2017/11/28

自由時間

 

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僕たちが小さかった頃、この町はまだ小さな小さな町だったんだって。

北の岬に大きな橋が架けられてから、急速に発展した街、オラクルベリー。この町には人々の活気が絶えることなく、旅人たちの休息の場所としても利用されているため、多くの情報で溢れかえっていた。
南の海辺の修道院を出て二日、夕闇の迫る頃、僕たちはこの町を遠くに見つけた。だけど初めはここが町だとは思わなかった。辺りは暗くなり、夜空には星が出ているというのに、遠くに見える光は星の明かりなんかが見えなくなるくらい眩しくて、僕とヘンリーは当然ながらその明かりを警戒した。もしかしたら何かの罠かも知れない、魔物の仕業かも知れないと、ゆっくり静かに進みながらもその巨大な町に近づいて行った。
町のすぐ前にまで来て、僕たちはしばらく呆然と立っていた。町を守る門番こそいるものの、この巨大都市オラクルベリーは誰でも彼でも受け入れる、開けた都市だった。僕とヘンリーが町の前で突っ立っていると、門番である兵士がおおよそ兵士らしからぬ砕けた表情で「オラクルベリーの町へようこそ!」なんて言って、快く町に入れてくれた。まるで警戒心のない門番の態度に、ヘンリーは「大丈夫かよ、この町……」と心配するほどだった。
街に入って周りを見渡せば、僕たちの外にも旅をする者の姿があちこちに見られた。旅慣れた戦士や諸国を気ままに渡り歩く吟遊詩人、この都市で店を構えるために頑張る商人がいたり、この町の居心地の良さに旅を止めて住み着いた者も多くいるようだった。
僕たちはずっと長い間、外の世界とは隔てられた世界で生きてきた。ようやく自由になれたものの、十数年ぶりに出る外の世界を、まだ南の海辺の修道院しか知らない状況だ。あの静かで穏やかな修道院から旅に出て、突然これほど賑やかで華々しい都市に来たのだから、僕たちはしばらく行き交う人々の姿を目で追うことしかできなかった。でも、時間を無駄にしてはいられないと、いち早く我に返ったヘンリーは、早速町の人々に話を聞き始めた。
旅人や町の人から聞く話は様々だった。町に着く頃、すでに夜を迎えようとしていた時間だったが、どうやらこの町はまだまだ眠らないらしいとずっと話を聞いていたら、気がつけば夜中になっていた。ふと時間が経ったことに気づくと、僕もヘンリーも一気に疲れが出て来て、宿も取っていないことに気づき、慌てて町の人に宿屋の場所を聞いて、そこに向かった。大きな都市だけあって宿屋も数店舗あり、泊まるところにありつけない事態は免れた。見るからにお金持ちが泊まるような立派な宿屋もあって、ヘンリーは当然のようにそちらの宿に向かおうとしたけど、僕たちの身なりを見た宿の人に笑顔で追い返されてしまった。ヘンリーは文句を言っていたけど、僕は修道院の人たちから貰ったお金を確かめて、宿の人の言うことが合っていたんだと一人納得していた。
所持金で泊まれる宿で手続きをし、部屋に入ると、僕は早速ベッドの上に寝転んだ。ベッドと言うものが本当にありがたい。修道院でもそう感じたけど、寝転がっても体が痛くならないって言うのは、体だけじゃなくて心も休まるものなんだってつくづく感じる。
僕がベッドの上に寝転ぶ隣で、ヘンリーはベッドの上に胡坐をかいて、お金の勘定をしていた。先ほど、大きくて立派な宿屋に追い返されたのが悔しかったのか、何やら文句を言いながらお金を数えている。お金と言うものにあまり馴染みがない僕は、ヘンリーに全てのお金を預けて任せっきりにしている。ただ、よく考えてみれば、ヘンリーだってお金にはあまり馴染みがないのかも知れない。だって、彼は小さい頃、お城で王子様をやっていたんだから。
「おい、寝てないで行くぞ」
ヘンリーが声をかけてくるのを、僕はぼんやり聞いていた。寝言かと思った。
「行くって、今から? どこに?」
「決まってるだろ。金を増やしに行くんだよ」
「どこかで働くの? そうだね、これだけ大きな町だから何かいい仕事があるかも……」
「何言ってんだよ。お前、町の人の話を聞いてたのか?」
「聞いてたよ。何か色々聞いたけど、とりあえず北の橋を渡って、さびれた村に行ってみようって決めたよね」
「ああ、それはそれとしてだ。ところでリュカ、俺たちは自由になったんだよな?」
「うん、そうだね。信じられないけど、そうだね」
「この町には自由の象徴みたいな建物があっただろ」
「……よく分からない」
「あんなデッカイ建物が目に入らなかったのか?」
「デッカイ建物? なんだろう……」
「……話にならん。とにかく俺について来い。俺たちもあの宿に泊まれるくらい、大金持ちになってやるんだ」
ヘンリーがよほど悔しがっているのはよく分かった。きっと今のヘンリーの目的は、あの立派な宿屋の店員を見返すことなんだろう。僕には悪い店員には見えなかったけど、ヘンリーはバカにされたと感じたのかも知れない。こうなると、いてもたってもいられなくなるのが、親分の気質だ。
「僕たちでも大金持ちになれるの?」
「なれるさ。俺たちは今、とんでもなくツイてる。ツイてる奴に、運はどんどん舞い込んでくるんだ」
ヘンリーのどこか怪しげな言葉に、僕は不安だけを抱いて彼の後をついて外に出ることにした。

オラクルベリーの町は真夜中でも眠らず、町の中心部は今もキラキラと眩しい明かりがついている。色とりどりに煌く明かりには魔法の力が使われているようで、七色の光に次々と色を変える明かりを見ていると、それだけで心が弾んでくる。そんな弾んだ心になった者たちが、一様にこの大きな建物の中に吸い込まれていくのを、リュカは他人事のように見ていた。
「これって、建物だったんだね。分かってなかった。塀に囲まれてるから、やけにキラキラした牢獄があるんだなぁって」
「んなわけあるか。さあ、俺たちも行くぞ」
「この中に?」
「ここで金が増える……はずだ。と言うか、増やして見せるぜ。見てろよ、あの野郎」
あの野郎、と言うのはもちろん、立派な宿屋の店員のことだ。僕はそのことには触れず、ただヘンリーの後について建物に入っていった。
入口を入っただけで、中の熱気が僕らを包んだ。外も煌びやかな明かりがつき、十分賑やかな印象を放っているが、建物の中の熱気はその数倍にも及ぶほどだった。この建物はカジノと呼ばれる場所で、オラクルベリーの町の中心に立つこの建物に夢を追い求めて入ってくる者たちは後を絶たない。むせ返るような濃い空気に頭の中にまで響いてくるような喧噪、僕らは初めて足を踏み入れる世界に、しばらく入り口近くに突っ立ってカジノの中を眺めるだけだった。
「すげえ人だな」
「今ってもう、真夜中だよね」
それだけ言葉を交わすと、僕たちは再び黙ってしまった。カジノの賑わいにまだしばらくは慣れなさそうだ。
「いらっしゃいませ、カッコイイお兄さんたち。ここは初めてかしら?」
急に近くで聞こえた声に驚いた僕が振り返ると、僕のすぐ横で女の人がこちらを見上げていた。下着みたいな服に、頭にはウサギの耳がついていて、僕は初め、人間の姿をした魔物かと思って思わず身構えた。
「あんた、この店の人か?」
「そうよ。まだお金をコインに換えてないのね。ついていらっしゃい、色々と教えてあげる」
「あ、ああ……色々と、な……」
ヘンリーが戸惑いつつも鼻息を荒くして女の人について行く後ろを、僕もついて行くことにした。ウサギの人はこのカジノについて色々と教えてくれるらしい。
ウサギの人に所持金を見せ、旅に必要であろうお金には手をつけるなと忠告を受けつつ、僕たちはいくらかのお金をコインに換金した。ヘンリーは『全部コインにしちまえばいいのに』とぶつぶつ言っていたけど、ウサギの人が言っていたことが当たっているのは何も知らない僕でも何となく分かることだった。
ウサギの人にひと通りカジノの施設について教えてもらうと、僕は真っ先に魔物の闘技場に興味を持った。町の中に堂々と魔物が入り込んで、しかも人間たちを楽しませているらしい。一体どういうことなんだろうと、大きな四角いスロットと言う機械が並ぶ場所へ行こうとしているヘンリーを引っ張って、僕たちは闘技場に向かった。
「何だよ、お前、結構やる気じゃねぇか」
「別にやる気なわけじゃないけど、だって町の中に魔物がいるんだよ。見てみたいだろ」
「魔物たちが闘うのを見て何が楽しいんだよ。うっかり呪文でも飛んで来たら危ねぇじゃねぇか」
「でも闘技場にいる人たち、ものすごい盛り上がってるよ」
僕がそう言って指をさすと、ヘンリーも人々の盛り上がりように興味を持ち、一緒に行ってくれた。
大きな円形の闘技場は、真ん中の広場で魔物たちが闘い、それを囲んで闘技場を見下ろすように造られた客席で、人々は熱狂している状況だった。入口の出入りは自由で、ただ客席から魔物の闘いを見ることもできるため、僕たちはとりあえず闘技場の中に入って様子を見ることにした。
「どうやって魔物を町中に連れて来たんだろうな」
「でもよく見ると、みんな可愛いね」
「いや、魔物を可愛いとは思わねぇけど……」
「毒気を抜かれてる感じがする。見ていてあまり怖いと思わないよ」
「そうかぁ? あの鳥の魔物なんか、闘いたくて息巻いて、地面で足を蹴ってるぜ。あれを怖いって言うんじゃねぇのかよ」
「そうかなぁ、顔つきはいかにも楽しんでる感じだよ」
「お前だけじゃねぇのか、そんな変わった見方をしてるのは」
僕たちの声がかき消されるくらいの歓声が上がる。闘技場の闘いに一喜一憂する人々の声がまるで波のように押し寄せ、ひと際大きな波が来た時に、闘いは決着していた。闘技場の真ん中で小さなドラゴンが人々の歓声を受けて飛び回っている。口からはポッポッと火を噴き、勝利の喜びを表現しているようだった。
「小さくてもドラゴンだもんな。そりゃあ強いだろうよ」
「僕たちもやってみようよ。面白そう」
「おっ? すっかりやる気じゃねぇか。さあ、行こうぜ行こうぜ」
一度、闘技場の外に出て、チケット売り場に並びながら次の闘いの魔物の名前を見る。列をなす人々が次の対戦カードを見ながら熱く語り合ったりする中、僕はスライムを、ヘンリーは大木槌を選んだ。賭けるコインの数は決まっておらず、僕たちで決めることができたので、ヘンリーが全額賭けようとするのを止めて、僕たちは最低限のコインを賭けることにした。
客席に入ると、既に闘技場には魔物たちが姿を現していた。観客席からの声援を受け、魔物たちが手を振ったり、地面の砂を足でかいたりする姿は、とても新鮮だった。闘技場の中では人間と魔物が一体感を持って楽しんでいるようだった。
「スライムが勝つわけねぇだろ」
僕が持つチケットを見て、ヘンリーがバカにしたように鼻で笑う。僕はムッとして言い返した。
「分からないよ。大木槌だって攻撃を外す時があるからね」
「でも一発が重そうだぜ、あいつ」
「スライムは体が小さいから、大木槌の攻撃なんてかわしちゃうよ」
「いいや、スライムなんかあの木槌でぺしゃんこにやられるに決まってる」
「僕は小さい頃、木槌に振り回されて目を回した大木槌を見たことがあるよ」
「何だそれ、そんな間抜けなヤツがいたのか」
「うん、あれは面白かった。魔物でもそんなことをするのがいるんだって」
「俺も見てみたかったな、そいつ」
そんな会話をして笑っていると、その間にさっさと対戦は終わってしまっていた。結局勝ったのは、闘技場でぐるぐると勝利の舞いのように飛んでいるドラキーだった。僕たちが口を開けて飛び回るドラキーを見つめる横で、賭けに勝ったらしいおじさんが「残念だったな、君たち」と笑って話しかけてくる。ヘンリーは悔しそうに「次の対戦はどんな魔物だ? 次こそ絶対……」と頭から湯気が出そうになったので、僕は彼が落ち着くように努めた。
闘技場を出る頃にはヘンリーも少し落ち着き、しかしカジノを楽しむ気持ちはしっかりと持ち、広いカジノ内を生き生きした目で眺めていた。
「よし、次はあいつだ。行ってみようぜ」
ヘンリーが向かうのは、ずっとカジノ内で騒がしい音を立てている赤い機械。他の人が動かしているのを近くで見てみると、ぐるぐる回る絵柄を見ながら、絵柄を揃えようとしているらしいことが分かる。絵柄が一つに揃うと喜び、機械からジャラジャラとコインが出てくるようだった。
僕たちも空いている台を探して、早速コインを入れ、下りていたレバーを上げる。ガシャンと大きな音がして、絵柄がぐるぐると回り始める。僕もヘンリーもじっと目を凝らせば絵柄が見えるのだと信じていたけど、とても見えるものじゃない。いつまでも見ていてもただ目が回るだけなので、適当なところでレバーを下げてみると、見事に絵柄はバラバラ。絵柄を揃える人はどうやって揃えているんだろうと、僕はスロットが上手な人を不思議に思った。
「ヘンリー、これはできる気がしないよ」
「一度で諦めるなんて男じゃないぜ。やってるうちに見えてくるはずだ」
「目が回るだけのような気がするんだけど」
「うるさい、つべこべ言わずにやるぞ」
どうやらヘンリーはこのスロットが楽しいらしく、目を凝らして回る絵柄を見つめている。僕も隣で見ていたけど、何度見ても絵柄一つ一つが見えるわけじゃない。そして絵柄が揃う確率も大したことはない。結局、スロットから移動する時には、僕たちのコインは半分くらいに減っていた。
カジノの施設内をふと眺めてみると、人の数が大分減っているような気がした。僕たちがカジノに来た頃には既に真夜中を過ぎた頃だった。それからまた大分時間が経っているのは間違いない。もしかしたらそろそろ朝日が昇っちゃうんじゃないだろうか。突然気づいた時の経過に、僕は堪えようもなく欠伸をした。
「ねぇ、ヘンリー、もう宿に戻ろうよ」
「何言ってんだ。まだコインが増えてねぇだろ」
「このままやってたら、きっとコインがなくなるよ」
「弱気なヤツ。運ってのはそのうち巡ってくるんだ。まだ諦めるんじゃねぇ」
「それって今日なのかな。もしかしたら十年後かも知れないよ」
僕がシャレにもならない冗談を言うと、ヘンリーの顔から笑みが消えた。彼には一番効いた一言だったらしく、途端にいつもの冷静さを取り戻してくれた。言ってみて良かった。僕も何だか疲れる言葉だったけど。
「……そうだな。今日はこの辺で止めておくか」
「それがいいよ。さあ、宿に戻ろう。何だか外を旅してきたよりも疲れた気がするよ」
僕がカジノの出口に向かって歩き出すと、ヘンリーは何やら後ろをチラチラと気にするように見ながら歩いてくる。彼の視線の先を見てみると、舞台で女の人たちが踊りを踊っている姿が見えた。僕たちが海辺の修道院で見てきたシスターたちとは対照的な、肌を露出するような服を着て、独特の踊りを披露している。踊りを踊る女の人たちを囲む観客はほとんどが男の人たちだ。遠くからその状況を見ているだけでも、僕は落ち着かない気持ちになった。
「ヘンリー、あの舞台が見たいの?」
「……お前は?」
「僕は別にどっちでもいいよ。ただ、見てても疲れそうだね。何が楽しいのかは分からないよ」
「お前らしいな」
「音も賑やかだし、目がチカチカするし……。修道院の人たちとはまるで反対だよね、だってあの女の人たち、裸で踊ってるようなものだし」
僕がそう話すと、ヘンリーは何か悪さがばれた時みたいな顔をして、僕から目を逸らした。気まずい表情のまま、彼は舞台を指差す。
「べ、別に、俺はあんな色っぽい舞台に興味があったわけじゃないんだ。あんな舞台を見たら、マリ……いや、修道院の人たちにどんな風に思われるか分からないもんな」
「え? ……うん、そうだね、どんな風に思われるんだろうね」
「俺はさ、あっちでお前と酒でも酌み交わそうかなって、そう思ってただけなんだ」
そう言いながら、ヘンリーは舞台の向こう側に見える小さなお店を指差した。カジノの中にある飲食店らしく、主に酒を出していることは、店の周りをふらつく客の様子ですぐに分かった。
「僕はお酒よりも何か食べたいなぁ」
「何を子供みたいなこと言ってんだよ。せっかくこういうところにいるんだから、酒の一杯でも飲んでみようぜ。俺たちだって、大人になったんだ」
ヘンリーに連れられながら、僕はこっそり考えていた。そう言えば、父さんが酒を飲んでいたことはあったのだろうか。記憶にないけど、もしかしたら僕が寝た後に、サンチョと一緒にお酒を飲んでいたこともあったのかも知れない。そう考えると、酒を飲むのも悪くないと思えた。僕もそう言うことができる年になったんだ。
カジノ内の酒場には、カジノで勝った人、負けた人、ただ見物に来ている人、情報集めに来た旅人など、ただ酒を飲みに来ている人、様々な人たちがいた。その中で僕たちは、『カジノに負けた旅人』になるのかと考えると、ちょっと居心地が悪い気がした。
お腹も空いていたので軽く食事も注文し、ヘンリーが店員の人にお勧めの酒を聞き、言われたものをそのまま二つ注文した。その後二人でこっそり、手持ちの金を確認した。お酒というのは意外に高いんだと、初めて知った。
カウンター席に座った僕たちの前に、お酒はすぐに出された。小さなグラスに入った濃い茶色のお酒。光りに透かして見ると、茶色の液体は中で渦を巻いてゆらゆらと揺れている。匂いを嗅ぐと、鼻から頭の上まで抜けるようなつんとしたニオイがした。まだ飲んでもいないのに、酔った気分になる。お酒に酔うというのはこういうことなのかなと、飲まないでも何となく分かる。
「ほれ、乾杯」
「あ、うん、乾杯。……何に乾杯?」
「決まってるだろ、俺たちの旅が順調だってことだよ」
「ああ、なるほどね。死なずにここまで来られたもんね。じゃあ、乾杯」
グラスを合わせて、僕はグラスに口をつけた。お酒は冷たいはずなのに、喉を通った瞬間、喉から火が出てくるんじゃないかと思うほどの熱を感じた。その熱に思わずむせて、涙目になる。
「あんまりおいしいものじゃないね」
「はっはっは、お子様だからな、お前は」
「……そんなこと言って、まだ一口も飲んでないじゃないか。ヘンリーはここぞって時に尻込みしたりするよね」
僕が少し挑発してみると、ヘンリーはあからさまにムッとした顔をして、何も言わないままグラスの中の酒を一気に飲んでしまった。絶対に無理をしてる。むせそうになる喉の熱を、無理やり押し込め、顔を真っ赤にしてしばらくじっとしていた。
「男ならこれくらいはやらないとな」
「大丈夫なの?」
「平気だろ、だってこれっぽっちしかなかったんだぜ」
そう言いながら小さなグラスを持ち上げて見せるヘンリーは、既に酒に酔っている雰囲気だった。酔うという感覚が初めてだから良く分からないけど、とりあえず彼の顔は暗い店内でも分かるほど色が変わってるように見える。それなのにヘンリーは構わずカウンター越しに同じ酒を注文した。食事と違い、酒はすぐに作られ、目の前に置かれる。
「ヘンリー、お酒はそれで止めておきなよ。他にもお酒じゃない飲み物もあるみたいだよ」
僕がカウンターの奥にあるメニューに酒以外の飲み物が書かれていることを教えると、それすらもバカにされたと感じたのか、ヘンリーはまたムッとしてグラスの酒を一気に飲んでしまった。カウンター越しに、店員の人が心配そうに見ていることに、彼は気づいていない。
「いいじゃねぇか、俺たちは自由になったんだぜ」
「そうだけど、もう少しゆっくり飲んだっていいと思うよ。まだ食事も来てないし」
僕がそう言った直後、頼んだ食事が運ばれてきた。食事と言っても、いわゆるお酒のつまみという類のものだ。僕が揚げた芋を食べ始めると、ヘンリーもテーブルに肘をつきながらけだるそうに芋をつまんだ。
「お前だって、本当はこういうの、やりたかっただろ」
「お酒を一気に飲むこと? うーん、やりたいと思ったことはないよ」
「そうじゃなくて、その……こういう風に酒を飲むことだよ」
「だから一気にお酒を飲むことでしょ? やりたいと思ったこともないし、今のヘンリーを見て、やりたいとも思わないよ」
「……分かんねぇヤツだなぁ。そうじゃなくて……」
頭を掻きむしるヘンリーの姿はたまに見るけど、今はその動きも何だか鈍い。身体に力が入っていない感じだ。
「俺はさ、ガキの頃から憧れてたんだよ」
「お酒を飲むことに? うん、まあ、それは僕にも少しあったかな」
今は隣でヘンリーと酒を飲み、彼はカウンターテーブルにほぼ寝そべりながら話している。僕ももう一度、少しだけお酒を飲んでみる。身体が熱くなるのと同時に、何だか色々な思いが頭の中を巡る。僕の中にある色々な記憶が、ごちゃ混ぜになってぽんぽん浮かんでくる。
「お前だってそうだっただろ」
「そうだね。僕もこうしてお酒を飲んでみたかったのかも」
「だろ? じゃあもう一度乾杯と行こうぜ」
「うん。じゃあ、はい、乾杯」
何だかよく分からないままもう一度グラスを合わせ、ヘンリーはまた一気に飲んでしまい、僕も何となくそれを真似して見たくなって一気にグラスの中を飲み干してみた。まるで体の中に炎が通り抜けるようだった。でもその後、心地よいような気持ち悪いような、良く分からない浮遊感が身体を包む。この感覚のせいで、ヘンリーが酒を止められないのかも知れないと、僕は気づいてしまった。
その後も、僕たちは何度かグラスを合わせ、絶え間ない乾杯をし続けた。僕たちにもようやく自由時間が訪れたのだ。自由時間をこうして過ごすのも悪くないと、僕は酒に回る頭の中でそう思うようになっていた。
ほぼ寝かけているヘンリーが、テーブルの上に置かれているグラスの中の酒を見ながら、小さな声で何か言っている。だけど僕は、今まで経験したこともない耳鳴りのような、頭全体を包む音に邪魔され、彼が何を言っているのか聞き取れなかった。
「今、何か言った?」
「……聞こえなかったんなら、いい」
「気になる」
「うるさい」
「言ってよ」
「聞いとけよ、バカ」
「今なら聞けるよ」
「二度と言うもんか」
そう言うと、ヘンリーはそのままカウンターに突っ伏して寝てしまった。僕が揺すって起こそうとしても、酒の影響なのか、まるで魔法にかかったように起きない。僕は仕方なく一人で酒を飲み続けることにした。

「リュカも大人になったんだな」
そうだよ、僕もこんなに大きくなったんだよ。
「大人になって飲む酒は美味いか?」
どうだろう。よく分からないよ。でも大人の人がお酒を飲みたくなる気持ちは少し分かった気がする。
「そうか。私もあまり酒の味は分からないが、たまにな、サンチョと一緒に少しだけ飲むことがあったんだ」
僕、それ、知ってたよ。夜、二人で何か飲みながら話してるの、見たことあるもん。
「私もあまり、酒は得意じゃないんだがな」
そうなんだ。苦手なものもあったんだね。
「お前も……一緒に酒を飲める友達がいてくれて良かったな」
うん、本当に、良かったよ。でもヘンリーはまだ僕のことを子分だと思ってるのかも知れないよ。
「何を言ってるんだ、さっきはっきりと『ずっと親友と酒を飲みたかったんだ』なんて言っていたじゃないか」

『俺はずっと……親友と酒を飲んでみたかったんだ』

聞こえていなかったはずのヘンリーの言葉を、僕は夢の中に聞いた。
それを教えてくれたのは、夢に出てきた父さんだった。

ヘンリーが寝てしまった後、僕もカウンターに突っ伏して寝てしまったらしい。頭を上げる時に、こめかみの辺りに酷い痛みを感じた。目の前がぐるぐると回り、僕はまたカウンターの上に突っ伏してしまった。
「お客さん、旅で疲れてるのに酒を飲んじまったから、一気に酔いが回ったみたいだね」
カウンター越しに店員の人の声が聞こえた。笑うような声には、少し呆れるような雰囲気が混じっている。でも僕たちみたいな客も珍しくないらしく、店員の男の人は嫌な顔もせず、ただ僕たちが起きるのを待っていてくれたらしい。
僕は何とか頭を起こして、隣でまだ眠りこけているヘンリーを見た。腕の隙間から見えるヘンリーの目から涙が流れたのか、顔に涙の痕が残っているように見えた。身体を揺すってもなかなか起きない。僕はヘンリーの耳元で彼が認めてくれた言葉を言ってみた。
「親友」
大した声じゃなかったのに、ヘンリーは突然飛び起きた。あまりの勢いに、ヘンリーは椅子から落ちて、打ち付けた尻をさすっていた。
「いってぇ……」
「大丈夫? ホイミしようか?」
「いらない。と言うか、お前のせいでこうなったんじゃないのかよ」
「僕は『親友』って言ってみただけだよ」
「…………」
ヘンリーは黙り込むと、そのまま何事もなかったかのように再び席に着いた。彼も僕と同じように頭が痛いらしく、両手で頭を抱え込んでいる。
「ところで君たち、ずいぶん酒を飲んでたけど、大丈夫かい?」
酒場の店員がカウンターに差し出したのは、僕たちが飲み食いしたものが書かれている紙だった。僕とヘンリーは一緒に紙を覗き込み、僕はただ呆然と、ヘンリーは何度も目を擦っていた。
「……ええっと、これはどうすればいいのかな」
「お前……俺が寝てからどんだけ飲んだんだよ」
「え?」
見れば、ヘンリーがとてつもなく不穏な顔つきで僕を睨んでいる。頭が痛くてそんな顔をしているのかなと思ったけど、それだけじゃないようだ。
「そうじゃないとあり得ねぇだろ、こんな金額! お前一人で働いて返せよな。旅の続きはその後だ。仕方ねぇから待っててやる」
「ちょっと待ってよ! ほら、ここからここまではヘンリーが飲んだ分だよ。ちゃんと見てよ」
僕がそう言って紙を彼の顔の前に持っていくと、ヘンリーは紙をひったくって、充血した目でじっくりと眺めた。そしてあろうことか、飲み食いの内容が書かれているところを破ってくしゃくしゃに丸め、口の中に放り込んだ。僕が唖然としている前で、彼は迷いなくそれを飲みこんだ。残されたのは、合計金額と言うところだけ残された紙だった。
「と言うことで頑張れよ。なあ、店員さん、こいつをここでしばらく働かせてやってくれよ。それで金を払うってことでいいだろ?」
「勝手に話を進めないでよ。僕が働いて返さなきゃいけないんだったら、君もだよ。と言うか、ヘンリーが働いて返せよ!」
「何で俺が働かなくちゃなんねぇんだよ! 親分命令だ。お前がここで働いてどうにかしろ」
「親分だったら、子分のために一肌脱いだらどうなんだよ!」
「あー、聞こえないな、何か言ったか?」
「ずいぶん耳が遠くなったんだね。……そっか! 町の子供に『おじさん』なんて呼ばれてたもんね。耳まで年を取っちゃったんだ」
「なんだと!? あれはお前に向かって言ったんだぞ! どう見たってお前の方が年寄りくさい」
「そんなことないよ。ヘンリーの方が一つ年が上じゃないか」
「んなこと子供に分かるかよ」
「じゃあ、ヘンリーの方がヒゲが濃い」
「俺とお前の差なんて微々たるもんだろ。それよりも、お前の方が背がデカイ。子供ってのはそういう分かりやすいところを見るんだ。分かってないな、リュカ」
「…………うーん、二日間、だな」
僕たちがくだらない言い争いをしている前で、酒場の店員が腕組をし、首を傾げながらぽつりとそう呟いた。小さな声だったけど、僕もヘンリーもその声によく分からない威圧感を感じて、言い争いを止めてカウンターの向こうの店員を見る。
「よろしく。しっかり稼いでくれよ」
にっこりと、しかしどこか凄みを見せて笑う店員に、僕たちもぎこちなく笑いかけるしかなかった。やはり僕たちのような旅人は少なくないらしく、このような状況に慣れた店員に手早く店の奥に案内され、僕たちは早速着替えて働くことになった。

「うう、まだ気持ち悪い……」
「何で俺が働かなくちゃならねぇんだよ……」
オラクルベリーまで旅をしてきて、寝もせずにカジノで遊び、酒を飲んで頭痛や吐き気に悩まされながら働くのは、なかなか体に堪えた。だけど文句も言ってられない。僕たちは主に皿洗いを任され、お客さんが使った食器をひたすら洗い続けた。その合間に少し立ちながら寝て、こっそり休んだりしていた。
「でもこれからもこうして働いてお金を稼ぐこともあるかもね。いつまで旅が続くか分からないし」
「前向きだなぁ、お前」
「僕たち、もう親友だもんね。だからこれからも……」
「はぁ? 誰が親友だって?」
「え? 昨日、ヘンリーが言ってたよ。『親友と酒を飲みたかった』って」
「……誰がそんな恥ずかしいこと言ったんだよ」
「君だよ」
「言うわけねぇだろ、そんなこと」
「そんな恥ずかしがらなくてもいいのに」
「別に恥ずかしがってるわけじゃない。俺がそんなこと言うわけないって、そう言ってるだけだ」
「言ってたって」
「言ってない」
「強情だなぁ」
「強情も何も、言ってないものは言ってないってだけだろ」
「はいはい、今はそれでいいよ。でも僕はしっかり聞いたからね」
夢の中で父さんがそう教えてくれたということは、彼には言わないでおいた。それを言うのは卑怯な気がしたから。
「そのうちちゃんと君に親友って言ってもらうからね」
「誰が言うもんか」
ヘンリーが口を尖らせながら顰め面をして皿洗いする隣で僕が小さく笑っていると、隣から水がビシャッと飛んできた。店から借りた僕の服が水に濡れ、床にまで水が落ちている。
「何するんだよ!」
「うるせぇ、お前がクスクス笑ってるのが悪いんだろ」
「笑うことの何が悪いのさ」
「仕事中に笑うなんて、真面目に仕事をしてないってことだろ」
「だからって水をかけることはないじゃないか。口で言ってくれればいいだけだろ」
「口で言っても分かるかなぁ、と思ってな」
「あ、今、僕のこと、バカにしただろ」
「そう思うのは、そういう風に自分で思ってるからだな」
「君たちは本当に仲がいいねぇ。じゃあ仲良し同士、しっかり床の掃除もしておいてくれよ」
後ろからそう言われ、僕たちの肩を叩く酒場のマスターを振り返ると、明らかにマスターは笑顔の中に怒りを含ませていた。僕たちは顔を引きつらせながら、もう言い合いなんかはせずに、大人しく掃除道具を取りに行った。

Comment

  1. ピピン より:

    ビビさん

    前途多難にも程がありますね、この二人は( ̄▽ ̄;)
    てっきりリュカが魔物使いの才能を発揮して勝つのかと思ったら、ギャンブルはそう甘くなかった(笑)

    • bibi より:

      ピピン 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      前途多難ですが、まあ、奴隷生活を経験したので、もうあまり怖いものはないかも知れません。
      魔物使いの才能……これからその才能を磨いて行って、いずれは闘技場マスターになれる日が……という話も面白いかも^^

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