2017/11/28

優しい雨

 

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世界を代表する大都市エンドールを出発して三日、彼らの行く道中には湿っぽい雨が降り出していた。しとしとと控えめな音を立てながら草原や森の木々を濡らしている細かな雨は、激しく降る雨よりもよっぽど心を沈ませる。空を見上げれば雨が霧のようになって舞っており、空は一面薄灰色に染まっている。雲の切れ目などなく、彼らの心情をそのまま表しているかのような空模様に、少年ユーリルは空を見上げる顔を俯かせて、詰まっていた息を吐き出した。
「また溜め息? あんた、いい加減にしてよね」
エンドールで旅の仲間になったばかりの踊り子マーニャが、しかめっ面を隠そうともせずに不機嫌そのものの声で言う。彼女は少年よりも年上で、彼と出会うまでは占い師である妹のミネアと共に二人で旅をしていたらしい。
「あたし辛気臭いのイヤなのよ」
直さなくとも十分濃い化粧を彼女は細かに直し、小さな鏡を覗き込んでは角度を変えて自分の美貌をチェックしている。そして雨に濡れないように派手なオレンジ色の外套を頭から被った。
「姉さん、無駄口叩いてないでちゃんと前見て歩いてちょうだい。またさっきみたいに転ぶわよ」
「うるっさいわね。二度も失敗繰り返すほどバカじゃないわよ」
「じゃあどうしてカジノでは何度も何度も失敗して戻ってくるのかしら。不思議でしょうがないわ」
「あれは成功に必要な失敗なのよ。失敗なくして成功なんてありえないでしょ。それが分からないなんて、あんた、まだまだ子供ねぇ」
「成功の見込みがある失敗なら私だってこんなに口うるさく言わないわよ。いつもいつもすっからかんになって戻ってくる人を見て、どこに成功を見出せって言うのよ」
「あたしには見えてるんだけどねぇ」
「幻惑の魔法にでもかかってるんじゃないの?」
派手好きな姉と対照的に質素な旅装に身を包んだ妹ミネアは、姉に負けず劣らずの喋りで果てない異論を唱え続けた。出会ってから毎日交わされている姉妹の会話に、少年ユーリルも少しは慣れを感じてきていた。

エンドールで伝説の勇者の称号を得たのは二度目だった。一度目はもうなくなってしまった故郷で、そして二度目は評判の占い師によって、彼の運命は完全に決定された。
山奥の村で何も知らずに生きてきた少年。外界とは無縁だった村人たちも自分と同じだと信じて疑わなかった。しかし何も知らないのは自分ばかりで、この世から消えてしまった村人たちは一人の少年に世界の未来を託すため、外界とは切り離された山の奥深くにある小さな村を勇者を隠す場所としていたのだった。
全てを知ったのは、村人たちが命を賭して勇者を守るその時だった。ユーリルはずっとそのことを心に刻み付けておくためにも、村の思い出を一つ、懐に忍ばせている。
小さく折りたたまれた羽根帽子。自分の身代わりとなった少女の形見。たとえそれがなくとも思い出としてずっと自分の心の中に生き続けるが、形として残しておくことが必要だと感じてユーリルはそれを手放すことができないでいる。きっとこれからもずっと彼女の羽根帽子を手放すことなどないだろう。それは自分に課せられた使命の一部なのだ。
「ユーリル。今日はこんな天気だから、夜になる前に休む準備をしましょう。雨の日に歩き続けるのは疲労が増すばかりだから」
「はい、分かりました」
しっかり者のミネアはユーリルの返事を聞くなり、森の中へ分け入り、休息に適している場所を探し始めた。ぶつぶつと文句を言っていた姉マーニャもなんだかんだと辺りを見渡しながらちょうど良さそうな岩場の陰などを覗き込む。
エンドールと言う大都市で出会った姉妹はもう一年前から旅を続けているらしく、野宿にも慣れていた。旅に慣れている二人に学ぶことは多い。ユーリルも見よう見まねで森の中に入り、自分なりに彼女らの助けになるよう辺りをキョロキョロと見回した。丈高い草を 踏み分けるたびに、雨にしっとりと濡れた草が靴の下で横倒しになり、草の匂いが増していく。その匂いは否が応でも滅ぼされた村の花畑を思い出させて、ユーリルは顔を歪める。いつになったらこの悲しい思い出に慣れるのだろうかと、彼は雨に濡れる頬を汚れた袖で乱暴に拭った。
村の外に一歩も出してもらったことのないユーリルは、姉妹が絶えず口喧嘩をしているにもかかわらず、示し合わせたかのように行動を合わせることがあることに初め驚きを隠せなかった。自分に兄弟姉妹はいない。村にいた子供と言えば自分と幼馴染のシンシアだけだった。マーニャとミネアという姉妹を見て、血の繋がった姉妹にはそういうこともできるのかと、新たな発見をした思いだった。性格はまるで反対のように見えるのに、彼女ら二人には同じ血が流れている。二人は自分の身体に流れる血をどう感じているのだろう。運命に導かれることを果たして望んでいたのだろうか。

ユーリルは自分の身体に流れる血に絶望を感じていた。
生まれた時から運命づけられた自分の存在は、世界中の人々の希望になるのかもしれない。しか しそんな希望が何だというのだ。世界は勇者を切望しても、そんな世界のことをユーリルは何も知らなかった。そんな世界を救うことよりも、村の人たちを救って欲しかった。自分の世界はあの村だった。その外に本当の世界があったとしても、そんなことは知らない。
どうして自分が、という思いがずっと胃の底に澱み続ける。澱んでほとんど動かないその思い は、たとえ彼が勇者としての使命をまっとうした後にも残るのだと、ユーリルは確信している。
世界を救うと謳われる勇者は小さな自分の村も守れない。自分の無力さを思い知ったあの時から、今でも彼は何一つ満足にできない自分に苛立っている。
結局少し進んだところでミネアが一晩過ごすのにちょうど良い小さな洞穴を見つけた。ミネア が手招きして呼ぶ姿に、ユーリルは筋違いな嫉妬を抱く。無力な自分とは違って、姉妹は旅にも慣れていて、こうして野宿に適した場所を探すのも苦労はしない。女性だから非力だという常識的な考えも彼女らには通用しない。たとえ力がなくとも、彼女らには強い魔力が備わっており、魔物との戦闘時にそれを発揮した時、ユーリルは自分の無力さをさらに強く思い知る。その上二人とも年上で、どこを取っても適いそうもない二人にユーリルは羨望と言うよりも恨みがましい視線をしばしば送っていた。
山奥の村でずっと守られていた勇者は、外の世界に出た今もなお、二人の女性に守られている。幼い頃、母親に読み聞かせてもらった勇者の話とは正反対の弱々しい自分が滑稽に思えてくる。誰かを、何かを、みんなを守るのが勇者の役目じゃないのか。僕はずっと守られてばかりだ。
もう救いたい人はこの世にいないのに、僕は一体誰を救えばいいんだろう。
こんな無力な勇者が救えるものなんて、この世にあるのか?

「ちょっと、水汲み手伝いなさいよ」
夕闇が迫ってきても雨は止まず、じっとりと湿った空気が洞穴の中を満たしている。その 湿り気のせいか、洞穴の中で焚く火も心なしかじめじめした弱い火に落ち着いている。洞穴 は奥まで通じているようで、洞穴の内部を吹き抜ける風が焚き火の煙を外に追い出してくれる。 そんな場所を見つけたミネアに改めて感心すると同時に嫉妬の念を抱いていると、横から不機嫌そうなマーニャの声が飛んできた。
「あんた、力だけは一丁前にあるんだから、重いもの運んでちょうだい」
「はい、分かりました」
ユーリルはまるで定型句となってしまった返事をすると、マーニャに続いて洞穴を出た。外で降り続く雨は音もなく森の中に消え、木々にとっては恵みの雨でも、ユーリルにとっては憂鬱を運んでくる以外の何物でもなかった。細かな雨粒が半乾きになっていた髪を濡らす。 雨に濡れることは構わない。しかしこの雨の降る雰囲気が要らぬ暗鬱を連れ込んでくる。霧のように細かな雨粒だというのに、自分の行動も気持ちも押さえ込まれているようで、ユーリルは知らず詰めていた息を重々しく吐き出した。
「また?」
オレンジ色の外套を頭に被せたまま、マーニャが低い声で言った。ユーリルが何のことかと首を傾げると、マーニャは鼻から息を吐き出して肩を竦めて見せる。
「溜め息ばっかりついて、飽きない?」
ユーリルは時折、マーニャの言っている意味が分からない時があった。溜め息に飽きるも何もないと思うという感想は、きっと彼女への答えには当てはまらない気がして、ユーリルは彼女の言葉をやり過ごそうとした。
「答えに詰まると無視するし」
間髪入れずに言葉を投げつけるマーニャをユーリルは横目で見た。彼女は別段怒っている風でもなく、むしろこの雰囲気を楽しむような余裕のある笑顔を見せていた。
「礼儀知らずもいいとこだわ。あんたの親御さんが見てみたいわね。一体どんな育てられ方をしたのよ」
マーニャはそう言いながら萎れた草地を爪先立つようにして歩いていく。さすがは踊り子。ただ濡れた草むらを歩いているだけだというのに、まるで軽やかなステップを踏んでいるかのようだった。ユーリルはそんな彼女の姿をぼんやりと見ていたが、つい今しがた言われた言葉に遅れた怒りを感じた。
「両親のことを悪く言わないで下さい」
ユーリルは自分の語気の強さに自ら驚きを覚えた。少し前を歩いていたマーニャがぴたりと足を止め、ユーリルを振り返る。すっかり雨に濡れて、周りの木々と同化するような緑色の髪から雫を滴らせるユーリルの姿に、いつもの無表情さはなかった。
「両親も、村の人たちも、何も悪くなんかありません」
「じゃああんたは何が悪いと思ってるのよ」
「僕です」
マーニャの問いかけにユーリルは間髪入れずにそう答える。それは己が常々思っていること。 答えるのは容易かった。
湿り気十分の霧状の雨に当てられながら、ユーリルはマーニャのことを正面から睨みつける。 彼女が女性だろうが年上だろうが何も関係ない。自分のこの気持ちが一体誰に理解できよう。 世界に一人しかいないと言われる勇者がもし自分だったらなんて、彼女は一度も考えたことなどないのだろう。いや、彼女だけではなく世界中の人間はみなそんなことに考えも及ばないに違いない。
ユーリルは地面に視線を下ろし、己の心の内側に存在する恨みつらみの感情を探り出す。自分が憎んでいるのは村を滅ぼした魔族たちか、はたまた勇者に選ばれなかった自分以外の世界中の人間か。
両親に、シンシアに伝えられた勇者という真実。そして大都市で出会った占い師に自分が勇者だと使命づけられた運命。全ては自分がこの世に生を受けた時から決まっていた。その運命から逃れるには、一つの方法しかないと、ユーリルはいつもそんな危険な考えを持ち合わせている。
「そう考えてる限り、悪いのはあんたなんだろうね」
マーニャはユーリルの怒りの態度に臆することもなく、淡々とそう言った。
「ただ、あんたがそう考えてる限り、あんたの大事な人たちの思いは全て無駄になる」
マーニャは何でもないようにそう言葉を落とすと、川のせせらぎを耳にして一人早足で進み始めた。霧状の雨に音はなく、涼しげな川の音が徐々に鮮明になってくる。その音は思いの外心を潤わせた。

手にしていた皮袋に水を入れ、栓をしっかりとしてから脇に置き、ユーリルは川の水で喉の渇きを癒した。横でマーニャも水を飲んでいる。細かな雨に濡れた彼女のオレンジ色の外套はすっかり色を変えていたが、彼女の化粧は落ちていない。マーニャは水面に映る自分の顔を真剣に覗き込んでいる。また化粧のチェックでもしているのだろうかと、ユーリルは溜め息をつきそうになって、すんでのところでそれを押さえた。
「あんた見てると苛つくのよね」
目の前のこの女性が、思ったこと言いたいことをずけずけと言う性格の持ち主であることは承知していたが、脈絡もない言い方をされるとさすがにユーリルも憮然とした表情を隠せない。しかし反論の言葉がすぐに見つからない自分が、到底太刀打ちできる相手でないことも分かっている。ユーリルは再びマーニャが話し出すのをじっと待った。マーニャは川の水を指先でかき回しながら、その歪んだ水面に映る自分の顔を見下ろしている。
「世界中の不幸を自分一人が背負ったような顔しちゃってさ。不幸がふりかかってんのはあんただけじゃないのよ」
ユーリルが咄嗟に反論の構えを見せるも、マーニャは彼の反論を許さずに喋り続ける。
「確かにあんたは世界を救ってくれるたった一人の勇者かもしれないわよ。あたしの妹がそう言うんだから間違いないでしょ。でもね、誰だって一人なのよ。たとえあんたが勇者でなくても、あんたは世界で一人しかいないし、他の誰にもなりえないわ」
「でも、僕は勇者に選ばれてしまった」
ユーリルは怒りや遣り切れない気持ちを抱えながらそう言葉を紡ぐ。しかしどん底にいる彼の心にマーニャは容赦しない。
「世の中で選ばれたのはあんただけじゃない。あんたが勇者として選ばれたように、あたしの妹は天才的な占い師の才能を持つ子として選ばれた。あんたにあの子の苦悩が分かる? ミネアにもあんたの本当の苦悩なんて分からないと思うけど、あんただってミネアの本当の苦悩なんて分からないはずよ」
ユーリルはマーニャにそう言われるまで、ミネアの苦悩など考えもしなかった。ただ水晶に向かって手をかざすだけで未来を読み取れるなんて人生が楽じゃないかと、ただその程度にしか考えていなかった。しかし彼女の未来を読み取る力は、彼女に見たくないものまで水晶に映してしまう。そんな簡単なことに想像が及ばなかったことに、ユーリルは口を噤まざるを得なかった。
「あんたは自分しか見てないわ」
ユーリルは水面に映る自分の顔をじっと覗き込んでいるマーニャにそんなことを言われるとは思ってもいなかった。彼女こそいつでも自分自分で、歩くのに疲れたらすぐに休もうと勝手に木陰に入ったりするし、大都市に滞在中は常にカジノに入り浸り、実の妹に散々怒鳴られていた。彼女こそ自分しか見ていない人間の典型だと思っていたが、時折冷静な言葉を口にするマーニャの中に彼女の本質を垣間見るのもまた事実だった。
彼女が指先でかき回す川の水面は最早彼女の顔を映すほど澄んではおらず、歪んで段々になった彼女の顔の輪郭を辛うじて映すだけ。マーニャはその水面の中に何を見出そうとしているのか、自分でも分からずにいる。
「勇者じゃなくたって魔物に親を殺された子供もいるし、魔物じゃなくて同じ人間に大事な人を奪われた人だっている。もしかしたらあんたと同じように村を滅ぼされた男の子だっているかもしれない。世界中に不幸は起こってるの。自分だけが不幸だとか考えるなんてただの身勝手よ」
マーニャの言っていることは事実に違いないと、彼女たちが一年前から旅をしていると聞かされていたユーリルは自然とそう信じた。彼女の言葉によって、自分だけが選ばれたという孤独から解放された気がした。しかし世界を救う勇者として選ばれた事実はどうにも曲げられない。評判の占い師が探し出した勇者がこれから何をすればいいのか、 勇者自身が途方もない自分の存在に彷徨う心を持て余している。

「僕は勇者になんかなれません」
ユーリルが正直に心の内を明かすと、マーニャはそんなこと何でもないと言うように鼻で笑って言葉を返す。
「大丈夫よ。端から期待しちゃいないもの」
彼女の意図が分からず、ユーリルは更に問いかける。
「じゃあどうして僕と旅をするんですか」
「そりゃあ、あたしの妹があんたを見つけたから」
「でもそれは僕が勇者だってことでしょう」
「あの子はそう思ってるみたいね」
「マーニャさんはどう思ってるんですか」
「少なくとも勇者だとは思ってないわよ」
「じゃあ何だと思ってるんですか」
「んー、末の弟みたいなもんかな」
マーニャの言葉にユーリルは口を開けたまま絶句した。そして改めてマーニャの姿を上から下まで眺め、しかめ面になるのも隠さずに仰々しく溜め息をついた。
「また溜め息? こっちまで気分へこむから止めてよ、それ」
マーニャに文句を言われても、ユーリルは気兼ねする必要性をあまり感じなくなっていた。彼女は自分のことを世界で一人の勇者としてではなく、弟かなにかのように、普通の人間として見ているらしい。
そう考えると彼女の率直で傷つけるような物言いも途端に聞こえが良くなってくる。見ればマーニャは口元に笑みを浮かべている。ユーリルはこの時、彼女がずけずけと言う言葉の多くはこうして柔らかな笑みを浮かべながら言っていることに気がついた。マーニャのたった一言で、一瞬にして彼女の笑顔のニュアンスまで分かるようになった自身に驚く。遠巻きに、馬鹿にするような視線ばかりを投げられていたと思っていたことにユーリルは、少しばかり罪の意識さえ感じた。
「これは癖なので、多分これからも治りません」
「そんな辛気臭い癖、早いとこ治しなさい。まだ若いから修正が効くわよ」
「マーニャさんがお酒を止めれば、僕も頑張って治すようにします」
「あたしにとってお酒は命の水。あんたの癖と一緒にしないで」
「お酒がなくても人間は生きていけます。ミネアさんのためにも止めたらどうですか」
「どーしてあたしがミネアのためにお酒を断たなきゃなんないの」
「僕たちの旅の資金を管理しているミネアさんのためにも、ってことです」
「大丈夫よ。そのうちあたしがドカンと一山当てて、あの子にぜーんぶ返すから」
「それはいつですか。いつだかも分からない約束はできないでしょう」
「……あんた、何かミネアに似てきてない?」
マーニャはそう言った後、疲れたように溜め息をついた。そんなマーニャにユーリルは指を差す。マーニャは思わず溜め息をついた口を手で覆いながら、ユーリルの勝ち誇ったような、無邪気な子供のような顔を見て吹き出してしまった。
「ほら、溜め息なんて誰だってつくでしょう」
「はいはい、あたしが悪うございました」
マーニャは川の水で濡れた手をぴしゃりとユーリルに弾き飛ばした。ユーリルは目を瞑って 顔にかかった水を手で拭った。嫌な顔の一つでも見せようと顔を上げたユーリルだが、その表情は彼の意志とは反して和らいだものだった。マーニャはそんな彼の顔を見てふっと息を漏らす。
「そうそう。そんな顔してなさいよ。それがあんたなんでしょ」
そう言った後、マーニャはオレンジ色の外套を頭に被ったまま、彼を残してミネアのいる洞穴へと戻っていった。その後姿はやはり女性で、華奢な体躯で長旅を続けるのはどれだけ苦しいことなのかと想像させられる。
自分と出会う前から旅をしていた彼女たちの旅の目的はまだ聞いていない。しかし姉妹二人で旅を続けなければならないほどの重大な理由があってのことだろうと、ユーリルはこの時初めて姉妹の苦労を考えた。マーニャの言った通り、彼は自身のことしか見えていなかった。
彼自身も世界に一つしかない悩みを抱えるように、彼女たちには彼女たちにしか分からない悩みを抱えているかもしれない。世界中にそんな人間は星の数ほどいるのかもしれないと、そう考えた時、ユーリルの心を覆っていた分厚い雲は風に吹き流されるように横滑りして移動していった。
空を見上げる。まだ薄灰色の雲が空一面を覆い、雨も依然降り続ける。しかしユーリルの心の中には青空が覗き、細い一筋の光が差し込み始めた。
「結局水は僕だけに運ばせるんだよな」
ユーリルはぽつりと一言呟くと、もう姿の見えなくなったマーニャの後姿が今度は調子の良い逃走だったのじゃないかと、苦笑した。逃げ足の速さだけは天下一品なんだからと、ミネアが毒づいていたことを思い出したら妙に納得してしまった。

彼女に救われた彼の心が見上げる雨はもう彼の心を塞ぐものではない。光が差し込んだ彼の心に降る雨はやさしい。生き物全てにとっての恵みの雨は、今の彼にもそれに相当するほどの慈しみを持っていた。雨が降っているから気分が落ち込むなんて、空に対する八つ当たりもいいところだと、ユーリルは水を入れた皮袋を枕にして寝転がりながら全身にその雨を浴びた。雨は程よくやさしく、彼の衣服に、幼馴染の羽根帽子に、彼の心に染み込んでいった。

Comment

  1. ケアル より:

    ビビ様!
    改めて考えたら、マーニャとミネアは、父エドガンをバルザックに殺されているんでしたよね。
    エンディングでユーリルは恋人シンシアをマスタードラゴンの力なのかな…生き返らせてくれるが、エドガンだけは、墓のまま…。
    オーリンが生きていただけでも救いなのかもしれないと考えたら、モンバーバラ姉妹は、ユーリルよりも可哀想なのかも…だなんて、ビビ様の小説を読んで、感じてしまいました。
    でも、ユーリルもリュカも、ドラクエ4と5の主人公は、村を破壊され、両親を失い(ユーリルは育ての親)ドラクエシリーズの、ツートップなのは、間違いないですけどね。
    あ!でもリュカは最後には妻と子がいて城の王様になれるんだから、やはり不幸なのはユーリルかモンバーバラ姉妹か…(悩)
    読ませて戴きました(礼)

    • bibi より:

      ケアル 様

      毎度コメントをどうもありがとうございます。
      4勇者くんはもちろんとんでもない悲劇に遭っています。でも彼だけが悲劇に遭っているわけではない。自分だけが特別だと思うなと、マーニャ姉さんなりの厳しさと優しさを出してみました。彼女はいつでも現実的、というイメージがあります。4勇者くんは、初めに姉妹に出会い、商人、姫とお供、王宮戦士と順に出会うことでどんどん成長していく(他人を労われるようになっていく)……それがDQ4の面白さだと思っています。
      DQ4の勇者とDQ5の主人公は、ドラクエ界の中でも悲劇に見舞われていると言われていますね。それほどドラマチックな物語になっているので、ファンも多いのかなと思います。自分だったら絶対に耐えられない状況ですけどね。私だったら村を破壊されでもしたら、すぐに勇者辞めます。メンタルが無理。旅立ちもしないで「~End~」の表示が出るでしょう。
      DQ4の話はまだ他にもあるので、また気が向いたらアップしてみたいと思います。4も深いですよね。

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