2017/11/28

淋しい村

 

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身体の調子が思わしくない父の食事と身の回りの世話をする。

食事も健康に気遣って、なるべく新鮮なものをと自ら畑に向かい、仕入れる毎日。

父は自分の身体の調子などお構いなしに、一方的に娘の心配をする。

もう何年も前に母を失くし、父一人娘一人となった家庭では、おそらくありふれ
た光景だろう。

父は娘の今後を心配し、娘は年を取った父の身体を労わる。

それは毎日のことで、もしかして生まれた時から始まったやり取りなのではと思
うほど、毎日毎日変わらぬ日々を送り続けている。

「父さん、いい加減にしてよね。私はまだお嫁になんか行かないの。行けないんじゃなくて行かないのよ。だから心配しないで」

「だけどなぁ、ビアンカ。お前ももう二十歳だぞ。二十歳の村の娘で独り者なんてお前ぐらいだろう。真剣に結婚を考えたらどうだ」

「あら、私はいつだって真剣よ。だけどこの村に若い男の人なんて何人もいないじゃない。しかももう大体みんな良いお嫁さんをもらってるわ」

「お前はこの村にとどまってちゃダメだ。父さん、聞いたことがあるぞ。南のサラボナという街には……」

「それで、私が一人でサラボナに行ったら父さんはどうやって生活していくわけ? 一人じゃ何もできないじゃない。食事の用意だって、洗濯だって、部屋の掃除だって、何一つできないでしょ。そんな父さんを置いて一人で街に出ろって? 私は生憎そんな薄情な娘じゃありません」

「父さんだって、お前がいなくなったらどうにか一人でやっていくさ」

「ふーんだ。そんなの言ってるだけよ。言ってるだけで結局できないのが父さんよ。母さんが生きてた頃だって、自分の身の回りのことなんてひとっつもやってなかったでしょ。今私がいなくなったらどうにか一人でやっていくですって? 母さんが聞いたらきっとお腹抱えて笑ってるわよ」

父に向ける娘の言葉は容赦がない。

父ダンカンは娘の言葉にぐうの音も出せずに、ベッドの中に潜り込んでしまった。

そんな父の姿を見て勝利の笑みを浮かべた後、ビアンカは小さく溜め息をついていた。

ダンカン親子がこの山奥の村に移り住んでから、もう七年以上もの月日が流れていた。

ビアンカは家を出て、本日の野菜の仕入れを済ませるべく村の畑に向かう。

何年も通っている畑までの道はたとえ目隠しされても辿り着ける自信があった。

移り住んだ当初は到底馴染めないと思っていたこの山奥の村に、ビアンカはいつの間にかすっかり腰を落ち着けていた。

「こんにちはー。今日もいいお天気ですね」

「ああ、ビアンカちゃん。今日はいつもより早いね」

「あら、そうだったかしら」

「また親父さんと口喧嘩してきたんだろ」

「喧嘩とは心外ね。父と娘のスキンシップよ」

「それで、今日はどっちの勝ちだったんだい?」

「そりゃあもちろん私に決まってるじゃない」

「はは、適わないなぁ、ビアンカちゃんには」

朝早くから農作業に精を出していた村人は、ビアンカが指し示す野菜や果物を袋に詰めると、重さを確かめてから彼女に渡した。

ビアンカはその度に相応する対価を支払おうとするのだが、彼は決まって「おんなじ村の者からは金なんかもらえねぇ」と言ってそれを下げさせた。

「これはちょっと重いかな。俺が持ってってやろうか」

「これくらい大丈夫よ。それに母さんのお墓にも寄っていくし。一緒に寄り道させちゃ悪いわ」

「いや、別に俺は……」

「どうもありがとう。また明日来まーす」

ビアンカは明るく言葉をかけると、残された村人の意気消沈した顔など確認せずに、そのまま村の東にある墓地へと向かった。

道端に咲く花を選びながら摘み、近くの木に巻きつく弦をナイフで切って、その弦で簡単に花束を作った。

麻袋に詰められた野菜と果物の中から、青りんごを一つ取り出した。

墓地に眠る母への供え物だ。

村はずれにひっそりと造られた墓地はいつ見ても淋しいという印象しかなかった。

人里離れたこの山奥の村自体がとても賑やかな場所とは言えなかったが、村人たちの声さえ聞こえないこの墓地には孤独しかない。

そんな死者の孤独を癒すように、ビアンカは墓石の前にしゃがみこむと、その下に眠る母に声を出して語りかける。

「毎日毎日、まったく父さんも進歩がないわよね、母さん」

簡単に作った花束を母の墓石の前にそっと供える。

手にしていた青りんごを母に一つ供え、墓石の前で自分も一つかじる。

「私だって、そりゃあいつかいい人と巡りあって、結婚だってしたいわよ。でもねぇ、父さんがあんな状態で私一人幸せになりまーす、ってのはできないじゃない。そんなこと言わなくたって分かってるはずなのに、父さんたら毎日毎日おんなじことばっかり。耳にいくつタコができたかもう分からないくらいよ」

娘の愚痴を聞く母は、墓石の下でどんな顔をしているのか。

それはいまやビアンカの想像の中でしか見ることができない。

アルカパの街は華やかなところで、その街で宿屋業を営んでいたダンカン一家は日々忙しい生活を送っていた。

まだ魔物も今ほど多くはなく、大人ならば比較的気軽に外に出られた時分。

街に訪れる旅人たちは評判の宿屋に宿泊しようと、ダンカン夫妻の営む宿屋にこぞって予約を入れた。

その頃は父ダンカンも宿屋業に精を出し、今では床に伏せっている父の姿など想像もできないほど元気にしていた。

そんな父を支える母も、父以上に元気な人で、ビアンカは父と母とこの宿屋で暮らす生活に不安など微塵も抱いていなかった。

宿屋の看板娘だったビアンカは、宿に宿泊する旅人に元気に挨拶しては、彼らから旅の話を聞こうとした。

お転婆だと何度も母からたしなめられたビアンカの楽しみは、旅人たちの話を聞いて、まだ見ぬ外の世界に期待を膨らませることだった。

特に、パパスが息子と一緒にサンタローズに帰ってきた時のことは鮮明に覚えている。

二年間にも渡る長い旅を終えて、サンタローズに帰還したパパスをつかまえて、あれやこれやと聞き出そうとする自分を、母は「いいかげんにしなさい」と言って叱りつけた。

母はいつでも元気な人だった。

自分が大人になったら、色んなことを母と話せればいいなと思っていた。

自分が大人になる前に母がいなくなってしまうなんて、考えもしなかった。

ビアンカは手に持っていた青りんごをまた一口かじった。

かすかに塩味の混じる青りんご。

母が亡くなってからもうかなりの時が経つというのに

いなくなった淋しさから解放される時は一向に訪れない。

この村には淋しさが常につきまとう。

「先にいなくなるなんて、なんて娘不幸な親かしらね」

誰もいない墓地で一人、ビアンカは涙声の独り言を呟く。

墓地に来るたび思い出すのは、元気な母の満面の笑顔。

母の笑顔を思い出す度に、ビアンカは空色の瞳を固く閉じ、墓前に涙を落とす。

『お転婆なあんたが涙なんて、ちっとも似合わないね』

母の元気な声が聞こえる。

きっと生きていたらそんなことを言うに違いないと、ビアンカは視界を歪ませたまま笑った。

「それが実の娘に向かって言うこと? 母さんの前でくらい泣かせてよね」

ビアンカは口を尖らせながらそう言うと、それきり言葉を失くした。

両手で顔を覆い、両肩を震わせ、他に誰もいない墓地で静かに泣いた。

母と正面から向き合っていたビアンカは、後ろで彼女の姿を見守っていた旅人の気配に気がつくことはなかった。

 

墓地を後にし、家に帰る途中、先ほど寄った畑には農作業の手を休めている村人がいた。

彼は何やら鋭い視線を遠いところに投げている。

ビアンカもその視線を追ったが、そこには何もなく、誰もいない。

「どうしたの?」

ビアンカの言葉に弾かれたように、村人は手にしていた鍬を取り落とした。

「ああ、ビアンカちゃんか。びっくりした」

「さっき会ったばかりじゃない。そんなにびっくりすることもないでしょ」

目の周りを赤く貼らしたビアンカの顔を見て、村人は怪訝な顔つきで彼女に問いかける。

「ビアンカちゃん、もしかしてあの男に嫌なことでもされたか?」

「あの男? 誰のこと?」

「今、ダンカンさんのところに旅人が一人向かってるんだ。そいつ、ダンカンさんのこと知ってるみたいで、つい家の場所を教えちまったけど……。教えちゃまずかったかな」

「父さんを知ってる人ですって? 一体誰かしら」

元々アルカパの街で宿屋を営んでいた父のことだ。

知り合いはおそらくビアンカの知らぬところにまで及んでいることだろう。

しかしこの山奥に越してから、父の知り合いが家を訪ねてくることはなかった。

温泉しか名物のないこの山奥の村に、わざわざ訪ねてきた父の知り合いが今、家にいるかもしれない。

そう考えただけで、ビアンカは久しぶりに胸の中に好奇心がうずいてくるのを感じた。

「私、行って見てくるわ」

「え、ちょっと、ビアンカちゃん。大丈夫なのかい?」

「楽しみだわ。どんな人なのかしら。じゃあまた明日ねー」

背後でまたしても意気消沈している村人には目もくれず、ビアンカは重い荷物を振り回しながら走り出した。

家までの道のりはずっと上り坂が続く。

もしかしたら走ってるうちにその旅人さんが見えるかもと、ビアンカは疲れなど感じずに一気に上り坂を駆け上がっていった。

家の階段を上る前に、さすがにこれは大人気ないと、ビアンカは立ち止まって息を整えた。

久しぶりだわ。

どんな旅人さんなのかしら。

今までどんな旅をしてきたのかしら。

パパスおじさまみたいに、強くてカッコイイ人だといいなぁ。

それともすごい魔法が使える大魔術師なんてものいいかも。

ああ、早く話が聞きたいっ。

こんな落ち着きのない自分を叱ってくれる母がいないことに、少しばかりの淋しさを感じながら、結局息を弾ませたまま、ビアンカは玄関の扉を元気に開け放った。

「ただいまー!」

元気良く声を上げ、父に帰宅を伝える。

いつもそうしないと父のベッドにまで声が届かないからだ。

しかし今、父はベッドから起き上がり、信じられないことに家を訪ねてきた旅人にお茶の用意をしようとしている。

長い間、寝たきりの状態が続いていた父が、笑顔で旅人に応対している。

そして、そんな父を気遣うように、旅人の青年は自らお茶を運ぼうと手を差し出していた。

「ビアンカ、お帰り」

「お帰りって、父さん、寝てなきゃダメじゃない。お茶の準備なら私がするわよ」

「父さんだってこれくらいのことはできるぞ。馬鹿にするんじゃない」

「馬鹿にしてるんじゃないわよ。心配してるんでしょ」

「お前がそうやって何でもやってしまうから、父さんが何もできなくなったんだろ」

「何よ、私のせいにするつもり? それでも父親なの? ずいぶんひどい言い方するのね」

そんな父娘のやり取りを見ていた旅人の青年は、こらえきれずに吹き出してしまっていた。

笑い出す青年をビアンカが半眼で睨む。

「ちょっと、何がおかしいのよ、あなた」

ビアンカに睨まれた青年は、今度は困ったように笑いながらビアンカを見つめた。

「いやあ、相変わらずだなって思って」

まるで旧知の者であるかのような言い方に、ビアンカは相手の青年をまじまじと見つめ返した。

手入れもしていない黒髪はぼさぼさのまま後ろに束ねられている。

長旅をしてきた服はところどころが破け、そろそろ修繕が必要のようだ。

旅の垢を落とすのに、真っ先に温泉に案内したい気持ちになる。

特徴のある紫色のターバンとマントを身につけ、吸い込まれそうな漆黒の瞳と出会えば、簡単に視線が外せなくなった。

「ビアンカ、リュカ君だよ。パパスの息子の。お前も覚えてるだろう?」

父がはしゃいだ声を出すのを聞くのはいつぐらいぶりだろうか。

パパスのことは今でも時折思い出し、あの強く逞しいおじさまに憧れる気持ちは今でも変わらない。

その息子のリュカが今、自分の目の前に立っている。

ビアンカの時間が一気に子供の頃に遡る。

子供の頃、一緒に冒険をした男の子がいた。

二つ年下の男の子は言わば弟のようなもので、いじめられていたネコを助けるために、半ば強引に街の外への冒険に連れ出した。

眠たい眼を小さな手でこすっているリュカに一喝して、一緒にレヌール城を目指した。

子供相手にも容赦なく襲い掛かってくる魔物に、リュカと一緒に立ち向かった。

二つも年下なのに旅慣れているリュカに負けたくなくて、得意の魔法を見せびらかした。

リュカは素直に「すごいね」と言って、ビアンカの魔法を褒めた。

レヌール城の悪いゴーストをやっつけて、リュカと一緒にネコを助け出した。

その後、しばらくして、彼の故郷サンタローズが滅ぼされたと知った。

以来、憧れのパパスも、一緒に冒険した少年も、消息不明となった。

「あの時のリュカ? 本当にリュカなの?」

「そうだよ。久しぶりだね、ビアンカ」

「ウソでしょ? だってあの時は私よりも小さくて、何だか頼りなくて、ついててあげなきゃ危なっかしくて……。そのリュカ?」

「……頷きたくないけど、そのリュカ」

ふてくされた彼の表情は幼い頃と変わっていなかった。

ビアンカが彼に近づき、彼の反応などお構いなしに食い入るように観察すると、リュカは居心地悪そうにしかめ面を彼女に向けた。

「何だよ、ビアンカ。そんなにじろじろ見ないでよ」

「『何だよ、ビアンカ』ですって? あんた、相変わらず年上に対する態度がなってないわね」

「年上かもしれないけど、今は僕のほうが背が高いもんね」

「男と女が背の高さで競うなんておかしな話だわ。それに私だってあんたよりデカイ大女なんかにはなりたくないわよ」

「久しぶりに会ったのに「嬉しい」の一言くらいあってもいいじゃないか」

「嬉しいに決まってるでしょ。言わなくても分かりなさいよね……」

急に涙を流し始めたビアンカに、リュカは思い切りうろたえた。

「な、何で急に泣くの?」

「何よ、嬉しくて泣いちゃいけないって言うの?」

「そんなこと言わないけど」

「じゃあいいでしょ」

戸惑うリュカを前にビアンカは子供のように声を上げて泣いた。

困惑するリュカと視線を合わせたダンカンは、娘の頭を自分の肩に寄せて、頭を静かに撫でてやった。

  淋しいばかりのこの山奥の村に、暖かな風が吹いてきたようだ。

  ずっと止まっていた娘の時間がようやく巡り始めたんだ。

ダンカンは娘の頭を撫でながら、心の中で亡き妻にそう告げていた。

その言葉を受けた妻もきっと空の上で母親としての喜びを感じているに違いない。

ダンカンは泣きじゃくる娘の頭を撫でながら、一人穏やかな笑みを浮かべていた。

Comment

  1. ケアル より:

    ビビ様!
    本編ではリュカ目線のお話でしたけど、こちらはビアンカ目線のお話ですね。
    ビアンカの心中は、まさにメダパニ状態だったんでしょうね…。
    ここから、新たな冒険の始まりでありますな
    身長の描写は笑わせて貰いました(笑み)

    • bibi より:

      ケアル 様

      コメントをどうもありがとうございます。
      本編とはちょっと違う形で書いてみました。ぜひビアンカさん目線でも話を書いてみたかったので。
      身長の描写はちょっとしたリュカ君の対抗心です。ふふん、みたいな。まるで子供です(笑) でもそこが彼の良いところです、ふふ。

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