2017/12/03

宝箱のメッセージ

 

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春の雰囲気を漂わせる柔らかな日差しが、ラインハット城を温かく照らしている。城門脇には一人の衛兵が立ち、城を出入りする人々に笑顔で会釈をしている。そこにはかつての恐怖に包まれるラインハット城の面影はない。長年の呪縛から解かれたラインハット王国の人々は、本来の明るさを取り戻し、生き生きとしているのが目に見える。それと言うのも、王国を統治する人間が本来の姿を取り戻し、正しい政治を始めたからだろう。城門近くに立てられた大きな立て札にも、そのことを表すように、『ラインハット王国に栄光あれ! すべては国民のために!』と書かれていた。
旅装に身を包んだ旅人のリュカも、衛兵に快い笑顔を向けられるだけで、すんなりと城へ通された。城下町の人々や、この国を訪れる旅人や商人らは、城の中にある教会に行くのが目的なのだろう。しかしリュカは、ラインハット城に入るなり、教会とは逆側に向かって歩き出した。それでも誰かに咎められることもなく、リュカは赤い絨毯の敷かれた長い廊下をゆっくりと歩いて行った。かつての物々しい雰囲気はなくなったが、余りにも開けっ広げな城の状態に、むしろちょっとした不安を抱いた。
「ここまで守りが手薄で大丈夫なのかな。まあ、大丈夫なんだろうけど」
城の中に入ってしまえば、旅人であるリュカのことを疑う人物もいない。今ではラインハットを訪れる旅人や商人は多く、国王直々に彼らの話を聞くことも多いようだ。世界の情勢を直に聞き取り、ラインハット国の政治や経済に反映させると言うことなのだろう。彼らから積極的に話を聞くことで、ラインハット復興をより速めることができたのかも知れない。
長く伸びる廊下の右側には多窓がいくつも並び、中庭の景色を眺めることができる。日差しの入った中庭では、猫が二匹、思い思いに過ごしていた。そのうちの一匹が、厨房から出てきた女性の足元にじゃれついて困らせる光景に、リュカは思わず笑みをこぼした。平和なラインハットの姿に、リュカはふと胸が熱くなるのを感じた。
二階へ続く階段を上り、城の最奥に位置する王室へ向かう。迷いなく歩くリュカの姿に、廊下ですれ違う人間も、リュカを疑うことはないようだ。王室に続く螺旋階段を上がると、一人の衛兵と目が合い、思わずリュカはその場で立ち止まった。王室前で警備をする衛兵は流石にすんなりと通してくれはしないだろうと、リュカは自ら衛兵に話しかけることにした。
「あの、デールくんはこの上かな?」
「はっ?」
まさか自国の王が“くん”付けで呼ばれるとは思わなかった衛兵は、リュカの言葉が聞き取れなかったようで、素っ頓狂な声を出して聞き返して来た。その対応に、リュカは己の失言に気付き、慌てて言い直した。
「いや、デール国王はこの上でしょうか?」
「あ、はい、国王は上におわします。本日はどのような御用でいらっしゃいましたか?」
「御用……は特にないんだけど、ただ会いたいだけじゃダメかな」
「旅の方ですよね? どちらからいらしたのでしょうか」
「西の大陸のルラフェンってところなんだけど、知ってるかな」
「ルラフェンですか。かなり遠いところからいらっしゃったのですね。旅人の話に我が国王は常に耳を傾けています。どうぞお通りください」
すんなりと通され、拍子抜けしたリュカだが、衛兵の表情には隙が見られなかった。会話をしながらリュカをしっかりと観察し、もしどこか怪しい行動や表情をしたら、腰の剣を抜いてでも王室に入るのを止めるような気配は感じられた。
王室へと続く階段を上る間、ずっと背後で衛兵の視線を感じていた。ラインハット城の王室に向かうのに、ここまで緊張したのは初めてのことだった。しかし階段を上り切る前に見えた玉座に座る国王の姿に、リュカは詰めていた息をふっと吐き出した。堂々と玉座に座るデールの姿は、かつてリュカが幼い頃に見たデールの父の姿にどこか似ていた。デールはどこもかしこも母親である現太后に似ているのだとばかり思っていたが、国王としての威厳は父から譲り受けているのかも知れない。
リュカの姿を見たデールは、初めはどの旅人にもするような捉えどころのない笑顔を見せていた。しかし見覚えあるその旅装に気付き、次いで彼が数ヶ月前にラインハット王国を救ってくれた人物だと気付くと、途端に自然な笑顔を見せた。
「やや! あなたは!」
「デールくん、久しぶりだね」
「お久しぶりです、リュカさん」
自国の王を“くん”付けで呼ぶ旅人の姿に、デールの傍にいた大臣は最大限の怪訝な顔を見せたが、すぐにリュカだと気付いたらしく、懐に入れていた手を安心して外に出した。
「元気そうだね。町の人も元気そうだったよ」
「全てはあなたのおかげです。いくらお礼を言っても言い尽せません」
「僕じゃないよ。親分がそうしたかったから、僕は少し手伝っただけ」
国王の前で跪くこともなく、至って普通に立ち話をするリュカだが、デールはもちろん、大臣も特に嫌な顔などせずに見守っている。数少ない友人と会って顔を輝かせるデールを見て、大臣も嬉しく思ったのかも知れない。
「兄からあなたのことを色々と聞きました」
声音が低くなったデールを見て、リュカはヘンリーが一体どこからどこまで話したのだろうかと、少し不安になった。しかしデールの表情は笑顔のままだ。大神殿建造の地で奴隷として働かされていたことを話したとなれば、心優しいデールの表情はもっと暗く落ち込んでいるに違いない。そして心優しいヘンリーが、デールにそのような過去を話すとも思えなかった。
「伝説の勇者を探して旅をしているとか」
「ああ、そうなんだ。でもまだ全く分からなくてね」
「いたかどうかも分からないような人ですもんね。でも僕はいたと思います、あなたや兄がこうして存在しているように」
「……どういうこと?」
「だってこの国を救ってくれたじゃないですか。伝説の勇者となる人って、そういう人を言うんだと思いますよ」
デールの言葉に、リュカは他人事のように素直に納得した。かつて悪の魔王を倒した勇者も、その時は普通の少年、はたまた少女だったのかも知れない。普通に人と会話をし、食事をし、笑ったり、泣いたり、怒ったりしていた人物も、悪の魔王を倒した勇者となり、過去の人間になれば自ずと神格化され、伝説になってしまうのだろう。デールの言葉は、伝説の勇者の存在をぐっと近く感じられるようなものだと、リュカは思った。
「そしてせめて恩返しにと、部下たちに伝説の勇者のことを調べさせていたのですが……かつて勇者の使った盾がサラボナと言う町にあるそうです」
「サラボナ?」
「サラボナは西の国ルラフェンの南と聞きました」
デールが口にした町の名は、リュカが旅の途中で幾度も聞いたものだった。ビスタ港から船に乗り、ポートセルミに降りた商人や旅人の多くは、サラボナの町の名を口にしていた。その町には世界でも有名な大富豪がいるらしく、ビスタ港からポートセルミに向かう船の所有者もその大富豪ということだった。いずれは行くことになるだろうと思っていたが、ちょうどその町に勇者の使っていた盾があるという話に、リュカはサラボナと言う町に引き寄せられている運命のようなものを感じた。
「しかし旅立つ前に兄に会ってやって下さい。兄の部屋はこの上です」
「え、あっちじゃないの?」
リュカはそう言いながら東の方を指差した。そこに、幼い頃にリュカが訪れたことのあるヘンリーの部屋があるはずだ。するとデールは苦い顔つきをして、首を横に振る。
「あの部屋は……嫌な思い出が詰まっていると思って、使ってもらってないんです」
デールに言われて、リュカは当時の記憶が蘇るのを止められなかった。あの部屋には緊急避難通路があり、それを当時のヘンリーはいたずらに使っていた。それが原因で、彼は悪党に連れ去られてしまったのだ。あの部屋にいる限り、一番思い出したくない瞬間と常に隣り合わせにいる状態になる。そんなことに、ヘンリーも耐えられないのかもしれない。
「長旅でお疲れでしょう。ゆっくりしていってください。兄も喜びます」
「じゃあ、ちょっとお邪魔します」
まるで町や村の民家に上がりこむような軽い調子で言うリュカを見て、大臣はふっと笑って口髭を揺らしていた。王室内にいる衛兵も、一国の王を前にして非常に親しげな口調で話すリュカに、咎めるような目ではなく、むしろ嬉しさがその目に表れていた。王室にいる大臣も衛兵も、幼い頃にラインハット国王として擁立され、ずっと苦労してきたデールを見てきている。そのデールが立派な国王として玉座に就いているのを誇りに思うと同時に、常に片肘張った状態でいるデールを心配して見ているのだ。リュカと話すような気を楽にしているデールを見ると、それだけで彼らは安心するのだろう。
リュカは玉座を通り過ぎ、王室奥まで歩いて行くと、数ヶ月前に偽太后との戦闘の場となった王室上階へと向かって行った。



元来、国王の私室であった王室上階にも、一人の兵士が立っていた。閉ざされた部屋の扉の前に立つ兵士は、階段を上って来た旅人の姿を見ると、驚いたように眉を上げた。どこぞの旅人が王室奥の階段を上ってくることなど、考えられないことに違いない。腰に提げる剣に手をかけ、警戒する様子でリュカに近づき、低い声で話しかけてきた。
「ここはヘンリー様と奥様のお部屋。無用の者は……」
そこまで言うと、兵士は言葉を止め、改めてリュカをまじまじと見つめた。濃紫色のマントとターバンという旅装は特徴的で、その姿はラインハットのあの特別な日を思い出させた。彼が番をしている部屋の主と共に、数ヶ月前この城に現れた人物、それが今目の前にいる旅人だ。
「あっ、あなたさまはっ!」
兵士の慌てぶりに、リュカも彼のことを思い出した。あの日、偽太后との戦いの時、デールやマリア、本物の太后を無事に部屋の外に連れ出してくれた兵士だった。あの時と変わらず、王室上階の部屋の警備を任されているようだ。
「お久しぶりです。あの時はどうもありがとうございました」
「何を仰るのですか。お礼を言うのはこちらの方です。さあ、どうかお通りください!」
兵士はそう言うと、部屋の扉をノックし、来客を告げた。中から無愛想なヘンリーの声が聞こえた瞬間、リュカは本当にラインハットに来たのだと言う実感をようやく得ることができた。
数ヶ月前、偽太后との戦闘の場となった王室上階の部屋は、まだそこここに傷跡を残していた。開かれた扉を入ったすぐ目の前には火が燻った焦げ跡が残され、石壁にも少し亀裂が入っていた。部屋に敷かれる赤い絨毯は新しいものに替えられていた。偽太后との戦闘で、部屋の絨毯はほとんどを焼失してしまっていたため、さすがにそのままにしておくことはできなかったのだろう。
部屋の奥には、時が止まったように目を丸くして突っ立っているヘンリーがいた。秋頃にラインハットを発ち、ビスタ港から船に乗って西の大陸に渡ったはずのリュカが、突然目の前に現れたのだ。少々訝しんだ顔つきをしているのは、もしかしたらリュカの偽物なのではないかと疑っているのかも知れない。
「やあ、ヘンリー、久しぶり。元気?」
まるで緊張感のない声と調子に、ヘンリーは目の前にいるのが間違いなく本物のリュカだと確信した。本物以外にこれほど馴れ馴れしい雰囲気を出せる者はいないと、ヘンリーは確信している。
「こいつは驚いた! リュカじゃないかっ!」
リュカはヘンリーの明るい声音に、少し戸惑いを覚えた。十余年の付き合いの中、彼の声に明るさを感じたことがないのだと、この時気がついた。もちろん、会話の中では笑い声を上げたり、陽気に話すこともあるのだが、まるでこれからやってくる春の季節のような温かで、嬉しくなるような雰囲気をヘンリーに感じたのはこれが初めてだった。
「ずいぶんお前のことを探したんだぜ」
「そうなんだ。連絡しなくてごめん」
「いや、お前が無事でいてくれるならそれでいいんだ。お前も色々と忙しいだろうしな」
「でも、どうして僕を探してたの?」
リュカが問いかけると、ヘンリーは一度口を閉ざして、視線を逸らしてしまった。そして口ごもるように、小さな声で話し出す。
「うん、その……結婚式に来てもらおうと思ってな」
ヘンリーの口から出た『結婚』という言葉に、リュカは噂は本当だったのだとようやく認めることができた。どうしてもヘンリーと結婚という言葉が結びつかなかったが、本人がそう話すのだから間違いない。
「実はオレ、結婚したんだよ!」
彼がこれほどまでに明るい表情をするようになったのは、結婚をしたからだということは一目瞭然だった。ラインハット復興が着々と進んでいることも、ヘンリーにとって嬉しいことには違いないが、それ以上に結婚というものが彼を様変わりさせたのだ。
「リュカ様、お久しぶりでございます」
聞き覚えのある声が、部屋の奥から聞こえた。見れば、そこには大人しい色のドレスを身にまとったマリアの姿があった。薄く化粧をしたマリアは、かつて修道女として海辺の修道院にいた頃とはがらりと雰囲気を変え、すっかり王国の女性になっていた。マリアもヘンリーに負けず劣らず、明るい表情をしている。常にどこか思いつめたような雰囲気を漂わせていた彼女の変わりように、リュカは自然と笑みをこぼした。
「わははは! と、まあ、そういうわけなんだ」
首の後ろに手をやりながら、ヘンリーが場を茶化すような、照れ隠しのような笑い声を上げる。そんなヘンリーの様子に、リュカは彼の両手を取って、ぶんぶんと上下に揺らした。
「ヘンリー、おめでとう」
予想していなかったリュカの言葉に、ヘンリーはぐっと言葉に詰まってしまった。ビスタ港から西の大陸へ移り、数か月旅をしているリュカの手は、ラインハットを発った時よりもさらにゴツゴツしていた。その手は、本人も気付かないうちに、父パパスに近づいている。
過去を振り返り、危うく目頭が熱くなったヘンリーだが、祝福の言葉をもらって悲しさに泣くわけにはいかない。半ば強引に笑顔を見せ、またふざけたように言う。
「もしかすると、マリアはお前の方を好きだったのかも知れないけど」
「まあ、あなたったら……。リュカ様にはこの先ふさわしい女性がきっと見つかりますわ」
穏やかに応えるマリアは、幸せの雰囲気に満ちている。ヘンリーが何を言おうと、彼女はそれを全て受けとめ、彼に最も良い答えを導き出そうとするのだろう。
「リュカ様、今日はゆっくりできるのですか? お仲間の皆さんは?」
「ゆっくり……一日くらい大丈夫かな。仲間のみんなは一緒じゃないんだ」
「どういうことだ? そもそも、お前一人でどうやってここまで戻って来たんだ。あの神の塔に行くのに使った旅の扉ってやつでもあったのか?」
「話せば長くなりそうだから、やっぱり一日泊めてもらおうかな。みんなには後で話せば大丈夫だと思うから」
リュカはルラフェンの町で今でも待っている魔物の仲間たちを思い浮かべながらそう言った。ベネットの家でルーラの呪文が発動したところを、マーリンとベネットは見ていた。あの後、マーリンからスラりんやピエール、ガンドフ、プックルに説明が行われているだろうと、リュカはせっかく来れたラインハットに一日だけ滞在することに決めた。
「とにかくリュカに会えて本当に良かった!」
「僕もまさかまたラインハットに来れるなんて思ってなかったから、本当に良かったよ」
「結婚式には呼べなかったけど、せめて記念品を持って行ってくれよ」
「記念品?」
「昔の俺の部屋、覚えてるだろ?」
不敵な笑みを浮かべるヘンリーを見て、リュカは幼い頃の記憶が蘇るのを止められなかった。何か意地悪をされる前兆のその笑みに、リュカは次に彼が口にする言葉が分かった気がした。
「あそこの宝箱に入れてあるからな」
「……どうしてそういうことをするかな。そもそも僕がいつここに来るかなんて分からないのに、もうそんな準備してたの?」
「俺かお前が死ぬ前に、一度はここに来るだろうと思ってな。早く行って確かめてこいよ」
「腐ってたりしない?」
「食いものじゃないから安心しろ」
「ここに置いといてくれればいいのに」
「相変わらず文句の多いヤツだな。ガキの頃、ここに来た時もそんな感じだったよな、お前」
「文句が多いなんて、ヘンリーに言われたくないよ」
「では、リュカさんがお戻りになったら、お茶にしましょう。用意しておきますね」
二人のやり取りを見ながら、マリアは微笑んでそう言うと、部屋の奥へと姿を消した。恐らくラインハット城でも二番目に美しいこの部屋に、もうすっかり馴染んでいるようだ。つい数ヶ月前までは、城にいるだけで緊張してしまっていたマリアが、今では自然とドレスを身にまとい、所作もゆったりと落ち着いている。ラインハットを離れてそれだけの時間が経ったのかと思うと、リュカは少し寂しい気持ちになった。
「また空っぽだったりしたら怒るよ」
「いいから早く行って来い」
ヘンリーに手で虫を追い払われるような仕草をされ、リュカは渋々部屋を出た。昔ヘンリーが使っていた東の部屋に向かう途中、結婚式の記念品とは一体どんなものなのか、色々と想像を巡らせていた。



「相変わらずこの廊下は暗いな……」
東の部屋に向かう廊下には、城の中にある他の廊下と同じように大窓がいくつもある。そこから日差しが入って十分明るいはずなのだが、リュカの目に映るこの廊下は薄暗い雰囲気で、窓から風が入ると身体を震わせるような寒気すら感じる。それと言うのも、過去の記憶に基づくものだと、リュカ自身気が付いていた。
廊下の壁に、父が寄りかかっていた景色が脳裏に蘇る。わがままなヘンリー王子に部屋を追い出され、なす術なく廊下に立っていた父。あの時、違う行動を起こしていれば、今とは違う未来があったのだろうかと一瞬考え始めたリュカだが、すぐに止めた。もし違う未来があったとしても、それが今よりも良いものだったかどうかは分からない。
部屋の扉はぴったりと閉じられていた。ヘンリーはもうこの部屋を使用していないが、他の誰かに明け渡したと言う話も聞いていない。恐らく今は誰にも使われていないのだろうと、リュカは静かに部屋の扉を開けた。
「誰じゃ」
部屋の中から女の声が聞こえ、リュカは扉を押す手を止めた。その声はまだ記憶に残っていた。名乗るよりも先に扉を開けて、リュカは部屋の中にいる女性の前に姿を現した。
幼い頃にヘンリーが座っていた椅子の前に立つ太后の姿は、年齢よりもかなり老けて見えた。身だしなみはきっちりと整えているが、厚化粧をしなくなった太后の顔には隠せないシミや皺が露わになっている。机の上には湯気の立つカップが置いてあり、窓辺には小鳥が三羽止まっていた。小鳥の近くには、パンくずが散らばっていて、リュカは一瞬、目の前にいるのは幼い頃のヘンリーなのではと、目を疑った。
「おお! そなたはっ!」
「……お久しぶりです」
他に言葉が思いつかないリュカは、ただぼそりとそう言った。歩み寄ってくる太后の顔には、見たこともないような穏やかな笑みが浮かんでいた。数ヶ月前にリュカがラインハットを発った時には、長年地下牢に入れられていた太后の身体は回復しておらず、骨と皮だけの痩せこけた姿だった。しかし食事も十分に摂っている今では、身体の肉付きも良くなり、いくらか健康的な雰囲気を取り戻していた。
かつての太后と決定的に違うのは、厚化粧をしなくなったことや、派手なドレスを着飾らなくなったことではなく、彼女を包む全体的な雰囲気だった。この城の東の小部屋で、窓辺に寄る小鳥たちに餌をやり、静かに生きて行くことが、どうやら太后の性格を落ちつかせたようだ。ぎらぎらとしていた太后の目から余分な力は失われ、今は日々を静かに暮らして行くことが彼女の喜びなのかも知れない。
「あの時は本当に世話になり申した」
そう言って深々と頭を下げる太后の頭を、リュカはじっと見つめた。幼い頃に見た太后の髪は、眩いほどの金髪だった記憶があったが、今では艶などとっくの昔に失ったような痛んだ白髪に変わり果てていた。昔の太后であれば、みすぼらしい白髪をどうにか隠そうとしただろう。しかし今の太后にとって、そんなことはどうでも良いことらしく、むしろ堂々と自身の老いをさらけ出している。
太后の心からの謝罪の言葉に、リュカは返事をすることができなかった。ヘンリーの人生を狂わせた彼女を許す気にはなれないが、自分が率先して怒る立場でもない。彼女に怒りをぶつけることができるのは、ヘンリー自身だ。
「何故あんな事になったのか、今となってはわらわにも分からぬが……」
「どうして……なんでしょうね」
彼女の言葉は真実なのだろうと、リュカは思った。太后はただ、母親として息子のデールを深く愛しただけなのだ。実の母親であれば、息子を掛け値なしに愛するのは当然のことに違いない。そんな当然のことが、巡り巡ってラインハット王国を滅亡寸前にまで追いやってしまった。
「魔物らがこの世界を蝕もうとしているのかも知れんの。そなたも気を付けてたもれ」
「そうかも知れませんね。きっと、悪い魔物は、あなたが作ったような心の隙を狙ってくるのかも知れません」
デールを愛するが故に、ヘンリーを疎ましく思った。それがラインハット王国の太后の心の隙だった。悪い者というのは、そのような心の隙につけ込み、唆し、誘導し、悪行を働かせてしまう。人の上に立つ者こそ、心の隙を作らないようにしなくてはならないのだと、リュカは暗に太后に伝えた。
「そうじゃの、わらわの心には隙があった……。とんでもない過ちを犯してしまった。一生を賭けて償い続けるつもりじゃ、お主に言われたようにな」
太后はそう言うと、また深々とリュカに向かって頭を下げた。そんなしおれた彼女の姿を見て、過去を取り戻せないのはヘンリーやデール、ラインハット王国だけではなく、太后自身もそうなのだと感じた。また、時間を巻き戻し、人生をやり直したいと、もしかしたらこの太后自身が最も強く思っているのかも知れない。
「ところでこの部屋には何の用事で来たのじゃ?」
「あ、そうだ。ヘンリーに宝箱を見てこいって言われてたんだ」
「奥の部屋の箱じゃな? あの子は小さい頃からあの箱でイタズラばかりしておったようじゃの。お主もやられたことがあるのかえ?」
「はい、やられました……」
当時、ヘンリーが奥の部屋にある宝箱をイタズラに使っていたのは、誰かに宝箱を見に行かせている間に、椅子の下の避難通路に隠れるのが目的だったからだ。今、当時と同じような目的で宝箱を使うことはできない。それに、彼自身、避難通路に隠れる目的で宝箱を使うことは二度としたくないだろう。そのイタズラがきっかけで、ラインハットは凶事に巻き込まれたと言っても過言ではないのだ。
「あの子は見違えるほど成長した。その上、良いお嫁さんにも恵まれた。昔のようなイタズラをしかけることはもうないじゃろう」
「僕もそう願います」
そう言って、リュカは太后のいる部屋から奥へと進み、かつては何も隠されていなかった宝箱が奥の部屋に変わらず置いてあるのを見つけた。相変わらず奥の部屋は閉塞的な雰囲気に包まれ、いるだけで息苦しい。まるで囚人でも押し込めておくような暗い部屋だが、今の時間はちょうど陽の光が部屋に差し込んでいて、少しは息をつけるような空間だった。
宝箱とは名ばかりで、鍵は常に開いており、蓋も少し持ちあがっていた。本当に宝物を入れておくのであれば、大事に鍵も掛けられ、そもそも部屋の真ん中などに置いたままにはしないだろう。ヘンリーはあの時から、宝箱の位置を少しもずらしていないようだ。
「どうしてこんな手の込んだことをするんだろう。部屋で渡してくれればいいのに」
リュカはぶつぶつ言いながらも、部屋の真ん中に置かれる宝箱に近づいて行った。ヘンリーの新しいイタズラでも仕掛けてあるのだろうかと、少々警戒気味に宝箱に手を触れ、そっと蓋を開ける。
宝箱は空っぽだった。部屋が暗いので見えないだけだろうかと、リュカは宝箱の中に顔を突っ込むようにして中を確かめたが、ヘンリーの言う記念品らしき物はどこにも見当たらない。もしかしたら宝箱自体に仕掛けでもしてあるのだろうかと、リュカは箱の内側を手で探った。すると、蓋の裏側にざらついた感触があり、リュカは蓋を大きく開けて、そのざらついた感触の元を確認した。
そこには文字が刻まれているようだった。部屋に日差しが入るこの時間、ちょうど宝箱の蓋の裏にも日差しが届き、どうにか読むことができる。幼い頃にもこの宝箱を開けたことのあるリュカだが、その時にはなかったものだと、蓋の裏側に刻み込まれたヘンリーの思いを読みながらリュカは確信した。

リュカ。

お前に直接話すのは照れ臭いからここに書き残しておく。
お前の親父さんのことは、今でも一日だって忘れたことはない。あの奴隷の日々に俺が生き残れたのは、いつかお前に借りを返さなくてはと、そのために頑張れたからだと思っている。
伝説の勇者を探すと言うお前の目的は俺の力などとても役に立ちそうにないものだが……。この国を守り、人々を見守ってゆくことが、やがてお前の助けになるんじゃないかと思う。
リュカ、お前はいつまでも俺の子分
……じゃなかった。友達だぜ。

ヘンリー

「……友達になるのに、十年以上かかったなぁ」
リュカは宝箱の蓋の裏側を指でなぞりながら、そう呟いた。呟く声は少し震えた。ヘンリーがどのような思いでここに書いたのか、想像すると目頭が熱くなった。
ヘンリーはあの時から、今もこれからも、ずっとパパスを死に追いやったことを悔やみ続けていくのだろう。リュカ自身、そのことでヘンリーを責めたことはない。ずっと旅をし、常に身を危険に晒されていたパパスは、いつどのような形で生涯を終えることになるのかということを、いつも考えていたに違いない。それが偶然にも、ラインハットから東にある、古代遺跡という場所になってしまっただけのことなのだ。
彼はこれからずっと十字架を背負ったまま、ラインハットのために尽くして行くのだろう。旅を続けるリュカに直接の手助けはできない。それならば、一度破滅寸前にまで追い込まれたラインハットを復興させ、国の安寧を守り続けることが彼にできる唯一のことなのだと、蓋の裏の文字は静かに力強く語っていた。
「考えたな、ヘンリー。これじゃ持ち帰れないじゃないか」
文字の刻まれた宝箱は持ち運ぶにはかなり大きく、城の中でこんな大きな宝箱を持ち歩いていたら、確実に不審に思われてしまう。リュカに持ち帰らせないためにも、そしてこの時の素直な気持ちを忘れないためにも、ヘンリーは敢えてこの宝箱に直接気持ちを刻み込んだに違いない。彼らの凶事のきっかけの一つとなった宝箱。ヘンリーはそんな宝箱に懺悔の気持ちを留めておいたのだ。
リュカは二度、三度と蓋の裏の文を読み返し、自身の心にも彼の気持ちを刻みつけた。大事なのは彼の本心を知り得たと言うことだ。
「でも、せっかくなら友達じゃなくて親友って言って欲しかったな」
十分に読み返したリュカは、少しふざけたようにそう言いながら、宝箱の蓋を静かに閉じた。そして太后のいる部屋へと戻って行く。
「用は済んだのかえ?」
太后は穏やかな表情で、部屋に戻って来たリュカを迎えた。机の上には分厚い書物が開かれたまま置かれていた。国王の母親である彼女も、この国を良くしていくために、色々と勉強することがあるのかもしれない。愛息子を支え、助けたいと思う気持ちは昔と変わらないはずだ。
「はい、どうもお邪魔しました」
「なんじゃ、何も手にしておらぬようじゃが、また宝箱は空っぽじゃったか?」
太后にそう問われ、リュカは首を横に振った。
「いいえ、ちゃんと入ってました」
そう言いながら、リュカは自分の懐に服の上から手を当てた。宝箱に刻まれたヘンリーの言葉は、しっかりとリュカの心にも刻み込まれている。そんなリュカの様子を見て、太后は目を細めて満足そうに微笑む。
あの宝箱にはきっと、ずっと昔からヘンリーの気持ちが封じ込まれていたのだと、リュカは思った。ずっと表すことのできなかった彼の気持ちが、ようやく今になって素直な言葉として刻まれたのだ。彼が幼い頃にもし宝箱に刻む言葉があったとしたら、それは恐らく、彼の父に向けられたものだったのではないかと、リュカは少し切ない気持ちになった。素直な気持ちをぶつけることなく、いなくなってしまったラインハット先王に、ヘンリーは沢山の言葉を持っていたに違いない。
「ヘンリーはもしかしたら、あの箱で一度もイタズラなんてしていなかったのかも知れませんね」
「……そうじゃの、そうかも知れんの」
太后は奥の部屋にあった宝箱の蓋の裏に、ヘンリーが文字を刻んでいたことなど知っているはずもなかった。しかしリュカの言っていることは分かった様子だった。ヘンリーにとって、奥の部屋の宝箱の存在は、イタズラ以上の意味を持っていたことを、太后は昔から気付いていたのかも知れなかった。
「お主、リュカと言ったの」
太后に名を呼ばれると思わなかったリュカは、思わずその場で固まった。
「これからもずっとヘンリーのことを、よろしくお頼み申す」
そう言って太后は再び深く頭を下げた。今、彼女はずっと昔からいじめ抜き、果てには殺そうとまでしたヘンリーのために、心から頭を下げていた。長い間、実の息子であるデールしか見つめてこなかった太后が、ようやく義理の息子にも同じように愛情を向けることができるようになったのだと、リュカは太后のしおれるようなお辞儀を見てそう感じた。
「僕はまたすぐに旅に出ます。僕にできることは何もありません」
リュカはただ現実を述べた。いつ終わるとも知れない旅を続けるリュカが、遠く離れたラインハットの国で国政に勤しむヘンリーを助けることはできない。リュカの言葉を聞いても、太后はまだ頭を下げ続けたままだ。
「旅先から、ラインハットが平和であり続けることを願います」
もう二度とラインハットを凶事に晒すなという気持ちを、リュカは言葉に込めた。太后は頭を下げた姿勢のまま、小さく首を盾に振った。その表情を窺い知ることはできなかったが、部屋を出る時、リュカは太后のすすり泣く声を聞いた気がした。

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