「きみの大逆転-ハワイ真珠湾に奇蹟が待つ-」を読んで
10月に入り、途端に秋らしい爽やかな風が吹いて、暑さが苦手な私としてはとても良い季節が来たなぁと感じる今日この頃です。秋が好きです。
10月は旧暦で神無月(かんなづき)。神様が無い月だなんて、一見すれば何か良からぬことでも起こるのかしらと考えてしまいそうですが、この月は全国の八百万の神々が出雲に集まるために、各地では「神無月」の状況になると言うことで……いやぁ、こんな名前一つ取り上げても面白いものですね。全国の神様が出雲に集まるって、もうそれだけで神様が人間っぽいなと思ってしまいます。年に一度の会議でも開くの?みたいな。議長とか副議長とか、書記なんかもいるのかな、とか。八百万の神々をまとめるのって大変そう、とか。
その一方で、出雲では反対に「神有月(かみありづき)」と呼ぶんだそうですね。八百万の神々が集まってくるんですもんね。今の時期に出雲大社を訪れれば、多大なご利益でも与れるのかしらんと考えちゃいそうですが、その考えを見透かされて寧ろバチが当たったりして(笑)
今回、家にあった青山繫晴さんの著書「きみの大逆転-ハワイ真珠湾に奇蹟が待つ-」を読了しましたので、少しそちらの作品の紹介や感想をばお知らせしたいと思います。
学校で私たちは、社会科の授業などで日本やら世界やらの歴史を一通り学ぶ機会が必ずあるんですが、興味が持てる人は興味津々に学ぶこともできるかも知れませんが、多くは・・・ですよね? やれ年号を覚えて~、やれあの建物の名前は~この作品の著者は~、なんて、何だか必死に覚えることに歴史の授業は終始していたような気がします。そして今、その時の記憶が殆ど思い出せないという有様。ヒドイものです、本当に(嘆)
最近にようやく思ったのは、覚えることの多過ぎる原因って、日本の歴史が偏に長すぎるからでは? ということ。二千年以上、いや、縄文時代だけで一万年・・・それを初めからずずーっと勉強していったら、小学中学高校でも足らんわ、となりません?
そして本来ならば、歴史を学ぶ意味って、『歴史に学ぶ』ってことじゃないんですかね。歴史は繰り返す、なんて言葉はこれまでに何度も擦られているものなんだから、歴史を学んだら、そこでの成功や失敗を見て、成功の理由があればそれを真似すればいいし、失敗の理由に気付けば、じゃああの時本当はどうすれば良かったのかを考えるのが本当は大事なんじゃないかしら。あ、でもそこまでの話になると学問になってきて、大学の範囲になるのかな。
そんな『歴史に学ぶ』という実体験を、こちらの青山繫晴さんの著書「きみの大逆転」の中で味わうことができるのではないかと思います。それも青山さんが記してくださるものには、いわゆる”ウソ”がない、と私は思います。ご本人には熱く深い思いもあるに違いありませんが、それをぐいぐいと前面に出すことはなく、あくまでも冷静に淡々と事実を語ってくれています。
まだ歴史を学んでいない子供たちを除き、今を生きる私たちで「真珠湾」と言う言葉に何も反応しない人はいないんじゃないでしょうかね。必ず学校で一度は授業で聞くはずです。さらりと通り過ぎるくらいのものかも知れないし、当時の日本人の悪さを象徴する出来事だと言う先生もいるかも知れませんね。真実は・・・ここでは語り尽くせないような言葉で表さねばならないと思います。一言で片づけられるようなものではないでしょう。どんな歴史事実もそうだと思います。全て、遠い過去から繋がっているんですから。
ハワイと言えば観光地のイメージが強いですが、このハワイのオアフ島に真珠湾(Pearl-Harbor)という湾があり、そこで太平洋戦争が始まったと一般的には学校で教わるんじゃないでしょうか。1941年12月8日未明、日本が真珠湾に奇襲攻撃を・・・と、もうこれだけで、日本が悪者扱いですね。果たして日本は本当に悪かった? 今はもう、ネットの影響もあって色々と判明してきていますね。詳しいことは各々お調べいただければと思います。
余談ですが、とっても余談なんですが、私は最近こういう「実は今まで隠されていた歴史事実が明らかになって行く状況」のこの空気感に、ドラクエ7を思い出しちゃうんですよね。いや、詳しい内容は覚えてなかったりするんですが(え?)、ドラクエ7って初め、主人公たちが住む小さな島しかないんですよね。それが石板を集めて組み合わせて開ける新しい世界に足を踏み出して、全く知らなかった世界を自分の足で歩いて冒険するのって、まさしく「知らなかった世界を知るワクワク感」と一緒だなぁと。何でもゲームに結び付けてしまうことに多少なりとも罪悪感もありますが、目の前が開かれるという意味で同じだということで・・・。
こちらの本では、著者の青山さんご自身が三十五人の方々と共にハワイのアメリカ陸軍博物館、真珠湾ビジターセンター、戦艦ミズーリ記念館、太平洋航空博物館を訪れ、当時の米兵の生き残りの方にも直接お会いしてお話されています。博物館等の展示物や展示品などの写真も豊富に収められています。
真珠湾、日本人にとってはあまり行きたくない場所、ですよねきっと。だって私たちは歴史の勉強で、日本人が真珠湾に奇襲攻撃をかけたから太平洋戦争が始まった、それで多くの方々が亡くなった、戦争を始めた日本人が悪い、もう二度とこの過ちは繰り返しませんと、そう言った内容で教わりませんでしたか? そうはっきり反省しろと強く教わったわけではないにしろ、そんな雰囲気を醸す内容があって、その意識が深いところまで浸潤しているような私たちはどうしても自分自身に自信が持てなかったりする・・・そんな気がするんですよね。
ここで言いたいのは、誰が良くて誰が悪いというような、0か100かを言いたいんではないんですよね。今って何だか、そういう論調が多いような気がします。どっちかが100だったら、他方は0だ、というような短絡的な考え方。んなわけないですよね。大体の事においては割合があると思います。多い少ないの問題であって、有る無しの問題じゃないと。
青山さんはぜひ日本人にこの場所を訪れてほしいのだと語っています。アメリカ側が展示している数々の資料には、日本を貶めるような内容はなく、むしろ日本に敬意を表すような展示があるのだと。この辺りが実にアメリカ人らしいのだと仰っています。私もそう感じました。
一言で言えば、「正直」。嘘は吐けないということなんでしょう。それに加えて、素晴らしいものは素晴らしいと、純粋に相手を褒めることもできる。敵だから我武者羅に憎んだり嫌ったり、ということじゃないんですね。もちろん、中にはそう言う方ももしかしたらいるのかも知れませんが、それも先ほどの割合の話ということで、決してどちらかがゼロになると言うこともありません。
ただこちらの本で描かれているアメリカ人は、公平で正直で、という印象を与えてくれます。もしアメリカに公平も正直もなかったのだとしたら、真珠湾での展示物にはもっと感情が乗せられているんじゃないかと思います。戦争の始まりについても、この真珠湾攻撃が日本の侵略戦争の始まりだなどとは書かれていません。日本もアメリカも、戦争への道に乗ってしまったと、何とも公平に書かれているそうです。
ただ、展示物はもちろん全て英語表記なので、英語が出来なければなかなか理解が難しいと・・・うーむ。著者の青山さんは当然のように英語のできる方なのですらすらとお読みになれるようですが、多くの日本人にはちと敷居が高そうです(汗) 私自身、一応大学でも英文科を卒業したはずなんですが、今は英語を読むのも一苦労(苦笑) もしここを訪れるとしたら、辞書を片手に行かねばならなくなりそうです。
実際に真珠湾攻撃の際に現地で整備士として居合せ、格納庫に避難したという方と直接お話もされています。青山さんがお話を聞いた当時、九十三歳と十カ月。戦争当時の記憶は鮮明に残っているようで、当時の様子をありありと青山さんに伝えてくれています。いわゆる、生き証人という方ですね。
一番覚えているのは、轟音。初めは日本軍の攻撃だと分からなかったようです。まさかこの場所を攻撃してくるとは思わなかったのだと。
それと、日本軍が民間人を攻撃することはなかったとも証言しています。日本軍が狙ったのは軍の施設と兵士だけ・・・だから良いというわけではないですが、こちらの証言に窺えるのは日本は戦争犯罪はしていなかったということなんですね。大事な証言の一つだと思います。このような証言の一つ一つを積み重ねて、事実を明らかにしていくのが大事なんだと思います。
他にも、実際に展示を見て回る際にトラブルがあったりと、こちらの本の中では生きた情報や感覚が得られること間違いなしです。今を生きる私たちならば、一度読んでみるのが良いのではないでしょうか。それでもしこちらの本を読んだら、この本をバイブルにしてハワイを訪れてみるのも良いかも知れませんね。
・・・お金が・・・という大問題がありますけどね(泣) 旅費がいくらになるのかを考えると、ちと怖いものがあります・・・。