2017/12/03

令嬢との結婚と盾

 

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陽は既に傾いているが、南国の日差しはまだまだ強く、リュカは後ろから照りつける日差しにこめかみにじわりと汗が滲むのを感じた。しかしその直後に爽やかな風が町を吹き抜け、滲んだ汗をさらって行く。日差しの強さと涼やかな風が相俟って、サラボナの町は旅人の疲れを癒してくれるようだった。
町の中心地にある噴水広場にはまだ町の人がちらほらと姿を見せていた。しかしリュカが先ほど話をしていた人たちは既に仕事に戻ったり、宿へ向かうなりして、その姿を消していた。リュカは噴水広場から北にある、町で最も大きな建物である教会へそのまま向かう。
町の教会と呼ぶにはあまりにも荘厳な造りで、その景色は大聖堂とも呼べるほどの立派な教会は、遠目からもよく見ることができた。有名な芸術家の作品なのか、壁には威厳のある彫刻が施され、高い屋根の上には強い日差しを燦々と浴びる十字架が掲げられている。窓の形も丸い形の枠の中に、色とりどりのステンドグラスがはめ込まれ、教会の厳かさと華やかさを表現しているようだった。
しばらく教会前でたたずみ、どことなく入りづらい厳粛な雰囲気に圧倒されているリュカを、教会から出てきた中年の女性が目に留めた。教会で祈りを捧げ、どこかへ戻ろうとしているようだったが、教会前で立ち尽くしているリュカを見るや躊躇なく近づいてきた。リュカも女性に軽く会釈する。
「旅人さんだね。あんたの他にも何人もの人が教会で祈りを捧げて行ったよ、ルドマンさんのところの娘さんと結婚できますようにってね」
どうやら話し好きの女性のようだと、リュカは安心して女性に近づいた。
「僕の他にって、旅をしている人が多かったんですか?」
「そうだねぇ、どこで聞いたか、大富豪の娘と結婚できるなんて噂が流れているみたいで、金に目がくらんだ若い男が何人も神様にそんなお願いをしていったみたいだよ」
女性の話す男たちは恐らくルドマンの家で結婚の条件を聞く前に教会に寄り、祈りを捧げて行ったのだろう。いざルドマンから出された無理難題に近い条件を聞いて、彼らは皆、大富豪の娘との結婚をすっぱりと諦めたに違いない。大富豪の娘との結婚を神頼みするような男が、命を賭けて炎のリングと水のリングを探し出すとは思えない。
「僕もその噂を聞きました。ただこの町でそれほど大きな話になっているとは思いませんでした」
「ルドマンさんもやっと娘を嫁にやる気になったみたいだね。娘さんはフローラと言ってね、まるで白いバラのように清純な娘さんで……」
もしかしたら噂の発信源は目の前の女性なのではないかと思いながら、リュカは話の続きを黙って聞く。
「これまで何人もの男たちがフローラさんに言い寄ったけど……。父親のルドマンさんが絶対に相手にさせなかったんだよ」
リュカはさきほど見てきたばかりのルドマンを思い出した。決して性格が悪いわけではないが、かなり強引なものを持っているのはその場で分かった。ルドマン自身は、父親として娘の幸せを願うあまり、結婚の意思を持つ男たちに無理難題を吹っかけたのだろうが、それも決して意地悪をしているわけではないのだ。彼はきっと、炎のリングと水のリングが必ずどこかに存在することを信じている。ないものを探して来いと言っているわけではない。そしてそれらを見つけた男には、惜しげなく娘を任せる気でいる。
フローラに言い寄る男たちが本気であれば、ルドマンも本気で条件を提示し、それを達成できる人物を娘の結婚相手と認めようと、ルドマンはルドマンで腹をくくっているに違いない。
「でもそれって、フローラさんの気持ちはどうなるんでしょうか」
父が娘を大事に思うことを悪いとは思わない。しかしそんな父の思いを、娘はしっかりと受け止めているのだろうか。リュカは先ほどルドマン邸で見たフローラの姿を思い出した。彼女は父にはっきりと『夫となる人は自分で決めたい』と伝えていたはずだ。
「世界的に有名な大富豪のお嬢様だよ。フローラさんの気持ちも大事だけれど、立派な御家柄だからねぇ、そう簡単には行かないだろうさ」
本人の気持ちよりも家柄が、と言う女性の言葉が教会前で落とされることに、リュカはどことなく罪の意識を感じていた。もし万が一、ルドマンの提示した条件を達成した人物が、ルドマンの財産にしか興味がない人物だったら、フローラは幸せな結婚をすることはできないだろう。ルドマンもそんなことは見越して無理難題を出したのだろうが、それでもどのような人物が条件を達成できるかなど、誰にも分からない。フローラの結婚相手の性格は今のところ、何も問題にされていないのだ。
「何だか、可哀そうですね……」
「それが大富豪の娘の宿命ってヤツなのかも知れないよ」
女性の言う事はきっと事実なのだろうと、リュカはどこかやるせない気持ちを抱いた。
しかしリュカはラインハットで結ばれたヘンリーとマリアを思い出すと、果たして家柄など関係あるのだろうかと、思い直す。ラインハットの王室上階の部屋で、ヘンリーがマリアを抱きしめているところを、リュカは城の中庭から見上げていた。小さくしか見えなかったが、二人とも心の底から幸せそうな表情をしているのが、その雰囲気から分かった。結婚とは、あの二人のようにあるべきなのではないかと、リュカは今日会ったばかりのフローラのことを案じる。
「ところであんたもフローラさんの結婚相手に立候補してるのかい?」
女性にそう言われ、リュカは一瞬何のことか分からないと言ったように首を傾げた。
「お屋敷に行って来たんじゃないのかい?」
「ああ、そうでした。僕も立候補してたんだ」
「?? なんだい、他人事みたいな言い方して。じゃあ旅立つ前にきちんと神様に挨拶して行かないとね。何か宝物を探しに行くんだろ?」
話し好きの女性は既にルドマン邸で行われた話の内容について知っているようだった。大方、教会を訪れる意気消沈した若い男に声をかけ、その内容を聞いているのだろう。
「そうですね、一応挨拶して行きますね」
リュカが教会入り口に向かうと、女性は噴水広場を抜けてどこかへ戻って行った。リュカは重々しい扉を押し開け、響くような振動を手に感じながら、教会へと足を踏み入れた。
色とりどりのステンドグラスから差し込む陽の光は、教会内を幻想的な景色に変えていた。高い天井が教会内部を実際よりも広く見せている。教会の屋根に当たる部分にも窓が取りつけられ、そこから差し込む陽光が教会内部を明るく照らしている。壁の窓は開け放たれていて、中を吹き抜ける風が外と同じように心地よい。
町を象徴するような大きな教会には、多くの人が訪れているだろうと期待していたリュカだったが、ちょうど人が掃けてしまった直後らしく、リュカの他には旅人の姿も町の人もなく、内部はしんと静まり返っていた。先ほど会った中年の女性が、教会を出た最後の人だったようだ。自然、中にいた神父とシスターと目が合い、リュカは反射的に軽く会釈をする。
「旅に出る前のお祈りですか?」
教会の雰囲気のせいか、どこか上品さの漂うシスターに話しかけられ、リュカは思わず背筋を伸ばす。
「そうですね、そんなようなものです。今日町に着いたばかりなので、まだ旅には出ませんが」
「今日着いたばかりですか。それはまた運命に導かれたかのようなタイミングでしたね」
シスターの言うことが、ルドマンの娘の結婚相手募集のことだとすぐに分かる。今、サラボナの町はその話で持ちきりなのだろう。それほどルドマンという大富豪はサラボナの内外で有名な人物なのだ。
「さっき僕も家に行って話を聞いてきたばかりです。天空のた……じゃなくて、フローラさんと結婚するためには、二つの指輪を探さなくちゃ行けないっていう話で」
「そのようですね、先ほどからここにいらっしゃる方たちが口々にそう仰っていました。ルドマンさんも、とんでもない条件を出したものです……」
シスターは困惑した様子で、そう言いながら溜め息をついた。
「無謀にもルドマンさんの出した条件に挑んで、みすみす命を落とすことがあってはならないと、教会にいらっしゃる方たちに条件に挑戦するのはお止めなさいと申し上げました。私が言うまでもなく、自ら諦める方も多くいらっしゃいましたが、それが賢明な判断だと私は思います」
「そうかも知れませんね。この大陸のどこかにある指輪を探せなんて、普通の人なら挑戦したがらないんじゃないかな」
他人事のように言うリュカを、シスターは怪訝な顔で見る。
「普通の人ならって……あなたは普通じゃないというような仰りようですね」
「僕には指輪を探さなければいけない理由があるので」
旅の目的は父の遺志を継ぎ、母を助け出すことだ。そのためにはルドマンが持っている天空の盾を手に入れる必要がある。それは旅の目的を果たすための一つに過ぎず、そしてそれはリュカにとって避けて通れないものだ。
「理由と言うのは、フローラさんを心から愛していると言うことですか?」
「え?」
「そうでなければ、とても命を懸けて二つの指輪を探し出そうとはしないでしょう。フローラさんを心から愛し、幸せにしたいと思っていれば、ルドマンさんの出した結婚の条件を飲まざるを得ないとは思いますが」
そう言いながら、やはりシスターは苦い顔をしている。ルドマンの提示した条件があまりにも過酷で、人々の命の安全を願う聖職者としては、到底賛成できないものなのだろう。指輪を探さなければならないと言うリュカを、シスターは今ここで止めなければならないと思っている。
「結婚とは神様も見守る神聖な儀式……。心から愛する相手となら、きっと神様の祝福を得られることでしょう」
シスターの静かな言葉に、リュカは己の自分勝手な理由を見透かされたようで、心苦しくなるのを感じた。リュカにとって、フローラとの結婚は二の次であることは間違いない。ルドマンが持っているという天空の盾を手に入れるためだけに、二つの指輪を探さなければならないと、リュカはそう思っている。初めて町で会った時、フローラのことを美しい女性だと素直に感じたが、今日会ったばかりで彼女と結婚したいなどと言う思いに至るはずもない。
「ですから、結婚の条件さえ果たせば娘さんとの結婚を許すというルドマンさんの考えには、少し違和感を覚えてしまいます……ちゃんと娘さんの気持ちも考えて欲しいと、そう願います」
「フローラさんの気に入らない相手が指輪を持ってきたとしたら、彼女にはもちろん断る権利はあるんですよね?」
「それはもちろん権利はあるでしょうが、フローラさんはとてもお優しい方。果たしてお父上の意に反して相手の方からの求婚をお断りできるかどうか……」
シスターの話すフローラの優しさというものに、リュカは今一つ合点が行かなかった。先ほどルドマン邸で行われたルドマンの話が終わるや否や、フローラは応接間に飛び込んできて、父に向かって『夫となる人は自分で決めたい』とはっきり言い放ったのだ。シスターの目に映るフローラの優しさとは、強引な父に逆らうことのできない消極的な優しさなのかも知れない。しかしリュカの目に映ったフローラの優しさは、父の提示した条件を果たそうと危険な旅に出る若者を必死に止めようとする積極的な優しさだった。ルドマンがこの大陸のどこかにある指輪と言っただけなのに対し、フローラは溶岩の流れる危険な洞窟に指輪があると、その危険さを応接間にいる若者に伝え、みすみす命を落とさないでほしいと切に願っていた。
彼女の優しさにはしっかりと彼女自身の意思があると、リュカは感覚的にそう思っていた。そうでなければ、応接間で父ルドマンの話が終わるとすぐに部屋に飛び込んできて、見も知らぬ若者たち相手に危険なことはしないでほしいと伝えることもなかっただろう。心の底から屋敷に集まった男たちの身を案じたからこそ、父に部屋で待っていろと言われたにも関わらず、彼女は応接間に飛び込んできたのだ。
だからこそ、危険を冒して指輪を手に入れた若者が現れたとしたら、彼女はその積極的な優しさから、若者からの求婚を受け入れてしまうのかも知れない。父の意に反することはできても、たとえどんな人物であろうとも指輪を持ってきた者がいたら、彼女はその男の身を案じ、意思を尊重し、自身の気持ちは封じ込めたまま、結婚の意思を固めてしまうような優しさを持っているのではないか。
「どうかなさいましたか?」
シスターに声をかけられ、リュカははたと我に返った。美しい内観の教会にいることも忘れて、リュカは一人、フローラのことを深く考えていた。
「いえ、何でも……。フローラさん、良い人と結婚できるといいですね」
「あら、あなたも結婚相手としてお屋敷に行かれたのではないのですか?」
「あ、そうだった。僕ももしフローラさんと結婚できるんだったら、良い人でありたいと思います。彼女のためにも」
どこか他人事のように話すリュカに、シスターは不思議そうな視線を向ける。シスターのそんな視線を感じながらも、リュカはその場を離れ、祭壇前に立つ神父の下へ向かった。教会で祈りを捧げること自体、リュカにとっては珍しい行動だが、この時は旅の無事を祈るというよりは、フローラの結婚が幸せなものになるようにと祈り、手を合わせた。今日初めて会ったばかりの女性のことを気にかける自身に違和感を覚えるリュカだが、町で慌てて犬を追いかけてきた彼女を思い出し、ルドマン邸で危険な旅に出ようとする若者たちを真剣に止める彼女を思い出すと、そんな彼女の幸せを祈らずにはいられなかった。
教会を出ると、町を照らす日差しは少し和らいでいた。しかし夜が訪れるにはまだ時間がかかりそうだった。年中夏のようなサラボナの町では夜の訪れは遅く、町の灯りが灯るにはまだ太陽の力が強すぎる。
噴水広場の周りにはもう人影はあまりなかった。リュカは広場を通り過ぎ、まだ時間は早いが酒場に向かってみることにした。宿での宿泊手続きをした際、同じ建物の二階に食堂を兼ねた酒場があることを確認していた。
宿屋の外付けの階段を登ると、酒場の入り口が正面に構えていた。扉の取っ手には『営業中』の札がかかっており、中からは食器の合わさる音が聞こえてくる。リュカが扉を開けると、扉につけられた小さな鐘の音が鳴り、店の中から「いらっしゃいませ~」と女性の声が聞こえた。
「あら、お兄さんもやけ酒?」
近づいてきたバニー姿の女性店員の言うことに、リュカは思わず首を傾げた。
「どういうこと?」
「ルドマンさんのところへ行って、フローラさんと結婚するのに無理な条件を出されて、やってられるか~ってお酒を飲みに来たんじゃないの?」
「いや、無理かどうかはやってみないと分からないよ」
リュカのはっきりとした言い方に、女性店員は目を見張った。
「え、じゃあ、あなた、ルドマンさんの条件に挑戦するつもりなの?」
「そうなるかな。まだ何も分からないけど……」
ルドマンの屋敷で二つの指輪を探せと言われたきり、リュカはまだ他に何も情報を得ていない。何かしら情報を得られそうなところは酒場だろうと、まだ早い時間だが来てみたものの、リュカの他にいるのはカウンターに突っ伏している男性が一人だけだった。女性店員が言うやけ酒をしている男は、既に夢うつつの状態になっているカウンターの男に違いない。
「ルドマンさんが出した結婚の条件って、結婚指輪を探せってことらしいわね」
カウンターに突っ伏している男から聞いたのだろうか、女性店員はリュカを席に案内しながら話して来た。ガラガラの酒場のテーブル席に着くと、女性店員も暇つぶしにという雰囲気でリュカの向かいの席に座る。
「炎のリングと水のリング。この大陸のどこかにあるって話だけど、この大陸ってかなり広いよね」
そう言いながらリュカは懐からすっかり古びてしまった世界地図を取りだした。テーブルの上いっぱいに広がる大きな世界地図を見て、女性店員は珍しそうに身を乗り出して世界地図を見始めた。
「今僕がいるのはここでしょ。まだこの大陸に入ったばかりだけど、このどこかに炎のリングと水のリングがあるって聞いても、さっぱり分からないよ」
「水のリングのことは知らないけど、ウワサだと、炎のリングは南の方の火山の洞窟に眠っているって話よ」
「火山の洞窟? どこにあるのかな、その洞窟」
「この大陸の火山って言ったら、ここから南に行ったところ……ここよ、ここ。この火山のどこかに洞窟があるんじゃないかしら」
バニー姿の女性店員がさし示すところには、世界地図の中心に描かれるセントベレス山の次に大きいのではないかと思える山がある。サラボナから行く道を地図上に見ると、その道はかなり険しいものであることが分かる。道は二通りあるが、どちらも険しい山道を登ることには変わりない。リュカは今すぐ出発して辿りつけるものではないと、今日一日は旅の準備に当て、明日町を出発することにしようと決めた。
「君が知ってたの? 火山の洞窟に炎のリングがあるって」
「私が知るわけないじゃない。あそこでやけ酒しているお客さんから聞いたのよ」
「あの人、どうやって知ったんだろう」
「本人に聞いてみたら? ところで、ご注文は?」
女性店員に一番安い飲み物と食べ物をと伝えると、リュカは席を立ってカウンター席に座る男性のところへ移動して行った。男性はリュカが近づいてくる気配に気づき、半ば眠ったような目を向けてリュカをぼんやりと見つめている。
「あんたもルドマンさんのところにいたね」
カウンターの上に上半身を寝そべるような状態のまま男性がそう言うと、リュカは「はい」と返事をして、男性の隣の席に腰を下ろした。
「あの女の店員さんにあなたが炎のリングのある場所を知ってるって聞いたんだけど、元々知ってたんですか?」
「そんなこと、知らないよ。アンディに聞いたんだよ」
男性の口から出たアンディという名に、リュカは思わずあっと声を漏らした。ルドマン邸で少しだけ話をした青年だ。そう言えば、ルドマン邸を出る時には、彼の姿は既に屋敷から消えていたようだったと、リュカはつい先ほどのことを思い出す。
「あいつ、ルドマンさんの話の後、直接もう一度ルドマンさんに会って、炎のリングのある場所を教えてくれって聞きに行ったらしい。そうしたらルドマンさんも少し情報を出してくれたってわけだ」
「直接話を聞きにって?」
「ルドマンさんにもう一度話を聞きたいって屋敷の使用人に頼みこんだんだろうね。あまりにしつこいから、使用人も通さざるを得なくなって、ルドマンさんも仕方なく知っていることを教えたんだろうよ」
ルドマンは話を終えた後、フローラを連れて応接間を出て行ったはずだ。あの後もう一度ルドマンに話を聞こうとは、リュカには思いつきもしなかった。それだけアンディは本気で情報を得たいと思ったのだろう。
「魔物がウヨウヨしてるのに、二つのリングなんて探せないよ。とほほ」
そう言うと、男性は身体を少しだけ起こして、グラスに少しだけ残っている酒をちびちび飲んだ。もうほとんどグラスに酒は残っていないが、男性はお代わりを頼む気はないらしい。空のグラスを脇に置いたまま、またカウンターの上に上半身を寝そべっている。
「ところでそのアンディさんは今どこにいるか知っていますか?」
アンディは恐らく本気でリングを探そうとしている一人だ。しかし到底旅慣れているとは言えず、それどころかサラボナの町を出ることもあまりないのではないかと思うほど、華奢な体つきをしていた。もし炎のリングを探しに町を出るのであれば、誰か仲間を募るかしなければ、一人で南の火山に向かうことはみすみす死にに行くようなものだ。もし仲間を得たいと思っているのであれば、リュカは一緒に南の火山に向かうのが良いと、アンディの居場所を聞き出そうとした。しかし男性は小さく首を横に振る。
「知らないよ。ただアンディだって旅に出る前に自分の家には寄るだろうよ。両親に何の報告もなく、勝手に旅立つような親不幸な息子じゃあないよ、あの男は」
「家か……。アンディさんの家、どこにあるか知ってたら教えてくれませんか」
リュカの真剣な様子に、酒の酔いも少し醒めたようで、男はアンディの家の場所を丁寧に教えた。サラボナの町の南東に町の住宅街があり、その中でも町の端の方へいったところにアンディの家はあるらしい。男の言葉の中には、はっきりと言うわけではないが、そこはサラボナの町の中でもあまり裕福ではない層の人々の住む場所、というニュアンスを含んでいた。町の中の位置づけとしては、ちょうどルドマンの屋敷と正反対の場所にあるようだ。
リュカは男に礼を述べると、ちょうど運ばれてきたオレンジジュースと揚げ芋を一気に口の中に放り込んだ。もごもごと話しながらバニー姿の店員に勘定を済ませると、早速教えてもらったアンディの家に向かって酒場を後にした。



町の南東に位置するサラボナの住宅街に着く頃には、既に夕陽が町を照らしていた。町全体が夕食の匂いに包まれ、リュカは酒場で揚げ芋を食べてきたばかりだが、その夕食の匂いに思わず鼻を動かしていた。
住宅街をずっと歩いて行くと、並ぶ家の景色が徐々に変化して行くのが分かった。酒場で男が言っていたように、どうやら町の人の層によって住む場所がおおよそ決まっているようだ。それは町としての取り決めがあったわけではなく、ただ町に住む人々が自然と造り上げた景色なのだろう。貧困層とまでは行かないが、それでも南東に進むに従って明らかに家の大きさが小さくなっていくのが分かった。
アンディの家はその中ではまだ大きな家だった。富裕層ではないと言っても、サラボナの町に住む人々は恐らく他の町の人々に比べれば生活に余力のある人たちがほとんどなのだろう。リュカはサンタローズにかつてあった自分の家と比べても大きなアンディの家を見て、この町が豊かだということを感じた。
玄関の扉をノックすると、中から少ししゃがれた声で返事があった。リュカがルドマン邸でアンディと話した者だと告げると、玄関の扉が開き、老年とまでは行かないが年の行った女性が現れ、リュカを家の中に招き入れてくれた。家族の食卓と思われる場所には、女性と同じ年ほどの男性が座っていた。その華奢な体つきを見て、リュカはこの夫婦がアンディの両親なのだと分かった。
既に夕食は済んだところのようで、テーブルの上には食後のひとときを楽しむ紅茶と焼き菓子が並んでいた。アンディの母はリュカをテーブルに着かせると、台所へ行って紅茶を運んできてくれた。そののんびりとした動作に、どこか上品さが漂う。
「アンディを訪ねて来てくれたのはありがたいんだけど、今はちょっと留守にしていてねぇ」
「家には戻ってきましたか?」
「戻って来たと思ったら、夕食を早めに済ませて、とっととどこかへ出かけちゃったんだよ。何でも指輪を探しに行かないといけないんだとか」
湯気の立つ紅茶をすすりながら、女性はゆったりとそう答えた。
「えっ、じゃあもう指輪を探しに出かけちゃったんですか?」
「そういうことなのかね。私にはあまり詳しいことは話さないまま行っちゃったから、良く分からないんだよ」
女性が頬に手を当てながら、リュカのことをじっと見つめてそう話す間、アンディの父はずっと黙々とテーブルの上に本を広げて目を落としていた。分厚く古びたその本は、何やら世界の伝承について書かれているようなものだった。
「アンディが話していたのは多分、あんたのことだね」
ずっとリュカを興味深げに見ていたアンディの母は、濃紫色のマントにターバンという独特の旅装に身を包む旅人の姿に、その思いを確信に変えた。アンディはルドマン邸を出た後、一度この家に戻り、リュカのことを両親に話していたようだ。
「アンディから聞いたけど、あんたもフローラと結婚したいんだってね」
結婚したいのかと率直に聞かれ、リュカは返事をすることができなかった。リュカの目的はあくまでもフローラとの結婚と同時に得られる、天空の盾の存在だ。
「だけどフローラのことは諦めてやってくれないかねぇ。アンディは小さい頃からあの娘のことが好きだったんだよ」
「小さい頃から……」
「そうなんだよ。フローラが遠くの修道院に花嫁修業に行く前からずっと、想い続けているみたいなんだ。あの頃はまだ子供の小さな恋なんだろうと思ってたんだけどね、フローラが修道院に行っている間も他の女の子には目もくれないで、ずっと想っていたみたいなんだよ」
「フローラさん、修道院にどれくらい行っていたんでしたっけ」
「確か五、六年は行っていたんじゃないかねぇ。アンディはあんたと年もそう変わらないと思うけど、その頃の五、六年って言ったら、かなり多感な年ごろだろ。それなのにずっとフローラのことを……だから諦めてやってくれないかねぇ」
アンディの母の話し方は、もはや懇願の雰囲気があった。大事な息子の温め続けてきた想いを守るために、今日サラボナの町に着いたばかりの見も知らぬ旅人のリュカには退いて欲しいと、そう話しているのだ。
「君の名前は?」
ずっと本に目を落としていたアンディの父が、顔を上げてリュカに名を尋ねた。その声に、リュカは救われる思いだった。アンディの母の言葉の強さに、リュカは胸が苦しくなるのを感じていた。
「リュカと言います」
「リュカさん……。おい、母さん、ちょっとお茶を入れ直してきてくれないか」
「はいはい、ちょっと待っててくださいね」
空になっていた夫のカップを手に取ると、アンディの母は台所へ向かった。その後ろ姿を見送り、アンディの父は話し始める。
「君もこれから向かうんだろう?」
アンディの父はどこに向かうのかとは聞かなかった。しかしその真剣な表情に、アンディの父は息子としっかりと話をしたに違いないと、リュカには分かった。息子のアンディと話をしているのであれば、指輪を見つけるためにこれから南の火山に向かうことは知っているのだろう。リュカは静かに頷いた。
「身勝手なお願いだが、息子を追いかけて欲しい。恐らくアンディはもう、向かってしまったのだ」
「えっ? 向かったって、もしかして一人で南の火山に?」
「ああ。南にある火山は死の火山と呼ばれていてね、あそこには何人もの探検家が挑戦した洞窟があるらしいんだ。だが誰一人として帰ってきた者はいない……。そんなところに息子は無謀にも行ってしまったようだ」
テーブルの上に広げていた古い文献をリュカの方へと差し出すと、アンディの父は開いていたページを指差す。そこには『死の火山』と呼ばれる洞窟のことについて書かれていた。書かれている内容は些細なものだが、そこにはおおよその洞窟の入り口の場所が書かれている。
「アンディは私にだけ話して、妻には話さずに行ってしまった。心配をかけたくなかったんだろう」
「もう町を出てしまったんでしょうか」
「見かけに寄らず猪突猛進なところがあるから……それほどフローラのことを想っているのだろう。リュカさん、私の身勝手なお願いだが、息子のことお願いできるだろうか」
「もちろんです。本当は一緒に行ければと思ってここに来たんですが。すぐに追いかけます」
リュカは本に書かれている内容にざっと目を通し、頭に叩きこむと、早々に席を立った。窓から外を見ると、まだ夕陽が西の空に見えている時間だ。町の道具屋の場所を聞き、台所に立つアンディの母にも声をかけると、リュカは急いでアンディの家を出て行った。
道具屋に向かう途中、リュカはアンディの行動力に改めて驚きを覚えた。アンディの父も言っていたが、猪突猛進にも程があると言うものだ。頭の中にある世界地図で今一度、死の火山の場所を思い浮かべる。サラボナの町から向かうには恐らく、馬車を持つリュカでもひと月以上はかかる道のりだ。おまけに地図に描かれている通り、道のりは険しい山道が続く。もしかしたらひと月などでは辿りつけない場所にあるのかも知れない。とても想いだけで辿りつけるような場所ではないのだ。
しかしそれと同時に、リュカは幼い頃の自分の行動をふと思い出した。
ヘンリーが悪者にさらわれ、父にラインハット城下町に置いて行かれた時、リュカはプックルと共に無謀にも町の外に出て父の後を追いかけた。ラインハットで父を待つという選択肢は、リュカにはなかった。父に置いて行かれたことだけがリュカの頭を支配し、何としてでも父に追いつくのだという考えしか頭になかった。今のアンディは恐らく当時のリュカと同じような思考なのだろう。フローラのために必ず指輪を見つける、それしか彼の頭にはないのだ。その思いだけで彼は死の火山へ向かっている。
人の思いは何よりも強い。リュカはそう信じているが、それとは別に思いだけではどうにもならないことも知っている。全く旅慣れないアンディが考えなしに死の火山に向かい、無事でいられる保証はどこにもない。今この時にも、彼は窮地に陥っているかも知れない。
「アンディは、死ぬべきじゃない」
リュカはそう呟きながら、ルドマン邸で見た彼のフローラを見る眼差しを思い出した。金も宝もいらない、ただフローラと結婚できればと言っていたアンディ。彼こそがフローラと結婚し、彼女を幸せにできる唯一の男なのではないか。フローラが彼のことをどう思っているのかは分からないが、アンディがフローラのことを幸せにしたいという気持ちは、他の誰よりも勝っているに違いない。
天空の盾を手に入れるという目的を忘れるわけではない。しかし天空の盾はルドマン邸に存在していて、決して無くなることはない。人間は死んでしまったら、終わりだ。今だけはアンディの身の安全だけを考え、リュカは急ぎ足で町の道具屋に向かって行った。

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