んでいる傍で、ティミーが弾んだ声で父に話しかける。
「違うんだよ、お父さん! この子ね、スライムだったんだって!」
「スライムさんが男の子になれたんだって!」
ティミーだけではなく、ポピーも同じほどに弾んだ調子でリュカに告げる。双子の言葉は一致して、この少年が元々は魔物のスライムだったと言うことだが、それだけを聞いてもリュカたちには理解が追いつかない。本来ならばポピーも“魔物が人間になる”という意味を疑う考えを持ちそうなものだが、彼女もティミー同様に全くその内容を疑っていない。それと言うのも、そこには彼女の内なる希望が込められているからなのかも知れない。
「君の名前を聞いてもいいかい?」
「うん。ボク、スラきちっていうの。この子はね、おともだちのスラタロウくんだよ」
「スラきちにスラタロウ……いかにもスライムっぽい名前ですね」
「にゃあにゃあ」
スライムナイトが話し、キラーパンサーが声を出しても、少年は特別怖がることも珍しがることもない。ただ「そうだよ、ボクもスライムだったんだもん」と、まだ俄かには信じられないような夢物語のようなことを口にするだけだ。まるで魔物を恐れていないまだ五、六歳の少年の姿に、リュカたちは己の常識を疑い始める。
「おともだちのスラタロウくんもはやくなれるといいのになあ」
「ピキー!」
「スラタロウ……。だれが名前つけたのかな……」
「マーサさまだよ!」
ポピーの独り言のような問いに答えた少年のそのたった一言で、リュカたちは頭から離れない疑念が氷解していくのを感じた。そして少年たちの後ろに広がるであろう小さな岩山に隠された場所が、魔界と言う世界に残された一つの生きた場所であることが想像できた。
「おばあ様が!?」
「……おばあさま? マーサさまのこと?」
「ボクたちのおばあちゃんなんだよ!」
ティミーの言葉に、少年スラきちは怪訝な顔つきで彼を見る。
「マーサさまはそんな、おばあちゃんじゃないよ」
そう言うと、今度はリュカを見上げる。再びじっと、食い入るようにリュカの漆黒の瞳を見つめる。リュカも少年の目を見つめ返した。見た目は人間の少年だが、リュカは仲間のスラりんやスラぼうと目を見合わせているような気がしてくる。少年と同じような目で、彼の腕に収まっているスラタロウもまた、リュカを見上げている。
「にてるね」
「……ははっ、そうかもね」
それこそ幼い頃から、サンチョにはよく母に似ていると言われていたのだ。たとえ自身に母の記憶がなくとも、サンチョに何度も言われていた言葉を思い出せば、嘘を吐くはずもない彼の言葉の通り、自分は母に非常に似ているのだろう。外見だけで思えば、あの光の教団の大神殿において自称大神官であったラマダが化けた母の顔つきは、非常にリュカ自身に似ていた。特に、特徴的である漆黒の瞳においては、逃げようもなく似たものだった。
「ねえ、おばあちゃん……じゃなくって、マーサ様はここにいるのかな?」
「ううん、いまはいないみたい。あんまりここにはいないんだ」
「どこにいるか知ってる?」
「ボク、よくわからないよ……ごめんね?」
「あやまらなくってもいいんだよ。ありがとう、教えてくれて」
少年スラきちがつい謝ってしまったのは、目の前で問いかけるティミーの表情がどこか必死だったからだろう。それを察してティミーもまた咄嗟に表情を和らげて礼を述べている姿を見て、ティミーの年下の少年に対する優しさを垣間見る。
「ねえ、ボクたち外から来てさ、ちょっと疲れちゃったんだ。あそこって、宿屋でいいんだよね? 休ませてもらえるかな?」
「えっ? うん、へいきだよ。あそこはね、だれでもやすめるんだ。ボクもよくひとりでいくんだよ」
「へ、へぇ~、そうなんだ。子供一人で……?」
「お兄ちゃん、子供って言ったって、この子はもともとスライムなんだもの。私たちよりも年が上かも知れないわ」
「うーん、でもこんなに小さいのになぁ。頭がこんがらがっちゃいそうだよ」
「ピキッ、ピキー」
「うん、そうだよね、スラタロウくん! おにいちゃん、おねえちゃん、あとでいっしょにあそんでよ。ボク、いちどにんげんとあそんでみたかったんだ!」
腕に抱いているスラタロウとの会話には特別問題ないようで、言葉は違えど話は通じているようだった。そのような意味では、リュカたちもさほど変わらない。リュカ自身もプックルの言葉は人間の言葉に変えずとも理解でき、言葉を持たない他の魔物の仲間たちの言わんとしていることも凡そその雰囲気に感じることができる。そもそも、言葉と言うものは人間が後付けで作った一つの表現方法に過ぎない。言葉に落とし込むことなく、その者が持つ雰囲気や感情などが伝われば、それで事足りているとも言えるのではないだろうか。
「“やどや”でやすむのは“おかね”がいるんだけど、おにいちゃんたち、おかねはもってる?」
「うん、お父さんが持ってる、よね?」
ティミーにそう問われ、リュカは笑顔で頷く。念のためにとサンチョに渡された旅費が、リュカの手元にはある。魔物らが生きる暗黒世界で果たしてお金が必要かと疑問だったが、どうやらスラきちやスラタロウが暮らすこの集落では、地上の世界同様にお金というモノが必要らしい。
「地上と同じお金ならいいけどね」
「きっと同じだよ。だってここには……」
母マーサの影響が大いに感じられると、リュカは涼やかで清浄な空気を生み出している、周りを囲む水の景色にそう感じずにはいられない。エルヘブンの北にある海の神殿、そこはこの魔界と地上を繋ぐ門があり、魔界からの侵入を防ぐために指輪による封印のみならず、そもそも魔を遠ざけるための聖水が絶えず流れているような場所だった。清められた水の力から、大いに魔除けの効果が得られることを、エルヘブンの民は大昔から利用しているのだ。
「僕たちみんなで中に入っても平気かな?」
「うん。だってそっちのマモノも、にんげんになりたくってここにきたんでしょ? それならおくに行ってみたらいいよ! ボクもそこでにんげんになれたんだ!」
今やどこからどうみても、純真無垢な一人の少年にしか見えないスラきちだが、恐らく少し前までスライムの姿をしていたのだろう。今も話しながら、つい地面を弾むように跳ねている。
一先ず“やどや”で休息を経てから次の行動をと、リュカたちは一度魔界の“やどや”へと足を進める。大きな岩山の一部をくり抜いて、雑な造りの木の扉をつけただけのその場所にいるのは人間か魔物か、どちらにしても既にこの場所に受け入れられているという安心感の中で、リュカたちは特別な恐怖も不安もなく“やどや”に向かった。

Comment

  1. ケアル より:

    bibi様。

    たしか…少年とスライムはゲームでも街に入ってからすぐの所にいましたよね!
    bibiワールドの中では派生して新たなお話に? 宿屋の中に入ったら何があるのか楽しみです。 スライムが人間になれた謎が宿屋の中に?

    bibi様、一つお願いがあります。
    SFCでは街の右側にいるカンダタ子分は時の砂を持っていますが、リメイクPS2とDSでは宝箱の中身が違います。
    当時bibi様に、大神殿でビアンカ石像にあの杖を使った描写をという話を覚えていますか? でも自分の勘違いだった落ちになった話です。
    リメイクはリュカ石像の時に壊れてなくなります…がしかし、なぜだか今さらになってここで!
    武器レベル的にももはや要らない装備なんですが、たぶん戦闘中で使った効果をエビルマウンテンであの「ヤツ」との戦火でというスクエニ側の優しさなのか企みなのか…(笑み)
    bibi様にはあの杖をジャハンナで手に入れた時のポピーの気持ちの描写やリュカのあの時ジージョの屋敷で助けられた時などの描写、ジャハンナ編で描いて貰うことはできませんか?
    ちょっと見てみたいんですポピーが必死で見つけてきた杖が壊れて手元にないのに、ここで手に入った気持ちの揺れ動きを…。
    難しいですか?

    • bibi より:

      ケアル 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      ジャハンナにようやく着いて、入口のところで今回は終わりました。そうなんです、入り口付近にいるんですよ、男の子とスライム。ジャハンナは地上にはない面白い町なので、少しじっくり書いて行こうかと思っています。

      ジャハンナ編の粗筋をおおまか決めていたのですが、宝箱の件は省いていました(汗) カンダタ子分で、人間で、ストロスの杖で、場所も裏に隠れたような場所で・・・ここにきてちと情報量が多いなぁと思って、書ける自信がなくって・・・。お話に入れるとしたらどこに入れようかと、なかなか悩みどころです。しかしせっかくご要望いただきましたので、どこかに入れられればと思います。お話の内容、ご期待に沿えなかったらすみません。

  2. ケアル より:

    bibi様

    ご無理な要望を申し訳ないです…。
    でも、考えてくださりほんとにありがとうございます、どうしても描写の妨げになるようなら入れなくても構いませんので…なにとぞ宜しくお願い致します。
    まだ幼いポピーが兄とお世話係と3人で旅をしていて、ようやく希望のアイテムを見つけて…ようやくお父さんに出会えて伝説どおりに杖を使ったら壊れて…そんな杖が今ここに!
    ポピーの気持ち、感情を見てみたくて…。
    たしかに、今までbibi様は、カンダタ子分との戦闘とアイテムを描写しなかったでしたよね。
    描写をするのが難しいことなんだろうな…推測していましたが、どうしても今回のストロスの杖は気になってしまい…。
    bibi様、入れれなかったらべつに構わないです…無理しないでくださいね。

    次話は宿屋でやっと休憩ですね。
    お風呂食事睡眠、みんなリラックスできそうな描写になりそうな予感です。
    ゴレムスとロビンの腕をどのように修復してあげるのかも見所であります。 次話をお待ちしています(礼)

    • bibi より:

      ケアル 様

      カンダタ自身はそれなりに濃いキャラとして描いたんですけどね、その子分についてはあまり詳しくは書いていませんね、私。既に話を色々と広げ過ぎてしまったかなと反省していて(汗)、そこここ収集つかなくなってきたんではと、全ての収集作業は半ば諦めているという事態に(苦笑)

      もし本編で入れられなかったら、短編にでも書いてみようかと思います。そうなったら・・・ご勘弁くださいませm(_ _)m

      ようやく次話は町でののんびりタイムを過ごせそうです。が、その前に、ちょいと時間の取れない状況に陥り、更新がまた先へと延びてしまいそうです。いやあ、みなさんも風邪には十分気を付けてお過ごしください。

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