2017/12/03

夜に光る草

 

この記事を書いている人 - WRITER -

「しかしよく引き受けましたね」
ルラフェンの町を出て、すでに一週間が経過していた。冬本番の季節となり、身を切るような寒さの中、外を旅する人間の姿はほとんどない。空は薄青く晴れ渡り、リュカ達を照らす太陽にはあまり力を感じない。しかし二日前の移動中に起きた猛吹雪を思い返せば、今の内に進んでおきたいと、リュカはパトリシアの手綱をしっかりと握っていた。
「引き受けた時は、まさかこんな長旅をすることになるとは思わなかったんだよね。古い呪文の研究を手伝うのに、こんなに遠くに行くことになるなんて……」
ピエールの言葉に、リュカは決まり悪そうに語尾を濁しながらそう答えた。
ルラフェンの町に住む呪文の研究をする老人の名がベネットだと言うことを、リュカとマーリンは老人と話した後で知った。町の住人でベネットを知らない者はいないほど、彼は有名人だった。しかしその名を口にする町の人は決まって、あまり良い顔をしない。好き勝手に家から煙を撒き散らし、周囲の迷惑を顧みない研究を続けるベネットを、町の住人はそれこそ煙たい目で見ていた。
そんな噂も知らないリュカは、ただルラフェンの町で聞いた噂を確かめたい一心で、ベネットの研究を引き受けると二つ返事をしてしまったのだ。古の呪文の研究というのがどんなものか、リュカはさほど想像していなかった。ただおぼろげにそれは老人には難しい力仕事なのだろうと、勝手に推測していたに過ぎなかった。
ベネットとしては好都合の若者が現れた、と言ったところだろう。彼が必要としているのは、ルラフェンの町から遠く離れた地に生えていると言われているルラムーン草という光る草だ。ルラフェンの町に訪れた旅人がちょうど家に姿を現し、研究を手伝いたいなどと言い出したとあれば、ベネットが自分では決して手に入れることのできない草を取ってきてほしいと依頼するのも当然の話だった。
「地図に場所は書きこんだけど、本当にあるのかな」
ベネットの家の地球儀で場所を教えてもらい、文献を勝手に見てルラムーン草という草がどういうものなのかもしっかりと見てきた。葉は外側にくるんと丸まり、中央に丸い綿のような花か草の一部が出ていて、どうやらその部分が光るらしい。夜にしか光らないその草は、もしかしたら昼間はその葉が閉じて、全く違った形を見せているのかも知れない。そしてルラムーン草の大きさについては、文献には何も書かれていなかった。地図上に場所を書きこんだはいいものの、その光る草がとてつもなく小さな草で、ほんの少数しか生えていないような植物だったら、果たして探せるのかどうか、リュカは前に進むにつれて不安が増すのを感じていた。
「ないことはないと思うがのう。あの本には『古い呪文の研究には欠かせない草』と書かれておった。そういうものは、ああいう本を書くようなヤツがしっかり残しておくと思うがの」
マーリンの言う通り、ベネットの家で見たような文献が残っていると言うことは、あの文献を書いた人物がいるということだ。かなり古い書物で、ずっと昔から呪文研究をする人間から人間へ、脈々と受け継がれてきたに違いないと思わせるようなものだ。熱心な呪文研究者がルラムーン草を大事に残しておくことは大いに考えられる。しかしそれならばなぜ、そこに町や村はないのかがリュカには疑問だった。
「実は地図に書いていないだけで、ここには人間が暮らす町があるのかな」
「どうなんでしょうね。リュカ殿の地図はヘンリー殿からもらったものでしたっけ」
「うん、エライ学者さんに描いてもらったらしいよ」
「かなり細かく描かれていますね。でも小さな町や村ならばここに描かれていないこともあるかも知れない」
「いや、もともとはそこに人間の暮らす町や村があったのかも知れんが、今や滅びておるのかも知れんぞ」
マーリンの指摘に、リュカはぐっと言葉を詰まらせた。今、ベネットが研究している呪文ルーラは、遥か昔に滅びてしまった呪文だ。一つの呪文が滅びるよりも、人間の町や村が滅びてしまう方がその数はよっぽど多いだろう。マーリンの言うことは現実として受け止めなければならないことだが、リュカにはその現実を受け止めるのは辛かった。どうしてもサンタローズの村を思い出してしまう。
「でももし小さな村でもあったら、そこの人たちが古い呪文のことも知ってるかもね。ずっと昔から受け継がれていたりして」
「そんな人がいれば良いですね。私たちでその草を探すより手間が省けそうです」
マーリンとは異なるピエールの現実的な考えに、リュカは救われる思いがした。遥か昔から呪文の研究に使われるような貴重な草が、果たして野ざらしで放っておかれるものなのか。考えてみるとその可能性の方が低いような気がしてきた。ルラムーン草はきっと誰かに守られているに違いないと、リュカは不安になっていた気持ちを抑え込んだ。
前方には広い台地の景色が広がる。季節は真冬だと言うのに、その台地には緑の景色が広がっている。常緑樹が群生する台地からは、今の季節には寒々しく感じられる激しい水の音が聞こえる。台地を上った先には大きな滝があるのだと、リュカは地図の景色と目の前の景色を重ねて見て、確認した。
台地に上って進めば、ルラムーン草への道のりは断然近くなる。しかしかなりの急勾配を進むことになってしまう。時間を短縮したいのは山々だったが、リュカは遠回りとなる道を選び、台地には上がらないことにした。
台地を大きく取り囲むように、迂回の道は続いている。見通しの良い平地にはところどころに雪が残っている。この辺りにも数日前に雪が降り積もったのだろう。しかしそれほどの量は降らなかったのか、冬の日差しに照らされる部分の雪は既に解けて消えてしまっている。馬車を進めるのには困らない程度の雪で良かったと、リュカは遥か遠くまで続く平地を眺めた。
リュカ達が進む平地の北東には大きな森が広がっている。どこまで続くか分からないほどの広大な森を見ながら、リュカは今日の野営はこの森のどこかにしようかなどと考えていた。
ぼんやり眺めていた森の中に、何やら人影のようなものをリュカは見た。目を凝らして見ると、明らかに人型のしたものが、森の中で数体動いている。ルラフェンの町を出て、今まで他の旅人に出会ったことはなかったが、自分たちの他にもこの辺りを旅する人間がいるのかと、リュカは彼らに話をしてみようと興味深げに近づいて行った。
「リュカ殿、どうされましたか」
平地を行くパトリシアの手綱を引いて森へ向かおうとするリュカに、ピエールが首を傾げて聞いてきた。
「あっちに人がいるみたいなんだ。ちょっと話を聞いてみようかと思って」
「では我々は馬車の中に隠れた方が良さそうですね」
「あ、そうか。じゃあちょっと中に入っててくれるかな」
ピエールに言われなければ、リュカは魔物の仲間を連れたまま旅人達に近づくところだった。リュカにとって仲間の魔物たちは人間も同然なのだ。姿形が人間と違っても、言葉が話せなくても、リュカにとってはなんら関係ない。
「リュカ、マモノ、イル」
馬車の右側を歩いていたガンドフが、リュカに近づいてそう教えてくれた。ガンドフの大きな目は、リュカと同じように北東に広がる森の中を見つめている。
「あの森の中にいるの、ガンドフ」
「イル、サンニン、イル」
ガンドフの大きな一つ目はかなり遠くのものをはっきりと見分けることができる。森の中に身を潜めている魔物の姿を、ガンドフはその目で的確に捉えたに違いない。
「大変だ、同じところに人もいるみたいだから、早く教えてあげないと」
「ヒト?」
「うん、ほら、あそこに……」
リュカが指差す方向は、ちょうどガンドフが大きな目で見つめていた場所と同じところだった。そのことに気付いたリュカは、改めて森の中で動く人影をじっと目を凝らして見つめた。その影はどうやら、人間ではなく、人の形をした魔物の影だったようだ。人間にしてはカクカクと不自然に動くその魔物は、木でできた人形のように見える。
「パペットマンじゃ。あやつの動きをまともに見てはならん」
馬車の荷台から顔を出したマーリンが、リュカ達に忠告する。そして自分は決して馬車から出て戦おうと言う意志は見せない。
「まともに見ちゃいけないって、どうして?」
「あの奇妙な動きは敵の魔法力を削ってくるぞ」
マーリンの言う意味が今一つ分からず、リュカはとにかくまだ遠くに見えるパペットマンという木の人形の魔物の姿からなるべく目を逸らすようにした。森の中で何かの儀式でもしているようなパペットマンの揃った動きは、マーリンに忠告されていなければついつい見てしまうようなものだった。
「まだ距離がありますから、このままやり過ごしましょう」
「そうだね。ガンドフに言われなかったら、人だと思って、ずっと見ながら近づくところだった」
「ピィピィ」
馬車を引くパトリシアの背に乗るスラりんが、警戒しろと声を出した。その声にリュカは馬車を進める平地の前方を見渡す。そこにはパペットマンとは違う人型の魔物の姿があった。その魔物は人間の子供ほどの大きさで、石や岩などと同じような灰色をしている。大きな耳は尖り、目にはまるで人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべ、口の中にしまいきれないような長い舌をだらしなく口からぶら下げている。
「スモールグール……ちびっこいが侮ってはならんぞ」
平地を進む馬車の行く手を遮るように、三体のスモールグールが横に並んでいる。リュカが馬車の進む方向を変えても、スモールグールは馬車の移動する位置に合わせて動いてくる。
「やり過ごすのは無理そうだね。話ができればいいんだけどな」
「あの様子では話をするのは無理そうです」
ピエールがそう言うのも無理はなかった。スモールグールは三体とも長い舌を鞭のようにびゅんびゅんと振るい、両手でリュカ達を手招きするように挑発している。その場で飛び跳ねたり、後ろを向いてお尻を叩いたり、戦う気満々のようだ。
「三人しかいないみたいだし、ちょっと追い払っちゃおうか」
リュカは腰に下げているパパスの剣に手を伸ばした。カボチ村の西の洞窟でプックルと再会し、父の剣を手に入れてから、ここまで進んでくるのに既に何度となくこの剣を振るっている。使い始めの内は、父の手の形に馴染んだ柄に少なからず違和感があったが、今ではまるで初めから自分の剣だったのではないかと思えるほど、リュカの手に馴染んでいる。剣の柄の形がリュカの手に合うように変わったのか、それとも父の手の形にリュカの手の形が合うようになったのか。リュカは剣を握るだけで、亡き父が傍にいてくれるような気がして、それだけで心強かった。剣を違和感なく振れるようになったことで、父に近づいた気がして、心に染みるような嬉しさを感じていた。
リュカが剣に手を伸ばしたことに気付いたプックルが、リュカの隣に並ぶ。プックルが赤い尾をブンと振り、『先に行ってもいい?』と聞いているのが分かると、リュカは「油断しちゃダメだよ、プックル」と自然と声をかけた。プックルが一足先にスモールグールに向かって走り出すと、リュカも剣を手にして、魔物の群れに向かって行った。
近づいて見ても、スモールグールは小さな魔物だった。町や村で出会う人間の子供ほどの大きさの魔物に、リュカはつい剣を振るうことをためらう。しかし魔物は人間に対して容赦しない。プックルの攻撃を逃れたスモールグールが、地面を蹴って高く飛び上がると、リュカの脳天に思い切り両手を振り下ろした。魔物らしい鋭い爪を持つ両手の攻撃に、リュカはターバンがビリビリと音を立てて引き裂かれるのを感じた。
「リュカ殿、躊躇ってはいけません」
ピエールの大声に、リュカは手にしていたパパスの剣をしっかり握り直し、スモールグールに振るった。すばしっこいスモールグールはリュカの攻撃をひらりと避け、また馬鹿にしたように長い舌を出してゲラゲラ笑っている。
「……何となく、腹が立ちますね」
「そう?」
「リュカ殿は寛容なお方だから、そう感じないのかも知れません」
「そんなことないよ。僕だって腹を立てる時はあるよ」
そう言いながら、リュカはスモールグールを見るが、いくら小馬鹿にしたような動きをしても、腹を立てるようなことにはならない。それよりもどうしてそんなに人間を馬鹿にしたような態度を取るのかが気になってしまっていた。
プックルは既に一体のスモールグールを倒していた。二体目の魔物に飛びかかろうと、地に両足を踏ん張っていると、プックルの目の前のスモールグールが突然、耳に障るようなキーンという甲高い音を出した。その音に目の前のプックルも、リュカもピエールも思わず息を止め、戦いに参加しようと近づいて来ていたガンドフなどは、その音にひっくり返りそうになってしまった。
「何、この音?」
まだ耳の中に残る不快な音に、リュカは顔をしかめながら辺りを見渡した。すると三体のスモールグールしかいなかった平地に、次々と同じ魔物が現れ始めた。どうやらスモールグールは森の中に棲んでいるようで、目を疑うほどの数のスモールグールが森の中から湧き出してくる。
「あの音で仲間を呼んだんでしょうか」
「そういうことか。うわー、さすがにこの数は相手にできないよ」
リュカがざっと見渡すだけでも、現れたスモールグールの数は三十体以上はいる。一体一体を剣で倒すのでは、その間にこちらがやられてしまうだろうと、リュカは剣を手にしながらも、呪文の構えを取った。同じことを考えていたピエールも、リュカ同様に呪文の構えを取っている。
好戦的なスモールグールは、リュカ達が呪文を唱える前に攻撃を仕掛けてきた。しかしそんな魔物の群れの前に、氷の息が吐き出された。ガンドフが大きな一つ目をしかめて、氷の冷たい息を魔物の群れに向かって吐き出したのだ。ただでさえ寒い冬の外気に、さらに氷の空気が身にまとわりつき、スモールグールたちは揃って身体を震わせた。
一瞬動きを止めたスモールグールの群れに、リュカとピエールの呪文が炸裂する。真空の刃を浴び、突如目の前で起こる爆発に、スモールグールたちは為す術もなく、ばたばたと地面に倒れる。それだけでは倒れないものも、すかさず攻撃をしかけるプックルの前に倒された。
しかしその攻撃だけでは半分ほどしか倒すことができなかった。まだ残る魔物が、再びあの耳障りな音を出して、仲間を呼んだ。森の奥から出るわ出るわのスモールグールに、リュカはさすがに危機感を覚えた。
「これって、中途半端に倒せばそれだけ危険ってことかな」
「……そうかも知れませんが、やるしかありません」
「でもいずれ呼ぶ仲間もいなくなるかな」
「リュカ殿、目の前の広大な森を見てください」
ピエールの言う通り、スモールグールの仲間が次々と現れる森はとてつもなく広い。リュカの持つ世界地図にもしっかりと書かれるほど広い森から現れるスモールグールの群れを、呼ぶ仲間もいなくなるほど呼ばせるというのは、到底現実的ではない。
「逃げられるかな」
「パトリシアなら何とかなるかも知れません。しかしガンドフを乗せてとなると……」
リュカとピエールが相談していると、スモールグール達は相変わらず人を馬鹿にしたような顔をしながら、『バカにするな』と自分たちを気にせず話をするリュカ達に攻撃を仕掛けて行った。とても話し合える状況ではなくなったリュカとピエールが四苦八苦しながら複数の敵と対峙していると、突然目の前のスモールグール数十体が火に包まれた。
「逃げるにしても、目の前の奴らをどかさんと無理じゃろうが」
いつの間にか馬車から下りてきたマーリンが、呪文で応戦していた。すっかり馬車を取り囲まれてしまった状況に気付き、リュカも慌てて呪文を唱える。辺りは真空の刃やら爆発やら炎やらがあちこちに起こる。怪我を負い、倒されそうになると仲間を呼ぼうとするスモールグールを、プックルやガンドフが直接攻撃で仕留めて行った。果てしない戦闘が続き、敵からの攻撃を受けてはリュカやピエール、時折ガンドフによる治癒呪文で傷を癒す。へとへとになったところで、馬車が通れるほどの活路を見出したリュカは、咄嗟に叫んだ。
「今だ! みんな、行くよ!」
パトリシアの鞍に乗っていたスラりんが、口で手綱を強く引くと、パトリシアは一気に前に駆け出した。近くにいたマーリン、ピエールはすぐに馬車に乗り込み、置いて行かれそうになったガンドフは今までに見たこともないほどの速さで走り、何とか馬車の荷台に乗りこんだ。
馬車と最も離れたところにいたリュカは、合図を出したはいいものの、自らは馬車に乗ることができなかった。全速力で走り、スモールグールの群れを抜けようとしたが、馬車が通り過ぎた後、また逃げ道を塞がれてしまった。こめかみに冷や汗が流れる。
「がうっ」
唐突に近くに聞こえたプックルの声に、リュカは思わず「どうしてここにいるんだよ!」と怒鳴ってしまった。リュカの大声にプックルは一瞬ビクリと身を縮こまらせたが、背をかがめてリュカに乗れと赤い尾で自分の背をトントンと叩く。
「プックル?」
「がうがうっ」
早くしろと急かされ、リュカは何も考えないままプックルの背に跨った。途端に駆け出すプックルの首にしがみつき、リュカはスモールグールの群れに突進して行くプックルを止めることもできない。その速さに声を出すこともできず、リュカはただ目を瞑ってその時を待った。
プックルが地面を強く蹴ったのが分かった。宙を高々と飛ぶプックルを、リュカは目を瞑りながら想像することしかできなかった。恐らく今、スモールグールの群れは眼下にあるのだろう。プックルだけならば、このスモールグールの群れをいつでも切り抜けられたのだ。
先に猛スピードで走って行ったパトリシアに追いつき、プックルは駆け足を止め、ゆっくりと歩き出した。プックルにしがみついていた腕がしばらくしびれていたが、歩くプックルの背に乗っている間に、リュカは徐々に上体を起こした。
「ピーピー」
馬車を止めて待っていたスラりんが、地面に下りてリュカのところまで跳ねてきた。リュカの合図と共に馬車を発進させたとは言え、肝心のリュカを乗せずに突っ走ってしまったことを反省しているらしい。
「スラりんは悪くないよ。スラりんのおかげでみんな助かったも同然なんだから」
「ピー……」
「にゃあ」
気落ちしているスラりんを、プックルがベロンと舐めて慰める。プックルの背に跨ったままリュカが手を差し出すと、スラりんはその手にぴょんと飛び乗って、再びリュカに「ピー」と謝りの言葉を述べていた。
「もう少し進んだところで今日は休むぞい」
「そうですね、魔法力が底をついてしまいました」
「まさかあんなに次から次へと出てくるとは思わなかったもんね」
リュカはプックルの背から下りると、がくっと膝を折った。猛スピードで走るプックルの背に必死にしがみついていたため、身体中が強張り、上手く立てなかった。地面に座り込んだリュカの背を、プックルがその大きな身体で支える。
「やっぱり近道した方が良かったかな」
そう言いながらリュカが指差すのは、急勾配を避けて上がらなかった台地だ。台地の北側を進むリュカ達からは、切り立った崖が見えるだけで、もう台地の上に上がることはできないようだった。ルラムーン草の生える土地に行くまで、もし台地の上を通って行っていたら、移動の距離をかなり縮めることができただろう。
「いえ、しかしあれだけの敵から逃げられたのも、ここがこうして開けているところだったからですよ」
ピエールの言葉に、リュカは周囲の景色を見渡した。確かにここが木々が立ち並ぶ森の中だったら、馬車を疾走させて皆で逃げることは不可能だっただろう。見通しの良い、邪魔になる木立ちもないような平地だったから、パトリシアの全力疾走でうじゃうじゃと集まる敵の群れから逃げ切ることができたのだ。
「とにかく今日は早うに休むぞ。ワシは疲れたわい」
マーリンがいつも以上に腰を折り曲げて、力なく馬車の荷台に乗りこんだ。呪文の使い通しで、リュカ以上に疲れているようだ。
「今日はこれ以上進んで敵に遭っても大変だから、あの崖の近くで休むことにしよう」
再びスモールグールの群れに遭遇したら、今度は逃げ切ることができないとリュカは状況を見ていた。攻撃呪文を使える者が皆、魔法力をほとんど使い果たしてしまっている。おまけに冬の季節は陽が落ちるのも早く、既に東の空には一番星が見える時刻になっていた。魔物の動きが活発化する夜の時間帯に移動するのは危険が増すと、リュカはさっさと今日の休む場所へと馬車を進めて行った。



ルラフェンの町を出て、三週間が経った。真冬の海に雪がちらちらと降る景色は、救いようがないほど寒々しい。空は灰色の雲に覆われ、地面にはうっすらと雪が積もり始め、辺り一面を銀世界に変えようとしている。
リュカはボロついてきた世界地図を広げ、周囲の景色と見比べてみた。東には山々の景色があり、馬車を進めてきた道は、今は雪に覆われている平地が広がり、西に目を向ければ白波の立つ荒れた海がどこまでも続いている。ルラフェンの町でベネットに聞いてきた西の果ての地に辿りつき、目的のルラムーン草という呪文の復活に必要な草を探しているが、ずっと見つからずにいた。
「本当にあるのかな……」
「夜にしか探すことができんからのう」
「幸い今が冬で良かったですよ。夜が長い季節ですからね」
夜になるとぼんやりと光ると言われるルラムーン草を探すため、リュカ達は数日前から夜に起きて行動するようにしている。昼夜逆転する生活が、ここ数日続いているのだ。灰色の雲に覆われた空の下では、今がどれくらいの時間なのか、把握するのが難しい。しかしまだ頭がぼんやりとして、目が覚めない感覚に、リュカは今はまだ昼過ぎくらいなのかもしれないと真上の灰色の空を見上げた。
「また少し移動してみようか。どの辺がいいかなぁ」
「想像はしていましたが、なかなか根気のいる作業ですね」
ルラムーン草が夜に光る草だと言うことはベネットから聞いているが、その草が果たして群生しているものなのか、希少な草でこの世に一本しか生えていないのか、リュカ達は知らないままだ。もしこの広大な西の果ての地で、たった一本しか生えていないような草ならば、恐らくリュカ達が見つけるまでに枯れてしまっているか、もしくはリュカ達が枯れてしまうかのどちらかになるだろう。
リュカは場所を移動する度、どこかにルラムーン草をずっと守り続けている町や村、はたまた世界地図には記されていないような国があるのではないかと期待していた。呪文の研究に古くから使われる貴重な草なのだ。それこそベネットのような呪文を研究する者が、代々ルラムーン草を受け継いで、守り続けているのではないかとリュカは想像を膨らませていた。
しかしルラフェンの町を出て三週間経ち、西の果ての地に辿りついて見る景色と言えば、人間の気配など皆無と言っても良い荒れた土地が広がるだけだった。見渡す限りの平地の寒々とした景色の中に、たまに人工的な建物の名残が見られたが、それも近づいて見てようやくそうと分かる程度の、建物の破片だったりした。それも広範囲に渡ってその破片が見られるということは、もしかしたらかつてこの場所には大きな町や国があったのかも知れない。ルラムーン草を求めて場所を移動すると、そこにも同じような建物の破片が落ちていたり埋まっていたりする。
もしかしたらルラムーン草を代々守っていた一族は既に滅びてなくなり、古代呪文ルーラはもう復活させることはできないのではないかと、リュカは目の前に広がる茫々たる景色に小さく溜め息をついた。瞬時にして遠く離れた場所へ移動できるというルーラの呪文が復活すれば、リュカは真っ先にラインハットへ向かおうと考えていたが、それも束の間見た夢と終わってしまうかもしれない。
「ヘンリー、本当に結婚なんてしたのかな」
ぼそりと言うリュカの言葉に、ピエールが小さく唸り声を上げる。
「人間の噂と言うのは根も葉もないものもあるでしょう。そういうことなんじゃないでしょうかね」
ピエールはリュカ以上に、ヘンリーが結婚したという事実を受け入れていない。ラインハットと言う国でヘンリーを取り巻く環境がそうさせない、と言うよりは、ヘンリー自身が結婚などに興味がないだろうと思っているようだ。
「ヘンリー、アエル?」
ガンドフもヘンリーの事が話題に上ると、興味を持って口を出してくる。大きな一つ目をパチパチさせて、リュカの顔を覗きこんできた。
「ルーラって言う呪文が使えるようになればね。でも、ちょっと難しいかも」
「マリア、アエル?」
ガンドフの言葉に、スラりんもリュカの足元でピィピィ声を上げて何やら話している。スラりんとしては、ヘンリーに会うよりも、マリアに会いたいようだ。
「マリアか。そうだね、海辺の修道院にも顔を出しておきたいな、もし呪文が復活したら」
「ルラムンソウ、サガス」
「うん、ガンドフは目がいいから一番に見つけられるかもね」
「ピー」
リュカがガンドフに期待の言葉をかけると、スラりんも負けじと声を上げて、ぴょんぴょんと跳ねながら我先にとルラムーン草を探しに行ってしまった。リュカが「あまり離れないでね」と後ろから声をかけると、スラりんはその場でくるりと一回転して跳び上がって、冷たい草地の上を移動して行った。
リュカは曇天の空を見上げた。細かな雪が降り続いている。辺りは既にうっすらと雪化粧を始めてしまった。
「またこれで辺りは雪に覆われそうじゃな」
馬車の荷台から下りてきたマーリンが、リュカの隣に並んでそう言った。緑色のローブに全身を覆っているマーリンだが、袖や裾から覗く骨ばった手足を見るだけで寒そうだ。しかし人間ではないマーリンはそれほどの寒さを感じていないようだった。冷たい風に吹かれても、身を縮こまらせることなく、普段通りに立っているだけだ。
「マーリン、雪を止める呪文って知らないの?」
「そんな呪文は古代に遡ってもないじゃろうな」
あっさりとしたマーリンの答えに、リュカはがっくりと肩を落とした。
「ところでお主、そのヘンリーとやらにそれほどに会いたいのか?」
カボチ村へ行く途中で仲間になったマーリンは、ヘンリーのことを知らない。ルラフェンを出てから少しヘンリーの話をしたが、どうもピンと来ていないようだった。
「僕の親分だからね。旅の経過も報告しておきたいし、今のラインハットがどうなってるのかも知りたいし」
「お主の親分と言うのがなぁ、どうにも想像できん」
「あ、でもヘンリーの親分がプックルなのかも」
「なんじゃ、それは」
首を傾げるマーリンの前で、リュカは幼い頃のヘンリーとプックルを思い出していた。ヘンリーの部屋の前で待たせていたプックルが、待たされていることにしびれを切らして勝手に部屋に入って来た時、ヘンリーは怖がって椅子の上に逃げてしまったのだ。プックルにヘンリーを襲う気は毛頭なく、ただ興味深げに近づいてにおいを嗅ぎたかっただけなのだが、椅子の上で震えるヘンリーは手で追い払う仕草をするだけだった。
「ラインハットへ行けるようになったら、プックルも連れて行かないと」
「なにやら楽しそうじゃの」
珍しく意地の悪い笑顔を浮かべているリュカを見て、マーリンはリュカに呼ばれたのかと近づいてきたプックルに「お前の主人は案外性格が悪いようじゃぞ」と耳元で忠告していた。マーリンの言葉を理解したのかどうかは定かではないが、プックルはリュカの傍まで来ると、大きな赤い尾をぶんと振り回し、リュカの尻を思い切り叩いた。
「さぼってないで早う草を探せと言っておるぞ」
「ああ、ごめんごめん。そうだね、僕が一番サボってた」
次第に強まる雪に、平地に生える草は静かに埋もれて行ってしまう。そうなる前にと、リュカはマントの前を合わせて冷たい風から身を守りながら、馬車を少し海寄りに移動させた。



雪雲に覆われた空は灰色のまま、徐々に暗さを増して行った。夜になれば魔物の動きが活発化してくるが、ルラムーン草を探すには夜の闇が必要だ。昼間にいくら目を凝らして探しても、万に一つ以上の偶然がないと、自力で探しだすのは不可能に等しい。
昼過ぎくらいから少し仮眠を取っていたリュカは、馬車の荷台から下りて大あくびをしながら、潮騒の聞こえる方へと歩いて行った。踏みしめる地面には雪が積もり、ブーツでザクザク音を鳴らすと、しっかりと足跡がついた。しかし夕方前に雪は止み、うっすらと積もった雪は馬車の行く道を邪魔しない程度で済んでいた。
ルラフェンを出て、ルラムーン草を見つけて町へ戻るまで、二ヶ月ほどかかるだろうと考えていたリュカだが、ルラムーン草がこのまま見つからなければ一度町まで引き返そうと考え直していた。いつ見つかるとも分からない、見つかるかどうかも分からないものを探しているという事実が、日増しにリュカの気持ちを責める。ルラムーン草捜索のための食料も、帰りの分を考えると、そろそろ引き返さなくてはならない頃だと、リュカは馬車に積んである残りの食料を思い浮かべていた。
目の前には白波の立つ海が広がる。荒れているわけではないが、穏やかではない。人っ子ひとりいない、魔物の姿もない海辺を見渡すと、リュカはどういうわけだか寂しい気持ちに襲われた。
「こんな寂しいところにいたら、そりゃすぐにどこかへ移動したくもなるかも」
ルラフェンの町に住む老人ベネットが復活させようとしている古代呪文ルーラは、瞬時に遠く離れた場所まで移動できる効果があるらしい。目の前に広がる物悲しい海の景色や、遠い昔に人が住んでいたであろう建物の破片などを見ると、リュカは今すぐにオラクルベリーにでも行きたい気分になってしまっていた。
夜の闇が訪れた頃には、空一面を覆っていた雲は晴れ、代わりに現れたのは満月と無数の星だった。満月の月の明かりは、雪雲に覆われていた昼の空よりも明るく感じた。しかし白く明るい月明かりは、うっすらと降り積もった雪景色とも相まって、冷え冷えと感じる。
「ルラムーン草もこんな明かりなのかな」
「あれくらいはっきりと明るければ見つけられるでしょうが、ぼんやりとしていたら、見つけるのも難しいでしょうね」
「いやいや、はっきりと明るくても、ワシらの目の及ばんところでひっそり明るければ、どうしようもないわい」
月明かりに照らされる地表を、皆で真剣に眺めやる。しかしそこに月明かり以上に光るものはない。ただ地表に降り積もった一面の雪が月明かりに照らされる景色が美しい、それだけだった。
皆で手分けして探せばいくらか作業は早くなるが、夜は魔物が活動する時間帯だ。人間であるリュカだけが襲われるとも限らない。この辺りには生息しないスライムやスライムナイト、ビッグアイがふらふらとうろついていたら、それだけで目立ち、魔物であっても襲われかねない。結局皆がひと塊りになって行動するしかないため、ルラムーン草探しにかかる時間は手分けするよりも数倍とかかった。
波音を立てる海辺も月明かりで照らされ、水面がキラキラと光っていた。リュカはその中に魚の姿を見たような気がして、思わず波が打ち寄せる浜辺に足を向けた。馬車に残る食料の減りを考えても、しばらく食べていないからということを考えても、リュカは今目にした魚をつかまえて、焼いて食べたいなどと考えていた。
靴を脱いで、海に入ると、全身が震えるのを感じた。冬の海の水はとてつもなく冷たい。足が一気にかじかむのをじっと耐え、徐々に足が冷たさに慣れると、リュカはもう少し、もう少しと海へと入って行った。
「おかしいなぁ、近くにいると思ったんだけど」
月の満ち欠けや、夜になると浜辺に押し寄せるように魚の大群が現れることがある。空に浮かぶ満月に、リュカはちょうど今日がその日なのだと根拠のない確信を持っていた。手探りでバチャバチャと海水を探っても、何も手に当たる気配がない。
「もう少し明るければ見えるかもしれないんだけど」
リュカがそう呟いた途端、後ろからじんわりと柔らかな明かりが照るのを感じた。マーリンが火の呪文で照らしてくれたのだと、リュカは振り向いてお礼を言おうと口を開けた。
口をぽかんと開けたまま、リュカはその場で立ち尽くした。振り返った先には、先ほどまで月明かりに照らされていた一面の雪景色がある。しかしそれは今、月明かりに照らされているのではなく、一面の雪が自ら輝きを放っているかのように見える。徐々にその明かりは強くなり、やがて眩いほどの光を放つ雪景色が広がった。
「これって、ルラムーン草?」
浜辺からバシャバシャと上がって来たリュカは、裸足のまま雪を踏みしめ、光を放つ雪の上でしゃがみ込んだ。雪は内側から柔らかい暖色の明かりを放ち続けている。雪を手で掻きわけ、中から現れたのは、ベネットの家の図鑑で見たルラムーン草そのものだった。見ているだけで心まで温まるような明かりに、リュカは雪の上に裸足でいることをしばし忘れてしまっていた。
「この辺り一帯、ルラムーン草が生えていたようですね」
近くに来たピエールがリュカの隣で地面に生えるルラムーン草を覗きこみながら、そう言った。
「どうして気付かなかったんだろう。この場所だったらもっと前から気付いてもよかったと思うんだけど」
「それこそ、満月の夜にしか咲かないんじゃなかろうかの、この花は」
「そんなこと、あの図鑑には書いてなかったよ」
「本を書いたヤツがそのことを知らなかっただけなのかも知れんぞ」
マーリンの言葉に、リュカはベネットの家で見た図鑑の内容を思い返した。ベネットが机の上に広げていた図鑑は植物図鑑であり、ルラムーン草の他にも様々な植物が載っていた。決してルラムーン草のことが特化して書かれているようなものではなかった。様々ある植物の中の一つとして、あくまでも紹介されていたに過ぎない。図鑑を編纂した者も、ルラムーン草が満月の夜にしか光を放たないことを知らなかったというのも頷けた。
「がう」
いつの間にか隣に来ていたプックルが、リュカが浜辺に置いてきたブーツを咥えてきた。それまでリュカは自分が裸足で雪の上にしゃがみ込んでいることにも気がつかなかった。かじかんで動かなくなりかけている両足をどうにか動かして、使い込んだ灰色のブーツを履く。そして冬の冷たい地面にも、上に降り積もる雪にも負けずに咲くルラムーン草に手を伸ばすと、根の方をしっかりと持ち、引き抜いた。意外にも根が短く、呆気なく抜けたルラムーン草の花は、リュカの手の中でもしっかりと光を放っている。
「ルラムンソウ、キレイ」
ガンドフが大きな一つ目をキラキラと輝かせてそう呟くのを、リュカは「本当だね」と応えて、同じように花を見つめた。
「さて、これをどうやって持って帰ろう。土と水がないと、ルラフェンの町に着く前に枯れちゃうよね」
「ピーピー」
リュカの足元で、スラりんが雪の上で何やら訴えている。見れば、スラりんの角のような頭がへこんだり戻ったりしている。
「スラりんが持って帰るの?」
「ピ」
得意気に身体を反らせているスラりんの角のような頭は、まるで小さな受け皿のようにへこんでいる。リュカはそっとスラりんの頭にルラムーン草を持って行くと、スラりんは自らルラムーン草の根を吸い込むようにして頭に花を咲かせた。ルラムーン草の花は、スラりんの頭の上でも変わらず明かりを放ち続けて揺れている。
「良かった。これなら枯らさずに持ち帰れるね。ありがとう、スラりん」
「ピ」
得意満面の笑みで身体を揺らすスラりんと一緒に、ルラムーン草の花も揺れる。満月が中天に辿りつくと、ルラムーン草の花は一際眩い光を放ち、辺りを真昼のように照らし出した。まるで幻想的な雰囲気に、リュカ達一行も、いつの間にか現れていたリュカ達を取り囲む魔物たちも、しばしその景色に見とれていた。

Message

メールアドレスが公開されることはありません。

 




 
この記事を書いている人 - WRITER -

amazon

Copyright© LIKE A WIND , 2014 All Rights Reserved.