2017/12/03

花嫁修業を終えた令嬢

 

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ルラフェンの町で旅支度を整え、リュカはすぐに次の目的地であるサラボナに向かった。ラインハットから戻り、すぐにでも旅立ちたいと言うリュカを、ピエールが「一日でいいから宿で休んできて下さい」となだめ、そこでリュカはほとんど不眠不休で動いていたことを思い出した。ピエールに言われた通り、一日だけ旅支度のために町で道具を買いそろえ、宿でしっかりと身体を休めると、翌日早朝にはもうルラフェンの町を出ていた。
「ベネットさん、もう次の呪文の研究を始めていたんだね」
「今度の呪文はなかなか手ごわいようで、ジジイが生きているうちは無理みたいなことを言うておったのう」
ラインハットからルラフェンに戻り、リュカは馬車で待っていたマーリンを連れて再びルラフェンの町に入り、ベネットのところへお礼を言いに行っていた。ベネットがルーラの呪文を復活させてくれたおかげで、再び行けるかどうかも分からなかったラインハットへ行くことができ、リュカはそこでサラボナに向かうはっきりとした理由を見つけることができた。
そのことに礼を述べようとしたリュカだったが、再び会ったベネットに先に礼を言われ、おまけにお礼の品物として地酒までもらってしまっていた。よほどルーラの呪文復活が成功したことが嬉しかったのだろう。地酒はベネットが長年隠し持っていた大事な宝物だったようだ。そしてベネットは、リュカが戻る前から既にルーラではない古代呪文を復活させるべく、研究に取り組み始めていた。リュカがどのような呪文かと問いかけたが、ベネットは「わしにもよく分からん呪文じゃ」と答えるだけで、あまり多くを語らず、ただ黙々と研究を続けていた。
「また何か手伝えるといいんだけどね」
「しかしリュカ殿にはリュカ殿のやるべきことがありますからね」
「まあ、ルーラでいつでも戻れるし、しばらくしたらまた来てみてもいいかも」
一瞬にして行ったことのある場所に行けるようになったリュカは、今やラインハットだけではなくサンタローズでもアルカパでも、オラクルベリーでも、どこへでも行けるようになった。しかし彼はラインハットからすぐにルラフェンに戻り、間をおかず次の目的地であるサラボナに向かって馬車を進めた。ピエールに「良いのですか?」と問われたが、リュカは他の場所に寄る時間が惜しいと、焦る気持ちもそのままにルラフェンの町を後にした。
サラボナという町には、父が探し求めていた伝説の盾があると言う。今までこれほどはっきりとした情報を得たことがなく、リュカはデールがくれた情報に気持ちが高ぶり、すぐにその盾を見てみたいと思っていた。
馬車の荷台には、父が見つけ、隠し続けていた天空の剣がある。父も苦労して見つけたものらしいが、一体どこにあったものなのだろうと、リュカはふと疑問に思った。
「どうして伝説の武器と防具が一か所に置かれていないんだろう。装備できるのって、伝説の勇者しかいないはずなのに」
「色々と変遷があったのでしょうね」
「大方、悪い輩に盗まれたりしたんじゃろうて。伝説の勇者の武器や防具なんてものは、魔物としては真っ先に封じ込めたいものの一つじゃろ。人間の手にあるだけでも、まだ運の良いことだと思うがの」
「じゃあもしかしたらまだ何にも分かっていない兜と鎧は……」
「魔物の手に渡っているのかも知れないということですか」
「分からぬものを想像したところで無駄と言うものじゃ。とにかくその盾とやらを手に入れて、考えるのはその後じゃ」
「そうだね、その盾だってまだ手に入るかどうかも分からないんだから、考えても仕方ないか」
そう言いながらも、リュカは父が手に入れた天空の剣がどこにあったのかが気になって仕方がなかった。もしかしたら、父は町や村で平和的に手に入れたのではなく、魔物との戦いの末にようやく手に入れることができたのかも知れない。
「ピィピィ」
馬車を引くパトリシアの鞍の上で、スラりんがリュカに話しかける。言葉の意味は分からないが、リュカはスラりんが何を語りかけているのかが何となく分かった。
「そうだね、今度はみんなでラインハットへ行こう。ヘンリーもマリアもきっとスラりんに会いたがってたよ」
「ピー」
「しかしヘンリー殿とマリア殿が一緒になるとは。そういうこともあるのですね」
ピエールは未だに信じられないと言った様子で、緑スライムが思案顔をする。ピエールの言葉の言外に含まれている意味は、『ヘンリーにそんな度胸があるとは思わなかった』と言ったところだろう。
「フタリ、シアワセ?」
ガンドフの口から出る幸せと言う言葉に、ラインハットで見たヘンリーとマリアの寄りそう様子がリュカの脳裏に蘇る。一人の女性を愛するという感情がまだ分からないリュカだが、二人が共にいるだけで滲み出る雰囲気はきっと幸せという形を為しているのだろうと、想像できた。
幼い頃から苦労し続けているヘンリーが、ようやく心の底から安心できる相手を見つけることが出来たのだ。十余年、一緒に過ごしたリュカとは苦労を共にしてきたが、これから夫婦として歩むマリアとは苦労を分かち合うことができるのだろう。なんにしても、ヘンリーが安らぎの場所を見つけられたことが、リュカにとっては自分のことのように嬉しかった。
「あれが幸せってことなんだろうね」
「ソウ、ヨカッタ」
リュカの言葉を聞いて、ガンドフも嬉しそうに大きな一つ目を細めて笑った。その平和な表情を見て、リュカはガンドフが最も二人のことを案じていたのかも知れないと、ふと思った。
「ヘンリーにはプックルの成長した姿を見てもらいたいな。きっとびっくりするよ」
「がう」
すっかり猛獣として成長を遂げたプックルは、ヘンリーが幼い頃に見た巨大猫としてのプックルとはまるで違う。一見しただけでは、もしかしたらヘンリーも逃げ出してしまうかも知れない。それも楽しいかもと、リュカはいつかまたラインハットへ行くことを考え、一人笑った。
「しかしリュカよ、お主、その友人とやらに先を越されたと言うわけか」
「先を越された?」
「年の頃は同じくらいなのじゃろ? お主も結婚を考えても良い頃ということじゃ」
「うーん、それはヘンリーにも言われたんだけど、僕はこうして旅を続けているわけだから、多分結婚なんてできないよ」
「そういうものなのですか?」
人間の結婚の意味など分からないピエールは、首を傾げながらそう問いかけた。
「いつどうなるかも分からない旅に、女の人を連れて行くなんて、危なくてできないってことだよ」
「しかしあの時、マリア殿はついてこられましたよ」
ピエールが言うのは、真実を映し出すと言われるラーの鏡を手に入れる時の旅のことだ。封印されていた神の塔に入るための祈りを捧げてもらうべく、修道女であるマリアに旅に同行してもらった。神の塔に入るには、修道女の清き祈りが必要だった。
「あれは特別。それにあの時は塔に入るのが目的でマリアを連れて行ったわけだし、それが終われば修道院に戻るっていう、終わりが見えていたものだったからね」
「がうがう」
リュカの隣を歩くプックルが、赤い尾をぶんぶんと振ってリュカに話しかける。尾にはすっかり薄汚れてしまった黄色いリボンがひらひらとなびいている。
「ビアンカ?」
「がう」
プックルは鋭い牙をむき出しにして笑ったようだった。ただその表情はリュカ達以外の者が見れば、ただの威嚇の表情にしか見えないほど恐ろしい。
「どこにいるかも分からない……ああ、前にアルカパで山奥の村に引っ越したって聞いたけど、今もそこに住んでるか分からないし、それにもう結婚してるかもよ。僕より二つ年上なんだから」
「お主より二つ年上の女か。確かに嫁に行っていてもおかしくはないの」
マーリンに人間だった頃の記憶があるわけではないのだが、やたらと人間の生態について詳しい様子なのは、単に人間のことに興味が強いからなのだろう。ルラフェンの町でも一人で町歩きをし、存分に人間観察を楽しんだに違いなかった。
ルラフェンの町を出て数日は、町を囲む森の一帯から見晴らしの良い草原の景色に変わり、春が近づく季節、比較的穏やかに馬車を進めることができた。しかしリュカ達の進める馬車の前、ルラフェンの南には山々が連なり、山々を越えた先にはサラボナに向かう旅人たちを苦しめる砂漠地帯が広がっている。地図で予め確認していた砂漠地帯だが、ただただ陽に照らされる一面の砂地を見ていると、リュカはパトリシアがこの砂漠の暑さに耐えられるだろうかとふと心配になった。しかしリュカの心配をよそに、パトリシアは相変わらず何でもないような顔をして、平然と砂漠に足を踏み入れた。
砂漠に入る前に、リュカは山を歩いている時に川で大量の水を確保していた。砂漠を進む最中、その水を魔物の仲間たちとパトリシアとで計画的に分け合った。パトリシアの足で砂漠を越えられるのは一週間ほどかかるだろうというリュカの予想は裏切られ、並みの馬ではないパトリシアは五日で広い砂漠地帯を渡り切った。彼女自身、暑さに強いわけではない。恐らく暑さからさっさと解放されたいがために、パトリシアは急ぎ足で砂漠を越えてしまったのだろう。砂漠を越え、再び目の前に緑が見えた時、パトリシアはそれまでの早足から、突然駆け足になった。外を歩いていたリュカとピエールは慌てて荷台に飛び乗り、荷台に乗っていたガンドフ、マーリンと共に振り落とされまいと必死に荷台にしがみついていた。スラりんもパトリシアのたてがみを咥えてどうにか熱した砂の上に落ちずに済んでいた。パトリシアの横で、プックルは「勘弁してくれよ」と言わんばかりのぐったりした顔つきで、砂を蹴って一緒に砂漠を駆け抜けた。ルラフェンの南の砂漠を五日で踏破した馬はパトリシアを置いて他にはいないだろう。砂漠地帯に生息する魔物も、猛然と走るパトリシアと馬車の姿を、唖然とした様子で眺めるほかなかったようだった。
砂漠を抜けた先にあった森林地帯で、パトリシアは一歩も動かなくなってしまい、リュカは残りの水を全て彼女に飲ませることにした。食事に使う木の器に水を注ぐと、パトリシアは一気に飲み干し、リュカを見て「もっとちょうだい」と頭を振って催促した。全ての水を飲み切ると、パトリシアはその場で立ったまま眠り始めてしまった。
「今日はここで休憩にしよう。水を切らしたからどこかで汲んでこないと」
「がうがう」
リュカの言葉にプックルもすぐに賛同の声を出し、水の入っていた革袋を咥えると、そのまま森の中を歩き出してしまった。もう水のある場所が分かるらしく、リュカに「ついてこい」と赤い尾を振って合図する。
「では私たちはここでパトリシアを見ています」
珍しくその場に残ると言い出したピエールは、砂漠に照りつける太陽の熱に鎧兜が焼かれたせいで、緑スライムが少し小さくなってしまったように見えた。緑スライムの水分が蒸発してしまったのかと、リュカは急いで水を汲んで来ようと、プックルの後に続いて早足で歩いて行った。
幸い近くに小川があり、そこでリュカとプックルは水分補給を済ませた。革袋に水をたっぷりと入れて仲間の所に戻ると、そこにはマーリンのような姿をした魔物が三体、馬車を囲んでいた。魔物に囲まれていると言うのに、パトリシアは依然眠り続けている。砂漠で体力を使い果たしたのだろう。
「リュカ殿、お気を付け下さい」
そう言いながら剣を手にしているピエールだが、剣先が落ちているのを見て、リュカはピエールが今戦える状態じゃないと思った。他の仲間も砂漠の旅の苛酷さに憔悴していて、スラりんは少しでも水を得ようと、魔物を見据えながら草をもしゃもしゃと噛んでいた。ガンドフの大きな一つ目も、半分ほどしか開いていない。マーリンに至っては、この状況にありながら馬車の荷台から出ようともしていない。
「みんなは一度馬車に戻って、この水を飲んでいて。僕とプックルでどうにかするから」
「がう」
小川で水を飲んで体力を回復していたリュカは、プックルと共に運んできた水を入れた革袋をピエールに渡すと、すぐに戦闘態勢に入った。いつもであればそのまま大人しく馬車に引っ込むピエールではないが、砂漠に照り続ける直射日光にかなり体力を消耗したようで、早々に馬車の荷台に引っ込んでしまった。ピエールから革袋を一つ受け取ったガンドフは、袋の口から流し込むように一気に水を飲み干そうとしてる。それを見てスラりんが慌ててガンドフの体にぼふんぼふんと体当たりをして、「水くれー」と必死にピィピィ叫んだ。
その様子を確認し、リュカは改めて魔物と対峙する。父の剣を手にし、初めて見る魔物の様子をじっと観察した。姿形はマーリンと同じ魔法使いのような格好をし、しかし身にまとうローブは雷雲が立ち込めるような灰色で、首周りには何かの骨で作られたおどろおどろしい首飾りが掛けられている。マーリンの肌はまだ町や村に出入りできるような人間に近い色をしているが、目の前に立つ魔物のローブの袖口から伸びる手は、到底生き物の手とは思えないような真っ青な色に染まっていた。その色を見て、リュカは頭の隅に過去の記憶がよぎりそうになったが、それが何か分からないうちに、目の前の魔物が攻撃を仕掛けてきた。
見た目通り、魔法を使う魔物だった。それも、自分にも馴染みのある呪文を使うのだと、魔物が唱える呪文を聞いてすぐにそうと分かった。リュカの目の前にいる一体のグレゴールがまず呪文を唱え、周りに鋭い風が吹き荒れる。真空の刃の力で、リュカは左腕に、プックルは背中に切り傷を負った。
「がるるる……」
傷の痛みよりも、傷を負わされたことに怒ったプックルが、呪文を唱えたグレゴールに向かって飛びかかる。盾や鎧などを装備しない魔法使いの類は、強力な呪文を唱えられても、ひとたび攻撃を受けると崩れるのも早い。しかもプックルの攻撃の速さは、他の様々な魔物に比べても上位の方だ。プックルの鋭い爪を避けきれないグレゴールはそのまま後ろに倒れ、大きな前足の一振りを受けて昏倒した。
リュカもプックルに続いて、手にした剣を振るう。一体が何やら呪文を唱えていたが、特に何も発動したようすはなく、失敗に終わったのだとリュカはその一体目がけて攻撃する。しかしグレゴールの大きいローブを切り裂いただけで、傷を負わすには至らない。左腕の傷の痛みが響き、普段通りに剣を振るえないのだと、リュカはまず傷を癒そうと回復呪文を唱えようとした。
しかし、リュカが傷を癒そうとしていることに気付いたもう一体のグレゴールが、すかさずリュカに飛びかかって来た。まさか素手で攻撃をしかけてくるとは思わなかったリュカは、まともに体当たりを受け、地面に転がった。姿形はどうみても魔法使いだが、敵を倒す目的とあらば、その手段は呪文に限らず何でも仕掛けるくらい、その頭脳は柔軟だった。倒れたリュカの上に馬乗りになり、真っ青な腕を振りおろして殴りかかる。とても上位の魔法使いとは思えぬ攻撃に、リュカは咄嗟に両腕を前に出して頭をかばうが、左腕の傷に殴打の衝撃を受け、思わず悲鳴を上げた。
リュカの危機に、プックルがすかさず反応する。一体を虫の息にした後、リュカに襲い掛かるグレゴール目がけて文字通り飛びかかった。大きな牙を剥いて向かって来るキラーパンサーに、ぎょろりとした大きな目を更に見開いて、グレゴールは慌ててリュカから飛びのいた。
「ありがとう、プックル」
リュカが短く礼を言う間にも、グレゴールはもう呪文を唱えている。再び飛んできた真空の刃は、プックルの右半身を鋭く切り裂いた。痛みに耐えるような低いうめき声を上げるプックルに、リュカはすぐに回復呪文を施す。マーリンのように言葉が通じる相手であれば、話をしてみようとちらっと考えていたリュカだが、こうも次々と攻撃を繰り出されては話もできないと、倒すことに専念することにした。
見れば、プックルが初めに仕留めたと思っていた一体が、上体を起こしていた。まだ三体のグレゴールがおり、三体同時に真空呪文バギマを唱えられてはたまらないと、リュカも同じ呪文で応戦することにした。素早く呪文を唱え、三体に向かって真空の刃がひゅんひゅんと飛んでいく。それは二体の魔物の身体を傷つけることに成功した。しかしもう一体のグレゴールにぶつかる寸前、一瞬魔物の前に光りの壁が現れ、真空の刃をリュカに向かって跳ね返した。全く予期していない状況に、リュカは咄嗟に頭を守るべく両腕を前に出し、自分の放った真空の刃に思い切り両腕を切られてしまった。あまりの痛さに声を出すこともできなかったが、リュカはプックルが仕留めかけていた一体が完全に倒れたのを確認し、素早く回復呪文を唱えて自身の傷を癒した。
「リュカよ、呪文を使うでない。跳ね返されるぞ」
馬車からマーリンの声が飛んできた。見れば、ピエールとガンドフが戦線に加わっている。スラりんは未だ眠るパトリシアの見張り番をしているようだ。
「マホカンタという呪文だそうです。リュカ殿、直接攻撃だけで行きましょう」
ピエールはそう言うと、すぐに剣を振るい始めた。ガンドフも普段の穏やかさはどこかに置いておいて、今は獰猛な熊のような顔をしてグレゴールに殴りかかっている。あっという間に優勢になった戦闘に、リュカは一度深く息をついて落ちつき、すぐに残りのグレゴールに向かって剣を向けた。
地面に伸びた三体のグレゴールは、結局呪文を唱える言葉を口から発する以外は、何も言葉を話さなかった。マーリンと同じような姿形をしているが、その性格は人間に対して完全に非情なものだった。リュカと会話をしようとは微塵も考えていなかったに違いなかった。
倒れたグレゴールの姿を見て、リュカはこれからもっともっと辛い戦いがいくつもあるのだろうと思った。そんな辛い戦いに、仲間の魔物たちを巻きこむことも辛いと感じている。そんな自分がどうして結婚などできるのかと自ら問いかけ、やはりこの旅を終えるまでは結婚などするべきではないのだと、心の中ではっきりと答えを出していた。
いつ始まったかも分からない父の旅に、物心つかないうちからついて行った幼い頃の自分の罪。父が母を探す旅をずっと邪魔して、そのまま目的を果たさないまま死んでしまった父に、リュカは常に罪の意識を感じている。父がどれだけ母を愛していたか。それを思うと、自分が幸せな結婚をすることなど到底考えられることではなかった。



ルラフェンを出発して三週間ほどが経とうとする頃、リュカは前方に人工的な建物があるのを見た。ルラムーン草を探す時の行軍を経験していたおかげで、三週間の長旅に労苦を感じることはあまりなかった。ただ途中にあった砂漠地帯での疲労はまだ身体に残っており、その疲れを癒すためにも、目前に迫る旅人のための休憩所はありがたいものだった。
「ではリュカ殿、私たちは近くで休むことにします」
ピエールがそう言ってパトリシアの鞍の上に乗るスラりんに地面に降りるよう指示する。スラりんもすんなりと下に降り、マーリンも荷台から下りてきた。リュカがマーリンを見ると、緑色のローブの魔法使いは心得ていると言わんばかりにゆっくりと頷いた。
「ここは人間の町や村とは違って、旅人が寄る場所じゃろ。旅をしている者はいくらか感覚の鋭い者がおる。わしとて無茶をして入り込んで、魔物だとばれたくはないからの。皆と共に待っておるよ」
「うん、ありがとう。一日ゆっくり休ませてもらうね」
「リュカ、ニンゲン。リュカ、チャント、ヤスメ」
「がうがう」
ガンドフとプックルが並んでにっこりと笑っている姿を見て、心を和ませることができる人間はこの世のどこを探してもリュカしかいない。傍目には獰猛な魔物が目を細めて牙をむき出しにし、敵である人間を威嚇しているようにしか見えない。
馬車を魔物の仲間に任せ、リュカは一人、旅人たちが旅の途中で訪れる「うわさのほこら」と呼ばれる休憩地に足を踏み入れた。地図には乗ることのない小さな休憩地には、数人の旅人が南の町サラボナに向かう前に英気を養うために、ほんのひとときの安らぎを得ていた。旅人を迎える建物の中には宿屋はもちろん、旅人達にはなくてはならない教会も併設されており、鎧兜に身を包んだ戦士や、身一つで戦う武闘家など、様々な職業の者が教会で祈りを捧げていた。
その中に、旅装に身を包む修道女らしき女性が一人、他の旅人と同じように祈りを捧げていた。教会でお勤めをするような通常の修道服ではないと、リュカは海辺の修道院の修道女たちの服装を思い出しながらそう思って見ていた。足首まで覆う黒の長衣はまさに修道女の服装だが、その足元には長旅に耐えられるような頑丈なブーツが覗いている。顔や手は陽に焼け、年配の修道女だが長旅に耐えられるほどの力強さが感じられる。
その年配の修道女は、露出の多い派手な服装をした女性と何やら話をしていた。共に旅をするにはあまりにも異質な組み合わせに、リュカは不躾にもまじまじと二人を見ていた。するとリュカの視線に気付いた年配の修道女が、にこやかな笑みを浮かべてリュカに会釈をした。
「どうかなさいましたか、旅の方」
話しかけられたのを良いことに、リュカは彼女たちと少し話をしようと近づきながら話し始めた。
「旅をしているんですよね? どこへ行く予定なんですか?」
「私たちはこれからポートセルミまで行く予定です」
女性の言葉に、リュカは正直かなり驚いた。ここからポートセルミへ行くとなると、二ヶ月ほどの長旅になる。それを女性の足でとなると、もっとかかるのかも知れない。魔物も多く出現する外の世界を、目の前の女性二人が旅をするということが、リュカには想像できなかった。
「ああ、ご心配なく。護衛の者がおりますので」
読心術にも長けた修道女がリュカの表情を見てそう答えると、リュカはほっと胸をなでおろした。もし女性二人でこれから長旅に出るのだと聞いたら、自分が護衛でついて行こうかと思ったのだ。
「あなたはどちらへ向かわれるのですか?」
「僕はサラボナを目指しています」
「あら、私たちはちょうどサラボナから来たんですよ」
年配の修道女の言葉に、リュカは顔を輝かせた。リュカはサラボナという町のことをほとんど知らない。ただ南国の町で、きれいなところだと、ラインハットに訪れた時にマリアから聞いたくらいだ。
「サラボナに住んでいたんですか」
「修道院でお預かりしていたお嬢さんを家までお送りしてきたところです」
「それでポートセルミまで戻るところなんですか」
「ええ。ポートセルミから船に乗って東の大陸に向かう予定なんですが……どうやら船が出ていないようですね」
旅人の休憩地であるこの場所には他にも様々なところからやってきて、様々なところへ向かう旅人がいる。修道女は既に他の旅人から、ポートセルミとビスタ港を行き来する船が出なくなっていることを聞いていたのだろう。
「東の大陸から来たんですね。じゃあ僕と同じ船に乗っていたのかも」
リュカがビスタ港から乗った船は、とある富豪が特別に出したものだったと、ヘンリーが言っていたのを思い出した。同じ船に乗り、時を同じくしてポートセルミの町に着き、目の前の修道女は既にサラボナに寄って帰る途中で、リュカはこれからサラボナに向かおうとしている。それと言うのも、リュカは途中、カボチ村に寄ったり、ルラムーン草を探す旅に出たりしていた為、その分時間を多く使ってしまっていたからだ。ただ、そのおかげでプックルと再会でき、ルーラという移動呪文を習得でき、ラインハットへ行くこともできた。無駄な時間を過ごしたわけではない。
「もっと早く失礼するつもりだったけれど、あまりのおもてなしになかなか帰れませんでしたわ」
にこやかに話す年配の修道女に、隣で話を聞いているまだ年若い女性は羨ましいと言った視線を向けている。
「いいわよねぇ、ルドマンさんのお家でおもてなしされるなんて。あたしも修道服でも着ていれば、一緒にお招きされたかしら」
派手な雰囲気の彼女が言う言葉に、リュカは心の中で「うーん」と首を傾げていた。たとえ彼女が修道服に身を包んだとしても、その雰囲気から修道女ではないことはすぐに分かってしまいそうだ。
「正直なところ、彼女のような人にはシスターとして修道院に残ってほしかったのだけど……。そろそろステキな男性を探して、彼女と結婚させたいと言うのがお父上のお考えらしいですね」
「え? 修道院でシスターになろうとしていたんじゃないんですか、その人?」
「いいえ、お父上から花嫁修業をさせたいという意向があり、一時的にお預かりしていたのです。お嬢様ももうお年頃ということで、サラボナのお家にお返ししたのですよ」
「修道院ってそういうこともするんですね」
リュカはそう言いながら、マリアがいた海辺の修道院を思い出していた。リュカとヘンリーが修道院で世話になっていた時、花嫁修業として預かられていた女性は一人もいなかったように見えた。彼女らは皆、それぞれ何かしらの問題を抱え、あの場所に行き着いたというのが本当のところだろう。マリアも、その一人だった。結果的にマリアはヘンリーと結ばれ、幸せを手に入れることができたが、元々彼女がそれを望んでいたわけではない。
「何だか話を聞いていると、どこまでも完璧な女性なのよね、その……フローラさんって言ったっけ? 清楚でしとやかで素直で、おまけに大富豪の娘なんでしょ? ここでその噂を聞いた男たちが目の色変えてサラボナに何人も向かって行ったわよ」
露出の多い踊り子のような格好をした女性が、言葉に嫉妬を滲ませながらそう言った。
「ねえ、あんたも女性はしとやかで素直な方がいいと思う?」
突然そう聞かれ、リュカはしばし考え込んだ。しとやかで素直な女性がいいと思ったことは一度もない。第一、どうしてそのような女性が良いと思えるのか、リュカも目の前の女性のように誰かに聞きたいほどだった。たとえしとやかで素直だと言われる女性でも、それが彼女の全てではないだろう。今はラインハットにいるマリアも、一見するとしとやかで素直に見えるかも知れないが、神の塔への旅に同行すると言って聞かなかった強情さも持ち合わせている。フローラと言う女性にしても、噂されることが全てではないはずだ。
「そんなことはないと思うよ。だって……」
「そうよね! 本当の女らしさってそれだけじゃないもの」
リュカが続けて言おうとするのを遮って、目の前の踊り子の女性は顔を明るくして喜んだ。
「ああ、早くポートセルミに行って一流の踊り子になって、絶対にステキな男性とめぐり合わなきゃ!」
彼女の言葉に、リュカはポートセルミにいるクラリスのことを思い出した。彼女も、今目の前にしている女性のように、初めはそのような目的でポートセルミに行き着き、踊り子として働き始めたのだろう。しかしクラリスは未だ、「ステキな男性」とは巡り合えていないようだった。もしかしたら人気の踊り子になればなるほど、彼女たちの言う「ステキな男性」と巡り合うのは難しくなるのかも知れない。
「ちょうど旅する方角が一緒だったので、彼女とも同行することになったんですよ。最近は魔物も多くなりましたから、なるべく人数は多い方が良いと思いまして。あなたはお仲間がいらっしゃるんですか?」
「はい、頼れる仲間がたくさんいます」
「そうですか、それは良かった。見たところお一人だったので、少し心配しておりました」
まさか魔物の仲間がいるなど話せることではなかったが、仲間に絶対の信頼を置いているリュカは修道女にも踊り子の女性にも、至って普通に頼れる人間の仲間がいるのだという雰囲気で話した。彼女らは他にもこの休憩地を訪れる旅人の中に、彼の仲間がいるのだろうと勝手に推測していた。
「旅の仲間に女の人はいるの?」
踊り子の女性にそう聞かれ、リュカは仲間の魔物たちを思い浮かべながら考えこんだ。スラりん、ピエール、ガンドフ、マーリン、プックル。強いて言えば、ガンドフだけが女の子っぽいだろうかと考えたが、戦闘の時のガンドフには女の子らしさは微塵もない。すぐに答えられそうな問いかけに考えこむリュカを見て、踊り子の女性も年配の修道女も、顔を見合わせて首を傾げた。
「どうなんだろ、女の子、なのかなぁ」
リュカの答えに二人の女性は何かを察したらしく、「答えづらいことでしたら、無理してお答えにならなくても良いのですよ」と修道女に柔らかく止められた。そしてリュカの身なりや雰囲気を今一度確認しようと、しげしげと見つめていた。どことなく受けとめづらい彼女たちの視線に、リュカは途端に居心地が悪くなり、「宿の予約を取ってきます」と言い残し、そそくさとその場を後にした。
町の充実した宿屋とは違い、最低限の休息を取るためのベッドと食事を提供する小さな宿屋には、既に数人の旅人が宿泊しており、リュカが宿屋の主人に話をした時にはあと二室しか空きがなかった。ほっと胸を撫で下ろしながら宿泊予約をし、リュカは宿の主人にサラボナの町について話を聞いて見ることにした。
「これからサラボナに行く予定なんですけど、この先の道ってどうなってるんでしょうか」
そう言いながらリュカはボロついた世界地図を懐から出して広げると、宿屋の主人は少し驚いたような顔で地図に目を落とした。リュカのようないかにも金のない旅人が持っているようなものではない立派な地図を、宿屋の主人はこれまで片手に数えるほどしか見たことがない。
「ルラフェンから来たんですけど、サラボナに行くにはこの先の山を越えなければならないんでしょうか」
「ああ、山を越えるのはそうなんだが、地下道が繋がっているんだ。多くの旅人がここを行き来するからね、道も整備されているよ」
「馬車も通れるんですよね」
「もちろん。そうじゃなきゃ、旅の商人たちは皆、ここで足止めを食らってしまうよ」
そう言いながら、宿屋の主人はリュカの広げた地図に載る山々を指差し、地下道の入り口と出口の場所をおおまかに教えてくれた。他にもサラボナについて何かを聞こうと、リュカは先ほど聞いたばかりの話を宿屋の主人にしてみた。
「そう言えば、サラボナに大富豪の娘さんが帰って来たそうですね。さっき人から聞いたんですけど」
「今はここもその話で持ちきりだよ。なんたって世界でも有名な大富豪だからね」
「そんなに有名なんですか?」
「あんたも旅をしているんだったら、それくらいのことは知っておいた方がいいよ。娘のフローラさんの結婚相手を探すんだって、お父上は張り切っているようだからね。もしお眼鏡に敵えば、清楚可憐な娘さんと結婚もできて、おまけに財産だって手に入る。多くの旅人がそんな夢を見ながら、ここを旅立って行ったよ」
「でも旅を続けるんだったら、結婚しても一緒にいられないですよね」
「そりゃそうかも知れんがな。しかし旅をするにもぐっと楽になるだろうよ。なんせ、金には困らなくなるからな」
「旅のお金を出してもらえるんですか」
「愛娘の夫に金を出さないようなケチな富豪じゃないぞ、ルドマンさんは」
そう言う考え方もあるのかと、リュカは感心したように溜め息をついた。今のところ、ラインハットを旅立った時に、ヘンリーに用意してもらった金や装備で、これまでどうにかやってきている。しかしこれから先、金が底をついた時、またラインハットへ寄ってヘンリーに金を借りるのはさすがにやりづらい。かと言って、他に金を当てにできる知り合いはいない。旅の金がなくなったら、立ち寄った町や村で働いて稼がなくてはならない。なるべく時間を使いたくないリュカにとって、富豪の娘との結婚は、他の旅人同様に都合の良いものに思えた。
「あんた、まさかウワサを聞いてフローラさんと結婚したいなんて思ったんじゃないだろうねえ」
宿屋の主人と話すカウンターの奥から、彼の妻と見られる女性が怪訝な顔つきで話しかけてきた。旅が楽になるのならと少しでも考えてしまったリュカは、自分の考えが見透かされたようで、決まり悪そうに俯いた。
「でもあれほどの娘さんだ。相手にもされないと思うよ」
「どういうことですか?」
「世界的にも有名なルドマンさんの一人娘を、どこの馬の骨とも知れない旅人と結婚させるわけがないだろう。ルドマンさんはきっと、名のある貴族や、それなりの身分の男を見つけて、娘の結婚相手に選ぶと思うよ」
「そういうものですか」
「娘の幸せを思えば、それが当然だよ」
彼女の言葉を聞いて、リュカは改めて結婚というものを考えた。それは、ヘンリーとマリアが幸せそうに寄りそう姿だと思った。互いに信頼し、身を委ね、相手のことを思いやる気持ちが結婚には必要なのだと、二人の友人は雰囲気で表していた。それは果たして、親の目で分かるものなのだろうかと、リュカは腕組みしながら考えこんだ。
父や母が、今の自分に見合った相手を見つけることができると、リュカは思わなかった。親子だからと言って、全ての気持ちが通じているわけではない。
リュカは幼い頃、父にラインハットの城下町に置いて行かれたことを思い出した。父は息子を危険なところへ連れて行きたくなかったために取った行動だっただろうが、リュカはあの時ほど心細く、寂しい思いをしたことはない。父に見放されてしまったのだと思った。父は自分のことを信頼していない、分かってくれていないのだと思った。
しかしそれは、父から見れば、大事な息子にとって最も良い方法を選んだに過ぎなかった。ラインハットの城下町に置いて行けば、旅慣れ、いくらか行動力のあるリュカは自分から再び城に戻り、ラインハット王の下へ向かおうとするだろう。そして助けを求めるに違いないと、父はそこまで見越してリュカを町に置いて行ったのだ。
実際、その通り物事が運べば、リュカは十余年もの間、あのセントベレス山での過酷な人生を送らずに済んだかもしれない。しかしそれと引き換えに、父と同時にヘンリーを失っていたかも知れない。そして、父に置いて行かれたと言う心の傷は、リュカの胸に未だくっきりと残っている。
相手のためを思っても、それが果たして本当に良いことなのかは分からない。それが良いか悪いかなど、後になって自分で確かめるしかないのだ。年配の人の助言を聞くことは大事だが、その通りに行動したからと言って必ず失敗しないとは限らない。結局は自分の頭や心で決め、自分の足で歩いて行くしかないのではないかと、リュカは次第に考えがはっきりしてくるのを感じた。
「それで、一泊でいいんだね?」
「あ、はい。お願いします」
宿屋の主人の一言で、リュカはふと現実に引き戻された。部屋の鍵を受け取り、指定された部屋に向かう間、ずっとサラボナの町のフローラという女性のことを考えていた。富豪の娘というものは、父に決められた相手と結婚しなくてはならないのだろうかと、リュカは腑に落ちない様子で部屋のドアを開けた。

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