子供の話に思うこと⑧「中学校の英語教育」

 

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この春から、息子が中学生となりました。月日の経つのは早いもので。背もとうの昔に追い抜かされています。家族で私が一番ちびっことなりました。ただでさえチビですが。チビなビビです。

先月、早々に学校で公開授業があり、学校へふらっとお邪魔してみました。息子が受けていたのは理科の授業でしたが、隣で英語の授業が行われていて、一応大学まで英語を専攻していた私としては興味もあり、ちらっと覗かせてもらいました。普通に日本人の先生が板書をしながら説明するというスタンス。懐かしい光景です。

中学校から受け取った学校の説明には年間の授業数が書かれており、そこで驚いたのは、国語よりも数学よりも、英語が最も多い授業数だということ。……おいおい、どういうことだよと、目を疑いました。なんでも昔と比べるのは良くないことと思いますが、確か私が中学生の時には国語と数学の方が授業数は多く、英語は週3とかだったような。This is a penの世代で、教科書はお決まりのNew Horizonでした。ああ、懐かしい。もうウン十年と前のことです。

中学校の授業でどうしてこれほど英語が重要視されているのかを考えると、今の教育者のお偉方の世代がこのようなことを決めていることを思えば、単にその世代の方々の英語への憧れというものがそのまま反映されているんではないかなと。もしかしたら今の若い方にもあるのかも知れませんが、日本人の英語への憧れというのは恐らく戦後から根強いものがあったのではないかと思います。なんかこう、キラキラしてるぅ、みたいな。英語が話せるだけでかっこいい、みたいな。世に溢れる流行りの歌にも英語が多く使われたりで、それも相まって「なんかかっこいい」という印象が醸成されたのは一つ、あるでしょう。実際、私もそんな感じで英語に憧れた一人です。だから大学に入っても英語を専攻しました。喋れませんけど。

子供への教育を考えるに当たり、常により良い教育をと考えること自体は全く間違っていないと思います。しかしそこに大人の憧れや勝手な希望を入れてしまっては、教育自体が歪んでしまうものと思います。あくまでも「子供の教育に良いこと」を常に優先的に考えなくては、学ぶ子供たちもその内容に戸惑うのではと思います。

中学校で習得する英語の単語数も、昔に比べて格段に多いと聞きました。それというのも、小学5年生から英語教育が始まり、中学校に入学するときには「英語の土台はできているね?」というところから始まるからなのかなと思いますが……小学校での英語の授業を見てきた人がそう考えているんですかね? ネイティブの先生を小学校に置き、英語のみで進められるような授業で、生徒たちは凡そぽかーんとした状態で進められる小学校での英語の授業に一体どれほどの意味があったのか。私としては謎です。息子に聞いても、「英語のゲームとか歌とか、なんだかよくわからないままだった」という感想を漏らしています。授業とは呼べないですね。しかもネイティブとは言いながらも、出身を聞くと絶対「ネイティブ」ではないでしょうと突っ込みたくなる人選だったりと、小学校での英語教育がいかに杜撰な設計のもとに進められているか。

結局、「子供たちに英語を学ばせなくては!」と無暗に思っている大人がただ外国人の講師をつけて、それらしい感じで英語の授業を取り入れている、そしてそれで満足しているというようにしか私には感じられませんでした。それだからこそ、小学校では本当に英語の授業など不要だと思うんです。そもそも、「英語の授業」ができていないんですよ、現場は。あのような授業で英語が身につくわけがないです。

物事の学習って、基本は反復だと思います。繰り返し繰り返し暗唱したり、書いたりすることで、頭で覚えるというよりも体が覚えるという……。現に私たちが普段話したり書いたりしている日本語も、生まれた瞬間から使いこなせたわけはなく、段々と、練習を重ねてできるようになってきたものですよね。それを外国語である英語でやろうとすれば、同じような反復が必要となるはずです。それこそ、私が中学生の頃の英語の教師は必ず「repeat after me」と言って、生徒に言葉を繰り返させていました。あの方法、恐らく間違ってはいなかったと思います。だって「学ぶ」ということは「まねぶ」ということですから。真似させるということが、学習の基本でしょう。

少なくとも小学校の英語の授業時にそれをやっているようには見えませんでした。私にはただの幼稚園のお遊戯の延長のようにも見え、この時間はもったいないとまで思っていました。小学校の時の英語の授業で何か英語というものが身についていれば良いのですが、恐らくそんなことにはなっていないから今、中学校に入ってから英語を苦手とする生徒が増えているのではないかと思います。

何かを学習する時、入り口で躓いてしまっては、もうそこから先に進みたくなくなりますよね。中学校の英語においては、その現象が起きているのではと思います。初めから転んで大けがをしてしまえば、そこから復帰するのはなかなかに難しいものでしょう。中学校に入学して、初めのテストでちんぷんかんぷんとなれば、もうそこで一気にやる気が失せるのも責められません……。人間って、そういうものだし。当然、易しければ良いものではないですが、そもそも小学校での英語教育がどうなんだいという状況での中学校の英語なので、土台から間違えているのではと思うわけです。

また、中学校の校舎内に貼られていた英検を推進するようなポスターにも、ある種の闇を勝手に感じてしまいました。こりゃあ……アレかな、と。不思議なんですよね、英検を学校という場が推し進めるのって。どうやら英検を取得すれば、受験にも有利だという条件があるようですが、この英検ってそもそもどうなのかしら、という疑問が。私自身、英検2級を持っていますが、だから何だというほどのもので、実際に役立つかどうかと言えば、いやあそんなことは……と言わざるを得ない。しかも中学生で頑張って取得しなくても良いんではないかなと思います。もし取得するとしても、高校、大学、社会人でも、それくらいの時に好きに取ればいいと思っています。こういうものを受験に絡めるのはやめてほしいなぁと思うのと、やっぱりある種の闇を感じてしまう……。だって、今や英語を学習したいと思うなら、いくらでも方法があるじゃんと思ってしまうわけで。英検に合格するよりも、英語での日常会話に困らない人の方がすげぇぇと思いますよ、私なんかは(笑)

そしてやはり思うのが、今の今、この時代になってそこまで必死に日本人全員が英語を勉強する必要があるのか、ということ。これに尽きます。それよりも、翻訳こんにゃくツールのようなものを使えるように、機械に強くなった方が良いんでは?なんて。あくまでも、英語という言語自体が「ツール」なので、このツールを使って何がしたいかの方がよほど重要でしょう。

こちらが何をしたいのかと合わせて、相手方が私たちに何を求めているのかと考えれば、私が海外に行ったときに痛切に感じたのは、「相手は私のこと、日本のことを知りたいんだ」ということでした。それは今も変わらずあることなんじゃないでしょうか。それを考えれば、私たちが最も重要視しなければならないのは、もっと深く自国のことを知るべきということではないかしらということです。聞かれても、知らなければ答えられないんですからね。だーかーら、もっと重要視するべき科目は国語や社会であると思うんです。

世界で唯一、2000年以上続く日本という国がどれだけ特別視されているか、私たち日本人が最も分かっていない。何においても、内にいると分からないものです。しかも、戦後の私たちは妙な教育を受けてきたので尚更です。もういい加減、英語をやたらと羨望するのではなく、「適度」な位置に移動させることを考えた方が、今時で言えば“タイパ”がいいんじゃないでしょうか? 最も頭の柔らかい時期に、躍起になって英語を勉強するよりも、他にやることがあるんじゃないでしょうかねぇ。

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