「葉隠武士道」(著:松波治郎)を読んで

 

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かなり前に読み始めていたこちらの本、ようやく今になって読み終えることができました。途中、色々と他の本を読んだりして、なかなか落ち着いてこちらの本を読むことができずにいたのですが、さすがにこれ以上先延ばしにしてはいけないと、一気に読み終えました。

「葉隠武士道」(著:松波治郎)

この本の著者である松波治郎氏は、明治三十三年岐阜県に生まれ、戦前・戦中に活躍した作家です。そしてこちらの本は、昭和十七年九月二十日に再版となった一路書苑刊を底本として復刻・現代語訳したものです。まさしく、大東亜戦争の戦中に書かれた本、ということです。

復刻された本、ということはどういうことかと言うと、ここでは「戦後にGHQによって没収、廃棄された本」ということです。そのような本はごまんとありますが、その一冊がこちらの『葉隠武士道』。当時の敵国に目をつけられたということは、何か都合の悪いことが書かれていたということ、なんでしょう。どうやら当時(今にも通じる?)、米国は日本のこの武士道精神を恐れていたようですからね。

読んでみて私が思ったことを率直に言えば、確かに、力の湧く書、であることを感じました。人間の道徳について、細かく書かれていて、その具体例は普遍的であり、今でも十分に通用するものです。

響いた言葉として、「徹底するところに勝あり」というものがありました。これは何も戦争などに限ったことではなく、「徹底するところに力があり、徹底するものに美がある」ということ。この言葉はこれからのAI時代を前に心に響く言葉でもあるかと思います。なんだか今時のタイパやコスパとは対極にあるような考え方にも思えます。徹底するからには、それなりの時間をかけて、費用もかけて行わなければならない。タイパ、コスパを考えながら徹底しようとしても、それは結局徹底していないことになるのではと。

では、この武士道という考え方はいつから始まったものなのかと思えば、それはいつから始まったというものでもなく、「日本国民の性格」なのだと本の中では書かれています。武士という名称は中世に起こったものですが、武士道はもともと日本民族固有の性情なのだと……これもまた腑に落ちるところです。

この本に書かれている武士道は、何も武士に限った考え方ではなく、老若男女すべての日本人がその対象となっているんです。武士道をただ“武士”のものであると見る見方は、西欧流の見方であって、日本人であればその生活にまで武士道は落とし込まれているのだと。

この武士道がどのように表されているのかと言えば、「武士道というは 死ぬことと見つけたり」とあります。……一見すると、いかにも武士が仕える主君のために命を懸けて戦うというように感じられますが、この言葉の意味はそのような表面的なことに留まりません。しかし、とても当たり前のことを言っています。

人は何のために生きているのか、とはよく言われる言葉かも知れませんが、それと同義で、更に先を見るように、人は何のために死ぬのか、ということを述べているんですね。何のために生きるのかを考えるのもとても大事なことと思います。しかし生きとし生けるもの全て、いずれはこの世からいなくなります。それならば、一体自分は何のためにいずれ死ぬのか、そちらを考える方がずっと究極的で、最終的な“生きる目的”となるような気がします。

何のために死ぬのか、というのは同時に、何のために生きるのか、ということであり、武士においてはこれが主君のため、であったと。では、今に生きる私たちは一体何のために生きて死ぬのかと考えると……何だか哲学的な話ですが、決して“自分のため”とはならないのではと思います。自分の為に生きて、自分の為に死ぬ、と書いてみると、これは何だかあまりにも……虚しい。自分がいなくなった後に残るものが何もない、そんな空虚を感じます。この世にいなかったも同然のような……。それはちょっと考えすぎかも知れませんが。

人が後に残せるものは決して物質に限ったことではなく、寧ろ物質的なものよりも、精神的なものが大きいのではと思います。人は生まれたその時、一切何もない状態から始まり、様々な人や物や環境の影響を受けて大人になっていく。様々な影響を受けて大人になった人がまた、新たに生まれてきた人間に影響を与えていく。どうせ与える影響なら、悪いよりも善い方が良いに決まっています。誰もこの世がどんどん悪くなることを望んでいないですもんね。

やはり、人は誰か他の人の為に生きるのが、人間社会において健康的なのではないでしょうか。自由だー! とか 自分を大事にー! も大事な感覚かと思うけれども、それよりももっと、「みんながんばれ!」の掛け声をかけつつ、その掛け声をかける人が一番頑張って見せる、という関係性が最も良いものを生み出すのではないかなと、思っています。実際に過去、日本はそうやっていろいろなものを作り出してきたのではないでしょうか。『徹底する』という言葉の感覚は、私としてはすっと腑に落ちる言葉でした。ある意味私も、ドラクエ5の長編小説を『徹底』して書き上げたという思いがあります。……ま、人様の作ったゲームに乗っかる形なので、あまり威張ったことは言えませんが(汗)

この『徹底』の良いところとして、何かに徹底して取り組んだ後にはとんでもない清々しい気持ちになれること請け合いです。どんな小さなことでも、とことんやってみると、その経験自体が自分の人生の糧になります。タイパ、コスパを先に口にするようでは、この『徹底』には行き着かないのではないかなと思います。

こちらの本、その白黒の装丁から難しいことが書かれているのかと身構えてしまいそうですが、実際に書かれているのはそれほど難しいことではありません。一般家庭の生活にも響く内容で、子供のしつけや家庭のあり方、母親のあり方についてなど、私のような普通の主婦にも読めるものです。しかも、その内容が結構面白い。この当時にもこんなことがあったのかと、ぷっと笑ってしまうこともあります。緊張せよ、という話がありますが、そこでは当時の衆議院での議員の居眠りの話なども書かれており、いまでも十分に想像できる状況に思わず笑ってしまうこともありました。

堅苦しく考えずに手に取って見ることをお勧めします。一度は読んでおいて決して損にはならないどころか、物事の見方が深まり、精神も安定するような本かと思います。

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