ムーンショット計画……聞いたことありますか?

 

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年を取ってきたせいか、それとも落ち着かない世の中のせいか、最近は色々と動画を見てふむふむと情報を得るようにしています。そうすることで少しは落ち着く・・・ような気がしています。

そんなこんなで、今回気になったのは・・・内閣府のホームページに出ている「ムーンショット計画」という、もう、私からすると名前からしてヤバさを感じる計画です。

ムーンショット計画(内閣府)

ムーンショット計画・・・って言葉を聞いて、何だか分かりますか? 私には分かりませんでした。何それ、ってな感じで。月を壊しに行くのかしらんと、アホな想像をするくらいはしましたが。いや、そんなことしたら地球は終わりますね。一時、ニュースで取り上げられたことがあったので、その言葉自体は聞いたことはありましたが、いつも通り「ふーん・・・」だけで済ませていました。(こういうところがいけないんですよね、本当・・・)

内閣府が堂々と掲げる目標なので、それだけで信じるに値する!と思う方もいらっしゃるかも知れないですね。9つの目標が掲げられていて、それこそ見た目はキレイ~な印象で固めているようにも見えますが、内容は・・・ところどころ「ん?」と思わせられるものがあるものでした。

まず、このムーンショット目標として、

『全ての目標は「人々の幸福」の実現を目指し、掲げられている』

そうです。

・・・・・・うっさんくさい。

あ、すみません。つい本音が。

いや~、なんせ私自身が本編で書いていたとある団体の存在を髣髴とさせてくれたので、この「人々の幸福」を押し付けてくるあたりが怖いなと。まあ、この辺りは偶々ですけどね。

そして、こういう政府側が提案していることって、言葉のマジックのようで、一見素晴らしいようなことが書かれている印象があります。困っている人たちをこの世から無くします、的な感じで。みんなで幸せになりましょ、みたいな。

理想を掲げるのは大事だと思います。だけどその理想は本当にみんなが望むことかどうか、本当に考えたんでしょうか。そこが疑問です。何となくですけど、押し付けられているようで気持ち悪いんですよね。「こんなに良いものなんですよ~。だから皆さんも応援してくださいね~」的な雰囲気を勝手に感じてしまうんですよね。

このムーンショット計画の目標は9つに分かれているようですが、その第1の目標として掲げられている内容が、私としてはぶるぶる震えるような気持ち悪さがありました。

目標1:2050年までに、人が身体、脳、時間の制約から解放された社会を実現

ですって。この目標を見て、皆さんはどう思うのでしょうか。人それぞれ、きっと考え方は違うでしょうね。年代でも違うでしょうし、今の置かれた環境によっても、それまでどのような経験を積んできたかなどによって考え方が違ってくると思います。

私としては、この目標を見る限り、「もう、この世に人間って要らないってことですよね」と思ってしまいました・・・極端な考えかも知れませんが。ロボットが人間を支配する世界って、映画や小説や漫画にだけ描かれるものと思っていましたが、そういう世界が近づいてきたのかなと、正直怖い思いを抱いています。

それと、この目標が掲げられた経緯として、少子高齢化時代をどうにかするためだ、ということが書かれていましたが、それってもう少子化自体は解決しない方向で、と言っているようなものかなと。少子化は避けようもない未来だから、その代わりに一人でこなせる作業を増やして行こう!と言った、まるで人間をロボット扱いしているような雰囲気を感じてしまいます・・・。

また、私個人の意見ですが、便利過ぎる世の中は面白くないと、かなり前からそう感じています。それと、便利過ぎる世の中はどんどん自分をダメにするとも思っています。そうは言ってもこうしてインターネットを使って、便利な世の中にあるわけですけど、昔と比べて(年齢を重ねたことはさておき)記憶力も思考力も低下しているような気がしてなりません。集中力も低下しているんじゃないかな。

人は身体、脳、時間の制約があるから、その中で色々と考えて行動するから人間らしく生きられるんじゃないの? と思うわけですよ。・・・考え方自体が古いですかね。でも、古いことが全て悪いわけではないですよね。

身体の不自由な方がそのような便利機能を利用して、不自由を克服できるのなら、それは良いことかなと思います。しかし全ての制約からの解放なんてことが現実に起これば、人って何を夢に描けばいいのでしょう。夢が全て実現できる世界って、楽しいんですかね。努力して夢に近づいて行くから楽しんじゃないですかね。

話はちょっと逸れますが、私は子供の時分、それこそゲームが好きで、大量の時間をゲームに費やしていたわけですが(多少、反省しています…)、攻略本を見て解くということをしていませんでした。自力で謎を解いて行くのが面白くて、解けた時の達成感がたまらなくて、それでRPGを好んでプレイしていました。面白い本を読むのと同じような感覚なんですよね。もっと次を次をと、読み進めたくなるような感じです。そういう方、結構多くいるんじゃないでしょうかね。人の手などやたらと借りずに、自分の力で成し遂げることが、いわゆる遣り甲斐ということでしょう。そういう面白さを、ゲームを作る側の方々だって味わってほしいと思って作ってるんじゃないのかな。(今どきは、売れればいいなんて安直な思いでゲーム制作しているところもあるのかも知れませんが・・・そんなの、作っていても楽しくなさそうです・・・)

それと、やはり子供の頃なので、ゲームをする時間なんて限られているんですよ。当時は持ち運びなんかできない据え置きタイプが主流だったわけですし。(それで良かったと思っています)その限られた時間の中で、頭フル回転でゲームの謎を解いていくのは、ある種の快感なわけです。限られた時間だからこそ、メチャクチャ集中しますよ。・・・その集中力をもっと他に向けておけばーーーーという反省ももちろんありますけどね(汗)

なので、勝手に身体や脳や時間の制約から勝手に解放しないでくれる? と。人の楽しみを奪わないで頂きたいと、そんなことを思ってしまうわけですよっ。

・・・ちょっと熱くなっちゃった。

話は戻りまして・・・

人の能力を拡張するのは、ゲームの世界だけで良いような気がします。疑似体験で十分じゃないのかな。第一、現実世界で考えるならば、全員が勇者になるよりも、戦士もいて武闘家もいて僧侶もいて魔法使いもいて・・・という、それこそ多様性のある社会の方が面白いんじゃないですかね。(この多様性という言葉にも最近は少々辟易していますが)

そしてそれぞれの長所は伸ばしていき、互いの短所を連携して補い合いながら、人と人とが協力して社会を作って行く方が、なんかこう・・・温かいと思うんですよね。もちろん、完全な社会なんて築けないと思います。でも恐らく、どんなことをしたって完全な社会なんて築けないと思います。それならば人間辞めちゃうようなスーパー合理的社会じゃなくて、少々不便でも温かみのある社会の方がいいなぁ、というのが私の個人的な感想です。

普段は国の政策のことなんて触れないような生活をしている方にも、これを機会に少しでもこの国のやることに興味を持ってもらえればなと思っています。各々、賛成か反対か、色々と意見はあると思いますが、それも含めて世の中で起こっていることに先ずは興味を持ってみるのが今は大事なような気がしています。

最近思うのは、自分の頭で考えることがいかに大事かと。それと色々と自分から知ることがいかに大事かと。流されるままの思考停止状態に陥れば、それこそこの世の悪に導かれるがままになってしまうかも・・・これって妄言に捉えられたりするんでしょうかね。

いや~、他にも書きたいことはたくさんあって、なかなか絞るのが難しい・・・。また気になったことがありましたら、こうしてつらつらと書くこともあるかも知れません。ご興味あれば、お読みいただければと思います。

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