人間も魔物も
「ねえ、お父さん、そう言えばこの町に教会ってあるのかな?」
ティミーが宿屋のベッドに寝転がりながらそう言うと、大きな欠伸をして見せた。今日一日町の中をぐるりと回り、宿に戻って食事も済ませていたために、健やかな睡魔が襲ってきているようだった。
「これからも外に行くから、旅の無事をお祈りするのは大事だと思います」
「でもよぉ、元々魔物だったヤツらが祈る神ってどんなんだ?」
「元々魔物だったって言っても、善い人間になりたくてなれたんだから、やっぱりマスタードラゴンにお祈りするんじゃないかしら?」
「善い人間だからマスタードラゴンにお祈りをするのでしょうか……?」
「がう~?」
「ピエールもプックルも、僕らはマスタードラゴンがどういうものか知ってるから、ついそう思っちゃうだけだよ」
明らかに疑問を感じる声音を出している二人の仲間に、リュカは苦笑いしながら声をかけた。
「あとで僕が宿の人に聞いておくよ。今日は一先ずゆっくり休んで、また明日町を回ってみよう」
部屋に一つだけある小窓の外には、四六時中変わらないような夜の景色が今も広がっている。一体今がこの魔界での朝なのか昼なのか夜なのかも分からない景色だが、リュカたちが町歩きをしていた時と比べて今はすっかり落ち着いているような雰囲気だった。
魔界と言う世界においても人間らしい暮らしをするようにと、恐らくマーサはこの町に昼の景色と夜の景色を作り出しているのだろう。意識して見てみれば、小窓の外に見える暗さもいくらか落とされているようだった。町の周りを巡る聖なる水の力が町を支える中心となり、その強弱を以て町全体に及ぶ明かりの調整も行っているのかも知れない。町の奥に設けられている水車小屋で管理をするネロの仕事の一端なのだろう。
調光の程度で昼夜を表すことなども、まるで城の中に町を作ってしまったグランバニアにそっくりだとリュカは思っていた。ジャハンナの町の中に所々、グランバニアの景色を見てしまうのは決して偶然と言うわけではないのだろうと、リュカは今ではそう確信している。
「お父さん、朝になったら起こしてくれる?」
「あはは、朝がいつなのかよく分からないけど、みんなの疲れが取れたらまた町に出てみようか」
「町歩きぐらい平気よ、お父さん。いつでも平気だからね」
ポピーが目を擦りながらもそう言うのは、この旅を急がねばならないと理解しているからだ。祖母マーサを救うために魔界へと足を踏み入れ、この町でのんびりしている場合ではないと、ジャハンナの町の人の言葉に現状を知った。いつでも危うい状況に置かれる祖母を早く助けなくてはならないのだと、まだその小さな身にも真に感じているのが分かる。
「ねえ、明日はみんなで一緒に回るんじゃなくって、ちょっと別行動にしましょうよ。その方が時間が節約できるわ」
このジャハンナの町を余さず目にしておきたいということと、急がねばならないという現実を両立させるために、ビアンカがリュカにそう提案する。魔物から人間へと姿を変えた者たちに悪人はおらず、町の中で別行動を取っても大きな危険に巻き込まれることもないだろうと、リュカは仲間たちの様子を見渡す。むしろジャハンナの住人である人間よりも余程、リュカの仲間である魔物たちの方が単純に力として脅威に違いない。
「あっ! じゃあさ、ボク行ってみたいところがあるんだよね~」
そう言い出したティミーが話すのは、防具屋から道具屋へと移動した際に目にした、町の食を支えていると思われる畑だ。そう広くないこの町の食糧を生み出しているのはおそらくあの畑で、そこには人間の姿だけではなく魔物の姿もあったのをリュカも覚えている。町の宿に出入りしているスラたろうもまだスライムの姿から人間へと変われない魔物の一人だ。同じような魔物たちがあの畑で、人間になることを目指して日々農作業に従事しているのだろうと考えると、ティミーの純粋な興味が膨らむ。
「人間と魔物が一緒にいて、一緒に畑で食べ物を作ってるなんておもしろいなぁって思ってさ。グランバニアも魔物のみんなはいるけど、畑にいるなんてないもんね」
「我々魔物は人間よりも戦う力があり、必然と国の防衛に当たりますからね」
「がうっ」
「オレ、教会なんかよりもそっちの方が向いてそうだな。どんなヤツがいるのかも気になるし」
「私も少し気になるけど……でもやっぱり教会でお祈りするのも大事だと思います」
「さて、どうしようか、リュカ?」
決めるのは貴方だと言うように、ビアンカが決定をリュカに委ねる。誰もがリュカの決定には従うと言うように、視線がリュカに一斉に集まる。皆の顔を見渡した後、リュカはあっさりと仲間たちを二つに分けた。
「僕とティミー、アンクルは町の畑に行ってみよう。ビアンカとポピーはプックルとピエールと一緒に教会に行ってきてくれるかな」
リュカの決定はこの町の安全を裏付けるようなものだと、ビアンカは感じていた。魔界の町にも全く危険が潜んでいないわけではないのはリュカも知っている。実際に水車小屋の裏では盗賊を生業としている悪しき人間がいた。しかしそのような危険を想定しても、ビアンカとポピーはプックルとピエールに任せて問題ないとリュカは判断した。実際にリュカの決定を聞いて、ビアンカもポピーも不安がっている様子を見せない。彼女たちは魔物の仲間であるプックルとピエールを心の底から信頼している。
行動の決定をした後は、皆はそれぞれゆっくりと眠りに就いた。昂っていた気でしばらくは眠れないだろうかと思っていたが、リュカが率先してベッドに横になり目を閉じていたことに釣られるように、皆もまたベッドや床に座りながら眠り始めていた。アンクルは買ったばかりのデーモンスピアを腕に抱え、力の盾を小手のように左腕に嵌めたまま壁を背にして座り込んで眠っている。その近くでピエールもまた壁にもたれかかりながら、緑スライムが寝息を立てている。プックルはビアンカとポピーの眠るベッドの間の床で、いつも通り身体を丸めて眠っている。最も早く眠りに就くだろうと思っていたティミーが最も遅くまで目を覚ましていたが、気持ちの高ぶりもしばらくして落ち着いたようで、気づけば深い寝息を立て始めていた。
暗い部屋の中でずっと目を閉じていたリュカは、皆の寝息が聞こえる中で一人静かに目を開けた。ずっと目を閉じていたからか、暗闇に目が慣れるのが早い。すぐに部屋の中の景色が目に映る。ごつごつとした石造りで、宿屋の娘として育ったビアンカからすれば恐らく色々と宿屋としての在り方に注文をつけたいところかも知れないなどと思ってしまう。
それからさらに時を待ち、リュカは静かにベッドから抜け出した。部屋には四台のベッドが置かれ、リュカたち家族は一人一台使用している。隣に眠る家族を気にかける必要もなく、ゆっくり眠るためにとそれぞれのベッドで過ごすようにと勧めたのはティミーだったが、その彼が最も眠るのに時間を要したのは恐らく寂しかったのだろう。しかしいざ眠りに就いてしまえば、彼の眠りは深い。ポピーも規則正しい寝息を立てている。まだまだ成長期の子供たちの眠りは健やかであるべきで、深くあるべきだ。そんな子供たちの様子を音に確かめて、リュカは一人静かに部屋を出た。
宿の建物の外にまで出て、リュカは夜と思われるジャハンナの町の様子を見渡す。いつでも暗いこの町だが、町の中に人の姿は全くと言ってよいほど見当たらない。町を照らす明かりが完全に途切れることはない。それはリュカたちがこのジャハンナの町を目指していた時にも常に見えていた青白い光だ。強弱の変化はあるが、町が完全に闇に飲まれることはない。魔界にある人間の町には、光を絶やさないでいる必要があるのだろう。
闇に慣れたリュカの目には問題なくジャハンナの町の景色が映っている。むしろリュカの瞳の方が余程暗さは深い。一目で見渡せるほどに狭いこの町に、魔物から人間と姿を変えた者たちが住んでいる不思議がある。彼らは誰もが善人だ。善人を目指さなくては人間になることはできなかったのだから、今もこれからも、人間になることができた感謝を忘れずに善人であろうとするのは容易に想像できる。
今は恐らく、地上の世界で考えれば真夜中のような時間帯なのだろう。誰一人起きている気配もなく、町の中は完全な静けさに包まれている。人気のない町の片隅に立ち、緩やかに吹く風を頬に受けると、それは皆と起きていた時よりも数段冷たく感じる。たった一人で感じる温度を現実よりも冷たく感じてしまうのは気のせいではない。
「こんなに風って冷たかったかしらね」
全く気配に気づかなかったのは、それが危険なものではなかったからだろうと、リュカはゆっくりと後ろを振り返る。そう言えば彼女の寝息は確かめていなかったと、リュカは思わず妻の顔を暗がりに見ながら苦笑した。
「きっと寒いって感じるだけなんだろうね」
そう言うと、ビアンカも彼の顔を見ながら「きっとそうね」と言い、リュカの隣に立つ。二人でジャハンナの町の景色を眺める。宿からは遥か遠くに、町の存在そのものを守り、象徴するような巨大水車が小さく見える。止まることのない巨大水車が循環させている聖なる水は魔力を持ち、仄かな青白い光を放つためにいつでもリュカたちの目に映る。
「お義母様はどんな思いで、魔物を人間にしたのかしらね」
ビアンカの言葉には決して批判めいたものは無い。ただ純粋な疑問という思いがその声に表れている。そして彼女の言葉はいつもいつも、リュカの心を言葉にしてくれる。リュカ自身にもはっきりとしない気持ちを、彼女はその糸口を自然と見つけて言葉にしてくれるのだ。
「会って聞いてみたいわ。そもそもお義母様にそんな力があること自体、驚きなんだけどね」
彼女の言う通り、いくら普通よりも高い魔力を持つからと言えども、魔物を人間に変えてしまうなどと言う、神の所業にも等しいことが現実に起こっていることが信じられない。世の中には誰かの姿に己の姿を似せて変身してしまう呪文がある。モシャスという呪文はいわゆる変身呪文で、魔物がその呪文を使えば人間の姿に変わることもできるが、効果は一時的なものだ。その後を死ぬまで、人間として生きることを覚悟して使うような呪文ではない。
それもマーサは、既に幾体もの魔物を人間に変え、この町の中に守っている。ジャハンナの町は魔物ばかりが生きる魔界において、その存在はあまりにも脆い。いくらマーサの力で聖なる水を町の周囲に循環させて守るにしても、圧倒的に魔物の力の強いこの世界で人間の町を存続させるのは不可能ではないだろうかという疑問が自然と頭に浮かぶ。
それを可能にさせるとすれば、敵の力をも借りているのではないだろうか。実際に、幾体もの巨大なゴーレムたちが意思を持って町を守っている。しかしゴーレムたちの力を借りることは敵の力を借りることにはならないだろう。ジャハンナの町がこれまで敵の魔物に襲われることなく無事でいられるのは、敵側の力の助けもあるのではないだろうかという思いが、リュカの頭の中を巡って行く。
「もし私がそんな不思議な力を使えたら……どうするかな」
自分の手を見つめながらそんな独り言のような言葉を零すビアンカは、恐らくその力を手にしていたとしても使わないだろうとリュカは思った。己に他者の生き方を変える権利などないと、ましてや魔物の姿から人間の姿に他者を変えてしまうような神の所業にも等しい行為をする気持ちにはなれないと思うのが、普通の人間の心境だろう。それはリュカも同じだ。彼女が言葉を濁したのは、マーサに対する遠慮のようなものにも感じられた。
「でもお義母様の力で人間になれた人たち、みんな幸せそうよね。一人一人、人間になることができて誇らしいって、そんな感じがするわ」
「そうだね」
母は魔界に連れ去られた時から、地上の世界に戻ることを絶対に諦めてはいない。しかし同時にそれは決して力づくで成し遂げられるようなものではないことを、確かに知っているはずだ。どうしたら地上の世界に戻ることができるかを、まだ知らない母の力を想像しながら考えてみれば、きっと母は敵となる魔物の王であるミルドラースとの対話をずっとずっと続けているに違いないとリュカは思い至る。
ミルドラースは元々人間だったのだという。人間が魔物に変わったと言うことは、恐らく悪しき心に囚われその身を魔物へと貶めたのだろう。そう考えるのが普通であり、常識だ。魔物へと姿を変えたミルドラースと、マーサはこれまでずっと対話を続けていたはずだ。そうでなければ魔界の門を開けることを目的にマーサを連れ去ったミルドラースはとっくにマーサの力を強引にでも使わせ、魔界の門を開いていただろう。
「魔物でも人間でも、どちらでも良かったんだ」
「え?」
「人間でも魔物でも、姿なんかどっちでもいいんだよ」
元人間で、今では大魔王となってしまったミルドラースと話を続けることのできる者は、人間だろうが魔物だろうが構わない。そもそも相手を人間とも魔物とも思っていないのかも知れない。マーサはただ、人間も魔物も住む地上の世界を丸ごとそのまま守りたいと思って、ミルドラースとの対話を続けている。リュカ同様、魔物を魔物のまま受け入れることのできるマーサもまた、相手が魔物であろうが人間であろうがそこに問題はない。
リュカがこの世に生まれてからおおよそ三十年の月日が経つ。大魔王となってしまったミルドラースにとってその月日が果たして長いのか短いのか、その感覚は想像もできないが、マーサを手中に収めてからは躊躇さえしなければすぐにでも魔界の門を開かせることができたであろうミルドラースは、今も尚躊躇いの中にあるはずだとリュカは胸にある希望が己の考えの中に俄かに膨らむのを感じる。
「ただ多くの人たちは違う。人間は人間を、魔物は魔物を、仲間だと思ってる」
たとえ母マーサが、リュカ自身が、人間も魔物も受け入れることのできる者であったとしても、それが地上の世界にも魔界にも通用しない。多勢に無勢にもほどがある。もし人間も魔物も手を取り合える世界を目指すなら、その声を増やすか、敵対する頂点に立つ者を説くか。マーサは恐らく、主に後者を長らく試みている。
それと言うのも、マーサが人間だからだ。人間の寿命は短い。短い人生の中で成し遂げられることなど、そう多くはない。短い人生でもできることをと、彼女は地上の世界を密かに守りながら、絶えずミルドラースとの対話を続けているに違いないとリュカは思う。
「早く母さんのところへ行こう」
もう何度も口にしている言葉だ。いつでもその思いはある。リュカの途切れ途切れの言葉に、ビアンカは理解が追いつかないが、深く聞き出そうとはしなかった。リュカ自身が理解して納得していれば良いと、ただ彼の横に寄り添うことを考える。
「そうね」
「早く行って追いついて……助けないと」
「旅の準備なんて慣れているもの。すぐにでも行けるわ。旅の食糧も町の人に協力してもらっているし、問題ないわよ」
そう言ってビアンカはリュカの背中を手で擦る。冷たく感じていた風はいつの間にかそうとは感じなくなっていた。彼女の手の温度を背中に感じると、リュカは彼女の肩を抱き寄せた。生きている者の体温というのは何故これほどに温かく、生きる気力を湧かせてくれるのだろうと、不思議に思いながらしばらくの間二人、そうして並び立ちながらジャハンナの静かな町の景色をただ見渡していた。
「なんだか良く寝た気がするなぁ。ふわ~あ。寝過ぎてあくびがでるのかも」
「昼も夜もねぇから、どんだけ寝たのかも分からねぇよな」
宿を出る時も決して日の光を浴びるわけでもなく、相変わらず暗い町の中をリュカはティミーとアンクルと共に歩いていた。
昨日の話では彼らは町の畑の様子を見に行くと話していたが、今向かっているのは昨日訪れたばかりの武器屋だ。近づく武器屋の建物からは、暗い空の元でも金属を叩くような硬質の音が響いている。ジャハンナの町は既に起き出し、一日はとっくに始まっているのがその音にも感じられる。
預けたロビンの修理には時間がかかると武器屋の店主であるサイモンは言っていたが、リュカはなるべく早く先へと進みたかった。ロビンの左腕のボウガンの修理をなるべく急いでもらうようにと、サイモンにお願いするために今彼らは武器屋へと足を向けているのだった。
「もしかしたらもう直ってるかも知れないよ、ロビン」
「そうだといいけどなぁ。でもよぅ、たとえ直ったとしても、今後また壊れちまったらオレたちは誰も直し方なんて分からねぇぞ」
「サイモンさんにも旅について来てもらうとか?」
「いやぁ、そりゃムリってもんだろ」
リュカはティミーとアンクルの会話を後ろに聞きながら、金属を叩く音を高らかに響かせる武器屋の扉をゆっくりと開けた。リュカたちの旅の事情を心得ているサイモンは、本来の武器屋の作業そっちのけで今はロビンの修理に当たっていた。時間がかかると言っていたロビンの修理だったが、扉を開けて中に見たロビンの姿は既に左腕のボウガンが取り付けられている。
「やあ、早いな。もう来たのか」
リュカたちの方を振り返ることなく、サイモンはそう言いながらロビンの腕の角度を調整するように、機械の腕を上下左右にと動かしている。すっかり直っているようにも見えたロビンの左腕はまだ仮に取り付けられているだけで、本格的につけるには部品が足りないようだ。鋭い切り口で切り離されたのであれば直す手間も少しは省けたところだが、切断面が激しく歪んでおり、その部分の鍛錬が改めて必要になるらしい。
「一応腕は動くけどなぁ、こいつは戦闘用機械兵だろう? これじゃあまだ戦えない」
そう言うとサイモンは唐突にロビンの左胸の奥に収められているボタンを道具のノミの柄を使って押し込んだ。何の躊躇もなくロビンの起動をするサイモンを見てリュカたちは驚いたが、どうやら既に何度もロビンはサイモンによって起こされているらしく、赤い一つ目をぼんやりと浮かび上がらせると周りを見渡すように首を左右に回転させるだけて、至って落ち着いている。
「ロビン、おはよう」
リュカの声を聞いたロビンが応えるように、ガガガガッと機械音を鳴らした。
「なんだよ、コイツ、俺には何も応えないのに。やっぱりご主人様がいいってことか」
「やっぱりすごいなぁ、お父さんは」
憧れの眼差しで見上げて来るティミーの目に、リュカは困ったように笑いかける。リュカとしては特別なことをしている意識は微塵もない。
「おい、ロビン、左腕を動かしてみろ。そうだ、この腕だ」
サイモンがロビンの左腕に触れながらそう言うと、ロビンは今までそうしてきたように左腕を上に上げようとする。重々しく持ち上がった左腕だったが、重さに耐えきれないと言うようにすぐに下に下ろされてしまった。再び腕を持ち上げようとするロビンをサイモンが止め、ボウガンに触れながらその腕を下ろしておくように指示をする。
「無理するとまた肘からポッキリ折れちまうからな。肘の関節部分を完全に直すにはあと数日はかかるだろう。激しい戦闘に耐えるだけのものにしなくちゃならないだろ?」
サイモンはロビンの役割を確かに理解していた。戦闘用機械兵として生きるためには、確実に直し、戦闘時にその働きを損なうことがあってはならない。確実に直してこそ、キラーマシンとしての本来の働きを見せることができる。
リュカはロビンとサイモンの様子を傍で静かに見つめた。ロビンはすでにサイモンという人間を受け入れているようで、彼の指示に逆らう様子は見せない。サイモンが話しかけている時には、赤い一つ目を向けてその言葉を理解しようと努めているようにも見えた。左腕が徐々に直っていることも、サイモンを信じる理由の一つになっているのだろう。リュカの離れている間にも彼らが互いに意思疎通を図ろうとしているのは想像できる。たった一日でこれほどに分かり合うことができるのは、もしかしたらサイモンが元は彷徨う鎧という魔物だったからなのかも知れないと、リュカは一人納得するように小さく頷く。
「ロビン」
リュカが呼びかけると、ロビンは首をぐるりと回して、赤い一つ目を瞬いて話を聞いているという意思表示を見せる。もうリュカの隣に立つティミーに対しても剣を振り上げたりする雰囲気は皆無だ。ロビンの中で人間は、敵対するものではなくなっているのだろうとリュカは彼の様子に安堵する。
「僕たちはすぐにでもこの町を出て、先に進みたいと思ってる」
リュカの言葉が分かっているのかいないのか、定かではないが、ただロビンはリュカの言葉を分かるようにと努める。赤い目は瞬きせずに、一心にリュカを見つめている。
「君を今後連れて行って、もし君がまた壊れてしまったら、僕たちには直すことができないのは分かるかな」
リュカの説明の言葉に頷くでも首を横に振るでもなく、ロビンはただリュカの決定を待っている。
「でもこの町にいれば、君を直せる人がいる」
戦闘用の機械兵としてこの世に産み出されたキラーマシンという魔物は、機械として壊れたり、戦う機能を失ってしまえば、そこで用済みとして捨て置かれるのではないかとリュカは思っている。古代技術を以てして作られたキラーマシンは、たとえ大魔王と言えども作り出すことはできず、ただ古代より残されていた彼らを使役しているに過ぎない。壊れてしまえば、敵側にキラーマシンを直す技術も精神もないだろう。敵にとってキラーマシンはただの消耗品だ。しかしリュカにとってロビンは仲間だ。もし旅の途中で壊れてしまったからと言って、あっさりと見捨てることなどできない。
一方で、このジャハンナの町の護りを少しでも強くするためにも、ロビンの力は非常に強力なものになるだろうと、リュカは冷静にそう考えていた。
「ロビン。君にはこの町に残って、外のゴーレムたちと一緒に町を守ってほしい」
「えっ!? お父さん、どういうこと!?」
「できるかい、ロビン?」
言葉の意味が伝わるかどうか、リュカにもそれは確信が持てない。果たしてロビンが今のこの場所を人間の町と理解しているかどうかも分からない。しかし昨日は一日一緒に町の中を歩き回った。ロビンにとっては初めての景色だっただろうが、特別暴れることもなく、町の住人である人間たちを大人しく眺めていた。既にサイモンとこれほど距離を縮めているロビンは、これから町の人々とも距離を縮めることができるはずだと、リュカはロビンもジャハンナの町の人々も双方を信じる。
「ロビン……置いてくの?」
ようやくロビンにも近づけるようになったティミーが、心底残念そうな声を出す。心強い仲間であると共に、初めての機械仕掛けの魔物の仲間に、ティミーは素直に心が躍っていたが、父の決定に異論を唱える気にはならなかった。リュカの言う通り、もしロビンがまた機械の体を損傷した時に、自身の回復呪文でも直すことはできない。父リュカが非情に仲間を斬り捨てることなどあり得ない。あくまでもロビンの今後を考えれば、恐らくこの町に残るのが正解なのだと、ティミーはロビンの赤い目を見ながら納得しようとした。
「オレもそれがいいと思うぜ。ロビンが町の護りについたら、外のクソでかいゴーレムたちも合わせて、守りはより鉄壁になるだろうしなぁ」
ジャハンナの町の守りは、外のゴーレムたちと、マーサの力による聖なる水で強力に守られている。それでこれまでは、魔界という危険な世界の中でも町が脅かされることなく存続できた。しかしこれからは何が起こるか分からないと、リュカは過去に地上で起こった出来事を思い出す。グランバニア、ラインハット、テルパドールと、地上の三国が同時に魔物の奇襲を受けたことがあった。敵側はいつでもその準備があるのだとあの時思い知らされた。以来、いずれの国も敵襲を想定して、国の護りは以前より固くしている。もしかしたらその状況が、このジャハンナの町を襲わないとも限らない。
「そういうことなら、俺よりも話のわかる奴がいる」
サイモンが言うには、町の外れに人々の食を支える畑があり、そこではまだ人間になれない魔物も共に畑仕事に精を出しているという。ちょうどリュカたちがこれから行こうとしている所だと応えると、そこに魔物たちの面倒を見る爺さんがいると彼は教えてくれた。キラーマシンという普通の魔物とは異なる機械兵でも彼ならば問題なく面倒をみるに違いないと、サイモンは苦笑する。
「むしろ珍しがって、喜んで世話をするだろうな。目に浮かぶ」
「ちょっと変わったおじいさん……なのかな?」
「ちょうど良かったじゃねえか。もうこれだけサイモンに慣れてんだから、町に残っても問題ないだろ」
そう言ってアンクルがロビンの肩を叩くと、ロビンは首を回してアンクルを見上げる。魔物のアンクルに対して攻撃をしかけることもないロビンにとって、今は彼の敵は人間だの魔物だのと言う括りではなくなっていることが分かる。機械仕掛けのロボット兵でも命は宿るものなのだとリュカは信じ、今のロビンは自身の判断で、意思で、相手が信頼に足るものかどうかを見極めているように感じられた。
「ロビン、また必ず会いに来るよ」
アンクルとは反対側のロビンの肩にリュカも手を置き、くるりと向けられた赤い目を間近に見つめる。リュカとロビンは背丈もそれほど変わらず、目線が近い。ただ機械の信号で光っているだけの赤い一つ目にも、リュカは今や明確な意思を感じた。リュカたちの言葉も大分理解しているようで、ロビンの目はしばしリュカを瞬きもせずに見つめているだけだった。ただ赤く光る目に名残惜しさを感じるようになったのは、リュカのロビンへの愛着が原因だ。
ロビンが赤い目を一つ瞬き、キュイーンと機械音を鳴らす。それがロビンの頷きとも取れるものだと受け取った。傍にいることだけが仲間ではない。リュカの仲間は地上の世界にもいる。その一人であるロビンもまた、ただこのジャハンナの町に残るというだけの話だと、敢えて現実を軽く考えることにする。
「ありがとう、ロビン。腕、早く直るといいね」
「ああ、任しておけ。すぐに最強のキラーマシンにしてみせる」
そう応えるサイモンは、どうやらロビンの左腕に取り付けるはずのボウガンに新たな細工を施しているようだった。そんなことができるのも、ジャハンナの武器屋を営むサイモンにしかできないのかも知れない。彼になら安心してロビンを預けることができると、リュカは安心したように笑顔を見せる。
「ロビン、母さんのいた町を、頼むね」
それはリュカの本心でもあった。母マーサが守ろうとしているのは地上の世界でもあり、この魔界にあるジャハンナの町もそうに違いない。この町の造りに、グランバニアの国を嫌でも感じてしまうのは、マーサがこの町に思い出を持ち込んでいるからだ。長らく魔界に囚われている母の大事な思いの詰まったこの町を、悪しき敵に脅かされたくはない。
名残惜しそうにロビンの胴に抱きついて別れを告げるティミーに、素っ気ない言葉ながらも和やかな笑みを見せてロビンを見つめるアンクルに、ロビンは機械音を鳴らして応える。そして手を振って店を出て行くリュカには、常に離れることのない剣を持つ手を、リュカの真似をするように振り、初めて別れの挨拶を覚えたと言うように見せていた。
「ここにお日様が照ったら、とても綺麗な場所なんでしょうね」
「暗いけどお花の香りがするから、とっても気持ちがいいです」
ジャハンナの町の中心部には、人々の憩いの場がある。その場所を通り過ぎた先にビアンカたちの目指す町の教会があるが、聖なる水の青白い光に仄かに照らされた町の憩いの場には、恐らく色も様々な花々が咲いている。この暗い世界にあっては花の色も満足に楽しむことができないのは勿体ないことだと、ビアンカは手にしているマグマの杖に炎を灯し、近くの景色を照らし出しながら皆と歩いていた。
「これじゃあみんなオレンジ色のお花になっちゃうわね」
「しかしこの世界に太陽の光が届くことなどあるのでしょうか」
「そもそも、ここには太陽がないんじゃないかな」
「がう~」
「それでもいつかはこの町の人たちにもお日様の下で暮らしてほしいわ。こんな暗いところじゃなくってね」
ビアンカの言葉がそのままマーサの思いであることを、ビアンカ自身は意識もせずに口にしていた。そしてその自然の思いは、周りで聞く者にも自然と影響を与えている。
町の教会は、町の建物の中でも最も整った作りをしており、壁を造る石積みにも丁寧さが感じられた。町の中心的存在となる巨大水車に近く、水車に回る水の音が教会の中にも響いている。屋根のない造りは防具屋と同じだった。下り階段を数段下り、教会の内部に足を踏み入れても、頭上には魔界特有の暗雲立ち込める常闇の空が広がっている。教会の中は地上の町や村にある教会を模したもので、神聖な雰囲気を生み出すことにも成功しているが、頭上から見下ろしてくるような黒の空に現実を見て、教会の中に逃げることはできないのだと絶えず伝えられているような気分になる。
「旅の方ですな。……どうぞ祈りを捧げて下さい」
教会には長身の神父が一人、足元まで覆うローブを身に着け、分厚い本を手にしていた。茶色の髪を綺麗に整え、表情穏やかだが、隙の無い印象もある。神父という立場だからだろうか、彼は珍しく町を訪れる旅人に興味は在れど、興味津々に一行を見つめることは不作法だと心得、静かに片手に本を持ちながら本に目を落としていた。彼もまた、魔物から人間になった者の一人で、人間の世界の教会の神父というものはかくあるべきだとその形式を守ろうとしているのだろう。
今は他に誰もいないこの教会で、ビアンカたちは思い思いに祈りを捧げる。旅の無事を祈ることで、気が引き締まり、行動に意味と落ち着きが生まれる。祈りを捧げる対象をマスタードラゴンに絞れないのは、マスタードラゴンを知るビアンカたちには仕方のないことだった。
教会の中にも、巨大水車の運ぶ水の音が絶えず流れ込んでいる。ビアンカは全ての生き物の命の源である水に対して、そして水が生かしている全ての植物や動物に対して、これまでの感謝とこれからの旅の無事を祈った。そうして祈りを捧げることで、ビアンカの身体も精神も見えない守りに包まれ、一段強固なものとなる。
「とても清らかな祈りです。素晴らしい」
祈りの時から目覚めるようにビアンカが閉じていた目を開けると、神父は彼女の祈りの姿を褒め讃えた。ビアンカを見つめる神父の目には、純粋な人間に対する憧れの気持ちが現れていた。やはり人間と言うものは美しく素晴らしいものなのだと、神父はどこか満足したように微笑み、小さく頷いている。
「マーサ様の所縁の方、ですね?」
そう言う神父の目は自然と、ビアンカから隣にいるポピーへと移されていた。彼はポピーの顔つきに、マーサの面影を見たに違いなかった。
「非常に強い魔力を感じます」
終始穏やかな表情ではあるものの、神父の声にはどこか緊張したような強さも感じられた。町の教会の神父の役を負う彼にもまた、治癒系の強い魔力が備わっているのだろう。しかし恐らく、ポピーの持つ魔力と言うものは世界の中でも類まれなものであることは疑いようもない。魔力においては伝説の勇者である兄ティミーにも勝るほどのものを、彼女は持っている。それを、神父は確かに感じ取っているのだ。
「マーサ様譲りのものとも言える、と私は思ってます」
ビアンカもまた、娘ポピーの魔法使いとしての能力を大いに認めている。自身が幼い頃から夢にも描いていた、いつか大魔法使いになって世界を冒険するのだという夢を、ポピーを通じて実現させているような気になることもある。
「でもお母さん、私にはおばあ様のように水をあやつるようなことはできないわ。この町を守るように水の力を使うなんて、何をどうするのか、さっぱり分からないもの」
強い魔力を持つポピーだが、彼女がその力を使うことができるのは、敵である悪しき魔物を倒すような時だ。非常に攻撃的であり、時には敵を撹乱させたりすることもあるが、彼女が使う全ての呪文は悪しき者たちを倒すことに特化している。普段は決して攻撃的とは言えない性格の彼女だが、彼女自身が持つ攻撃の力はそれ自体が仲間たちを守る力となっている。
「神父殿はマーサ殿の力について、何かご存じなのでしょうか」
ビアンカとポピーの後ろに立つピエールが率直にそう問いかける。誰もがマーサの不思議で特殊な力を認めながらも、実際にその力がどのようなものなのかを知らずにいる。
「マーサ様ご自身も決して多くは語ろうとしません」
「あまり語りたくないのでしょうか」
「……そうなのかも知れませんね」
神父自身、一度マーサに彼女の持つ特殊な力について問いかけたことがあるという。ジャハンナの町の住人の中でも同じように、彼女のことを本人に聞いたことがあるらしい。しかしマーサはただ微笑むだけで、ジャハンナの町に住む元魔物の人間が元気に過ごせていればいいじゃないと、そう言うだけなのだった。
「ビアンカ嬢やポピー王女が使う呪文も、凡そ自然の力を利用しているものです。しかしマーサ殿の力は我々の持つ呪文の力とはあまりにも違い過ぎる。一体何に由来している力なのか、その力がリュカ殿にも継がれているものだとしたら……」
ピエールにしてはまとまりなく言葉が口から出ていた。途中で言葉が切れてしまったのは、考えもまとまらないままに話していたからだ。話している内に、何を目的に話しているのかも分からず、着地点も分からないままに、ピエールは切れた言葉を繋ぐこともできなかった。
ピエールの本心には、リュカという人物の根元にあるものを知ることができる可能性に対する期待があった。リュカが魔物を惹きつける力を持っていることは、母マーサに由来していることは既に理解した。しかし恐らくそれだけではリュカを理解することなどできない。ピエールはただ、長らく信頼している主を深く理解したかっただけだった。
「私は氷を出すことができるんだから、水も、おばあ様みたいに扱えるようになるかな」
そう言ってポピーは片手を前に出して、いとも容易く小さな氷を生み出した。ヒャドの呪文を使うまでもなく彼女はこうして小さな氷ほどであれば簡単に生み出すことができる。
「……がうがう」
「……そうだな。自然の力を利用することには変わりないが、どうも根本が違う気がする」
「自然の力って言ったら、私の火の呪文もそうだし、全ての呪文が自然の力を利用していることになるわよね。その使い方が違うってことかしら」
「呪文を使う……ってことじゃないってこと?」
考えれば考えるほどに頭が混乱するような事態に、一行は誰もが口を閉ざした。人間も魔物も使うことのできる呪文というのは、自然の力を利用し、形を変えるなどして、現実の世界へその現象を生み出している。しかし生きる者として最も身近に存在すると言っても過言ではない水を、人々はその手に操ることはできない。この世界に水を行使するような呪文は存在しない。呪文書を読み込んでいるポピーも、書物の中に水に関する呪文の記述を見たことがなかった。
「私から申し上げられることがあるとしたら」
困惑のまま沈黙している一行に、神父は柔らかに話しかける。ジャハンナの町の救い主でもあるマーサと言う人間に興味を持っているのは、この神父も同様だった。しかし救い主であるが故に、必要以上に彼女の素性に踏み込むことは非礼で許されないものだという思いが強い。
「マーサ様はただただ、何者にもお優しい。それに尽きます」
はっきりとしたことなど何も分からない。しかし神父の言葉にはマーサの全てが詰まっているような気がした。そしてそれは紛れもなく、ビアンカたちがリュカにも感じていることだ。そしてただただ優しいと評される母も息子も恐らく、本当は誰も傷つけたくはないと願っているに違いない。
「お父さん、待ってよ」
ティミーの声に、リュカは思わず早足になっていたことに気付いた。常に暗い景色に包まれているために、時間の感覚が鈍くなる。胸の内には常に焦りがある。早く母の元へと駆けつけなければならない。話したいこと、話さなければならないことがあまりにもあり過ぎる。空に照る太陽がないために、どれだけ急げばいいのかも分からず、とにかく急いでしまうという心情になってしまうのは、仕方のないことでもあった。
「ごめん。ちょっと歩くのが早かったね」
「ボクも結構大きくなったんだけどなぁ。でもそのうちお父さんと同じくらいになって、ちゃんと隣で歩けるようになるもんね」
「ティミーはなんとなく、ずっとこのまんまな気がするけどな」
アンクルがそう言うのは、ティミーがこうして成長した姿の時に初めて出会い、仲間になったからだ。変わらず無邪気なティミーの姿を見ているために、いつまで経っても彼は人間の子供の姿をしているのではないかと、魔物と同じような感覚になっているのだろう。
しかし人間の成長は早い。リュカが初めてティミーの姿を目にしたのは、彼が妹のポピーと共に生まれたその時だ。ほんの小さな命が二つ、少しでも力を入れて触れば壊れてしまうささやかな命が二つ生まれた時に、リュカはその命二つを腕に抱いた。かけがえのない脆い命を守らなければならないと思っていた二人はもう立派な少年少女となり、そのうちにティミーは青年となり父リュカと肩を並べることだろう。リュカ自身もまた、父パパスと肩を並べる時を幼心に楽しみにしていた。まだ父に連れられて旅をする理由も知らないその頃に、リュカは早く大きくなって父の手伝いをしたいとそれを夢に見ていた。
ジャハンナの町に暮らす人々の食糧を支える畑はささやかなもので、恐らく魔物から人間となった人々は生きるのに最低限の作物を育てるようにしているのだろう。そこにも、人間の欲深さを感じない。その状況を目にすると、かえって地上世界に住む人間の欲深さが際立つような気になるのは、この場には善や聖しかないからなのだろう。
畑には人間と魔物の姿が共存していた。リュカたちが旅人然として畑の傍まで歩き近づいて行くと、彼らは丁寧に頭を下げたり、手を振ったりしながら笑顔を見せていた。魔物の表情も柔らかく、その様子を見るとグランバニアにいる魔物の仲間たちを思い出す。
農作業に精を出している彼らから少し離れたところで一人、背を丸めた老人が杖をついて皆の様子を眺めていた。少し前からリュカたちのことを見ていたが、自ら近づいてくることはない。彼が間違いなく町の魔物の面倒を見る老人だろうと、リュカは迷いなく畑の脇を歩きながら老人へと近づいて行った。
「ありゃあマーリンじゃねぇのか?」
「見た目、そっくりだよね……」
アンクルやティミーの言う通り、老人の姿は緑色のローブに包まれ、頭は深くフードを被っており、表情は見えない。リュカたちが彼を老人と思ったのは、地面についている杖のせいだった。
もしかしたらフードの中にはマーリンのように骸骨よろしく骨と皮だけの顔が見えるのではと思っていたリュカだが、彼は紛れもなく人間の老人で、いくつもの皺が刻まれた顔に白い口髭と顎髭を蓄えていた。
「噂は聞いておったよ。何せ小さな町じゃからな」
知り合いばかりのこのジャハンナの町においては、珍しい旅人などが訪れれば瞬く間に噂に広まり、今ではリュカたちの存在を知らぬ者はいないほどになっているらしい。想像していたよりも低い声で話す老人に、リュカはそのまま話しかけようとする。急く気持ちで立ち話を始めようとするリュカに、老人は杖をついたまま、目線を近くに置かれる椅子に向ける。
「人間とは難儀なもんじゃの。少し立っておるだけで足が疲れるわい」
ついその姿にマーリンを想像してしまうリュカたちだが、目の前の老人は人間の老人だ。マーリンもよく疲れた疲れたと口にするが、それとは比較にならない疲労や痛みが、人間の老人にはあるに違いない。老人が椅子に座ると、先ずは挨拶だと、老人は自らの名をゆきのふと名乗った。
「マーサ様にいただいた名だが、何とも柔らかな響きでのう、気に入っておるんじゃ」
リュカたちの想像を裏切らず、彼はやはり元々はマーリンと同じ魔法使いという魔物だったらしい。魔物だった頃から、魔物と言う生き物に興味があり、マーサの手により人間となってからも様々な魔物の生態を研究しつつ、面倒を見ているという話だった。
「この畑でもいろんな魔物がいるけど、みんなおじいさんが面倒を見てあげてるんだ」
ティミーが感心するのは、畑で農作業に勤しんでいる魔物にはゴーレムほどではないが大型の魔物も数種入っているからだ。とても目の前の背を丸めた老人一人が面倒を見られるような魔物ではないと思ってしまうのも、自然なことだった。
「まあ、面倒とは言っても大方自分のことは自分でできるからのう。特別あれこれと面倒を見ているわけでもないから楽なもんじゃよ」
「あの魔物たちはゆきのふさんが町に入れてあげたんですか」
「まさか。わしにそんなことはできない。マーサ様にしかそんな奇怪なことはできやせん」
この町に新たに足を踏み入れる者は皆、一人一人マーサがその者を見て町に入れている。ごく稀に、町の中で暴れ出してしまう魔物もおり、その際にはゆきのふ自らその魔物を抑えることもあるという。
「マーサ様はお優しい方じゃから、たまに悪い魔物もそのまま町に入れてしまうんじゃ」
「でも、そんな悪い魔物だったら、おばあ様なら分かりそうだけどな」
「分かったとしても……信じたいんじゃないかな」
リュカが無意識にもそう言うと、ゆきのふはリュカの目をじっと見つめて、隠れた白髭の中で口角を上げていた。
「ところでお主ら、わしに何か用ではなかったのかの? そちらのアンクルホーンをこちらに寄越してくれるのか? それだけ大きな身体をしていたら、良い働きをしてくれそうじゃの」
「オレ? いや、違うだろ。オレはこれからもリュカたちと一緒に旅に出るつもりだぜ。新しい武器も盾も買ってもらったしな」
そう言ってアンクルは常に手にしているデーモンスピアを握り込み、小手のように腕に付けている力の盾を老人に自慢するように見せる。町の中とは言え、ここが魔界であるためにリュカたちは念の為にと武器だけは持ち歩いている。
「ゆきのふさんにはキラーマシンを預かってほしいんです」
「キラーマシンとは……キラーマシンか?」
「そうです。旅の途中で出会って、ロビンと言う名前なんですけど、預かってもらえますか?」
リュカの問いかけに、ゆきのふはしばし絶句し、虚空を見つめていた。リュカは自分に焦点の合わなくなった老人の目に、思わず不安げに眉をひそめたが、要らぬ心配だった。ゆきのふは虚空を見つめる目に火を灯したように、熱のある視線をリュカに向けた。
「そりゃあ面白そうじゃの! お前さんたちが町を歩いている時に一緒にいた、あのキラーマシンじゃな? おお、おお、すぐにでも連れて来るが良い。機械兵を見るなんぞ、一生に一度あるかないかじゃ。そもそも、わしの寿命はそろそろ尽きそうじゃしな。早く寄越さんと、手遅れになる」
「手遅れ……」
「く~~~、こんなことなら人間にならん方が良かったかのう。……いやいや、儚き寿命の人間じゃから、魔物にはできない仕事ができるんじゃ。のう、お主もそう思わんか? それが人間の良いところなんじゃよ」
寿命が尽きそうだという割に元気に見える老人ゆきのふだが、彼の言う通り、人間の命は魔物に比べれば非常に短い。そして彼の言う通り、短い命だからこそ人間はその一生を懸命に生き、力を出し切ろうとするし、生きることにしがみつこうとする。限りある命だと分かっているから、その中で何ができるのかを、生きている間に考え行動しなければならないと焦る。そうして追い詰められているからこそ、人間は時折底なしの力を発揮することもあることをゆきのふは言外に語っているのだと、リュカには感じられた。
「今は武器屋のサイモンさんに見てもらっているんです。左腕が壊れていて、それを直してもらっています」
「ほほう、そうかそうか。そんならサイモンに直接話に行こう。わしに任せておけい」
あっさり受け入れる姿勢に、リュカはやはり目の前の老人にマーリンの姿を重ね見る。普段は疲れただの辛いだの言う割に、興味のあることには前のめりに取り組む姿勢はどこか似通っている。地上にいるマーリンも今はグランバニアで、しっかりとグランバニアの国ために方々動き回っていることだろう。今や彼無しに、グランバニアと言う国を成り立たせることは不可能ではないかとすら思えるのだから、この町ジャハンナで魔物たちを見るゆきのふにも同じ傾向があるのは当然のことのようにも思えた。
「僕たちは明日にでもまた旅に出ます」
唐突にそう言うリュカに、ティミーもアンクルも驚きの顔つきでリュカを見る。早くに旅立つことにはなるだろうと思っていたが、まさか明日この町を発つことになるとは思ってもいなかった。
「ここは昼も夜もないから、いつこの町を出ても明日って言えるのかも知れないけどね」
気を抜くような雰囲気でそう言葉を付け足すリュカだが、リュカの意思が既に固く決定されていることをティミーもアンクルも気付かないはずはなかった。そしてその言葉に、このジャハンナの町にのんびりとしている場合ではないのだと、魔界の町に心身共に十分に休まったことを改めて実感した。
「そうだな。無駄に長くこの町にいたって、身体がなまるだけだぜ」
「ボクもポピーも、お父さんとお母さんに会えたんだ」
アンクルがリュカの雰囲気に合わせるように軽い調子で返すのに対し、ティミーは真剣な眼差しでリュカを見上げる。リュカが息子の目を見つめ返すと、その水色の瞳は大きな夢を絶対に実現するのだという意思を見せて煌めく。
「お父さんだって絶対に、おばあ様に会えるよ。そのためにボクも、頑張るからね!」
ティミーは決して父リュカを励まそうとしてそのような言葉を口にするのではない。彼はただ未来を信じているのだ。彼の前を信じる力と言うものは恐らく、何物にも勝るのだとリュカは常に感じている。どのような出来事が生まれようとも、前に壁が立ち塞がろうとも、先ずは信じなくては前に進むことができない。リュカはそんなティミーの頭を撫でると、いつものように柔らかく微笑み、息子の強い意思の力を得て己の意思をも強くすることに繋げた。
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bibi様
まさかロビンをおいていくとは思ってなかったので、驚きました。
はっ、そういえば自分のドラクエ5もそろそろクリアせねば・・・
そうそう最後にbibi様、エスターク編は書くつもりなのでしょうか?
これからも、楽しく読ませていただきます。
ホイミン 様
コメントをどうもありがとうございます。
ロビン、連れて行くと思いましたよね? 私も初めは連れて行こうと思っていたんですが、ジャハンナの町でお留守番してもらうことにしました。実際のゲームも一緒に行けるのは8人までなので、一応それを守ろうかと思います。一緒に行ければかなりの戦力になるんですけどねぇ。
エスターク編は……続きとして書けないこともなさそうですが、まだ詳しくは考えていません。とりあえずはゲーム上のエンディングまでをお話の中で書ければと思っています。今年中にはどうにか……(毎年そんなことを言っている気がしますが……)
bibi様。
やっぱり8人パーティを守りましたかあ、シーザーたちをおいて行ったからロビンももしかしてって思ってた反面、モンスター爺さんの不思議な力でグランバニアの仲間モンスターを呼び寄せちゃう…なんてことも思っており、ロビンを含めた全員の仲間モンスターがジャハンナ集合→パーティ編成…そんなことをかってに想像してました(笑み)
モンスター爺さんをbibiワールドでは、ジャハンナのモンスターたちの管理人みたいな感じになったんですね。
FFにはあるけどドラクエにはない水魔法、昔はないけど今のドラクエには水魔法という概念ってあるんでしょうかねえ…。
ポピーは天才だからマヒャドを応用して水魔法のようなことできそうです(笑み)
次回はジャハンナ出発になりますか!
またしても戦火を交えてになりますね、まだまだ戦っていない魔界モンスターたちたくさんいます
ギガンテス、マドハンド、はぐれメタル、ホークブリザードなどなど…bibi様、エビルマウンテンに到着するまで何回戦闘になることやら不安と楽しみでいっぱいであります、もしかしたらHP・MPぎりぎりになりルーラでジャハンナに出戻りもあるかも?
次話お待ちしております(礼)
ケアル 様
コメントをどうもありがとうございます。
あくまでもゲームの形を崩さず、8人パーティーを守りました。……言う割には途中でシーザー家族を連れて行ったりしてましたけどね(汗) その辺りはお話の中のご愛嬌と言うことで。
水魔法があったら、いつでも旅に必要な水を生み出すことが出来ていいんですけどね。ビアンカの装備している水の羽衣でいくらか水分補給などしていますが、あれをぐびぐび飲んじゃったら、水の羽衣自体がなくなっちゃいますからそれほどは摂取できない……(笑) マヒャドを応用してっていうのもアリですねぇ。
次はジャハンナを出ます。また旅に出ようと思います。また過酷な戦いが始まると思います。勇ましい音楽でも聞きながら書いて行こうかなと思います。どこまで書けるか……もう、そういうのは書き切った感もありますが、どうにか頑張ります(汗汗)